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カテゴリ:ミニストリー
人身御供(ひとみごくう)とは、
人間を神への生贄とすること。 神道のタブー 人身御供(いけにえ) アステカ人は「太陽の不滅」を祈って、人間の新鮮な心臓を神殿に捧げました。生贄は石の台にのせられ四肢を押さえつけられ、生きたまま黒曜石のナイフで心臓をえぐり取られたとされます。 「アステカって、残酷だなあ!」 ウィキペディアで「人身御供」を検索すると、次のような文が引用されています。 *出典:高木敏雄「日本神話伝説の研究」岡書院1925年5月20日発行 「坂戸明神の話に移る。久しい間の伝承で神聖にされた、馬鹿にできぬ儀式がある。 祭祀の儀式としての人身御供の存在説を主張する者の提供した、或は寧ろ提供し得る証拠物件の中で最も有力なるものである。 爼(マナイタ)と庖丁(ホウチョウ)、それから生きた実物の人間、考えたばかりでも身の毛が立つ。 爼と庖丁とが、果たして人間を神に供えた風習の痕跡だとしたらどうだ。 犠牲を享ける神は、鎮守の社に祀られる神である。 捧げるものは氏子の部落である。捧げられる犠牲は、氏子の仲間から取らなければならぬ。 人身御供という風習の言葉の中には、久しい間の慣例と云うことの意味が含まれているではないか。」 補足すると、このお社には人身御供の言い伝えがあり、古くはお祭の日に村人が集まって、くじ引きで、神さまの生贄(いけにえ)になる人を決めたといいます。 くじに当たった人は神前に用意された俎板の上に乗せられ、神主さんが刀を抜いて、あたかも魚を料理するような手つきで切る真似をしたのです。切る真似だけで、からだには全然触れないのですが、このくじに当たって人身御供になった人は、三年のうちに必ず死んだそうです。 「往時、神光寺の盛んであった頃、加古川流域の人々は死者が出ると、はるか南方から遺体を運んでこの寺に葬った。その際、死人はみな一度この石の上に置いたところから、血石の名が付けられたと言われる。 また、一説には、死体があまりに重いので、この石の上で四肢を切り離して運んだため、その血でこの石が赤く染まったのだとも伝えられている。」 いずれにしろ、現代の我々からは想像もできない死の儀礼があったのでしょう。 下の写真の巨石は、本体のご神体(立石)の前に、あまりに大きな供物台が設置されています。 我々が先祖のお墓に供えるようなものとは、全く違う巨大さです。むろん、これを祭祀台として、神職や巫女が上に乗って儀式を行っていた可能性もありますが、中には鹿や猪などの大物を捧げていた、あるいは人間が捧げられていた可能性もあると思っています。 神、人を喰う―人身御供の民俗学 単行本 – 2003/3/30 六車 由実 庄屋の屋根に白羽の矢が立って、娘を神(怪物)の生け贄に差し出さないといけなくなる――そういう人身御供の話を縁起とする祭りが、今も全国にたくさんあります。 古代から存在する人身御供、 「神への生け贄」が階層化社会を生み出していた:研究結果 太平洋諸島の93の文明の歴史を統計分析した結果、神に生け贄を捧げる「人身御供」制度は社会の階層化を進め、エリートたちに利益をもたらすことがわかった。 人身御供は邪悪な習俗だというのが、ほぼすべての人の共通認識だ。しかし、多くの古代文明で(そして、いくつかの近代文明でも)、神に生け贄を捧げるこの宗教儀式は行われていた。 つまり、階層化された社会で力を維持したいエリートにとって、人身御供は有益な手段になったということだ。これはオーストロネシア人の文明に特に当てはまる。多くの場合、宗教あるいは政治のリーダーが人身御供を行い、奴隷や社会的な地位の低い人が生け贄にされていたためだ。 ややぼかした書き方ながら、 儀式は形を変え、今でも、粛々と続く、
*数字で人身御供をほのめかす厚労省、
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