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2009/07/12(日)10:05

西本願寺の歴史と文化財【京都検定現地講習会】-書院編

■京都■世界文化遺産(26)

西本願寺の現地講習会レポート、今日はいよいよ書院です 書院は通常非公開、写真撮影は禁止 本願寺史料研究所研究員 和田秀寿先生の解説で書院の中へ 虎の間 重要文化財 玄関を入ると、黒っぽい板に囲まれた部屋 この黒っぽい壁板、実は虎と竹が描かれている 横から見ると、かすかにわかる虎の姿 1630年にできたとされるここの絵は、戦後すぐ文化庁による剥落防止剤(PVA)が塗布された そのPVAが化学変化により、真っ黒になったそうです 実は全国にそういう例は多くあるとか… ここの虎の絵は、2011年には収蔵庫に収蔵され、新しい虎の絵が展示されるそうです 機会を見つけて、ご覧になることをオススメします! 尚、現在の絵は、最初に描かれた絵に、150年後に加筆されたとこがわかっているとか 玄関に虎は、権威の象徴だそうです 対面所(鴻の間) 国宝 下段、上段、上々段からなる大広間。下段は162畳あり、400人入るとされる 欄間のコウノトリの透かし彫刻から、「鴻の間」と呼ばれる 帳台構(ちょうだいかまえ)、床(とこ)、御成口(おなりぐち)、違い棚、付書院(つけしょいん) の書院造5点セットが揃い、帳台構~違い棚が一直線に並ぶ本願寺独特の様式 上段の天井は格式高い、折上格天井(おりあげごうてんじょう)→二条城でも見られますね 上々段は1634年、徳川家光上洛の際、新設された(但し、実際には来られなかった) この対面所、すごく広いんですけど、更に広く見える工夫がされてます それは、柱の間隔。手前は2間。上段に近づく最後の柱の間隔だけ、1.5間。 この工夫により、奥行きが広~く感じられます ここに描かれてる障壁画のほとんどは渡辺了慶らにより描かれている 渡辺了慶は狩野光信の弟子  ここで、狩野派の手本「累世用画法」について  狩野派の描く絵は、一定の決まりによって描かれる  まず、入口には「走獣」→下段には「花鳥」→上段には「人物」  更に高貴な人の居所には、「山水画」  確かに!どの間もそうなってる  何気なく見てた障壁画も、これを覚えておくと、かなり通っぽい 南能舞台(重文)と北能舞台(国宝) 重要文化財の能舞台は、春日大社、厳島神社とここ西本願寺南能舞台 国宝の能舞台はここの北能舞台のみ 北能舞台:現存最古の能舞台(1581年)      木が床だと思ってたら、その下には、漆塗りの床があるそうです      床下には甕があり、音響効果ばっちり      また、舞台周りの石は、全て同じ向きに敷き詰められ、これも音響効果のため      徳川家康から下賜されたものとの言伝えがある(駿府城より) ここで、能舞台の時代の見方  舞台への橋掛かり(廊下)の欄干が、湾曲してる方が古く、直線が新しい  橋掛かりと舞台がつながる角の角度が90度に近い方が新しく、鈍角の方が古い 西本願寺書院には二つの能舞台があるので、見比べるとよくわかりました♪ 書院、その他の見所 ・雁の間(国宝)から欄間越しに隣の 菊の間(国宝)を見ると、  菊の間の障壁画に描かれた月をバックに、雁の間の欄間の雁が飛んでるように見える  おぉーー 計算された演出に、思わず感嘆の声 ・虎渓の庭に沿った「東狭屋の間」。ここの天井にはたくさんの書物の絵がかかれている  その中央に、一匹のネコ。ネズミの見張りをしている「八方にらみのネコ」  ここに描かれている書物は、全て実在するものだそうです ・1871年の京都博覧会の出品目録にあった「金泥雲龍図」の存在が長らく不明であったが、  南能舞台前の対面所の杉戸に書かれているのがわかった  この杉戸、虎の間の壁板同様、真っ黒になっている  でも、真横から見ると、なんとなく龍の顔が浮かんでくる  研究されてる先生も、びっくりの発見だったそうです 国宝、重文満載の西本願寺書院 通常非公開ですが、毎年5月20、21日は祝賀能が行われ、飛雲閣同様公開されます 西本願寺ホームページ   京都・観光文化検定試験改訂版 | 世界遺産の京都本 世界遺産をあそぶ京都本←書院の中は、こちらの方が詳しい 京都検定関連情報は別サイトで更新しています 京都検定で旅する京都 kyotabi.com にほんブログ村 人気blogランキング ================================================================

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