カテゴリ:日記・思い出
今日は、ただ、大きい神社に行ってみようと言う気持ちからだけなのですが、明治神宮に初詣に行ってきました。
去年は2日に行って、ものすごい人だったので、今年はさらに一週間ずらしてみました。 参道に列が出来て進まないなんてことはなかったですが、 9日だというのに、人が大勢お参りに来ていました。 おみくじを引いたり、振る舞い酒を頂く列が出来ていました。 学生の書道展も行われていました。 明治神宮は参道が長く、左右を森に囲まれています。 昔からある森かなと思って調べてみたら、人工森だそうです。 神宮のホームページに次のようなことが書かれていました。 明治神宮が出来る前はこの辺り一帯は南豊島御料地(皇室の所有地)といって、現在の御苑一帯を除いては畑がほとんどで、荒れ地のような景観が続いていたそうです。 大正4年から造営工事が始まりましたが、100年後の森を想定した壮大な計画が立てられ、全国各地から、10万本近い献木がありました。 当時その種類は365種でしたが、東京の気候にそぐわない種類もあり、現在では247種類になってしまいました。 樹木数は当時の10万本から今では約17万本に増えていて、わずか半世紀で自然の状態になっていることが解り世界的に注目を浴びたそうです。 以下明治神宮のホームページQ&Aからの引用です。 Q.なぜ明治神宮には杉や檜が少ないのですか A.明治神宮境内の樹木を見ると椎や樫、楠が多く、伊勢神宮や日光東照宮のような杉や檜が少ないことに気づきます。 創建当初明治神宮に何を植えたら立派に育つか、また100年後自然の状態になっていくのか、当時の植物学者たちが考えました。そして椎・樫などの照葉樹を植えることに決定したのです。理由は大正時代、すでに東京では公害が進んでいて、都内の大木・老木が次々と枯れていったのでした。そこで百年先を見越して神宮には照葉樹でなければ育たないと結論づけたのでした。 ところが当時の内閣総理大臣であった大隈重信首相が「神宮の森を薮にするのか、薮はよろしくない、当然杉林にするべきだ」として伊勢神宮や日光東照宮の杉並木のような雄大で荘厳なものを望んでいました。しかし当時の林苑関係者は断固として大隈重信の意見に反対し、谷間の水気が多いところでこそ杉は育つが、関東ローム層の代々木では不向き、杉が都会に適さないことを説明してようやく納得させたそうです。 もしこの時に大隈重信の意見を聞き入れて杉の森にしていたら、今のような素晴らしい森にはなっていなかったかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005/01/09 10:28:45 PM
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