|
カテゴリ:タイガース脇役物語
日付も変わり開幕の日を迎えましした。何か新しいことをと思っていましたが阪神に在籍し、脇を固めてくれた地味系の選手を振りかえります。持ちネタが少なく資料を収集しながらですので不定期かつ地道に紹介していきたいと思います。最初はバラさんこと榊原良行さんです。 タイガース脇役物語(1)榊原良行 1949年6月13日生 浜松商~中央大~日本楽器~阪神(75~81)~日ハム(82~84) 右投右打 内野手 背番号37(阪神時代) 通称「バラさん」。1975年ドラフト4位。セカンド、サード、ショートをマルチにこなす。入団時にはセカンドに中村勝広、ショートは藤田平、サードは掛布雅之が台頭してきていたためポジションが無く、2年間は守備固めでの起用が多かった。 3年目の1978年6月、ハロルド・ブリーデンが戦列を離れ、藤田がファーストに回ったため、ショートのレギュラーポジションに入る。 打順は2番が多く、バント、エンドランなど小技がうまかった。また、バットを極端に短く持っているのに大きいのも打てる意外性もあった。初ホームランは1976年9月16日の巨人21回戦で加藤初から。さすが地味ではあっても虎戦士らしい。1977年は全部で43安打したが、そのうち7本がホームランである。安全パイと思っていたところにガツンとくらわす、相手からみると嫌な奴だったかもしれない。 守備は基本がしっかりしていて地味ながら堅実。玄人好みのプレーヤーだ。入団が吉田義男監督時代だったため、伝説の5メートルノックで鍛えられてさらに磨きがかかった。特別強肩というほどではないが、打球を予測し、左右の軽快なフットワークで難なく捌いてしまうため、守備での見せ場が多いショートの割に目立たなかったのは惜しい。掛布との三遊間コンビは息が合っていた。 江川初登板の試合では、1-3の7回、若菜のソロで1点差に追い上げ、さらにツーアウトから真弓がヒットで出塁したあと、ラインバックにつなぐ貴重なフォアボールを選んだのが2番の榊原だ。ここで切れていたら、おそらく江川が勝ち投手になっていただろう。これこそ脇役「バラさん」らしい仕事である。 1979年にトレードで入団した真弓がショートに入り、翌1980年は岡田が入団してセカンドを守ったため、榊原の出場機会は減っていった。1982年には日本ハムにトレードされ、3年間控えの内野手としてプレーし84年に引退している。(写真は日刊スポーツのWEBサイトから出典しています) 守備に関して指導者としての評価は高い。引退後は日ハム、阪神、中日でコーチを務めており、阪神は通算10年もお世話になった。中でも久慈照嘉はみっちり指導を受けている。社会人クラブチームの監督などを経て台湾球界に転身し、現在は兄弟エレファンツの守備コーチ。次の近況記事のように、ご健在で野球伝道師として地味に活躍しておられます。 広がる東日本大震災のための募金活動2011/03/22 東日本大震災のための義援金を集める募金活動の輪が台湾で広がっている。(中略) 中華プロ野球メジャーリーグは19日、高雄市の澄清湖球場で兄弟エレファンツと興農ブルズによる開幕戦の際、球場で募金活動を行った。エレファンツには、榊原良行さんが守備コーチを務めており、試合前に榊原さんが、日本への募金活動を行っている台湾の人たちに対する感謝のスピーチを行った。(後略) 地味な選手は資料もエピソードも少ないので難しい。1回目はこれくらいで勘弁していただき、しばらく図書館に通ってきます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[タイガース脇役物語] カテゴリの最新記事
|