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2013.11.29
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タイガース脇役物語(6)

静かなる活火山 佐野仙好(さののりよし)

群馬県出身、前橋工業~中央大学 1973年秋ドラフト阪神1位指名

背番号9 右投右打 三塁手~外野手

阪神在籍  1974~89年(通算16年)

通算成績  1549試合4826打数1316安打564打点144本塁打

        通算打率2割7分3厘

 

 現在、統括スカウトをつとめる佐野仙好は、現役時代、タイガースの下位打線のスパイスのような役割で、渋い働きをした選手だった。

 

 野球の強かった群馬・前橋工業から中央大学に進学し1年生からサードのレギュラーで、大学4年間のリーグ戦全試合に出場。首位打者1回、ベストナイン2回、通算99安打、31打点、7本塁打の成績で、1973(昭和48)年秋のドラフト会議では阪神タイガースに1位指名された。

 ところが同期6位入団の掛布雅之とポジションが重複、1年目に佐野は61試合、掛布は83試合に出場しており、この段階からサードは掛布が定着し、順調にレギュラーに成長していくことになる。2年目以降、佐野はサードの控えから外野手へとコンバートされることになり、東田正義が抜けたあとの1978(昭和53)年、プロ入り5年目にしてようやくレフトで100試合以上の出場を果たした。

 打順は主に6番や7番で、主軸が残したチャンスでダメ押しをするような役割が目立った。打線に厚みを加える意味において、地味ではあっても重要な戦力と言える。1979(昭和54)年~87(昭和62)年まで9年連続で二桁本塁打を記録しているように、適度なパンチ力もあって、下位でも手が抜けないため、相手投手からは嫌がられる存在だった。

 

 1981(昭和56)年には、最多勝利打点のタイトルも獲得したほど、好機にしぶとい打撃が光った。タイガースが日本一になった1985(昭和60)年にも、レフトのレギュラーで120試合に出場し、打率2割8分8厘、60打点、13本塁打と貢献している。この85年、佐野に関して最も印象に残るのは5月20日の対ジャイアンツ9回戦だろう。

 この年4月最初の三連戦は、G河埜の奇跡の落球やバックスクリーン3連発でタイガースが3連勝する。ところが5月のゴールデンウィークの後楽園3連戦では貧打に泣いて逆にタイガースが3連敗を喫した。そして5月18日から再び後楽園での3連戦、1勝1敗で迎えた20日の9回戦に槇原が先発してきた。

 4月のリベンジとばかり、槇原は全力投球で6回までタイガース打線を沈黙させ、0対5とジャイアンツリードで7回表を迎えた。タイガースは満塁のチャンスを作り代打に佐野を起用すると、1点差に迫る満塁ホームランが飛び出した。さらに一人ランナーが出て、緊急リリーフした定岡から、今度は真弓が逆転2ラン。一挙6点の猛攻で試合をひっくり返し、9回にも1点を加えて7-5と逃げ切ってタイガースが勝利した。この試合で佐野の満塁弾を浴びた槇原は完全に自信を喪失し、この年は4勝7敗に終わっている。佐野恐るべしを見せつけた試合だった。

1985年5月21日スポニチ.jpg

 太っているわけではないがズングリした体型で、打撃フォームは決して綺麗ではなかった。闘志が前面に出るタイプでもない。ただし低い球はひざをついてでもミート出来るような器用な面があり、三振が少ない打者で、このあたりが対戦する投手を苦しめた。現役生活16年間で三振は366個なので、平均でも1年に約23個。最も三振の多かったシーズンでも519打席で49個である。打ち取りにくいしぶとい打者の印象だ。

 下位打線にあって、毎年のように10~15本のホームランを打ち、50~60打点を挙げる打者がいるのは心強い。今のタイガースにはこういう打者がいないために、相手投手に楽をさせてしまっている。近いところでは2000年代に6番を打っていたころの桧山がこういう働きをしていたように思う。

 ◆

 佐野で有名なのは、川崎球場でのフェンス激突事件だろう。1977年4月29日の大洋ホエールズ戦。7-6とタイガースがリードして迎えた9回裏1死1塁の場面で、大飛球を追ったレフトの佐野はフェンス際で好捕したがそのまま激突して意識不明になり病院に運ばれた。検査結果は頭がい骨陥没骨折の重傷であった。

 

 この事故の間もボールデッドにならず、1塁ランナーがタッチアップでホームまで帰ってホエールズが同点に追いついたことで、タイガース側が提訴したが、当時の野球規則に重大事故時の規定が無く判定は覆らなかった。しかし、8月1日に開かれたプロ野球規則委員会で、選手の生命にかかわる事故が発生した時には審判はタイムを宣することができるという条文が追加されることになる。

 もう一つ、川崎球場の外野フェンスがコンクリート製であったことが問題になり、5月12日のプロ野球実行委員会で、全球場の外野フェンスにラバーを張るように指示が出された。佐野の尊い負傷がきっかけになって、選手の安全面が著しく向上するきっかけになったと言える。

 引退後は、守備走塁コーチや打撃コーチをつとめたのち、1998(平成10)年にフロント入りして以降、スカウトに専念し、2013(平成25)年現在は統括スカウトである。

 

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Last updated  2013.12.01 02:01:52
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