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カテゴリ:タイガース時事報告
藤田太陽選手の引退に思うこと 2000年11月のドラフト会議でタイガースを逆指名して1位入団した藤田太陽投手が現役引退を表明しました。故障が多く入団時の期待を大きく裏切り、タイガースでは5勝9敗の成績で2009年の途中に西武にトレードされ2012年オフには戦力外に。2013年はヤクルトに在籍して再起を図っていましたが、故障の右肘が回復せず、現役続行を断念したものです。 さて、ここからはひとつの結果論になります。 読売の主砲であり守備のかなめでもある阿部慎之助捕手は、千葉県浦安市出身ですが、幼い頃から大のタイガースファン。そのルーツは、父親の阿部東司さんと掛布雅之さん(阪神DC)が習志野高の同級生だったことにあります。掛布さんが「3番ショート」東司さんが「4番キャッチャー」で2年生だった1972年夏の大会で甲子園出場を果たしています。 父東司さんが捕手だったこともあって、阿部選手が捕手を志したのは自然ですが、その父と神宮球場で幾度も阪神戦を観戦し、そのたび、阿部少年は猛虎の4番にくぎ付けになっていったといいます。右投げ左打ちになったのは掛布さんにあこがれてのことでした。 「小さいころから、ずっと掛布さんにあこがれてきた。今も目標は掛布さんの数字をすべて上回れるようにと頑張っている」 阿部選手が実際に語った言葉です。もともとは右打ちだったようですが、小学2年のころ右目の視力が落ちたときに父の奨めで左打ちに変え、視力が回復した後も、掛布さんへのあこがれから、そのまま左打ちを通したそうです。 安田学園高(東京)を卒業する際にも「大学生なら希望する球団を逆指名できるから、阪神に行けるぞ」と掛布氏のアドバイスを受け、父の母校でもある中央大学へ進学しました。そして迎えたのが2000年11月のドラフト会議です。 この年の藤田投手の評価は抜群で、ギリギリまで阪神と読売が水面下の争奪戦を繰り広げました。結局、前述のとおり藤田投手がタイガースを逆指名することで決着し、読売は阿部選手を逆指名で獲得することになります。もし逆だったら・・・ 「球団には、以前から『阿部は無条件で獲れるよ』とは言ってたんだけどね」とは掛布さんの談。阪神は97年にドラフト1位で智弁辯和歌山の中谷仁捕手を指名し、「正捕手に育てあげます」と両親を説得して獲得した以上、阿部を指名するわけにはいかなかったということなのですが・・・。98年にトレードで入った矢野さんがレギュラー捕手になっていたというのも影響していたかもしれません。 藤田投手と阿部捕手の話は、最初に言ったように結果論で「たら・れば」です。あまりに成績のギャップがあるのと、タイガースで生え抜き捕手が育っていないことがあって、どうしても死んだ子の年を数えるような話になってしまいました。 さて、これから入ってくる年代の選手の親にあたる世代は、現役の掛布さんを見て育った人も多いはず。フロントと現場の掛け持ちを疑問視する声もありますが、掛布さんにスカウトとしても一役買ってもらうのは良い考えだと思います。
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