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カテゴリ:タイガース背番号史
背番号3を見てきましたが、今回が最終です。皆さんよくご存じの二人です。
背番号3(その4) 八木 裕 内野手 長崎が引退し、1988(昭和63)年から背番号3を背負ったのが、のちの「代打の神様」八木裕である。 八木は、岡山東商から三菱自動車水島を経て、1987(昭和62)年にドラフト3位で入団しているが、ルーキーイヤーは背番号14だった。もしこれを覚えている人があったら、相当なタイガース党といえるかもしれない。 3番をつけたのは2年目からだ。2年目以降、引退までの16年間、3番を背負った。 レギュラー的存在になったのは、1989(平成元)年からで、そこから5年間100試合以上の出場を記録している。 しかし、怪我の影響で守備力が落ち、1994(平成6)年から出場機会が激減する。1996(平成8)年は一軍出場が無く、オフには、一度戦力構想から外れてしまう。 ここで監督に就任した吉田義男が、勝負強い打撃を惜しんでフロントに懇願、残留することになった。吉田監督は代打一本で勝負する道を説き、納得した八木は、残りの8年間を代打人生で全うした。 通算代打成績は400打数、94安打、13本塁打、98打点、打率2割3分5厘。代打での通算98打点は、桧山進次郎が抜くまで球団歴代1位の記録だった。 今季まで2軍打撃コーチを務めていたが退団。来季は外からタイガースを見守る。 関本賢太郎 内野手 関本は、1997(平成9)年、ドラフト2位でタイガースに入団し、最初にもらった背番号は「64」だった。 2001(平成13)年までの5年間64番をつけたが、2002(平成14)年、かねてからバースにあこがれていたこともあり、前年まで吉本亮捕手がつけていた44番を受け継ぎ、3年間つけた。 背番号3に変わったのは、2005(平成17)年からで、前年までは前述の八木がつけていた。2015(平成27)年の引退まで11年間を「3」で通したので、関本を象徴する背番号になった。 内野すべてのポジションを器用にこなし、バントなどの小技も上手い。レギュラーの中でも貴重なユーティリティプレイヤーの地位を確立した。 2度のリーグ優勝に貢献。ヒーローインタビューでの「必死のパッチ」はもはや代名詞となり、タイガースファンに愛された明るいキャラクターだった。晩年は代打でも驚異的な勝負強さを発揮した。 2015年まで、背番号3を背負ったのは17人で、背番号2の24人に比べ少ない。平成になってからは、八木と関本の二人だけなので、安定した主力選手の番号として定着した。 背番号3は、てっきり2016年のルーキーの誰かに引き継がれると思ったが、入団発表でみても誰もつけていない。今のところ空き番になった。 平成になってからは、この2人しかつけていない。八木、関本のおかげで、タイガースでは好い番号になってきただけに、次に誰がつけるのか注目したい。 ちょっと疲れたので、背番号史は一時中断します。1月から再開したいと思います。
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クラッチハニー130さん
>こんばんわ~ > >バーネット投手…メジャーと >契約しちゃうようですね…(><) >もう、非公式さんの言う方向で >球児さんが抑えしなくちゃいけないかも… > ----- こんにちは ほんとですか?困りますねえ・・・ メッセンジャーというのもうわさがあるけど、そうすると10勝できる先発投手が一人必要になるし。 それは無理だろうから、球児に落ち着きそうな気配になってきたのかな。 (2015年12月12日 15時46分13秒) |