猛虎異人伝7 チコ・フェルナンデス
列伝7 チコ・フェルナンデスChico Fernandez (1965)生年月日 : 1932年3月2日背番号6 右投右打 内野手出身地 : キューバ・ハバナ球団 : 阪神(65)表彰等 : なし阪神在籍 : 1年 52試合111打数16安打8打点1本塁打5四死球14三振3盗塁 打率.144(1)3年続けて外国人内野手の補強1963(昭和38)年にヤシック、1964(昭和39)年にベルトイアと立て続けに外国人内野手の補強に失敗した阪神だったが、1965(昭和40)年、連続優勝への重要な補強として懲りずにチコ・フェルナンデスと契約する。フェルナンデスはドジャース~フィリーズ~タイガース~メッツ~タイガースの順に計8年プレーし、メジャーでは856試合に出場している。通算成績は、2778打数668安打で打率2割4分、259打点40本塁打である。決して大砲とは言えない中距離打者で選手としてのピークは過ぎていた。内野はどこでも守れるユーティリティプレイヤーだったが、三宅の穴埋めとしてサードを想定していたのは言うまでもない。(2)入団のいきさつ実のところ、阪神は3年前からフェルナンデスに眼をつけていた。1962(昭和37)年秋、フェルナンデスはデトロイト・タイガースのレギュラー遊撃手として日米野球のため来日している。親善試合の18試合すべてに先発出場し、おもに1番打者として76打数19安打8打点、2本塁打、打率2割5分の成績を残した。オフシーズンの親善ということもあって、実力のすべてではなかったとはいえ、そのシュアな打撃には好印象を受けていた。そして翌年春のフロリダ・タイガータウンでの合同キャンプの際にも、彼を間近で見る機会を得ている。こうした経緯があったので、阪神としては「3番サード」、「連続優勝のカギを握る戦力」と、大いに期待をかけての獲得となったわけだ。(3)臨時コーチもくっついての来日フェルナンデスは来日時33歳。身長183cm、体重79kgという発表よりはスリムな印象だった。背番号は「6」が与えられる。当時阪神ファンの間では「現役バリバリのすごいのが来るらしい」「今度のは本物の大リーガーやで!」といった前評判が凄かったようである。2月12日、臨時コーチとして招いた元デトロイト・タイガースのチャールス・レオナード・ゲリンジャー・コーチとともに安芸キャンプに合流。インタビューに対し「アメリカではまったく練習していなかったが、20日もあればベストにできる」と呑気な返事をしている。中央背番号6がフェルナンデス ベンチに掛けているのはゲリンジャ―夫妻(安芸)3月2日の対阪急オープン戦に6番・サードで先発出場。いきなり2ランを放って現役大リーガーの片鱗を見せる。期待感は大いに高まったが、次の試合以降は当たりが止まる。結局オープン戦の成績は、20試合に出場し45打数7安打5打点、打率は1割5分6厘と散々で、ホームランは最初に打った1本だけだった。公式戦を前にしてフェルナンデスの株は暴落。「3年前の来日時に比べ、足腰が衰えている」、「打撃にも守備にも力強さが感じられない」、「クリーンアップを打たせるのはとてもムリ」などと酷評されている。阪神は、不安を抱えたまま開幕を迎えなくてはならなくなった。なお、フェルナンデスは3月14日、登録名を「フェルナンド」に変更している。(4)公式戦でまったく通用せず 1年でクビ公式戦に入り、おもに7番・サードで出場するが、オープン戦の姿そのままに非力。3試合目の出場となった4月14日の巨人戦で、2点タイムリーを含む4打数3安打と当たりが出て、本人は「調子は上向き、これからだ!」と強気の発言をしたが、その後の1ヶ月間に打ったのは、たったの1安打。オールスター以降の後半戦では代打要員になり、最後まで大リーガーとしての力を見せることはできなかった。ヤシックの場合と同じく、デトロイト・タイガースへの配慮からか阪神は10月まで彼を使ったが、スタメン落ちすると首脳陣批判など問題発言を繰り返したりして手に負えない上に、結局出場52試合でわずか16安打・1本塁打・打率1割4分4厘の内容では、1年で解雇も当然だろう。3年前に現役大リーガーとして来日した時に見せた実力から、フェルナンデスへの期待は相当なものだった。それだけに、「たった3年でこうも変わるものか・・・」と、関係者やファンの落胆ぶりもまた大きかったに違いない。しかし来日直前の1964年、1シーズンの間にタイガース→メッツ→タイガースという不可解な移籍をしているにもかかわらず、過去の印象にとらわれ安易に獲得に走った球団の調査不足にも問題があったと言わねばならないだろう。猛虎異人伝7 チコ・フェルナンデス[完]フェルナンデスの年度別打撃成績 あ~ぁ 3年続けて失敗しちゃったね さすがにタイガースも凝りて次の年は野手の補強を見送り、外国人選手はバッキーさん一人で戦うんだけど巨人の独走を許して14ゲーム差の3位に終わるの それで焦っちゃったのかな1967年にまたやらかすことになるわけよ