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G再建伝説の道へ

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球団名勝負!!第2話

中畑の人生決めた日米野球


 その当時「カーナビ」などという“すぐれ者”は存在しなかった。ラジオの「交通情報」も、そう多くはなかった。調布市を流していたタクシーの運転手さんは、とあるマンションから駆け足で飛び出してきた若い女性を目ざとく見つけた。そのあわてぶりから、お客さんだというのはピンときた。ドアが開くと同時に車内に飛び込んで「急いで後楽園球場にお願いします」。
 タクシーをつかまえるお客さんは、誰もが急いでいる。しかし、その女性のあわてぶりは尋常ではなかった。切羽詰まっている、という感じだった。バックミラーでチラッと見ると、必死の思いが伝わってきた。小雨まじりの天候で、住宅街を抜けるころから渋滞し始めていた。後楽園球場まで、1時間では着かないかもしれない。

 「なんとかならないでしょうか」。祈るような声が運転手さんの心を揺さぶった。1分でも早く目的地に連れて行ってあげたい。ついつい言ってしまった。「なんとかしましょう」。

 知っている限りの抜け道を頭に描いた。ひょっとすると、あの通りは一方通行の出口から入ることになるかも知れないが、これだけ焦っているなら、イチかバチかだ。後楽園球場が遙か前方に見えてきた時、後部座席の女性は、乗車してから何度となく見ていた腕時計をうれしそうに確かめてから頭を下げた。「ありがとうございます。間に合いました…」。雨の降る中、駆け足で後楽園球場に飛び込んで行った。昭和53年10月28日の正午をちょっと回った時だった。それにしても、後楽園球場に何があるんだろう? 日本シリーズも終わって野球はないし、この雨だと催しものも大変だろうなあ…。運転手さんは再び雨の街を流して行った。

 

※        ※        ※
 話を2時間前に戻そう。調布の2LDKマンションの電話のベルが鳴った。「モシモシ」。受話器からただならぬ気配が伝わってくる。「アナタ、どうしたんですか?」。「持ってきたはずのコンタクトレンズが、どこを探しても見つからないんだ。家に置いてあるスペアを大至急持ってきてくれ」。

 この日がどんなに大事な日かは、昨夜も二人で熱く話し合ったばかりだった。

 「何としても、このチャンスをオレはモノにしたい」。中畑清が一世一代の勝負を賭けた。

 「頑張って下さい」。仁美夫人が、その夢に賭けた。横では長男の淳君(1歳)がスヤスヤと眠っていた。「この子のためにも」。そんな思いもあった…。

 駒大三羽ガラスの大きなレッテルとともに、中畑、平田、二宮の三選手が巨人に入団して、3年目が終わろうとしていた。目玉はもちろんドラフト3位の中畑だった。大学時代は全日本の四番を打ったほどのスラッガー。しかし大きな期待の割に、泣かず飛ばずの3年間だった。二軍では不動の四番打者であり、ハッスルプレーを売り物にしていたが一軍にはなかなか上がれなかった。「これだけ毎日練習しているのに、一軍では通用しない。それが悔しい」。

 3年目のシーズンに一軍に上がって、初打席はタイムリー。やっとチャンスをつかみかけたに見えたが、それから一週間後の広島戦。二死満塁の好機に代打で出たが、江夏のとんでもないボール球を空振りして凡退し、再び二軍に落とされていた。

 あの夜の光景を仁美夫人は忘れてはいない。元気者の夫が、まるで別人のように打ちひしがれて戻ってきた。一言も発せず、布団にくるまっていた。よく見ると、布団が小刻みに揺れている。きっと声を殺して泣いていたに違いない。立ち直るまでに時間がかかった。そのうちに3年目のシーズンが終わってしまった。

 その秋である。大リーグの名門チーム、シンシナチ・レッズが来日した。名将スパーキー・アンダーソン監督のもと、ピート・ローズ三塁手、本塁打と打点の二冠王ジョージ・フォスター外野手、ミスターベースボールと言われたジョニー・ベンチ捕手、速球投手トム・シーバーのスーパースター4人を含む総勢28人。その第一戦が28日、小雨の後楽園球場だった。ビッグ・レッド・マシーンと言われるレッズ打線との戦いで男をあげれば来季につながる。

 「オレはね…」。不遇の時代、中畑はこんな思い出話をしていた。「家は貧しかった。9人兄弟でさ、食べるものだって、それは少なかった。学校の弁当のおかずが卵2個。オフクロは水で薄めて卵焼きを作ってくれたけど、下のオレまでは、まわってこないこともあった」。だからこそ、めったにないチャンスは逃さない。カレーライスは豪華な夕食だった。しかしキヨシは全部ご飯にかけることはしなかった。そっと、明日のために秘密の場所に残しておいたという。「いい事はめったにない。だからその時は死に物狂いさ…」。そう、今度の日米野球は懐かしいカレーの味だ。逃してなるものか。試合直前にコンタクトレンズは間に合った。あとは1打席にそのすべてを賭けるだけだった。

 先発はレッズがシーバーで、巨人が堀内。両エースの投げ合いは三回まで静かに進んだ。先取点はメジャーのホームラン王、フォスターの2ランだった。サマーズもスタンドに運んで一挙3点。しかし日本にもビッグなホームラン王がいる。四回の裏、王の2ランなどでアッという間に追いついた。

 スタンドは熱狂した。雨も忘れていた。日米ホームラン王の競演。ひょっとしたら強豪レッズを巨人が打ち破るかもしれない。その期待感が五回裏に巨人が1点をあげてリードすると、さらにふくらんでいった。が、それもつかの間だった。六回表にベンチの二塁打などでレッズが3点をあげ、6対4と引っくり返していた。

 七回からレッズはシーバーに代えてソトをリリーフに送った。若きリリーフ・エース。そのストレートはメジャーもAクラスのスピードを誇っていた。

 ドラマは八回にやってきた。巨人はベストオーダーで挑んでいた。柴田、河埜、張本、王、柳田、高田の上位打線。長嶋監督が初めてコマを動かしたのは六番、サード高田を七回の守備から中畑に代えたことだった。来季を見据えての中畑起用。周囲の評価は「チョンボのキヨシ」であっても、長嶋監督には何か訴えるものがあった。元気の良さ。少々の失敗ははねのけるガッツ。それまでの巨人にはないキャラクターの持ち主であり、チームを変えるためにはこういう選手がぜひとも欲しかったに違いない。

 照明灯にライトがともった八回の裏。張本、王の連打で1点差と追い上げ、王を塁上に置いて中畑に打順が回った。「キヨシ、初球から思い切っていけ」。長嶋監督の声を背に中畑は打席に入った。その時の心境を、中畑は「無」だったという。それまで「ここで打たなかったら、オレの野球人生は…」と結果ばかりを追い求めて失敗ばかりしていたのに、ここでは頭の中は白紙だった。きた球にフルスイングする…。それだけだった。

 仁美夫人がマンションに戻ってテレビをつけた時、ちょうど中畑が打席で構えていた。ソト投手の初球は自慢のストレートだった。中畑夫妻の思いをこめたバットが力強く振り抜かれた。雨中のレフトスタンド。それも最上段に突き刺さる逆転2ラン。レッズを突き放したメジャー顔負けの大ホームランだった。「すごい選手だ。あれでマイナー(二軍)の選手とは、とても見えない。一つも負けないつもりで日本にやってきたのに…」。アンダーソン監督のつぶやきこそ、中畑清出世街道のスタートだった。

 ガッツポーズの中畑が一塁ベースを回り、二塁ベースを蹴って、総立ちのファンに手を振ってこたえている。そのシーン、仁美夫人にはテレビ画面がぼやけて見えた。うれし涙が、ほほを伝わっていた。




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