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G再建伝説の道へ

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背番号「6」物語 

「6」 職人の系譜

 野球に限らずプロスポーツの世界では、よく「職人」という言葉が使われるが、「自分の技術にこだわりのある人」と定義すれば、歴代の巨人の「6」はまさに職人揃いだ。
 そのイメージを確固たるものにしたのが土井正三(1965~78)だろう。V9時代の渋い脇役のイメージが強いが、ショート・黒江とのコンビによる堅実な二塁守備はまさに内野の要だった。センターラインの充実がチーム力強化の要とよく言われるが、V9時代の巨人はまさしくそれを実現していたわけである。打撃では、通算4853打数でわずか393三振と、しぶとくつなぎ役に徹した。

 土井の後釜が篠塚利夫(和典)。プロスポーツ選手らしくない細身の体型ながら、ミートの上手さでは「打撃の神様」川上にも匹敵すると評され、首位打者を2回(84年=.334、87年=.333)獲得。安打数は1696にとどまったが、通算打率は.304と3割の大台を超えた。セカンド守備も華麗の一言で、ゴールデングラブ賞を4回受賞している。

 さて、現在は「6」は移籍した大物選手がつける背番号になっているが、その走りが落合博満である。三冠王三度、職人中の職人である落合は、巨人通算3年間で53本塁打、219打点を挙げ、96年には最大11.5ゲーム差をはね返しての逆転優勝に貢献した。我が道を貫く「オレ流」の生き方は異彩を放っていたが、これもまた頑固な「職人」のイメージ通りである。

 この後が石井浩郎。病気と怪我に泣かされた現役生活で、在籍3年間の通算成績も16本塁打、73打点にとどまったが、豪快なフルスウィングが特徴の打撃スタイルは痛快の一言。古武士を思わせる言動も人気を呼んだ。

 「0」から「6」に変わったのが川相昌弘。地味なつなぎ技の送りバントを芸術の域にまで高め、2003年にはついに大リーグ記録も抜いてしまった。ショートの守備でも、90年代の内野陣の要といえる。巨人初の「0」のイメージも強いが、犠打世界記録達成時の背番号が「6」ということで、やはり職人の系譜に付け加えることにしたい。

 2004年からの「6」はダイエーから移籍の小久保裕紀が背負うことになった。ホームラン王1回、打点王1回の強打者で、膝の怪我から見事に再起。ホームラン量産で、後半戦も巨人を引っ張っている。


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