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G再建伝説の道へ

G再建伝説の道へ

背番号「24」物語 

「24」 劇的な背番号

 巨人で「24」をつけた選手たちは、なぜかドラマチックな場面に縁がある。
 まずは何と言っても樋笠一夫の「逆転サヨナラ代打満塁ホームラン」。樋笠はもともと四国で高校野球の監督をしていたという異色の経歴の持ち主で、1950年、29歳で広島入り。さっそく21本塁打を放って実力を見せつけたが、翌年には巨人に移籍した(実際は一度広島を退団して郷里に戻った後、巨人からの誘いを受けたようだ)。劇的な一発が飛び出したのは、56年3月25日の対中日戦。中日3点のリードで迎えた九回裏、巨人は一死満塁と攻め、ここで代打・樋笠が登場。救援のエース・杉下の三球目を左中間スタンドにまで運んだ。3点差を一気にひっくり返す“お釣りなし”のホームランで、「代打・満塁・逆転サヨナラ」と三拍子揃った一発は、プロ野球史上初だった。

 その後は宮田征典の活躍が印象深い。巨人初のリリーフエースで、V9が始まった65年の活躍が鮮烈なイメージを残している。この年、先発陣がぴりっとせず、宮田は連日のようにリリーフでマウンドに上がった。終盤のピンチに登場して、反撃をぴしゃりと抑えこむピッチングに、ついたニックネームが「8時半の男」。独特の揺れ落ちる変化球を武器に、リリーフだけで20勝を挙げた。セ・リーグの打者を震え上がらせたのはこの年だけだったが、個人的には巨人史上最高のストッパーだったと思う。日本ハム、西武、巨人などでコーチを務め、投手育成の手腕にも定評がある。

 打者では「絶好調男」中畑清の記憶が鮮明だ。

 「記録よりも記憶」の中畑だが、明るいキャラクターはポストON時代の巨人を盛り上げた。「ヤッターマン」のニックネームが懐かしいが、常に全力のハッスルプレーは観客の気分も明るくさせたものだ。オールスター出場6回というのも人気者の証明だが、プロ野球労組の初代委員長を務めるなど、選手間の人望も厚かった。

 現役13年間で171本塁打と決して長距離砲ではなかった中畑だが、引き際は見事の一言だった。現役最後の年になった89年、近鉄との日本シリーズで、3連敗から3連勝でタイに戻しての最終戦が現役最後の試合になったのだが、代打で登場、何とホームランを放っている。まさに自ら花道を飾る一発だった。

 さて、現在の「24」は高橋由伸。プロ入り6年で3割を切ったのは一度だけと、やはり「モノの違い」を感じさせる。また、ルーキーの98年から6年連続でゴールデングラブ賞を受賞しており、外野守備でも巨人の要だ。あとは劇的なドラマがあれば、「24伝説」はまだまだ続くのだが……。



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