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Choral am Ende der Reise ~旅の終わりの音楽~

Choral am Ende der Reise ~旅の終わりの音楽~

電波系鹿児島旅行・1日目

鹿児島に、祖父のお見舞いに行ってきました。
電波系・・。妙に、カンというか電波がよく
通ったたびでした。

鹿児島県。
ひっくり帰り中の祖父がさらにひっくり返ったので、
姉と、母で、でかけました。

羽田空港。
ロイヤル系のデリでビールをがっつり飲む母。
夜勤明け(徹夜)で、ぼんやりしているのに
さらにビール。
ビールを飲みながら、
「おばあちゃんに、これから行くって
言ってない」
とさらりと。
あわてて、電話する。
おばあちゃんの心臓に悪いんじゃないか。
さすがにおばあちゃんもびっくりしていた。

飛行機は、スカイマーク。
ひたすら羽田空港で遠い位置に存在する会社です。
せっせと歩いて歩いてやっとつく。

飛行機のなかでは、ポカリとか
そういうのが130mlくらいしかない
ちっちゃいペットボトルがくばられ、
「お徳用」で売られているお菓子が配られる。


そして、鹿児島空港につくと、
むわっと暑くて、空が青色うっすい。
ぬっかった(鹿児島弁)。

そして、さっそくあたしが運転する。
全員に緊張が走る。
母も、酔っ払いつつもだらりだらりと話す。
「あんた、追い越したいかもしれないけど、
追い越さないように!!」
「曲がんなくていいから!!まっすぐまっすぐ!!」
とか。心が揺れる・・。

空港から、ちなみにほんとうに
まっすぐ一本の道で、ハンドルを握る手も震える。

その後、祖母の家につき、お線香をあげて、
祖父の病院に向かった。
今度は姉の運転。アグレッシヴな運転。
片手でつーっとまがってつーっとがんがん進む。

それにしても、あらためて鹿児島って、
南の国なんだなあと思う。
塀のこけのむし具合とか、建物のやけ具合とか、
草がむらむら生えている様子、
山や谷に囲まれている様子、
田んぼが一面の黄緑でさらさらとゆれている様子、
オレンジや赤の花が勝手に咲き乱れている様子とか、
すべてがなんとなく昔、夏休みに遊びに行って
過ごしていた記憶とかとぼんやりあわさって
なつかしい気持ちになる。
とにかく、山が多いのだ。
緑がこんなにむだにはえていて、
いいねえ、ほんと。と思う。

そして、祖父に会いにいった。
祖父は、5年まえから、脳梗塞になって、まひになって、
まだらぼけになって、施設に入ってるうちに、
なんとなく寝たきりになって、
それで痙攣が起きたので呼び出されたという次第である。

目をなんとなくあけるたびに、祖母が
「皆帰ってきたよ!!うなづいて!!」
とかいろいろうながすので、(うるさかないだろうか)と
みんなで心配する。
祖父にはあんまり意識はないよう。

そのあと、祖父の家に戻り、近所の
お洋服屋さんによって、挨拶をする。
そしたら、そのお洋服屋さんのおかみさん(60代後半)、
息子(40代後半くらい)と、そのマゴ(6ヶ月)が
登場し、みんなでそのマゴをかわいいかわいいといって
かわいがった。
そしたら、その息子の嫁、そしてそのマゴの母、が
登場したら、ほんとうに清楚で美人なのでびっくりした。
24歳か25歳だそうだ。鹿児島の人というのは
わりと地黒な人がおおいのだが、彼女はスラーっと背が高く、
歯と肌がぴかーっと白く、すごい失礼だけど、
掃き溜めに鶴だった。
あまりにも美人なので、マゴのかわいさも忘れ、
「かわいいね・・」とか、
「なぜ、彼の妻に・・」とか
ずっとみんなで言い続けた。
年の差が、20歳くらいあるのだ。
そして、しっかりマゴは父親似であった、
やっぱり。

みんなで御飯をたべた。
魚屋にぽくぽく注文しにいって、
ラーメンを2つ頼み。
祖母が、食べれないのに『4つ
頼もう』と電話をし、さらにそれを
撤回しないので、あわてて電話をしなおした。
で、やっぱり2つも食べれない。

ああだこうだと言いながら、ちょっと
祖父の事を考えた。
それで、ちょっとここから
宗教くさくなるのだが、会う前は、
「衰えた祖父に会ったら悲しくなるかなあ」
と思っていたのだ。
で、実際会ってみたら、
口を開けて寝ていて、もうしゃべれないし、
まばたきしかできないし、意識がうつらうつらと
ぼんやりしていた。
それでも、肩をさわりながら思ったことには、
「ぼけや寝たきりや垂れ流しというのは、
その人本人の魂の尊厳というのは汚されないものなのだ。」
ということだった。悲しいという気持ちが
全然おこらなかったのだった。

なんていうか。
じっと祖父を触っていると、
暗い中でまんがのベタフラ(ベタフラッシュ?
あの、まんがでふきだしにつかうやつ・・)みたいに、
光っているところがあって、
なんとなく別れたいと思ってる人が
恋人とさりげなく距離をおくみたいに、
たましいというかそういうところが
体から離れつつあるというのがわかったけど、
そのたましいというかベタフラが
ちっとも病気によってよれよれしておらずに、
たまらなく光っているということが
よくわかって、それはほんとうに驚いた。

なんか、その人の人生というのは、
ぼけとかで敗北が決まるものではないんだなあ
っとほんとうに思った。
それくらいにまぶしく、きっちりと
きれいに光っていたのだ、そのベタフラが。

つまり、「うちの祖父はとくべつ
格が高いんですよ~」ということを
言いたいんじゃなくて、
もともとみんなが元々持っているという
タマシイというのはそういう風にたまらなく
白く光っているうつくしいものなのだろう。

それで、うちの祖父のように
天寿をきっちりと果たしていくということは
ほんとうに尊いものなんだな、
と思った。
その光りかたというのが、
彼が、小さいときにがっつり暑い中で山の中、
木陰で友達と遊んだり、
そういう時にきいた虫、せみとかのうるさい声とか、
冷たい水に足をひたしたこととか、
子どもや孫が生まれたときにもう自然に細まる
目じりのこととか、弓を引くときに
きゅっと背筋や気持ちをしめるときのこととかが
つまっていて、それがただただ静かに
白く光っていた。

みんなが「魂と、心と脳みそはわりとべつだ」
と言っているのもよくわかった。
なんとなく、別だなあ、と思う。

洋服屋さんのあかちゃんを見ても思った。
あかちゃんはまずたましいがきて、
それからあかちゃんの脳みその用意ができて、
からだもだんだん大きくなってきて、
年を重ねるごとに、なんとなく
本人の意識が生まれてくるように、
天寿をまっとうするということは、
祖父のようにゆっくり意識がしずかにはがれていって、
からだの機能も少しずつ閉じていって、
最後にたましいがからだから抜けてくんだな。
と。

彼が死ぬ時は、ははあっと思うし、そうか、
やっと終わったんだ、と思うし、悲しくはない。
悲しいのは、彼が死ぬときは、
どうしてもからだが苦しいと思うので、
その苦しさが私には悲しいので、
それがすこしでも減るように。
とお祈りするくらいだ。

だから、やっぱりぼけは敗北ではない。

と思った。

みんなが酔いつぶれて寝て、
夜に、暑かった空気がなんとなく残っている
なかを外、歩いていって、星を見たら
ちっともあんまり星が見えなくて、東京レベルなので、
なんだよなあと思いながら、そんなことを考えたりした。


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