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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2024年03月19日
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カテゴリ:神秘体験空間
前回は、この国のリサイクルを紹介したが、ヘラクレイトスの万物は流転する、を現代風にいうなら、全てはリサイクルする、といえるかもしれない。先日、BSNHKでオッペンハイマーの番組をみたが、巨大な原子核の核分裂崩壊を生み出したツケは、どこかに巨大な原子核の核融合を生み出す可能性をもたらすのは、宇宙がカルマの法則から永遠に成り立つことで明らかだろう。

カルマの法則とは、宇宙で為したことは、為したものに返ってくることで、いわゆるバランスの法則であり、これは4次元の特性としてもわかっている。時間は前後のバランスをとるため、永遠との均衡を図るために、存在する。だから生には死を、死には生をもたらすのが時間で、左は右になり、上は下にもなる。

人智学では、この4次元の特性を、アストラル空間の鏡像対称性で示している。だから、破壊的行為を行えば、その破壊的行為を贖う創造的行為が求められるわけで、それには、まずその破壊的行為の犠牲となることからはじまるわけなんである。

人間の脳は、昼壊されることで覚醒意識が生まれ、夜に眠ることで、脳は再構築される、のを以前紹介したが、だから、人間は眠らないと、脳が破壊されたままで、痴呆症になっていくわけで、人間の生の昼のリサイクルは夜の睡眠で行われる。だから、人間の脳の昼の破壊と夜の創造と同じく、人間の行為も、創造と破壊のバランスから生じる。

だから、広義に考えれば、今生で大量の破壊行為を行えば、その破壊行為と同等の創造行為を行うまで、その負債を返すまで、来世からの地獄の試練の、輪廻転生を繰り返すわけなんである。現世では破産申告できるが、生命の破産申告はできない。生命を奪えば、奪った分だけ繰り返し奪われる人生を送ることになるだろう。

永遠にバランスをとるために時間が存在するからである。

オッペンハイマーは原爆を発明し、殺人兵器に使ってから、その大罪に気づいた愚か者だったが、現代人はオッペンハイマーの過ちを果たして笑い過ごせるだろうか? 核兵器をつくった記憶がない、とウソをつくかもしれない。

現代の負の遺産ともいえる核兵器を放棄できずに、古代文明や古代遺産を読み解こうなどとは不届きモノのなせる業である。昨今、巷のこの国では、古代文明についての地上波の番組が多いが、古代遺跡を読み解くには、現代人の知性からは不可能なのを何度も警告してきた。

というのも、現代人の知性では、承認欲や名誉欲のために、平然と嘘をつけるからである。大体、何のために古代遺跡を解明したいのか、興味本位だけでは無理がある。まずは足元を見つめ直すのが先決であろう。古代文明を評価できるに足る思考力や高度な知性を養成する必要があり、そもそも、十戒すら守れない知性では、道徳観が低レベルすぎる。

現代人の知性では、嘘をつくことに罪悪感の欠片もないからである。少なくとも、ウソをついたら、人体のどこかが破壊されるというような、ポリグラフがなくても、目視でわかるようでなければ、ホンモノの知性とはいえない。ウソをつきすぎて、ヒョットコみたいに口がひん曲がるとか、人相が悪くなるのは、現代科学からは解明されていない。

ウソをつくのは、人間特有の生命現象ともいえるが、それを動物実験から、類推するのも不可能で、現代医学の研究テーマのほとんどがマウスなどのげっ歯類を使った動物実験での物証では、かえって動物と人間の類似点から知性が同レベルと言っているようなもので、それこそ、ルシファーの詐術策略的な思考といえるだろう。

人間がつくった法は破れるが、神のつくった法を破れば、人間が破れないとおかしい。完全な知性とは、ウソをつけない知性でないと意味がない。記憶がないのなら、そのヒトから知性全てがなくならないとおかしい。記憶がないと言った瞬間に、そのヒトの存在が消滅しないと少なくとも完全な知性とはいえない。だから、記憶のない状態をマウスに求めれば、ヒトはそのようなマウスの知性に擬態化していくだけである。

そもそも、古代文明の解明は、知性の問題ではなく、道徳の問題なのに、知性で解決しようとするのが間違いなんである。

記憶がないという記憶は、知性としては使い物にはならず、無意味だからである。せめて、なぜ記憶がないのかに言及しないと理性とはいえない。理性のないものが政治をすれば、国が乱れるのは当たり前である。記憶が無いことで他の多くの人への迷惑を考えないといけない。

古代人を現代人から考えるのは無意味なんである。第一、古代人には、現代人のような自我がなく、ウソがつけなかった。ただ、いまの動物のように、民族長の集合魂に従うしかなかった。個人的な自我というのがないから、自己保身もない。ただ民族の手足でしかなかった。現在の動物の死と、人間の自我の死が異なるのと同じである。

さて、今年は年頭から大地震が起きて、これまでも何度かの震災に見舞われている。東日本大震災が天罰だといって顰蹙を買い、亡くなっていった政治家もいたが、巷の政治家の、公的な場での嘘つき答弁をみていると、現代人の思い上がった賢さが鼻について仕方がない。

ウソをつくのは、天に向かって唾を吐くようなもの、と昔の人は言ったとか言わなかったとか、しかし、偽証するなと、十戒にあるように、嘘つきは泥棒の始まり、ともいわれ、良心を無くす行為に違いないので、ウソを平気でつける、という、その思い上がった知性が何に由来するのかを考えるべきである。十戒というのは、人間が神の子である証で、神となるために必要な徳目であるからだ。

例えば、古代人が、「ウソをつくと天変地異が起きるよ」とアドバイスしたら、現代人は、そんなバカな事があるか、と馬鹿にするだろう。しかし、聖書に書かれた出来事を信じるなら、例えば、ソドムとゴモラの出来事は有名である。

ソドムとゴモラ - Wikipedia


シュタイナーによれば、人間が偽証でき、ウソをつける知性というのは、堕天使ルシファーの悪知恵の教えからきていて、神の子人間の、神への進化を阻む、つまり進化から逸脱させるトラップの罠であるという。だから、ウソをついて自己保身できたと思うのは、そっくりそのまま、ルシファーの悪知恵に取り込まれ、魂を売っているにすぎないのである。自己保身できたかのような錯覚に陥っているだけで、自由と横暴をはき違えている。

このような嘘つきの、人間に物質界を与える切欠をつくり、自由の知恵を授けたのはルシファーらである。月は物質界を映す鏡であり、人間は、そのルシファーの月の知恵の中で自由に踊らされている。ルシファーらが、宇宙の正当な進化から逸脱したのは、人間を楽園から追放し、地での自由を与えるためでもあったため、人間はウソをつく自由もあるが、その自由な分、ルシファーに従う事にもなる。だから、人間の自由は、ルシファーに負っている。

だから、ルシファーに憑依されたヒトは、自意識過剰な分、ウソをつける自由を獲得したとはき違える。ウソをつくことが、人類の知性の発展を阻み、真実を探求しようとする姿勢を放棄させ、低次な獣へと退化させる、将来への目論見であるのを考慮していない。

ウソをつくのは、競走馬にブリンカーをかけさせ、ウソの奴隷にするようなものなのである。人間は自由を得たかのように錯覚するが、実は不自由な知性を与えられているにすぎない。物質界だけしかみえなくされているだけなんである。道徳の感性、宇宙全体の発展をみる視野を奪われているだけなんである。

ブリンカー - Wikipedia


人間が自由にウソをついて、自己保身という認識を得られるのは、ルシファーたち悪魔のお蔭なんである。しかし、死後にその代償を負う事になり、地獄に行き、来世での人生の選択を負債として背負わされる。だから、悪魔側からすれば、そのような人間を介して、人類や地球の進化に影響を行使できることになる。悪の組織の構成員に雇えるわけなんである。

だから、嘘つきは泥棒の始まりで、悪魔の手下の始まりとなる。ルシファーたちは、何度も紹介してきたが、いわば落第生の悪ノリの先輩であり、今話題の老害たちといえるかもしれない。人間がウソをつくとき、そのヒトの心に、ウイルスのような、ルシファーが巣食っている。

シュタイナーによると、ルシファーは、古代レムリア時代に、人類に、唯物論的な思考と知性を与え、それを育成する、物質的な感覚器の、目と耳と鼻と口の肉体からなる五感を与えたという。だから、その五感を使って、他隣人を欺き、偽証すればするほど、良心を失い、宇宙の進化から逸脱し、悪霊たちの仲間に加わっていく。物質界からは五感の覚醒意識が明瞭しすぎて、背後の霊界がみえなくなっているだけなんである。

聖書では、ルシファーらの蛇が、人類に知恵の実の、善悪を判断する知性を与えたと書かれているが、そのため、人間は楽園が見えなくなり、物質界に埋没して、自由にウソをつける身分となって、他を差別する自意識を手に入れたが、古代人は、この感覚を、3つのグナの、サットヴァ、ラジャス、タマスで区別していたという。このグナの感覚は、現代人の知性とは程遠いものなので、現代人の感覚からは理解不能である。

現代人の感覚からは、五感で見える範囲があまりにも物質的に見えすぎて、そこに波長やチャンネルを合わせすぎているので、現代風にいえば、アナログをあまりにデジタル化し過ぎて、見逃し、みえなくなっている。目的が明確になるのはよいが、全体から逸脱していては、方向性が間違っていたら、堂々巡りで、無意味である。

だから、五感でわかるもの、在るモノをそのままみるのではなく、五感では無のモノをみないといけない。五感でみえないものこそ、無ではなく、有なのである。五感で捉えられない、無の領域こそ、超感覚の自然を超えた大自然の、愛の働きである。このみえない振動が、ホワイトノイズやピンクノイズといわれる、心の感覚器から、つまり、心眼、心耳から感知できる霊能力である。

ホワイトノイズ - Wikipedia

ピンクノイズ - Wikipedia


この愛の創造の働きと正反対にあるのが、破壊活動である。大自然を超えるポジティヴなエネルギーの愛の働きと、その正反対のネガティヴなエネルギーの憎しみや嫉妬などの破壊活動との間に、大自然の4大元素霊の、火、風、水、地の働きがあるという。

これら4態から、火や熱、気体、液体、固体の物質の相転移が生み出される。これら相転移を操り、物質界での破壊活動を司っている悪魔が、ソロアスター教での悪神アンラマンユで、アーリマンである。だから、核兵器を人類に与えたのは、オッペンハイマーではなく、本当はアーリマンなんである。オッペンハイマーや核濃縮を行ったローレンスや、投下に関わったトルーマンらは、人類支配構想の、アーリマンの手下に加わっただけなんである。

アーネスト・ローレンス - Wikipedia

ハリー・S・トルーマン - Wikipedia


シュタイナーによると、ゲーテが書いたファウストに出てくる悪魔メフェストフェレスが、ルシファーら月悪魔に対して、更にその上位に君臨する太陽悪魔のアーリマンであるという。

ファウスト (ゲーテ) - Wikipedia

メフィストフェレス - Wikipedia


メフェストフェレスの、メフェスは、妨害や破壊の意味で、トフェレスは、嘘つき、虚偽の意味であるという。だから、嘘つきの破壊者の意味になり、太陽悪魔アーリマンの一派なので、人類を欺いて、破壊行為に誘導する悪魔で、物質界の迷路へと、人間の破壊行為を導く天変地異の本体ともいえる。

ルシファーが物質化する感覚器を与え、アーリマンがその感覚器から生まれる物質への欲望に叶う物質界を与える悪魔なんである。だから、ルシファーは嘘つきに憑りついて、アーリマンは、憑りついた人間を介して、破壊活動を行使するわけなんである。

古代人が、ウソをつくと天変地異が起こる、と言ったのは、この両者の悪魔の、目にはみえない働きを意味しているわけなんである。いま、真実が求められている公的な場で嘘をつくのは、人類に対しての裏切り行為に当たるのに自覚がないというのは、現代人の感覚が、神や悪魔をも恐れずに、天狗になってしまった証ともいえるかもしれない。

記憶がないのは、人間としてもはや良心をもたない、主たる神を信じない、偶像崇拝という悪魔に魂を奪われているから、人間失格の証として、悪魔の手下として、偽証しているのである。

だから人間としての記憶がなく、悪魔の手下になり下がってしまったので、地獄に堕ちて苦しむだろう。

人間の死すら知らない現代人が、死後どうなるかも知らない現代人が、平気でウソをつけるというのは、無知が何たるかを知らないほど無知なんである。このような人の形をしていても、心はもはやモノであり、他人を慮る心を無くし、ヒトの意見に耳を貸さずに、目はみえるものしかみないのは、悪魔に魂を奪われているからである。

悪魔教を信仰しているものに、何を言っても無駄なのは、悪の僕となってしまったからである。耳や目や鼻や口、肉体はあっても、悪魔に魂を奪われているので、もはや使いものにならないのである。

悪魔教を信仰してはおしまいなので、心の超感覚を、愛を感じる心を再び取り戻すために、シュタイナーの人智学的宇宙進化学を紹介する。

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 さて、太陽紀のイメージを霊視する。この古「太陽」の拡がり、すなわち、その塊は、まるで宇宙球のようで、その向こう側の背景は何もみえない。そのため、想像できるのは大天使による拡がりしかない空間である。その中心では、受け入れられた供儀と拒絶された供儀との遭遇から、輪ができるのがみえる。

 受け入れられた供儀と拒絶された供儀から、古「太陽」の内部で、「太陽」全体の進化、いわゆる多様性とも呼べる分化が生じる。この古い「太陽」を、いまの外的イメージでたとえるなら、現在の土星、つまり、環に囲まれた天体に似ている。受け取られた犠牲は集積し、塊となって中心へと引き寄せられ、拒絶された犠牲は、外側へと取り残され、環を形作る。このように、「太陽」は、拒絶された犠牲の潜在力を通じて、内と外の2つに分割される。

 では、ケルビムの、犠牲を拒む行為から何が生じるのか?

 これは究めて困難な問題へのアプローチを意味する。長期の瞑想を経た後はじめて、この問題を考察できる概念に到達できる。この概念は、十分に長い間、思考した後はじめて、その奥に横たわる現実に気づくようなものである。

 霊能者が語る「諦め」とは、時間の創造に関わり、それが古「土星」上で生じたのを霊視したが、その出来事と結びついている。時間霊のアルカイとともに古「土星」上ではじめて時間が生じたが、それ以前に時間はなく、時間を語るのは無意味だった。

 さて、太陽紀にも、土星紀の出来事の繰り返しが起こるが、それは時間が発生した時点から続いているわけで、継続、存続という概念は「時間」が生まれたなかに含まれる。「時間は誕生と共に継続、存続する」ので、アカシャ年代記(虚空記録体)の中に、「太陽」や「土星」の事象を霊視する際、「土星」紀に時間が生まれ、「太陽」上にも続いて存在する、のが読み取れる。

 さて、「土星」と「太陽」について、これまでの講義のなかで特徴づけた形で続いていたら、「時間」は進化の中で生じ、進化の指標を示す要素の1つとなっていただろう。進化上生じた出来事から時間という要素を除外できないだろう。

 時間霊が古「土星」上で生まれ、時間が、全事象の中に埋め込まれた、のが霊視できる。だから、古土星以後の進化のイメージ、想像全ては、時間という文脈の中で捉えられなければならない。

 このようなイメージから、進化上生じた全事象(犠牲を捧げる行為や与える徳の行為)は、時間を前提とする必要がある。時間無しには、何も存在できなかった。存在全て、消滅全てが、時間に左右される。

 ケルビムが、犠牲を拒絶し、同時に犠牲の煙を拒絶したのは、この拒絶により、この犠牲の煙に含まれる性質に、拘束されるのを脱するためだった。というのも、犠牲の煙に含まれる性質には、時間と同時に、生じたり、消え去ったりする経過がある、からである。

 だから、犠牲の拒絶の奥に横たわるのは、時間を超えて、時間に拘束されずに進化するケルビムの永遠の能力である。ケルビムは時間を超えて進化する。時間を拒絶したケルビムは時間に左右されない。

 このように、古「太陽」進化に、犠牲や与える徳を受容し、「土星」から直接時間として継続し、時間に左右され、時間にとどまる存在と、犠牲を拒絶したケルビムの指導下で、自らを時間から引き離し、生まれたり、消えたりする過程に拘束されない、永遠、永久の存在とに、わかれるようになった。

 これは特筆すべき出来事である。つまり、古「太陽」進化のなかの、時間が、永遠から分かれた地点へと至った。古「太陽」進化紀に、ケルビムの断念によって、ある出来事の結果として、永遠が生じた、のである。

 自我の根底を覗き見て、人間が、自主的に、拒絶し、諦めるとき、魂の中に、ある愛の働きが生じるのと同じように、ある神的、精神的な存在たちが、犠牲と与える徳の遺産を拒絶したことで、永遠と不死が、古「太陽」上に生じる、のが霊視できる。「土星」上での時間の誕生を霊視したように、「太陽」進化の局面から、時間が、永遠から分離する、のが霊視できる。





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Last updated  2024年03月19日 18時07分37秒
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