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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2025年05月15日
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カテゴリ:神秘体験空間
前回紹介した話には間違いがあって、それに気づいたので、はじめに、お詫びと訂正をしておきたい。修行者を「チャラ」と呼ぶと紹介したのだが、実は「チェラ」だった。チャとチェの変換を間違えてしまい、そのままチャラで話を進めてしまったので、すいませんでした。


そこで、お詫びを表現するために、ネットで、お詫びのポーズを探しているうちに、以下の面白いサイトに出くわした。人間の謝罪を肉体で表現するのに、相応しいポーズとは何だろうか? 謝罪のイメージとは何だろうか?と色々考えていくと、柔軟性を現わすストレッチのイメージが思い浮かぶ。

ストレッチのポーズで謝罪する :: デイリーポータルZ



上の画像の左下の大袈裟な謝罪にみえる「背中反り」のポーズは、ヨガにも「猫の伸びのポーズ」があり、ググると、チャイルドポーズと呼ばれている、のがわかる。

ヨガのチャイルドポーズの効果とは?できない原因とバリエーション – SOELU(ソエル) Magazine



このヨガの英語名チャイルドポーズは、サンスクリット語では、バラ(子ども)アーサナ(ポーズ)と呼ばれるようで、様々なヨガのポーズの間に休息をとるためのポーズで、小休止のポーズという意味のようである。以下のサイトによれば、『子どものポーズは上半身を脱力させるヨガポーズなので、背中や腰周りをリラックスさせる効果が期待できます。デスクワークなどで酷使しがちな首・肩・背骨の周りにある筋肉を緩めるため、疲労回復効果も期待できるでしょう。また、消化機能の活性化や腰痛の予防などを見込めることもメリットです。』とあるように、緊張を緩和するポーズといえるかもしれない。

子供のポーズ(バラ・アーサナ) ジム関連用語 - FIT PALETTE


この土下座に近い謝罪の姿勢の、子どものポーズからわかるように、本来の謝罪の意味は、肉体をストレッチさせて、疲労を回復させ、緊張感からくる心のストレスを軽減する表現なのがわかる。日本の土下座との違いは、腕を伸ばさないで、地面につけるように支える点で、イスラム教のお祈りの姿勢に近い。だから、土下座、もしくはイスラム教のお祈り、もしくは子どものポーズをすることは、肉体の疲労を回復させ、心のストレスを軽減する働きをもたらすのだが、勿論、自主的に行わずに、強要されてやるのでは、かえってストレスを貯めることになるのはいうまでもない。


さて、話を元に戻し、訂正の意味で、「チェラ」で話を展開すると、ヒンズー教の師のスワミに対して弟子をチェラと呼ぶそうである。また、密教の導師グルに対して弟子をチェラと呼ぶそうである。前回は、このチェラをチャラと間違って解釈して、「心眼を獲得する修行」の意味に解釈してしまったが、この「チェラ」のままでググっても、それ以上の意味がネットからは出てこないので、やはり、いまのところは、「チャラ」で間違って話を展開するしかないようである。

以下の2つ目のサイトのように、古代ヘブライ語で解釈すると、『「チャラ」は、「喜ぶ」ことを表現するヘブライ語のצהלה(tzahlah、ツァラ) と考えられます。』に出くわしたので、もしや、チェラは、チャラを経た、ツァラトゥストラのツァラが起源ではないか?と思った。

シャンバラからの伝言 魂の修行と宇宙の真理 成瀬雅春 - うちこのヨガ日記

歓喜の思いを唄う「木曽節」の「ナンジャラホイ」日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究

ヘブライ語対照表本とユダヤのハーモニー&古代史の研究

また、3つ目のサイトの、古代ヘブライ語と日本語のカタカナの対照表から、ツァラには、辛いという意味の「tzarah」と、喜びという意味の「tzahlah」があり、アヴェスタ語の「輝ける星」の意味のツァラトゥストラのツァラは、「輝ける」という意味の「喜び」と考えられる。このツァラトゥストラは、ゾロアスターとも呼ばれ、ゾロはツァラの変形で、トゥストラは、アストラルの変形で、星や心を意味する。

だから、ツァラトゥストラは、輝ける喜びの心の意味をもつ。常に感謝感激喜びの心が、チェラなのかもしれない。人智学でのアストラル体は、このゾロアスターのアストラルで、六芒星形を現わす6次元世界なのである。ちなみに、導師のグルは、古代ヘブライ語では、『グラ גאלה gulah 救い、贖い(名詞形)』に由来しているのかもしれない。だから、グルが救いを導き、チェラが輝き喜ぶ、という白魔術の意味をもつのかもしれない。

さて、白魔術での救いとは何か、とオカルトで考えるなら、死からの再生であり、キリストが死から再生し、霊魂の不死性を、地上の人類に身をもって示したのだが、いまだにその意味がわかっていない人類が地上には沢山いる。この不死性の意味を解き明かすには、男女の両性の意味を解き明かさないと、無駄な徒労に終わるだけなのである。いくら脳で考えようが、無知の知に到達できないので、脳科学は全くの徒労に終わるだけなのである。

この世の偉大な科学者も、地を権力で支配しようとする独裁者も、母親のお腹から生まれた、という点において、前回紹介した古代アトランティス人とは異なり、地を這いずり回る蛇と同じなのである。蛇と同じ生き方を、現代の言葉で語るのなら、三次元空間、もしくは少し賢くなって数学などから、四次元時空を予想できても、その空間や時空を超えることはできない。

これがソクラテスの無知の知の本当の意味なのである。物質界を抜け出してはじめて、地上人は、その愚かさを知るのである。自分という存在を俯瞰でみることではじめて、本当の叡智の意味を知る。そのときの、自分はもはや自分ではなく、宇宙に初めて生まれた自分で、自分を生み出した創造的な自分なのである。それこそがモーセに明かした、エヘイエ、アシェル、エヘイエで、我は、お前をつくりだしている主、という意味なのである。

人間は地上の世界を、地動説で生きているように錯覚しているが、それは宇宙全体のなかの、外の部分で一部なのである。はっきりといえば、三次元世界が全てではないし、だから時間が与えられて、脳が時間と共に物質界での変化や運動を辿り、思考することで、物質界で生きる術を学べるわけである。脳をつくる脊髄の神経組織は、いわばヤコブの天国への階段で、脊髄から脳への進化とともに、人間は地上に神殿をつくり、地上の生活を手に入れてきた。そして、人類は男と女にわかれたのである。

キリスト教のなかでも、キリストが男か女かの不毛な議論があり、また神話においては、男神や女神などの議論があり、この国でも、天皇は男系か女系かの議論があるが、前回紹介したように、高次の宇宙人に脳があるのかどうかさえも、人間は宇宙人がヒューマノイドのような人型だと思い込んでいるが、それらはそもそもが三次元世界だけでの無知さ故の議論だから、何を語ろうが無駄な徒労に終わるだけなのである。

そのような議論は、三角形の3つの内角を足すと、180度になるかどうか、の議論と同じで、三次元世界でのみ成り立つ話でしかない、のに気づいていないだけなのである。

以前、時間についての議論の紹介で、覚醒意識での時間論ばかりを考えている現代人の盲点を紹介したが、人間は地上の世界だけに生きているわけではない。睡眠中も生きている。睡眠中を語れないのは、覚醒意識がなくなっているからである。睡眠中は三次元世界を抜け出て、四次元以上の世界に生きている。三次元の物質構造ではもはや解析できないので、ないもの、死んだもの、空や無として解釈しているだけなのである。

覚醒意識を失い眠ると、三次元から四次元以上の高次元、もしくは三次元より低次元の異次元の世界が、三次元世界を観測する肉体から抜け出れば現れてくるのだが、それらをバランスよく安定した形で、認識するのはほとんど困難なのである。つまり、ある意味、肉体はVRゴーグルと同じで、それを外すと、VRの世界が消えてしまうように、以前紹介した映画「メンインブラック」のニューラライザーのように、記憶を失ってしまうわけなのである。

三次元世界の観測装置が肉体の脳で、高次元世界を観測するには、高次元のチャンネルに同調できるように、人間の心を浄化する必要がある。浄化せずに、穢してばかりだと、逆に低次元の悪魔のチャンネルに同調してしまうわけである。女性が憑依体質なのは、女性が肉体から離脱しやすい霊魂だからである。つまり、三次元の肉体ゴーグルを外しがちなのである。

逆に、男性は、三次元思考を好むので、男だけで議論し、男だけの論理で、三次元世界を構築しようとし、権力を独占しようとする独裁者が生まれてくるわけなのである。男とは何なのか?を知らずに、男らしさを語る虚しさに至らないように注意すべきである。

フーテンの寅さんの、「男はつらいよ」の表題は、令和では、女のほうがつらいよ、となるかもしれないし、もっと進めば、「LGBTはつらいよ」という映画やドラマが生まれてくるかもしれない。男らしさ、女らしさの起源を知らずして、男女を語る虚しさを知るべきである。

例えば、現代科学でも、男女のない大腸菌などが老化しない単細胞生物で、また環境に応じてメスになったり、オスになったりするクマノミなどの雌雄同体の生物などとの比較から、人間の男女の意味を解き明かせるはずである。人間と何が違うのか?その形態だけを見ても、ある程度わかるはずなのである。 

男は女の話がつまらないし、女は男の話を聞いている振りをしている。それは脳の思考法が異なるからである。地上に生活するうちに、覚醒意識での時間感覚から、男女の差の役割分担が生まれたのである。勿論、霊魂には男女差がないから、男の風貌をしていても、女の思考法を持つ人もいるし、その逆もいる。男らしさや女らしさは、結局は、この世での経験による試行錯誤からの脳の思考法の違いでしかない。この世で生きるときにどちらでいるのが、自我を満足させるのによいのか、脳の思考から生まれた産物にすぎない。

大腸菌は、人間の脳のように思考できないから、老化しない。このことから、人間が老化する代わりに、脳の思考を手にいれたのがわかる。人間が両性具有から、男女にわかれることで、民族や家族から、個人という思考を手に入れたのがわかる。つまり、男女という肉体の違いから、人間は自由な思考を手に入れて、利己的になったのである。

両性具有の生物が、環境に応じて雄と雌になり得るのは、利己的でないからである。この地で生きるよりも、人間の睡眠中のように、あの世で種全体として生きる、個性よりも全体の種族を優先しているからである。人智学では、この動物の種全体の集団性を集合魂として表現している。対して、男女にわかれた肉体をもつ人間の個人性を、エゴの自我と呼んでいる。心眼のような高次の意識をもつと、男女の肉体を失うようになり、外見は、男性のようになっていく。

このような現代での男女の思考の違いは、例えば、音楽家の男女の違いに現れている。勿論、現代では性差がなくなってきているが、演奏家、特に声楽家に女性が多く、楽器製作者に男性が多いのでわかる。というのは、女性は高次元世界の思考を好み、直感的で、心情的感情的で、対照的に、男性は物質界の三次元世界の思考を好み、論理的で、構造構築的だからである。

シュタイナーは、アカシャ(虚空)年代記から、かつて人類が、レムリア期と呼ばれる時代に、両性具有だったのを解き明かしている。そのときには人間には脳がなく、だからアタマもなかったという。人間は、両性具有なので、いわば大腸菌のように増えた。だから、男女の結合を必要としなかった。

そのときの人間の形態の外見は、女性のようだったので、そのときを霊視できた霊能力者たちから、女神像ができたという。当時の受精は、叡智という精 子が、女性のような体を、卵 子として受胎したという。だから、高次の存在の、叡智を感じる度に受精し受胎した。心を浄化すると、叡智を受胎し、様々な感情の心が生まれたわけなのである。

しかし、様々な心が生まれると、バランスがとれなくなって、愛には猜疑心や妬みが生まれて、依存心も生まれ、独立心も生まれた。そうこうするうちに、人類が男女にわかれて、地上ではどちらか一方の肉体を選択して生きるようになって、外から、叡智を感じるために、脳が生まれたという。極論すれば、肉体の上での女性は脳を使わずに直感で、心から思考し、男性は、脳を使って論理で、頭で思考し、物量的で概念的なのである。

昭和だったか平成だったかは忘れたが、「女性は子宮で考える」と言われたことがあった。ググると、以下のサイトに出くわすように、「男は理性で、女は感性で考える」という意味の焼き直しであるらしい。これをオカルト的に焼き直すと、男は3次元思考で、女は異次元思考であるということになるかもしれない。

朝日新聞デジタル:「子宮で考える」 - 富山 - 地域


それは例えば、現代のヨガのインストラクターのほとんどが女性であるのでわかるだろう。つまり、女性はヨガで異次元思考をして、心のストレスを取り除いて、高次からの叡智をインスピレーションとして心眼の感性で取り入れようとしているのである。女性は異次元思考に長けているので、肉体を離れようとする。しかし、反面で、怪しい宗教や心霊主義のヤバい黒魔術などに引っかかりやすい偶像崇拝や狂信的なアンバランスな面も持ち合わせている。

対照的に、男性は一般的に肉体に拘り、物質の3次元世界の虜になりやすいので、3次元思考の構造力を生かした科学者や芸術家が多いのがわかる。例えば、脳科学者のほとんどが男性なのでわかりやすい。脳で行う思考以外を、男性由来の思考から、男性は信じないはずなので、男性が異次元などという言葉を持ち出せば、それは単なる出鱈目で嘘つきなのを示すのがわかる。

無神論者が異次元などを理解できるはずがないからである。ただそれは3次元思考を拡張しただけの空想上の異次元にすぎない。ただ3次元思考では捉えられないというだけの異次元でしかない。例えば、女心がわからないときの単なる言い訳にすぎない。対照的に、女性は男の心をほとんど見抜いているので、その証拠がほしいために、男に言葉を求める。女は、男に、愛を、この世の現実とするための、その家を建築してほしいのである。

男は、なんで俺が、自分でつくればいいだろと思うが、女は異次元に生きるので、3次元思考をもたないので、自分ではつくれない。しかし、異次元のものと、3次元のものは異なるので、心で埋め合わせないといけない。男は女をメンドクサイ存在に想い、女は男が愛してないのか疑いはじめる。

しかし、このような従来の男らしさや女らしさは希薄になりつつあり、LGBTが生まれてくることで、女性の男性化、男性の女性化が肉体に影響しつつあり、令和では、男に野生味が薄れ、整形やら化粧が流行り、女性が筋肉を鍛え、野生化してきている。男女の性差が薄れてきて、肉体が両性具有の表現となるにつれて、霊魂の不死性が、叡智の自由な意志の下に、肉体の上に刻印されるようになるだろう。

シュタイナーは、男性性と女性性を、カインの石工の神殿伝説と、アベル=セトの祭司の黄金伝説として読み解いている。カインは男性性の三次元思考を現わし、アベルは女性性の異次元思考を現わしている。そして、その両極性を統一し融合するのがキリストの両性具有なのである。だからキリストは、人類の未来の両性具有の姿を先取りした存在なのである。キリストは常に意志により受肉し、死んで蘇る存在なのである。

キリストを受肉できるかどうかは、あなたの心の浄化次第で、チェラの心の禊次第で、それは純粋で清らかな聖処 女マリアであるかどうか、なのである。女性にはキリスト信仰を、男性にはマリア信仰を与えるのは、古代叡智の、人類の霊魂の進化計画なのである。





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Last updated  2025年05月15日 17時09分18秒
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