ネット情報の活用法 その1456
また久しぶりに書きます。宗教や哲学で問題にされる、神とは何か? の答えを探ってみたい。人智学、神智学から考えてみると、神とは端的にいって、地獄を天国に変える能力をもつ存在といえる。無秩序に秩序を与える存在である。勿論、地獄や悪魔も神が創り出した。神がそれらを超える能力をもつから、あえて創り出したわけである。そうなると、時間を根底に考える思考をもつ我々は、秩序が先なのか、無秩序が先なのかと考えたくなる。しかし、それらは同時といってよいだろう。双子のようなものである。秩序故に無秩序がある。そういう状態を数学を使って複雑系で捉え、カオスと秩序の間のカオスの縁で解説する。どういうことかというと、無秩序になっていけばいくほど、秩序になり、逆に秩序的になっていくほど無秩序になる、4次元の世界なのである。例えば、オカルトでは、生命の原理と呼ばれるホメオパシーは、この性質を差している。 つまり無秩序と秩序の運動というか、せめぎあいから新しい秩序、つまり無秩序を取り込んだ秩序が生まれる、というわけである。無秩序を取り込める秩序、カオスと秩序を巧く調和できるカオスの縁こそが、生命の神の原理なのである。パイコネ変換というのが、複雑系では有名である。これはパン(パイ)を2倍に伸ばし、折りたたんでくっつける変換式で、4次元世界をうまく表現している。つまり、秩序を増大しすぎると、無秩序になってくるが、折りたたんで、再び秩序と結びつけると、新しい秩序が生まれるわけで、それがカオスの縁なのである。この原理は、かのパラケルススが、ホムンクルスと呼んだものである。ホムンクルスとは、ホメオスタシスの事である。生命の原理とは、ホメオスタシスなのである。私はかつて白血球のT細胞をモデルにして、免疫恒常性を複雑系で説明したことがあるが、要するにあらゆる宇宙の階層において、ホメオスタシスがフラクタルのように機能しているのである。人体においては免疫恒常性が健康の源である。あまりに秩序化すると、自己免疫疾患にかかりやすくなり、逆にカオス化すると、免疫不全になり、感染症にかかりやすくなる。免疫は常に新しい秩序、つまりカオスの縁を創り出すために、細菌やウイルスを必要とするのである。でないと、秩序化しすぎて、自己分裂化し、自己を自己で攻撃するようになるからである。だから神がより良い天国を創りだすにはより悪い地獄が必要で、神に敵対する悪魔が必要なのである。それは神自身がホメオスタシスだからである。難解になってきたので、少し話題を変える。成仏とは、オカルトでいえば、あの世とこの世を自由に行き来できる存在のことである。ある意味、地獄と天国を自由に行き来できる存在でもある。しかし、神のように地獄から天国を創り出すことはできない。ただその手足となるだけである。人間は肉体を失うと、肉体を基にしていた自己を失う。四苦八苦が、自己という存在から生じることは、御釈迦さんが既に語っているところである。だから仏教の修行では自己を無くすことが命題にある。ギリシア哲学は、自己を無くすことではなく、いかにも西洋的だが、自己とは何か、を追求していくのが命題である。では、自己とは何だろうか、オカルトでは、人間の魂は、何度となく、この世に輪廻転生してきたといわれる。それは、新しい自己の秩序を創り出すためである。自己は生まれ、そして死に、また新たな自己として生まれ変わる。そう、自己のカオスの縁を育むためである。自己は死後、無くなるが、死にはしない。新たな自己に組み込まれ、再生するのである。キリストは身をもってこれを示した。キリストの復活とは、自己の再生の事である。だから、苦しんだ自己は、必ず癒されるのである。キリストは、あなたたちは決して死にはしない、苦しみは必ず癒されるからだといった。苦しみが深いほど、自己は新しく生まれ変わる。蛇やエビが脱皮するのと同じである。この世での自己は本当の新しい自己の殻にすぎない。自己とは、ホメオスタシスで統一する本体である。バランスといった方が簡単かもしれない。調和、天秤のようなものである。苦あれば楽あり、悲しめば笑うことある。宇宙はホメオスタシスで動いている。電子が光の粒であるように、人間の魂は、神の粒なのである。だから、人間の魂には微力ながら、地獄を天国に変える力を持っている。苦しんだほど癒される。創造には苦しみがつきものである。天国は地獄から生まれる。小さくなればなるほど、質量がなくなって、宇宙の大きな力に動かされる。小さな自己は無になるどころか、大きな宇宙の自己により救われるのである。それは粘菌が大きな宇宙のホメオスタシスを体現しているように、小さな存在ほど、大きな宇宙の摂理を受けるようになるからである。より小さくなるほど、より大きくなるのである。迷える子羊は必ず神に救い出される。人間が困難に出会うと神の名を呼ぶのは、本能的にこのことを悟っているからである。神様、神様、私を見つけてください。ここにいますよ!神は絶望の淵に現れる。生命は生と死のカオスの縁に現れる。神に感謝!