ネット情報の活用法 その1871
自然の森林火災が人命を奪っているが、その要因を調べると、そもそもが人災なのがわかる。巷では農林水産省のコメ問題とともに、昨年蓄積米を放出していれば、財務省解体デモを起こすほど、世間の台所を火の車にし、国民の生活を深刻にしなかったのに、物価高騰の一要因となり、防災省を唱えた総理が全くの無防備で、自然災害の防災どころか、自らが商品券を配って、公金ボヤ騒ぎどころか、高額医療負担のステルス増税で、国民の生活にしわ寄せで、物価高騰の大火災を起こしつつあり、国会予算で消火活動もできずに、口先だけの物価対策で、予算決議も自らで炎上させているわけで、本当に救いようのないアホとは、この無能政権である。山火事 原因は?半数超が2月から4月に集中 総務省消防庁が注意呼びかけ | NHK | 気象呆れ果てて、とにかくどこもかしこも、禊が必要だと感じさせるばかりである。このままでは、政治家中心に地獄へと集団自決するしかないだろう。とにかく、日本人は情けなくなってしまった。政治家を一新させるためには、解体して、全てを水に流すために、禊をさせるしかないだろう。火には水しかない。これも、戦いの火星紀から、救いの水星紀の到来を、オカルト的に暗示しているのかもしれない。オカルトといえば、巷ではその番組で有名な「世界の何だコレ!?ミステリー」は、たまに見るのだが、「錯視」を紹介していた。錯視は、このブログでも何度となく紹介してきたが、改めて考えてみると、量子力学の、波でもあり、粒子でもある、ミクロの量子の観測問題を、日常の視覚現象に置き換えたものともいえる。世界の何だコレ!?ミステリー - フジテレビ世界の何だコレ!?ミステリー - Wikipedia錯視 - Wikipedia観測問題 - Wikipedia例えば、上に挙げた錯視の代表的な2つの図の、二次元の錯視と、三次元の錯視をみれば、人間の知性が、物質界で生きるうちに、時間に沿った物質的事象の経験から、いかに物質的感覚に洗脳されているかがわかる。上の二次元錯視は、アヒルとウサギの中間体で、三次元錯視は、鏡像関係にある、6つの円柱と8つの立方体の中間体の、見方、視点の違いなのがわかる。元祖天才バカボンの世界のように、ウナギイヌがいるならまだしも、このように錯視は、中間体が個別にわかれた、脳の認識から生じるものと考えられる。例えば、前回紹介したように、悪人は人によって態度を変えて、偽善者ぶって二枚舌を駆使するが、その自分だけに見せる姿に囚われると、その演技を見破れずに、悪人を信用してしまい、騙されてしまう。詐欺師というのは、この錯視のような詐術を巧みに用いるので、オカルトでは黒魔術師と呼び、手品などは、この詐術を応用したものである。巷にはウナギイヌはまだいないが、遺伝子倍体的にいえば、植物レベルで、昨今話題のイチゴなどは、品種改良の八倍体なのである。また巷のザイム心理教の、悪徳官僚などが、財源という言葉で、この黒魔術的な詐術を用いているのは、政治家の嘘からもわかるだろう。財源が必要なら、公務員の所得を下げ、公金を節約すればいいだけの話である。赤字財政が本当なら、公務員は全員クビになっていないとおかしい。何故クビになってないのか説明しないとおかしい。核相と倍数性について | みんなのひろば | 日本植物生理学会このような虚言や、錯視の図からわかることは、我々地球人の知性が、群盲象を評す、のように、もっと簡単にいえば、木を見て森を見ずで、物事の一面しかみえない存在で、古代人が知っていたように、物質界は一時的なもので、幻だからである。時間に沿った流体のような事象の断面を切って取り出しているだけにすぎない。古代人は、この流体を水と呼んでいた。群盲象を評す - Wikipediaさて、人間の視覚は、物質の反射光を受動することで、知覚化するが、それは、全体の一部で、断面でしかなく、それも物質の外見でしかないことを考慮しないと、錯誤に陥る。視覚から生じる錯視の他にも、五感の、味覚、触覚、聴覚、嗅覚があり、それらは3次元世界では、まとめて五感と呼ばれているが、更に物質界を超えて、4次元世界を捉えるには、五感を超える、第六感が必要となる。視覚は、いわば、物質界を光で照らし、分解して、その一部を再構成した知覚ともいえるが、それだけに囚われると、バランスを失い、ルッキズムに陥るのが、このような錯視図形からわかる盲点といえるかもしれない。だから、木から森がみえるように、以前紹介した、ヘーゲルの弁証法のように、正反合で、3次元の陽の対立の世界から、陰の4次元の世界に拡張できるように、互いの拘りの知性を捨てて、アウフヘーベンしないといけないわけなんである。止揚 - Wikipediaこのような錯視図のように、異なってみえる図形が、実は同じものと同定するホモロジーの数学として、トポロジーという位相空間を想定した位相幾何学が、現代科学でも、考案されている。トポロジーは、幾何学的にアウフヘーベンした数学的なヘーゲルの弁証法といえるかもしれない。しかし、数学は、所詮記号学でしかないので、物質界を超えられないのは、ゲーデルの不完全性定理でもわかる。位相幾何学 - Wikipedia位相空間 - Wikipediaゲーデルの不完全性定理 - Wikipedia4次元の世界を、3次元の世界での感覚から捉えるのは非常に困難で、至る所に錯視のような悪魔の罠が迷路のように張り巡らされて、そのトラップに引っかからないように綱渡りをしないといけない。3次元世界の全体を見渡せる4次元の世界を、3次元世界の一部の情報から集めて、再構築しないといけない。神智学によれば、例えば、ピタゴラスは、テトラクテスという図形を考案している。ピタゴラス万物は数からなるテトラクテュステトラクテュス ピタゴラスは、宇宙は数的な調和によって秩序づけられていると考え、さらに万物は数から成ると考えた。点は一で広がりをもち、線は二、面は三、立体は四であり、1+2+3+4=10となるから、10は点、線、面、立体のすべてを含む完全な数であるとした。<高野義郎『古代ギリシアの旅』-創造の源を訪ねて- 岩波新書 2002 p.52> この1~4の数の点を三角形に並べた図を、テトラクテュスといって、ピタゴラス教団のシンボルマークとした。このピラミッドのような平面図を、立体図のように、イメージトレーニングすると、3次元世界から、4次元世界を再構築できると、ピタゴラスは弟子たちに指導したという。現代科学でも、主に強い力と呼ばれる原子核を統合しているグルーオンのカラー価を用いた数値解析に、この図に似た格子ゲージ理論を用いている。簡単にいえば、時空を連続体ではなく、格子の非連続体として扱うことで、調和振動子の節を、点として固定し、場を量子化して、非摂動性を回避したものといえるかもしれない。格子ゲージ理論 - Wikipedia研究概要│東京大学 駒場素粒子論研究室 大川 祐司森川 億人 (Okuto Morikawa) - 場の理論と超弦理論に対する非摂動論的アプローチ 日本学術振興会 科学研究費助成事業 特別研究員奨励費 - 共同研究・競争的資金等の研究課題 - researchmapKAKEN — 研究課題をさがす | 場の量子論に対する非摂動論的手法とその超弦理論への応用 (KAKENHI-PROJECT-22KJ2096)巷には、上述の論文が数多く出ているが、格子ゲージを、超弦理論に応用する試みがなされているのは、時代の流れといえるかもしれない。超弦理論は、物質界の他に、鏡像関係の超対称性を起因とした並行宇宙があるのを提示し、格子ゲージは、物質界との関係を、特に3次元世界から4次元世界を想定するのに、ピタゴラスのテトラクテュスのように、わかりやすい描像だからでもある。この格子ゲージみたいな、神経格子を想定した心の描像のイメトレを、オカルトでは、3次元の肉体の解剖学の他に、4次元以上の、心の解剖学を、ヨガなどを通して、ヨギの師から弟子へと口伝指導される、といわれている。しかし、心の解剖学からすれば、人間は、神と同等の能力をもっているので、肉体という制限された物質界に、その能力を限定されてしまうので、つまり、本来の4次元の能力が、3次元の能力に限定されてしまうので、物質界に生きることは、人間の本来の能力の、心からすれば、生きているのではなく、死んでいるのだ、といわれている。我々地球人は、制限された肉体を制限された能力で、その物質とのバランスを保つことで、地球では生きている感覚をもっているが、逆に、あの世の、4次元のアストラル界からみれば、鏡像対称でもあり、死んでいるようにみえるわけなんである。この感覚を簡単にいえば、4次元の世界には、自他の区別がないので、自他の区別ができる、利己的感覚や、孤立感をもつことが、3次元の世界の物質感覚で、生命の、いわば能力の死と捉えられる。だからして、無限の自由が制限された有限の感覚を、あの世では、死と呼ぶわけなんである。この感覚は、霊魂が肉体から離れていくにつれ、特に物質界の、名詞の言葉を忘れやすくなるのでわかるだろう。先の錯視の図で表現するなら、アヒルとウサギの中間体がそれぞれにわかれ、固定化されてしまうのを、死と呼ぶような感じである。物質界での完成とは逆で、未完成の物質的にははっきりとわからない、曖昧な状態を、どちらともいえない感覚を、名詞で表現できない感覚を、4次元の世界では、生きている存在、というわけなんである。この4次元的な、曖昧で、断定的ではない、物質で表現できない中間的な存在を、心の感覚で捉えるのが、第6感で、心眼の、いわゆる霊能力なのである。日本語に曖昧な表現が多いのは、互いの物質的な立場を超えて、心を一つにする、あの世の4次元の見方を考案する姿勢を含んでいるのかもしれない。物質界を表現するのには不得手で曖昧なので、外来語が用いられているのかもしれない。日本語は名詞よりも動詞が独特なのも面白い。特に、互いの立場を超え、「水に流す」という表現は象徴的である。この水に流すは、ヘーゲルの弁証法のアウフヘーベンにつながる表現のようにもみえる。ヘーゲルは、精神現象学で、正反の、互いに相反する立場を乗り越えるには、良心の共通認識が必要と説いた。神の絶対知による、良心は、自他を区別しないのだから、自他を区別する良心は嘘になる。以前紹介した、NHKでの番組での解説では、嘘が良心に反する解説にカントを持ち出していたが、そもそも、自他を区別する利己心が、偽善の良心を纏って嘘をつかせるのである。余談だが、例題として、NHKの番組では、夫のDVから逃げてきた妻を匿って、嘘をつくのを良心としていたが、まず、夫から逃げる妻の理由と、夫のDVを問いただすほうが先で、DV夫の良心こそを問うべきだろう。例題が簡略化され過ぎていたのが残念だった。「昨日のことは、水に流そう。」 | シブヤ大学 | SHIBUYA UNIVERSITY NETWORK精神現象学 - Wikipediaこのように、ヘーゲルの精神現象学でもわかるが、地球人が地球という物質界で死んでいるのは、それとは鏡像関係にある、心の世界のアストラル界に、自分で天国をつくり、生きるためであるのがわかる。そのためには、自他の区別のない良心を育てることで、それは男女も区別しない両性具有のものなので、肉体の性差に偏ることもなく、はじめに心をバランスさせるのが、心の解剖学に必須なのである。そのためには、仏陀が八正道を説いたように、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定を、正反合で、例えば、正見とは、錯視を超えて、自他のこの世での立場を超えて、良心を育て、この世の殻を破って、あの世へとアウフヘーベンしないといけない。心さえ、良心に満ち溢れていれば、肉体のバランスなど、薬や外科的処置に頼らずに、即座に回復できるわけなんである。八正道 - Wikipedia巷では、正思惟を知らない、若返りやアンチエージングなど、肉体のバランスをとるというよりも、ますます肉体を、心から偏らせ、分離する言葉が氾濫しているが、肉体そのものが、霊魂の屍で、墓場なのである。だから、物質界で、死んで、屍が露わになるだけである。肉体は霊魂のウンコみたいなもので、ウンコが汚いと、腸内細菌のバランスが悪いのと同じである。また腸内細菌のバランスの悪さは、脳の左右のバランスの悪さに起因し、統合力のバランスの悪さにあるといえる。だから、前回紹介した左脳と右脳のバランスをとる松果体が重要なのである。また、人体上下のバランスの悪さは、心臓の心に起因し、心臓は太陽で、脳は地球で、太陽と地球のバランスの違いに起因する。これらのバランスを回復するには、ヨガの呼吸による、例えば、何度も紹介してきたプラーナの二重呼吸法が挙げられる。いろいろな取り組みがあるが、結局は、この世での自他の違いからくる互いの立場を、総括して、水に流し、日々の反省から、禊を行うことなのである。禊 - Wikipedia禊とは | おまつりする | 神社本庁公式サイト禊とは、神道の教えの中で神様が嫌う不浄を洗い流す行為である。水には清浄の力があり、禊をすることで神に近づくのにふさわしい身体にする。この神道的発想から、日常生活で起こった良くないことを清算する行為を「水に流す」と表現する。良心を育てることなく、生きることなかれ。