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カテゴリ:歴史上人物を可たる
人生とは何か? ていうことに哲学よりも、その生き様でみせてくれた人物は、やはり、お釈迦さんではなかろうかと思う。
やっぱ、お釈迦さんは、人間の生き方の見本を示してくれた人物だろうよ。 八正道が人間の理想の生活スタイルなんだろうね。 段階によって、人夫々の八正道があるだろうが、お釈迦さまはその究極的理想の模範だろうね。 1.何事にも理想を追及する。 2.常に偏見をもたずに、自由な発想でいる。 3.愛情にあふれた言葉を使う。 4.与えられた苦痛や病気、命を克服する。 5.規則正しい礼儀を重んじた生活を送る。 6.常に前向きで、芸術的な創造活動を行う。 7.調和を保ち、バランス感覚をもつ。 8.自己とは何かを反省し、自分の悪いところを改善する。 ていうところかな。云い易く行い難しだろうが、だからこそこの世は苦なんだろうね? やはり、苦あれば楽ありといいまして、この苦を克服しないと、幸福感には浸れないんだろうな。四苦八苦も、転じれば、四幸八福になるだろうね。それはやはりお釈迦さまが、その見本をみせてくださったわけだ! そして、至上の幸福のうちに、入滅していったんだろうね。 で、御釈迦様の人生を振り返ってみる。 御釈迦様は、菩薩としてこの世に生まれる。菩薩とは、霊界(人間が天使の領域と呼ぶ下位階天使領域)と交信できるいわば霊能者として生まれた。生まれた途端に立ち上がって、天上天下唯我独尊と言えたのは、まさしく菩薩の力であろうね。菩薩は、人類を導く意図をもってこの世に生まれてくるので、自明のことなんだろう。 「天上から命じられ、天上の教えを、天下に独りもたらすのは我のみ」という意味でもあろうし、人間というのは天上天下唯我独尊の存在にならねばならないという意味でもあろう。天から使わせられた人の言葉は、常に2つの意味を持っているようにみえる。なぜなら、あの世(霊界)でも、この世でも、共に同じ響きをもっているからであろう。これはキリストにもいえて、その語る言葉も同じ響きをもっている。 あの世とこの世は反対の意味を持つのだけど、あの世でもこの世でも全く同じ意味に聞こえるのだ! 逆にいえば、偽者は、この世でのみ語り、ウソや偽りがあるから、すぐに仮面がはがれるということでもある。偽者は言葉で語るが、本物は言葉の奥にある言葉を発する源で語るからであろう。 お釈迦さまは菩薩で生まれたけど、それでもまだ満足せずに、更に上位の霊界の神々と交信しようとするわけだ。霊界というのは、不思議というか理に叶っているというか、最上位部が最下位部につながっているようだ。この物質界が実は、最上の霊界(上位階天使領域)につながっている(最上の霊界は、神界から直接命令をうける立場にある)。 そこで、お釈迦様は、より上位の神々を求めて、古代インドからの秘儀参入者を訪ねて教えを乞う旅にでるわけだ。色々な修行方法を試し、秘儀参入法を創作する。そして、菩提樹の下で覚る(人間が神々と呼ぶ中位階の天使領域と交信に成功する)。 そのときの悟りのいきさつは興味深いものがある。秘儀修行者が、秘儀参入者として、人間が神々と呼ぶ中位階の天使領域との交信に成功する前に、必ず悪魔が現れる。悪魔は下位天使領域に存在するものだからである。悪魔の誘惑に屈し、失敗すると精神異常者になる。似非宗教教祖がいい例である。エゴイストまるだしの独裁者に近い精神主義者などもこれにあたる。 お釈迦さんは菩薩であったし、菩薩はこれまでこの世で何度も輪廻転生を繰り返し、あと1回で、もはやこの世に転生しなくてもいいリーチ状態で、生まれてくるので、器が違うというか、神聖視するわけでもないが、至極の苦労人なわけで、それが生まれた当初からの子供のときの鬱に現れているわけだ。 そんなわけで、悪魔の誘惑、より正確にいえば、人間のなかの感情や感覚を司る神経体とでもいうべきところに、悪魔の考えを寄生させ、奴隷隷属化させるような状態を断ち切り、より上位の霊界の霊たちと交信するのに成功するわけだ。悪魔を断ち切ることで、その感覚体に、霊を感じる五官を捉える感覚器チャクラ(蓮華)が開発され、この世(幻)の背後にある真の現実をみて、至高の清浄感に浸るわけだが、そこにブラフマン(梵天)という神が現れ、その教えを説きなさいと諭すわけだ。 お釈迦さんはとてもじゃないけど、自らの体験を言葉にすることなどできないので無理だというわけだが、ブラフマンは、御釈迦さんをこの世に使わしたのがまさに自分であり、その目的が、御釈迦さん自らの体験した覚りをエキスとして、他に続く人類のために、その教えとともに、霊性を忘れた地の世に、天の華を咲かせることだとして、論破したので、ブラフマンのお加護の元に、布教活動をはじめるわけだ。 キリスト教の密教にあたる秘教では、このブラフマンこそ、太陽霊キリストの化身だとされている。 長々とトンでもな話を書いたが、信じる信じないのはその人の自由に委ねられるので、それはともかく、神秘学から解読する般若心経は以下のようなものであろう。 観自在菩薩(仏陀のこと);菩薩として生まれ、八正道を実践し、覚り、蓮華を開発して観自在となった仏陀は、その人生を通して、苦を感じ、幻を捉える五官を克服し、感覚から超越し、自由になり、超感覚を身にまとったので、空の存在(最上位の霊界と交信に成功し)となり、その人生の意味を知り、仏こころ(幸福)を会得した。 仏陀は覚りを開いたので、災い転じて福となした。 私に続くものなら、お聞きなさい。この世はあの世の計画のもとにできているのだ。あの世(霊界)の上位階の天使領域の霊の意志の元に、宇宙が協力してこの世が現れているのだ。すなわち、この世で捉えるならば、それは空という表現しか見い出せないであろう。なぜならば、この世は、気持ち次第に揺れ動くからである。いまのあなたが未来の世を開く。 よく聞きなさい。この世がいまあるのは、過去とたったいまの人間の気持ちから生まれたのだよ。だから、いまの人間の気持ちが、明日をつくるのだよ。 だから、一方に傾く偏りはよくない。元々は我々の気持ちが明日をつくるのだから、我々に偏り、偏見があれば、それは将来、差別や住み難い、闘争を生ずべき未来をつくることになる。いまある執着心は必ず未来のシコリとなって現れるだろう。 融通無碍で、円通自由自在に 我々のこの世での感覚は頼りないものですよ。一時の感覚に固執し麻痺するとしたなら、未来は滞り行き詰まってしまうでしょう。何事にも循環があります。創意工夫して、執着心から自由になり、悪を善に転化することです。そうすれば、未来は現在よりも確実に明るくなるのです。それには独り独りの人類の気持ちにかかっています。 在るものは無いのです。いま見えるものは明日には無いのです。いまみるのではなく、明日をみることです。そこに真実がある。 この世にはいずれ別れが訪れます。いつか老いて死ぬのです。人間は、人生で、一時も静止、止まることはなく、常に流れされ、流れているのです。流れるものを掴もうとするなんて野暮なことはやめましょう。それよりも流れることで、石に苔がつかないように、丸く自由に学ぶのです。他のものを所有するのではなく、自分のなかにあるものを実感するのです。 この世は借りの住まいです。借りの住まいの基に築く生活を理想としましょう。 この世は、自己鍛錬の修行の場です。この世は、自己という形が未開な、だけど光得る宝石を研ぐ、ヤスリです。では、真実から発する言葉を掲げましょう。困難に出会ったり、悪魔に誘惑されそうなときに、自分を目覚めさせるために唱えるのです。 掲帝 掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提僧莎詞 この世では、自らが生まれ、未来という理想に羽ばたくために、死を与えられる あの世では、死により置き忘れてきたことをなすがために、自己は再び再生を願う この世では五官や認識の限界を超え、苦を克服し、あの世では、時間の限界を超えて、成すべきことを成せ。 自らを神から与えられた尊い魂として自覚しえる者が、魂を霊として向上しえる。 魂を仏として神に献上しなさい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005年11月07日 14時45分18秒
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