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カテゴリ:よもや話
「国家の品格」という書籍が売れているという。これは武士道を復活させるべきだという主張らしい。で、その具体的方法については、残念ながら、書かれていないらしい。
実は、勝海舟は、氷川清話で、武士道復活の方法を、語っているのだ! 武士道は頽れて当然 「武士道的気風は、日をおうてくずれてくる。これはもとより困った事には相違ないが、しかし、おれは今更のようには驚かない。それは封建制度が破れれば、こうなるということは、ちゃんと前からわかっていたのだ。今でもおれが非常な大金持ちであったら、4年、5年の内には、きっとこの風を挽回して見せる。それはほかでもない。全体封建制度の武士というものは、田を耕すことも要らねば、物を売買することも要らず、そんな事は百姓や町人にさせておいて、自分らはお上から禄を貰って、朝から晩まで遊んでいても、決して食うことに困るなどという心配はないのだ。それゆえに、厭でも応でも是非書物でも読んで、忠義とか廉恥とか騒がなければ仕方がなかったのだ。それだから封建制度が破れて、武士の俸禄というものがなくなれば、したがって武士気質も段々衰えるのは当り前のことさ。その証拠には、今もし彼らに金をくれてやって、昔のごとく気楽なことばかり言われるようにしてさえやれば、きっと武士道も挽回することが出来るに相違ない」 と、海舟は言っている。海舟が言っているのは、明治期のことなので、時代が時代だけに、現代では、再び封建制度を復活させるのは、現代の身分平等主義に反するので、ほとんどこれは不可能だろう。また、昔に比べ、誘惑も多い。だが、しかし、少人数の孤島でなら、できうる話かもしれない。 実際、海舟は、静岡に、そのような武士道の類を育成するために、浪人に、給付金を与え、実行したという。すると、浪人たちは、最初は、遊んでいたが、それにも飽きてきて、毎日、することがなくなり、ついには、遊んでばかりいては申し訳がないので、何か仕事をしたいと申し出るようになったという。封建制度がなくなってしまったので、浪人たちは、書物を読んで道徳を語ることはしなかったが、代わりに、お茶を栽培することにしたという。それが静岡名産のお茶となったというのだ! 瓢箪から駒とはこういうことだと思う。 現代風にやるなら、大金持ちに、自然の溢れる土地を買わせ、そこに学校のようなものを建てたらよいだろう。吉田松陰の松下村塾のようにである。江戸時代の武士道は、この寺子屋に支えられていたといってよいだろう。それと重要なのは婦女子の教育である。江戸があのように長く続いたのは、田舎侍の教育制度、つまり寺子屋と、これは見逃されていることだが、婦女子の教育、習い事が普及していたからである。江戸時代、家庭を守り、子供を躾けるのは母親の役目であった。教育により、母親の賢さが子供に受け継がれたのである。 実は、このシステムは西洋の騎士養成にもみられるものなのである。中世の教育は、外に戦があったために、内にこのような精神教育の必要性があったのである。勿論、中世の戦は、決闘に近いものであり、現代の物量がモノをいう戦争とは明らかに違うのである。現代の戦争は物質による殺人である。中世の戦では、名誉と大義名分が優先された。そして、騎士は、惚れた貴婦人、それはその騎士のパトロンでもあったが、その貴婦人の愛情の為に、闘ったのである。 女の為に男は命を捧げたのであり、女がそれに足る道徳性、美徳性を身につけていた時代であったともいえる。ここに、家庭の意味が見い出されうるだろう。 考えてみたら、江戸時代、母親は、働かなくても父親のお手当てで食べていけたので、子供の教育やら、家事等に専念できたのである。母親に道徳が行き渡ったからこそ、武士道が成立したともいえるだろう。父親は、男として、そのような妻であり女のために、また自分の子の母親のために働いたのである。 家光の教育係りが春日の局であったように、名だたる将軍の教育係が乳母であることからこのことが伺えるだろう。 女性が男性と同じように、自ら稼ぐような存在となって、社会進出したために、子供の徳育という面の教育を行う人間がいなくなってしまったのである。現代でも道徳を教える乳母のような教師制度を構築するか、身分制度を改めて考え直す必要があるだろう。 男女の愛も欲望の虜となり、物欲に変わりつつ昨今であることは確かだろう。男女の愛は死んだといわざるをえない!男女の愛は実際、死んでいるのだ!だから、同性愛も生まれてくるのかもしれない? 男という生き物は、美しいものに死を捧げるのである。昨今の誰が、つくられた、美しくもない動物のようなものに、命を捧げるだろうか? 武士道とは死ぬことにみたりと葉隠れは語るが、武士道を武士道に足らしめる死は、美のなかにある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年03月27日 23時04分40秒
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