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カテゴリ:歴史上人物を可たる
この間、日本人が好む偉人ベスト100を、TVでやっていた。1位は信長、2位は坂本竜馬、3位はエジソンであった。ここから、日本人が、発想が新しもの好きという傾向がわかる。日本人と、好対照なのが、恐らく、中国人であろう。中国人は、古いもの、伝統に憧れる傾向が、あるようだが、昨今はそうでもないらしい。まぁ、中国人といっても、日本人のように、統一的な意味で単民族ではないから、中国人という捉え方は的確ではないだろう。 中国と日本の関係はさておいて、西郷さんは、ベスト10位には、ランクしていたようだが、意外にもあまり、上位ではなかった。玄人好みのするタイプなのではなかろうか?歴史に「もし」はありえないが、中国の思想家で、西郷が、もし生きていたら、アジア大連立国家が生まれていたのではないかと言った人がいると聞いたことがある。西郷さんは、ひょっとしたら、日本よりも、中国の方で評価される人物なのではないかとも思う。 西郷さんのその器の大きさの逸話は暇がない。西郷さんの死後のあるとき、薩摩武士のなかで、一番器の大きい人物は誰かというのが、宴会の話題にのぼったという。西郷さんの弟の従道とか、色々挙がったが、結局、大山巌ということにおさまった。後で、その話を大山にしたところ、西郷さんは、私の比ではなく大人物だったと述懐したという話である。 西郷さんの大きなところは、後輩たちに、「思いきりやりなさい。あとの責任は私が全てとる。」という言葉に溢れているように思える。この言葉は、実際、西南の役で、死んでしまったことで証明されている。 西郷さんのなかに、理想の上司像が思い浮かぶ。いまの人間は、小人物ばかりなので、部下に任せることをしないで、たとえ、任せても、危なくてみていられないと言うのが関の山だろう。 しかし、上司の本来の仕事とは、責任を取ることなのである。小さな失敗から大きな失敗まで、ありとあらゆる失敗の責任を取ることで、人の上に立つ器が身につくのである。ここらへんを勘違いしているのが、現代社会の組織像なのである。 あの人の下ならば、信頼して思い切って仕事が出来るくらい、部下にとって頼もしく、安心して、現状の仕事に専念できるというものだろう。 部下ほど、上司をみているものはいないのである。 そして、とどのつまり、人間に対する信頼こそが、即、人生の学びなのである。 仕事は、人間の信頼をつくりあげるものでなくてはならない。そうでなければ、人間社会に、安心と平和がもたらされることなど、絵に描いた餅であろう。 昨今は、有能な管理職不足だとよくいわれるが、それは当たり前で、責任を他に押し付け、お仕着せ、失敗から逃げているからである。それでは、いつまでたっても、せっかくの失敗が台無しで、失敗から学び、組織を柔軟な懐の器の広いものにしていくことなど、できるはずがないだろう。昨今の倒産事情がそれを表現している。失敗から逃げてたら、会社はどんどん小さくなっていくだけの話である。 セクハラなんかで、辞めさせられるなぞは、あまりにアホらしいというか、自己鍛錬が疎かになっている証拠である。社会人としての自覚、モラル以前の問題である。日々、時代は動いているのである。右肩上がりの殿様商売の時代ではない。職場を男女関係とみている表れだろう。おのぼせさんもいい加減にしてほしい。 利益が日本一だろうが、このような人格者が社長をやることなぞ、どうかしていると思う。 大西郷と呼んだ、勝海舟が言っている。「昔の人は他人の失敗でも、自分がその責任を引き受けた。いまじゃ、あべこべだね。そんなことじゃ、世界に冠たるに相応しい独立国家など、つくれるわけがない。小さい、小さい、まるで蟻のようだ」というようなことを、さんざん嘆いたという。 国民の面倒をみるどころが、国民に面倒をみてもらうような幼児な奴ばかりだろう。 信頼というのは1日で築かれるものではないだろう。失敗や苦労を共に乗り越えたときに、愛情から湧き出るものだろう。 敬天愛人 西郷さんの座右の銘である。西郷さんの器の大きさが伺える。 では、信頼とはどういうことなのだろうか? 信頼とは、盲信であってはならない。愛と同じものであろう。信じないことができるくらい、信じあう。呼吸が合う、正に一心同体のことだろう。 信じるという行為は、相手側にあるのではなく、自分の中にあるものだ! 晩年、勝は、大西郷を評して、その大人物がわかるところは、「幕末の混乱が一段落したら、西郷がきて、江戸のことは全て、勝先生にお任せしますから、後のことはよろしく御願いします。」と言って、帰っていったことだという。あれには、大分参ったと、勝が愚痴っている。 人間は信じられると、逃げ場を失い、自尊心が生じるのである。 明治維新がなったのは、西郷が全て責任をとったからでもある。 信じることは救われることである。 キリストが弟子を連れて歩いていたとき、道端に犬の死体がおちていた。思わず、弟子たちは、顔をそむけたが、キリストは、まざまざと見て、「この犬の歯はなんと美しいことだろう」と言ったという。 醜悪なものにこそ、美が見い出される。 どんなものにも長所と短所がある。それは、こころの捉え方なのである。 例えば、職人は、堅気気質で、人格的には偏屈が多い。だが、偏屈だからこそ、人格を犠牲にして、美しい技術を創造させるのである。だから、職人は、人格をみるのではなく、その技術をみなければ、理解できないだろうし、信頼は生まれないだろう。 日本人ベスト1の「信長」という人格ではなくて、名前だけとれば、まんざらでもないだろう。信長に欠けていた資質は、長く人を信頼することなのである。日本人の命名法の意味が、よくわかる。戦国時代の武将は、とにかく、「信」とか、「親」とかついている名前が多いことでよくわかるだろう。 現代に欠ける言葉を1つ挙げるとするなら、「信」ということだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年05月13日 03時33分17秒
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