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カテゴリ:よもや話
勝海舟はいっている。
「政治家の秘訣は正心誠意」だと! 政治家の秘訣はほかにはないのだよ。ただ正心誠意の四字しかないよ。道に依って起ち、道に依って坐すれば、草莽の野民でも、これに服従しないものはない筈だよ。 ところで見なさい、伊藤(博文)さんの政治はどうだい。僅か四千万や、五千万足らずの人心を収攬することの出来ないとは、なんと歯痒いではないか。つまり伊藤さんは、この政治家の秘訣を知らないのだよ。よく知って居ても行わないのだから、やはり知らないのも同じことだよ。 と氷川清談に載せている。 そして、徳川氏の政治が、なぜ約300年もの間、太平の世を築いたかを述べている。そして、人心を掌握する秘訣は、政治家の正心誠意であると結論づけているのである。 逆に、法律万能主義は最も悪しきものであるといっている。その理由は、法律では、人心を慰安することができないからであるという。 人間は心で動いているのである。人間の心を掴まなければ、人間を掌握することなどできはしない。法律は、人体を拘束する1つの手段でしかないだろう。法律が機能するのは、あくまで短期的で、それこそ異常な状態のものである。 人心は常に動いている。動いているものを、一箇所にとどめておくことはできないし、動いているものは、ただその方向をかえてやることしかできないのである。 科学的解析というのがこの動的物体を、静的に分類することに近いだろうが、それは法律をつくって、人体を拘束する手段にすぎないのである。 だから、勝は、学者はダメだ!と言ってもいる。実際、勝は、学者を使ってみたが、全くダメだったという。その理由は、自分の机上の意見を押し付けるだけで、自分をあわせようとしないからであるようだ。 「世間は生きている。理屈は死んでいる。」ともいっている。 虎穴に入らずして、虎子をとることはできない。 だから、真の統治者はそんな愚を起さない。動いているものを止めることなど現実的に不可能であろう。現実をそのままみているからといって、現実であるとは限らないのである。無常をそのまま捉えれば無常でしかない。動くものをとどめることはできない。だからこそ、逆にこちらから、動くものに歩調をあわせるのである。人民の心のなかに、自らの心を置く事を考え、その心を正しいものにし、誠意でもって、感化させるのである。 それを正心誠意というのだろう。 そして、勝海舟は、徳川氏が、日頃から、いかに人心の掴みを大切にしたかの出来事を述べている。 家康は、家督将軍職を秀忠に譲り、隠居の身になっても、表向きには囲碁会と称して、自ら世間の人心を探ったという。世間と常に親しんでおけば、世間の人心も探れるし、庶民も政権への親密度が増し、双方の親しみが増す一石二鳥の効果といえるだろう。 庶民にとっては、あの将軍の父が、庶民の身近にいるのだから、なお、将軍に対して、親心や親しみが沸くであろう。真事に、人心掌握に秀でているといえる。 私は、実は水戸光圀ではなく、大権現様の家康こそが、水戸黄門のモデルだと思っている。隠居の身というのは、実は、家康のことで、家康は、恐らく、この勝の話から、庶民を市中、見て回ったように思われる。水戸黄門は、それをいわば、マル秘化(神話化)したようなフィクションとしてできたものだろう。 あの副将軍が、天下の家康、将軍の父なのであるから、あの紋所の意義が一層深いのである(徳川家創業の家康である証)。将軍すら、頭が上がらないはずである。勿論、大名すら頭があがらないだろう。下手するとお家取り潰しにも関わる一大事だ。お供の格さん助さんも、水戸光圀の秘書ではなくて、家康のお供だったと思われる。それを文字って水戸黄門(日光東照宮)としたのであろう。その理由は、朝廷への配慮であろう。将軍といっても、朝廷よりは格下であり、水戸は代々、将軍家よりも、尊皇派であり、皇室よりの将軍家の分派なのである。将軍が庶民にあまりに目立っては朝廷をないがしろにしかねない噂が飛ぶ。だから、尊皇派の副将軍(朝廷の将軍(天皇)の副将軍(征夷大将軍)つまり家康)ということで、庶民には公然として親しまれるのである。 だから、水戸黄門のモデルは、実は家康なのだ! 恐らく、徳川家でも、代々将軍に、水戸黄門のようなお話を聞かせ、先代がいかに人心を掌握することに気を配ったかを、幼少期からお話として聞かせ、一種の英雄伝説を説いて聞かせたのだろう。代々将軍は、家康を神格化し、自分もその目標に習おうと励むだろうし、そうでなければ、徳川家の安泰がないと思うのだろう。そして、その言われの本体は日光東照宮として代々、現存し敬称させるわけである。このような配慮は、恐らく、天海という僧が成したものだろう。 家光のときの話も、この勝の話に載っている。当時の江戸の庶民は、非常に元気で、逞しく。将軍だからというそれのみの理由で、頭など下げなかったという。将軍が鷹狩りをしているから、邪魔だといっても、たかが、鷹狩がなんだいという感じだったという。 だからこそ、家康が人心を掌握するのにいかに配慮し、苦労し、洗練したものに仕立て上げたのかがわかるだろう。 水戸黄門をみると、徳川家康の苦労がよくわかるだろう。 黄門さまは、家康で、風車の屋七は、恐らく、服部半蔵か、柳生但馬守で、格さん、助さんは、お供の若者だろう。うっかりハチベエのモデルは気になるが、天下のご意見番の大久保彦左衛門であるなら、非常に面白いだろう。大久保彦左は、家康であろうと、自分の説を意見したからである。 こう考えてみると、徳川幕府が非常に庶民的なのがいまでも伺えるだろう。現代でも、人心掌握術が巧みといわざるをえない。 家康は、人生とは、重い荷を背負って、長い道を歩くようなものだと言っている。 ♪人生楽ありゃ苦もあるさ~の唄は、家康の人生そのものをなぞっているように思えてくる。 そして、正心誠意を物語っているような気がする。 ダビンチコードならぬ、水戸黄門コードといえるだろう。 水戸光圀に顎髭がないのに、水戸黄門に顎髭がある意味、それこそ水戸黄門コードのシルシ(紋)といえるだろう。 そして、水戸黄門を水戸黄門足らしめたものは、江戸の庶民の家康への心であるといえるだろう。江戸の庶民には、水戸黄門として、約300年の太平記を家康は生きていたのである。 正心誠意の力、恐るべし! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2006年05月31日 00時34分21秒
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