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シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2007年01月26日
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カテゴリ:神秘体験空間
 宇宙が顕現するのは頭部中心であり、誕生から死までの人間の条件を決定するのは心臓中心であるという。ある人がよい文章を書くか下手な文章を書くか、ある人の利益が隣の人の不利益になるかどうか、このようなことは心臓中心によって決定されるという。人間の頭部意識が地球のみに限定されていると考えるのは全くの幻想であるという。

 何故なら、頭部は、実際には、永続的な無感覚状態にあるからだという。他器官から生じる痛みそのものが解放されることにより、頭部が奇妙に苦しめられるのも、頭部が無感覚状態にある理由によるという。この点についてもう少しまとめると、現状において、頭部が無感覚状態になる理由を見つけるなら、自分の知的な意識が根絶され、つまり、意識全体が崩壊し、完全な無感覚状態に陥るような精神側からの絶えざる危険に、頭部が曝されることにあるという。

 いわば痛みの解放が、頭部の無感覚状態に解消されるのである。酷い痛みを伴うと、人間は気を失うのである。つまり、日常の覚醒意識が崩壊し、他意識に転換されるものと考えられる。もし、頭部のみが、地球にあるなら、痛みと共に、意識は崩壊し回復しないものとなるだろう。

 このとき、人間存在に関するイメージが可能なのは、人間は喉頭(鉄)において、動物界の原型にまで達する意識を発達させ、それは星々に属する意識で、通常の生活においては、その意識に気づくことはないというようなもので、更により高いところでは、植物界の原型に関する意識が両目の領域(錫)にあり、下方にはそれを映し出すイメージであるという。

 全ての頂点に冠せられるのは土星の領域に達する鉛意識の中心で、その頭部中心は、もはや人間が人生において記述する記事の内容には注意を払わないものであるという。人生の諸事項は心臓中心の産物であるという。とはいっても、頭は宇宙空間で生じていることを完全に意識しているという。地上の出来事や活動についての記述は心臓に発するもので、一方、頭が集中することが可能なのは、神的な存在が黄鉄鉱の中、或いは食塩や水晶の結晶の中に自らを顕現する方法に関するものであるという。

 秘儀参入者の意識が例えば、聴衆をざっと眺めるとき、聴衆が、講演の内容を心臓で聞き、その間、聴衆がもつ三つのより高次の意識が、地球の外の宇宙にある、ということが明らかになるという。宇宙は通常の地球意識に知られているような活動とは完全に異なる階級に属する活動の舞台であるという。宇宙の中で織りなされるもの、特に、宇宙で活発にされ、遠く、そして広範に放射されるものの中で、人類のために織りなされるものとは、人類の運命の織物、人類のカルマであるという。

 このようにして、人間の宇宙に対する関係を通して、徐々に人間存在を理解できるようになるという。つまり、いかに人間が外的な世界と根源的な関係を持っているか、いかに外から、人間存在が根絶やしにされる危険、無感覚へと還元される危険に曝されているか、そして、結局のところ、いかに人間存在が心臓によって支えられているかを理解できるようになるという。

 他の種類の金属について瞑想するときの精神的なアプローチは異なっているという。銅についても鉄、錫、そして鉛について行ったのと同様の手続きを踏むことができるという。銅の金属としての性質について瞑想するとき、いわば銅と溶け合い、1つになるという。そのとき、魂全体が銅によって、つまり、銅の色や密度、その奇妙な筋の入った表面によって浸透されるという。

 要するに、銅の金属性に対する魂的な反応と、人間存在は、完全に同一視されるようになるが、そのとき、経験するのは、無感覚への段階的な移行ではなく、むしろその反対で、自分の内的な存在全体が何かで溢れるという感覚を持つという。つまり、魂の反応はより鋭敏になるという。

 銅について瞑想するとき、銅が、人間の存在全体に浸透する、というはっきりとした印象を持つという。この銅の意識は、心臓より下にある中心から放射し、体全体に分散するという。

 それは、まるで自分の中に第二の体、第二の人間をもっているかのようであるという。そして、内的な圧力を感じるという。この意識に至ることは幾らか痛みを伴い、徐々に増加するという。あらゆるものが内的な緊張状態にあるかのようであるという。

 秘儀参入者の意識を持って、この状態に向き合うとき、自分の中に第二の人間の存在を感じるという。この経験は重要な示唆を含んでいるという。というのも、人生への誕生と教育の産物であり、世界を理解するための道具である通常の自我は、人生を通して、我々と共にあるが、この意識を得ることで、この第二の人間の中に、活力を与え、訓練と瞑想を通して、知覚能力を目覚めさせることができるからであるという。

 この第二の人間は実際、特筆すべき存在で、この人間は目と耳を別個のものとしてもっているのではなく、この人間自体が同時に目であり耳である存在であるという。この人間は繊細な知覚能力を有する感覚器官に似て、通常は知覚しないものを知覚するという。銅の意識に達すると、世界は突然、豊かなものになるという。

 丁度、蛇が脱皮するように、わずかの間(いわば2、3秒の間に多くのことが経験されるという)とはいえ、この第二の人間、「銅」人間は体を脱ぎ捨て、精神世界を自由に動き回るという。痛みが増加するという代償を払って、秘儀参入者は体から離れることができるという。体から離れるとき、更に幅広い経験が得られるという。体を捨て去ることができる地点にまで達するならば、死の門を通過した人を追っていくことが可能になるという。

 このような場合、亡くなった人との地上的な関係は、全て終わりを迎えるという。死者は埋葬されるか、荼毘に付され、地球との関係を断ち切ったからだという。秘儀参入者が第二の人間と共に、つまり、超感覚的な知覚と共に体を捨て去るとき、死後の魂が辿る旅路を追っていくことが可能になるという。

 そして、そのとき、死者の魂が、死後から誕生までの数年、或いは数十年の、地上におけるその人生を逆向きに辿りながら過ごすことを知るという。このことは、秘儀参入者が観察できる事実であるという。何故なら、銅意識に達した秘儀参入者は、死の門を通って、死者の魂を追っていくことができるからだという。

 人生を要約するのにかかる時間は、人生の三分の一の長さであるという。60歳で死ぬ人は凡そ20年かけて人生の経験を要約することになるという。死者の魂をこの期間を通じて追っていくことができるという。死後に辿る人間の経験について多くのことを知る。

 人生を要約するとき、その経験は逆向きになるという。大雑把な例を挙げるなら、ある人が死ぬ三年前に誰かの横面を引っ叩いたとする、その人は、彼にうんざりし、怒りを爆発させ、彼に物理的、道徳的な痛みを与え、その人は彼が自分を怒らせたという理由で彼に与えた罰によって一定の満足を得た場合を考えてみる。

 さて、この人が死後、人生を逆向きに要約する。一年後(人生の約三分の一なので、三年前の出来事になる)は、この出来事にきたとき、その人は、その人のなかに生じた元の怒りの爆発ではなく、その爆発の餌食になった人の物理的、道徳的な痛みを経験することになるという。

 その人は正に自分の行為の犠牲者の感情の中に入り込み、横面に打たれた手形の作用を、物理的に経験するという。つまり、その人は自分が与えた痛みを体験するが、同様のことが他のあらゆる行為にもあてはまるという。その人は、自分の行為に巻き込まれた人が経験することを、当時の通りに経験するという。このように、人間の魂が死後に通過する全てのそのような経験を追っていくことができるという。






Last updated  2007年01月26日 21時55分06秒
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