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シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2007年01月27日
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カテゴリ:神秘体験空間
 文化的な衝動を秘教に負っていた古代カルディア人たちは、これらの事柄に関して、今日の人間よりも、遥かに深い洞察をもっていたという。注目すべきは、今日の人間が心臓意識の中で生きているのに対し、古代カルディア人たちは、当時、実際、喉頭意識の中で生きていた、という事実だという。彼らにとって自然な意識とは一種の鉄意識だったという。

 古代カルディア人の経験は宇宙に関連し、彼らにとって地球は、今日の人間にとって、確固とした一貫性を有していなかったという。彼らが、ある特別の好ましい条件下、例えば、火星存在との親しい交わりの中で生きる場合、現代人が第二の人間の意識によって知覚できる存在たち(死者)を伴って、ある存在たちが月からやってくる出会いの瞬間があったという。カルディア人たちは死後の生活に関する崇高な真実を、このような間接的な仕方で知ったという。つまり、彼らはこれらの真実についての教唆を外なる宇宙から受け取ったという。

 例えば、竹取物語のかぐや姫の話は、このことを示唆しているのかもしれない。つまり、古代カルディア人は、彼らが霊的ないわば火星人と交流した際に、死者を伴って、いわば月人がやってきて、出会っていたというのである。 この出会いは、現代人では、眠っているときの睡眠意識のときに相当し、現代人も夢のなかで恐らく出会っているのだが、もはや昼の覚醒意識しかもたないので、人生の日常から類似の人に無理やり辻褄合わせで、当てはめていると考えられる。このことは、カールセーガン監修の映画「コンタクト」をみるとより興味深い。

 仲介者の助けなしに死者を追っていくことができる今日の人間にとって、古代カルディア人のような意識はもはや必要ではないという。現代人は、古代カルディア人の経験を逆の順番に、それぞれの経験を逆方向に辿ることができるという。そして、現代の秘儀参入者が、銅の意識における第二の人間と同化するとき、現象世界よりも、遥かに現実的な世界に自分が置かれているのを見出すことが不思議に思えてくるという。現在のこの物質世界と、この物質世界での経験の総計は、銅の意識から参入する堅固で厳格な事実の世界に比べると、まるで幻想のように実体がないように見えるという。

 このことは、織田信長が好んだ幸若舞いの敦盛を思い出す。「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり…」。どうやら、この敦盛は平家物語を経由して、原典は仏典にあるらしい。下天とは、下位神界のことを指すようである。 また、五十というのは、五重を現す気がしてならない。恐らく、五重塔、五芒星(エーテル体の5つの流れ)の類を現すものなのだろう。要するに、現世とは、夢や幻であり、人間の真の存在は、天国にあるのだから、意識を向上していかなければならないということなのだろう。

 上記の方法で死者に同伴するとき、あらゆる事柄を増幅したスケールで経験するという。つまり、あらゆることがより強烈に現実的なものとして現れるという。これは味覚で考えるとイメージしやすい。濃縮エキスを舐めるような感じなのだろう。

 死者同伴の世界に比較すると、現象世界は漠とした印象を残すという。秘儀参入の意識を通して死者の世界に関係する人にとって、現象世界は色のついた仮面舞踏会のようなものであるという。瞑想を通して秘儀に参入し、死者とこのように密接な関係を持った人は、現世の出来事を、「お前たちは皆、色のついた仮面だ。お前たちに現実性はない。ただ色のついた仮面が椅子の上に座っているのだ」、というようになるという。

 ここにも、日本の古典芸能の能が面を被る一種の仮面舞踏会であることに気がつかされるのである。つまり、古代日本人も、古代カルディア人のように、死者の国(古くは黄泉の国といっていたようである)を知っていたのであり、それを伝承するために、能のようなものが発達したのだろう。

 真の現実は物理的な存在領域を超えたところにのみ見出され、その現実は、秘儀参入の銅の意識により、経験することができるという。

 実際、シュタイナーは、彼の神秘劇に、実在の人物に基づいた、ストラーダーという人物を登場させ、ストラーダーは19世紀最後の三分の一から20世紀にかけて生きた人物の詩的で非現実的な側面を表現したという。彼は実際、人生において非常に興味深い男で、彼の人生の出発点はカプチン修道士会の見習いだったが、哲学のためにその職業を捨て、しばらくの間ドルナッハの修道院に滞在したという。

 シュタイナーは彼を神秘劇の中でストラーダーに仕立てたが、彼を忠実に再現したものではなく、ある程度似たところがもたせたという。その神秘劇の第四番でストラーダーは死ぬという。シュタイナーは、彼のキャラクターを更に展開する可能性を全て使い果たしたために、彼を死なせるより他になかったという。

 僧から哲学者へと変えていた当の人物は、神秘劇創作の間に亡くなっていたという。そして、シュタイナーは、その人物に対して深い興味を抱いたために、彼の死の旅路を、銅の意識から精神世界を通して追っていくことができたという。

 彼の人物像によってもたらされた印象は、彼の人生よりも遥かに現実的なもので、彼の地上における生活と活動は、彼の死後の生活における経験から与ることができるものに比べると、もはや、彼の人生に何の興味をも起こさせるものではなかったという。

 このとき、奇妙な出来事が起こったという。シュタイナーの幾人かの弟子が、上記の次第に気がついたという。弟子たちは、ストラーダーが、歴史上の人物の横顔であることを見つけ出したという。彼らのその探求過程で、ストラーダーのモデルになった人物の未公開原稿や、書き残していた多種の興味深い書類を発見し、弟子たちは、その発見に、師であるシュタイナーが大喜びするものと思って、それを持ってきたが、そのとき、シュタイナーには、もはやほとんど興味のないものだったという。

 そのとき、シュタイナーが本当に興味を持っていたのはそのモデルの死後の行為で、このずっと遥かに現実的なものに比べれば、彼が後に残していった外的な物質世界に関する歴史上の記録等のあらゆるものは、何の意味もないものだったという。

 弟子たちが骨を折って集めた情報だが、師がほとんど興味を示さなかったことに、人々は驚いたという。上記の銅の意識に関して知っていれば、そのとき、そのような物的資料を必要としていなかったことがわかるだろう。

 なぜなら、この物質世界の現実とは、人間が死の門を通った魂を追っていくときに明らかになる崇高な現実に比べれば、空虚なものである、というのが真実であるからだという。死者の魂が死の門の向こうで滞在する世界において、秘儀参入者が肉体を捨て去って、第二の人間と同化するとき、それはほんの短い間とはいっても、経験することが可能な世界であるという。そして、その短時間の間に、秘儀参入者は多くのことを経験することができるという。

 現象世界に直接その境を接するこの世界の存在は全く疑いのない存在だという。そこは死者たちがより豊かに生きる世界であるという。秘儀参入者は、肉体を放棄し、第二の人間を通して、死者を理解するが、それは、意識を喪失したというよりも、むしろ、意識がより深く融合したということを意味するという。

 もし、瞑想等により、心臓中心よりも上に上昇するならば、意識はボンヤリとしたものになり、無意識の状態に近くなるという。もし、反対に心臓中心よりも下に下がるならば、意識は強められるという。そのとき、秘儀参入者は、現実の世界に参入するのだが、その結果として必然的に生じる痛みや苦しみに耐えることを学ばなければならないという。とはいえ、もし、この現実の世界を取り囲む(物質世界の)壁を、勇気と決意を持って突破するならば、この秘儀への参入は確かなものになるという。

 以上のことから、通常の日常的な意識、喉頭における第二の意識、両目の領域(眉間)における第三の意識、頭頂部における宇宙に達するところの第四の意識、そして、空間世界とは関係を持たず、時間の世界に人間を連れ戻す第五の意識に関しての理解へと至ることがわかるという。この第五の意識レベルを達成するとき、死者たちと同じ逆向きの時間軸を共有し、時間の中を旅することになるという。このとき、人間は空間から出て、時間の中へと足を踏み入れることになるという。

 これはいわば、意識によるタイムマシンといえる。

 なので、全ては、新しい世界を開示する別の意識状態の中に、自分自身を移すことができるかどうかにかかっているといえる。地上における人間は1つの隔離された世界の囚人であるという。何故なら、地上の人間はたった一つの意識状態しか知らず、他の全ての意識において、眠りの状態にあるからだという。もし、通常とは異なった別の意識を目覚めさせ、発達させたなら、別の世界を経験することができるという。

 人間は意識を変化させることによって、自分自身を変化させることができる、というのが精神的な探求における秘密であるという。通常の方法による探求や研究によって別の世界へと貫き至ることはできないという。
 
 いかなる手法や方法を用いようとも、その道具がこの物質世界を基準にしている限り、この世界を超えることはできない。それは、例えば、言語が、この世界のものである限りにおいて、いかなることを表現しようとも、最終的に必ず死を迎えるものである。言語自体が、この世界を限定しているからである。

 しかし、人間の意識はこの世界、死を超えていくことができる。

秘教は、人間自身が、変容を遂げ、意識を通常とは別の新しい形態へと変化させなければ意味がないと説くのである。






Last updated  2007年01月27日 22時12分36秒
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