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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2007年05月31日
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カテゴリ:よもや話
 3年、或いは6年経っても、立方体はやはり同じだが、百合(植物)の実生は変化する。

 何故なら、時間が百合にとって本当の意味をもっているからで、百合のなかに見るものは、4次元的な百合存在の3次元的なイメージに過ぎないという。時間とは、4次元の、或いは有機的な生命の、物理世界という3つの空間的な次元のなかへの投影、もしくはイメージであるという。

 連続するそれぞれの次元が一つ前の次元と、どのように関連するか、ということを明確にするために、次のような一連の思考を追ってみる。

 立方体は3つの次元をもち、3番目の次元をイメージするために、それが2番目に対して直角であり、そして、2番目は1番目に対して直角であることを想像する。

 それら3つの次元の特徴は、お互いに直角であることで、また第3の次元を次の次元、つまり、第4の次元から生じるものとして考えることもできる。立方体の表面に色をつけ、その色を、ヒントンが行ったように、特別な方法で取り扱うことを考える。

 ここで生じた変化は、正に3次元的な存在が時間上で発展し、それによって4次元に移行するときに被る変化に対応する。4次元存在のどこかを切り取るとき(つまり、四次元成分を除去するとき)、その存在を破壊することになる。

 植物に対して、これを行うことは、丁度、植物の姿を石膏に刻印(転写)するようなものである。

 植物がもつ4次元、つまり時間の要素を破壊することにより、それをしっかりと所持するが、結果として得られるのは3次元的な姿である。いかなる3次元的な存在も、その存在にとって、時間すなわち第4の次元が決定的に重要なときには、その存在は生きている必要がある。

 そして、今、5次元へとやってきた。この次元は第4の次元に対して垂直な別の境界をもつと考えられる。我々は、第4と第3の次元間の関係が第3と第2の次元間の関係に似ていることを見てきた。

 5次元に関するイメージはより困難だが、ここでも、何らかのアイデアが得られる類比を用いることができる。

 さて、次元というものはどのように生じるのだろうか?

 線を引くとき、その線が同じ方向(直線)を保つ限り、更なる次元が現れることはない。次の次元(軸)がつけ加えられるのは、2つの相反する方向、或いは力がある点で出会い、中和するときで、新しい次元とは力の中和の表現としてのみ生じてくるものだという。

 新しい次元を、線(軸)を追加することにより、つまり、その線(軸)のなかで、2つの力の流れが中和する線(軸)の追加として見る必要がある。その次元において、右から来る力と、左から来る力も想像できるが、例えば、前者の場合にはポジティブとして、後者の場合にはネガティブなものとして想像する。

 なので、それぞれの次元を力の対極的な流れ、正負の両方の構成要素をもつ1つの流れとして把握する。対極を構成する力の中和が新しい次元であるという。

 これを出発点として、5次元に関する心的なイメージを発展させる。4次元が時間の表現であることを知っているが、最初に4次元のもつ正と負の側面を想像する必要がある。正負の時間が意味をもつ、2つの存在が衝突する状態を思い描く。

 その結果は、先ほど述べた対抗する力の中和に似たものであるはずで、2つの4次元存在が結びつくとき、結果として生じるのは、それらの中和の5次元であるという。

 5次元とは対極的な力の交換、或いは中和の結果もしくは帰結であり、そこでは、お互いに影響を及ぼし合う2つの生命体が、空間に関する3つの通常の次元、或いは第4の次元、すなわち時間においても共有することのないものを生み出していると考えられる。

 この新しい要素は、その境界をこれらの次元の外にもっていると考えられる。それは感情移入、或いは知覚活動と呼ぶものだが、その能力はある存在に別の存在についての情報を提供するという。それは他の存在の内的な(魂的、精神的な)側面についての認識であるという。

 より高次の、つまり、第5の次元が付け加えられなければ(すなわち、知覚活動の領域に入ることなしに)いかなる存在も、時間と空間の外に横たわる他の存在の側面について知ることは到底できないという。

 当然、知覚活動を、この意味においては、5次元の物理世界における単なる投影、或いは表現として理解できる。

 同様の方法で6次元を構築しようとしても、あまりに難しくなるので、今はそれが何であるかを述べるだけにする。

 もし、これまでの線に沿って考えを進めるなら、3次元世界における6次元の表現は自我意識であることを見いだすという。

 3次元存在としての我々(肉体)は、我々の姿形という特徴をその他の3次元存在と共有している。植物はもう1つの次元、4次元をもっている。従って、植物の究極の存在が3次元空間のなかで見られることは決してない。真の植物をみるには、4次元、つまりアストラル領域にまで上昇する必要があるという。

 もし、知覚能力をもつ存在を理解したいならば、5次元、つまり低次のデーヴァもしくはルーパ領域にまで、そして、自我意識を有する存在(つまり、人間)を理解するならば、6次元、つまり高次のデーヴァもしくはアルーパ領域にまで上昇する必要があるという。

 我々が現在出会うような人間は、本当は6次元存在であるという。

 我々が知覚能力(感情移入)、自我意識と呼ぶものは、それぞれ5次元と6次元の通常の3次元空間への投影であるという。
 
 たとえ、ほとんどの場合は無意識的とはいえ、人間はこれらの精神的な領域まで、ずっとのびているという。その本来の特徴を認識できるのは、精神的な空間においてだけであるという。

 6次元存在の我々人間が、より高次の世界を理解するようになるのは、より低次の次元に特徴的な属性の放棄を試みるときだけであるという。

 1~3次元;鉱物界(球等が平坦になったもの)、
 4次元;植物界(エーテル界)、
 5次元;動物界(アストラル界、低次デーヴァ、ルーパ領域)、
 6次元;人間界(自我界、高次デーヴァ、アルーパ領域)

 なぜ、我々現代人は世界を単に3次元的なものと信じているのか、ということについて、ここで示唆する以上のことはできない。

 我々の観点は、世界をより高次の要因の反映として見る、ということに基づいていて、例えば、鏡のなかに見ることができるのは、自身の鏡に映った姿に過ぎないのと同じである。

 実際には、我々の物理世界の3つの次元は、3つのより高次の、原因による、創造的な次元の反映、有形の像(影)であるという。このように、我々の物理世界は、それに続く3つのより高次の次元グループ、つまり、第4、第5、そして第6の次元のなかに、その対極となる精神的な対応物を有しているという。

 同様に、第4から第6にかけての次元は、その対極となる対応物を、更にもっと遥かな精神的な世界のなかに、つまり、我々にとっては推測の域を出ない次元のなかに有するという。

 では、液体の水と、固体に凍った水(氷)について考えてみる。

 いずれの場合も実質は同じだが、水と氷とでは形態が非常に異なる。人間における3つのより高次の次元についても、同様のプロセスが生じていると想像することができる。

 人間を純粋に精神的な存在として想像するとき、自我意識、感情、そして、時間という3つのより高次の次元を有し、そして、それらの次元が物理世界における3つの通常の次元のなかに反映されていると考える必要があるという。

 水(液体)から氷(固体)への変化を、科学用語で相転移と呼ぶが、肉体(3次元)の人間は、6次元の人間の相転移のものである。なので、人間を真に知るには、肉体のみならず、エーテル体(時間;健康か病か)、アストラル体(感情;好き嫌い)、自我意識まで、視野を広げる必要がある。





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Last updated  2007年05月31日 21時48分26秒
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