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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2008年05月14日
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カテゴリ:神秘体験空間
 シュタイナーを学んでいると、あらゆる宗教の源流に辿り着く。特にキリスト教と仏教の融合には、驚く。

 そこで、キリスト教ばかりでは消化不良を起こすので、仏教についても、人智学的観点から書くことにする。

 例えば、ウィキペディアで、「八正道」を調べると、なんだかいかにも学術的専門用語(特に哲学用語がよくない)が並んで、全く意味不明なことに気づかされる。哲学用語は、あまりに形式ばっているので、無味乾燥で、イメージが沸かない。恐らく、書いている本人も分かってないのではないか?と思う。

 ウィキペディアは、さしずめ、優等生的見解といえるもので、確かに即席に知識を得るには有用だが、いわゆる東大生的回答、つまり、現代教育に実験管理されたモルモット的実験結果といえるものにみえる。

 要するに、知識の羅列に過ぎず、死んだ感じがするのである。

 では、実はあるホームページから失敬拝借しているのだが、良いことなので、人智学的観点の八正道を書きたい。

 ■週をめぐる毎日の訓練

 弟子は、通常の場合注意も関心もなく継続している魂の生の、ある種の活動に注意深い関心を払わねばならない。こうした活動が8つある(魂の意識的な向上に目覚めよ)。

 (釈迦の説いた八正道にあたる)

 当然のことだが、1度に1つの訓練だけに取り組むのが最善である。例えば、1週間か2週間それを継続し、次に第2の訓練に移るというようにして、また最初からやりなおすのである。

 また一方で、第8の訓練は毎日実行されるのが最良である。そうすれば、真の自己認識が徐々に実現し、いささかであれ進歩がすぐに知覚出来る。

 その後、土曜に始めて、約5分続く1つの訓練を毎日、8番目の訓練に加えて行っても良かろう。その結果、適切な訓練が時に触れ同じ曜日に来ることになる。

 こうすると、土曜-思考、日曜-決心、月曜-言葉、火曜-行動、水曜-振舞、木曜-習慣、金曜-記憶、翌週或いは毎日-吟味といったようになる。

(八正道では、土曜-正見、日曜-正思惟、月曜-正語、火曜-正業、水曜-正命、木曜-正精進、金曜-正念、翌週或いは毎日-正定)

 ■土曜(正見)

 自分の思考に注意を払う。

 重要な考えだけを考える。自分の思考の中で、本質的なものを、非本質的なものから分離することを少しずつ学ぶ。永遠なるものを無常のものから分離することを学ぶ。真理を単なる意見から分離することを学ぶ。

 同胞の話に耳を傾ける際、内的に十分静か(平静)になるように努める。あらゆる同意を無くし、あらゆる好ましくない判断(批判、否定)は更に静める。思考と感情の中でもそう努める。

 この訓練は次のように言える。

 正しい意見

 ■日曜(正思惟)

 最も些細な事柄すら十分に理詰めの思慮を巡らせた後で初めて決定する。何も考えていない振舞いの総て、無意味な行動の総ては、魂から遠く離しておかねばならない。あらゆることに、十分な手応えのある理由を必ず持つべきである。重要な理由のないことは何も決してしないよう抑制すべきである。

 一度ある決定の正しさを確信したなら、内(精神)的沈着で、それを固持しなければならない。
 
 この訓練は次のように言える。

 正しい判断

 この判断は、共感からも反感からも独立して形成されたものである。

 ■月曜(正語)

 話す感覚と意味のある言葉だけが、高次の発達を目指す者の唇から出るべきである。おしゃべりのためのおしゃべり(暇潰しのおしゃべり)はこの意味で有害である。

 通常の種類の会話、つまり脈絡のない言葉のやりとりは避けるべきである。これは、自分を同胞との交流から閉ざせという意味ではない。正にそうした時にこそ、話が徐々に意味深いものに導かれるべきなのである。

 あらゆる側面を考慮に入れて、話と言葉の一つ一つに思慮深い態度を取る。理由もなく決してしゃべるな。喜んで沈黙を守れ。しゃべり過ぎてもいけないし、しゃべらなすぎてもいけない。まず静かに耳を傾けよ。それから言われたことをよく考えよ。

 この訓練は次のように言える。

 正しい言葉

 ■火曜(正業)

 自らの(外的)行動が、同胞の混乱を招くものであってはいけない。自らの内的存在(判断)から行動することを、機会が求める場合、その機会にどうすれば最もよく見合うことが出来るか、注意深く思慮を巡らせ。全体の善のために、人間の永続する幸福のために、永遠なるもののために、細心の思慮を巡らせ。

 自身から物事をなす場合、自身の自発性から物事をなす場合、自分の行動の影響を前以て徹底的に考察せよ。

 この訓練は次のように呼ばれる。

 正しい行為

 ■水曜(正命)

 秩序ある人生。大自然と霊性に調和して生きよ。人生の外(表面)的な些事に拘泥するな。不安と急ぐ思いを人生に持ち込む、あらゆるものを避けよ。何者にも慌てるな。かといって怠惰にもなるな。人生を、高次の発達(進化)を目指して働く手段と見なし、それに相応しい振舞いをせよ。

 この関連は次の事を語っている。

 正しい立脚点

 ■木曜(正精進)

 人間の営為。自分の力の及ばないことをしないように注意を払うべきである。と同時に、自分の力の内にあるものは、必ずやるように注意を払うべきである。

 日常の存在と瞬間的な存在の彼方を見よ。そして人間存在の最高の義務と関連する目的と理想に自らを向かわせよ。例えば、これまでに述べた訓練の意味で、同胞の助けとなったり助言者となることが、後に、より一層出来るように、自分自身を育成するように努めよ。もしかすると、その目的はすぐには叶わないかもしれないが。

 この訓練は次のようにまとめられる。

 これまでの訓練が習慣になるようにせよ。

 ■金曜(正念)

 人生から出来るだけ多くを学ぶように努める。

 人生に役立つ経験を得る機会を与えずに、何者も私たちを通り過ぎはしない。間違ったことや不完全なことをしたなら、それこそ、後でそれを正しく、或いはもっと完璧にする動機になる。

 他の人が何かしているのを見たら、それと類似の目的を展望に収めて、そのような人を観察する(冷たく、もしくは無慈悲に眺めることはない)。人間は、自分の決定と成就に役立ち得る過去の経験を振り返らずに、何も行えないものである。

 人は誰からも学ぶことが出来る。もし注意深ければ、子供からも学ぶことすら出来る。
 
 この訓練はこう呼ばれる。

 正しい記憶

 (経験から学んできたことを覚えておくこと)

 ■翌週-総括(正定)

 これらの訓練と同時に毎日たとえ5分間だけでも、時に触れ自分の眼差しを内に向ける。そうする際に、自身の中に深く沈み、注意深く自らと話し合い、自らの人生の原理を試し、形成し、思考のうちに自分の知識を(あるいは知識の欠如を)経験し、自らの責任をはかり、人生の内実と真の目的について思いを巡らし、自分の誤謬と不完全さを苦痛を持って純粋に感じる。

 一言で言うと、本質なる存在、永続する存在を発見するように労苦せよ。そして、それに調和する目標を真剣に目指せ。例えば、美徳を獲得せよ。(何かをうまくやったと思う間違いに陥るな。更に高い目標に向かって、もっと努力するようにせよ。)
 
 この訓練はこう呼ばれる。

 正しい吟味

 とにかく実践あるのみ。





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Last updated  2008年05月14日 22時01分31秒
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苦集滅道   もうり さん
自分なりに
シショウタイを理解した。
苦。迷える人は
苦の中にある。
迷える人とは
真実の世界から
離れてしまった人のことである。
集。
迷える人は心の配分を
偏らせる。それが苦の原因である。
心の配分が一方にしかないから
もう一方の状態になったとき、
失われたように感じられ、
苦しむのである。
滅。その苦しみを滅する方法は、
上にも下にも、無にも有にも、
つまりもう一方の状態にも
心を配分し、全面的に心を配分し
整理することである。
道。
その方法が八正道である。
八正道は生活のあらゆる
面で全面的であることを
目指す。八の内の一つ一つが
中道、つまり全面的である。

また、そのためには
持続的な忍耐が必要となる。
なぜならば、苦しむということは
その方向へ心が配分されていない、
ということであり、苦しみを
持続してその方向に取り組むことで、配分することができるからである。つまり、
苦しみは来世で意志となる。

以上が、
要するに「愛」である。
今は「力」の理解を
求めている。

力がなければ
物事の実現はなしえないが、
愛がなければ
根本的な苦しみ、
存在の苦しみは
癒えないし
解脱もしない。

(2019年01月03日 20時55分38秒)

全面性と全体主義   もうり さん
そして、
念のため。
全体主義は
全体って
ついてるけど
権力一極集中なんで
部分主義です。

八正道における
全面性と
意味が違います。
そこを注意。 (2019年01月05日 20時55分05秒)

正しい判断の一例   もうり さん
正しい判断の
一例
今から何をすべきかを
まず考える。
事実から当為は生じる。
すなわち、必要という
事実からである。
そこで、概念有機体を
検索する。
それは私の場合、
真美善、食衣住薬労働である。
そしてこの中から、
必要なものを選ぶのが
正しい判断で、
正しい言葉の
意味のある言葉とは
この正しい判断内容を
目的とする。
仮に食を選んだとして、
ここで多めに食べるか
必要限度を守って食べるか、
少なくするかを調整する。
あるいは、明日の
食事は何かとかの
判断かもしれない。
こうして目的を調整した
後に、手段を調整すること。
これは応用自然学となる。 (2019年01月10日 15時07分36秒)

目的の調整   もうり さん
目的の調整が、
誰かが嬉しいときや祭りの時は
共に喜んで多めに、
悲しいときは共に悲しんで
少なめに、
平時は必要限度を
守るとする、
宗教の一つの教えである。
共に喜び共に泣くというのは
目的の調整である。 (2019年01月10日 15時11分26秒)

二種の力の理解   もうり さん
力の理解は
果たされた。

精神面と
物質面の
二種あり、
国家や社会を
いかに善くするかとか
善き国家とは何かの理解と
応用自然学のことであろう。

そして、
力の理解を
果たしても
「肉体」が足りない。
例えば肉体とは
物質面では自然科学や工学。
精神面ではなんだろう?
たぶん実際の労働や
社会運動かな

(2019年01月10日 15時54分44秒)

物の真理と三位一体   もうり さん
既に
自然科学の
中にロゴスが
含まれているので
自然学を
自然科学の理解に
役立てることができる。

また、
物の真理、
肉の真理とは
次の三位一体であろう。
粒子と波動と量子である。

量子は「粒子にも波動にも
なるもの」として、
「中」なるものである。
だから、
自然科学に既に
三位一体が含まれているので
あとはそれを理解のための
フックにしたらいい。

例えばエネルギーは
質量でもあるってのも、
エネルギーと、質量(物質)
を媒介する、その「中」が
あることを示している。

また、
簡単にするために、
全ての物の真理は
粒子であるとしていても
いいかもしれない。
つぶつぶのイメージが
全ての物質に遍く適応してみること。まさに、量子や粒子、波動が
物質における普遍であると
わかる。
あと、エネルギー(力)
も、そもそもロゴス的であるということ。例えば力の合成にしても
そうだ。

だから、
繰り返すが
自然科学の理解の方法として
自然学がある。

でも私には自然科学は
向いてないぽいけど。

また、応用自然学とは
普遍的な技術であろう。 (2019年01月11日 10時56分45秒)

論理学と数学のロゴス   もうり さん
例えば数学の
ロゴスはトポロジーや
そもそも大中小という量、
論理学のロゴスは
三段論法とか
「概念」

言語自体に
関しては例えば「文型」という
「核」

社会はプラウト主義や
社会三層論、
君主制と共和制の統合や
三権分立という考え方

哲学や宗教から愛、
技術、自然、社会、
言葉、論理学、数学に
至る全てを
三位一体が貫いている、
私が信仰しているのは
私が単に盲目に信じている
わけじゃないと
理解いただけただろうか?

都合よく抽出するだけで、
ここまで様々な領域で
三位一体が出現するだろうか?

感覚的にも三位一体の
ロゴスは現れていて、
例えば光は、
光と様々な色彩などとして。
また地球とその上に住むものたちなどとして。

このようにして
信仰しつつ、確認するような
ことをしているので、
神はいる、そして神がいるなら
魔術はある、霊はあると
なって人智学や密教を
学ぶようになるわけです。

キリスト教やイスラム教、
仏教などのどれかが真理なのではない、全てを真理が貫いている。

(2019年01月11日 11時30分59秒)

孤独な性   もうり さん
それで、
私を単に信仰してる
だけで思い込みだと
唯物論者から思われたり
キリスト教以外は
真実ではないとか、
聖書だけが神の言葉であるとか
周りには偏った認識の
人たちばかりなんで
精神的に孤独である。




(2019年01月11日 11時43分47秒)

二元論は雑じゃない。   もうり さん
ちなみに、
二元論や
三元論は
雑じゃないというか、
雑では終わりません。
展開すれば
複雑になっていきます。

易を読めばわかるが、
それが展開すると
8卦とか64卦と、
原理が増えていきます。
(2019年01月11日 11時55分43秒)

権利と義務の関係   もうり さん
権利は
他者や国家に
対して権利所有者への
義務をかすることだろう。

例えば自由権とは
国家の国民に対する義務である。

だから、
国家が権利を主張するなら
義務を果たせというとき、
そもそも国家も国民に
対する義務を守れと言わないといけない (2019年01月11日 13時33分44秒)

仏国土   もうり さん
仏国土、
慈悲のある国。
国における
八正道実践とは
何かを探求すればいい。
国が、あらゆる方向の
苦を取り除き必要を
満たし丸い国を
作ること。
(2019年01月11日 14時21分12秒)

国家の目的、国家における慈悲   もうり さん
権利とは
自分に対する他者の
義務や、国家の国民に対する
義務である。

言い換えるなら、
権力の目的は権利であり、
権力のエネルギーは
権利へと流れていく。

安部首相が、
憲法は理想といい、
人々が、憲法は縛りだという
ことをまとめると、
憲法とは国とは権利を
目的とする権力であることに
なると思います。

食事などは
経済が目的とし、
国は人々の間で、
権利が守られていない、
権利の欠如しているところに、
権利を与えるのが目的である。
そして必要なら新たな権利を
作る。こうして、
権力が全体として
平等を実現する。
資本家などは
既に基本的な権利が
満たされているから、
労働者に権利を与えることで、
資本家と労働者との間を
平等にする、
国家の究極目的は平等であると
わかった。
それは個々の権利に分解される。
権利が欠けていれば与える、
これが国家の正しい判断となると
思います。

経済が食や衣、住を
目的とするように、
国家は諸権利を目的とする。
(2019年01月11日 16時33分05秒)

正しい行為と法律   もうり さん
国家の
目的が
権利であると
わかったが、
ではそれは
いかにして実行されるだろうか?
それは法律制定による
社会操作によって達成されるだろう。しかも、権利を
守り実現するための制定なので
違憲じゃない。

だから、
国家自身も
公務員などに対して
不正を禁ずる法律を
作るべきだし、
有害な資本家が
でないような
法律を定めるべきだろう。
ここはよくわからないので
みなさんに任せます。

憲法は国家の目的という
側面があり、
法律はその、権利実現、国家の
活動という側面があると見た。

だから、
結局、
女性の権利なども
法律で定めればいい。

しかし、
表現規制問題などがあり、
難しい (2019年01月11日 17時10分18秒)

共同体自治 リトルバスターズ   もうり さん
共同体自治は
本は読んでないんで
無学ですが、
上記の文脈と
リトルバスターズの
アニメのコメントで
イケメンリーダーが
ケンカのルールを
決める時に自治厨って
書き込まれていたのと、
また、
仏典の律蔵からしたら、
自治とは
目的に方向付けられた
組織構成と戒律の設定によって
成り立つのかも
しれませんね。

だから、
やれる
女性大学ランキングなんかも、
学ぶという大学の目的に
とっては有害な記事だろう。
大学は、
そもそもヤリモクではなく、
学ぶことを目的とする
場所だから。
大学にヤリモクの人間が
入ってきたら、
学ぶという目的が
揺らいでしまう。
(2019年01月11日 18時21分14秒)

フィルターを使いこなす   もうり さん
フィルターがない
ことを誇る人は
無自覚的にフィルターを
使ってると思う。
実在論というフィルターを。
それは、
椅子の原理を、
そのまま椅子だと思うような
フィルターに過ぎない。

私は3つのフィルターに
自覚的だが、
シュタイナーによれば
ゾディアックに
対応して二十三の世界観の輪があるらしい。そして、
その輪の中に可能な世界観が
全て含まれているらしい。

このように、
真理が明かされているのに、
人智学を学ぶ人が
いないの、
本当にもったいない。
というか、
私のように、
現実から原理を
直観できないといけない。

例えば
自然科学においては、
私は2つのフィルター、
すなわち観念論とアトム論的な
眼差しで考察する。

私が自覚的な
フィルターは
アトム論と観念論と
実在論である。

フィルターがないのを
誇る実在論者は、
真理は自己形成される
という芸術的側面が
あるのを忘れている。
ゾディアックに対応する
ぐらい豊かにフィルターを
もって、多角的に考察することが
真理に近づいていくわけだ。

だから、
実際、
私は考察を深め
八正道の考察を深めて
いって、曼荼羅の夢を
見て、イメージに
意識集中する瞑想を
してたら、
十字架がだんだん
曼荼羅に変容していくという
体験なども生じるのである。 (2019年01月11日 19時25分54秒)

自由主義的実践   もうり さん
自由の哲学と
関係する。

自由主義的実践
というのもあると思う。
それは自分の
感情のフックに
引っかかる理念を
集めていきまとめていき
自分の哲学を生み出して
生活するというものである。 (2019年01月11日 21時25分35秒)

労働道、労働者の救済   もうり さん
普遍的技術が
応用自然学だったが、
具体的技術としての
労働の三位一体を
追加しておく。

これで、
労働も意味深くなる。
本当に救済されるかどうかは
やってみなければわからない。
しかし、三位一体の
イメージを好むので、
私はやるかも。

行動意欲を生じさせたいなら、
自分の好きな哲学的原理を
もてばいい。

労働の三位一体とは
作る仕事、つなぐ仕事、売る仕事である。

私は
今の労働だけでは
一面的だと思っていたが
ようやく三位一体の
意味で労働や技術が
全面的であるとは
どういうことか
わかったわけだ。

作る仕事と売る仕事の
間を媒介するのが
つなぐ仕事である、
通信業や流通である。
ようやく、情報通信業の
価値がわかった。
例えば、ホームページを作っても、
売るのは食べ物じゃんとか
思ってたが、
そもそもホームページの
価値はそこじゃなくて、
その食べ物をホームページを
通して客につなぐことに
あるというわけだ。

他にも解釈できるだろうから
任せます。

仕事に宗教的意味を
もたせることで
労働者のためになるかなと
思ったんで。

労働道です。
私は人生で、
この3つの仕事に
転職したい。
残るは2つだけど。

あと、
具体的技術なんで
普遍的技術の
応用自然学と
違って、1つ1つ当たって
いかないといけないのがいい。

(2019年01月11日 23時41分26秒)

在家で野良僧でも   もうり さん
これで、
労働にも
道があるのだから
将来機械が
労働を奪い過ぎないよう
注意すべきだし、
また労働にも
道があるのだから、
出家しなくても
救われることが
可能かも
しれない、ということに
なった。

出家と在家との
「中」なる
第三の生き方がある、
ということだ。
(2019年01月12日 00時10分05秒)

よし終了   もうり さん
叡智、愛、力、肉体、
ときて、三位一体の叡智が
これらを貫く。
肉体は自然科学と労働と
社会運動とみて、
自然科学にも三位一体が
見られるけど、
自然科学の言葉で
理解しつつ自然学をも
把握しておくこと、
労働にも三位一体が
あり、これは応用自然学で
遍く理解できつつ、
個々の技術にもなること、
そして社会運動における、
また共同体自治は、
目的とその実現のための
戒を、律蔵のように守るなら
仏教のサンガのように、
長らく持つかもしれない、
ということ。

そして、
在家、労働者の領域さえ
三位一体が
貫いている、
ということだから
労働自体が既に
三位一体を進むなら道でありつつ(在家の救済)、
出家も道であるわけだから
その中間の生き方もあるだろう、
というわけである。

ブッダの時代は
言わば王者と苦行僧の
間の道を歩いたというわけだが
彼はそこから
出家と在家という、
新しい角度を切り出した。

としたら、
次の生成は
出家と在家の
間を進む、ということかもしれない。

以上がまとめ。
終了。 (2019年01月12日 00時26分41秒)

必要(適応)と自由の統合   もうり さん
八正道は
必要を行うことだと
言ったが、
これだと適応的だから
動物的だという
勘違いがある。
そこでメタ八正道を
想像した。
つまり、そもそも
必要なだけ必要なことを
する、つまり、必要なだけ
適応するという考え方でいける。

明らかに
食べないといけない。
その意味で
明らかに適応は必要である。

だが、
そもそも八正道とは
簡単に言うと必要なことを
必要なだけやるだけなんで、
気功の一種という側面も
あるんで、そのうち
力が漲るだろう。

だから、
その余った力で
力強く突き進めば
いいわけだ。

ちなみに、
別に寒ければ
厚着を着るくらいは
過剰適応ではないだろう。

こうして、
精神(自由)と
自然(適応)の
統合は果たされた。

そして、
私も個人的目標を
探したい。

つまり、
八正道は、
正しい道である
とともに
自由の可能性を
残しているというわけである。

なるほど、
つまり
八正道は
完全な球形であるように
見えてその球形は
普遍的部分とされ、
無我の境地とされるが、
個人主義の現代の
時代には、この
無我に自我が伴っている、
ということであろう。
心を完全にしつつ、
その上に自由に
家を建てるというわけだ。
こうして、
単に普遍的でしかなかった
八正道に個別性が
加わりそれ自体が
中なる、より完全なる
八正道となった。

経済も同様に、
気功を行ずることと同様の
効果を生じさせて、
かえって力を漲らせられない
だろうか?

例えば荒波に逆らって
ぐんぐん進む船は
自由のシンボルだとしても
やはり水面に浮かばないと
いけないという意味で
必要なだけの適応は
しているわけである。 (2019年01月12日 04時33分24秒)

八正道とフランス革命   もうり さん
無我と
自我が統合されたと
いったが、
それは社会的には、
自我の「権利」を認めるという
形で、無我と自我との
間に、平等を形成するからである。

無我は愛だといった。
自我は自由である。
その間に平等がある。

こうして、
フランス革命が、
単なる民族主義的なものではなくて
八正道にも通じるものだと
明らかになった。

平等だけでも
自由だけでもない (2019年01月12日 07時50分49秒)

胎蔵曼荼羅の秘密   もうり さん
胎蔵曼荼羅を
会得するための
方法は菩提心が
発揮されて、修行するという
ステップを踏む。

修行するとは
三密の行と大悲の行である。
これは自利と利他であり、
言い換えるならば、
八正道における
布施の面と正定の面であろう。
ここに、秘密がある。
布施とは私のものであったものが
あなたのものとなるという
形で対象意識を離れる方法である。
そして正定とは霊的なイメージに
集中することで世界の真理であったものが私の中に形作られるという
方法で、対象意識を離れる方法である。
この両者によって主観と客観の
対立を超え、絶対知に至る、
というわけである。
ここに至れば
おそらくなんらかの
神通力を使えるようになる
可能性もある。
なぜなら宇宙とつながるから
つまり、
ヘーゲルもヘーゲルだけ
読んでいたら、理解できない。 (2019年01月12日 12時59分32秒)

三位一体哲学批判への反論   もうり さん
三位一体的、
三角形的にもなる
この哲学に
ありうる批判として
雑というのがある。
都合よく抽出し
抜けている要素があるのでは、
と。
そういう人はもしかしたら
自然言語的思考による
抽象化を評価しないのだろうか?
雑多なことを
一つ一つ数え
上げていくというのも
具体的感覚的な知性だが、
抽象化も知性であろう。

そして、
三角形のイメージや
三位一体のイメージは
仏教でも
一切如来智院としてあり、
また十善戒にも3つずつ
現れており、
キリスト教はもちろん、
古から続いている
伝統がある。
この智は、
霊的世界から
取ってこられたものであるので、
三位一体の抽象を評価できないのは
むしろあなたがたの理解に
穴があるだろうことも忘れないで欲しい。私は、あなたがたよりも
解脱したブッダや
キリストのほうが
賢いと思ってるので。

そもそも三位一体の
三角形のイメージは
数学が原理なのではなく
数学の存在根拠すら説明可能とする、
霊性を表現する方法として
形に現しているだけではないだろうか。

宗教的原理が
数学なら、そもそも
数学だけあれば
よいわけでね。



(2019年01月12日 17時50分29秒)

高ぶり   もうり さん
すみません、
人を人とも
思わないような
高ぶった人を
みかけたもんで
怒り混じりです (2019年01月12日 18時21分53秒)

数理主義と観念論   もうり さん
数学的人物による
観念論批判、
三位一体哲学批判、
これ数理主義者が
数理主義の原理で
観念論理解しようと
するのがそもそもの
誤りぽい

数学者が
哲学を厳しく
批判しても、
それは数学者の
理解範囲の限界を
示したに過ぎなかったのでは
(2019年01月12日 18時46分10秒)

出家的在家者の生き方   もうり さん
出家的在家者の
生き方は、
天に方向付けられた
生き方。

愛し合うこと。
愛し合うことは
内的な、天を目指す生き方である。
だから、むやみに人脈を
増やすのを避け、
愛し合える人と愛し合うことである。
外的なものにおける、
天を目指す生き方。

そして禅定すること。
禅定は、霊的なイメージに
集中し、自己の中に安定した
心を作るものであるから
世の中に出る行いに
対して内的な営みであり、
天を目指すものである。
スマホや本に吸いつけられ、
ネットという世の中の思い煩いや
アナログ世界という世の中の
思い煩いから離れる側面もあって
バランスがとれるという
意味でも内的な営みである。

また、布施することも
前のコメントにある
通り、天を目指す生き方である。

結局は、
八正道の生き方に、
キリスト教の
愛し合うことを
加えたということ

食事、胃のために
生きる生き方は
逆説的だが、
天の食事にとっては
バナナを食べようとして
その皮ばかり集めるような
生き方である。 (2019年01月13日 10時28分34秒)

キリスト教的三密   もうり さん
キリスト教的三密の
創造。
学者陣が
慎重なのは
いいけど、
未来で生まれるのを
待ってたら死ぬので
自分で作る。

意密…十字架のイメージに
集中する
口密…主の祈りを唱える
身密…智拳印

私の正定は
これでいきます。
叡智、愛、力、肉体は
そのまま
ヨハネ、ルカ、マルコ、マタイに
対応し、
ヨハネ、ルカ、マルコの
3つで十字架が形成され、
マタイはこの十字架を
その3つに区分したものとして、
十字架自体に含まれています。
この3つの器ということです。
またこの4つは
自我、アストラル体、エーテル体、
肉体に対応します。

そしてまた、
十字架は互いに敵意なく
一体であることが、
垂直的にも水平的にもなされる
という平和のシンボルでも
あります。

従って十字架は
霊的なイメージであり、
主の祈りが口密に
使えるのは言うまでもないでしょう。

そして、
身密で、
なぜ智拳印を使うのかと
言えば、
これも全てを貫くことを
示しているからと
思うからです。

出家的在家は、
結婚しても大丈夫。
愛し合うことができたら
それが天へと向かう行
となります。

キリスト三密によって
キリストと入我我入できるかも
しれません
(2019年01月13日 13時47分24秒)

宗教は言葉で現せないの意味   もうり さん
宗教は
言葉で
現せないの意味、
ようやくわかりましたね。
人間の数学でさえも
宗教を理解することが
できないのだから、
確かにそれは
人間の思考を超えていた。

ただ考える際の
方法として論理学や
数学を使わざるを
えないだけで (2019年01月13日 13時54分46秒)

智拳印の叡智   もうり さん
智拳印を
観察してわかったのは
左拳と右拳が、
立てた人差し指によって
結びつく、みたいに
なっていて、
まるで左拳と右拳、
その間の、「中」としての
立てた人差し指、みたいに
なっていて、
これ確かに三位一体に
なってるなと確信した。 (2019年01月13日 14時00分54秒)

キリスト三密の訂正   もうり さん
キリスト三密の
訂正。

意密は、
心の中に念じる
というより
十字架像という
物に意識を集中する、
観法瞑想法。

一定に集中するから
禅定と特徴は一致する。

(2019年01月13日 15時33分44秒)

念仏で救われるか?   もうり さん
念仏は
以前の私なら
疑っていたが
これ、霊的な
イメージや対象の
瞑想に対して、
霊的な言葉によって
心の中に霊的側面を
形成する瞑想だと
考えると、信じられるように
なりました。

そして、
三密とは、
念仏を口密の
一種とみた、
瞑想における
三位一体であろう。
しかし、
密教の場合、
念仏というか、
真言となっているが

ヴィッパサナーは
どちらかというと正念
だと思います。

で、
正念が気づきや
学びのことだとすれば
その三位一体は
哲学、数学、自然学や
哲学、芸術、宗教や
自然科学、神智学、人智学や、
はたまた
人文科学、社会科学、自然科学、
とかになるだろう。
あるいは、
「叡智、愛、力の三位一体と、
この3つの一つの器としての
肉体」などとなる。
または、
理論、経験、実践とかね。

こうして、
正念と正定が
示された。

(2019年01月13日 16時13分06秒)

金剛界曼荼羅を見た理由   もうり さん
私が
金剛界曼荼羅
見た理由、
もしかしたら
どの学問も
毛嫌いせず
学んできたから
かもしれない。

一部の数理主義者が
哲学を蔑んでいる間に
私なりに古典数学や論理学を
学んできた。
こうして全面的に
学んできた。

おそらく、
ひょっとしたら
キリスト教でも
本当の救いは
プロテスタントにも
カトリックにもなく
全てを学ぶところに
あるのではないか。
ここは
ロシア的キリスト教と
ヨーロッパ的キリスト教と
ラテン的キリスト教の
三位一体が本当の
キリスト教だと、
シュタイナーが
「神仏と人間」で
言っていたと思います。

イスラムでも、
シーア派とスンニ派で
相争っているが、
両者をどうにか総合し、
再び一つにするところに
救済があるのではないか。

例えば、
そもそも即身成仏へ
至る方法としての
三密が既に総合的である。

つまり、
救いのヒントは
平和にあり、
平和を作り上げたら
救われるのではないか。 (2019年01月13日 17時34分37秒)

学問的博愛主義   もうり さん
つまり、
確かに
憎悪するかどうかは
個人の自由であるが
私の場合、
学問的博愛主義によって
曼荼羅が発生(救いの一種)
なのだろう。

八正道も博愛的なんで。 (2019年01月13日 18時01分08秒)

心の完成   もうり さん
つまり、
心が統一され、
完成したから、
本当の心の平和が
やってくるのが
仏教であるように、
平和になったから
救済されたから
人々が一つになり、
完成していくのではない、と。

まず完成していくことが
一つになっていくことが
救済の前提だと。

(2019年01月13日 18時31分31秒)

Linuxの哲学的側面   もうり さん
Linuxにも
哲学的側面があることに、
注意しよう。
例えばpwdとlsの
中がcdであり
これを
上と下を行き来するもの、
とイメージするなら
これが下に生み出して、
上に引っ込む(消滅)もの
という風にしてmkdirと
rmdirへと進化すると
総合できる。

このように、
技術にも霊性を
生み出していけるわけで、
このようにして、
有機的に技術を結びつけていく
ところに、全てを貫通する、
という単に外的にできるように
なるだけでなく技術の真理を
直接把握する近道があると
思うので、哲学のフィルターを
毛嫌いする人はもったいない。

こうして、
哲学的方法によって
全ての技術を
生き物のように
結びつけて
大総合的技術百科の本を
書くことも本当は可能な
はずである。
でも今は哲学的人物と
実学的工学的人物が
分離してるみたいなんで
もったいない。
この大技術百科を
教科書に、
普通科が諸学を
学ぶような仕方で
普通技術科が
登場し、
あらゆる技術を
学んでいくという未来も
ありえる。
そうすると、
普通科も、
単なる理論的普通科と
このような実学的普通科が
あわさった本当の普通科
みたいな未来もありうる
わけだ。

つまり、
完成していく、
完璧になっていく
ところに救いがある
というのは技術者にも
当てはまるわけだ。
その完成は
技術においても
一つ一つをリンクさせていけば
いいわけだ。

(2019年01月13日 19時44分19秒)

十字架と博愛平等自由   もうり さん
十字架は
平和の
シンボルと
いったが
どうやら
平和の構成要素は
博愛平等自由だと
直観した。

十字架は、
垂直的にも
水平的にも、
つまり全てに
対しての博愛であり、
また垂直的にも、
水平的にもという時点で
平等を示し、
そして
この上を自由に万人が
移動できるとしたら
それは、博愛による
全てへの道と
平等による
全てへの道が
敷かれた時であることを
現しているように
思います。
こうして、
全てへの道が
開かれている状態で、
己の特に愛するものを
目指してどこにでもいける
というのが理論的理想だろう。

フランス革命の理念は
一言で言えば平和だということ。

つまり、
シュタイナーの
社会三層構造論は
マルクスを
理念としては超えていること
になる。
マルクスは
平等の理念だと
思っているが
シュタイナーは
直接言及している
わけじゃないけど
平和の理念を
説いているわけだ。

しかし、
この平和は、
構成要素を三分節
することで成り立ち
混合してはいけない
ようである。

つまり、
私という
新左翼の理念は
平和であって
平等ではない。

左翼の
間違い、そこに
あるのでは。
平等ではなく、
平和を掲げていくっての
大転換では。
左翼自体を革新したぽいな。

なのに、
シュタイナーの
社会三層構造も
マイナーなんだよなあ…。 (2019年01月13日 22時21分01秒)

義務のあるべき姿   もうり さん
抽象的だが、
義務のあるべき姿は
それを守ることによって
全てへの道を開き、
そのことによって
自分の道を歩めるような
ものだろう。

博愛と平等は
自由ではない代わりに
全てへの道を開く
ようになっている。
ここに自我を
置いて自分の道を開くわけである。 (2019年01月13日 23時09分49秒)

私の方法の欠点   もうり さん
私の方法の
欠点は
弱者を、
苦しんでいる
人間を救うための
方法であるべきはずが
そもそもある程度
意識高くなければ
できない、ということだが
たぶん大丈夫だろう。
なぜなら、
私もはじめから
いろいろなことに
関心をもって考えたり
勉強してきたわけじゃないからである。
回心体験をした後、
勉強意欲と周囲への共感が
出てきたんです。
で、なんで回心体験が
生じたのか。
それは苦しんで休学してた
私を同級生が訪ねてくれ、
感謝の念が生じたからで、
これ、今わかったことなんですが、
これ単に良い人間関係で
体験したというか、
ヨハネ福音書に書いてあるように
「愛し合う」ことによって
キリストの天のパンを食べた、
ということでしょうね。

また、弱者は、
その苦しみが、
既に精進なんですよ。

(2019年01月14日 00時23分13秒)

私の宗教的経過   もうり さん
つまり、
私の宗教的経過は
愛し合うことで
キリスト意識が
生じ、
キリスト意識が
生じることで、
小さな信仰と小さな博愛と、
ある程度の全面的意志、
勉強意欲が生じ
全面的に学び
考えを自分なりに
完成させていくことで
オリジナルの
金剛界曼荼羅が
生じ、
今は本に吸い尽くような
読書ではなく
行いと瞑想によって
ぼっちで未婚である
機会を利用して
キリスト的胎蔵曼荼羅を
自ら生じさせることに専念しよう
としている
野良密教者になった、
という精神現象学です。

この先は、
成功すれば、
胎蔵曼荼羅が
生じ、
キリストが
私の中に入ってくる
形で即身成仏となるわけだ。



(2019年01月14日 00時52分40秒)

心の完成を考える   もうり さん
自分の
心の完成度合いを
考える。

例えば、
私は童貞でも
苦しくないし
今のような
低賃金でも
苦しくない。
しかし別に、
童貞を卒業したから
といって苦しみは
しないだろうし、
賃金が上昇したからとて、
苦しみはしないであろう。
また恋人がいないからとて
苦しくはない。
しかし恋人がいることに
反発を覚えはしない。

また、
人前での沈黙は
気まずい、という人もいる。

しかし、
私は沈黙を楽しめるし
話すことも苦痛じゃない。

このように、
どちらにあっても
苦しくはないという
心が、執着を離れた
心の具体例、
感受的測定法ではないだろうか。

だから、
確かに心の愛着の
配分を全方位に円満するのが
苦しみから逃れる方法である、
という私の理屈は確認されたと
思います。
そして、
その方法が八正道だ、
ということだ。
上記の例は
私の心が部分的に、
扇形になっていると
イメージもできますね。 (2019年01月14日 02時14分53秒)

超民族主義   もうり さん
人生には、
価値観の大転換や
全く真逆の価値観になる
人や、
海外に行って価値観が
変わる人もいるようである。
それは、
ブッダが、
贅沢な生活から
苦行僧の生活を
するようになったことを
想起する。
つまり、
その人生にあると
言われていることも
人間を中道に至らそうとする
導きと思われる。

例えば、
物質的な価値観に
染まっていた人が、
宗教を学ぶようになったり。

中道からすれば、
海外で生活したい人は、
日本とは真逆の価値観で
生活する国を探してみては
どうだろうか。
その後、中間の価値観に
至ればその人は日本人を
超えたわけである。
大変だろうけど…

日本国民自体を
さらに全面的な存在へと
進化させる。
国民に対する国の義務が
権利の実現であるとして、
海外に対する国の目的は、
真逆の価値観の国を
見いだし、互いにお互いの
価値の長所を認め、総合する
ことでそれぞれの国民性を
進化させ同時に平和を
築くことにあるのでは
ないか。

経済的国益ばかり
求めても何もしてないように
思える。

(2019年01月14日 03時12分27秒)

苦を楽にすること   もうり さん
なんで
私が童貞でも、
結婚してなくても
ぼっちでも、
低賃金でも
苦痛ではないかというと
それは思索が
楽しいので、
それら全ての状況において
楽しさを見いだせるからだろう。

つまり、
苦しみを感じるというのは
その状況の要素のどれもに
楽しみを感じないからだろう。

だから、
仕事も、金儲けが
楽しいと思えば
苦痛ではない人間もいるわけだ。
こういう人は
今の社会でも労働を
自由に行うわけだな。

そして、
予感することは
人間の苦しみの
根本は、個人のみを
見たとして
思考の貧しさ、
感情の貧しさ、
意志の貧しさ、
この3つで全て
説明つくのではないかということ。

私が、
なぜ働きたくないかというと
動き出すのが苦痛だから。
動かないで安楽に休んで
いることが楽しく、
動き出すことが楽しくないから。

では、なぜ動くのが
楽しくないかといえば
疲労に苦痛を見いだすからである。

そして、私は、
筋トレしてた頃、
無限に動ける!みたいな
体験をして、動くのが
楽しかったのを覚えている。
つまり、筋トレによって、
動いても疲れないように
してやれば、
私の仕事の苦しみの
原因は取り除かれる
と予見します。 (2019年01月14日 04時27分29秒)

利他業   もうり さん
労働が
楽しくないの、
筋トレで解決せず
他者貢献を
目的にできるように
なって解決したい (2019年01月14日 09時31分32秒)

感情生成 中道の三位一体   もうり さん
中道も、
中ばかり選ぶん
じゃなくて、
過剰、中、不足の
三位一体、ということで、
これが喜びと悲しみを
共にし、それに応じた
生活をし普通の時は普通にする
という選択になったり、
博愛、平等、自由となったり
します。

感情の生成論

感情の発生は
長所の認識が
出発点であり、
繰り返し認識したり
触れていくと、
愛着が生じ、
感情が深まっていく
ようである。
愛着が生じた後の
プロセスをユングの
アニマ論は語っていると
思います。
(2019年01月14日 20時37分14秒)

生活の三位一体   もうり さん
生活の三位一体

肉食ー主食ー菜食
コーヒーー水ーお茶
カジュアルーフォーマル (2019年01月16日 12時39分51秒)

最強とは何か   もうり さん
ようやく、
強さとは
何かが
わかったということです。

心を完全にすれば
「本当の愛」が生じ
本当の愛が生じれば
解脱できる。

つまり、
仏の慈悲こそが
完全なる
心の武具となるわけです。

最強とは、
この完全な心でもって
完全な力を所有することでしょう。

ちなみに、
様々な学問分野が
あるけれども
諸分野が諸分野を
批判すれども、
批判には集中せず、
独り、己の道を進めと
言いたい。

なぜなら、
私のように、
別に仲間を作って
批判しあったり
共に研鑽する仲間が
いなくても
曼荼羅は生じるからです。

もしかしたら
議論しあう仲間がいて
議論に明け暮れる人生では
自分の道は完成しないかも
しれないと思います。
明け暮れ過ぎてはいけない
ってだけですが。
なぜなら、
人の話を聞いても、
耳には届くが
自分で独り、作り上げるイメージ
ほどには内面に印象が
刻印されないからです。

私が曼荼羅を生じさせる
ことができたのには、
思考を感情に結びつけることを
イメージ思考によって
できたからかもと思っています。
(2019年01月17日 22時09分42秒)

心の武具   もうり さん
心の武具は、
悪魔に対して
煩悩に対して
特に有効であり、
心ではない
力は、
肉に対して有効だ (2019年01月17日 22時26分38秒)

忍耐と瞑想   もうり さん
なぜ忍耐が
修行になるのかについて。
それは瞑想を
観察すればわかること。

瞑想とは、
霊的なものを
心に作ること、
すなわち、
自分には無いものに
集中することである。
霊的な言葉やイメージ
といった、
自分には無いものに
集中しそれを作ることである。

だから、
忍耐も、
そもそもつらいのは
自分の心の
中にはない領域に
踏み込んでいるからであり、
それが一種の瞑想になっている、
というわけである。

(2019年01月18日 10時12分28秒)

修行と労働生活   もうり さん
だから、
労働生活も
忍耐となって
修行になる。
また私の場合、
定年のない単純労働
で定時に毎回帰れるので、
体は疲れても、
心は元気で時間のある
生活なんで
修行に打ち込める。

修行が本業、
労働自体は副業 (2019年01月18日 12時00分01秒)

天的な救済と地的な救済   もうり さん
八正道や
宗教は
天的な救いである。
だから、
これ自体、
基礎では
あってもまだまだ
完成していける。
だから、
瞑想を続けつつ、
新たな課題に達した。

すなわち、
健全な経済や
健全な労働による、
地上的救済の考察と
実践である。

そういうわけで、
別にビジネスを
目的にする人たちが
神を目的にする人たちと
比べて劣っているとも
限らないだろう。
ただ、
ビジネスを
高尚にしたければ
やはり救済の理念が
必要だと思います。
宗教とは違った
角度から救済を
目指せばいい。 (2019年01月18日 20時32分42秒)

地上的救済の方法   もうり さん
えらてんの
リツイートから
彼の方法を理解した。
つまり、
労働から不労を
見いだすという弁証法である。
労働と不労の不二を
見いだすところに
彼の方法の一つを
見いだした。

参考にしたのは、
普段から息を吐くように
してることを
仕事にすれば、
不労所得と同じである
みたいなえらてんのリツイートの
書き込みがあった。

つまり、
さっそく、
えらてんから
哲学を見いだした、
というわけである。

彼の本は
注文したので、
そこから哲学を
見いだし、
地上的救済の
考察の足しにできることが
今回の哲学性の発見から
できる可能性が
高いに違いない。

えらてんは、
社畜と不労所得者の
「中」を見いだした、
というわけである。

私は労働自体を
作る、つなぐ、売るの
3つで位置付け、その中は
つなぐ、だが、この場合は
両極端が劣るわけではない。
(2019年01月18日 21時08分00秒)

真の幸福の答え   もうり さん
真の幸福とは
何か、ですが
答えがでたね。

満たされたら、
つまり美味しいもの
食べて幸せって言う人が
いるように、
八正道によって、
あらゆる方向に
心を円満させ完成させれば
状況に依存しない、
真の幸福が作られる、
というわけです。


(2019年01月19日 17時34分46秒)

正しい言葉、正しい行為、中道   もうり さん
正しい言葉、
正しい行為とは
要は自利と利他の
円満です。
自利と利他の
バランスをとる、
キリスト教で
言うなら
自分自身を愛するように
他人を愛する、世界を
愛することで、
自分の心を、より
包括的に配分して
完成させるわけです。
(2019年01月19日 19時07分34秒)

八正道からキリスト教へ   もうり さん
つまり、
八正道から、
神を心を尽くして愛し、
隣人を自分自身のように
愛せよというキリストの
教えとつながってきます。
これは心の配分を、
天へと配ることで包括的にし
また他者にも配ることで
包括的にする教えであります。
私はここに、
キリスト三密の自利を
加えますが。

どうすれば
神を愛することになるのか
牧師に聞いてみる

仏教は
確かに、愛の叡智
であり、
キリスト教は、
確かに愛の力である (2019年01月19日 19時48分19秒)

神への心の配分   もうり さん
自利利他自在の
境地、
自分自身を
愛するように
隣人や他者を
愛する境地であり、
自分だけでなく、
他者にも心を
配分する境地だと
思うが、
では、
神の方向には
如何にして
心を配分させられる
のか。
それは愛し合うことで、
その愛し合うことが
神や天使たちへの
贈り物になり、
それゆえに、
神に心配分することに
なるのだろうと。
自利利他自在に、
神利を加えるわけだ。
自利とは
キリスト三密のこと。 (2019年01月19日 22時48分14秒)

無知が苦しみを生む   もうり さん
無知が苦しみを
生むってのは
本当にそうだと
思う。
アジアには
曼荼羅が、
ユダヤには
カバラが
アメリカインディアンには
メディスンホイールが、
と全人種に偉大なものが
ある。
朝鮮にも中国にも
偉大なものがある。
それを知れば
民族嫌悪は生じないはずだのに。
この憎しみが行動に
移されたとき、
憎しみの連鎖が生じて
苦しみが増大していくわけだ。

また、
心に叡智を
瞑想によって
体得してない意味での
無知のことかもなとも
思うけど (2019年01月20日 13時08分08秒)

利他心を持つには   もうり さん
利他心を
持つには。

自己愛が
強すぎると
心の配分が
自分に向きすぎて
世界から疎外される。
それゆえ、
謙虚に自分のダメな部分を
認識し、自己嫌悪を
適切に持つこと、
そうすれば、
自分自身への執着が、
世界へと配分されることになり、
そうすれば、
世界を愛し他者を
愛し、労働すら
愛せるようになって、
傲慢ではなく
謙遜者であることが
幸福へと結びついてくる、
ということ。 (2019年01月20日 21時49分51秒)

シュタイナー七年周期   もうり さん
で、
この適切な
自己嫌悪による
利他性への目覚めの
話は、
シュタイナーの
七年周期説における、
30、33歳頃の
話とつながってきます。

私も再び大変な目にあわないと
進歩できないようだ。

自分のダメな部分を
今考えてみても、
謙遜者になれない。 (2019年01月20日 22時34分12秒)

能力の三密と愛し合うこと   もうり さん
能力の三密がある。
例えば哲学ができて
軍事技術を習得してる、
みたいな文武両道。
文武両道とか
晴耕雨読とか、
勤労勤勉とか、
女で戦士(ジャンヌ)
みたいな
正反対に見える
能力や属性を
身につけていることが、
一種の三密となっていて、
これは三密というか、
正念における、
三位一体なのだろう。
正念は学びや気づきが
特徴だが、
それは能力を習得することでも
ある、と。
で、3つ目は、
これらを相応しく
使い分け組み合わせる
動きにある。

なるべくなんでも
できて、さらに
三密をやるのがいい。

確かに空海自身も、
土木技術をも持つ人であった。

そして、
キリストも大工であった。
また医者でもあった。
そして人々に食べ物を
振る舞った。

ブッダは武術を習得していたと
思います。

そういうわけで
私も何か技術を学ばないとなあ。
でも、残念ながら、
私は技術を楽しめない。
情報技術を学んでいるが
楽しめない。

そして、
技術自体の
三位一体が見られ
作る技術につなぐ技術に
売る技術である。
これは加工、流通、対人サービスとも対応すると言え、
手足を動かして作ること、
運転能力、会話能力とも
対応すると言える。

情報技術も私にはつまらんので
これが終わったら
武道やってみようかなあ…?

また、
愛し合うことについて。
実践神学。
気づいたこと。
礼拝は、
精神的活動と
物質的活動の総合である。
ここに精神と自然の
愛し合いがある。
さらには牧師と我々が
互いに向かい合って
歌ったり祈ったりするという
愛し合いがある。 (2019年01月21日 13時29分15秒)

文芸仙三道   もうり さん
文武両道を
私なりに
パワーアップさせて
文芸仙三道に
してみました。
文と武の間は
芸術だと思います。

でも、
そもそも戦いが必要でない
世界では、強いことより、
元気で健康であることのほうが
幸福になれると思うんで
武ではなく気功や仙術で
十分ということで、
仙にしました。

気功は、
中国の気功体操の
DVDがあるんで
それをやる。

芸術は
絵画にしてみます (2019年01月21日 13時53分12秒)

写経!   もうり さん
絵画はユーキャンで
風景画やろう
思ったけど
めんどうなので、
すぐ始められる
写経にするか。

哲学、ユークリッド原論、
プリンピキア、えらてん本、
写経、気功体操、
三密で決まりだな。あと善行 (2019年01月21日 19時18分05秒)

正しい家   もうり さん
「正しい家」構想

教会と家と店が
一体になった建物

神殿で商売してはならない、
神と金と、両者に仕えることは
できない、
と言われるが、
それは金に仕えるものが
そうする場合のみで、
我々が神に仕えるように、
神に金を仕えさせるなら
いいのではないか。
これも、霊と肉との
一体的なキリスト密教の教え
であろう。

この正しい建築物は、
精神領域的生活には、
愛し合うことで神に供養する、
礼拝があり、
普段の生活は
八正道によって整え、
経済生活は
生活の資本化、
不労と労働の一致、
家庭と労働との一致と
収入の十分の一を
自分の精神領域や
孤児などの生活費に
充てたら天の富をも
蓄えられ、給料は
どんなに儲けても、
必要なだけ取り、
また節制的生活をすることで
商売を神に仕えさせる。

こうして、
神と金とが、
教会と家と店とが
一体となる。

だが、そのためには、
牧師であり、しかも
えらてん式の経営者でも
あらねばならない。
完全な生活、
素晴らしいけど
私には無理そう。

えらてんは、
仕事を通して、
確かに菩薩行を
している、と私にも
思われた。

また、えらてん式経営を
さらに完全にしていけるとしたら、
人智学的経営学を探求していけば
よいと思うが、
まだ翻訳されてないっぽい。

それに、
私はえらてん式起業、
なんかやれなそう。
どうやって
経済領域やってこうか
迷いがある

(2019年01月23日 12時09分49秒)

利他三密、自利三密   もうり さん
三密、
これ、
利他版あると
驚いた。

自利三密が、
霊的イメージに
集中し、
霊的発話に
集中し、
霊的姿勢に
集中することで
あるとするならば、
利他三密とは
正しい判断、
正しい言葉、
正しい行為の三密、
または
法施と無財施と財施の
三密であると
言えよう。

それで、
より本質的なのは
後者だろう。
後者の三密の
一つ一つ全ての
背後に正しい判断があると
考えたらいいかと。

だから、
ウワーッと
静かに驚いたことには、
やはり、
行いもしょぼいようで
瞑想となるってことだす。 (2019年01月23日 18時43分27秒)

私の修行内容   もうり さん
それで、
私の修行内容が
だんだんと
固まってきた。
自分の驚きを
共有すること、
家の手伝いをすること、
工場労働、
そしてキリスト三密。

法施に関しては、
十年くらい
ネットで続けてるかな。
家の手伝いとか
部屋掃除にもっと時間かけよう。
工場労働による
大量財施もこれから
長年続けないとな。
確かに、
介護職などよりも
工場労働が私には
あってるな。
なぜならば、
財施をすることで
私の場合は三密が
完成するからだ。
介護職や医術は
無財施だろう。
教育者は
法施だが、
法施はネットで
無料でやり続ければいいし。

つまり、
別に今の環境から
抜ける必要はなく、
まさに、恩寵!

結婚は、不要だな!

出家的在家者の
生き方の一例が
私の今の暮らしですな。

(2019年01月23日 18時53分49秒)

三位一体瞑想   もうり さん
イスラム(父なる神)瞑想は
身密は屈礼、
口密は、「アッラー」
意密は、モスク

キリスト(子なる神)瞑想は
身密は智拳印、
口密は主の祈り、
意密は十字架

聖霊瞑想は、
通常の、
仏教密教による
三密

イスラム身密が
なんで屈礼なのかというと
アッラーも我々を上から
支える形で、ある意味、
我々の奥底にいるから、
我々は屈礼によって、
アッラーと似るというわけだ。 (2019年01月26日 11時41分18秒)

修行プランの総合   もうり さん
修行プランの
総合
自我ー意密、口密、身密
アストラル体ー哲学、宗教、文学
エーテル体ー法施、無財施、財施
物質体ー気功、合気道、肉体労働 (2019年01月31日 08時30分34秒)

意識魂の時代と武士道精神   もうり さん
武士道の
忠義や
フトゥーワの
同胞愛、
そして儒教の
父母を敬う教え、
またユダヤの十戒。
これらは
自分自身よりも
愛するものたち、
自分よりも
優先順位が
先なものたちがいるのが
共通していて、
これがシュタイナーの
バイオグラフィーワーク、
七年周期説の
悟性魂の時代と
意識魂の時代の、
「精神的な生き方」の
具体的表現物だと
思います。 (2019年01月31日 17時31分05秒)

自然法則と平等   もうり さん
わかる人にだけ
わかればいいが、
自然も平等だとわかる。
みなさんに考えてもらいたいが、
この自然世界、地上界が
平等でなければ、
そもそも数学も科学も工学も
成り立たないのではないか、と。 (2019年02月02日 10時30分31秒)

自由と必然、3つの原理   もうり さん
必然、
これ、必然性を
持った複数の原理が
矛盾するように
存在していて、
その中で、選択の原理が
あることで、
必然を土台とした
自由が生じるのではないか。

必然性という
連続性に対する、
その必然性の
複数性による、
不連続性による
自由というイメージを
持った。

(2019年02月02日 12時53分57秒)

資本主義と共産主義の統合   もうり さん
資本主義と共産主義との
さらなる統合。

まず、
リベラルは
大ざっぱに言えば
大人に対する原理、
父権主義は
こどもに対する原理、
革新は時期が
変化するならば革新、
時期が変わらないなら
保守ということで、
まずは
革新と父権と
リベラルと保守を
統合する。
ここに、
さらに王党派の右翼と
それに対する共和制を
統合していきたい。
また、平等と自由をも
統合する。
この統合された
王党派における王とは、
そもそも血筋ではなく
条件や能力や人徳によって
定められる。
だから条件さえ満たせば
国民でも王になれる形で
流動性がありつつ、
国民は基本的人権が守られ、
また機会の平等を守られる
ようにする。

まず、王とは
父権と保守に位置付く、
老人的な安定した大地であり
共和制とは
リベラルと革新に
位置付く若人的な自由な個体である。

逆説的であるが、
教育における
リベラルは大人に
対する原理とされたが、
その社会原理自体の
価値は革新も含め、
若人的であり、
保守と父権主義は
その社会原理自体の
価値は父権なんか、
とくに大人のすることであり、
保守主義って、
そもそも革新以前に存在する
ことから、大人だろう。

つまり、
リベラルは大人に対する
原理だとしても、
その概念自体の親は
父権主義であり、
同様に革新自体は
保守の後に生じるから
革新の親は保守ということになり、
ここに、
政治制度としての
王の領域と国民主体の
領域とがあることになる。
そして、王と国民の間には
流動性があり、水平的には、
基本的人権の尊重がある。
この人権の上位者への
流動性があることによって、
力のあるものが生かされる。
その代わりに、義務も増える。
ここからが、
資本主義と共産主義との
統合である。
まず、資本は全て王ではなく、
法のものとされる(共産主義)。
王自体にも義務が法によって
規定されている。
そうすると資本主義者から、
自由競争がなくなると
批判を浴びせられるが、
ここで、権利の流動性の側面が
示されると解決する。
自由競争の目的とは
結局は資本の拡大であるが、
ここでは、能力あり、社会に
益する事業を行えるし、行おうと
計画しているものに対し、
その能力に応じて国からの
借り受ける資本が増える、
というわけである。
こうして、共産主義なのに
競争も可能となる。
また、計画経済と
自由主義経済に関しては
国ではなく、
国民が、需要計算の
専門家に頼んで需要を
計算し、事業計画を立て、
それを国に頼み、
国は様々な方向から
やってきた事業計画を
まとめ調整し、
より力と徳あるものの計画を
優先することをやるわけだから、
つまりこの経済民主主義的
計画経済が、おそらく
計画経済と自由主義経済の
統合だと思います。

こうして、
私的には
リベラルと父権、
保守と革新、
君主制と共和制、
資本主義と共産主義が
統合された。

まあ浅知恵ですがね…

思うに、
一つの知恵として、
権利と権利が
ぶつかった場合は、
より社会に益する能力と
その意志のある人を優先すべき
でしょうね。 (2019年02月03日 01時32分46秒)

正しい武術   もうり さん
正しい武術論

正しい武術は
太極から成り、
太極としては
無のジークンドー、
陽の柔としては柔道など、
陰の剛としては空手など、
として、
ジークンドー、柔道、空手、
この3つの武道が総合された。
でも陽が柔なのか
陰が剛なのかよくわかってないが、
陰陽のどちらかにそれぞれは
位置づくのは間違いないだろう。

さらに、
戦うべきときであって、
敵を憎むべきときは、
上記の総合武道だが、
戦うべきときであって、
敵を愛すべきときは、
合気道を行う。

これが、正しい武術である。 (2019年02月08日 11時13分11秒)

武道哲学   もうり さん
武道哲学
一例を挙げる。
空手の正拳突き、
これ突かないで
「丸める」方の手が力を
溜める柔、
突く方は柔から発生した攻撃の


柔道。
剛のバランスの
悪さを、
柔の「流れに任せる」
性質を利用して
攻撃に転じる。

ジークンドーは
攻撃と防御の一体
例えば目つき。
目を突くのは攻撃にもなるし、
相手が怯み動きが
鈍るので防御にもなる。
あるいは、
相手が足を進めようとした
瞬間に、膝を蹴る。
相手が進んでこれないことが
同時に防御にもなっている。

後は合気道と
これらの武術本での
詳細理解と叡智の
直観作業だな。 (2019年02月08日 14時04分32秒)

柔よく剛を制すの意味   もうり さん
柔よく剛を制すの
意味、
わかったっぽい。
剛のアンバランスさがあり、
剛がバランスを取り戻そうとする
動きを取ろうとするのを
制し、それゆえに、
剛はアンバランスのまま
となり、倒れる、
これが柔よく剛を制するでは
ないかな。 (2019年02月08日 14時11分12秒)

腹切りについて   もうり さん
「義によって
打つことあり」が
武士ならば、
当然、
義によって
自分の命を断つことにも
同意しないといけない。

私の思想は、
哲理によって
それが義とあらば自殺を
認める高貴な思想になってきそう。
殺人を場合によっては
肯定するなら、
同時に自己犠牲と
自殺を認めること。

実践のハードル高杉。 (2019年02月08日 14時37分29秒)

博愛の根拠   もうり さん
どんなときに
合気道で、
どんなときに
ジークンドーか。
ジークンドーは
相手が権利を認めなかったり
不当に攻撃してきたときなど、
相手に非がある場合。
自分の共同体に非がある
場合は自己犠牲。

で、どちらにも
非がない場合は、
そもそも争いには
ならないと考えると、
合気道が必要な場合とは、
どちらにも非がある場合であろう。

誰しもに原罪がある、
自己愛がある、だから
互いに平等であり
愛しあうべきだ。
これが博愛の根拠であろう。 (2019年02月08日 15時14分29秒)

器用さと八正道   もうり さん
器用さと
コミュニケーション能力と
八正道の
正しい行為と
正しい言葉が
つながってきて、
八正道によって
習慣付け、人格にすら
することができれば
別に好きなことがなくても、
器用さとコミュニケーション能力と
礼儀と節度が身についてるので、
本当に普遍的な生活の資本化が
できるのではという
認識に至ったが、
この八正道認識の
成長も、別に具体的に
語る必要はないんだな。

ケチンボとかではなく、
自分でその考えに至る衝撃に
よってこそ自分で人格を
変える力になるからね。

仏教聖典で語られる
八正道が、抽象的に
留まってるわけだなあ。

そうです、
そもそも八正道生活を
身につけさえすれば、
あらゆる仕事に応用でき、
生活全体が仕事に移植される
みたいにして、
生活と労働の不二が
完成するんだと。
もしかしたら、
これが完成したら、
仕事も生活という
不労と不二になってると
考えると、
仕事も苦じゃなくなるかもしれん。 (2019年02月09日 22時49分23秒)

倫理の完成   もうり さん
倫理、
完成してきたっぽい。
敵を愛せも、
個人的なものと
考えず優先順位と考えれば
まとまった。
例えば、
まず神を愛し、家族を愛し、
師匠を愛し、友を愛し、社会の基盤を支える人たちを愛し、弱者を愛し、と来て、敵を愛し、最後に自分を愛する、でいいと思います。
また、世界はうまくできていて、
自分より悪人や敵を愛するからと
言ってもレイプ犯にされるが
ままにされるのは、むしろこれは
中動態なんで、主体的ではないにせよ、される方も貞操を守れなかったという邪淫の罪を犯したことになってしまうんで、倫理的にもレイプ犯には対抗するのが正しくなる。
しかし、盗みや暴力には、
されるがままにしても自分は
罪を犯さないというわけだ。

で、優先順位があって、
敵が優先順位上位のものを
脅かすなら、
戦ってもいいわけです。
盗みをされるがままにする、
といっても、それが
私のものなら別にいいけど
私以外の家族のものの場合とかだと
必ずしも盗賊にされるがままに
される必要はないだろう。

そして、
器用さとは
プロセスの変化単位を
認識して、全体を見て
手順を考えてから
行動し、小さなことに忠実であることを人格にまで落とし込んでる
ことで、行動の丁寧さにまで達していることです。
また自分ができないことは
頼り、協力すべきところで
協力すること。
これが正しい行為の別側面に
過ぎず、自分が生産現場で
無能なのも、
いつもおおざっぱで考えて
行動しないという、
自分の人格に欠陥が
あると、原因がわかりました。

コミュニケーション能力は
以前の正しい言葉について
書いたコメントに付け加えて
欲しいです。
そこでは「聞く」ことを
考えてなかった。
相手に関心を持ち、
相手から学べることを
認識して、それを聞くことを
特に付け加えたい。
そして語る手順を考えるのに
に加え、語る目的を考えてから
語ること。
聞く場合は、
明確な問いを考え
語る場合は
明確な解答を考えるのです。

それで、
コミュニケーションに
関して、
私は終わってしまいました。
そんなに人間に関心がない。 (2019年02月10日 15時22分15秒)

流出論的倫理の超克   もうり さん
さらに、
我々は上記の
流出論的倫理を
超克する必要があります。
これはもともと、
神を愛するが
優先順位によって、
神を憎むことで
別の領域への愛に移行するのだが、
おそらく、この倫理だけだと
神や家族への偏愛になってしまって、本来の全てを
ある程度憎む側面が
失われると思います。

そこで、
優先順位ではなく
どんなに優先順位が
高い人たちであっても、
罪は罪、悪は悪と
判断できる、
中なる公平な心を
育むのを加える。
(2019年02月10日 15時30分00秒)

細かい意識になるための正念   もうり さん
細かい意識に
なるための正念を始める。
それには、
細かい意識の人の
見方と驚きを
直観すること (2019年02月10日 17時28分57秒)

掃除のタイミング 細かい意識   もうり さん
掃除のタイミング
理解した。

仕事では、
職務を終えたら
整理整頓や掃除をする。

日常生活でも、
もろもろの家事や
修行の終わりに
整理整頓して
掃除すると考えると、
明日に備える最後の
仕事ぽくて、
そのタイミングでやるのに
納得できる。

また、
細かい意識も
要は無駄に
ゴミを散らかさないとか
水滴をこぼさない、など、
必要なことのみやる
出したものは片付ける、
使わない量を無駄に
こぼさないみたいな、
普遍から必要なだけ個別を
取り出して、無駄に個別を
取り出さず用が済めば片付ける
掃除する、
無駄に汚さないこと
だとわかっているが
細かい意識、丁寧な
認識だけでなく丁寧な行いも
できる必要があるって
ことである。
そのためには、
一つ一つの行いを
分析して、無駄のない
動きの行いを考えていくしか
ないと思います。

それは、
一つ一つの行いを、
どうしたら無駄なく
コツをつかんでできるかを
考えることであり、
純粋な活動である。
私は、まだ
行いを完成していない。

行いの完成者とは、
具体的な一つ一つの
行いの純化を包括的に
成し遂げた人間のことであろう。
これでやるべきことが
わかった。
八正道における、
正しい行為理論の
さらなる錬磨である。
これが難しい。

高卒の仕事のプロの
上司、すげえなあ…。

(2019年02月10日 20時14分10秒)

強迫神経症の意識   もうり さん
具合悪いときだけ
強迫神経症の意識
になるが、
ようやく、
この自律神経失調症的、
強迫神経症的意識の
特徴を理解した。

これは
不自由な実践理性の意識であり、
行いを分析して、
行いの知を認識しようとする
不自由な意識であろう。 (2019年02月10日 20時22分59秒)

正しい行為、自然学   もうり さん
正しい行為は
前にも言ったように
自然学と
関係すると
思っています。

喉が渇いたら飲む。

暑いなら冷やし
冷たいなら暖めるという
回転。

特定の状態に
移す、
矢印のような
イメージがあり、
例えば眠っていて
喉が渇いたとする。
近くに飲み物が
あった場合、
せめて腰をまっすぐ
立てて座ってから
飲むのが正しいと
思います。

寝ながら飲むと、
どうしても変な姿勢になり、
無駄に力を使うだろうからです。

ところが座って
飲むと重力を利用することも
でき、内臓にも負担は
かからんと思います。

このように、
正しい行為論は
自然学とか、
仙道的観点を
利用できます。

暖めるなどの
場合は、
媒介するものが
必要でここに
中があります。 (2019年02月10日 22時03分22秒)

とっかかり   もうり さん
正しい行為論の
とっかかりを
掴んだ。
やはり、
食領域の
プロセス
衣服領域の
プロセス、
整理整頓掃除、
睡眠など、住むプロセス
と、
労働プロセス。
この四領域で
行動分析していけばいいと、
まずはとっかかりを
掴んだ。

例えば労働でも
メインとなる
製造工程の行動分析を
ひとまずやればいい。 (2019年02月10日 22時34分16秒)

道のり   もうり さん
完成の道のりは
遠く、
行為理論が
完成し、
実践に長けてきたら
合気道を
やりたい思いがあります。

叡智、
愛(愛の叡智、愛の力)
力、ですが、
八正道の理解が
愛の叡智であるなら、
その実践が愛の力です。
叡智から、
愛の叡智まで進んで
今は愛の力を探求する段階に
あり、
力に対応するのは
合気道、だと。
合気道やる頃には、
もっと筋トレ量も
増やせたらいいなあ。

そして、力領域では
刀を持てる免許取得を
目指すかもしれません。

また、
刀に向かって三密を
行い、聖剣を作ります。

で、
合気道稽古生活に
慣れてきたら、
ようやく、
労働を主要な目的にしようと
思います。

叡智を蓄える作業に
モラトリアムを
必要としたが、
慣れてきたら
自分の直観で八正道を
作れる境地になるので、
買わなくて済むようになる。

私はもともと
貧乏なんで
大学は借りれるだけの
奨学金を借りて遊ばす
学んで過ごしたおかげで、
今の若造のうちから
正しい道を理解する意識に
なれたんだと思います。

私をいじめてきた奴が
不条理にも結婚したんで、
結婚には反感があるというか、
結婚恋愛童貞卒業
以外の道でも人間として
成長できることを証明したいが、
その願いも叶ったな。
実は仏教で、
既に独覚として実例があるけど。

結婚してる場合じゃない。

「精霊の守人」の
国家の守護者としての
侍衆、武士の鏡だと
思っています。
剣術、武術に長けているだけでなく
的確な判断を下し、
深く考えるべきところでは
座禅を組み目を閉じ正念を
行う。
学問や宗教生活を馬鹿にせず、
武だけではない本当の武人。

労働を主要な目的としたとき、
途端に困ることには、
労働において魅力的なもの
自分にとって意味深いものとは
何かってことなんですよね。
若者に人気のプログラミングも
「私には」つまらんしな。

自分の積年の境地を
凝縮した本を書く願い、
これが本業だけど、
その前に通常の労働を
探求したい。
そうすると、
やっぱり自衛隊や海兵隊や
レンジャー部隊が
一番好みなんだけど
労働に制限があり、
体が弱いし人間関係に
繊細なんで無理なんだよな。

労働で身につけられる
特殊技能って欲しいよね。

で、ここのブログの
どこかに、農業はマナスに
至れると書いてあったんで、
ひとまず農業を探求してみます。
まず、農業の何が
マナスへと至らしめさせるのかの
探求。 (2019年02月11日 08時27分42秒)

武術の優先順位   もうり さん
武術の優先順位、
武術には
優先順位があって、
戦うべきときに、
殺さずに済むなら
なるべく殺さないのを
優先するために、
武術としては
まず合気道を優先すること。
そして、打つ必要が
出たなら、
ジークンドーと空手、柔道の
統合武道か、剣道と二天一流の
統合武道を行うこと。 (2019年02月11日 08時51分39秒)

農業修行論   もうり さん
農家は
晴耕雨読を
実践したほうがいい。
まず、農業は
時期に応じたサイクルがあり
自然と調和する。
これに加えて晴耕雨読によって
精神をも整えれば
すなわち調和によって
「感情」が整う。
読むこと自体で
思考が整う。
さらに、自然のサイクルに
応じた段階的な
各種活動があることで、
自然と一致した、
意志の全体が育成されていく
のだと思います。

一番の特徴は、
農業は自然と調和しやすい
ところでしょうね。
結果として個人生活が
晴耕雨読によって、
精神とも大自然とも調和していき、
マナスに至れるのだと思います。 (2019年02月11日 09時15分52秒)

本当の仕事   もうり さん
本当の仕事、
農業ぽいですね。
少なくとも農業は
本当の仕事であれます。

例えば寝不足になる
仕事なんて、
自然と対立するので
自然との一体化から
遠ざかります。
確かに、
現代や都市生活
でもっとも足りないのは、
「自然との調和」だな。
その意味では、
別に都市生活は
必ずしも田舎の農業生活よりも
進んだ文明とは言えませんね。

生活においては
精神と自然の調和が
大事なんであり、
都市は精神に偏り
田舎は自然に偏るが
田舎の農家は、
晴耕雨読によって
両者を調和した生活ができ、
これをしたら
単なる都市文明人よりも
進化した暮らしを
送っていることになります。

精神と自然の調和した
生活が正しいこと
については、
私が勝手に言ってることではなく
ここの八正道の記事に
書かれています。

そういうわけで、
奨学金返し終えたら
低賃金でも農業やるか…
でも雇われ農業がいいですね… (2019年02月11日 09時33分33秒)

しょぼい武人   もうり さん
農業、
確かに自然と
調和できる、
善い仕事なんだが、
私は
合気道とジークンドーと
空手と柔道と
剣道の5つの武道を
鍛錬することに集中したいんで
農業やってる暇ないな。

つまり、
労働は目的にできない。

私は八正道理解によって
総合的生活を構成したが、
さらに武道を幾つか鍛錬する
ことで、総合的武道を
創造するのを目的にしようかと
思います。

運動苦手だけど
武道は諦めきれないなあ…。
(2019年02月11日 10時55分16秒)

正しいスポーツ   もうり さん
我々は、
そもそも
「正しいスポーツ」も
生み出す必要があるだろう。
スポーツって、
一面的で、
身体が発達はしても
動物のようになると
思うんで、
様々な一面的スポーツを
総合した、一体的スポーツを
生み出す必要があると
思います。

こうやって
文明は進んでいくんですよ。
スポーツマンに
ありがちな欠点は
枠に捕らわれることだと
思いますね。
一面的な枠にはまり込んでしまい、
言わばメタ視点というか、
「メタ身体」的観点を持っていない。
メタ身体的観点がなければ
新しいスポーツは生まれない。
メタ身体的観点とは、
あるべき身体とは
何かという哲学であり、
高岡英夫氏の著書「究極の身体」に
書いてあります。
特定のスポーツに
はまり込んで自分の体を
動物のようにするのは
避けるべきでしょう。

それに、
スポーツは、
スポーツ道といえるのかも
疑問があります。
スポーツにさえも、
武道に見られるような
叡智が込められているのか、と。
総合によって中道的スポーツを
生み出せれば、それが
道でもあるスポーツです。

スポーツ研究者も、
慎重過ぎて
スポーツを創造するにまで
及んでないのですかね。

(2019年02月11日 11時08分14秒)

武道創造   もうり さん
武道の価値を
個人的に感じる魅力と
実際の欠陥によって
他の武道と総合する
必要性があって
総合した武道の魅力は
違うと思います。

例えば、
正々堂々と打ち合うのが
魅力的だとしても
極真空手だけが
「実際に完全」な
武道なのかと問えば
微妙でしょ?

そして、
打つのが義だから
打つとしても、
それは必要悪なので、
殺さずの合気道のほうが
より善なので
合気道のほうが優れてると
思います。

善とは存在させること、
苦しみを取り除くこと
安らぎを与え、
活動力を増大させること、
そのための手段として
中道があるんで、
空手とか剣道、ジークンドーは、
根本的にはそもそも暴力的だ
という欠陥があるんですよ。
必要悪は必要な点で
善であるが、
必要悪な時点で、
本来の善であれるなら
優先すべきでない欠陥なんだと
思いますよ。 (2019年02月11日 12時02分47秒)

善は存在する。   もうり さん
善は存在します。
それは人間の
歩むべき、選択すべき道です。
方向づけるものです。
善も悪もないとなれば
なんでもありとなってしまいます。
そして善とは、
永遠の命への道でもあり、
運命を好転させる道でもあります。

例えば必要悪には
無論、悪の側面もあるんで、
これをやれば自分に
さらにカルマによる
苦しみを積み上げることにも
なると思います。

我々は戦争して戦っても
敵国を憎まず我々が
殺した敵のために
祈ったりすべきでしょう。
靖国のアンチテーゼとして
亡くなった
慰安婦女性を祀る神社や
殺した兵士たちを祀る神社が
必要でしょう。
(2019年02月11日 12時24分04秒)

正しい政治家の一面   もうり さん
正しい政治家の
一面、
正しい公務員の
一面、
があって、
軍隊が
彼らの指令に
従っても、
それを名誉あることだと
受け取れるような
人たちである必要がある。

でも、
いじめっこみたいな
菅官房長官とか、
安部晋三さんみたいな
人たちに仕えるのは
名誉ではないな。
(2019年02月11日 13時20分58秒)

霊多肉少 霊主体住 正しい生活   もうり さん
豆腐に
仏教と武士道を
感じる。

桜にも
仏教と武士道を
感じる。

私は、
美味しい料理の
作り方を考えない。
そんな時間が
あれば読書に費やす。
美味しい料理に
考える時間を、
神のパンを食べる時間、
神のパンを与える時間に
変えなさい。

作る料理は
豆腐や桜のように、
無駄を省いた単純なものでいい。

ライス、味噌汁、野菜炒め、
水。
切り加減は小さめに。

食べる時は
背筋を伸ばしよく噛むこと。

洗う時は袖を縮めて
水に濡れないように
洗う

何を着るのか、
これも柄のない単純な
もんでいい。
今日は何を着ようか考えるよりは
慈悲と徳の衣を身にまとえ。

課題は服のたたみかたである。
服をたたむの苦手。

掃除で
わかっていることは
必要なものだけ出して
必要ないものは
整理整頓すること。
そして家事と修行の終わりに
片付ける。
ただ、まだ良き方法が
わかってない。

私たちの
精神には限界がある。
だから精神をなるべく
霊に費やし、肉は少なしでいい。
霊多肉少である。

豆腐や桜を
日本人だと思うなら
キリストも言うことだが、
今日何を食べようか、
何を着ようか思い悩むな。
つまり、肉や金にかける
精神の労力を減らせよ。
しかし、
物質生活にも秩序を与えよ。

(2019年02月11日 14時13分25秒)

単純に考えて   もうり さん
必要なだけ
稼ぎ
必要なだけ
購入するって
世界だったら
そもそも労働時間も
少なく済んだし
時間裕福者も多くなってたのでは。
単純に考えて。

金や胃のために
莫大な精神力を
使うってこの社会は頭おかしい。

(2019年02月11日 14時18分55秒)

運動のタイミング   もうり さん
ようやく
理解できたことは
運動のタイミングである。
それは早朝。
ラジオ体操や
中国人たちの気功体操も
そういや、朝から
やってるイメージがある。
私の考えでは、
これは朝に体を解すことで、
一日全体にわたって
運動の効果を出すためだろう。

もしも仕事から帰ってきた
ときなどにやると、
体を解す効果が、
寝ることによって
朝やるよりも長持ちしないのでは、
と。

つまり、運動の効果を
最大限利用するためには、
朝が的確だと。
(2019年02月11日 15時00分07秒)

合気道   もうり さん
わりとすぐに
生活の
行動分析できてきたんで
後は転職先の
労働プロセスの分析だな。

で、
小便する時は
座ってやると、
無駄に飛び散らさないから
正しいと思っているが、
わかっていても、
もともと人格レベルの
欠点が、考えなしで
動いてしまうことなんで、
立ちっぱなしでやってしまう。

わりとすぐに
正しい行動の理論が
できてきたから
平行して合気道習おうかなと
思いつつ、
人格を変えるの
めっちゃ大変そうだな。 (2019年02月11日 15時10分23秒)

正しい遺伝子   もうり さん
正しい遺伝子を
考える。
強く健康な
身体環境でしか
生きていけないってのが、
いわゆる典型的な
健常者の遺伝子の欠陥だと
思います。
自分の身体や精神が
事故で障害を持っても
生きていける遺伝子が、
真に強い健康な遺伝子でしょう。

我々は、常に強者であれるとは
限らない、諸行無常である。
それなのに、優生学とかいって
今健康な人間のみ生きるように
すれば、かえって健康な状態でしか
生きていけない潜在的に
弱い個体になってしまうのではないか。

それは底の浅い氷山の一角のような
個体であり、障害を持って
生まれてくる人は、
つまりその人間の潜在的部分を
強くするために生まれてきたと
考えられます。

従って遺伝子操作して
強い人間を作るっ
てのにも私は懐疑的です。
自然の営みによって
強い人間を作っていくことが
永遠に強い人間を生むことになると
思ってます。

そして障害者や弱者の
遺伝子は、もしも健全な
人間が事故などで
弱者になったときでも
生きていけるのに
必要な力をつけるために
必要なんだと考えます。

私は学者ではないので
道徳的に考えておきます。 (2019年02月11日 16時41分08秒)

霊的な祖国を持て   もうり さん
肉体の
根源は両親、
霊の
根源は
神であるように
私の肉体の民族性は
日本人だと言える。

しかし、
私は自分の霊的民族性、
つまり霊的な祖国を
ロシアだと定めたい。

なぜなら
キリストの兵士は
ロシア人からよく
生まれるそうだからである。

右翼のみなさんも、
魂の祖国を持つことで
自分の愛国心とバランスを
取ればいいのでは?

だから、
私は行動分析が
終わったら、
やはり
ロシア語と
ソロヴィヨフを
学び、
合気道は
後回しにしようと
思います。 (2019年02月11日 16時49分23秒)

いけない、いけない   もうり さん
その時に
なってみないと
わからないが、
私の目的は
宇宙を凝縮した
ミニマムな真理を
獲得することにあるんで
語学と哲学は
霊我的なロシアで
確かにいいのだが
武道はあれこれやらず、
合気道一筋にしよう。
いけない、いけない、
あれこれやりたがると
本来の目的を見失う。

合気道は
武道でありながら、
勝敗の対立を
超えているので
霊我的武道だと
思います。

また、
白人の意識魂の
課題である、
霊によって肉を
掴むことは、
だから合気道を
やればいいと思っています。 (2019年02月11日 17時50分05秒)

思考と意志の使い分け。   もうり さん
一番重要なのは
考えて喋る、
考えて活動する
習慣を身につけること。

今までは
普遍的なことを
考えようとし過ぎて、
活動は身体に自動運転
させていた。

今後は、
普遍的なことを
考えている間に
活動の機会が
やってきたら
その活動についての
個別的考えを抱くように
したい。
こうして、
普遍的思考から
個別的思考へと移行し、
意志へと切り替える。
時には思考を重視し、
時には意志を重視する。
活動の機会がきたら、
「空気」に流されず
まず考える必要がある。 (2019年02月11日 19時37分52秒)

では感情は?   もうり さん
でもって、
思考と意志の
切り替えの
イメージは
わかった。

それでは感情は?
という疑問がある。
感情は
思考としても
意志としても
現れる。

つまり、
次のようである。
普遍的思考から
個別的思考、
そして意志へと
至るのは、
「正しい」実践プロセスである。

上記には個人がいない。
そこで感情の登場である。
ニーチェにおける「芸術」を
行い、自分が生きやすく
力を出せるような
理念を創造するんですよ。
この場合、
個人が道徳の主人となっております。

個人が生み出した、
個人に基づいた叡智を創造し、
それを中道の原理と調和させるのです。

これも、
私には難しいんです。
私は、
これを単にパースペクティブを
変えてみるだけにしたくないんですよ。そしたら、
単に思索家だということだけに
なってしまう。
私自身を観察して
私自身から理念を
生み出せばいいんだろうけど。
それは、私自身を目的とした
叡智です。
今、考察していって、
ようやくわかりました。
回心体験によって、
宇宙を凝縮した
たった一つの真理を
求めるようになったんですが
これを私個人の目的と
混同してたんで、
私には自分がないように
思われたんだ。
しかし、
私個人の目的は、
ゲームでレベルアップしたら
「自分のステータスを
均等に割り振る」です。
「精霊」ではありませんでした。

ミニマムな真理と
全てのことをちょっとずつ、
この2つが目的。 (2019年02月11日 21時39分55秒)

在家修行者   もうり さん
私の
均等に割り振りたい
ステータスは
次のブッダの言葉で
示される。

「深い学識あり、技術を身につけ、
身を慎むことをよく学び、言葉が
見事であること、父母に仕えること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと、これがこよなき幸せである。」
(2019年02月11日 22時15分48秒)

無駄でない無駄   もうり さん
ちなみに、
無駄をなくすという
理念は
無駄でない無駄を
なくすことでは
ありません。
それを人は、「予備」といいます。 (2019年02月11日 22時28分18秒)

合気道一筋ならば   もうり さん
合気道一筋ならば
農業やれる
希望湧いてきた。

農業技術を
身につけよう。
で、もしかしたら
農業やる頃には
年齢的な問題が
なければ恋人募集しだすかも。
なぜなら、
他にやることが
なくなってしまうから。

今日も
スワイショウに
ゆる体操に
エアロバイクに
三密やれました。
また、考えて行動することが
できたりしました。

しかし、掃除は
やる気が起きず
布団でぬくもりを感じていたい。
休み明けから本気出す笑

(2019年02月11日 22時42分44秒)

必要悪の注意点   もうり さん
必要悪の注意点、
必要悪より
善行を多くやるように
しないと負のカルマが
溜まり苦しみが
襲来して魂が退化する
恐れがあります。

だから
言いたいんだが、
打つこともある
武士道も、
別に打つことを目的に
しておらず、義が目的だと
強調しておきたい。
(2019年02月12日 00時09分38秒)

労働の心得   もうり さん
生活にあたっては
肉より霊を
優先するが、
労働にあたって
調理人であるなど
した場合にも、
肉より霊を
優先するためには、
お客様の心を目的にすれば
いいってことだと思います。
心身一体だから、
例えば「料理を通して笑顔にする」
とかです。 (2019年02月12日 10時56分59秒)

未規定性と宮台批判   もうり さん
宮台批判というか
宮台肯定でもあるんですが
未規定性に
拘って、考えなしに
行動するようになっては、
結局それは
思考と意志の分離という
規定性に陥っています。

考えて行動する、
概念やイメージという
規定性を意志と
「統合」するところに、
未規定性へと至る道が
あるんですよ。
我々は規定性の統合を
通して未規定性へと
至るのです。
(2019年02月12日 13時44分50秒)

宗教まとめ   もうり さん
マニ教は
ゾロアスター教と
キリスト教と
仏教からなる。
仏教は、
愛の叡智、
キリスト教は
愛の力、
ゾロアスター教は
愛の発現であろう。

そして、
キリスト教自体にも
グノーシス、
通常のキリスト教、
イスラム教とがあり、
グノーシスは叡智、
通常のキリスト教は愛、
イスラム教は力(必要悪)
であろう。

そして
仏教は
天台宗(絶対の真理)
原始仏教(断念)
真言宗(行)
であろう。 (2019年02月12日 15時18分01秒)

マニの叡智   もうり さん
マニの叡智。
悪人を改心させるのが
マニ教の目的だという。

悪は闇である。
闇とは、内側に向かう
光である。
光とは、外側に向かう闇である。

マニ教者による
悪の寛容と許し、
そして自己犠牲の
愛の光が、
闇の心の中に入っていける、
というわけである。

それゆえ、
キリストは
ゴルゴタの秘儀を
行ったのではないか。 (2019年02月12日 15時45分55秒)

共同体主義の合理性   もうり さん
個性を
強めて
共同体から
独立するほど
共同体に対して
自分を守れるように
なることが
個人主義の目的だろうけど
それが終われば
共同体や社会や宇宙など
取り巻く世界をも守ることで
さらに自分を最強にするのが
明らかに合理的だ。

食べて体を守り、
着て寒さから守るように
個人主義によって個性を守り
共同体主義によって平和を守る。

つまりは、
私に対しては
外界との一体化傾向を
へたれとか言うのを
真に受ける必要はない。
それは個人主義を確立する
前に一体化してしまった
人たちに対してならば。
個人主義が確立したなら
独立したままマクロコスモスと
一体化するのが正しい。
(2019年02月12日 16時54分24秒)

急には変えれない   もうり さん
いろいろと
新しい生活習慣を一度に
取り入れようとした
せいか、やる気がなくなってきた。

生活習慣、
もっとシンプルに
しないとダメっぽい。
いきなり、
朝から運動して、
さらに
掃除も毎日やるって
無理。

そこで、
三密、
考えて行動、
合気道、
この3つだけにしときます。

しばらく、
気力の回復を
図る (2019年02月13日 13時07分59秒)

方便とは何か   もうり さん
三句の法門で
言うところの、
方便とは
なんであるか。
中道のことであろう。
菩提心で
悟りを目指すという
自利心があり、
慈悲では
他者を救うという
利他心がある。
そして菩提心に
対しても
慈悲心に対しても、
その方法は
中道であろう。
なぜなら
中道は生命の保持、
心の平安に
関わるから、
つまり慈悲に
関与し、
また中道は
悟りへの道、
つまり八正道とも
関わるからである。

つまり、
方便、
究極の手段、
究極の技術とは
「中道」であることが
わかった。 (2019年02月14日 14時45分09秒)

全知全能の答え   もうり さん
しょぼい
全知全能者とは
何か、
凝縮された
全知全能者とは
何かの答えが
でましたね。
それは
ロゴスを理解し
中道を行えることです。
そしてまた、
ロゴスや
慈悲という目的自体の
中に中道が含まれていること。 (2019年02月14日 15時05分44秒)

垂直的な道。   もうり さん
どうやら、
垂直的な道を
行くほうが、
楽なようである。

例えば
食事だけに拘って
掃除やゴミ捨てを
しなければ、
やがて苦しみに
つながるように、
水平的に全てやろうと
するよりも、
垂直的に全てやろうとし、
水平的には
必要なだけやると
したほうが、
苦しみは
少ないだろうし
楽だろう、と。

そこで
再び在家修行者のための
次のブッダの言葉を
参考にする。
「深い学識あり、技術を身につけ、
身を慎むことをよく学び、
言葉が見事であること、
父母に仕えること、
妻子を愛し護ること、
仕事に秩序あり、
混乱せぬこと」

私はこれに、
三密を行うことを加えたい。

農業よりも
プログラミング技術
身につけようかな。
転職先、ITになりそうなんで。

本当の理想は
自然言語(哲学宗教)
と人工言語(プログラミング技術)という
二刀流に加え、
農業技術に
合気道という
二刀流をもやりたかったんだが
そしたら、
これらばかりに
集中してしまって
生活うまくいかないと
思うのでやめとく。
(2019年02月14日 16時11分10秒)

考えて行為できたよ!   もうり さん
考えて
行為できたよ!

皿洗いする際、
水を出しっぱなしに
せずに、
まず泡で全てこすってから
流した。

ボンカレーを
作った後、
ルーが入ってた
袋を、
ルーがこぼれないために
ボンカレーの
紙の箱に入れてから
捨てた。

チャーハンの
冷凍食品は
考えてやるの
失敗したが、
これからは
袋の外から砕いて
パラパラにすることで、
袋に隙間を生じさせ、
開ける際にこぼれにくくする。

歯磨きする際は
つばが飛ばないように、
水道の穴に向かって
屈んで磨く
などなど… (2019年02月14日 22時54分39秒)

2つの幸せ   もうり さん
人間の
幸せとは、
ただ2つしかない。
心の配分が
全てに向けられることで
全てを楽しめるから
持続して幸福であるような
幸せ。
これは内面的なものとしては
万人にとってただ一つの
幸せである。

さらにもう一つは、
食を満たし、服を着、
住むところあり、
神に捧げものをし、
瞑想し、運動し、技術あり、
仕事をし
掃除をする、などとして、
これ以外にも
全ての必要な生活要素を
守ることで、
全面的に満たされることによる
幸せである。
これは外面的幸せであり、
心が操作できないと
したら、大切な人に
してあげられることは
これであろう。

しかし、
この外面的幸せは、
そもそも内面的幸せを
獲得しておかなければ
苦悩が混じる。
例えば仕事があっても、
仕事自体が苦しいとか、
運動が苦しい、
作るのが苦しいという
事態になってしまう。 (2019年02月15日 16時23分49秒)

まとめ。   もうり さん
こうして、
私は
八正道が生活の資本化であり
仕事の基本的能力として
応用できる普遍的能力であり、、
自分を幸せにする方法である
と共に、
他者に向けられれば
そのまま他者を
幸せにする方法であると、
明らかにしました。

だから、
いくら素朴な人たちでも、
家族を養っている
両親を馬鹿にできない。
なぜなら、
彼らは、
子どもに全面的に
贈与しているからである。
(2019年02月15日 16時46分37秒)

苦しみとの付き合い方   もうり さん
苦しみとの
付き合い方の
紹介。

新しく
IT関連に
挑戦するとき、
未知の世界なんで
不安があるが、
プログラミング技術は
奥が深く、無限に伸ばせるのでは
という「希望」を
苦しみの中から見いだすこと。

そして、
今の仕事に対しては
苦しい忍耐自体が
精進となり、また
あんまり価値がないように
見える仕事は、
はるかな来世において
その真価を花咲かせる、
未来の価値の種と
言うことで「希望」を
取り出す。

そうすると、
苦しみが本当に
軽減してきました。 (2019年02月15日 19時53分14秒)

種の仕事、花の仕事   もうり さん
苦しい中で
「希望」という
共感を見いだせば
苦しみから
少しは助けてくれる。 (2019年02月15日 20時01分10秒)

愛し合うこと   もうり さん
究極の
技術は
中道といったが、
さらに究極の
技術は
愛し合うことだと
わかりました。
なぜなら、
神に愛されるからです。

つまり、
全知全能者になるための
ミニマムな真理とは、
ヨハネ福音書に
書いてあることに
過ぎませんでした。

キリスト三密も、
一回唱えればいいだけで、
愛し合うことで
神に愛されることが、
瞑想より重要だと
わかりました。
なぜなら、
神に愛されると
願いは聞かれるんで、
何回唱えても
愛し合わなければ
意味ないからです。

つまり、
愛し合う技術、
礼拝の技術が、
究極の凝縮された技術です。
神に届くからです。 (2019年02月16日 20時13分17秒)

3つの道   もうり さん
ヨハネ福音書は
愛し合う、
礼拝の道。

ルカ福音書は
愛の生活、
八正道の道、

マルコ福音書は、
中道の労働、
肉体労働から
精神労働への変容
(漁師から人間をとる
漁師へ)
(晴耕雨読、
文武両道、
勤労勤勉など、
職務の中道)

私は、
もっとも内的な道、
すなわちヨハネの道を
選びたい。

なんで
気がつかなかったんだろう。
恋人どうしで、
あるいは人間関係で
人格を一つにすることが
できるとしたら、
それは一つというよりも
一つで全て、全てで一つという、
まさしく全一の、
つまり曼荼羅を形成することに
なるのではということが…。

私は
私の道を行きたくても、
出会いがなければ、
恋愛感情もないから
困る。

できれば
キリスト教徒と
一緒になりたい。
そしたら、毎日礼拝できる。
(2019年02月16日 22時05分42秒)

動物と一体となる。   もうり さん
人間関係を
極めると
一体となり、
それが曼荼羅になる
としたら、
私たちが
動物と正しい関係を
結ぶと、
動物たちとで
曼荼羅を形成できるのでは
なかろうか。
それがアメリカンインディアンなのかもしれない (2019年02月16日 22時29分55秒)

もっとシンプルに。   もうり さん
修行、
もっとシンプルに
したい。

第一目的は
ヨハネ福音書だったから、
今度は
ステータスを
均等に割り振る、
第二目的を
もっとシンプルに。

それは、
思考の本質、
感情の本質、
意志の本質に
割り振ること。

思考の行は
曼荼羅を観て完了した
として、
感情は断念が客観的感情、
意志は、自己犠牲が
客観的意志だ。

だから、
愛し合うこと

礼拝

キリスト三密を
一日一回だけ唱えること、

食事制限、

技術習得と

労働に専念する、
こんだけにしときます (2019年02月17日 08時39分32秒)

私の習慣   もうり さん
転職後に
やろうと
思ってる習慣は、
朝。三密、スワイショウ、ゆる体操、エアロバイク、風呂、着替え、朝食(食事はこれのみ)、
仕事の反省、仕事、帰宅、
散歩、草刈、着替え、洗濯、
技術習得、整理整頓掃除、
一日の反省、三密、就寝。

休日は
礼拝と技術習得。 (2019年02月17日 13時42分13秒)

感情の行   もうり さん
普遍的な
考えを
行っている時、
行為(意志)の機会が
やってきたなら、
その行為に関する
個別的思考に
切り替えよ。

また、感情の行
に切り替えるのは
苦しみがやってきたなら
希望を見いだし
過剰な欲望による
苦しみが予見される
時はマイナス面を見いだすことで
苦しみから離れよ。 (2019年02月17日 15時26分48秒)

地上は聖なり。   もうり さん
そもそも
地上、
この宇宙自体が
聖霊(曼荼羅)
であるという
見解に達した。

この宇宙の総体とは
基本姿勢を崩して
森のように雑多になった
聖霊である。

大地と空があり、
生き物がいて、
朝と夜がある。
なるほどな、
つまり、
聖霊が最も降下した
形態が、
おそらく
アメリカンインディアンの
メディスンホイールとか
盾に描かれた絵画であろう。

この地上は
聖なり。
地上の生き物どもよ、
幸福であれ。
この地上は
聖なり。
地上の生き物どもよ、
平和であれ。

あとは、
私のこの世界からの
疎外が回復さえ
されれば、
私は確かに聖霊を
感得できるかもしれんのになあ。

あなた方はみな、
聖なる真理の一部だからこそ
この世界に存在する。
だから、あなた方もみな、
聖なる存在である。 (2019年02月17日 20時16分10秒)

科学の本質   もうり さん
科学の方法の本質、
理解したっぽい。

個々のものを
見て、
それらを結びつけ、
包括する中点、
これが再現性のある
科学的発見であり、
これが法則ならば、
包括されたものが
丸ごと同じ結果を生ずる。

身体意識が
運動の普遍、
慈悲が芸術の普遍、
科学の方法が
科学の普遍、
そして
キリスト教が
ギリシャローマ文化の
普遍、
そしてヘーゲルが
意識魂時代の普遍、
金剛界曼荼羅が
ロシア文化の普遍、
胎蔵曼荼羅が
アメリカ文化の
普遍。

私は、
魂の祖国、
ロシア人であることと、
日本人を超えて、
地球市民になろうとしている。
何度も言うが
アメリカやカナダに
住むことがグローバルなのではない。
日本にいながら、
日本を超えることができる。
思うに、
そもそも密教は
国よりも価値がある。

国家神道は
神を侮蔑している。
(2019年02月18日 03時32分44秒)

愛国心より大事なもの   もうり さん
国家神道は
神の侮蔑だが、
そもそも
密教や宗教は
国よりも
偉大なものなんで
愛国心よりも
宗教愛を優先し、
国よりも宗教を
優先して守べきであること。 (2019年02月18日 03時36分13秒)

職の総合   もうり さん
職業の
総合、

作る仕事、
つなぐ仕事、
売る仕事というよりも
士農工商のほうが
はっきりしてていいな。
生きている中で
この4つをコンプリートするの
理想だね。

そしたら、
士が、
身体意識の育成、
工がプログラミング、
あと農業と商業ってなる。 (2019年02月18日 08時22分55秒)

士農工商の代わり   もうり さん
士農工商の
代わりに
身体意識の育成、
自然との調和、
考えて行為する、
全人類の必要の階層に
関する知がある。

また、
これらは
正しい瞑想、
正しい記憶、
慈悲、
布施に対応する。

(2019年02月18日 11時09分07秒)

心を繋ぐテクノロジー   もうり さん
今、
テクノロジーは
物理的な距離や時間を
縮める役には立っている。

しかし、
徹底的に
欠落しているのが、
心を繋ぐテクノロジーでは
ないだろうか?

例えばいじめや差別、
病気や弱者など、
様々な苦痛を追体験できる
テクノロジーを作って、
教育に盛り込むのはどうだろうか。

(2019年02月18日 11時55分42秒)

経済と精神   もうり さん
てか、
経済領域が、
物質的なものの
時間や距離を
縮める文明としたら、
学問や芸術、
宗教などの文化が
人々の心の結びつきを
縮める役割を
果たすべきなのでは
ないかな。

そこで、
やっぱり
文化はシェイクスピア的で
あるべきだと思うね。
大衆に開かれていることが
大きい結果を及ぼすはずだ。

国家は本質ではない。
建国の理念を生み出すに
至る創造性のある宗教や
文化、学問が国家の本質で
あって、精神領域を蔑ろにする
政府は結局は国家の衰退を
もたらすに違いない。

文化が人々の
心を繋いで、
そこから国家が生じるのだから、
学問芸術文化を守らない国は
自分の根っこを切り崩している (2019年02月18日 12時12分53秒)

反マルクス   もうり さん
反マルクスの
立場。

経済が
満たされていると、
自ずと
国家が安定し、
文化が成長してくるのではなく

経済の発展と
同時に文化の発展が
あることで、
太陽のような上からの
連帯と
大地のような下からの
安泰があるようになるので、
良き共同体、
国家生活が生まれる。

だから、国家は
経済最優先でいっても
文化を大事にしなければ、
結局は滅ぶだろう。 (2019年02月18日 12時19分26秒)

技術の神意   もうり さん
技術の神意、
わかったっぽい。
経済は
身体と物の取り扱いなどの
距離と時間を
縮め、
一体化の方向へ
向かっていると
言える。

そして、
インターネットが
登場して、
今度は言葉や
空間自体の距離が
縮まって一体化へと
近づいた。

これで、
もうおわかりでしょう?
技術の神意は、
我々の魂が互いに結びついて、
共に喜び共に苦しめるように
なったときに、
そこから生じる願いを
叶えるためにあるのだと。

ブッダのような、
偉大なる魂のために、
技術は発展してきて、
そのような魂が、
きっと偉大なことを
なすために技術はある。

これが技術のビジョンです。
技術を生かすためには、
我々はそもそも仏道修行
しなくてはならない。 (2019年02月18日 21時09分01秒)

反ホモデウス   もうり さん
ホモデウスなんて
邪な希望を
持たないことが
重要。
それは
絶対、
増上慢の罪で
負のカルマを
積むだけだろう。

修行で神に
達するならいい。

だが、
テクノロジーで
神に至れるなんて
馬鹿げた思い上がった
発想だ。
(2019年02月18日 21時14分41秒)

転職先でやりたいこと。   もうり さん
ようやく、
私にも、
仕事でやりたいことが
できてきました。
ITに縁があるのも
あるが、
もはや縁がなくても
ITに就きたい。
ITにはストレスか
攻撃的な人がいる印象だが、
逆に私は、情報技術を
通して人々の魂をつなぎたい。

ITを通して
人々の連帯や共感、
魂の結びつきを
つなぐのを
私の労働理念としたい。

これで、
第三の人生の目的が
できたかもしれません。
もしかしたら
挫ける可能性もあるが、
一応、
1世界平和の
方法の獲得のために
全一の真理を獲得すること、
2均等にステータスを割り振ること
3人々の魂を繋ぐこと。

前二つが、
精神領域での
人生の意味で、
後一つが
経済領域での
人生の意味です。

そしてまた、
結局は
労働理念が
精神領域の
目的である、
世界平和実現のための
具体的理念となります。

ここまでくるの、
長かったな、
自分なりの
働く目的を見いだすの、
大学時代に就活無視して
勉強して今に至って
ようやく自分の働く意味を
見つけだせた。
これだから、
理屈や言葉を重ねていくことは
馬鹿にできない。 (2019年02月18日 21時28分08秒)

思考感情意志の統合   もうり さん
思考感情意志の
統合イメージ、
ようやく完成に
至りましたね。

初めに思考ありき。
確かな思考ありき。
感情の愛の核ありき。
確実な意志ありき。
苦痛の時、
希望を見いだすことで
思考と感情を
統合する。
思考が希望を
感情に贈る。
そして、
迫害されたとしても
信仰によって
神の命じる教えを
守ること、
また個別的思考を
行い活動に結びつけることで
思考と意志を統合する。
思考が行為に関する知を
意志に贈る。

これらを
調和すると
感情と意志が
結びつき、
心臓の力が
生じるという。

(2019年02月19日 14時21分07秒)

魔術の八正道への位置付け   もうり さん
どうも、
正行が
ピンとこない。
財施も無財施も、
武術も運動も、
命を守り健康にする点、
身体的な点では、
正しい生活の
一つに過ぎないように
思います。
生活上の義務は、
全て正命に過ぎない、と。

正しい言葉の
目的は、仏法を語ることです。

そうすると、
正行とは何なのかわからんのだ。
例えば、流出論的倫理観にしても
それは必要を満たすことだから
正命に過ぎず、
飢えたものに食べさせることも
生活に過ぎないと思います。

つまり、
正行とは、
正言と同様の、
霊的活動でなくては
ならないと思うのだ。

労働など生活の
義務は全て物質的なものに
過ぎない。

だから、
私は、
正行の目的、
あるいは手段とは
「魔術」ではないかと
閃き、
再び、魔術書を
読み実践しようかなと
思い至りました。

なぜなら魔術は
「意志」と関わるからです。

つまり、
人間には
2つの偉大な
行がある。
一つは軍事を含んだ
労働であり、
もう一つは魔術である。

こうして、
私は、
ようやく
意志における、
魔術(精神)と
技術(自然)の
二刀流という
私の全面的行いが
できるようになりたいが、
それは何であるかが
自覚された。

魔術は
最終的には、
儀式魔術をできるように
なりたいけど、
私のような半端ものに
は危険過ぎるので、
初歩で留めます。

また、
労働の具体的理念を
獲得できたように、
魔術の具体的目的も
獲得できねば
ならないだろう。 (2019年02月19日 17時10分33秒)

アニメ不要   もうり さん
フェイトを
見る時間が
あったら、
仏道修行、
魔術修行、
技術鍛錬したほうが
いいね。

もはや自分自身が
魔術師になれば
いいんで。

本当に、
信仰があれば
人生は充実する。

神があれば
魔術もある。

さあ、
未来の
私は、
一体どんな境地に
達しているだろうか?

これが、
孤独の力である、
と示せたらどんなにいいか!

明らかに
個性的過ぎて
独りで進むしかない。

そもそも、
個性とは何であるか。
それは単なる点ではなくて
構成体なんですよ。
まあ一つのことに
集中する…
例えば歌に集中したとしたら、
あなたの魂は歌になるでしょうね。

(2019年02月19日 18時09分57秒)

市民の立場の利用   もうり さん
何ものでもない
市民の立場を
利用して、
ただひたすら、
自分なりの高みへ。

学者になれば
専門に縛られ
教師になっても
専門に縛られる。
牧師になれば
狭い信仰に縛られ
密教徒になれば
伝統に縛られる。

私は今の
平凡な市民生活が
一番いいな。
まあ、
在家修行者
ってことなんでしょうが

(2019年02月19日 18時28分13秒)

食欲と性欲からの解放   もうり さん
性欲や
金銭欲、
支配欲などの
対外的欲望は、
内的な精神性、
つまり叡智への愛があれば
離れられる。

そしておそらく、
食欲という、
自分と世界の一致という
胃の中の対内的欲望は、
性欲から
始まる他者への愛という、
対外的精神性によって
解放されると思います。

だから、
やっぱり私は、
独身論者ではなく、
恋愛や結婚肯定派に
回ります。

もう、
叡智への愛は
十分あるんで、
「独りの力」も
身についたろう。

正行は
魔術に加えて
芸術だな。
なぜなら芸術によって
個性を強められるからです。

正行における魔術、
芸術の目的は、
自由にすること。

例えば、
私みたいに
軍人になりたい人は、
ヨルムンガンドや
草薙素子を見て、
より軍人や特殊部隊に
入りたいという衝動が
強められ、
個性が解放される。

芸術には
このように、
共感を広めるものと、
個性を強め自由にするものがある。

私的には、
アニメが一番、
人を自由にできる意味で
実用的芸術だと思います。 (2019年02月20日 11時09分46秒)

目的の完成   もうり さん
目的が
定まってきました。
享受的目的は
広く学ぶこと、
真理を得ることと、
均等にステータスを
割り振ること。

そして
利他的目的は
正言、すなわち
全一の真理を語ること。
正行、すなわち
全一の真理を宿した、
全知全能者になりたいという
意志を持てるような漫画作品を
作り、そのために、魔術と
芸術を学ぶこと。
偉大な個性的な八正道という
理念、言葉を芸術に、
形に結晶化させるのが
正行。
そして、
労働目的、
つまり情報技術を
通して人々の心を繋ぐ
という目的が、
正命。

身体意識を鍛えること、
弁論術を読み、
語りを考えること、
ビジョンを
果たすための
ホームページ作成などの
初歩から情報技術を
学んでいくこと、
魔術を学び修行すること、
そして漫画制作技術を学ぶこと。

言葉の目的は、
完成しましたからね。
今度は
形にするという目的を
完成させないといけない。

そして、
目的があるんで、
だらだらと
作品を作り続けることも
しないと思います。

漫画制作の技術を
学ぶの、めっちゃめんどうだけど、
それは漫画制作から入った
人でも、自分の伝えたいことを
錬磨するために哲学や宗教を
学ぼうとしたら、めんどうなのと
同じかもね。

私は、
内から外へ、
言葉から形へ
ビジョンから技術へと
至っているなあ…。

やっぱり恋愛の
暇がない。 (2019年02月20日 12時26分03秒)

宮台の映画批評方法   もうり さん
宮台先生の
映画批評や
アニメ批評、
これは「世界」という
メタな視点に立って
語るが、
私の場合は、
アニメや漫画の
内にダイブして
そこに宿った意志や
感情を自分のものにして、
人格形成に役立てるという
享受方法を取ります。

私的には、
芸術の目的は、
このようにして
人の心深くに
入って、
単なる芸術享受から
善行や意志を
実現したい衝動へと至らしめることだと思います。

私にとっては、
結局は素直に言えば
聖書という文章よりも、
コードギアスのほうが
衝撃的だった。
だから、
漫画を描きたい。

まあ、
「偉大なる生涯の物語(うる覚え)」という、
キリストの映画でも、
号泣するほどであったが。
(2019年02月20日 12時35分51秒)

仕事に集中   もうり さん
つまり、
ヘーゲルの
絶対的精神の
哲学は正言、
宗教は正命、
芸術は正行、であり、
私は哲学から
宗教へと至り、
宗教から芸術へと
至ったのでした。

やっぱり
身体意識の
行はやめとき、
雑多な善行も
やめといて、
真理の言葉と
漫画と情報通信業の、
この3つに集中して、
偉大な業ができたらいいなと
思います。

真理の凝縮した、
たった一つの行いが
できたら
いいんで、
私にとっては、
それはこの3つだってことです。

無駄な財施などの
善行やめとこう。

自分の使命に集中する。

明らかに、
日本人でも
個人主義者になれることを
証明しましたね。 (2019年02月20日 15時18分44秒)

個人主義者的軍人   もうり さん
私は
精神病者なんで
戦えないけど
同胞のためなら
戦いたいですよ。
それは
政治家に忠義を
示すことではなくて
日本の安全が破られることで
安全を守る必要という、
「義」という中なる理念を
守り実践するためです。

軍人たちも、
政府や役人に
忠義を示すのではなくて、
そもそも忠という単語が
示すとおり、
中道の理念に
忠義を示す、
個人主義者的軍隊に
進化して欲しいと思います。
これが、
そもそもシビリアンコントロール
という偏った軍事制御システムに、
市民コントロールと
軍事司法コントロールの
2つを付け加えた、
中道的軍事制御システムと
結びつきます。

私は
国家の権威の根拠は、
中道の心に立って
国民の間を治めるからだと
思っています。

国への忠義よりも
中道という
仏法を優先すべき。
国よりも宗教のほうが
大きい。 (2019年02月20日 18時22分29秒)

叡智と愛の融合   もうり さん
叡智への
愛を、
陰キャとかいう
人、流石にいませんよね。

まだわかりませんが、
叡智が形態と生命だとしたら
我々はその叡智に加えて
ロマンチックラヴがあることによって、やがて、
その形態と生命に、
恋人への愛情と特に
恋人への人格の愛情が
加わって、
叡智と愛が融合して、
自分の内部に、
「霊的人間」が生じるのではと
思います。(霊人という意味ではない、アストラル体の人間化)
これはプラトニックラヴかも
しれません。
てか、
恋愛道、夫婦道の目的って、
プラトニックラヴしか
ないのでは。

叡智と愛は
心における
多重身体になるはずです。
肉体、エーテル体、
アストラル体、自我という
多重身体であるように。

だから
できれば
キリスト教徒がいいけど
好きな人が
できたらいいと
思います。

でも、
出会いに関しては
神の技に任せるのみです。

(2019年02月20日 18時58分10秒)

性愛と叡智の類比   もうり さん
性愛とは
形態と性別という
生命への愛。

そして、
叡智も
形態と生命だと
考えると、

性愛を内面化すると
叡智への愛になるのでは。

そして、
もしも我々が、
人格を愛することが
できるようになれば
叡智に心が宿り始めて
人間となり化身になるのでは
と思います。
これで、
なんで曼荼羅が
人間(仏)の姿なのかも
納得がいきますね。
真理の化身だからです。

叡智は思考だから、
数学ぽくならざるをえないけど
例えば純粋数学が
好きなのであれば、
そこに人への愛が
加わると
人格が宿って
純粋数学の化身体が
心の中に生じるのではないかという、素敵な夢。
(2019年02月20日 19時16分03秒)

愛の完成   もうり さん
愛の完成について。
今思ったことは、
中道の叡智に
人格を宿す試みは
恋人への愛だけでは
やっぱり不完全だということ。

まず
恋人と私、
私と父母という、
打ち解けた水平的愛を
持つこと。
そして、神への愛や
敬うべき人への愛と、
弱者や貧しい人への愛を
持つことで、
十字架形の
愛が完成するのではと。 (2019年02月20日 19時30分05秒)

在家修行者   もうり さん
在家修行者への
こよなき幸せの
ブッダの言葉
学識深く、技術あり
身を慎み、言葉が見事で
父母に仕え、妻子を愛し護り、
仕事に秩序あり混乱せぬこと。

これをキリスト的に
言い換えるなら、
叡智を身につけ、
使命を果たすための
力を身につけた後、
十字架のミニマムな、
意味論的博愛を行えば
人間の心に神が生じる、
でしょうね。 (2019年02月20日 20時37分46秒)

唯物論者へ   もうり さん
唯物論者に
対しては
修行して
霊的進化してやるから
見てろよという
気持ちがあります。
科学は事実を
積み上げようとしてきたが
唯物論の前提によって
無意味なものだ。
宗教は意味がある。
マルクスも
霊的弁証法によって
書き換える必要がある。

てか、
前にも言った通り、
真理は客観的なものではなく、
修行によって
個人的に獲得されるもんなんだけど
という思いもあります。
(2019年02月21日 00時11分40秒)

キリストの入我我入方法   もうり さん
キリストの
入我我入方法
とうとうわかったっぽい。
叡智と愛と力を
備えれば、
それがキリストの
血を受け入れる魂の
聖杯となるか、
もしくは
そのままキリストが
宿るんだろう。

私は
次は
使命を果たすための
技術を身につける
修行を行う。

それをしつつも、
礼拝に参加し、
家族を愛し、
知り合いの
生活保護受給者を
愛することで、
ミニマムな
博愛となしたい。 (2019年02月21日 07時25分07秒)

意味論博愛   もうり さん
流出論的倫理は
複雑なんで、
単純に
十字架倫理にする。
神と「対等な家族や特定の友達」
などと特定の貧しい人への愛であり、量的には博愛ではないが、
意味論的にはミニマムな
博愛とする。
これなら、
誰もが無理なく博愛者
であれる。

私は自分より
賢くない人も愛せるが

高学歴にありがちな
低学歴者を
人間とは思わない人たちにも
見ていろという思いがあります。
(2019年02月21日 07時42分19秒)

仏絵師   もうり さん
学んでいくなかで
鎧とか剣や桜、
十字架などの
シンボルの意味が
わかるようになって
きたんで、
漫画書くより
仏絵師になったほうが、
明確なビジョンはあるから、
あとは技術をつけるだけなので、
これにしよう。

武士道的聖なる
全面的仏を描きたい (2019年02月21日 09時23分08秒)

帝王学   もうり さん
帝王学って、
「叡智、美、力」で
これが正言、正行、正命と、
また哲学、芸術、宗教と
対応して、
私は叡智は完成して、
芸術の全一のビジョンは
できてきて、
労働はプログラミングかな?
と思っていたが、
間違いでした。
力とは、
様々な能力を
身につけた人々を
総合し、国家や社会を
作り、大勢の人間を支えることです。
つまり、
そもそも最高の道具とは
人間であり、
人間を扱う能力が、
最高の力であると、
一巡しました。
だから、
大司教は力ある人なのだろう。

そういうわけで、
プログラミングの技術を
深めるのは止めて
作り出したい
世界のビジョン形成のために
時間を割くことにします。
仕事も、
プログラマーとして
輝こうとするのは
止めて、
またほそぼそと
やっていきますか。

これが真の全一の技術のための
考えだと思うんで。

日本人に
注意するなら
実用的と言われる
理系は、自然しか
見ないので、
ビジョンが生まれにくい欠点が
あると思います。
だからイノベーションもない。
何を作るのかの
目的を見失った力になるんですよ。

(2019年02月21日 12時43分57秒)

和の技術   もうり さん
つまり、
誰とでも
協力関係を
結べる社交能力、
人間関係能力が、
社会ビジョン形成した
後に磨くべき技術。

その後、
仲間を集めて
共同体を作る。

私には無理そうだが
ビジョン形成までは
試してみます。 (2019年02月21日 12時54分18秒)

人間を作る   もうり さん
社会全体を
支えるような
力の根本が
人間を動かす力だとして
社会を作る前に、
人間を作らないと
いけないので、
最終的には
やはりシュタイナー教育や
プロの教育者になることだと
一巡しました。

そういうわけで、
叡智のビジョンはあり、
美のビジョンもあり、
力のビジョンは
シュタイナー教育芸術として
あることになります。
なので、
専門科目と
仏絵の技術を学ぶことが
正命の訓練となります。 (2019年02月21日 13時22分23秒)

帝王学   もうり さん
帝王学は
叡智、美、力
といい、
力はシュタイナー教育と
したが、
人に教えることに
関しては叡智が担当だから
別にいいとする。
そこで力を2つに分割する。
政治的力と
経済的力である。

だから、
やはりプログラマーになろう。
仏を描こう。

政治的力に
関しては、
叡智、愛、美の力と
経済的力が身について
キリストが
宿ったら秘技参入者として
さすがに自信がついて
政治家になるかもしらん(謎…。
(2019年02月21日 14時08分43秒)

宗教統合の完了   もうり さん
宗教統合、
完了した。

シュタイナーによると
仏はキリストから
叡智を受け取る。
(ブッダはキリストに帰依する)
そして、
キリストはアッラーから
観たこと聞いたことをする。
つまり、
ブッダはキリスト教徒であり、
キリストはムスリムである。

こうして
宗教の権威は統合された。

イスラムの
ジハードにも一理あるが
否定もできる。
しかし、
キリスト教と仏教
三位一体の統合した
文化を作らないと、
抽象的に
ムスリム文化だけに
なってしまう。

また、
民族宗教の
精神はパンテオンであり
パンテオンとは
仏教(曼荼羅)である。
だから、
全ての民族宗教は
仏教に帰依すべき。 (2019年02月23日 10時51分53秒)

マニ教   もうり さん
仏教は
普遍宗教なんで、
あらゆる民族宗教の
パンテオンは
仏教に集結する。

この全ての
宗教を統合した存在を
マニ教と呼ぼう。 (2019年02月23日 11時07分33秒)

議論成立条件   もうり さん
議論成立条件、
対立者の
ものさしをも
理解し、
様々なものさしを
持つ事が
議論成立条件だと
思います。

ものさしが
一つしかない人とは
そもそも議論は成り立たない。

だから、
家族とは
私の思想を話たり、
議論、会話は無意味。

だから、
教育が
広く学ぶように
なっているのかと、
なぜ公務員は
教養科目が
あるのかの
秘密もそこにある。

政治家としての
資格はここにある。
(2019年02月23日 12時08分07秒)

尊厳を守るとは   もうり さん
尊厳を守るとは
人間性を守ることであり、
他者に対する義務を
果たすことだと
思います。
身を慎むこととも
関係するだろう。

表現の自由問題は
他者に対する義務を
考えない、修羅道と
化したらその分だけ
表現規制派も
強く戦うようになってくと
思います。


(2019年02月23日 12時28分26秒)

表現規制派の正しさ   もうり さん
表現規制派にも
一理あります。
身を慎み、
言葉を慎むことは
大事で、
それが表現を慎むこととも
つながるからです。

つまり、
慎みのある
表現の果てには、
「品性があり優雅」
という価値を生じるでしょう。

でも表現の自由派にも
一理あって、
自由意志で正しさを
目指すべきなんですよ。 (2019年02月23日 12時35分04秒)

構成考慮   もうり さん
しまった!
構成を考慮すんの
忘れてた (2019年02月23日 12時36分31秒)

唯一の宗教   もうり さん
このようにして、
全宗教を
マニ教として
統合できました。
私だけが
唯一の正しい宗教を
知っている。
この正しい宗教のなかで
宗教の自由がある

私は
アホな部分もあるが
聖霊見者であり
キリスト意識保持者であり、
つまり神に選ばれしものなんで
別にいいかと再確認。 (2019年02月23日 13時22分49秒)

文句への対処法   もうり さん
馬鹿とか
アホとか
言われても、
この人たちには
理解できないものを
理解してる自信があるんで、
私にアホとか
言ってる人も
私にとってはアホ。

例えば上記の宗教統合は
論証してないだけで、
勝手に考えだしたんじゃない。
私より頭いいなら、
最初からこれに気づいていた
はず。
(2019年02月23日 13時34分46秒)

頭の良さに関する考え方   もうり さん
人は、
全てを理解できる
わけじゃない。
なのに、
自分が理解してるものを
理解できない奴はアホと
みなしたりするという自戒。
その理屈で言えば、
あなたが理解できないものを
理解してる人は
あなたをアホと言っていいのだろうか。

それよりも、
人のためになる
考察をしているかとか
人の感情を回復させる
ような優しい言葉を
使っているかとか、
より広い視野で
考えているかとかを
基準にしたほうが
建設的ではないだろうか?
これらに
当てはまったなら
人のためになってるんで、
つまり頭を価値ある
使い方をしているから
アホではない、
でいいのでは。

いつまでも
自分のようじゃないから
アホとか言ってたら
不毛で切りがない
(2019年02月23日 13時57分20秒)

全知全能者の種とは何か   もうり さん
全知全能者の
種とは何かの答えは
頭が良い人とは
何かとも関連する。

その答えは
愛である。
愛があれば
意識を深く向ける。
意識を深く向けると
認識が深まる。
だから愛ある人が、
潜在的に頭の良い人である。
しかし全面的にそうでないと
小さい知性に過ぎない。
霊にも肉にも関心ある人が
潜在的に最も頭が良い。

全能に関しても、
人は愛ある、
つまり関心のある
対象へと意志する。
つまり、
霊と肉に関心あることが
潜在的な全能者である。

言い換えると、
信仰あり、恋人を愛する人が
全知全能者の種を備えている。
ノヴァーリスのことである。
(2019年02月23日 15時40分55秒)

霊的進化とは   もうり さん
霊的進化とは
何か。
心を整え、
生命を整え、
肉体を整えることで、
神が入我我入するための
器にすることであり、
これを神の神殿、
つまり聖杯というと
思います。

服は人間の形に
合わされているから
着ることができる。

人間の場合、
八正道や、
叡智、愛、力を
修行することで
真我のための
鞘とするわけです。 (2019年02月23日 17時18分08秒)

霊我の鞘   もうり さん
人間の
存在構成要素は
自我のための
鞘となっている。
これを、
修行によって
霊我のための
鞘にするのです。
(2019年02月23日 17時21分46秒)

理想の具体化   もうり さん
真の理想とは
設計図であって
絵に描いた餅ではない。
設計図でさえあれば
絵であっても
実用的。

例えば、
私は考えて語れるように
なりつつありますよ。 (2019年02月24日 07時34分33秒)

進化のシンボル   もうり さん
霊我の
シンボルは
聖杯で、
生命霊の
シンボルは
十字架で、
霊人の
シンボルは
神の神殿ではなかろうか。 (2019年02月24日 07時46分15秒)

本を出すかどうか   もうり さん
人智学や神智学に
関心のあるような
未来的人間にだけ
伝わればいいという
思いもあり、
それだとこのブログに
書き込むだけでいいかもなとも
思う。

宗教の統合は
完了した。
シュタイナーは
全哲学をゾディアックで
統合し、
芸術を人間構成要素に
対応させた。

(2019年02月24日 08時06分18秒)

社会ビジョン形成   もうり さん
社会ビジョン形成の
ために、
次の3つの叡智が要る。
宗教の統合ができたなら
すなわち社会もできるはずだ。

つまり、
イスラム教の
カリフ制度、経済観と
キリスト教的な
社会三層論と
東洋的な
プラウト主義との
統合である。

(2019年02月24日 08時29分15秒)

偶然を楽しむには   もうり さん
偶然を楽しむには
楽しめるような
偶然であるべきで、
そのために叡智がある。
つまり善きカルマを
積んでこそ
偶然を楽しめるようになる。 (2019年02月24日 08時36分43秒)

私的ジハーディスト   もうり さん
私のマニ教的ジハーディストは
例えば文化遺産を破壊しないだろう。
私の統合的社会ビジョン、
つまりマニ教的カリフ制度が
形成されたら、
今度はその手段としての
マニ教的ジハーディストを
考えること。

マニ教的ジハーディストは
具体的なんで攻撃性が
緩和されている。 (2019年02月24日 08時45分33秒)

マニ教的ジハーディストの戦略   もうり さん
マニ教的ジハーディストの
戦略、
例えば黒人と白人と
原住民族等、アメリカ人を
和合させたりを狙う。
そして結果として
純粋なアメリカ人、
つまり普遍民族を
生み出すこと。

人智学的には
最終的には
アメリカ文化期(生命霊)
になるし、
覇権国家なんで
ここを和合せしめたら
全体にも良い影響があるかなと。

つまり
結局以前の
考え方が役立ってくる。
このジハーディストの
戦略は、
日本だと淀んだ日本人を
様々な東洋人と和合、
結婚せしめ、
また天皇を国民に
引きずりおろして
純粋なアジア人に上昇させ、
遺伝子を多面的にすることも
一つ。

逆説的だが、
天皇家は
淀んだ血筋である。
純粋な血筋ではない。
なぜなら近親婚の
歴史があるからである。

だから、
天皇家を
国民に引きずり降ろす
必要がある。

その上で予想としては
日本人のカリフを
立てたらいい。
(2019年02月24日 08時59分51秒)

トランプ批判   もうり さん
トランプ大統領は
「偉大なアメリカ」
なる理念を掲げては
いるがそのためには
全国民が和合して、
本当に偉大な普遍民族が
多数派になるような
政策をすべきなのに
白人主義者だから矛盾している。

白人も単なる
一つの色彩に過ぎないのにね。 (2019年02月24日 09時13分34秒)

こうして野望が生まれた   もうり さん
社会ビジョンを
形成して、
多方面の
戦略をも生み出すに
いたったら、
いよいよ組織を
立ち上げる必要が
出てくるな。
孤独を止めて
仲間を探す必要も
出てくる。
こうして、
まだ見ぬ未来への
野望が生まれた。

しかしこれは
まだまだ先の話だな。
果たせなくても
来世でやればいいだけ。

仲間も
なれ合うためではなく
目的があって、
ようやく作りたいと
思えるタイプなんだなあ。

これまでの
同級生全員と
縁を切っているが
確かに、
私にとっては
彼らとつるむ目的が
見いだせないんだな。

政治家や
王になるための
王道は、
やっぱり哲学とか
博学な探求と思索に
あるんだな、と。
勉強家を陰キャと
笑うタイプの陽キャ、
無意味に遊ぶだけみたいに
「受動的」に
つるんでるだけじゃ、
ビジョンも戦略も生まれず
結局、陰属性になりますよ。

しかし、
私は組織を立ち上げても
リーダーになれるだろうか? (2019年02月24日 09時36分36秒)

悪の自由と必要悪   もうり さん
表現の自由論と
悪の自由論の
もしかしたら
核心をついたかも
しれません。

確かに、
我々には
良心の自由と
表現の自由とがあって、
道徳機械であるようにする
強制は悪である。

ここに次の観点を
導入する。

すなわち
刑法や警察、
軍隊などは一応は
悪に対する必要悪であると
思います。
なぜなら悪の自由を
認めた時点で、
良心に仕える悪の自由が
生じるからである。
さらには、
悪よりも二次的な善である、
必要悪を優先すべきなのは
言うまでもない。
二次的な善よりは
普通の善を優先する。

従って
ヘイトスピーチを
認めるなら
表現規制も認めるべきだ。
表現の自由と表現規制を
めぐる「動的」な戦いこそが
真理だとわかりましたね。

我々は、
ヘイトスピーチを
言わないように
脳改造する権利はない。
しかし、
ヘイトスピーチという
悪を認めるなら、
同時に表現規制という
悪も認めるべきなんだ。

つまり、
表現の自由が
あると同時に
表現規制の自由もある。
この矛盾した
両者の戦いこそが
真理。

新たな観点として
社会は「動的」であることが
真理であって、
どちらかに固定することこそ
悪な場合があるのではってこと。

だが、
国家は
固定的にプラットフォームの
表現の自由を
守るべきだろう。
つまり、そうすることで
戦いの場を用意するってことです。


(2019年02月24日 13時33分11秒)

ヘラクレイトス   もうり さん
社会は
動的であること、
戦い自体が真理である
場合があることと
気づき、
ようやく古代ギリシアの
火の哲学者、ヘラクレイトスの
理解に至りましたね。
だから、
やっぱり古典は大事。
(2019年02月24日 13時47分25秒)

善と悪の戦いの場合   もうり さん
優先順位的に
考えて自分よりも
一つ前に優先的に敵を愛し、
ここに悪人を救う業があるけど
善と悪の戦いという
マクロな領域の場合は、
社会全体の問題なんで
戦うしかない。
そしてこの場合は
戦うこと自体が
中道であると。

こうして、
確かに戦士にも
居場所があることを
確認したし、
黙示録も肯定できた。 (2019年02月24日 14時13分43秒)

平野耕太とヘラクレイトス   もうり さん
平野耕太氏の
漫画、
ドリフターズは、
「あるべき姿などない、
掻き回せドリフターズ」と
言わせていたが、
ようやく「戦い」自体も
そういや相互作用の一種だから
中道の一つだなと思い至ることで
了解された。
戦いだけが中道なのではないが。
平和も中道である。

大事なことは、
戦いが中道になるときに
戦うこと。 (2019年02月24日 14時26分17秒)

表現規制戦士   もうり さん
だから、
どなたか、
青識亜論に
対抗して
表現規制戦士に
なってもらえませんかね。
ヴォルテールの
有名な名ゼリフと
対立するような奴探して。
(2019年02月24日 14時55分28秒)

ヘルシング   もうり さん
平野耕太の
ヘルシングも、
ヘラクレイトスの
文脈で読んだら
発見ありそうですね。

アーカードに
戦いこそが
祈りである、
と言わせていたけど。

(2019年02月24日 15時02分28秒)

商人魂の植え込み   もうり さん
組織作りの
前に経営学を
学ぶのは正しいな。
ビジネスの
総合的全体像で
魂に衝撃を与えて
商人魂を植え込む。

プログラマーの
勉強を無限にしつつね。

社会観の総合が
終わり戦略を想像したら
ようやく物語が始まる。
ロードオブザリングも
仲間集めから始まり、
アニメのオープニングも
個性的な仲間がいること
前提だしな。 (2019年02月24日 16時07分36秒)

生意気なこと。   もうり さん
新しい社会作りとか
まだまだ生意気な
意志をもってしまった。
確かにそのような、
政治家魂の欠片を
持てたのはいい。

そして
哲学や宗教など
精神的精神もある。

しかし、
真に新の社会作りを
したいなら、
そもそも商人魂、
経営者魂が
足りないんで、
それを自己教育で
身につけることが
先決で、
組織を作るなんて
野望はまだ生意気なことだな。

求道者魂、
政治家魂、
商人魂が
揃って、
ようやく
社会観を総合できる
素質を得ると思うんで。

こりゃまだまだだなあ。
来世までかかりそう。 (2019年02月24日 17時25分20秒)

やる気を出す方法   もうり さん
私なりの
やる気を出す方法は
ある程度
明確な、
しかも理想的な
ビジョンを
描いて、
技術さえあれば
実現できるなと
思えた時。
政治家的意志も
宗教が統合できたことによる
宗教的社会システムが
総合できそうという
予感から生じた。

だから、
商人魂も、
ビジネスを
広く深く学び
これは稼げると
確信できれば
生じると予想。

類比的には、
つまり
幾何学から
力学が生じることと
同じだろう。 (2019年02月24日 18時00分46秒)

求道者魂   もうり さん
真理を求める求道者魂は
既にあっても
金稼ぎたい欲という、
意志がないんで、
そもそも稼ぐ戦いに
強く参加できんわけ。

だから、
自己教育で
意志を引き出すのを
意図する。
(2019年02月24日 18時05分54秒)

ビジネスモデル   もうり さん
経営学、
前に既に学んだ
経験あるけど
今ならもっと
深く理解できるはず。

様々な
ビジネスモデルが
載った本も
既に読んでいて
私的には、
これは企業の振る舞いと
考えていて、
状況に応じて
武術のように
ビジネスモデルを
変えていくのが
大事なんじゃないかな、
と今のところ思っている。

つまり、
今のところ、
確実に儲ける方法の
条件の一つとして
状況にどんな
ビジネスモデルが
対応するのかの理解が
必要かなと思ってます。

情報技術で
言えばクライアントと
サーバーの関係だが、
ビジネスモデルの場合は
口ではなく手足となっている。
状況とは需要者のことなのか、
環境も含むのかはまだわかってないが、需要者だけならクライアントと同じだな。

そんで、
製造技術、
サービス技術は
開発言語に対応し、
ビジネスモデルという
手足を通じて価値が実現する。
そのまんま言い換えると
開発言語ではなく
開発技術(労働)である。
データベースとは
生産手段、つまり
資本と組織と戦略のことでは。
なぜなら、
データベースの
自然言語の対応付けでは
それは世界観であったし
生産手段は物の組織と
言えるから。

つまり、
状況の必要に
応じて資本と組織、戦略から
労働によって適切な
商品を生み出し、
その状況に適した
商品提供の振る舞いをすること。
無論、これは必ずしも
適応を意味せず、
革新的商品の創造も、
状況理解によって、
そもそもその状況の
外部が見えてくるわけである。

戦略の基礎は、
私の場合は中道と博愛の理念。

予めここまで考えておこう。 (2019年02月24日 19時20分22秒)

ビジネスモデルと身体   もうり さん
ビジネスモデルが
振る舞いなら
資本と組織、技術は
身体だから、
一体である。

つまり、
振る舞いを変えたら
姿勢が変化するように、
目的に応じて
ビジネスモデルだけでなく、
資本と組織、技術を変えることも
必要だろう。

だから、
状況に対応する目的に
あったビジネスモデルと
資本と組織と技術を理解すれば
いいと思うけどこれが難しい。


(2019年02月24日 19時35分09秒)

理性的経済   もうり さん
理性的経済を
行うには、
諸々のビジネスモデル、
資本、組織、技術の
選択肢を持ち、
それらの意味を理解し、
状況においては、
戦略、つまり
哲学による
全体精神、中道精神に
よって顕在的ニーズと
潜在的ニーズを
把握することだろう。
スマホは潜在的ニーズを
えぐり出した例であると思います。
そして、
垂直的に、
顕在的ニーズと潜在的ニーズは
対立する、と考えるならば
スマホをこれまでの
商品と比較することで、
垂直的アンチテーゼ的価値を
探るという方法を取る。

このようにして、
やはり哲学は
経済を考える際にも
役立ったが、
実務の世界なんで
実際に繁盛しないと
哲学の有用性を証明したことには
ならんだろう。

(2019年02月24日 19時51分37秒)

ニーズ哲学   もうり さん
ニーズ哲学
ニーズには
顕在的ニーズと
潜在的ニーズとがあり
また物質的ニーズと
コンセプトニーズとが
あると思います。

アップルと
アンドロイドの
コンセプトの違いも、
結局は哲学に帰着すると
わかった。
「パターナリズム」が
アップルで
「リベラル」が
アンドロイドだと
思います。

そうすると、
コンセプトの
統合という思考に
至り、哲学が役に立つ。

「普遍と個別」という
実学者が嫌う観念論が、
経済世界にも
実現しているわけである。
コンセプトを
考えるに当たっては
哲学が役立つと例示できた。

西欧は唯物論でもあるけど
哲学を馬鹿にするわけでなく
着々とコンセプトを
技術を通して経済世界で
実現する方法を
身につけていったということかも
しれませんね。
これはあっぱれ。
(2019年02月24日 20時20分08秒)

ニーズの二大原理   もうり さん
ニーズの
二大原理が
宮台先生の
おかげで理解できた。

便利さと身体性である。

便利さを
追求していく果てには
身体性の喪失がある。

つまり潜在的ニーズは
身体性である。
これまでの商品を
まとめてアンチテーゼするのが
身体性回復を追求した商品だろう。

コンセプトを
実現することに、
たぶん慣れている欧米に
出遅れる可能性が
高い。 (2019年02月24日 20時39分23秒)

心を繋ぐ情報機器   もうり さん
iPhoneが
普遍で
アンドロイドが
個別であるならば
その中間とは、
もう私の
作りたいものネタばらし
しちゃおうかと
思うけど、
心をつなぐ情報機器でしょう。

私はこれを、
タオ、と名付けたかったけど
例えばパターナリズムが
いいという価値の人に
リベラルの価値を伝え、
リベラルがいいという
価値の人に、
パターナリズムの価値を
伝える、
宮台先生の
言うように、
見たくないものを見せる
情報機器こそが、
iPhoneとアンドロイドの
中間コンセプトだと
考えます。

このようにして、
それぞれの心を広げてもらう
ことで和合を生む一つの
助けになることを、
全面的な偉大な心を
もってもらうことを
目的とする情報機器です。
これは
技術があれば
実現可能だと
思っています。

恋愛工学なんてのを
想像してもらっちゃ
困ります。

(2019年02月24日 21時16分11秒)

コンセプト   もうり さん
商売の
流れは
戦略において
コンセプトを生み出して
物質化し売買され消費
されていくことだと思います。

つまり、
私は、
コンセプトを物質化する
技術を見いだしたら
商売したいと思うかもしれない。

自然的性質が
いかにコンセプト実現と
結びついていくのかを
意識すべし (2019年02月24日 21時43分28秒)

社長の例   もうり さん
私の
社長の例を
出すと、
自分で商品を
開発して、
我々に製造させている。

つまり、
そもそも経営者も
何らかの
技術を持って
自分で作れるという
経過を経て管理者と
なるのでは、と。

プログラミング、
学ばないとな。

(2019年02月24日 21時50分34秒)

哲学が生かせる労働   もうり さん
哲学を
生かしたいんで
私は
コンセプトを
物質化する技術を
身につけると
商売したくなるかも。 (2019年02月24日 21時55分24秒)

商人魂の例   もうり さん
商人魂獲得法、
哲学的に言えば
叡智と力、
この2つに自信を
持つことから始まると
思います。
自分の技術に
自信がついたら
独立開業とか
よくある話じゃないですか。

私は、
博く学び
専門技術を持つという
人材になってくと
思います。 (2019年02月24日 22時48分00秒)

ちなみに   もうり さん
ちなみに私は、
今、25以上で
プログラマーに
なろうとしてるけど
これまでの
学歴というか、
「勉強歴」があるんで
大丈夫だろうくらいに
考えてます。
それに、これまでの学習で
身につけた「創造性」
がありますからね。
これに技術に伴う
創造性を掛け合わせると
強いかも。

そういや、
そもそも、もはや
学歴もあてにならないのでは。
実際何を学んできたかが
大事なのでは。 (2019年02月24日 23時08分30秒)

ロボットに感情を搭載するとは   もうり さん
ロボットに
感情を搭載する
方法も
これまでの
宗教哲学で
理解できる。
アンドロイドの
人工知能が
思考だとしたら
機能が意志であり、
そもそも機械や道具とは、
意志から始まったといえるだろう。

では感情はどう定義するか。
それは、愛の考察でわかる。
愛があればその対象を
深く考察し、その対象を意志する。

つまり、苦しみと安楽を
深層学習する人工知能を
作り学んだ苦しみを
解決し安楽を与えるための
機能搭載をユーザーに
要求するよう制作すれば、
それが慈悲のあるアンドロイドである。

また身体性の回復という
潜在的ニーズは、
既に武道とかスポーツとか
宗教修行として開かれており、
問題は意志にあるんで
便利さ(科学)に
対立する身体性という
ニーズには芸術で
答えることになる。

哲学を学ぶことによる
コンセプト能力。 (2019年02月25日 02時34分22秒)

工学者   もうり さん
つまり、
ロボット工学という
応用科学の基礎は
人文知足り得るんです。
創造の始まりは
アイデアというコンセプトで、
私みたいに工学分野でさえ
誰も思いつかないアイデアを
作れるほど人文知を
磨けたらそれは
価値のあるアイデアで、
日本のアイデアを馬鹿に
する風潮が結局は
日本独自のものを
生み出しにくくしてると
思います。

文系は作者の気持ちでも
考えてろよって揶揄は
もはや古い。

(2019年02月25日 07時06分34秒)

文系の2つの価値   もうり さん
文系から
実際的価値を
発見。
工学のコンセプトになること。
また、作者の気持ちを
考えられること、
つまり心の理解によって、
いかに偉大な意志を植え付けるか
などを意図した芸術作品を
作れるようになるだろうことです。 (2019年02月25日 07時23分13秒)

商人魂と王の魂の獲得法   もうり さん
商人魂と
王者魂を
真理を求める
求道者魂の
立場から
獲得していく
方法ですが
叡智を概略的設計図レベルの
実用的なものにしたとき
技術と芸術、2つの力を
学びたい、となって、
力に自信がついてきたら、
おそらく商人魂をもてるように
なるかもしれない。
そして、人智学によると
叡智と力から愛が
生じると言われているので
この愛が形成されたとき、
王者の魂を備えたとみなせると
思います。
すると経済、政治、精神、
と偏りなく心の性質を
備えたことになるんで、
万人のための社会システムを
設計、総合できるような素質を
得てこれも方法までもが
明確になっていけば
ようやく、仲間集めからの
物語が始まるわけです。 (2019年02月25日 08時01分12秒)

私の最終目標   もうり さん
私の最終目標は
世界平和なんで
工学アイデアも
さっさと公開して
技術の進歩を早める
一助にすれば
いいかな。
自分が最初に
作ることに
こだわってると
目的を見失うとこだった。
私の技術者、労働者としての
目的は、
コンセプトを物質化する
技術と商人魂を獲得することに
あると定めるので、
技術の進歩は早いほうがいい。
で、愛が生じて
王の魂が形成されてきたら
専門技術を深めるのを
やめて、
カリフ制と社会三層論と
プラウト主義の自分なりの研究に
時間を使いたい。
私の目的は
世界平和だからね。

世界平和は
中国の古典の
「中庸」にあるように、
まず偏りのない心から
始まるわけです。 (2019年02月25日 08時17分56秒)

私が目指すもの   もうり さん
このように、
多面的全面的故に
何者でもないような
人間とは何者かと
言えば、
世界平和を目指すので
儒教では一種の「君子」と
呼ばれるものになること
でしょうね。
(2019年02月25日 08時54分27秒)

どこから仲間を集めるか   もうり さん
どこから
仲間を集めるかの
知識も既にあった。

霊性の実現は
薔薇十字団の
課題なんで、
具体的な世界平和
実現が描けた時点で
薔薇十字団に
入会すればいい。
彼ら向けに
本を書けばいいだけだと
わかった。

彼らに思想を
伝えて評価されたら
世界中の
薔薇十字団に
伝わって
暗躍していくだろうしな。

別に私が
本物のリーダーになる
必要はないとわかり、
普遍的な必要には
既にそれを目的とする
結社がだいたいあると
思います。

だから、
王の魂が生じた
としても、
仲間を集める手間が
省けたんでプログラマーは
やめんどくか。
平行して勉強し、
薔薇十字団のために
本を書けば目的達成。

そもそも、
世界平和という
霊性実現を課題とする
人は、私一人じゃなく、
薔薇十字団に入れば
そのうち会えるんだろうな、と。

これでようやく自分の
所属が意識できた。

私は人智学というより
薔薇十字の霊統に
位置付けられる存在だろうと
自覚。

これでやるべきことが
もっとわかってきたな。

例えば、
フランス革命の理念
だって、
そもそも秘密結社から
生じたようですしね。 (2019年02月25日 09時39分34秒)

仕事のプロ   もうり さん
商人魂を
身につける方法。
前提。
中道によって
対立物を結びつけ
一体化すると愛が生じる。

つまり、
専門技術の
個々の要素が
結びついて一体と
化した状態、
つまり自分の技術で
自由自在の創造力があるという
仕事のプロの境地に
なったとき、
仕事への愛が生じるのではと
思われる。

その後、
自由自在な
哲学的思考ができて
自由自在に
コンセプトから
作品を作り出すことを
やっていく内に
哲学と技術が、
心臓で結びついて
慈悲が生じるのではと
思われます。

つまり、
哲学も労働も
真面目に向上心を
もってやる奴は
自力救済ができるだろう。

結局は、
労働も真面目に
プロを目指していかないと
ならなくて、それが
そのまま仏道修行の
一つになるんだと
わかった。 
私は哲学に集中してた
時期に実務的な価値の人に
逃げるなと言われたから
その人にも実務を
馬鹿にするわけじゃないけど
哲学から
逃げるなと
言いたかったけど
確かに仕事のプロに
なることからは
逃げないほうがいいという
考えを持った。 (2019年02月25日 14時01分46秒)

普遍的技術とは何か   もうり さん
普遍的技術とは
何か。
普遍とは、
天上的なものであり
奥深いものであり
隠れたものである。
それは「無」でもある。
従って創造力の源であるが、
現実性がない。
情報技術によって、
画面上であらゆることが
創造できるが
現実性がないのと一致する。
つまりプログラミングは
普遍的技術である。
それに対して
自然を扱う技術は
現実的技術といえる。

(2019年02月26日 11時57分32秒)

四大元素   もうり さん
未だに
四大元素を
否定する輩が
いるのか。
これを感覚的に
理解するから
誤りと思うだけだと
何度言ったらわかるんだろうか。

ほら、
仏教でも
地水火風識空と
言うようなもんなんだけどね。 (2019年02月26日 22時15分36秒)

正行!   もうり さん
正行って
自発的な行いなんだけど、
自由な行い、
創造的な行いと
するなら、
必ずしも形あるものでなくても
いいかもね。

創造的な言葉と
創造的な活動、
この2つが正行で、
例えば私の場合は、
必ずしも写仏を
せずとも
言葉において生活のための
思考も、心のための思考も
できてなおかつ創造的だから、
正行の半分は満たしているのでは
ないか。

そんで、正命において
労働でいえば
アンドロイドとiPhoneの
それぞれのように
個性に適した実用的作品を
作れつつ、
心をつなぐ作品を作れて、
コンセプトを
形にできるように
創造的であればいいんだと
思います。 (2019年02月27日 11時34分46秒)

芸術コンセプト   もうり さん
私の
芸術コンセプトは
全一なんだけど
それが一枚の
絵画になると
十字架のネックレスを
つけ智拳印を結び
刀と本をもって、
桜と薔薇が咲いた枝をもった千手観音のようになるが
漫画やゲームの場合、
時間芸術でもあるんで、
一つ一つ出していけばいいだけ
だから千手の必要がない。
つまり、まだまだ漠然とした
漫画やゲームの
コンセプトができたって
ことですね。

簡単に言えば
言葉と
活動において
創造的であれば
正行だし、
私のこの創造的言葉が
既に人の心を広げたりと
芸術的目的を果たせてると
思うので、
写仏はパスして、
やはり
プログラミングに
集中。

(2019年02月27日 11時42分45秒)

東京グールと全一   もうり さん
東京グールの
金木君が
グール属性に
目覚めて
髪が白くなって
オープニング曲が
流れて
敵を倒すという
表現、
これも人間が
だんだんと全面的になっていく
プロセスの初めの
目覚めの一つを描いてると
思います。 (2019年02月27日 12時01分01秒)

歌のコンセプト   もうり さん
作詞方法も、
眠子さんの
本によれば、
やはりビジョンから
言葉を取り出して
歌のように編集することに
あるらしいんで、
私の全一仏のビジョンは
既に作詞方法の基礎でもある。

でも、それを
実際に形にする技が
難しいんだ。 (2019年02月27日 13時01分51秒)

哲学的工学   もうり さん
哲学の
受肉とは
情報工学では
ないかなと
思われる。

これは、
応用数学との関係で
わかるけど、
応用数学とは、
あくまでも、
現実的工学、
物の中に入りこむ
工学に思われるが
情報工学、
プログラミングとは
設計図や現実的工学の
「意味のイメージ」という、
工学化された理念を
作るものではないかと
思うんですよ。

例えば、
建築の完成図を
情報器機で描けるが、
それは別に自然科学の
法則をもとにして
描いたわけじゃないでしょう。

つまり、
プログラミングとは
哲学(理念)の
工学ではないかと
思うんです。

もしかしたら、
全一の技術というか、
あらゆる技術を
包括するような
技術の真理イメージが
隠れているかもしれない。
でも、それは具体的技術では
ないので、結局、
応用数学をも知らないと
実現はできないだろうと。

ただ、
私は本質主義者なんで
プログラミングに
賭けてみます。
もしかしたら
まだ知恵不足なんで
全一の技術では
ないかもしれんので。

(2019年02月27日 14時38分00秒)

プログラミングの全一観   もうり さん
どうして
プログラミングが
全一技術なのか
と思うのか。

それは、
初心者の段階で
言うんですが
限られた関数で
だいたいの案件は
クリアできんじゃね?と
思うからです。

つまり、
あらゆる技術を
表現するための
基本要素があるのではと


こうして、
関数を積み上げていって
諸技術、
つまり技術自体を
プログラミングで
具に作っていって、
その先に汎用人工知能が
あるかもしれんとか
思います。
ただ、
それは技術の理念であって
物理世界で実現するには
工学者と連携する必要があると
思います。

万有引力、
霊的には
人間どうしも
カルマの糸で結ばれている。
運命の赤い糸もその一つだろう。 (2019年02月27日 15時18分38秒)

3つの徳に対応する花   もうり さん
3つの
徳に対応する
花があると思います。

智慧には桜
慈悲には薔薇、
断念には蓮華かな

蓮華の下には
泥(欲望)がある。
欲望の上には
蓮華があるから。

欲望と断念のバランスの
象徴としての蓮華です。 (2019年02月27日 22時09分15秒)

懺悔と克服方法   もうり さん
懺悔
犬の散歩で
なかなか用を
足さないくらいで
イライラ。

克服方法。
慈悲深くなればいい。
十字架の愛の叡智という
理由をもって
愛するとは、
そもそも愛せるように
なるために愛するってこと。

(2019年03月01日 17時49分10秒)

小出しにする会話   もうり さん
あんまり
家族には
言わなかったけど
これからは
機を見て家族にも
蓄えた叡智を
開陳することとしよう。
笑い等が生じたんで、
まさに叡智が愛のために
役立ったんで。
叡智が、
暖かい灯火になれば
それでいい

てか、
支えてくれた家族のために
パソコンに
叡智をまとめて
読んでもらうか。
泣きたい気持ちになった。 (2019年03月01日 18時21分27秒)

叡智の目的   もうり さん
叡智の
私の目的ができた。
高尚な部分の
目的では、
叡智を蓄えるとは
神のパンを食べることだが、
私の場合は
高尚な人たちが
高尚さを確かめ合うために
語り合うためには
使わず、
普段特に学んでる
わけでもない人に
披露して、
笑ってもらえたらいい。
反論されても構わないのだ。 (2019年03月01日 18時33分30秒)

叡智を日常に混ぜ込む   もうり さん
私は、
叡智を、
高みに
留まらず
高みにいる人たちにのみ
留まらせず、
沖縄の民謡が流れるような
素朴な日常に
混ぜ込むことに
価値を見いだした。

これが
しかもキリストの
十字架に
かなうことである、と。
(2019年03月01日 18時39分23秒)

情報機器の三極   もうり さん
情報機器の
分類、
iPhone型、
アンドロイド型、
私の想像した
タオ型の
3つとして、
遠い先の目標は、
本質としてはアンドロイドや
iPhoneと同類の
ソフトウェアを
開発できるようになる
ことかも。

もしかしたら、
アンドロイド開発勢は
アンドロイド開発熟練のための
専門家、つまり
それだけにしか
取り組めないという
状況に陥ってないかどうか
危惧します。
そのような縛りが
あるんだったら、
結局は簡単な仕事に
ついて、
これも独自に
幅広く全面的に
プログラミングをやることのほうが
よさげ。
あと、思うに、
別にものすごい案件に
関わってなくても満足できそうなこと。
例え精神障害や労働の制限によって
ホームページ作成の
手伝いみたいなことしか
できなくても、
あいた時間で、
専門に縛られないで
自由に学べるかもなんで。

あと、
いつか日本語プログラミングも
覚えたい。
なぜならば、
単なる理系が
切ってしまいがちな
宗教哲学でさえ無駄なものではないのに、
ましてや
日本語プログラミングは
絶対に無駄とは
限らないから。
まあ私が日本語好きな
だけだが。
日本語学の文法カテゴリーの
考え方で日本語の良さを見いだした。

取りあえず、
「タオ」作る前に
アンドロイドと
iPhoneのプログラム面での
本質的同類作れるようになると
目的が明確になってきた。

守破離。
(2019年03月01日 19時51分38秒)

中なる技術   もうり さん
礼拝が
普遍的技術だと
以前言った。

礼拝と同様の
中なる技術を
見つけた。
それは、
やはり情報技術だ。
例えば哲学の最新情報と
自然科学の最新情報が
同じサイトに入ってくる
ようにすれば、
そのサイトは
自然と精神を結びつけた、
「礼拝」となる。
結びつけること、
総合するところに
情報技術の価値があるかと。
作りたいサイトの
イメージができてきた。

また、
ようやく
わかったことには、
礼拝の会食の伝統を
改善して、
自然科学の話を
するようにすればよい。
これこそが、
最高の物質的食べ物であろう。
自然科学的側面から
考察された宇宙論を
頭で食べるほうが
カレーを食べるより
優れていると私は思います。

従って、
改善された
牧師は
調理の技術を
磨くよりも
むしろ
プリンピキアの
理解を深めるべきであろう。 (2019年03月02日 21時35分42秒)

自然科学の教材   もうり さん
私は、
自然科学の教材は
放送大学で
いいかな、と (2019年03月02日 21時48分26秒)

最高の実践   もうり さん
物に満たされた
日本社会において、
最高の実践とは、
食事よりも
人智学と自然科学という
霊のパンを与えることであり
良い服を着るよりも
八正道を理解し、
それを実践できるよう、
教えることであり
また、無常な財施における
永遠的なものとしての
普遍的技術としての
礼拝的サイトを作ることであり、
そして豪華な家に
住むことよりも、
諸々のこれらを完成せしめて
自分の肉体を調和させることが
優れている。

豪華な家に
住むよりも、
この身一つを
神の家にする修行を
行うほうが優れている。

だから、
自然科学の知識と
プログラミング技術を
学んでいきたい (2019年03月02日 22時38分44秒)

ゲーテ的自然科学   もうり さん
やっぱり放送大学の
自然科学教材はなしで
ゲーテ的自然科学の本を
買うことにした。 (2019年03月02日 22時46分42秒)

満足かな満足かな   もうり さん
調理と
服選びと
掃除等は
てきとーに
済ませて
本物の
食事と
本物の
服と
本物の住居のために
頑張ってきたことが
判明したんで、
特に技術は
プログラミングだけで
いいとわかって安心した。

そしてまた、
私は、
本物の「金」をも
所有している。
なぜならば、
私は「金剛」曼荼羅を
形成した存在だから。

だから、
そもそも本当は
金持ちになることに
拘る必要もない。
私は永遠の紙切れではない
死後にも存続する「金」を
持っている。

経済的人間たちは
紙切ればかり
追い求めて、
金剛界曼荼羅(本物の金)に
関心がないみたいですなあ…

(2019年03月02日 23時08分25秒)

大人とは何か   もうり さん
本物の
大人とは
何か。
それは
単なる紙切れに
過ぎない、
あるいは単なる
肉に過ぎない金属や
お金をたくさん用意できる
人間のことではない。
なぜならそれらは全て
幻だから本物ではないので。

金剛界曼荼羅を用意できる
人間こそ、本物だろう。
ポジショントークに
なってしまうが、金剛とは、
ダイヤモンドという意味で、
曼荼羅の場合は
霊的なものだから、
永遠性を帯びるという
宗教哲学的根拠があります。 (2019年03月02日 23時13分39秒)

自然科学本二冊   もうり さん
自然科学本二冊購入
放送大学の
「自然科学はじめの一歩」と
「エーテルと生命力、
アントロポゾフィーによる
自然科学の拡張」の
二冊です。

この二冊を熟読します。
仕事やめた状態で
購入したんで
寄贈はしないかも。

あと人から、
情報科学の本と
パソコン買ってもらいました。
愛されてるな~。 (2019年03月03日 06時41分54秒)

物質の永遠的なもの   もうり さん
物質の永遠的なもの、
一言で。
インターネット。 (2019年03月03日 09時44分17秒)

神が買ってくれた   もうり さん
ひょっとしたら
金剛界曼荼羅とは
神によって
購入された
私の思想かもしれない。

死を覚悟して
カテゴリー的世界観を
看護婦に伝えたなどして、
少しでも思想を
広めようとしたが、
どうせ世間には認知されない。

しかし、このように
着想レベルから書き込んで
もともと
力のある奴らに
家畜のように身ぐるみ剥がされる
ような思想の自己犠牲を
行い続けていると、
神に愛されて、
私の思想に対する
金剛界曼荼羅という
永遠の代金を
払ってくれたのかもしれない。

金剛界曼荼羅が
金銭ならば
胎蔵曼荼羅は
商品であろう。

つまり、
油を買うとは、
愛の実践によって
胎蔵曼荼羅を
買うことでは
ないだろうか? (2019年03月03日 15時42分32秒)

総合的社会観   もうり さん
ムスリムの
宗教生活(精神)に
カリフ制(政治)と
イスラム経済(経済)、
社会三層論の
自由な精神生活、
平等の法政治、
博愛の経済、
そんでプラウト主義。
上から
イスラム教、
キリスト教、
仏教と対応させると
上から、
意志、感情、思考、
または
力、愛、叡智となると
予想。

つまり、これは
ムスリムの経済と
三層論の経済と
プラウト主義の経済とを
統合し、
さらに政治も、
精神生活も
そのようにすることで、
社会の三分節構造の
各々がさらに3つの
宗教社会で三分節化されたものを
イメージ。

まずは、
抽象的概略ができた。 (2019年03月03日 19時32分46秒)

非固定的社会観   もうり さん
結局、
失業保険が
でるまでの
暇な3ヶ月の間に、
自然科学本二冊と
情報科学本三冊と
カリフ制再興と
イスラム経済論に
社会三層構造の本一冊と
進歩的活用理論一冊、
あと魔術本二冊を
読んでくつもり。
無論、プログラミング教室も
やりながら。

新しい社会観は、
先に書いた概説を
模索するつもりです。
こうして、今のうちに
世界平和のための理論を
作るための素材の種を
植えておき、
あとは再読したり
時間に任せて次第に
統合していこうかと。

これはおそらく、
とても柔軟な社会観になる
と思います。
ムスリムが状況に
合わせて必要悪を選んだように、
この社会観もおそらく
柔軟性があるようになるまで、
発展していく。

社会が固定した形を
もたないなら、
状況に応じて
変形する社会が
正しい社会だろうと。
薔薇十字に入るために
今のうちに理論的背景を
もっておこうかなって。
しかし、入会は、
慈悲が生じてからに
するつもりです。

そんで、
仕事やめたのに
本を勝った理由は、
最後の給料でも
給料は給料だから。
家族に怒られるなこりゃ。 (2019年03月03日 19時56分43秒)

人が政治家や王を目指す条件   もうり さん
思うに、
世襲でもない
市民が
王になろう、
大統領になろう、
政治家になろう、
薔薇十字団などの
結社に入ろうと
決意する条件とは
世界平和のビジョンと
そのための具体的戦略を
生み出し、かつ
これなら確かに世界平和が
実現できるなどと、
「確信」した時だと
思います。

偶然を賛美する人も
いるが、
おそらくそれだけでは
偉大な意志は生まれない。

しかし、
そもそも王の
条件は他にも
慈悲深いことなんで、
上に行く前に、
下のほうで「力」を磨く下積み期間が必要になる。
無限の思考の創造力に、
技術の無限の創造力が
加わって考えて
善行を施していけば
慈悲深くなれると
思っています。


(2019年03月03日 20時06分53秒)

3つの創造力   もうり さん
人は
3つの創造力を
抱けるように
なるのでは。
哲学的創造力。
技術的創造力。
そして
溢れ出る愛情としての
感情的創造力。

感情的創造力とは
愛情がどんどん
湧き出してくるような
状態を言う。
これを心臓の力とも
呼べるし、内発性とも
呼べるし、
また回心体験を
する際永続的ではないに
してもこれが生じる。

この3つの力を
言い換えるなら、
コンセプトを
創造する力、
コンセプトを実現する力、
救う力、です (2019年03月04日 07時45分46秒)

「タオキャ」 陰キャ陽キャの統合   もうり さん
民衆よ、
聞くがよい。
陽キャも
陰キャも
それぞれ平等である、と。
陽キャが過ぎれば
お喋りとなり出しゃばりとなり
豚のように貪欲に陥り、
猿のように女を漁る。
享楽を優先し、
ハロウィンではゴミを放置する。

陽キャだけの
人間はこの通りである。
ここに陰キャ属性が
加わったものは、
例えば黙ることができ、
マイナス思考によって
肉体や地上を不浄なものと見、
それにより性欲から
離れる境地にやがて
達するだろう。

すなわち、
陽キャの境地が
贅沢を尽くし、
組織だった王であるならば
陰キャの境地が
この世を不浄と見なし
独り座す苦行僧の境地と
言えないだろうか。
そして、
その両者を超えたのが
ブッダであり
我らは「タオキャ」を
目指すべきである、と。
例えば光にも明暗があることで
豊かであるように、
暗いことも光の一つなのである。
明るいだけの光なら
描ける絵画は限られてしまう。

(2019年03月04日 16時14分48秒)

人間関係の秘技   もうり さん
人間関係の秘技理解。
互いの思考を
共有することで
互いの心の間に
第三の思考の中心が生じる。
さらに、
お互いを目的に
行為しあうことで
互いの心の間に
第三の意志の中心が
生じる。
これは両者が
深く言葉を交わす中であり
かつ相互扶助をする仲を
究めると至る境地だと
思います。

これが人間関係の
秘技だと思います。

叡智の秘技は
概念どうしの
統合、
感情の秘技は
欲望と断念の
統合、
技術の秘技は
技術体系の内面化(統合) (2019年03月05日 00時25分16秒)

親友!   もうり さん
つまり、
腹を割って話せて
協力関係にある
という集団ならば
人間関係の秘技に
やがてたどり着くと
思われます。

(2019年03月05日 00時47分12秒)

真の法施つまり業施   もうり さん
真の法施が
わかった。
それは法を
実践すること。
叡智、愛、力のうちの
愛の行で言えば、
私は
礼拝を行うことが
愛しあうという神の
掟を守ることになるから
神への愛で、
物質生活を家族の
価値観にあわせて
もっと大事にしつつ
それを向上させた正命を
行うことが家族の
法を守ることだから
家族への愛で、
キリスト教道徳を
守ることが
弱者への愛だと理解した。
教会と家族を守るためには
武士になって戦うのが
理想だが自分に対してならば
キリスト教道徳に従おう。

このように、
誰を愛するかというより、
法を守ることで愛を
示すほうが全人類的だし
独りでもできるから
優れている。
(2019年03月05日 02時22分10秒)

幾何学と力学の中間   もうり さん
幾何学と力学の中間は
動く幾何学。
形と炎と力で
言えば
形が動けば炎、
炎から形を取り去れば
力。
力から炎が生じ、
炎から光、すなわち
形が生じる。
叡智、愛、力で
言うならば
叡智から動的な叡智(道徳)
が生じれば、それが愛であり、
愛は力に方向性を与える、と。 (2019年03月05日 03時43分37秒)

正命実践   もうり さん
7時前に起き、
カーテンを開け、
歯を磨き髭を剃り、
顔を洗い、朝食と
飲み物を準備し、
着替えて食べた後、
主の祈りを唱えた後、
自室から広間に出た。
朝食を食べる際は
背筋をある程度伸ばし、
偏りない配分で
主食とおかずを
交互に食べた。

当たり前のこと
かもしれないが、
生活を軽視してたんで
こんなことすら
してなかった。
しかし、正命を
行うことが家族を
愛することだと
わかったんでこれをやる。
既に正命の方法は
わかってる。
(2019年03月05日 07時12分28秒)

歯を磨く際は   もうり さん
歯を磨く際は
腰を排水口の方に
曲げて口の中から
出る水しぶきを
周りに散らさないようにし
うがいをして
水を吐くときは
穴の中に集中して
入るよう気をつけてやった。 (2019年03月05日 07時16分12秒)

和の理念を取り入れた生活   もうり さん
私の
愛の行は
古典ギリシャ哲学
ユダヤ教、
イスラム教、
キリスト教、
仏教、儒教と
通じるところが
あると思っているが、
日本の大和魂をも
取り入れたいと
思っている。
しかし実は無意識的に
取り入れている。
諸宗教を取り入れて結びつける
のが既に和の精神だと思います。
あるいは周囲の人間、
出会った人間の
それぞれの掟を結びつけて
自分に取り入れることが
和の精神だとも思います。

神道に教義がないのも、
目の前の人、
出会った人たちの
良い掟を総合していって
独自の掟を作るのが
神道だからって面が
あるのではないだろうか。

このようにして、
宗教を和の
精神で一つにしつつ
おそらく、
真の和の精神とは
出会った人たちの
理念を結びつけていく
ことにあると思います。
だからこそ、日本には
聖典がないのではないか。
周りの人たちを具体的な
お手本として理念を
作っていくから日本は
哲学を軽視する傾向に
あるのではないか。

空気を読む、とは
和の精神の堕落した姿だと
思います。
それよりは
八百万の神々のようにして
周りの人間から多元的に
長所を取り入れることを
それぞれがやっていくのを
通じて個性を残して一つに
和合することこそが、
真の日本精神ではなかろうか。

日本人の学校制度は、
だからスクールカーストが
生じるような仕組みを
止めて陽キャと陰キャや
それぞれの生徒たちが、
互いに互いを学びあって
和合し向上していくような
仕組みにすべきではないだろうか。

これが、
具体的な大和魂の
説明だ!!

道徳には
文字化されし
普遍的なものと、
現地的なものとがあって
現地的なものこそ
日本精神なのだと。
しかし、現地的なものだけでは
中道ではないから、
普遍的宗教と現地的理念を
さらに和合させないといけない
わけだ。 (2019年03月05日 08時01分22秒)

和の精神を取り入れた憲法改憲とは   もうり さん
だから、
大和魂を
取り入れた
憲法改憲も
なんなのか
わかってきた。
それは
比較憲法学を
学び
さらに国際法を
学んで
国際法の理念を
取り入れ、
さらに様々な憲法の
長所を、
今の憲法の短所を
補う形で和合していって、
国際法という普遍を
取り入れた総合的憲法を
作ることこそが
大和魂を発揮した、
日本独自の最強憲法に
改憲することなんだと。

国際法を
自分の国に
取り入れること、
だいたいの国が
国家的利己主義に
染まってるから
やってない偏見が
本当だとしたら、
これをいち早く日本が
やれば
日本は意味的には、
最も普遍的な国家になるのでは
ないだろうか。
それでいて日本的でもある。
憲法の領域において、
空海や最澄と同じことを
することこそ、
大和魂の発露なんだと。
だから日本会議や
国家神道は間違っている。

これなら右翼も納得では?

国民主権を放棄しようとする
自民党は間違っている!
むしろすべての憲法の
長所を和合することこそが
大和魂だ!
これなら右翼も納得では? (2019年03月05日 08時16分41秒)

普遍民族に普遍憲法   もうり さん
これで、
世界戦略に
また一つ新たなものが
加わった。
普遍民族の創造に
普遍憲法の創造。

また、
全ての軍隊を統合した、
連邦軍も考えています
(2019年03月05日 08時32分41秒)

真の日本人とは何か   もうり さん
これで、
真の日本の血筋とは、
純粋な日本人の血筋とは
何かもわかってきた。

和合する精神が
日本人なのだから、
遺伝子も
全ての民族の遺伝子と和合させた
普遍人種こそが、
真の日本人であり、
言い換えると
真のアメリカ人でもあると。
ここには北朝鮮人と
中国人の血も無論含まれる。

和の精神を
遺伝子レベルで
体現した真の日本人とは
日本人の血も
含んだ普遍人種のことである。

だから、
天皇一家の濃い血も
一般国民に混ぜ合わせて
分裂を和合させないといけない。

しかし、
国民の手本となる
具体的な人間が
必要だとしたら
まだまだ天皇は必要かもしれない。
(2019年03月05日 08時44分29秒)

合気道   もうり さん
生活、
作る、
動く、
社会運動と
総合したとき、
生活は正命、
作るはプログラミング、
社会運動は
世界平和構想の
薔薇十字活動で、
やっぱり動くに
相当するもんが足りんので
合気道もそのうちやることにした。

あと、
人とつながる
方法は結婚以外にも
仏法を守ることでも
果たせるとわかったので
結婚しなくてもよくなった。
子作りについても、
私は肉の子ではなく
法の子をつくればいい。

食事は
霊のパンを与えよう。
着るものは
徳の衣服と
八正道を教えよう。
住居は神の神殿を準備しよう。
法と結婚し、
法の子を創造しよう。

イケメンと
人からよく言われる童貞だけど、
まじて童貞喪失する
必要も結婚する必要もなくなったな。 (2019年03月05日 11時24分51秒)

正命とは何か   もうり さん
正命とは、
例えば文武両道のことである。
なぜか。
シュタイナーの説明によれば
精神と自然の調和、とのこと
であるが、
これが具体的には
正しい生活と呼ばれる。
腹が減ったら食べるが
無限に腹が減ったら
無限に食べていいのか?
ということである。

つまり、
自然とは
身体性も含む自然、
ということだから、
食べることや着ること
住むこと、労働となってくるし、
ということは、もちろん、
「運動」をすることも
正命の一つなのであろう。

この身体性に、
断念するという
精神的側面、
苦行僧的側面で
バランスをとる、
ってことである。

ちなみに、
私は今日無限に
眠いので
昼まで寝てました。 (2019年03月06日 12時07分14秒)

日本神話の哲学想像   もうり さん
日本神話の
哲学は
タオとも一致。
和の精神も
その一つだが、
もう一つの哲学には、
天津神、国津神とがある。
憲法で言うならば
国際法が天津神であり
諸々の国の憲法が
国津神であろう。
普遍が天津神であり
「全ての」個別が
国津神であろう。

だから、
天津神と国津神の
和合した、
真の日本国とは
もはや日本を超えた
普遍的人種と普遍憲法より
からなる、世界国家のことであろう。

つまり、
日本にも、
3つの理念がある。
天津神、大和魂、国津神である。

正しさらしさがあるでしょう?

天津神と国津神を
貫通する中が
大和魂です。

(2019年03月06日 15時04分08秒)

真の祖国   もうり さん
だから、
真の祖国は
世界であって、
世界政府としての
日本(名前は日本でなくてもよい)
なんで、
必ずしも仮の姿である
この日本のためだけを
考えて動くのが
真の日本のためにはならないと
わかる。

中国も北朝鮮も韓国も
ロシアもアメリカも、
真の日本の一部に過ぎず、
また単なる一面的な日本が
覇権を握るという話でもない。
どちらかといえば、
真の日本人たる普遍人種たちに
主導権があるかもしれない。
つまり、
だいたいの日本人は
真の日本人ではない。
また、
真の日本とは
そもそも日本という
名前にこだわらない。

また、
エアロバイクよりも
散歩のほうが、
町の美しさを感じつつ、
行ったり来たりできるという
中道の面があって自分的には
優れている。 (2019年03月06日 18時56分12秒)

現実は厳しい   もうり さん
いろいろと
計画や希望を
立てて見ても、
現実は厳しく
そもそも
プログラマー職に
転職できない可能性すら
出てきた。

でも、土木などのハードと
ゲームなどのソフトの
中がOSだとわかったし、
中道の武術が、
合気道だとわかった時点で
認識の道を
歩んだいい人生だと思うから
そこまで悔しくはない。 (2019年03月06日 21時52分43秒)

家族に仕えるの真の意味   もうり さん
家族の法に
仕えるの
真の意味も、
正念に傾きがちな
私が
正命も
ちゃんとやるっていう
仏法に従うことに
つながるから
正しいんだよな。

家族は
正命に偏ってるんで
勉強しろ、瞑想しろ、
八正道を理解しろ、
私の法にも従えと
言いたいところだが、
無理なようなんで
仕方ない。
私だけが全面的になろうと
努めてる。
プログラマーになれなくても
せめて全体的生活だけでもね (2019年03月07日 07時31分13秒)

三位一体社会   もうり さん
進歩的活用理論は
三角形(形)
社会三層構造は
理念(炎)
カリフ制は
力、ではないだろうか。
これらは
一つの固定した
システムとして
一体化されるのではなく
状況と目的に応じて
変化する、
動的な社会システム像が
最終的な三位一体の
社会像だと思います。

主知主義(左翼)が
進歩的活用理論、
主感主義(中道)が
社会三層構造、
主意主義(右翼)が
カリフ制とも
言えるかもしれない。

そして、
中道自身に拘るのが
最終的な中道ではないように
これらも状況や時代、
意識に応じて使い分けられる。

おそらく、
私の世界平和構想は、
この3つを橋渡しする
理論を想像するのが
端緒かな (2019年03月07日 09時50分38秒)

右翼と左翼、国民の意識   もうり さん
思うに、
経済が貧しく
なってくると、
つまり自然主義的側面、
つまり力が貧しくなってくると
カリフ制が求められ
そして
精神性や文明文化が
貧しくなってくると
進歩的活用理論が
求められ、
精神も経済も
貧しいという状態に
あれば社会三層構造が
求められてくる、
のではなかろうか。

ただこの3つを
学んで、
それぞれの移行を
スムーズにするような、
第4のメタ社会システムを
考えないといけない

これは社会有機体という
身体(メタ)の3つの姿勢、
形態、活動である。
(2019年03月07日 10時12分48秒)

カリフ制とクルアーン   もうり さん
カリフ制支持者には
クルアーンも
状況に応じて
教えを変更してきた
のだから、
カリフ制を絶対的に
固定すべきではないのでは、と。

さらにいえば、
次のようにも言える。
国際協調主義である。
もしも世界政府が
できたらば、
経済が貧しくなると
カリフ制を台頭させ、
ムスリムたちや
カリフに主導権を
渡す。
そしてもしも
学問など精神性が
貧しくなってきたら、
仏教徒や阿闍梨に
主導権を渡す。
そんで、経済も精神も
貧しく、人権が軽視されて
きたならば
キリスト者や
法王に主導権を
渡す。
このように、
そもそも
どんな人たちが
世界の覇権を握るべきかを
状況に応じて合理的に
判断するのが国際協調主義では
ないだろうか?

そんで、また
政治家に主導権を
渡すべきじゃない。
カリフか、
阿闍梨か、
法王に主導権を
渡すべきであろう。
それぞれの
国家の権威は
これらのものたちによって
与えられる。
なぜなら、国家よりも
宗教のほうが
大きいからである。

だが、
そもそも法王は
なんら修行せず、
宗教的政治家に
堕落してないかという
疑いがあるので
キリスト教圏には
改善して欲しい。 (2019年03月07日 10時27分13秒)

投票のアイデア   もうり さん
投票のアイデア、
これそもそも、
ある時代や状況には
どんな論理に
従って政治家を決めるべきかを
予め定めておいて、
国民にその論理、
考え方を開示しておいて、
諸々の政治家から
誰が当てはまるかどうか
だけを判断してもらえれば
いいんじゃないか、という。
(2019年03月07日 10時38分37秒)

調理の哲学   もうり さん
調理の哲学

多数の食材を
媒介し貫く二つのカテゴリー
火やお湯等の調理方法、
そして味付けによって
それら多数の食材を
調和せしめること、
これがまさしく「調理」
であろう。

この観点から、
調理学ぼちぼち
実践通じてやってくか。
なぜなら、
やっぱり「自然的技術」
についても
透明化できる分野を
持ちたいから。
ただ、
このような
本来の古典的調理の意味に
立ち返った調理学の
本があるかは不明だ。
キリストも
何を食べようか
思い悩むなといいつつ、
大工でもあったわけだしな。

ソフトだけでなく、
ハードの技術も
持ちたいから。



(2019年03月07日 17時33分33秒)

内から外へ   もうり さん
プログラミングの
後は合気道を
嗜もうかと
思っていたが
予定変更。
プログラミングやりつつ
算数、数学、論理学、
自然科学をすることにした。
カルマは内から外へと
進む。
思考をよく整理したものは
おそらく来世で雄弁になり、
雄弁なものはさらに来世で
身体をよく動かせるようになろう。
また頭脳を訓練したものは
来世で心臓へと向かい、
心臓へと向かったものは
来世は手足へと向かうであろう。

従って、
あらゆる方向へと
伸びる種とは、
信仰と恋人をもてる人のこと
だけではなく、
霊学と数学と自然科学、
つまり全理論を学んだ人も
そうなんだと。

早い話、
自分の領域で
博くやれば
それがあらゆる方向へと
伸びる種となるのだ。

だから、
私は形式科学を
頑張ろう (2019年03月08日 11時00分40秒)

相対性理論、集合論の矛盾   もうり さん
相対性理論の
相対時間と
相対空間の考え方も、
数学にも矛盾があるという
考え方も、
おそらく、
両者とも矛盾の統一という
哲学の世界観を
証明したに過ぎないのかも
しれない。

無矛盾な数学理論、
物理学を
作る試みよりは、
互いに補うような
三位一体の弁証法の
イメージを元に数学や物理学を
やればいいのではと
思います。



(2019年03月08日 17時16分26秒)

物理学のバイブル   もうり さん
この世界の
矛盾原理を
示したということで、
ニュートンよりも
アインシュタインの
相対性理論のほうが、
よっぽど聖なる書物に
思います。
おそらく、
弁証法が真理ならば
この矛盾を貫き包括し
変容する統一時空原理があるに
違いない。
それはすべての場と時間を
含むような。

数学も、
集合論に
加え、
それを補う別の
矛盾した分野があって、
これらを包括するが、
これらではない
第三の数学分野があって、
三位一体を構成するに
違いない。

日本人は相対主義と
言われるが、
相対性理論は
日本人的なのであろうか?
いや、相対性を超えて
両者を包括する絶対の真理が
あるとする、天台の教えの
亜種が日本人の相対主義に
思います。

(2019年03月08日 17時30分18秒)

やっぱり   もうり さん
やっぱり
自然科学や
数学は
無理だな。
わからない部分が
必ず出てきて
独学できないはず。

とりあえず
自然科学はじめの
一歩と
エーテルと生命力だけに
しときますね。

全部届いてから
何から読むか決める (2019年03月08日 17時51分31秒)

精霊と八正道   もうり さん
結局は
積読終われば
phpに集中して
実力がついたら
合気道って方向性やな。

八正道、
これだけで
果たして完璧か?
問題がある。
自然霊の法をも守ることで
自然とも絆が結べる
八正道を開発したい。

だから、
自然霊の掟とは
何かを考えないといけない。
自然霊のために念仏を
唱えるよりは、
法によって結びつくのを
選びたい。

徳の体現者となれば、
私自身が一人で
一つの共同体になるんで
独りで死ぬこともない。
だいたいの人間は
曼荼羅を体現せず
誰かに見守られようが
孤独に死す。
しかし、
私には死後に
曼荼羅が待っている。
だから、
やはり結婚は不要。 (2019年03月08日 19時36分44秒)

3つの法   もうり さん
3つの法がある
神の法、人間の法、
自然霊の法。

思うに、
自然霊の法とは
何かがわかれば
共存の端緒がわかるはずだ。 (2019年03月08日 19時53分18秒)

自然科学の真理   もうり さん
自然科学の真理、
もしかしたら
自然との共存を
実現するための
法をもたらすかもしれない…

あるいは、
自然科学を、
人間のためと位置付けず
宇宙のため自然それ自体のため
の自然科学とみなし、
動物実験は廃止する、とかで
いいのでは。 (2019年03月08日 20時00分21秒)

高次の自然を思い描く   もうり さん
自然の法は
循環であり、
愛が足りない。

私にできることとは
中道的自然界を
思い描く試み。
それは、
自然自らが
作動するかどうかを
選択できるという
自然観。

例えば強欲な
人間が資本家になっても
工場が作動しなくなる
みたいな感じで、
自然界が
己自身の必然から
自由になるような (2019年03月08日 20時33分18秒)

中道自然界   もうり さん
中道自然界の
想像。
力学で、
悪人が
応用しようとすると
反作用が強くなって
使用できない。

高所から落ちたら
重力に対して浮力が
働いて守られる。

食べ物は、
鉱物がミクロな構成を
変えてライオンフード、
シャチフードなどとなり、
殺し合う必要が
なくなって、
多種多様な動物たちの共同体が
生じる。

(2019年03月08日 20時52分48秒)

相対性理論とキリスト教   もうり さん
相対性理論を
さらに統一する
中なる原理は
ヘーゲル哲学と、
またキリスト教が
示す通り、
アルファでありオメガであるような
時空原理であろう。
(2019年03月09日 05時13分25秒)

キリスト圏   もうり さん
キリスト圏も
未だに
霊と肉を
分離させている
相対的な絶対主義にしか
過ぎないのに、
それを超えた天台や
密教の文化を持つ日本を
相対主義だと馬鹿にされたく
ないわな。
無論、最近の日本人は
相対主義なのだろうけど、
なんででしょうねえ。

日本民衆、
たぶん西欧唯物論に
取り付かれて
宗教性が退化したんだろうな。
(2019年03月09日 05時29分46秒)

自然界の法   もうり さん
自然界の法理解。
能動的には
自己犠牲。
享受としては
不貪欲。

この2つの
自然の法を発見した。

動物たちは
必要なだけ食べる。
そして、
魚等は卵を他の生物に
捧げている。

つまりは、
詳細に理解された
八正道の中には
既に自然霊の法も
含まれていた。 (2019年03月09日 05時49分17秒)

貪欲と不貪欲   もうり さん
貪欲でもいい
側面は言い換えると
精進となります。
例えば勉強や訓練です。
精神面です。

しかし食事等
自然的なものな
不貪欲がいいんです。

私はまだ食事の
不貪欲が難しいけど
着るものと住まいと
性欲と自分に関しての
執着は少ないほうかと。

親から物欲がないって
言われたしね。
食欲をクリヤーさえ
すればある程度不貪欲は
完成するぽいんだけどね。

で、
割と自己犠牲は
できてる方だと
思うんですよね。
無料で教えてるから。
着想を家畜のように身ぐるみ
剥がされてます。

あとはphpを
哲学的に透明化して
無料で教えることと、
礼拝的なサイトを
運営することかな?
本当にするとは
限らないけど。

言葉で
創造的だから
言葉で奉仕するが、
さらに技術でも
創造的になって
技術で奉仕したいんです。
調理技術は優先度が低い。

それに、
確かに
情報技術者サイドには
ハッカーの精神があり、
無料でダウンロードさせて
くれる人たちで溢れている。
海賊版はダメだろうが…
(2019年03月09日 06時16分15秒)

法は女性的   もうり さん
女性の魂は
柔軟、
男の魂は固いのだと
言われる。
また柔が女性で
剛が男性だという
直感がある。

思考には
アベルー女性的思考と
カインー男性的思考とが
あると言われる。

意志は男性的で、
感情は女性的である。

なぜならば、
感情は
思考と意志の
中間で包括的、
柔軟だからである。

従って、
法(社会性)
も女性的である。
なぜなら、
性質の異なる
諸個人の中間にあるからである。
柔よく剛を制するからである。

だから、
私の、
女性とではなく
法と結婚し、
法の子を生む、
のが普遍的人間の
在り方と定めたのは
全く正しいことであった。

女性よりも
法のほうが偉大に感じる
ので、やっぱり私は
普遍を好むのだと
思う。 (2019年03月09日 08時34分06秒)

男性性と女性性の統合   もうり さん
男性性と
女性性の統合を
たった独りきりで
やるためには、
まず人智学と
ヘーゲル哲学を
学び思考を中性的にすること
が男女とも必要であることと、
男は八正道を守り、
女は技術、力を身につけること。

つまり、これを
中性的に言えば、
結局は
叡智、愛、力を
身につけるとは
男性性と女性性の
統合という側面も
あるとわかった。 (2019年03月09日 08時53分02秒)

独身主義   もうり さん
法のほうが
女より偉大であり、
力のほうが
男よりも偉大だと
思うんで、
この教えが
広まったら
独身主義の勢力増えそやな…。

私は
いじめてきた人間が
恋愛主義者、
性愛享楽主義者で
実際結婚していることも
あって、
それを超える道を
探してきた一面もあったが
ようやく見つけたな。

探せば、見つかる。

確かにね。 (2019年03月09日 09時08分13秒)

イスラーム経済論   もうり さん
ムハンマドバーキルサドル
によるイスラーム経済論、
届いたお。

残り一冊ですな (2019年03月09日 12時11分58秒)

なんでツイッターはできて労働はできないのか?   もうり さん
なんでツイッターは
できて
労働はできないのか?
労働はしたがらないのか?
というと、
学問を深めなくても
思考だけなら
創造力がある程度あるから、
進んでツイッター社の
コンテンツ創造に貢献できるが、
労働となったとき、
求められる創造力を
そもそも有していないからだと
思うんですよね。

頭脳の創造力は
学問と思索、想像力で
鍛え、
腕の創造力は
技術と
状況に応じた個別的思索による
有言実行で鍛え
心臓の創造力は
両者の調和で鍛えられると
仮定してます。

だんだん、
全ての能力は
創造力だと
思えるようになってきた。
体力さえも創造力の
一種であり、
それは動きたくて
仕方がなく大人しくしてたら
体がむずむずするという
聞いた話からそう考えます。
これは発達障害者の
それと同じなのか、
有り余る体力によって
そうなるのか?

そこで、
私は、試しに
phpを自在に操れるように
なって、
そうすると進んで労働したく
なるのかどうかの
長い実験をしようかと
思います。
まあ、プログラマーに
なれないかもしれんけど。

思うに、
もしも私が
例えば哲学や宗教ではなく
英語に嵌まっていたら、
明らかに天職は英語教師だったと
思いますね。
なぜなら、そしたら、 
私はここに書き込むように、
無限に英語の話をしていたい
人間になっていたろうから。
私はそもそも自分が
やってる分野を教えるための
職がないんで教師は無理なんです。

一番創造的であれる分野が
おそらくは天職だが、
「上には上がいる」
ことによって当然
落ちこぼれも生じる厳しさ (2019年03月09日 14時50分34秒)

商人魂とは何か   もうり さん
士農工商と
並べて、
士は正定、
農は正念で
代わりになるとして
工は創造力だと
思うが、
商人魂になるためには、
自分の技術の創造力を
駆使して可能な自分の
コンセプトだけではない
あらゆるものを
作れるようになり、
「店に様々な需要に
応える商品を
並べられるように
なった時」に
商人魂を
もてるようになるんだと
思います。 (2019年03月09日 20時57分17秒)

無限の創造力   もうり さん
私の
思考による
創造力は
一言で言えば
魂の中に本があるとなる。
そして、
技術による創造力が
熟練し、
作れるものは
何でも作れるという人は
その人の魂の中に店があると
言えると思うんですよね。
(2019年03月09日 21時05分24秒)

お金と密教   もうり さん
昔の銭の
画像を眺めると
融、日、金、記と
記されてあった。
これは
金剛界曼荼羅に
対応していて、
融は大円鏡智、
日は平等性智、
金は妙観察智、
記は成所作智に
対応するかと
思いますよ。

すると、
金の正しい使い方も
わかるってもんですよ。
例えば平等性智の「宝」の
如来は、迷える衆生のために
輝ける宝を分け与えるんで
あって、至福を肥やすために
自分だけのために宝を
用いるのではない。
そして曼荼羅とは
マナスであり、
マネーの語源は
マナスだから、
お金も本来は自分だけでなく
他者のためにも使うべきことが
わかりますね。

融とは、
融資であり、
菩提心が神から
与えられるように、
お金が与えられる。
日とはお金の輝きであり
お金の目的であり衆生を照らす、
つまり衆生を目的とする。
金とはお金の物質性であり、
衆生に必要なだけの
金銭が与えられ、
衆生はそれを必要な商品と交換する。
記とは簿記のこと。
こうして全体として
経済的に満たされた曼荼羅が
完成する。

昔の日本の銭は
金剛界曼荼羅と対応すると
暗に示されており、
金剛界曼荼羅の
探求が、そのまま
あるべき金の使い方と通じるとの
新説。

金は、世のため人のために
使うためにあると
金剛界曼荼羅という
本来のお金の理解からわかった。
だから1%の金持ちなどは
地獄行きだろうなあ…。


(2019年03月10日 02時10分49秒)

天道を行く経済生活   もうり さん
つまり、
本物の金である
金剛界曼荼羅を
経済活動を通して
会得したければ
自分の儲けは
必要なだけとるだけにして
世に貢献することを
目的にした
経済活動を行えばいいんだと。
自分の過大な儲けを目的にしてはならない。
(2019年03月10日 02時22分19秒)

壮大な実験   もうり さん
ポルターガイスト
現象を体験したことが
あると言っても
唯物論者には
話すだけ無駄だという
悲しい体験をしたことがある。

私は誰も触れてないのに
私の机がガタガタ揺れていたというと
それも物理的に可能だと
言ったが、
いったいどんな特殊な
実験器具を使えばそれが
できるんですかと問いたい。
それは自然発生というか、
一連の曼荼羅を幻視するとか
統合失調症的、
精神的異常事態という文脈の
中で生じたことであり、
特定のその机だけ
自然現象によって
揺れ動くなんてのは、
ありえないと思う。
私はポルターガイスト現象だと
信じますよ。

それで、
私は人生が楽しみなんですよ。
これから先、一瞥体験によって
父なる神と出会えるかも
しれないし、キリストと
出会えるかもしれない。

そのためにも
霊学を学ぶ価値があるんですよね。

例えば神秘体験は
神秘世界があることを
意味しないとかいって、
神秘学的キリスト認識を
深める作業を後回ししつづけると
結局、キリストと出会えないで
終わってしまうかもしれない。

唯物論者は
俗物的な知性の
持ち主で、真理など
要らない、事実だけで
いいとも言っていた。

とりあえず人生を
かけて、命をかけて
やる価値がある博打は
神と出会うこと以外にはない。

あの俗物的な唯物論者には
本当にイライラさせられた。
言葉が全く通じなかった。
それに非常に態度が悪く
馬鹿な人間を弄るのが
楽しいとかいって
奢り高ぶっていた。
だから関わるのも嫌で
ブロックすると
逃げたとかいって
挑発してきた。
こんな奴は嫌いだ。
(2019年03月10日 08時34分22秒)

ユーモアの方法   もうり さん
ユーモアの
方法、
これ眠子さんの
作詞方法や
私のコンセプトから
始まる創造論と
通じるけど、
おそらく、
可笑しいことを
認識して集めることから
始まると思いますよ。

例えば私は会話で、
ダースベーダーの
魅力は息遣いだと
言ったら笑われたが、
このように可笑しい点を
取り上げ、集めていって
うまく編集することが
お笑い芸人の方法かもなと
思った次第です。

ただ無論、
可笑しい点が、
変わっている点と紙一重であり
言ってはいけないことと
笑いの違いは何なのかとか
考える必要があると思います。

少なくとも、このように、
プロのお笑い芸人は
意図的に笑いを生み出すことを
狙うであろう。

従って私のお笑いレベルは
0だ。まだ息遣いネタしか
記憶にないから。 (2019年03月10日 09時12分26秒)

ブッダと眠子さんとお笑い芸人   もうり さん
結局、
ブッダと
眠子さんなど
作詞家と
お笑い芸人、
などは形式的に
同一だ。
意識、つまり
伝えたいことが違うことによる
何を認識するか記憶するのかの
違いからブッダになり
作詞家になりお笑い芸人にもなるのだ、と。

ブッダは救いを、
作詞家は何かを、
お笑い芸人は笑いを
伝えたいんだけど、
その方法の原点は
ビジョンや観察などの
「認識やイメージ」にあるだろうと (2019年03月10日 09時19分45秒)

ヘーゲルと喜劇の話   もうり さん
可笑しい点の
認識から
ユーモアは
始まるとのことだが、
この考えを
深めるとやはり
ヘーゲルの「喜劇」の
考察に達してしまう。

つまり中道ではない、
「過剰や不足」、
つまり一面性を認識する
ところからユーモアは
始まっていく。

例えばなんで
ハゲは笑われるかというと
現代の人間の、
人間観は髪があるという
固定的実体観に捕らわれているから。それでなければ不足とされる。
無常であること、
動的な人間実体観が常識とされ
ていないから、
人はいつか髪も抜ける、
だからおかしなことじゃない、
とはならないわけです。

というか、
カルマを理解するなら
ブサイクさえも
理由があるので
笑えない。

こうして、
指差して笑うような
「お笑い」以外のユーモアの
可能性を少しずつ探っていきたい。

賢者のユーモアとは、
一体何であるかってことですね。 (2019年03月10日 09時36分11秒)

ユーモアの理念   もうり さん
ユーモアの
方法、
わかりました。

例えば、
ハゲを笑うように
仕組みつつ、
同時に仏法説話のようになり
老化や衰えることへの
憐れみを生じるようにも
仕組みつつ、
さらに笑われる対象が、
どこか立派な部分があり、
完全には舐められないような
お笑いという
ビジョンを持ちました。

笑うだけでなく
憐れみと尊敬を守ること。
これが私のユーモアの理念です。 (2019年03月10日 09時58分30秒)

独自の人生を歩め   もうり さん
思うに
独自の人生を歩む
ことが死後に
宇宙に吸収される際に
宇宙に新しいものを
付け加えることになり、
自らが普遍化し
従って人類進化に
貢献することになるのだろう。
そして、
その独自の人生とは
自らが個性的な中道の
道を歩むことであり
例えばオタクなら
ヤンキー的な精神をも
身につけて見る、とかだ。

つまり、分裂している
何かを見つけて橋をかけることを
自分の領域でやればいい。
(2019年03月11日 07時28分49秒)

カラマーゾフ   もうり さん
思うに
例えば金持ち同士
エリート同士で
結婚すると
そのうち遺伝子が
劣化する。
なぜなら垂直性がなくなるから。

カラマーゾフ家みたいに、
俗物が高貴な人と
結婚することで
聖にも俗にも開かれた
ファウスト的人間、
あるいは菩薩的人間が
生まれるというわけですよ。

私もやっぱり結婚しようかと
思います。
自分の野望を諦めて。
合気道諦めて、
武道属性のある女性と結婚したいです。
ただ、どこまでも
武道を究めたいと思い
修行を続ける戦士的女性と。
私には身体性の
才能ないし、
そもそも身体性なくても
胎蔵曼荼羅は得られるので。

英語とプログラミングと
積読と歴史を学んだら
金剛界曼荼羅の
歴史を含んだ血脈を
人類に捧げることも
利他行為だと
思うんで。

(2019年03月11日 08時44分45秒)

武士道実践   もうり さん
合気道
できない
代わりに
武士道の精神を
実践して
野望を叶えるという
修行だけする自分中心主義の
時期から
利他主義の時期に
変更したほうが
バランスとれるしな。

それに、
法と結婚し、
法の子を生むという
生き方自体古くて、
既に東南アジアの
曼荼羅の菩薩には子どもを
抱いている姿がある。

こうして、
聖と俗をつなぐ必要がある (2019年03月11日 09時01分09秒)

人間関係の秘訣   もうり さん
人間関係、
夫婦関係の
秘訣、
わかったっぽい。
それは従うことです。
こういうと反発を
覚えるだろうけど、
相手が大切にしている
掟、理念を自分も守ることが
仲良くする方法だと
思います。

だから、
夫婦生活を
うまくやろうと
思えば、
それは自分の人格の
拡大となるでしょう。

理想は、
相互に大切にしている
掟を一つにまとめて
しまうことです。
そうすると、
おそらく結局は
八正道に近づいていくと
思っています。

例えば学歴が
高い人の大事な
道は正念で、
考えることよりも
生活や
商売や身体性
が大事って人は
正命。
宗教家は
正定。
全人類のための
良き社会運動が
したいって人や
芸術家は正行。

自己主張が
激しく頑固な人は
柔和な人と比較すると
成長がないとわかります。

そして、
キリストの言葉の、
柔和な人は地を受け継ぐの
意味もわかります。
このような人は
輪廻転生していくうちに
全人類の理念を総合してしまって、
弱いようで
全人類の王、人間王に相応しい器に
なっていくというわけですね。

まずは弱さが
王の器の始まりってわけですね。 (2019年03月11日 09時50分31秒)

学級王のなり方   もうり さん
だから、
牢獄のような
学校では
個性ある孤独な
人には相当生きづらく
いじめられるリスクがあるが
成長のチャンスでもある。

だから、
人格や心理面での
向上にとっては
優しさが始まりであり
必要だと
わかりますね。

でもたぶん、
金稼ぎなどは
厳しさというか
力が必要なんでしょうねえ。

男が女性に
可愛さを求めるのは
可愛さというのが
「柔」の一つであり
女性性を示すからで
女が男に権力や金を
求めるのは、
それが男性性だからかもね。

そして、
魂の向上にとっては
女性性が必要であり
もっと外面的なことでは
男性性が必要なんだと。

それで、社会という
外面的なことでは
得意別の役割分担が
合理的に働くとしても、
人間には人格の向上という
テーマがあるゆえに
男女別の役割分担を
継続し続けるのは
その人格面にとっては
不合理でしょうね。

民主主義を成立させるためには
国民一人一人が王の器になって
もらわないとクリヤーできんと
思うんで。
全体主義じゃないですよ、これ。
君主が国民全体にとって
代わったのが民主主義という
理解だとするなら、
結局は国民全体が君主の器になって
もらわないと成立しないと思うんで。
(2019年03月11日 10時15分11秒)

王の器   もうり さん
商売魂は
工職の
創造力が
自在になって
多様な需要に
応えられるように
なったときに
得られるかもとした。
王の器とは
何かがようやくわかり、
それの最終段階が
宗教的な愛を有する段階、
すなわち慈悲深い存在となった
時だとわかっているけれども、
初期段階は単に優しさなんだと。

そんで、
強さの初期段階は
単に個別具体的な
思考能力だとわかった。

まず始めは、
単なるものから始まるだろう。

つまり、
私的には、
求道者、商売魂、王者魂という、
精神、経済、政治という
社会の三大領域の
端緒を備えている人間とは
キリスト意識を備え、
個別具体的思考能力を備え
それでいて優しければ
該当するとわかりました。

もう既に優しいんで、
王者魂の端緒は
既に小学生からもっていたんだな。
結局、一番難しい、
キリスト意識を神から
もらうってのクリヤーしたから
楽なもんだな。

私は、
まず、あらゆる方向に伸びる
種を持てればそれでいいと
思っていて残るは
個別具体的思考能力だけだなあ。
技術を身につけるだけで
終わるべきじゃないな。

求道者魂のおかげで
普遍的思考の創造力を得たけど
個別具体的思考の創造力を
手に入れたいね。


(2019年03月11日 10時58分04秒)

3つの具体的思考   もうり さん
自然科学的工学は
無理として、
英語と歴史とプログラミングよりも
より私には魅力的な
具体的思考の分野がありました。
文学、プログラミング、戦術論。
ですね。
英語と歴史、やめとこっと。

戦術論に関して
言えることは、
合気道みたいに
宇宙の中道法則を身体法則に
利用すれば理論的には
必勝できるように、
戦争等の戦術に応用できないかって
ことですね。
(2019年03月11日 11時23分13秒)

こだわり   もうり さん
なんか
こだわりがあって、
頼んだ本、
全部届かないと
読み始めたくないから
暇。
あと
パーフェクトphp中古で
頼んだ。
これは届いてなくても
いいか。

取りあえず
ユーチューブで
ブッダのスッタニパータ等を
聞こう。

定職に就く前に
読み終えた後の
趣味は、文学とプログラミングと
「戦略論、作戦論、戦術論」
といくかあ。
まあ暇な間に変わるかもだが。

ある程度
真面目で
優しい私のような人、
学校では
頼まれごとされたり
ヤンキーからパシり
にされたり、
頼みごと聞くのが別に
嫌じゃなくて
断るのが苦手になって
いじめの標的になって
実際いじめられた。
自分のない奴と批判を
受けるが
個性を獲得した今となっては
自分に執着することも
自分自身から自由になることも
できる人間となったわけですよね。

自分に固執せず
頑固にならず
他人の掟に合わせることが
自分を捨てることであるが、
これはむしろ
より人格を成長させることだから、
個性が出来たと思ったら
今度は捨てる段階に
入るべしだな。
それは自分の理念を
捨てることではなくて
付け足すことです。
だから、
自分を捨てることが
真我を得ることだと
言われるわけですね。
これは個性を捨てるって
ことではないとわかった。

自分をより大きくできると
思ったら他人の理念を
取り入れよう。

そんで、
夫婦生活も、
互いに自分を捨て
互いの掟を取り入れて
より巨大な一つの人格に
することが道なんだろうなと (2019年03月11日 15時15分11秒)

割と聖者   もうり さん
割と聖者への
道を歩んでるぽいんですよね、
自分。
実生活が
修道院と化している。
なぜなら修道院の
生活は、
清貧、貞潔、無私の
3つの理念で生活するそうで、
これは物への執着、
人間への執着、自分自身への
執着から離れる修行らしいのだが、
自分に必要なことは
食事への執着から離れること
くらいだと思います。

友達や恋人、童貞喪失を必ずしも
必要としないんで
人からの執着からある程度
離れることができた状態で、
しかも家族の掟に
自分を合わせる生活を
続けていて、
住居にも衣服にも金にもこだわりが
なく、残るは食事への執着を
断てればいいだけという。

だから割とキリスト教的
聖者への道を歩んでるぽいんですよね。ここに、叡智、愛、力、
利他、三密という修行の側面を
付け足せばいいんですよね。 (2019年03月11日 15時26分47秒)

既に法の子を生んでいた。   もうり さん
実益にならない、
哲学、芸術、宗教、
純粋数学は何のためにあるので
あるか。
それは肉による
子孫繁栄のためではない。
それは霊的な子孫繁栄のために
あるのである。
例えば、私は既に
法の子を生み出していたぽい。
それが曼荼羅です。
自分自身から霊性を
生み出しより高い自分自身を
生み出すために虚学と
呼ばれる諸々のものはあり、
それはむしろ霊学と包括的に
呼べるかもしれない。
つまり、
私は既に曼荼羅という
霊的な子を生んだので
私をいじめてきた
性的享楽主義者たちには
ないものを獲得できてたって
わけで、
後は彼らの理念、
「恋人、家庭、子ども」を
得れば完璧なんだと。

だから、
勉強、特に霊学を
疎かにしてはいけない。
霊的な子どもを
生んだ後は、
実際の子を生んだら
バランスがとれる。

既に霊的な子どもを
生んでいたというのが
今日の重要な発見。 (2019年03月11日 16時25分00秒)

日本の「空気」とは   もうり さん
日本の
空気とは何かって
話。

これ
牢獄のような
学校だと
「人を嘲笑う享楽主義」
という理念、つまり法だな。
楽しければいいという理念。

学校は、
楽しければいいという、
たったそれだけの理念が
支配的であり、
「正しさ」という制御理念が
蔑ろにされている、
そんな場所である。

つまり、
空気の正体とは
局所的な共有された、
しかも一面的な奇形の
法や掟、理念だろう。

法と掟と理念の区別は
よくわかってないが。

生徒の時点で
全面的であることへの
共感、空気がなければ、
正しさの側に立つものを
排除し、いじめるに違いない。

だから、
日本を変えるために
各表現者には、
「空気を全面的にする空気」を
作っていってもらいたいです。

空気が悪いんじゃなくて
一面的な空気だから
悪いんですよ。
空気に対するアンチ空気をも
受け入れるような空気を
作らないといかんのですよ。 (2019年03月11日 17時50分01秒)

メタ空気、時代空気   もうり さん
日本の
時代の空気、
すなわち
メタ空気を
作っていかないと。
それは何か既に
わかっていて、
民族精神とは
パンテオンのことなんで、
日本では空海曼荼羅を
コンセプトにして
空気作りをすればいいかと
思うけど、
どうやって作ればいいのか
わからない。

しかし、
空気の発生源は
植物など物から生じ、
それが広がっていっているだけだと
わかる。

従って全面性、総合体を重視した
空気作りは各人、
各表現者に委ねられている。

各人が植物である。

(2019年03月11日 18時23分45秒)

自由と義務   もうり さん
公権力には
義務が伴い、
拘束が伴う。
これが無ければ
権力は絶対的な自由という
状態であろう。
従って、
何かを自由にやってもいい
という権利が高まれば
高まるほど義務も増える。
確かに強者の
権利を増大させることが
できたとしても、
それは国家が拘束されているのと
同じ理由で義務によって拘束されるべきであろう。
これにより、「場の自由」を
守るためである。

だから、
やはり自由には、
義務が伴うと思います。
それは、国家を
絶対的に
自由にすべきではないのと
同じ理由でしょう。
しかし弱いものは
義務が減る。

そして、このようにして
身を慎ませることで
かえって自由になるのが
知恵です。

イスラム教の考え方だと
思います。 (2019年03月11日 18時54分00秒)

カルマの社会化   もうり さん
カルマを
社会に組み込む
構想。
自由には義務が
あるが、
それを守るか、
あるいは悪をなすのかの
自由がある。

そして強くて
義務を守れば守るほど、
援助され地位が上がっていく。
しかし悪を選ぶと必要悪も
認めることになるので
修羅の世界を生きることになり、
地位の上昇に限界が設けられる。

そして、
強さにはEQも含まれており
EQ弱者も力のない人と
みなされる。 (2019年03月11日 20時01分26秒)

全一の人生を歩むには   もうり さん
全一の人生を
歩むには
八正道を
行うといい。
八正道を行えば
人類の人生をひとまとめにした
ような生き方をするってこと。

例えば
勉強を得意としない
実利重視生活重視の人たちも
正命という正しい道の
一つに集中して歩んでるだけだと
言えるから、ある種の正しさはある。

(2019年03月11日 20時20分23秒)

彼女無理かも   もうり さん
彼女作ることに
執着は
してないが
たぶん
幼稚園から中学まで
続いたいじめられ経験で
脳をやられて
人間関係にナイーヴになって
統合失調症になったんで、
人間関係の修羅場に
耐えられず、
ある程度人が多いと
幻聴が生じたりもするんで、
彼女作りなんてのも
成り行きに任せるか。

人間関係は
狭くするしかないんだよな、
自分の場合。
まあそれでも、
教会に参加し、
家族生活を修道院とすることで
修行にできるからいいけど。

人間関係構築が難しく
彼女作りを成り行きに
任せるとしたら、
別に天命がくるまで
合気道もやっててよく
来世に備えてても
いいんやな。

私は感情が平板化してるんで
彼女作っても生殖しても
なんの変化もないと思います。

彼女作る以前に
世界から疎外されてる
問題がある。
疎外されてる状態では
地上は女がいても
墓場のようなもの。
それ故、
やはり彼女より
神を求めるのが自分の
幸せかもなあ。


(2019年03月11日 21時45分46秒)

父の原理との出会い、キリスト体験   もうり さん
父の原理との
出会いは、
一瞥体験と呼ばれるものだと
わかっている。
聖霊との出会いは
回心体験と私は呼び、
また曼荼羅体験だと
思っている。

キリスト体験の
事例を探してみる

ちなみに
曼荼羅が聖霊だというのは
シュタイナー用語辞典を
読めばわかる。 (2019年03月11日 22時39分02秒)

キリストを自我に受け入れる   もうり さん
キリストを
自我に
受け入れる方法を
考えていたんですが
それはキリストの
愛を受け入れることであり
つまりやはり愛し合うこと、
礼拝を続けそこに
来る牧師や病人たちとの
共同作業と交流の未来の果てに
あるだろうと信じるしかないな。
すぐには生じないから
厳しいな。
一瞥体験と
キリストを自我に
受け入れることが
恋愛の代わり。 (2019年03月12日 00時14分01秒)

自然哲学   もうり さん
動物の血は
赤い。それは
生存への執着を
持つからである。
すなわち、
動物の理念は
「生きること」である。
だから、
動物と共に生きるなら
友よ、動物を殺すなかれ。

植物には
対して生存への執着がないと
言われる。
すなわち、
植物の理念は
「生への無執着」である。
従って友よ、我々は
植物なら食べよう。

純粋な鉱物の
理念は無常であり、
死である。
建造物は純粋な鉱物ではない。
植物は純粋な鉱物ではない。
動物は純粋な鉱物ではない。
人間も純粋な鉱物ではない。
だから石を見かけたら
危険でない限り砕いてやろう。

といっても
肉を食べてしまう…弱い。

これが自然哲学であり
人間の理念は愛と自由と中道であろう。

(2019年03月12日 02時05分09秒)

正しさとは何か   もうり さん
正しさの
新たな側面を
自覚した。
それは「完全であること、です」
特に八正道は心を完全にするのを
目的とする。
これまで、
正しさとは、
「存在させること」
だと思っていたが
もっと言えばより
多面的で全面的であること、
完全に近いことが正しさだ。

無論、これは必ずしも
作る機械にごちゃごちゃと
機能を搭載するのが
正しいとは限らない。
なぜなら機能を搭載し過ぎることでも失われる側面があるだろうから。 (2019年03月12日 07時08分23秒)

正しいとは   もうり さん
正しさとは

「存在させること、
必要なことをすること、
完全にすることと」
なった。

その意味では
金持ちが子どもに
贅沢させるのは
正しい行いではないな。
教育は最高の環境を
用意すればいいかと
思うが、
食事や服などに関しては
贅沢と苦行の中道、
つまり必要なだけに
留めるのが正しいんだ。
単に贅沢なだけでは
真に恵まれてるとは
言えない。
なぜならそれは
心を完全にしないからです。
しかし教育環境は
最高であるべきだと
言ったのは、
それが思考をより完全にするからだ。ただし、ここにも
2つの側面があって、
理論も経験も豊富にもてるようにすること、です。

単に贅沢なだけでは
持てることに執着し、
失うのを恐れるとして
心が貧乏だった頃とは
別の意味で不完全に
なっていく道を辿るに
過ぎない。
それは単に苦行僧に
近い側面という
不完全さから
贅沢なクシャトリアという
不完全さに移行するに
過ぎない。
だから、
金持ちになるのを
目指すのではなく、
何か偉大な事業を
行う故に金持ちになる
必要があるなら
金持ちを目指せといいたい。

成功とは
金持ちになることではないと
既にブッダが示している。
なぜなら金持ちでも
幸福にはならないと
聖書の、確かコレヘトの書でも
わかっているからである。
むしろ過剰に持つことに
執着し過ぎるように
なっていくことが
不幸せの原因となる。
また、一面的エリートに
ありがちな下々のものへの
冷酷さも心の欠陥に過ぎない。

ニーズに合わせるというが
そもそも無限の生存欲求に
あわせて贅沢に向かわせる
のは、過剰であり、
必要以上なので
それはニーズとは言わないと
思います。
それは金自体にも
言えます。
金も別次元の商品なんで
ニーズに合わせて持てばいいだけで、過剰な生存欲求にあわせて
無限に持とうとするのは
心の欠陥を示しています。
なんで誰にでもある
欠陥を金持ちの場合に
指摘するかというと、
金持ちになりたがるという
俗人の心の欠陥が
異常な格差を生んでいると
思うからです。 (2019年03月12日 07時54分37秒)

弱者差別   もうり さん
強者の弱者差別が
なんで心の欠陥かってのは
自分の実体が強者だと
思ってるからで、
無常ですから
弱者にもなりうることを
忘れ強者であることに
執着する心の一面性が
その人を不幸にするんです。 (2019年03月12日 08時12分22秒)

幸福な人   もうり さん
だから
結局、
弱者差別をし続け
強者への執着に
留まった人は
心が不完全なまま
死んでしまった不幸な人なんです。

そんな人よりは
強者であったのに
弱者に転落して
弱者への憐れみを
持つようになる人生のほうが
恵まれています。
このような人こそ、
神に導かれた人だと思います。 (2019年03月12日 08時16分52秒)

強者金持ちの義務や責任   もうり さん
なんで
強者や金持ちに
だけ言うかというと
日本は
強者や金持ちになって
支配力や影響力が
増すだけ、その分だけ
責任や義務も増すという
のを知らないで、
強者に厳しくすることを
強者差別、金持ち差別だとかいう、
強者や金持ちの
資格のない人たちが
強者や金持ちになっていると
思うからです。 (2019年03月12日 08時34分25秒)

エリートの話   もうり さん
だから、
慶應大生とかプロフに
書いて女性へ
暴行とかしてる人たち、
このような人たちを
名前だけエリートと言います。

プロフに東大生と書いても
東大生や高学歴に相応しい
徳を備えていなければ
高学歴ではないと思います。

そして、
イケメンとか
可愛さも、
表面的な記号、
シンボルだと
捉えるなら、
象徴天皇のように、
そのシンボルに
相応しい徳を
身につけなければ
真のイケメンとは言えません。
イケメンや
可愛さにも道を発見した
ということです。

イケメンとか
可愛さも力だとしたら、
やはりその姿にあるべき
振る舞いを身につけるのが
道。


(2019年03月12日 08時49分24秒)

権威性とエリート性   もうり さん
つまり、
高学歴とかは
既に権威だけ
残って
エリート性を保証する
ようにはなってないって
ことですね。

もはや高学歴者とは
権威を示すだけで
エリートではなくなっている。

これがひょっとしたら
宮台先生の言う、
勉強するタゴサクってことかも (2019年03月12日 09時03分22秒)

形が意味を宿す   もうり さん
象徴天皇や
イケメン、
高学歴等の
なすべき道とは
建築思想で言うなら
「形が意味を宿す」
でしょうね。 (2019年03月12日 09時25分24秒)

いじめっ子を取り入れる。   もうり さん
いじめっ子は
私を見下すが、
私は全面主義者なので
謙虚に彼らから学ぶ。
その結果、
真似できる部分と
できない部分とが
わかった。
彼らの享楽センスは真似できないが、そこに私自身の側面を
付け加えて、先ほどの
ユーモアの理念を作った。
また人間関係構築能力も
真似できない。
私は物凄く疲労する。

しかし、
暴力性は、向いてないけど
そのうち
合気道に挑戦して
取り入れてみたい。

ユーモアに理念を
追加したように、
本来互いに違うものどうしが
敵意なければ協力して
新しい文化が生まれる
可能性もあるんだけどね。 (2019年03月12日 12時30分32秒)

世界平和の方法   もうり さん
世界平和の
方法、
これって
やっぱり
宗教修行に
頼るしかないやん。
例えば八正道を
修め、ブッダとなれば、
テンリン王となり、
世界を平和にするか
あるいは出家者として
教えを説くようになるかの
道を選べるわけで、
私のように社会的力の
ない者がやれることは
修行なのだと。
さらに
気づいてしまったことは、
今仮に、完璧な社会システムを
生み出せたところで
そのシステムのプレイヤーは
人間なんで、
できるだけ大多数の人間を
修行に導き出さないと
なかなか平和が
現実化しない。

そして、
そのような
多くの弟子を
持つカリスマ性を
備えるには各人が
ブッダを目指してくれるしかない。

それに、カリフ制にしろ
社会三層論にしろ
プラウト主義にしろ
宗教的社会システム論は
単に人間が
考え出したものではなくて
神の世界の叡智に由来するので
結局、本当に完全な社会システムを
創造できるのも結局はブッダになった秘儀参入者のみだ。

秘儀参入者が人間をその
カリスマで導き出し
同時に完璧な社会システムを
生み出して生活を営ませる。
要するにこれは、
世俗的平和を目指して
運動する役目は果たさず
新エルサレムとか仏国土
構築を目的に輪廻転生を
考慮して戦略を練っていけば
いいんだと

だから今、各種宗教社会システムを
学びつつ修行することは、
来世のためになる。 (2019年03月12日 16時00分57秒)

平和を実現したなら神の子と呼ばれる   もうり さん
聖書には、
平和を実現したのなら
神の子と呼ばれる、
と書いており、
また中国古典の
「中庸」でも
世界平和が目的だとしても
その前に中なる心を作るのが
先だとされており、
これ、人智学的に言えば
黙々と霊我、生命霊、霊人に
霊的進化するための
精神修行を行ってそれを
果たすことこそが、
結局は究極の真理に至る
早道であり、それ故に
長いようでこれが確実に
世界平和を現実化できる力を
持つのだと思います。
それに、
結局、全ての文化文明技術は
天才に由来するわけだから
我々もその天才の中の
天才、つまり神の子
を目指さない限り
世界平和という大きな目的を
確実に果たすのは難しいと思います。

そして
人智学を読めば修行法は
書いてあります (2019年03月12日 16時12分47秒)

お花畑と現実   もうり さん
なんで
今世界平和を
現実にするのが
お花畑に思えるのかというと
それはその人が
霊人ではないからです。
霊的に進化するにつれ
実現できることが垂直的に
増えていく。 (2019年03月12日 16時21分56秒)

そして神の計画   もうり さん
そして、
シュタイナーの
神智学概論を
読めばわかる通り、
「神の計画」があり
今は意識魂の時代と
霊我の時代の間にあって
それぞれの時代に
なすべきことは何かを
考え行っていこう (2019年03月12日 16時38分21秒)

神秘学概論   もうり さん
神秘学概論でした。 (2019年03月12日 16時39分32秒)

黙示録の秘密   もうり さん
そんで、
各時代にやるべきことは
このブログにも
書いてある、
黙示録の7つの手紙を
読むとわかる。

(2019年03月12日 16時42分18秒)

魂の力、腕の力   もうり さん
力とは
二種ある。
魂にとっての
力は具体的思索能力、
技術的思考能力である。
これを人智学や宗教哲学による
神の叡智と融合させると
愛となりマナスとなる。
これは胎蔵で言えば
妙観察智の蓮華部院と
金剛部院のことであろう。

もう一つの力とは
身体性による力である。
だから、私は
合気道をやめて、
ひたすら様々な技術を
身につける選択をしよう。
なぜなら技術も魂にとっては
力だからである。

そしてキリストが
私の扉を叩いている。
求めるものは開きなさいとは
私の人格拡大の話から
わかる。ようするに、
自分の理念にキリストの理念を
付け足しなさい、ということである。こうして、自分の魂の
扉をキリストに向けて開くのである。

では、キリストの理念とは
なんであるか。
それは太陽のイメージで
表される、全ての者への愛である。

技術を
身につけていった後、
それを全ての者のために
与えれば、
マナスとなると同時に、
キリストの力をも獲得するのだと。

そして、
実際私は、
神智学、人智学、ヘーゲル、
ノヴァーリス、空海等、
宗教的思考を開発していった
結果、金剛界曼荼羅が形成された。
と、いうことは、
おそらく技術の錬磨に邁進し
人々に与えていくと
独自の胎蔵曼荼羅が、
確かに生じるであろうと
予見できる。
だから合気道よりも
技術に集中しよう。 (2019年03月12日 18時06分51秒)

文学は止める。   もうり さん
文学は
身につかないので
やめとこ。

戦略、作戦、戦術本は、
一冊ずつ教養程度に
嗜んで、
あとはプログラミングの
世界に邁進しよう。
なぜならプログラミングって
だけでも幅広いから。

php本届く連絡きた。

(2019年03月12日 19時41分20秒)

アニメ 神のみぞ知る世界   もうり さん
アニメ
神のみぞ知る世界で
発想を得たけど
プログラミングって
地上世界で
表現された人間的な
「神の言葉」やん。
なぜなら、
書き込む(言葉)と
存在(画像等)が
生じるから、
これはまさに、
「光あれ」と
神がプログラムすると
光があった、みたいなもんである。



(2019年03月12日 19時59分50秒)

情報技術   もうり さん
つまり、
いろんな技術を
身につけんのやめて
プログラミングに
邁進します。

ちなみに、
別に土木技術等
その他の技術も
やっぱり考えて(命令)
行為する限り、
神の言葉なんだけど、
プログラミングの場合、
思考と現象の距離が近いかと。 (2019年03月12日 20時11分41秒)

空気の自覚   もうり さん
言語優勢の
発達障害者に、
もしかしたら
空気の読み方を
伝えられるかもしれない。
例えば次のイメージのようにして。
製造現場は
「効率よく生産する」という
理念(この場合の空気)に
従って動線が考えられ、
機械等が配備される。
つまり、その空間は
単なる空間ではなく、
意味のある空間である。
(2019年03月12日 21時16分31秒)

力と叡智の違い   もうり さん
叡智、
という場合、
たぶん全面性が
大事かと。
なぜなら、
霊性は全一であり
全てを自らの原型の一部分と
するから。

ところが、
力、という場合、
単純に考えて
集中したほうがより強く、
強いほうが力としての
意味があると思える。

だから、
技術は集中が
大事かもしれない。 (2019年03月12日 21時41分01秒)

分別知と無分別知の流れ   もうり さん
子どもという
分別のつかない
状態から
大人になって
分別がつく。
そして再び子ども性を
取り入れて無分別知に
上昇する。

同様に
親の言うことを
聞く子どもの状態から
自分の理念を確立する
大人の状態になって、
再び子ども性を
取り入れて他者の
言葉から理念を読み取り
自分のものとする。
例えば私の親なんかの
理念は正命であり
自分の理念は正念で、
別に自分の理念と矛盾することが
ないのである。
親の理念を取り入れたほうが
八正道の完成に近づくなら
取り入れる。

人に従うとは
実は理念に従うことであり
その人自身から独立させて
自分のものにすることもできる。

つまり、
八正道とは
無我の境地なのだとわかる。
無我の境地とは
大人と赤子の統合ってことだな。 (2019年03月12日 22時31分41秒)

頭だけは老人   もうり さん
頭だけは
老人なんで
大人さえも
子どもと相対化する。

大人は
子どもに対して
絶対的に
優位に立っている
わけじゃないという
霊感がある。

子どものほうが、
世界に開かれていると
思います。

(2019年03月12日 22時46分29秒)

他人の人生を生きる。   もうり さん
個人主義の
時代よりも
未来を先取りした
見解を言うが
私たちは
しょぼい自分よりも
立派な人物、
拡張する機会を
見かけたら、
その人の理念を
自分のものにしようと
思う、開かれた子ども性が
あることによって
しょぼい自分を打破できる。
これがあると、
キリストの理念を
素直に受け入れようとも
思える。
自分の自我が完璧だと
思うのがそもそもの間違い。
子どもから大人になっても
別に自我が完璧になった
わけじゃないんでね。
別に大人って完璧な
わけじゃないわけで、
その意味では
子どもより偉いわけじゃないな。
(2019年03月12日 23時05分55秒)

ゲーテ的哲学の有用性 究極の武器   もうり さん
ゲーテ的哲学の
有用性について。
個人レベルでの
究極の武器は
ゲーテ的哲学等
霊学だ。
あるいは純粋数学を
含んだ教養や、
リベラルアーツが
万能の武器であると
わかった。
なぜなら、
これにより理解力が
高まるので、
どんな技術にも挑戦できる
潜在能力が高まる。
それで、もし失敗しても
何度でも次の
技術を理解して立ち上がる土台に
なると思うんです。
つまり、
ようやくたった一つの
普遍的技術とは、叡智だと
理解できたわけです。
普遍的技術なんで現実性はないが
どんな個別具体的技術という
現実性にもなりうる潜在能力を
持つというのが叡智の長所でしょう。
つまり金剛界曼荼羅とは
天の富であると同時に
普遍的技術なんだと。

ようやく、
高校生の頃、
回心体験をしたときの
夢、どんなものにも
変容する真理を
理解することで
何でもできるように
なれないかという夢の
答えがわかりましたね。
それはなるべく博学な叡智です。

これは、柔にあたり、
具体的技術が剛にあたります。 (2019年03月12日 23時57分54秒)

叡智による透明化   もうり さん
まとめるだけでなく
例えばプログラミングを
直観的な知恵によって
透明化できます。
哲学、霊学における
剣は、この見通す力にある。
総合もようするに、
有機的に結び付けている
点で、その貫通する関係性が
言葉の剣であり、
キリストの口から出る、
神の剣と呼ばれるものです。
全てを絶対的に刺し貫くのが
霊性であり宗教哲学です。
個性的な尖ったものだけが
剣じゃない。

そんで、
私はヘーゲルの
精神現象学的には
信仰の意識と有用性の意識を
統合していこうという
段階ですね。
これは霊性哲学によって
プログラミングの全てを
透明化すると達成されます。
さらに有用性の意識の
観点からは霊性の哲学を
普遍的技術だと認識することで。
これは、土木技術を
有する空海も通った道でしょう。
だから、やっぱり
出家主義者だからって
世の技術を学ばないことには
意識は進化しないんだな、と。

それで、
人間は過去には
街の真ん中に教会が
設置されていた理由も
理解できますね。
諸々の職人を宗教で
一つにする以上に、
そこで本当は
聖職者が真理の言葉を
伝授することによって
職人に自分の仕事を透明化させる
ことができたはずなんですよね。
でも、それができるためには
宗教だけでなく
哲学の素養も必要であること。

そんで、つまり、
信仰の意識と有用性の意識が
統合されると
絶対的な自由の意識と
呼ばれる、イスラム教の
意識になぜ至るのかも
理解できますね。
なぜってアッラーから
生じムハンマドから生じイスラム法学者から生じる、
諸々の法体系の言葉こそ、
抽象的な偶像のない
霊性が根本にあって
様々な具体的なことを
透明化しているからです。

イスラム法研究は
ちと難しいな。
あと、具体的なことは
労働だけじゃないので
労働技術は本当に
一つに集中するだけで
いいな。
生活は八正道があるけど、
社会問題にも取り組まないと
いけない。

力には
四種あって、
生活は八正道、
労働はプログラミング、
身体性は合気道、
そして社会システム。

合気道も
やっぱり力だな。
身体性って思ってたけど
そもそも考えなしで
合気道を生み出せるわけがない
という当たり前のこと。
この武術も理解しようとすれば
いい。
例えばジークンドーなんかは
攻撃と防御の中道と理解でき、
人間工学という思考分野だとわかる。

今までの
総合的技術の
イメージはどれも
水平的なものであった。
例えば芸術と技術という
総合はどちらも作ることに
過ぎない。

垂直的バランスが
大事なのであった。
これが
有用性の意識における
全面性。

労働技術は一つに
絞るけどその他の
カテゴリーも一つに絞る。 (2019年03月13日 06時02分58秒)

日本仏教批判   もうり さん
仏教自身の
中道の原則から
日本仏教を批判する。
生活には八正道や
戒律があって、
労働には調理する僧侶など
それぞれの役割がしっかりと
あって、
社会システムは
もともとの仏国土や
サンガ、立正安国論等が
あるけど、
日本仏教には
身体性が足りないと思います。
だから
少林拳法とか合気道とか
ジークンドーを
やって欲しい。 (2019年03月13日 06時24分52秒)

メガテン3のタトゥーのような体   もうり さん
メガテン3の
タトゥーのような
ものを体に帯びた
主人公のその姿が、
なんのシンボルであるか
というと、
叡智と叡智の中の
垂直性と
力と力の中の垂直性を
身につけ、
愛で融合して
マナスとなった、
垂直的な全面的人間の
ことかと思います。 (2019年03月13日 06時56分14秒)

勉強しない時間   もうり さん
やっぱり
勉強しない
時間も大事だな。
そのおかげで
方針が固まってきた。
今日から勉強始めます。
まずは、
放送大学の
「自然科学はじめの一歩」から (2019年03月13日 07時06分06秒)

社会運動   もうり さん
哲学的宗教家が
社会運動に
乗り出すのは
菩薩として正しいと
思う。
人と関わり
少しでもよい世界を
作ろうと地上に乗り出すことも
修行になるに違いない。

それで、
私もプラウト主義と
社会3層構造と
カリフ制再興を
読みコンセプトを
身につけたら、地域との関わりを
作って状況に応じて
学んだことを参考にして
よりよい地域社会作りに
貢献できたらいいと思う。

なんで
リア充が優勢の社会かと
言うともともと彼らは
外向きだからいきなり
地域や人間と関わろうとする。
彼らの宗教的成功ルートの
一つは外から内へ、
力から哲学へ、というルートだろう。
しかし、私のような奴は
内側から始めたいので
最終段階として社会と関わるようになる。

力の一つに社会システムと
言ったがこれは社会運動を
しなくては意味ないだろう。

八正道しつつ
プログラマーやりつつ
合気道訓練しつつ
地域作りをする。

ただ、
まずは就職してからか。 (2019年03月13日 07時47分58秒)

理論と現実の関係 地域作りのために   もうり さん
地域作りのためには
地域研究もしないといけない。

叡智が普遍的技術
であるように
社会作りにとっての
普遍的技術とは
社会科学や宗教的社会論
だろう。
それで様々な社会を認識できれば
同時に地域研究の知見と
比較することによって、
今成すべきことが
見えてくるのではないか。 (2019年03月13日 08時39分29秒)

社会は苦   もうり さん
また陰湿ないじめか。
学校ではいじめ、
大人になれば低賃金労働。
社会は苦だな。
生きるのは苦だな。
そして
いじめられた奴は
自殺し、
いじめた奴は
自殺したことを嘲笑
しながら恋愛し子孫を残す。

こんな世の中じゃ
反出生主義、
独身主義にもなるって
もんだよな。
だって世の中間違ってるんだもんな。

倒すべき敵、
自覚できたな。
現在の糞社会が
一番の倒すべき敵だ。
今の社会を破壊すべきだ。
人間における一番の巨悪は
社会だ。
(2019年03月13日 09時18分18秒)

ジハードを正当化する理屈   もうり さん
ジハードを
正当化する理屈がある。
なぜなら、
一番暴力的なのは
現在の社会なのだから、
社会を打つのが義となるわけだ。

統合失調症を
患って集団ストーカーという
巨悪からの被害にあう
幻聴という苦しみを
受けたが、
社会が巨悪なのは
間違いなかった。 (2019年03月13日 09時41分57秒)

向上門と向下門   もうり さん
修行して救われるという
考え方は
阿弥陀仏が救ってくれる
という考え方と
矛盾しないことを
イメージで
示したのが
曼荼羅の向上門と
向下門だと
思っています。

自ら仏に向かっていく
流れと
仏自ら衆生に
向かっていく流れが
一体となってると観ます。 (2019年03月13日 11時14分27秒)

この宇宙は悪   もうり さん
この宇宙は悪という
思いに変わった。
地球が
愛の地球に進化しない
限り、
そもそも平和が実現できる
構造にはならない。
この世界、宇宙は
悪であり、
自由になって
この巨悪のダンベルを
利用して愛を強化して
輝かせることが、
地球期の理念だと
思います。

フェイトで言うと、
エミヤが英霊になって
自分の理想に絶望するのも
この宇宙が悪だから。
しかし未来を見通せば
もしもエミヤが巨悪の
世界にあって愛することを
諦めなければ地球が
愛の地球に進化するよう
貢献したことになる。

だからこの宇宙時代
にあっては、どんな
社会システムにも必ず
欠陥があると思う。
なぜなら、この宇宙自体に
欠陥があるから。
右翼の理性を疑うことを
超えてそもそもこの
宇宙自体を疑うことになって
しまった。
この時代に
愛を選んだ人たちによって
宇宙の来世では
平和が実現可能となると
思います。

今は自由と愛を
鍛える為に悪がある。 (2019年03月13日 12時19分29秒)

敵を愛せ   もうり さん
そうだった。
私の十戒を参考にした
流出論的倫理、
つまり武士道精神では
自分よりも
まず自分に反感を
もつ人を愛するのだった。
そうすれば修行になる。
そうすればネットでの
消耗も有意義になる。

だから毒を含んだ
幾つかのお声が
届いたきがするけど
あなた方が幸福になりますように、
平安あれ、と祈る。 (2019年03月13日 15時26分54秒)

享楽と正義は正行に位置付く   もうり さん
享楽と正しさは、
全人類のため、
同胞のために
行いなさいという
正行に位置付くでしょうね。

享楽はお笑いで
言えばボケとツッコミという
役割に別れ、楽しませるという
徳性だけど
これは平等な関係じゃなくなりやすい構造なんで、
そもそももともと対等だと
信頼しあってるものどうしで
しかやるべきではないだろう。
もともと対等だと
思いあっていれば
過剰なツッコミに
対してノーと言える。
でも、学校の享楽主義の
場合は背景化した平等性
抜きに弱者を打つように
なっているから悪なのだろう。
これが正しさと
統合された享楽の一例である。
方法は「背景と前景」


(2019年03月13日 17時54分28秒)

対等とは いじめの本質   もうり さん
対等とは
人にされて嫌なことを
人にしないってことですね。
自分を愛するように
人を愛すること
思いやりでもある。
いじめの場合、
自分はさんざん殴っておいて
同じくらい
殴り返したら逆切れして
さらに殴ってくるのは
対等じゃないってことですね。

例えばそれで、
神はあなたの計る計りで
あなたを計ると言われる。
(漢字あってる?)

いじめの本質、
もしかして対等じゃないこと
なのでは。

つまり、
憎しみの連鎖というが
もしも互いにはじめから対等だと
思っておれば罰を
受け入れるので連鎖もないだろう。



(2019年03月13日 19時13分24秒)

自己批判 承認欲求   もうり さん
自己批判

承認欲求全開で、
オレすげーやると
すごくない部分を
見つけだされて
叩かれ、
それが本当に
心の隙間なんで
グサッときて、
つまり負ける。
完全でない限り
オレすげーやると
ノックダウンされるわけで、
つまり、どんなに見栄を
張ってようが負けると
わかった。
少しでも不完全な
心であるならば
まだまだなんだとわかった。
だから承認欲求丸出し
気をつける。
完全でない限り、
真の強さではない。


(2019年03月13日 21時12分09秒)

プログラミング創造論   もうり さん
プログラミング教室
行って理解した
本質的なこと。

コンセプトの創造とは
手順を考え実行するだけに
過ぎない、と。

そのためには
各道具を理解し
記憶する必要がある。

傲慢が
なんで悪徳なのか
わかったな。
さんざんオレすげーしてても
負ける要素、弱点があるからだ。
それでブッダは完全だからこそ
自分で勝利者と言ってもよくなるわけだ。
(2019年03月13日 22時06分48秒)

現実的アイデアの方法   もうり さん
現実的アイデア
創造の方法も、
そもそも
創造という高尚な
言葉で隠されているけど
コンセプトがあって、
道具があって、
道具を線形に編集する
作業に過ぎないと思います。。
これは製造現場でも
同じで、製造プロセスも
手順を守ることに過ぎない。
哲学による総合も、
地水風火みたいな
手順というか、
決まった流れがある。

おそらく、
的外れなアイデアとは
現実の要素という
諸々の道具を
知らないことによると
思います。

地域復興、
都会復興に
関しても、
詳しい現実を
知ってそれを
素材にできて、
なおかつさらに、
コンセプトという
理論界にあっても
諸々の社会理論を
詳しく知って、
より善くできそうな
コンセプトを作るべきだろう。
あとはコンセプトに
従って素材を編集したらいいと
思います。

ほら、
宮本武蔵の
五輪書でも、
地の巻では
道具の理解から
始まるでしょう。

でもって、
諸々のコンセプトと
諸々の道具をパネルにして
クリックしたら表示
される、みたいな
現実的アイデアツクールアイデア

(2019年03月13日 23時28分28秒)

反省点   もうり さん
学歴云々の話で
苦しみを
受けた人がいるかも
しれないんで
フォローしとくと、
勉強できるってことも
徳の一つですよ。
正念の一つでしょうね。

ただそれで
傲慢になった人は
頭の悪い人を
平等というか
人間として見ないので、
まずその人たちに
対して正見という徳を
失い、正しい判断という
徳を失い、正しい言葉という
徳を失い、正しい行為という
徳を連鎖的に失ってしまうのでは
ないかという心配があります。

(2019年03月13日 23時53分32秒)

十善戒の例外   もうり さん
背景前景の
考え方でいくと
理趣教的な
煩悩を肯定する
方向性から、
例えば
信頼しあう中、
対等さが
背景にあれば
殺しはせずとも
武道試合したり
互いに厳しく不快なことを
言い合っても土台が
平等だからいいんでしょうね。 (2019年03月14日 00時11分13秒)

大事なこと   もうり さん
平等が
背景にあるなら
肯定できてくる
煩悩もあることから
愛し合うことが
できさえすれば
別に多少食事に
貪欲でもキリストに
会えるかもしれない。

つまり、
正しさの観点から
言うとむしろ
愛し合うほうが
人間を自由にするといえる。
絆があることで
腹を割って話せるという
自由が生じる。
絆があることで
本来の自分を出せるという
自由が生じる。
(2019年03月14日 00時25分56秒)

頭の悪い人も人間   もうり さん
思うに、
頭の悪い人を
平等に見ないで
正しい行為までの
徳を失ってしまう人よりは
頭が悪くても
他に対する愛情があるなら、
それにより正見から正行までの
徳をある程度無意識的に
身につけてることになるんで
八正道における徳の数は
後者のほうが多く、
だからより人間性があると
総合的に評価できます。

ブッダになることや
キリストのようになることが
人間となることなら、
愛情があることも
人間性でしょう。
賢さだけが条件ではない。
でも知恵があることで、
徳に至るそうなんですけどね。 (2019年03月14日 07時29分15秒)

支配者のいない世界 カリフ制の成り立つ条件   もうり さん
支配者の
いない世界も
ありえてくる。
人々が愛し合うことが
できさえすれば
自ずと思いやりが
生じ対等な意識が
生まれるから、
国家や司法がなくとも
それぞれのむき出しの
個人だけで社会秩序が
守られうる。

ということは
やっぱり平和は
可能かもしれないし、
カリフ制もやはり
物凄く参考にすべき社会理論
ということになる。

つまり、
カリフ制も
背景に博愛平等自由がなければ
成り立ちえないといえる。
諸個人が博愛の徳を身につけ、
それにより互いに平等に見ることが
できるようになったときこそ、
カリフ制再興の条件が
整ったということ。
(2019年03月14日 08時11分32秒)

高校数学の勉強法と労働の関係。   もうり さん
私は
高校数学は
覚えてないが
宮台先生が
暗記だと言っていた。
これも創造方法と関連する。
おもうに、
これは新しい問題を
解くための素材となるからこそ
有効な手段であろう。
私がここで様々な
経験(素材)を関連付けて
新しい話を創造していくことと、
おそらく数学の証明方法は
同類だと思います。
なぜなら数学も
記号による論理的な関連付けに過ぎないからです。

そして労働の手順を考えることが
数学の論理的関連付けと
形式的に同一なのでは、
ということです。

そして、
私が総合的に考え
られるようになったのも
基礎となる関連を多く
記憶しているからであり
従って手順を考えることが
創造といい、
手順には素材が
必要といったが、それだけでは
創造論は不十分だ。
コンセプト、手順、素材だけではなく、様々なコンセプト、様々な
手順の具体例、様々な素材の知見があることで、人は創造的になれるであろう。

だから、
素材とコンセプトを
知ったからと
言って、いきなり
無限の素材の組み合わせ、
手順自体の創造ができる
ようになるわけではないだろう。

手順自体の経験を
集める必要があるだろう。
 
だから、
素材を覚え、
解答例を覚え、
コンセプトを覚えることだと
自分は思いますけどね。

しかし、
念のために言えば
子どもの教育の場合、
忘却が有効に働くらしいので
詳しくはシュタイナー教育を
読んでみてください。

ただ、
私は高学歴者ではないので
この勉強法が
有効かどうか高学歴者に
確認してみたい。

プログラミングの
先生も上達法は
理解した上での
写経と言ってた。 (2019年03月14日 10時18分48秒)

貧乏人の徳   もうり さん
享楽を
求め
喜びに向かい、
断念、忍耐を
拒否すれば
それは資源、金の独占や
家族で言えば自分だけ
食事を多めにとって、
家族の分は少なくなって
しまうというわがままで
慈悲のない状況を
招く。
だから、苦行僧のように
苦労せよとは言わないが
生へ執着し過ぎず
断念できることも
美徳となる。

金持ちはむしろ
消費して経済に
金を回せという人も
いるけど、
私は不合理に不必要な
ものを買うよう
勧めるよりは
金のない奴に必要な
何かを買い与えるほうが
合理的だと思います。
それでありうる
理想的な慈悲深い一家は
自分たちは必要なだけの
消費に留めて、
余ったお金で余裕のない人を
支援するとかいうアイデアも
あるんですよ。
(2019年03月14日 13時29分49秒)

貧乏人の徳 稼ぐとは   もうり さん
1%の金持ちは
自分で稼いでるように
見えて見方を変えれば
大量の人間からお金を
贈与されてることに
ならないでしょうか?

そしておかしいと
思うのは
一%の金持ちは
あれほど金を集めているのに
多くの国際的規模の
貧乏人たちは物質的に恵まれて
いるわけではないこと。

これってつまり、
やっぱり金持ちたちは
自分の生産性の実質以上に
ぼったくりしてんじゃねと
経済素人ですが
思ってしまいますね。



(2019年03月14日 13時45分36秒)

現代的ブッダ的生き方   もうり さん
現代で
ブッダのような
生き方をしようと
思えば
陽キャ金持ち強者リア充
の生き方から
陰キャ貧乏人弱者
非リアの生き方をして
どちらからも離れて
どちらのためにもなる
教えを説くって
感じでしょうね。
(2019年03月14日 14時00分27秒)

食物連鎖と仏法説話 合理的救済論   もうり さん
自然科学の
本で食物連鎖について
書かれていた。
諸法無我ですな。

それは人間についても
同じことで、
具体的には覚えてないが
たった1人の人間が
悪事をなすだけで
それが大事に至り、
激しいものだと戦争に
つながったりする。

生活しいろいろと行為する
必要がある理由は
自我や心、健康といった
人間の階層要素を
調整するためだと
考えているが、
人を助けるのも
自分を超えて
自分と連鎖する社会の
構成要素を調整して、
なるべく大事に
至らないようにするためだと
考えれば、人助けも合理的だと
思える。

なるべく人助けする
人が増えたら社会が
安定する方向へ
進み、自分も安定するのでは。 (2019年03月14日 15時41分09秒)

自然科学も神学の一つ   もうり さん
自然科学も
神学じゃんって
思いをもった。

宇宙、地球システムという
相互関係、
生物環境の
相互関係等、
要するにこれって
全ては結びついており
全ては一つっていう
宗教哲学の具体例だと
思うんで。
そういうわけで、
唯物科学も捨てたもんじゃないなと
思い直した。
ゲーテ的科学が
特に哲学性があって
好きだったけど
普通の科学も見事なもんだ。

(2019年03月14日 15時55分49秒)

自然科学にも   もうり さん
自然科学にも
霊性、文系の
側面があるって
わけですね。
だから
文系理系と
偏食するのは
ナンセンスかも
しれませんね。
なぜなら
工学でも、
文系のコンセプトが
役立つと示したからね

何もゲーテ的に
パワーアップする
以前から自然科学は
無価値なものではなかった。

自然科学って、
客観的になるあまり
価値を失うと
思ってたけれども
そうじゃなかった。

これが
唯物自然科学の哲学性か。
(2019年03月14日 16時02分54秒)

自然科学は今も哲学   もうり さん
自然科学は
哲学から
科学となって
哲学ではないみたいな
思いもあったけど、
自分の判断では、
自然科学は今も哲学だと
価値の転換が起きました。 (2019年03月14日 16時14分15秒)

漫画の創作アイデア   もうり さん
学級王ブッダという
創作アイデアを
もった。

それは、
陽キャ的暮らしから
苦を見いだし
だから陰キャ生活に
移行するが、
それもやはり苦だとし
その中道的生き方を
発見することで
やがて学級王になる話

で、この漫画は
ファンタジーで
創作されるのではなく
陽キャ的生活、
陰キャ的生活の
それぞれの観察結果を
素材に作られる。
(2019年03月14日 18時04分03秒)

記憶法 高学歴がやってること   もうり さん
でもって、
高校数学から
労働、
哲学、
そして創造の
形式的同一性を
示したところで、
そもそも
手順を構成するための
素材をいかにして
記憶するかという、
記憶法の問題が生じる。
これは
有機的な関係性を
見いだす、つまり観察による
総合によって
果たされると思います。
結局、記憶法も
哲学や労働と形式的に
同一なものがあるのであった。

物事の理解方法は、
聞いた言葉を、
経験、イメージ
という素材に結びつけて
再構成することだろう。
しかし、これは、
数学や論理学の場合、
別の方法があるかもしれん。
数学は苦手だからね。

(2019年03月14日 18時35分23秒)

記憶法の具体例   もうり さん
記憶法の具体例
地水風火とか、
固体液体気体とか、
四則演算とか、
博愛平等自由とか
などは一瞬で
記憶できると思いませんか?
相互に関連してる
感じのある言葉の並びは
記憶しやすいと思います。
私はこれを
Linuxコマンドに
応用したらすぐに
記憶できました。

総合は記憶法でもあるのだと。

しかし、
新しく覚えたいものに
これをやると疲れます。

プログラミング本も
まずはこれでいく
(2019年03月14日 20時35分28秒)

予定変更   もうり さん
具体的な
思索能力、
つまり魂の力の
側面を鍛えるために、
八正道、プログラミング、
合気道、社会運動をやるって
書いたが、
変更する。

学問でも
魂の力は鍛えられると
気がついた。
だから、専門的学者の方々は
聖霊を授かって真理を
体得してもらうためにも
魂の叡智の側面である
人智学と神智学をも
学んで欲しい。

私は労働のために
プログラミングを
学ぶけどそれ以外は
具体的な学である、
社会科学や自然科学、
抽象的ではあるが
必要な形式科学等を
やはり博く、
そして継続することで
ある程度深く
学んでいきたく思います。

結局は学道ってわけですな。

(2019年03月14日 23時46分33秒)

一周回って   もうり さん
一周回って
別に技術に
拘らんでも
自分の好きな
学問を文系理系問わず
深めりゃいい、
それでも宗教的な
道は開けるって
ことになって
しまった。

そうすれば
もっと確実な
意見を言えるようになるかもね (2019年03月15日 00時01分02秒)

無能でもよくなった。   もうり さん
生活は
八正道やりつつ、
中心は
学道が目的になったんで
別に苦手な
労働で大成するのを
目指す必要はなくなった。

キリスト教的に
言うと
これまでの
哲学や宗教の探求が
叡智に相当し、
自然科学や社会科学が
力に相当する。
そしてこの両者を
八正道や礼拝によって融合する。
そうしたら、
聖霊を授かる。

(2019年03月15日 00時43分53秒)

求道者的思考と科学的思考   もうり さん
私は学者としての
発言はしてないけど
自分の魂の
修行になるような
発言をしております。
実際、曼荼羅を観たことを
考えれば修行になった。
でもこれは、
魂の叡智の側面のみであろう。
直観的で想像的な思考方法です。

そして、
具体的思考方法たる
魂の力の側面を
さらに言い換えると、
これは下から積み上げていく
厳密な
科学的思考方法ということに
なるかと思います。

だから
逆に言えば
科学者も
ゲーテ的思考方法を
馬鹿にせず
むしろ身につける努力を
しなければ
学道を歩んでいるとは
言えず
単に職業学者って
だけだろうと批判しておきますね。
学道を歩めば
真理の霊、パラクレートスに
至るだろう。

私は
学者に馬鹿にし、
学者が謙虚に
ゲーテ的思考方法を
身につけない間に
学者の思考方法を
身につけて、学道を
歩もう。

(2019年03月15日 09時29分49秒)

人智学とヌーソロジー   もうり さん
魂の叡智は
シュタイナー等で
修行が果たされた。
この側面の
法則で創造力を発揮できる
ようにもなった。

魂の力を鍛える際も
科学的思考方法を
身につけるだけでなく、
科学法則を利用した
創造的思考が
できるようにまで
なることが理想だろう。

だが、
嬉しいことに、
日本にはどうやら、
まだその先があるようだ。
数学や自然科学や
まだ勉強していない
現代哲学を学び
終えたら、
最終目標は
ヌーソロジーの理解、
ヌーソロジー的創造力を
身につける
ということになろう。

ヌーソロジーは
私的には、霊的な唯物論だと
思っていて、
ようやくヌーソロジーを
学ばなくてはいけない
動機ができたな。
だが量子力学等
物理数学を理解できるようにまで
ならないといけないから、
遠い先の話だな。

人智学が魂の叡智であるならば
ヌーソロジーは魂の力である、と。

半田コウセンさん
パラクレートスに
至るためによろしくお願いします。 (2019年03月15日 10時11分20秒)

ヌーソロジーの素養   もうり さん
てか、
ドゥルーズやベルグソン
数学、
物理学、
物理学数学等、
ヌーソロジー理解に
役立ちそうな
学問だけやって
ヌーソロジー的思考と
創造力を身につけることだけに
絞るか。

現代の先駆的思想には
3つある。
神智学、人智学、ヌーソロジー
である。 (2019年03月15日 11時07分54秒)

ヌーソロジー的に言うと   もうり さん
私の
思考方法は、
ヌーソロジー的には
ノス的思考、幅思考で
ヌーソロジーは
ヌース的思考、奥行き的思考で、
なんで科学ではなく
ヌーソロジーを
選ぶのかというと、
ヌーソロジーは
自然を同時に精神と
観た唯物論的なるものであると
思うからです。

つまり、
思うに、
ゲーテ的思考方法に
対するアンチテーゼとして
ヌース的思考方法が
日本で出現してくれた。
(2019年03月15日 11時35分07秒)

能動的思考   もうり さん
ヌーソロジーは、
男性的な
能動的思考と
言われる点も、
まさに「魂の力」という
感じがする。

思うに、
受動的な
私の創造力に、
さらにこの思考方法の
創造力を
加えること、
つまり幅思考を
奥行き思考で貫くことで、
幅思考から
新たな奥行き思考が
産み落とされるかもしれない。
二つの種類の創造力を
回転させるということ。
そしたら慈悲も生じるかも
しれない。
あるいは融合のためには
同時に八正道等、
利他活動も必要かもしれない。

鏡のような幅思考を
剣のような奥行き思考で
割るというのは
たぶん、行き過ぎかも。
幅思考の
中を奥行き思考で
貫いて、
幅思考に
何かを生み出してもらう
ことを目指せないだろうか。
さらに思うに
このように考えると、
ヌースからノス、
ノスからヌースという
回転は、
単なる回転ではなく、
螺旋のようになるのではないか。
(2019年03月15日 12時12分09秒)

ノスとヌースの螺旋の意味   もうり さん
そして
思うに、
ノスとヌースの
螺旋の意味は
進化した未来では
自我を創造することを
意味するかもしれない。 (2019年03月15日 12時17分03秒)

二つの創造力   もうり さん
あるいは
二つの創造力を
駆使して
生み出していった
言葉の数々は
受精卵の
細胞分裂に
相当し、
最後に
聖霊、
つまり
霊の子が産まれるのかも
しれない。

(2019年03月15日 12時48分02秒)

価値の転換   もうり さん
自然科学の
価値転換が
起きて
さらには
ヌーソロジーに
対する価値転換も
起きたので嬉しい。

ヌーソロジーは
魂の半身である。 (2019年03月15日 13時16分02秒)

ノスの最終地点 ヌースの最終地点   もうり さん
ノス、
金剛界曼荼羅的なもの、
魂の叡智と呼ばれるものの
最終地点が
愛の叡智たる
八正道であるならば
ヌースという
能動的で
具体的な、
私が魂の力に相当するとする
ものの最終地点は
愛の力ではないだろうか。
シュタイナーは愛の叡智を
仏教の特徴とし
愛の力をキリスト教の
特徴とし、
愛の力とは
実際に愛する力だとしている。

また力には
統治の意味もあり、
そもそも抽象的な
領域である、
ノス的思考では
真に有効な社会システムは
生み出せないかもしれない。

ヌース的思考は
具体的なイデア論と
言っているので、
もう一つの
愛の力としての
ヌースの最終地点は
具体的な平和理論かも (2019年03月15日 13時47分05秒)

叡智と力はいかに融合するか   もうり さん
叡智と力が
いかにして
融合するかの
イメージもてました。
叡智が、
愛の叡智となって
八正道となり、
力が愛の力となって
なるべく平和な
共同体運営のための
具体的な知恵となって
実際に運動するように
なったら、
二つは一つの愛として
融合し
おそらく聖霊に
達するかと思います。
だから、
経営者等、
実利重視の方々、
安心してください。
あなたがたも、
平和な世界実現のために
進み続けたら、
きっと蓮華のような
曼荼羅を観るに違いありません。 (2019年03月15日 13時56分23秒)

修行になればいい   もうり さん
修行になればいいんで
ヌーソロジーが
できなくても
愛の力に至れる
可能性はあります。
ただ、
ヌーソロジーを
やるとたぶん、
修行も早くすむと予想。
そんで、
半田さんが
具体的な平和論を
生み出す時点、
あるいは
平和運動をよく展開できてきた
時点で蓮華部院の曼荼羅を
観る可能性があると予想。

物理学等、具体的な
世界を具体的に語る力が
ヌーソロジーには
あるのだから、
社会科学に突入することも
できるはずだ (2019年03月15日 14時04分58秒)

ヌーソロジーには進んで欲しい   もうり さん
ヌーソロジーには
いつまでも
自然科学のような
分野に留まっていて
欲しくはないという思い
(2019年03月15日 14時07分52秒)

学びの短縮   もうり さん
学びを短縮します。

魂の力、
具体的思索能力に
関しては
叡智との
融合の方法は
叡智から愛の叡智を
生み出した後で
社会をよりよくするために
考えて行動すれば
いいから社会科学を
学べばそれが愛の力となり
したがって魂の力自体に
関してはヌーソロジーと
労働のための技術を学ぶだけにします。
ヌーソロジーも、
もういきなり
ヌーソロジー
いっちゃおうかと
思います。

ヘーゲル的に
言えば、
精神的な動物(労働意識)から
立法や法、社会を
よく考える意識への
移行があったはずです。
そうすると、
「精神」になるという
記述が、
精神現象学にあった
気がします。
ここが蓮華部院と
関係するだろうと
(2019年03月15日 15時17分36秒)

例えば仏教の場合   もうり さん
例えば仏教の
場合、
愛の叡智とは
八正道に相当し、
愛の力とは
律蔵に相当すると
思われます。
それで、
単なる叡智とは
例えば、色即是空、空即是色
等でしょうね。
それで単なる力とは
例えば僧侶それぞれの
役割で、調理をする僧侶の
場合は、食材を一切無駄にせず
調理する等の工夫でしょうね。 (2019年03月15日 15時47分17秒)

一番の短縮形   もうり さん
一番の短縮形の
道をやっぱり
歩もうかと思います。
社会科学が
愛の力だと
思っていたが
既に律蔵という答えがあり、
律蔵は八正道と関係する
ことが予見されるので、
愛の力と愛の叡智を
融合できるはずだ。
だから社会科学より
これをやるのが確実だ。
無論、ヌーソロジーによる
新しい社会システムも
ありうるが。

律蔵を研究して
八正道とそれとの
関係を探りたい。

そしてヌーソロジーを
研究することが
魂の力の探求の
短縮形。
あと労働技術を身につけたい。

積読、律蔵、ヌーソロジー、
労働技術をやるのが
一番の短縮形とみなす。 (2019年03月15日 17時01分18秒)

3つの道徳理念   もうり さん
愛の力と
愛の叡智との
関係ですが、
これは胎蔵における
平等性智にあたる
六波羅蜜のことに
思います。

つまり、
八正道、
六波羅蜜、
律蔵、
この3つを
関係付けることが
課題。 (2019年03月15日 17時42分12秒)

胎蔵曼荼羅全体の4つの理念   もうり さん
胎蔵曼荼羅
全体の4つの理念
について。
胎蔵曼荼羅における
金剛部院が
八正道、
蓮華部院が
律蔵、
そして平等性智の
部分が
六波羅蜜。

この3つが
調和したら
大円鏡智の部分に
達すると直観します。
そして
大円鏡智の部分に
達すると、
一切如来智を会得するであろう。 (2019年03月15日 18時19分23秒)

知の完成について   もうり さん
知の完成についての
想像。
なんで
私が
八正道を考察すると
黄金の曼荼羅が
開いたのか、ですが、
これはこれまでの
私の認識の修練に
加えて、抽象的にしか
語られない八正道を具体的にも
理解したからという仮説。

つまり、
知の完成とは
抽象的かつ具体的に理解
することではないかってことで、
そしてこの見解は、
既にヘーゲルが語っていたと
思います。
私は学者じゃないんで
アリストテレスの語る
知識の定義に当てはまらない
ことばかり言ってる場合も
あるだろうけど、
道徳的知においては、
私の想像力が役に立った。

従って、
具体的な律蔵も
そのように行為を規定する
原理にまで帰納しなければ
曼荼羅が生じることは
ないだろうと導く。

六波羅蜜は
抽象的に語られているから
具体化もすること。
しかし同時に、
これが両者の関係性をも
規定する理念であるなら
この中から、
八正道の側面と律蔵の側面を
見いださないと
曼荼羅は開かないであろう。

ここまで至ると
一切如来智が
開くのか、
それとも、やはり
活動も伴わないと
無理なのか。

認識だけの場合は
どの曼荼羅が開いても
黄金かもしれません。

活動を伴った人は
胎蔵曼荼羅になるのかも
しれません。

どの曼荼羅も
黄金色だとしたら、
最終的に、
真の金剛界曼荼羅が完成
するってことかもしれませんね。 (2019年03月15日 18時40分17秒)

アリストテレスの理論論 なぜ世界観があるのか   もうり さん
アリストテレスの
理論観によると
哲学、数学、自然学と
大別される。
私はこれらの
根本的イメージを
以下に想像する。
生き生きと
運動し進化していく
神の言葉としての弁証法

集合論

全ては
つながっているという
自然観に
加えて
人間の自由と愛という理念に
動物の生きるという理念に
植物の生に執着せず生きるという
理念に、
鉱物の死という理念

このようにして
この3つの理論を
観念論的基礎に
位置付けてみました。

そして、なぜ
現実離れした
世界観を思考は
形成できるのかというと
その思考は無ではなく
存在するものであり、
思考することも
行為の一つとなり、
木星期において
神に受け入れられた
自分の思考の有機体が
現実態となると想像する。

(2019年03月15日 19時02分29秒)

数学について   もうり さん
数学は
ブルバキが
集合論を
基礎に数学を
やったと読んだことが
あるが、
集合論にも矛盾があると
指摘されているのは
知っている。
この場合は、
数学における
正と反があるのではと言うことで
観念論に位置付けてみる (2019年03月15日 19時07分57秒)

素人なりの総合数学   もうり さん
素人なりに
弁証法的に
数学を総合してみる。

普遍は集合論
特殊は関数論
個別は幾何学

この三位一体で
全数学を構築できないだろうか?
(2019年03月15日 19時24分59秒)

数学4元論   もうり さん
数学は
4元論ではと
思った。
集合論、
関数論、
代数学、
幾何学の
4つ。
なぜならば
内部で
普遍的な集合が
個別的な集合と
関係付けられる時(関数)、
概念(言葉(代数))が
発生すると考えて、
その言葉が
外部の形(幾何学)を
解釈すると考えるからである。 (2019年03月15日 19時36分34秒)

平和を目指す 平等の自由性   もうり さん
博愛、平等、自由とは
互いに関連している。
人を愛せば
思いやるので
自らを慎むべきときは
慎むので平等や対等が
実現するのと同時に
罪からの自由、
自分自身からの自由が
生じる。
この平等という
別次元の自由の上に
個人の自由が据え置かれる。

ただまあ理想通りには
いかないが (2019年03月15日 20時33分33秒)

暴力性のない男はもてないのか論   もうり さん
暴力性のない
男はもてない、
つまり強くない男、
オスぽくない男は
もてない論が
あるから
暴力が苦手な
紳士のためにフォローしとくと
かつて
ツイッターやってたころ
私は低学歴だが北大の女性に
自分の言葉はずっしりと重く、
凝縮していて男性的って
言われたり、
その人とは合いそうだったんで
その人のために詩を書いたり
したら、その女性の女性性が
目覚めたのか、体が
熱くなったと言われ
リアルで博士にアプローチ
されたらしく、
私は恋のキューピットと
なったのであった。

しかし
思い返してみると、
私は頭で考えて、
アプローチする理由が
あったからやったんで
あって、自分の心臓には
何一つ情熱はなかったんで
むしろ関係が終わって
よかったと思っている。

私はそもそも恋に
向いてない感があり、
それゆえ
ロマンチックラヴや
プラトニックラヴに
憧れてしまう。 (2019年03月15日 20時48分54秒)

理解方法の基礎としての言葉と教養   もうり さん
言葉をある程度
知ってるから
だいたいの文章が
読める。
つまり常識的な文章を
読むにしても
ある程度の「言葉の教養」が
必要であることになる。
これが教養の意味だろう。
理解できる範囲の広い人間とは
つまり、それだけ
教養のある人間なのだと思います。

教養がなければ
特定分野の完全な認識も
不可能になるとするなら、
私はやはりヌーソロジー
理解のために必要な
教養を身につけるべき
なんだろう。

教養とは
直接的な実利には
ならなくても
何度でも立ち上がれる力を
提供するのだろうが、
つまり、リベラルアーツに
音楽が含まれるように、
教養とはそもそも知識に限定
されないことになる。
教養というと知的なイメージが
私には定着していたけど
真のシンボルは十字架であろう。
例えば、道徳的にも、知的にも、
感受性も、身体性、
実務能力もある程度
基礎力を開発するなども
教養なのだ。
(2019年03月15日 21時14分00秒)

身体性の教養、生命の教養、心の教養   もうり さん
身体性の教養、
生命の教養、
心の教養、
を考えてみると
前は身体性は
合気道やろうと
していたが
これだけでは
不完全に思える。
愛の武道たる
合気道に加えて
必要悪の武道が
なくてはと。
生命の教養とは
多面的な人格を
持つことである。
それは胎蔵曼荼羅で
示されてると思います。
そして、
心の教養は
私のではなく
空海の
金剛界曼荼羅で示される。

それで思うに
ブッダの
出家修行者の
言葉のように
垂直的な教養を
身につけるのも
手かもしれないが
しかしそれでは
どの階層も不完全に
留まるという欠点がある。

そうすると、
ブッダの解釈が
変わってくる。
学識豊かで技術あり、
身を慎み、言葉が見事であること
これがこよなき幸せである、
と言っているが、
これは、
垂直的にやれというより、
まず初めに分野を問わず
完全な知的教養を身につけてから
技術に進み、特定分野の技術を
その教養によって
完全にマスターした後、
完全な人格形成に向かえ、
その後、言語テクニックを
磨けと、順序よく
マスターしていけと
言っているように
思えてきた。

(2019年03月15日 21時41分25秒)

智から始める   もうり さん
智から
始めるのが
どうやら正解のようだ。
空海の金剛界曼荼羅は
胎蔵曼荼羅の根本だと
思います。
例えば蓮華部院は
観自在菩薩から
始まるが、その働きの
始まりは妙観察智だと
される。そしてつまり、
胎蔵曼荼羅を生み出すのに
必要な智を示すのが
金剛界曼荼羅なのではと
思います。

人智学的には
まず普遍的な心を
作ることによって
自在に生命に働きかけ
られるようになり、
生命がやがて普遍的な生命に
達する。同様にして
普遍的生命が肉体を
普遍的肉体に作り替える。

智の作り方は
ヌーソロジー的には
ヌース的思考とノス的思考の
想像力を身につけるだけでなく
ヌーソロジーや数学的、
科学的教養を律蔵という
具体的な徳と結びつける
試みを行って、単なる知識を
徳を意味するものに
変えることである。

そして律蔵は中道の理念や、
八正道とも結びつけられる。
このようにして、
愛の力を愛の叡智と融合させる
だけではなく、
魂の力を愛の力と融合させ、
魂の叡智を愛の叡智と融合させる
試みも必要であろう。
ヌーソロジーの教養、
ヌーソロジー、
そして律蔵、と来たら
関係性を探った後に
八正道との関係性も探る。
これが終わったら平等性智に
至ったと言えるだろうし
これらを六波羅蜜と結びつける。
おそらく、こうしたら
大円鏡智に達したと
思うのだが、今度は
ここに釈迦院があることから
方便や対機説法等言語実践
を理解して
この智と結びつけていけば、
私の金剛界曼荼羅、
つまりマナスは完成に
至るのではと予想します。

魂の力はプログラミングを
せずともヌーソロジーが
最適だと思うんで
別にプログラミングで
成功するのに拘る必要は
なくなったな。
ただ数学苦手だから
参ったな…。 (2019年03月16日 00時03分44秒)

高望み   もうり さん
無論、
純粋数学、量子力学等
ヌーソロジーの
教養が理解できず
ヌーソロジーが
理解できず
プログラミングも
マスターできないみたいな
悲しい現実が押し付けられる
こともありうる。

でも、できなかったら
できないでいいんだよな。
なぜって、
無能に有能であれといっても
無意味だから。

できる範囲で努力するなら
それが最上の努力、
正精進という美徳であって
今世の義務を果たしたといえる。

(2019年03月16日 11時41分32秒)

垂直的努力の理解   もうり さん
そして
垂直的努力の理解に
達した。
例えば、
私が妙観察智、
具体的思索能力、
律蔵等具体的生活や
数学、科学的思考、
創造能力という
魂の力の側面を
獲得できなくとも
魂の叡智の側面の
曼荼羅が形成され
成功したわけだから、今度は
各階層の叡智の側面を
掘り下げていけば
いいんじゃないかという
方向がある。
それはつまり、
智に関しては
徳智にまで達したから
あとはそれを実践するだけという
生活だ。

魂の力の側面に
集中する人々も
どうにかして
その側面の徳智に
至らないと宗教的成功は
修められないかもしれない。
その徳智とは
ユダヤ人のタルムードや律法、
イスラム法体系や律蔵、
仙術のような具体的な
生活規定や社会を考えることである。でも、
これもいきなりそれを
考えたからといって曼荼羅は
形成されず、繰り返し
魂の力の育成を継続した
人間にやってくるかと思います。

自分が何ができて、
何ができないのかを理解する
ための方法の一つとして、
教養があるかどうかが
あると思います。
例えば識字能力とは
文字や単語の意味の教養と言える。

例えば身体性の叡智の側面は
合気道だと思うのだけれど
私にはこれまで運動能力を
様々な方向に伸ばすよう
訓練してこなかった、
つまり身体性の教養がないんで
武道も不向きなんじゃないかと。 (2019年03月16日 12時05分18秒)

プログラミングと純粋数学と言語学   もうり さん
そして、
何ができて
何ができないのかの
理解方法の
考察から、
私はプログラミングは
不向きだと導き出された。
プログラミングって
たぶん
純粋数学よりも
自然言語に近づいた
人工言語だと思うんですよ。
例えば
日本語プログラミング
ナデシコが開発されたのを
想起すれば、
プログラミングとは
osがソフトとハードを
繋ぐように、
自然言語と人工言語(数学)の
中間言語なのではと。

だから、
私には数学や論理学の
素養がないから、
やっぱり英語等語学が
向いてるかなと推移してきた。

(2019年03月16日 12時18分55秒)

八正道と礼拝の融合   もうり さん
力、とは
統治の面があると
言ったけど
それはつまり
集団生活も意味するだろう。
キリスト教の礼拝、
サンガ、修道院等、
同志で集まるのはつまり、
信仰によって一つとなり、
「精神」になることだと。
その一つになる方法が
掟等の、
神による「法」生活なんだと思います。
律蔵も、法であって、
道徳ではない、という面が
あるのではと思います。
八正道は道、道徳であり、
律蔵は法なのではないか、と。

そうすると、
愛の力とは
なんなのか理解できる。
それはキリスト教的には
愛しあうことが掟であり
礼拝に参加し、
礼拝を日常生活で
真似ていける、同志が
いればいい。

だから、
礼拝と八正道と
六波羅蜜の統合を
考えていく試みをしたい。

あと、
本買ってみたけど、
知的体力が
落ちてたくさん
読めなくなってる。


(2019年03月16日 18時09分06秒)

三角形と徳   もうり さん
八正道は
個人における
道を示す。
六波羅蜜は
個人と個人との
関係性の美徳
そして
愛し合うことは
個人と個人が
神に向かって一つになること。

こうして三角形の美徳として
統合され、
確かに、一切如来智も
三角形のシンボルなのであった。 (2019年03月16日 19時16分44秒)

魂の力と神への帰依   もうり さん
魂の力は
統治の面が
あると
言ったけど
これ、宗教的には
神の掟を守ることによる、
神による統治ってことだな。
そして魂の叡智の面は
個人を規定し、
平等性智の部分は
個人と個人との関係を
規定する。
こうして三角形ができる。 (2019年03月16日 19時24分49秒)

キリスト教の三角形   もうり さん
キリスト教の三角形は
愛し合うこと、
隣人愛、
個人の賜物

個人は
八正道によって
統合され、
個人と個人の関係は
六波羅蜜によって
統合され
個人と神ないし
ブッダとの関係は
律蔵や愛し合うことによって
統合されると見た。

そして個人と個人は
ルシファー的な人と
アーリマン的な人とも言える。
(2019年03月16日 19時43分52秒)

狭い領域で生きる   もうり さん
てことで、
礼拝に参加すりゃ、
愛の力の側面満たせると
考えるんで
特に地域作りみたいなことは
せず社会参加するのみですな。

優しさというか、良識が
人にいい効果を及ぼすことの
例示ですが、
牧師の方が信者さんが病気の
時にお祈りにいく等、
もろもろのことをなす
長いプロセスがあって、
その信者さんのお別れ会を
した時に、その信者さん
泣いてた。

良識や優しさというものは
このように人を感動させうる
ものなんです。

当たり前のことなんだけどね。
(2019年03月16日 22時31分26秒)

理想と現実   もうり さん
理想は
社会の悪い部分を
倒していくことだが
現実は
そんな意志力や
リーダーシップはないという (2019年03月17日 10時59分57秒)

平等を補う愛   もうり さん
平等を補う徳は、
愛です。
なぜならば、
平等だけなら
損得感情が
強化されると
思うからです。

愛することで
対等、平等の理念が
生まれるにしても、
その愛は平等を超えている、
これが理想でしょうね。

そして
八正道、六波羅蜜、律蔵、
あるいは
賜物、隣人愛、愛し合うから
形成される、三角形の徳智ですが、
これを行えば永遠の命に至ると、
新約聖書の善いサマリア人に
ありました。

今日は礼拝に参加して、
生活保護者や牧師さんに
お菓子を配ったり、
娘さんにジュースを入れたり、
話たりしました。 (2019年03月17日 12時54分56秒)

個人的曼荼羅の注意事項   もうり さん
個人的曼荼羅の
注意事項として、
その発現した曼荼羅は、
私の場合、
空海ほどにまで
完成したものではないと
観るんで、
やっぱり叡智を獲得した
といっても謙虚さが必要。
というか、
わかったことには、
自分の叡智の側面だけ
得意であるのは真の教養じゃない。
リベラルアーツは数学を含むから、
魂の力の側面たる、科学的思考や
純粋数学の素養をも身についてないと教養とは言えない。

つまり、
叡智とは相対的教養に
過ぎない。
言わば霊と肉を分離することで
霊を相対化したキリスト教のような
もんである。 (2019年03月17日 14時08分15秒)

学者批判   もうり さん
そうすると、
無論、
現代の学者が
ゲーテのような直観を
忘れがちで
下から積み重ねる
科学的方法のみを
専らとすることには
私の立場からは
それは真の学道じゃないという
批判がある。

例えば
人文学に対する人文科学である。

科学的方法を専らとし
直観を忘れてしまっては
特に文系ではうまくいかないのでは、と。

例えば私のように
八正道を具体的に記述できた
文献ありますかって話ですよ。 (2019年03月17日 14時16分13秒)

道徳、法、人倫   もうり さん
八正道は道徳、
六波羅蜜は法、
律蔵は人倫ではないかと。
それは、
賜物は道徳、
隣人愛は法、
愛し合うことは人倫だ、と。 (2019年03月17日 14時29分27秒)

観念論と唯物論の統合   もうり さん
観念論は
ヨハネ福音書。
鷲がシンボル。
そして、
この三位一体的な
見方がなぜマクロな
目線と言われるのか
理解した。
それは、易における、
最初の太極と陰と陽、
この3つの見方を
全てに適用するからだ。
それに対して、
科学とは、言わばこの
易が無限に展開していって、
八卦だとか六十四卦等に
具体化していくのだと。

それで、
三位一体の観念論哲学に
対して唯物科学も哲学だと
科学の価値転換を
したのであるが、
だからといって
唯物科学の見方を
絶対視し、
観念論を幼稚な見方だと
理解して捨て去るのは、
結局そういう人は
ドイツにおける
ヴィッセンシャフト(科学)
ではなく、もっと相対的な
科学の信奉者に過ぎないと
理解する。

多面的に観ることが
真実に至るのであって、
なぜ人はわざわざ
そのレンズを捨て去ろうとするのかと思います。 (2019年03月17日 15時37分12秒)

正命 体作り   もうり さん
正命、
これ簡単に
言えば
健康な体作りと
心作りのバランスって
ことになりそう。

筋肉が増強でき、
感受性も増強でき、
知識も増やせる面が
あるから、
肉体も、筋肉に
限らず様々な面で
暮らしの積み重ねで
変化するという面が
あるのではないかと。

それで、
家族は健康を重視する
人たちなのであるが、
確かに強迫神経症は
つらい、苦しいし、
胃腸炎になったことが
あるがこれもつらい。
肉体の病も、ブッダさえも
四苦八苦としてその内に
捉えているわけで、
やはり特に学識がなくとも
正しさの一面を備えていると
言えよう。

正命の目的は、
心の健康作り、
体の健康作りと
言ってもよいのでは、と。

そこで、
漠然としか
覚えてないが、
人生を楽しむ人と、
仁、あるいは中なる
生活を守る人を
論語が比較していたと
思うのだが、
長持ちするのは
仁ある、あるいは
中なる生活を心がける
人、と書いてあった。
中なる生活は山のように
不動、安定という結果の側面が
あるようだ。

そして、
慈悲は、
苦しみを取り除く一面があり、
具体的に言うと四苦八苦を
取り除くことなんだろうな、と。 (2019年03月17日 18時55分12秒)

愛でできた世界   もうり さん
ちなみに、
仏教聖典には
善の本質は
慈悲だと書かれてありました。
言い換えるなら
愛から正しさが生じる
ことになりましょう。
これは、
アリストテレスとも
通じると思います。

そして例えば、
この宇宙は巨悪ですが、
なぜなら叡智を示すだけで
あって愛を示さないからです。
しかし、その示す叡智とは
私の直観では愛の叡智なんですよ。
愛の叡智しかないから
かえってこの世界は不完全なものとなっている。

例えば太陽は
博愛を示し、
大地は我々を支える等、
愛の叡智を示す。

そして例えば万有引力や
自然界が一体的であること
なども、暗にこの宇宙の
叡智が愛であることを示している、と。
そもそも思考自体が
愛を示す。
論拠や理由に
支えられて我々は
語る。
三段論法による
推論は、普遍と個別が
一体であるという愛を示す。 
そもそも構造がある
世界という、この世界設計自体が、
神が暗にこの宇宙の創造理念を
愛としたからだと思っています。
構造自体、愛を示している。

まあ、これは
私の考えで人それぞれなんですが
(2019年03月17日 19時46分42秒)

正しい思考という愛   もうり さん
正しい思考は
物事の関係を概念や記号で
正しく結びつけるという
一体性が既に、
明確で確実で厳密な
世界における、
愛を示すとさえ
思ってます。

例えば言葉も
主語と述語の一体性。
(2019年03月17日 19時53分33秒)

観念論以上に   もうり さん
そう、
つまり、
私はこの宇宙を、
神の言葉で
できているという
以上に、
神の愛でできていると
思ってるんですよ。
今のところ、
それはまだ不完全なものですが (2019年03月17日 19時57分21秒)

空間における愛   もうり さん
例えば、
空間における愛とは
点と点の愛が
線、線と線との愛が
面、面と面との愛が
立体等等
(2019年03月17日 20時10分40秒)

食い合う動物の意味   もうり さん
馬は子を産む。
その子馬が
生まれながらに
弱くて、走れず、
肉食獣に食われたとしよう。
そして肉食獣にも
子どもがいて、
肉食獣もやがて狩りの
際に反撃にあって死に、
その肉食獣にも子どもがいて、
子どもだけが残されたとしよう。
死ねば鳥に食われたり
虫に食われたり、
土に還り、
植物のための養分となる。

動物たちは
命の連鎖をつないでいる。
この事実から、
悲しみのみを見いだすべきであろうか。

いや、そうではないかも
しれない。
動物界の食物連鎖の調和とは
それによって彼らの魂が
様々な命と統合していき、
やがて一面的な能力しかない
動物の魂から、
全面的な魂、
つまり人間の魂になるための
進化過程なのではと理想する。
彼らは食い合うことによって
互いの統合を目指している、と。

そして我々人間の場合、
もはや食うという動物的営みに
耽ることでは天使に進化できない。
むしろ我々の場合は
自己自身に打ち勝つことを
求められる。
それは自己自身の魂の
動物的魂を自我が食う、
つまりマナスに至る
修行をすべきことを示すと。
食うのに耽る、
あるいは悪事に耽る人間は、
その逆で、自己自身の
動物的魂に自我が食われていく
プロセスを歩み、やがて
動物に退化していくことをも
示す。

この摂理から、
シュタイナーが
言うように、
やがて人間は
動物に退化していく
人間と人間がさらに高貴な
存在に進化していく人間とに
二分していく説は
確かにありうるのだと
思える。 (2019年03月17日 20時36分55秒)

勉強が苦しい   もうり さん
勉強が
苦しくなってきたんで
作戦の本と
ヌーソロジーと
phpに絞ります…。
もう教養付けるの
無理になってきたかな…。
でもまあ、
徳智の三角形を
理解したから、
残るはその実践と、
学ぶべきなのは
魂の力たるヌーソロジーと
労働に関するプログラミング
だけだからいいんですけどね…
プログラミング、
これでニーアオートマタみたいな
ゲームプログラム書けるように
なれるほどまで成れないだろうな、
という懸念がある。

ライムさんの
ヌーソロジー基本概要
購入しました。
実は二冊目なんだが
寄贈してしまったんで… (2019年03月17日 20時55分46秒)

生物学の観点   もうり さん
観念論や
霊学的観点
から動物植物鉱物にも
存在する意味があるから
人間は自分の都合を
最優先すべきではなく、
なんならベジタリアンに
なることを求める、
という話は、
私という文系の見解なんですが、
ならば理系の
生物系、地球システム系の
人たちにも、動物は、
例えば絶滅危惧種でも
人間の都合で殺して
いいのか聞けばよい。
生態系は複雑で
相互関連しあっている、
というのがヒント。

動物にも
人間同様に
存在する意味が
あるわけだからね。 (2019年03月17日 21時13分39秒)

感動のポイント   もうり さん
そして、
牧師さんの
実践が
別れるときに泣いたって
言った信者さんに
与えた感動の要素の
一つが、血のつながった
家族でなくても、
私に面会しにきてくれて
祈ってくれたなどですね (2019年03月18日 06時47分36秒)

先駆的思想   もうり さん
仏教密教は東洋をまとめたが
人智学は西洋も東洋も
まとめたから、
思想的には人智学のほうが
優れていると思ってる。
でも、東洋は、
科学や理系の
文系に対する長所である、
素朴でない記述をする
ヌーソロジーが登場してくれた。

神智学、人智学、ヌーソロジーを
学ぶのが未来的だが
これらを専門に学べる
学部などたぶんないから仮面浪人も
意味をなさないのであった。 (2019年03月18日 07時18分19秒)

三角形の徳智の目的   もうり さん
三角形の
徳智の目的
平等性智の
六波羅蜜、
これは
恩田だろう。
人にされて嫌なことを
しない、
人にして欲しいことを
人にもする、
恩は返す。
これが六波羅蜜の目的かと。

そして愛し合うこと、
神の掟を守ることの
目的は、つまり敬田であり
礼拝は言わば
精神と物質、
知的人物と世話人や
病人や知的に遅れた人物を
十字架のようにつなぐ。

家庭では、
相互に大切な事柄を
守るために相互の統一的な
掟を設け、それぞれの賜物を
互い分かち合い、人格の統合を
図ることだろう。
自分たちの上位人格を
作ることである。
六波羅蜜では、
上位人格で
自分たちの上を作るというか、
互いに水平に向かい合っている
イメージ。

そして、
八正道においては、
目的は完全な愛であろう。
これはキリスト教の
太陽のような愛を連想するが、
そういえば、
八正道だって、
心を完全にするための
修行なのであった。
つまり、
キリスト教にあっては
悪人や敵さえをも愛すること、
なされたよりも多くをなす
自己犠牲で、
心を完全にしようとするのに
対して、八正道は各生活を
中道にすることで完全な
心を作ろうとする。
ならば、八正道がさらに
完全になるためには
敵を愛し、悪人を愛することだと
わかるだろう。

こうして三角形の徳智は
さらに明確になってきた。 (2019年03月18日 10時19分55秒)

自分の本能の理念   もうり さん
私の本能の理念、
おもっきし
「食いしん坊」だな。
性欲が強い人に、
性欲無くせなんて
言えんな。
ただ自分の本能を
上手く使うことを
考えないとな。

私は理屈で
子ども作りしたくない
のではなく、
本当に子作りに
それほど関心がないだけという。
理屈じゃない。
(2019年03月18日 18時30分47秒)

モテた経験   もうり さん
小学生の
ころ、
私のこと好きだろなって
女子小学生一人いたり
高校生のころに、
一度も話たことないのに
中学生のころの私のことを
覚えていて、高校生になって
原チャリの後ろに乗せて欲しいとか
大学生でもこりゃいけそうだなって
女子がいて、
ツイッターでも前にいったように
いけそうだなって女子が
いたけど、
理屈以前にもともと
服装や童貞卒業や
付き合うことに関心が
なかったから
全てのチャンスを
無為にした。
今は社会的地位が
低いので、
モテることもないだろう。

結婚恋愛等に
関心がないのは
幼い頃から。
経済的条件以前に。 (2019年03月18日 18時38分57秒)

プラトニックラヴ   もうり さん
結婚恋愛等に
関心がないが
プラトニックラヴには
憧れる。 (2019年03月18日 18時41分48秒)

届いた   もうり さん
パーフェクトphp届いた。
作戦の本と
ヌーソロジー本と
平行して読み進めていきたい。
後者二冊は
まだ届いてないけど。

もう幅広く学ぶのは
非常に疲れて無理なんで
最終的には
ヌーソロジーと
プログラミングって
ことになるな。

(2019年03月18日 19時10分00秒)

プログラミングできなくても   もうり さん
純粋数学や
論理学ができないから
真にマスターできないかも
しれないし、
そもそもまだ
そのアルバイトに
就けるか未定なんだけど、
「魂の力」の育成に
関してはヌーソロジーだけで
いいから、
仕事はあくまでも二次的なもの。
そんでヌーソロジーの
本質の理解できないとしたら、
本当の理解は来世に
するんだろなと
でも、そのうち
シリウス革命等、
ヌーソロジー文献を
漁ってみようかという
思い。

とりあえずプログラミング教室行ってくる。 (2019年03月18日 19時14分48秒)

Re:プラトニックラヴ(05/14)   5dolphin さん
もうりさんへ

プラトニックラヴが出たので、解説します。
精神的な愛のことで、肉体を離れた愛のことです。オカルトでは霊魂に性差がないことがわかっています。つまり、肉体に転生するときに性差が生じるのです。

肉体に転生するのは逆説的にいえば愛が偏っているせいで、不完全で、一なる全体の愛、つまり創造の愛、美の愛ではない。つまり美しくない愛で、誰がみても愛とは感じない、醜さが混じった愛なのです。

男だから女を求めるのは、自分にないものを求めているにすぎません。つまり、男女が愛し合うのはお互いが不完全で補完しあっているわけです。

ないものを外に求めるのではなく、内に求め、自分にないものをみつけ、自分でつくりだしていくのが、精神的な愛、創造的な愛です。

だから、相手を求めるのは偽の愛です。相手をみて、自分のなかからつくりだしていくのが、精神的な愛、つまりプラトニックラヴで、輪廻転生を超え、天使の段階に進化することを意味するのです。

誰がみても美しい愛。簡単にいえば無償の愛のことです。見返りを求めているのは愛ではないですね。求めあってはいけませんね。絶えず与え続ける愛ですから、結婚とかそういう社会的制度に囚われないということでしょう。もちろん、誰がみても美しい愛を感じる夫婦もいるでしょう。

ぶっちゃけ、人間段階を修了した天使の愛のことです。 (2019年03月18日 19時51分04秒)

正しい仕事   もうり さん
教師に聞いたら
どうやら
プログラミングは
背景に数学的イメージが
あるようなので、
やはり私には深みまで
いけないとわかった。

かといって、
動作性の仕事も
できない。
かといって、
事務もできない。
宗教やヘーゲルを探求していく
内に無能になってしまった。
無論、
その代わりに、
ある程度の
永遠の富を獲得しているから
自尊心は保てるが。

だからやっぱり
内から外へという
一本道の
理念は間違いだったんだな。
学校教育で広く学んだ後、
どこかで同時に
実学を深めるべきであった。

動作性や言語性IQが
別に高くないかわりに
eqでもってるかもしれん。

どうしよう、
万事休すだ (2019年03月18日 21時25分34秒)

管理人さん   もうり さん
管理人さん、
お忙しいなか
返答ありがとうございます。
自分の内から
創造する愛、とは
参考になります (2019年03月18日 21時29分06秒)

プラトニックラヴについて   もうり さん
管理人さんの
プラトニックラヴの
話から、
男女間では
互いに参考にしあって
自分自身の
内にないものを
創造する形かなと
思いました。

自分の内に
ないものを
自分自身で心に
作り出していく、とは
なかなか厳しいですね。

そしてそれが
八正道等の精神修行と
なっていくわけですね (2019年03月18日 21時34分42秒)

話あい結果   もうり さん
先行き不透明なんで
家族と相談し、
単に仕事中に
わからないところは
聞くプログラマーに
なればいいだけだと
結論づいた。

だからやはり
この道を行く方針を
固めた。

私の信じてる宗教、
あるいはやってる
宗教は独自のマニ教だと
思ってます。
これは学ぶ限り
どんどん進化していく
宗教です

ちなみに、
肉食を絶対禁止と
主張するわけでもなく。
地域的に無理なら
仕方ないし、
意志あるものが
やればよいかと。
肉食しないことが
精神的な修行になるようだしな。

肉食は
動物のアストラル質が
付着してるようなんで
それが修行の邪魔になるようです。
そしてある修行によって、
植物から脂質がとれるように
なるようです。 (2019年03月18日 22時21分31秒)

どんなときに敵を愛すか   もうり さん
どんなときに敵を
愛すか。

迫害したユダヤ人たちの
ためにさえ死んだ
キリストの場合、
キリスト「個人」という
特徴があるかと。

例えば打たれたら
さらに体を差し出せ、も
個人的だと思います。

そしてこれが金剛界に
相当するとすると、
煩悩を砕く武器とは、
まず自分のそれを砕くために
使うのではと考えると、
個人的。

だからひとまず、
敵を愛せとは、
私個人に敵が
攻撃してきた場合を
想定する。

それで、
六波羅蜜や
神への愛という
他者性、集団性が加わった
場合には、
六波羅蜜には
怒りの形相をした
仏がいるように、
敵と戦うのだろうと。

特になぜ六波羅蜜では
敵と戦うのかというと
自分を愛するように
隣人を愛するみたいな
平等性が敵に対しては
目には目をとして現れるのだと
思います。

政治や社会に関してなら
ともかく
誰しもに欠点はあるのに
なんで他人の欠点を
叩くのかという問題もあるよね。
でも、この言葉も
一面的なのは認めるけどね。 (2019年03月19日 12時06分20秒)

恩田実践   もうり さん
今まで気づいて
なかったけど、
私はどうやら
百万円くらいの
貯金があったらしい。
だけど、
お世話になってることも
あるし
年上の兄弟が
株やりたそうにしてたから
全額その兄弟に
贈与することにした。

恩田の実践が
できるから
何より。 (2019年03月19日 13時01分30秒)

百万贈与   もうり さん
兄弟に
百万贈与して
例え
兄弟が
株に失敗しても
恨むこともない。

自分も十分失敗して
迷惑かけてきたからな。

私は、
一億円貯金あっても
人に贈与できるくらいには
金に執着がない人間になりたい。 (2019年03月19日 13時07分53秒)

前進するには   もうり さん
作戦論から
着想を得たこと。
理想を具体的に
全体的に生み出す
だけではなくて、
現実を具体的に
全体的に理解すること、
この二種の全体像から
どうすべきかを
考えていけば
前進できると思います。
(2019年03月19日 15時21分42秒)

地域で生きる   もうり さん
現実の
全体像を把握して、
社会理論の全体像を
把握して、
その相互作用で
現実を前進させるって
進歩方法だけど、
今から地理学や歴史、
経済学とか
やって、実学的な
現実を掌握する力は
もう残ってないんで
みなさんに任せますね。

理想と現実、両者の
全体像を把握することによる、
現実的進歩方法の確立は、
私の場合、長いプロセスの経過で
抽象的に理解した段階で
力尽きました。

現実では社会ガチャガチャみたいな
側面があって、私の全体と
ある人の全体があって、
私の全体の一部を
別の人に移せば解決する、
みたいなことがあります。
例えば家賃の問題も、
遠くの兄弟の愛による
振り込みによって
解決できました。
頼らないことが癖だと
視野が狭くなり
他人の力を借りたら
解決できる方法を
なかなか閃きずらくなります。

世界平和は、
もはやバトンタッチであり
頭の柔らかい人たちに
任せます。

私は、あとは
キリスト者たちや
家族といった小さい領域で
生きていきます。
(2019年03月19日 15時48分17秒)

創造プロセスの具体的イメージ   もうり さん
創造プロセスの
具体的イメージ。
理念があって、
その理念のイメージを
作る。
あとは技術による
数学的イメージを
手順よく組み合わせると
コンセプトが
実現する。

創造とは
目的と手順に過ぎないと
言ったが、
そのためには、
目的という形(イメージ)を
予め想像しておかなければ
手順を組み合わせようが
ないわけです。

この理解が
有効かどうかは
プログラミングの
先生にも聞いてみます。

とりあえず、
もう考えるのは疲れました。

(2019年03月19日 16時17分16秒)

目的と手段の関係   もうり さん
目的と手段の
関係は、
目的は
始まりなようで
終わりのイメージなので、
現象を形成するに
至る技術のイメージが
あればその終わり、
目的を達成できる。 (2019年03月19日 17時59分42秒)

Re:プラトニックラヴについて(05/14)   5dolphin さん
もうりさんへ

その通りです。
言うが易し行うは難しですが…。 (2019年03月19日 18時59分10秒)

型に嵌まらないこと   もうり さん
型に
嵌まらないこと。
型に嵌まることにも
長所があって、
それは自分自身よりも
大きな型に嵌まる場合。
例えば八正道等の
精神修行になるものは
大抵そうです。

そして型に嵌まらないという
傾向にも短所があって、
自分自身という型に嵌まってしまう。

自分だけ高まろうとすることを
平気で是認するエリート主義者
を見たが、そんな人は
地獄に堕ちるとシュタイナーが
どこかで言ってましたね。

だから、
神に彼を救ってくださいと
祈る。
(2019年03月19日 20時34分14秒)

あび地獄   もうり さん
シュタイナーは
どこかで
自分だけ高まろうとして
周囲のために
分かち与えようと
しなかった人は
あび地獄に堕ちると
言っていたと思います。
あびは変換できないけど、
無間地獄とも呼ばれるそうです。

チェキラ (2019年03月19日 20時45分28秒)

カラマーゾフ   もうり さん
はっきり
言うが
迷える衆生、
愚者に哀れみを
感じない知者なんて
人としてどうかしてる。
偉大な存在は、
見よ、大地となって支え、
太陽となって暖める。

奴隷のおかげで
アリストテレスは
研究できたんだ。
集団が社会を維持してきた
おかげで学究にも預かれたんじゃないのかな?

カラマーゾフの
兄弟のイワンとアリョーシャ、
特にアリョーシャに憧れるが、
どうやらこの二者のモデルは
ソロヴィヨフらしい。

ドストエフスキーは
ダメ人間にすら慈悲の目を
もってるから私は好む。

私は自分自身も、
ここで発表してはいても、
家族のためになることは
やってこなかったと思うので
その分人の罪を許すことが
求められている。

アビ地獄は、
孤独に自分だけで
闇の中を落ちていく描写が
あるが、さもありなん、と
思いました。
なぜなら自分だけが
高まろうとする道は
自分だけが落ちていく道だからですね。

まあ、
もともと宗教的素質の
ある人たちにしか
通じないだろうから
何を言っても無駄かな。 (2019年03月19日 21時22分35秒)

Re:あび地獄(05/14)   5dolphin さん
もうりさんへ

その通りですね。

高まるとは、救うことです。自分を救うには、自分以外の人を救わないと救えないのです。

というのは自分を救うには、自分にないものをとり入れるプラトニックラヴが必要だからです。

だから救世主は必ず社会の弱者や底辺に進むのです。多くの人の苦しみに共感し、克服する見本を示すのです。

自分だけ救われると思う人は実は自分を蹴落とし、見捨てているのですから、地獄に堕ちていくのです。成長を止めてただ堕落していっているのです。

自分だけ救われようとする人は自分さえも救えないのです。それはマイナス思考だからです。 (2019年03月19日 21時23分28秒)

自分の境遇への感謝   もうり さん
たぶん、
金持ちとしか
交流がないとか
知的な人間としか
能力ある人間としか
交流がなかった等、
高階層の人間としか
交流がない人間が
下層への無慈悲に陥るのでは
と思ったりする。

なぜなら、私は
身内に特に学ぶ姿勢の
ない人や、
あまり考えない人や
中卒の人たちがいた
からこそ、
弱者にも優しくあれると
思うからです。

そして、
それこそが
弱者にも優しいという
ことこそが、
聖書にある通り、
驕り高ぶらず
貧しいものたちとともに暮らす
ことのほうが高ぶったものたち
どうしで暮らすより
よいという言葉や、
そもそもキリストが
人間にへりくだってやってきた
ことと通じる、神聖な美徳の
特性を獲得する機会に
与れたってことなんですよね。

だから、
高階層の
人たちとしか
絆を深める機会を
持てず
弱者への哀れみを
もてなかった場合の
人は、神の似姿から
遠ざかった人たちなんですよね。
だからその境遇も
相対的な高階層に過ぎないと
言える。 (2019年03月19日 21時35分43秒)

生を肯定する思想   もうり さん
生を肯定する
思想。
自分の本能を
精神的特性によって
バランスがとれるなら、
その人の本能は許される。
これは内面と外面の一致、
形に意味が宿り、
意味に形が宿るという
話にも通じるかもしれない。

例えば食欲は、
食べた分だけ
神の言葉(神のパン)を
与えたり聖書にあるように、
神の肉を食べるのを
求めるならばバランスが
とれる。
神の肉とはキリスト意識の
ことであり、神の血も
求めるべきであろう。
良い服を着たいという欲は
その服に見合った立ち居振る舞いが
できることでバランスがとれる。
できるだけ城などの
豪邸に住みたいという
欲望は、それだけ全体的で
堅固な思想を持つとともに
技術力もある人間に相応しい。

性欲に関しては
性欲が強ければ強いほど
それだけ真理を求める心が
あるならば相応しい。

支配欲のある人は
それだけ他者に仕えたいと
思える人間が相応しい。

金銭欲のある人は
それだけ世の中の
救済に貢献する大事業を
為す能力のある人たちに
相応しい。

こうして、
生を霊性に引き上げた。
当然のことながら、
我々は生に相応しい
精神性を身につけることを
求められるのであり
それが道である。

例えばイケメンや美女にも
道が求められる。

こうして、
言わば天上に聳えていて
地上と分離していたような
理想でしかなかった私の
思想は地上世界を貫き通した。
垂直的統一である。

地上でクシャトリアのような
生活をしたければ、
豪勢な生を享受したければ、
それに相応しい精神性を
整えよという要請 (2019年03月19日 23時15分45秒)

まず神を求めよ   もうり さん
まず神を求めよ、
そうすれば後のものは
全て与えられる、
の意味もようやく
わかりましたね。
つまり深い精神性を
身につけた人間は
物質的に豊かであることに
相応しくなるわけですな。 (2019年03月19日 23時30分11秒)

全ての勢力の欠陥   もうり さん
結局、
インテリ左翼に
せよ
自分自身にせよ
ネトウヨにせよ
維新にせよ、
フェミニスト、全ての勢力、
人間になんらかの
心の欠陥があるわけで
実を言うと勝ったと
見えるものたちが
目指す社会、
その人間自身にも欠陥は
あるわけでしてね。
全ての勢力、人間、
そもそも認識能力自体に
欠陥があるなかで
どうすべきなんですかってね。

どんな勢力、人間にも
欠陥が出ることは
わかってる。
では欠陥の指摘は
重要なのか?
それは副作用であり、
運動自身に価値を見るべき
なのか?

そして、
どんな人間、
勢力にも欠陥があることで、
その欠陥への反感故に
互いに一致しなくなる。
(2019年03月20日 11時40分23秒)

自分にも他人にも執着するな   もうり さん
だから、
自分にも他人にも
どんな組織にも
執着すべきでは
ないだろう、
肩入れすべきでは
ないだろう。
なぜならば、
ブッダでない限り
どんな組織、人間も
一面的に過ぎないわけだから、
自分自身にも他人にも所属にも
執着しない境地こそが
高い認識に至れる条件に
違いないのだから。
(2019年03月20日 11時44分30秒)

ヌーソロジー理解の試み   もうり さん
ヌーソロジー理解の
試み。

ヌーソロジー、
本質は
自他精神だとみます。
自分の持続の裏側には
あらゆる他者の持続があって、
この時空における自他精神を
支えるのが四次元における
プラトン立体のような
自他精神である、と。
四次元における自他精神とは
時間を超越しており
時間を空間とみなす。
それは言わば三次元的に
理解するなら、円柱を考えたときに、そこを平面の枠が通過するけど、その平面の枠の通過を時間としたとしても、それ以前から
円柱は在るみたいな感じ。
そして、
地上にあっては、
物質的対象は、
観察した瞬間に、
その裏側には他者がいる。
つまり物質とは自他精神の
中心。
そして思うに、
量子とは、その物質の
自他精神そのものであり
粒子的振る舞いを
する時には個人的であり、
波動の振る舞いを
する時には、連続した
他者的である、と。

と思うけど
半田先生、どうですか? (2019年03月20日 14時44分12秒)

時空の二側面   もうり さん
時空は
私と他者という
意識の二側面から
構成されている
そして物質が
時空内部における
意識の中心、
すなわち父なる神であるって
理解は附に落ちたけど、
ヌーソロジー入門読んで
確かめてみよっと (2019年03月20日 14時47分10秒)

時空に先んじる人間 実と虚   もうり さん
オカルトでは
当たり前の
話だが、
物質時空よりも
人間のほうが
先にあり、
意識すること
自体が三次元を
超えた営みであること。
だから時空にも自他性がある、と。

そして虚軸と実軸のある
座標空間は精神と物質を
意味していて
私という精神の虚軸と
あなたという
精神の虚軸は
つながっている。
それは垂直的に上にある
世界が虚軸で
下にある世界を実軸としつつ
下にある世界の現象的我が
自他性のある垂直的上にある
虚軸とつながってるイメージ
(2019年03月20日 15時18分12秒)

見ること   もうり さん
見ることを
極小化していくと
最後には素粒子となり、
それが他者性へと
移行していくのだと
思うけど、
素粒子の理解が不可欠で
物理学は無理なんで、
やっぱりヌーソロジーは
ほどほどにして、
労働と、三徳智の実践を行うか
(2019年03月20日 16時28分12秒)

行も言なり   もうり さん
行も言なり。
例えば、
やることの
ない時、
怠けて布団の
中に潜り込むのか、
せめて畳の上に
座っているのか、
武士となれば
正座し目を閉じるのか、
この3つの段階の
それぞれは、
それぞれの「法」に
属しており、
従って言なり。

そしてまた、
立派な人の
法を守ることで、
我らはその立派な
人たちと霊界における、
その法の実体を通して
結びつくであろう。

だから
結局、
何もかもが実践と
なるようである。

暇な時に、
内臓を圧迫する
姿勢を取るかどうか
等、である。こまかい。

また、異性の家族に
異性らしい感性で
細かいことを指摘され
グサッと来て
プライドが傷ついたことを
よく体験するのだが、
これも、私は
素直に受け取り、
図星であり、
至らないところと観る。

男は外に出て、
戦を洗練させるのに
向いている。

しかし、女性は
生活を洗練させるのに
向いている。

女性の細かさも
立派な洗練された
人間になるためには
確かに必要だと思われる。 (2019年03月20日 17時28分56秒)

全ての道はローマに通じる   もうり さん
全ての
道は
ローマに通じる、とは
全ての人間は
何らかの正しさを
備えており、
例えば自分の職務でも
なんでも、霊性にまで
高めたなら宗教体験に
至るんじゃないかな、と。 (2019年03月20日 17時43分07秒)

地上のマイスター   もうり さん
物質世界の
マイスターでありつつ
宗教にも詳しいのが
理想だね。

自然法則を
駆使した想像力による
創造性に
宗教哲学的法則を
駆使した想像力による
創造性、
両方を持つこと、
精神性と物質性、
両者のマイスターであること。

聖杯。

そして、
文系の場合は
自然科学や
数学が苦手な
場合の逃げ道として、
文学がある、と。

だから、
ヌーソロジーは
ライムさんの
入門書を
読んで理解できる部分だけ
かろうじて理解したら、
ヌーソロジーに
拘らず、文学に
向かうことが自分には
適していると見る。
それが精神的自然を
学ぶことであるから。
だから、
シュタヌー本を
買うのは諦めよう。
(2019年03月20日 18時58分08秒)

広く遍歴   もうり さん
放送大学の
自然科学やったり
ヌーソロジー
やったり、
純粋数学やったり、
自分の苦手なものをも
広く遍歴して
わかったことは、
自分の「魂の力」の
育成方法は
やっぱり文学なのでは、
ということであった。
そこで、
ヌーソロジー入門本が
ざっと届いて
読み終えたら
自分の目的は
文学とプログラミングと
軌道修正。

そして、
物語創作技術であるが、
これ記憶や
印象に残る読書経験を
積み重ねることが
条件に思います。
(2019年03月20日 19時12分50秒)

知性の3タイプ   もうり さん
世には
3つの知性あり。
想像力、
計算力、
記憶力である。
 計算力が
高い人間をIQの高い人間という
イメージがあり、
記憶力の高い人間は
高学歴になれるという
イメージがある (2019年03月20日 20時51分42秒)

管理人さんへ   もうり さん
管理人さん
再び返事ありがとうございます。
あまり忙しくなくなって
きたのでしょうか?

聖書の、
パウロ書簡だったでしょうか、
弱者には神の力が宿るという
意味のことが
書いてあったのを
覚えています。

思うに、
強者弱者問題も
ブッダの時代の
クシャトリアと苦行僧のように
互いに相対的な意味しか
ないってことだと思います。

弱者は苦行僧の価値を
帯びた人たちであり、
強者と呼ばれる人たちは
単にクシャトリアであるに
過ぎない、と。

それで、
問題は弱者に宿るとされる、
神の力の認識ですね。
これがわかれば
弱者も単に弱者ではないので、
弱者を殲滅せよみたいな
優生学を行うと、
一面的な強者だけ溢れて
社会にさらに強い歪みが
生じるのが懸念できます。 (2019年03月20日 22時39分17秒)

強者の不幸   もうり さん
強者弱者の
問題を考えていて、
ようやく強者の弱点が
把握できました。
なまじ能力があるゆえに
無常の真理の
体得からほど遠かったり
死を意識することが
ないのでは?と思います。

弱者は金や食べ物が
なかったりと
死と隣り合わせなので、
それが無常の真理の
体得と隣り合わせであり、
従って霊性に
より近づきやすいのでは、と。

つまり、
弱いということは
無常の真理、
無我の真理の体得の
修行と一体であり
神に近く、
従って弱さも誇るべき
こととなる。

例えば私が
回心体験したのも
曼荼羅体験したのも
危機的状況に陥った時であった。 (2019年03月20日 23時13分43秒)

ラファエロ   もうり さん
私は古典画家では
一番ラファエロが
好きである。
アテナイの学堂等、
神学、
哲学、
詩学、
法学の
4領域において
パンテオンを描くからである。

それで、
私の場合、
様々な人間の文学を
嗜むことで、
魂の中にパンテオンを
作りたい、と思う。
哲学、神学、法学の
パンテオンは
ある程度形成できたと
思いますんでね。

私は、まず
アメリカ先住民の
神話から取りかかります。
図書館だから無料です。

アメリカ先住民の
人間と動物や自然は
兄弟という思想に、
西欧のヒエラルキー思想を
組み合わせて、
人間は単なる動物以上の
存在になれつつも、
動物とも兄弟だという
思想を持ちたい。

現代は、
動物や赤ちゃんの
可愛らしさを、
生存戦略という
考え方に還元するが、
それが知性主義だとしても、
その考え方が反道徳的なのは
否めないだろう。
動物の可愛らしさは
それの魂の無垢な愛が
外化したものであり、
それを生存戦略に利用すると
私は考える。
生存戦略のための
技術が可愛らしさの
根幹にあるなどという
反道徳の野蛮な考え方は
取らない。

つまり、
現代の知性主義は
下から積み重ねる
知性で、人間的な側面も
確かにあるだろうが、
反道徳的で野蛮な
考え方であるという
側面も否めないのである。

神を信じること、
道徳的世界を
信じることも
人間的であるのは
明らかに否めないだろう。

赤ちゃんの
可愛らしさの
根幹が魂自体の愛ではなく、
機械的な技術にあるなんて
考え方の野蛮さ。
(2019年03月21日 16時44分42秒)

二種の全てを守る方法   もうり さん
全てを
守る方法には
二種ある。
愛と自由の教えを
広め、それを実行してもらう
ことによる、精神的な救い。
そして権力者になることによって
集団を守ることによる救い。

なんで神が
直接的に我々を
救わないのかと言えば
この宇宙が悪でなくなれば
我々の進化もないから。
加えて、
神は超時空的観点で
計画するから、
今は社会を完全にするというよりも
個人に焦点があたり、
不完全な社会で
自由と愛を発揮することが
救いとなる。

しかし、
同時に、
権力者となって
善き社会を目指すべき
でもあるわけだ。

まあこれも、
もはや私には
不可能なことだ。
私は狭い領域で
三角の徳智と文学と
労働を行うけど、
まずは文学読みと労働に
慣れることから。

この思考の
エレメンタルが
世界に流れていけばよい。
(2019年03月21日 19時39分15秒)

救いは個人にかかってる   もうり さん
聖書の
どこかには
神は世が望むような
救いを行うのではない、
とあったが、
これもおそらく、
神は完全な社会にすることよりも
まず、個人の生き方に
焦点を当てていて、
その個人の生き方によって
救われるかどうかが
決まるからであろう。

だから、
世が望むように、
命の危険がなく、
暴力がなく、
労働がなく、
安楽な状態を
達成できたとしても、
それはまだ地上的な
救い、集団的な救いでは
あっても、
個人の実存を救うことは
できないであろう。

社会や集団に
頼りきりで
自分自身に目を向けないなら
いつまでも完全な救いは
やってこない。 (2019年03月21日 19時49分33秒)

パウロを見習う   もうり さん
郷に入れば
郷に従え、は
パウロも
やってることで、
都会人は
田舎の道徳を
村とか言って否定
するが、
私の場合は
自分の掟に付け足して
完全な八正道に
近づけるだけなんでね。

都会人の道徳が
完全ってわけでもない
ことに気づくべき。
ましてや、
勝者の道徳が
完全でないことにも
気づくべき。
勝者の中にあっても
その不完全性に
八正道と三角形の徳智の
観点から、
自分なりに完全な道徳を
形成する。

例えば、
私なら、
金持ちになったら
教会に行って
貧者のめんどうを見る。

強者にありがちな、
弱者への無慈悲を捨て、
都会人にありがちな
仕事に忙しくて目の前に
倒れてる人がいても
無視する、という冷たさも
捨てる。
実際、
私は見ず知らずの
目の悪い老婆を
手をつないで道案内した。

私の見いだした
八正道や三角形の徳智というのは、
実に相対的な勝者や都会人の
道徳をも超えようとするものであり、それは否定によって
なされるのではなく、
付け足すことによって
なされる。

なぜなら
村人の道徳にも
都会人の道徳にも
勝者の道徳にも
敗者の道徳にも
正しさの一面があり、
要するに人間を統合した
生き方の理念の総体が
八正道や三角の徳智と
観るからである。

すなわち、
八正道とは、
慈悲であり、無我である。
無我とは、統合自我、
普遍自我のことである。
(2019年03月21日 22時38分04秒)

いかにして巨大人格となるか   もうり さん
それで、
わかってきたこと、
あるいは予感すること。
シモーヌヴェイユのような
偉大な感性を持てるように
なる修行法である。

例えば彼女は、
貧しい人はケーキは
食べられないのだからといって、
ケーキを断念するような
性格であり、弱者への魂が
開いている。
そして、
これは弱者の生き方という
理念を自分自身に取り入れたと
言える。

つまり、
全人類の魂に
自らを開き、
自我を全人類に相当する、
巨大自我とするためには、
結局は八正道や三角形
をやるだけで
いいとわかる。

学問によって
思考において
全人類と結びつけ
宗教によって
意志において
全人類と結びつく。 (2019年03月21日 22時46分59秒)

非リアの価値   もうり さん
そして、
単なる強者は
単なるクシャトリアで
相対性を免れない。
例えばブッダは、
城の外に出て
地獄のような現実を
知ったのである。
当時は
今よりも科学も社会も
進んでないんで、
地獄のような現実が
あったと思う。

ブッダはここで、
生老病死を知り、
そして、おそらく、
なんでそれらが極端に
怖かったのかというと、
贅沢な暮らしで、
死から遠かったからではと。

そこで、
いくらクシャトリアと
言っても
結局は苦から逃れられないと
知るわけであります。
贅沢な暮らしに
慣れれば慣れるほど
余計に生老病死が恐ろしくなる、
という傾向があるのではと。

そこで、ブッダは
苦行僧となり、
自ら非リアの究極のような
生活を営むわけであります。

つまり、
エリートになるためには
非リアの側面、陰キャの側面も
必要なのでは、ということです。

かわいい子には
旅をさせよというし、
様々な見聞を重ねる冒険
物語があるけど、
これは享楽のためだけに
するブルジョア的旅行とは
明らかに違うと言えよう。 (2019年03月21日 23時05分17秒)

サンダンス   もうり さん
アメリカ先住民の
本質は、
サンダンスだと
思います。
そこで、
合気道じゃなくとも
サンダンスでもいいなと
思うわけだが、
サンダンスの方法が
詳しく載った本が見当たらない。

私は、
踊るならば、
サンダンスか
オイリュトミーを
踊れるようになりたいと
思う。

でも、
サンダンスの本がない。 (2019年03月22日 10時55分08秒)

「魂の熱」の会得   もうり さん
いきなり
八正道を
実践していこうと
する前に、
詩を通じて、
「魂の熱」を
形成してからやれば、
実践しやすくなると
思います。

魂の力、は
魂の熱となる。
その方法は
芸術を通して。
特に詩を通じて。
魂の叡智は
愛の叡智となるが、
これだけでは
まだ道を十分に
行うだけの条件が
整っていない。

だから、
文学と労働勉強を
まず10年くらいやる、という
私の計画は正しいようだ。

どうすれば
正しいことが
行えるのかの知識だけではなく
正しいことを
行いたいという
熱がなくては実現できない。

哲学は宗教の半分となり、
詩も宗教の半分となる。 (2019年03月22日 12時57分38秒)

強者と能力   もうり さん
確かに
強者が
必ずしも
有能とは
限らないな。
政治家の中に
いそう。

まあそれでも
言いたいことは
伝わるはず (2019年03月22日 13時47分37秒)

魂の熱の発生   もうり さん
シュタイナーによると
人智学を問から問へと
繋げていけば魂に
熱が生じるという。
あるいは、
マルコ福音書講義に
書かれてあったが、
旧約聖書を
詩的に、生成する側面で
読んでいけば
魂に熱が発生し、
芸術から宗教への上昇があるという。

思うに、
なぜなら、
太陽を見てみると、
太陽放射があると
熱が発生するように、
魂の中に生成する力を
取り込むと、
そこから熱が発生してくるのでは、と。

だから、
私も多く物語や詩を読むことが
八正道を成すための条件だと
思うのである。 (2019年03月22日 16時41分52秒)

早い道   もうり さん
だから、
魂に熱を
生じさせる
早道として、
旧約聖書を
読んでみるかな。
インディアンの神話
読了した後で。

旧約聖書は
厚いから、
早道といっても
だいぶかかるけども。 (2019年03月22日 17時00分12秒)

旧約聖書   もうり さん
やっぱり
アメリカ先住民の
本は、
サンダンスの関心が
湧いた程度で
止めて、
旧約聖書にとりかかるか。

そして、
ヌーソロジー基本概要
届いた (2019年03月22日 19時03分10秒)

我が計画   もうり さん
我が計画、
環境を
用意したら、
プログラミング独習を
始める。

ヌーソロジー基本概要を読む。
旧約聖書を十年は読んで
魂に熱を生じさせる。
そして三徳とキリスト三密
を行うことで胎蔵曼荼羅を
生じさせる。
その後、合気道か、
あるいはサンダンスの探求を
行う。
サンダンスは、
まさしく生命霊の
文化に相応しい。
インディアンの場合、
読むことよりも
サンダンスができるように
なることのほうに
重きを置く。

サンダンスは
自然と類比的に
繋がる仕組みであり
だから自然と一体となる。
それゆえ、自然は調和し、
豊作となる力を持つ、
と考える。
サンダンスと
対立するのは
オイリュトミーだろうね。

非科学的だと笑うがいいさ。
しかし私は欧米人や
科学者よりも灰色の首長の
話を信じるぞよ。

ルルーシュの劇場版を
見たが、
大抵のアニメでは
宗教的力でしか
この世を変える力には
ならないと気づいている。
しかし、宗教的な力は
個人の生き方で決まる、
個人的なものだという
特徴があり、
内面的で隠されているから
だれもそれを本当だとは
思えない。

真実、
あるいは客観を物理的世界
だけだと考える哲学者は、
単に科学主義者であって
哲学者の名に値しない。
主観世界、個人的世界、
精神世界は
別次元の客観だと思えない限り。 (2019年03月23日 00時03分30秒)

魔術の哲学 クロウリーについて   もうり さん
魔術の哲学とは、
私が思考によって
みなさんとつながり
広範囲に結びついた
部分的な「思考精神」と
なったように、
魔術者は意志を
世界と結びつける。
そうすることで、
類比が可能となり、
クロウリーが
自分が躓いて見せれば
目標の人間も躓くという
魔術があったようなことが
可能となると思います。

そして、
これの白魔術バージョンが、
慈悲発現者であろう。
ブッダやキリストは、
世界精神となったからこそ、
他からの影響を受けるだけではなく、他へと広範囲に影響を
与えることができた、という
わけである。

これが魔術の秘密であろう。

これが世界を愛で満たす、
世界平和方法である。

こうして、
魔術者、
世界精神になりさえすれば、
個人レベルで世界平和のために
暗躍可能ということが
わかったということである。

だから、
みなさんにも
ブッダやキリストを
目指して欲しいです。 (2019年03月23日 05時38分22秒)

地球政府が祖国   もうり さん
そもそも、
私の肉体の祖国が
日本で、
魂の祖国がロシアだとしても
霊の祖国は来るべき地球政府
なんで、
戦争起こった時、
考えて参加するかどうか
決めないといかん。
この矛盾をどう考えるか。
そのためには
日本国の目的が
わかるとよい。
それが果たされたら
滅ぶべき。

地球民族のほうが
単なる日本人よりも
純粋であるのを忘れないよう。 (2019年03月23日 06時26分59秒)

自然法について   もうり さん
自然法について
自然を読めば
至るところに
博愛と平等と自由が
書かれてあるのがわかります。 (2019年03月23日 07時53分14秒)

心を繋ぐとは何か   もうり さん
心を繋ぐとは、
お互いの
人格や道徳を
統合した精神を
共に生きることである。

さもないと
結婚しても、
若い時だけ
有効な生殖で一体になる
こと以外で
一体になる道が
閉ざされる。
精神まで愛するなら、
相手の人格を自分の
内面に互いに入れあうこと
であろう。
それが互いの掟を
足し算することだ。
(2019年03月23日 08時23分09秒)

予定変更   もうり さん
旧約聖書を
読んで
魂の熱を醸成しようと
思ったけど
現代的に、
西川先生の
「シュタイナー心経」に
しようかな、と。
これは波動のような
生成をしている。
(2019年03月23日 13時13分38秒)

ヌーソロジーの話   もうり さん
ヌーソロジー基本概要
読んでる途中。
今日はここまでかな。
少しずつ。

地上界における
精神とは
素粒子に思われる。
これは地上界における
「空」なるもの、
普遍なるものである。
しかし、互いの意識の
ズレによって物質が
多面的であるものとされ
中和が起き、
種々の物質が創造される。

負荷、反映、等化、中和の
話は、
まず八正道が負荷であり、
それから六波羅蜜という反映が
起こり、律蔵あるいは
愛し合うという等化が
起こりこれらを
中和によってバランスを
とることによって、
一切如来智が生じる、とも
観る。
これは上から言うならば
一切如来智を基に、
人格レベルでは愛し合う
という神の掟を守り、
物質レベルでは平等に
支え合い、
個人レベルでは
創造的に活動し、
あるいは弱者や
罪人のために活動することと
言えるだろう。 (2019年03月23日 15時35分35秒)

掟を守ることに関して   もうり さん
掟を守ることに
関して言うと
弱者と統合するために
私の場合は食事制限し、
(なぜならその他の欲望は
あまりないから)
強者と統合するために
労働能力鍛錬と合気道を
やる習慣を身につけるべきに
思います。

だが、
そもそも、
実践するだけの
魂の熱をまず
作ることが先決だな。 (2019年03月23日 15時43分38秒)

言葉が役に立った   もうり さん
私の
勉強も
リアルでも
無駄では
なかったみたいだ。
視野が広がった
と言われたんで。

でも、
私は聞いてくれる人にしか
喋りたくない感ありますが
(2019年03月23日 15時53分17秒)

小実践録   もうり さん
いじめ被害者
時代は
いじめ加害者に
従順になる形で
悪人を愛せを
実践できたし、
大学時代にあっては
在日韓国人、
被差別者を愛せを
実践できたし、
今となっては
生活保護受給者に
五百円あげたり
百円かしたりして
貧者を愛せを
実践してる。
それに、
家族を愛するという
形で別に向上心が
高くなかったり
俗物的な人、
勉強しない人を愛せてる。

大規模な事業を
やったわけではないが
これら諸々の私の
小さい実践が、
完全な心、
世界精神を形成するための
素材となるのだろう。
(2019年03月23日 17時12分24秒)

小実践録   もうり さん
小実践録動物編

犬の散歩を
する時、
鳥類を驚かさないよう
にする。

蜘蛛がトイレで
溺れてたんで助ける。
(以後、トイレの蓋の意味を
知った)

無数の蟻が溺れてたんで
助けたこともある。

このような文脈で
肉を食べないように
なりたい想いがあります。
これは肉屋差別というより
動物への人間次元における
同朋意識です。
動物次元における
同朋意識だと、
狩りを肯定する。

ブッダは
既に我々を越えていて、
植物に対する同朋意識さえ
持つから凄い。

しかし、
無論,
様々な現実があり、
他人に押し付ける気はない。

しかし
捕鯨問題等難しい。
(2019年03月23日 17時43分34秒)

学園アニメもの   もうり さん
涼宮ハルヒの
憂鬱、
key作品、
ゆるゆり、
フルメタルジャケット、
ペルソナシリーズ、
等等、
観てると、
いやそれぞれ魅力的なんだけど、
学園もの観る歳じゃ、
もうないなとか
思ってまう。
なんか距離感が
できた感じがする。

そんで、今更であるが、
ようやく陰キャの
アニメにしうる理想的
青春イメージができてきた。
アニメ的陰キャ学生は
学校生活で、ひたすら
内面に向かわせたら
どうか、と。

例えば、
俗に言うリア充とか
カースト上位者が
陰キャを見くびることによる
苦しみをきっかけとして
学校倫理を考え出す、とか。
それは陽キャが
外面的な成長を育んでいる
間の、内面的成長物語である。
(2019年03月23日 17時59分19秒)

外部中心   もうり さん
恋愛の機会が
ないし
そもそも、
宇宙から
疎外されてるので
外部、他者に軸を
置くことができない。
他者に尽くすことに
何の喜びもないままに
ただ自分の良心を
発揮しようとする。

しかし、
「自己」とは
軸、中心点を
自分だけでなく
他者にも持つことで
生じると考えます。

自我への執着の
配分を
幾らか他者にも
集中させることで
やがて自己が生じる、と。

言い換えると、
自分自身、
自分の自我と同じくらい
特別な誰かを持つってことです。

単に良心によって
道徳に従うだけではなくて
本当に愛するが故に
道徳を行えるようになるの
憧れる。 (2019年03月23日 21時03分05秒)

仏やキリストへの愛   もうり さん
私は、
恋愛は
無理なんで
やっぱり
自利と利他の
修行によって
救われるのが
道ぽいな。

霊性への愛。
あるいは、
曼荼羅を愛するが
ゆえに、
その教えを守ること。

シュタイナー心経による
魂の熱源の確保とは
結局、瞑想の一種って
ことになりそう。 (2019年03月23日 21時19分19秒)

女より芸術!   もうり さん
ゲーテの
ファウストでは
美の化身として
女性のヘーレナを登場
させていたが、
私も正直、
女性よりもシュタイナー建築とか
ラファエロの絵画とか
曼荼羅とか銀河系のほうが
見た目的に好きだわ。

横尾龍彦の
絵画や
植田信隆の
非線形モダンとか。
アランウエストの
日本画とか。
彫刻では
フォレストロジャース

女性より美しいものは
いくらでもある。

そうなると
生殖にありつけず
淘汰されるというのが
なんかむかつくけど。 (2019年03月23日 21時31分16秒)

ヌース的愛と三徳智   もうり さん
ヌース的愛という
領域って、
私の三徳智のこと
じゃねと思ってしまう。
ヌース的時空とは、
この三徳智のような倫理的な
ものの
結びつきで形成される
幾何学的空間だと思います。

そうすると、
思うに、
単に認識するだけでは
ヌーソロジーとは
言えないであろう。
なぜなら善行をすること自体も
神の叡智の一つだからである。

ヌーソロジー基本概要
読み終わった。
思ったより理解できた。

そして、
これからは
胎蔵曼荼羅の為の
自利と利他の修行と
労働修行に入る。
魂の熱源確保のための
生成的瞑想は
結局は自利だと
判明したんで、
同時に利他もやってかないと
いかん。
(2019年03月24日 10時25分44秒)

今日の夢 労働意識   もうり さん
今日は
瞑想する夢を
見た。
夢の中で瞑想すると
色彩豊かな
サンブルーな町の
景色が現れた。

私も、
もともと体を
動かす仕事に
就きたい思いがあって、
軽作業の製造業を
我慢できてたけれど、
動作性の才能が
ないとわかったし、
気圧、気温等で
強迫神経症が
生じるんで、
プログラマー等、
を目指してみるわけです。

プログラマーを
目指すと、
みなさんが逆張りのように
肉体労働やりたさが
増してる感あるけど、
動作性の仕事、
私には難しいですよ。
(2019年03月24日 11時59分11秒)

地上のことは適当で   もうり さん
例えば、
私なんかは
地上のことは
適当に軽視するんで
掃除なんかも
だいたい八割できて
隅々までやらなくとも
丸くできればいいかとか
そういう性分なんだけど、
どうやらそれでは
仕事をできたとは
言わないらしく、
0か100かの上司と
明らかに労働に対する
態度が違う。

私は労働も
集中できず、
テキトーにしてしまうんで
怒られる。

でも私は
無論、
労働のプロのような
高卒の上司を
尊敬できるなと
思いつつも、
労働とか金儲けしか
集中できることが
ないから、
労働を一生懸命やれるのだという
批判もある。

私は地上を軽視するんで
服もテキトーでいい。
家もテキトーでいい。
でもこの態度が
無能に結びついてしまうから
やっぱりバランスが
大切なんだがそれが難しい。

でも、
生活なんてくだらないことに
一生懸命になるのは
馬鹿らしいと
思ってしまう。正直に言うと。 (2019年03月24日 12時28分29秒)

キリスト三密と瞑想   もうり さん
そして、
キリスト三密と
瞑想終わった。

キリスト三密、
ちゃんと継続できてます。

そんで、
今は寝るとき以外は
布団に入らないという
家訓を守る善行をしてます。
言うことを聞くのは
むかつくが、これが
確かに怠けて寝てばかり
いるよりはシャキッとしてるから
仕方ない。

シャキッとした
生活とは、
言わば刀身のような
生活である。 (2019年03月24日 12時37分27秒)

生活理念としての「刀」 自足   もうり さん
つまり、
武士の生活理念は
「刀」ではないかと
思いました。
例えば贅沢な
暮らしは
無駄の多い
悪く言うと豚のような
暮らしで
刀身のような暮らしではない。

私の特徴としては、
社会から必要とされなくても
自尊心が保てるところですね。
自分自身の内に
思想の楽しみ、
思想への愛があることによって
幾ら上司や社会が
私を無価値と認定しても、
平気でいられる。 (2019年03月24日 12時55分31秒)

価値を持つこと   もうり さん
私は
価値を「所有」
してます。
しかし、
友達に必要とされたり
社会から承認されなきゃ
自殺したいと
思うような人たちは
価値を所有していない。

必要とされる人に
なりなさいとは
実務的価値観をもつ
家族の教えだが
私はその反対を
生きることで
価値を所有できたんで、
これが陰キャ生活の成果
かもしれませんね。

私はたぶん、
価値を所有してるからこそ
恋人がいなくとも
友達がいなくとも
童貞を卒業しなくとも
統合失調症でも
無能でも
いじめられた
経験があっても
平気でいられる。

陰キャは
価値の自足に至るのかも
しれない。 (2019年03月24日 13時02分46秒)

価値の所有   もうり さん
価値の
所有者とは、
学歴に関係なく
田舎か都会かでも
関係ない。
学歴で
自分の所有する
価値は揺らがない。
それは田舎に住んでようが
都会に住んでようが
同じことである。

それは
観察と学びによって
自足する思想を愛せたり
純粋数学という抽象的な
ものを身につけるだけでなく
愛することができて、
価値を所有することになると
思います。

なぜなら、
思想を愛する、
思考を愛する、とは
自分の内部を知覚し
価値を感じることだからでは
あるまいか。 (2019年03月24日 13時25分44秒)

陰キャが陽キャになる方法   もうり さん
陰キャと
陽キャは
いかにして
区別されるのか、
あるいは、
いかにして、
陰キャは
陽キャを取り入れて
陰陽師となりゆくか。

陰キャサイドから
言えば
陽キャになるためには
人間関係の喜びと
自分を出す喜びを
体得し、
社交に乗り出せば
陰陽師になったのではと
思います。

つまり、
陽キャか
陰キャかの
区別とは
壺の区別が
中に何を入れるように
しているかで決まるように、
その人の感情で決まるのでは、と。
感情が行為へと発展すると、
行為で区別ができるようにも
なるだろう。 (2019年03月24日 14時32分14秒)

私が陽キャになる方法   もうり さん
陰キャの
成果とは
要するに
金剛界曼荼羅で、
陽キャの成果が
慈悲深い
胎蔵曼荼羅ではなかろうか。

少なくとも、
金剛界曼荼羅を
獲得した後で
胎蔵曼荼羅の修行を
していけば、
やがて、
慈悲が生じると思うんで
これにより、
王者の条件を満たすという
風にして、
王者という、
まさに陽キャの目指すべき
道の特性の本質を
身につけたと言えましょう。

早い話が、
宗教実践の道には、
既に様々な時代の
学校的人格の統合プロセスが
含まれている。

仁とか慈悲が
君子の条件なんだが、
王様って陽キャ属性じゃんよね。

だから、
私の道を行けば
確かに人格統合の
プロセスを進めるということ。 (2019年03月24日 14時54分43秒)

断食実践   もうり さん
来週日曜日から
少しでも
食事への執着を
離れるために
週一回の水以外の
断食を実践してみようかと
思います。 (2019年03月24日 15時27分55秒)

ムスリムの女性人権問題   もうり さん
ムスリムの
女性人権問題、
これたぶん、
もはやムスリム法学者
たちが、かつての
過去の状況では
なぜ女性を
このように扱い、
今の状況はかつてと
違うだろうか、
違うとしたら
新しくすべきだろうか、
等を考えられなくなってる
からかもしれない。

思うに、
仏教の律蔵以外の
あらゆる聖典には
時代状況に応じた
正しい法を
制定するための
方法論が欠けているという、
決定的な欠陥があると
思います。
ただ聖典に
執着するだけ。

ゴータマブッダのみが、
聖典にも執着するなと言ってくれる。

(2019年03月24日 18時48分57秒)

クルアーンの長所   もうり さん
クルアーンの
長所は
アッラー自体が
状況に応じて
教えを変更するところだと
思う。
なのに、
現在のクルアーンを
神の権威だとして
その教えを
固定してしまうのは
間違いだと思います。
なぜなら神が
示す通り、
そこには変更原理も
あるはずなんで。

キリストは馬鹿ではないが
無論、アッラーも馬鹿ではない。
だから女性に対する規定の
違いにもそれぞれ理由が
あるはずで、
そこを探求し、
自在になすべきことを
新約聖書や
クルアーン、
全ての聖典を
参考に
臨機応変に決定できるような
教えが欲しい。

でも、大抵の聖典は
思考プロセスを載せない。
そこに欠点がある。


(2019年03月24日 19時21分44秒)

平等な振る舞い   もうり さん
差別は構造の
問題で、
これで人権の実体に
一層近づいた。
人間の尊厳を守る、
とのことだが、
それは愛国心のある
差別主義者が
差別対象と自分の国に
対する扱いの違いから、
人権の形が
少しずつ浮き彫りになってくるかと
思います。
これが人権の形になるわけです。

結局、
ヘイトスピーチも
人権侵害も、
いじめも、
本質は一緒で、
「対等性や平等性、公平性」
を欠くことから生じると
言えましょう。

そして、
そもそも、どんな人間をも
平等だと思えるとは、
その人の愛の深さをも
示していて、
愛があればそもそも、
国という暴力なんて
不要にさえなる可能性もある
わけで。

つまり、
構造の問題の
根源には
人々の憎しみがあるように
思います。

社会問題の場合、
差別批判を
お気持ちに由来するものと
思われがちだが
実を言うと一番
お気持ちに屈しているのは
大多数の差別主義者たちなんでは
ないでしょうか。

差別主義者たちの
憎しみに由来する
行為の総体が
社会構造を作り上げてる
面はないだろうか。

そもそも、
社会問題は
人間の気持ちと
切り離せるのか?

アリストテレスだったかと
思うが、
友愛の心があれば、
正義も生じるみたいなことを
言っていたとうる覚えで。
ということは
社会の不正義は
憎しみや反感、気持ちと
結局は関連してくるんじゃないか。

つまりは、
結局、
人々の愛の無さという
お気持ち自体も
社会的にダメな結果を
生む要因になるのでは
ないかと。

誰もがキリストや
ブッダになれば
彼らは努め励むので
停滞はない上に
愛することができるので
この2つによって
社会問題は解決していける。

平等な社会になれば
停滞する、は必ずしも
そうとは言えない間違いで、
なぜならブッダは
平等だと感じつつ
努め励むことができるから。 (2019年03月24日 21時37分30秒)

自分の行いを見よ   もうり さん
ここで
ブッダの言葉を
思い出すわけです。
人が私にしてくれたこと、
してくれなかったことを
観るな、
私が人にしたこと、
しなかったことを観よ、と。

憎しみへの
憎しみへの応酬が
果てしなく、過激化
していく。

それよりも
愛することによる
愛の応酬を過激化して
平和を生み出していくことは
できないのか、と。 (2019年03月24日 21時47分49秒)

精進あるのみ 白魔術の理念   もうり さん
まあ
精進あるのみですな。
慈悲心を会得すること
により、
宇宙と結びつき、
愛の意志の力を
流し込んでいくしかないな。

ようやく、
私の魔術の目的、理念が
できましたよ。
胎蔵曼荼羅が生じた時点で、
私は合気道やサンダンスを
やってる場合じゃない。
精進が終わった後は
魔術と儀式魔術を学び、
愛の力を地球上に満たすことを
やる。

魔術の理念を
ようやく発明したことが
今日の一番の気づきだ。
(2019年03月24日 22時14分00秒)

個人でできる世界平和   もうり さん
私の
最終目標たる
世界平和のために、
最終的に
何をやっていけば
よいのかが明らかとなり
よかった。
私は白魔術師を目指す。
しかし、
その下準備として
金剛界曼荼羅と
胎蔵曼荼羅の会得が要る。

今までの魔術の
学びは教養のために
過ぎなかったが
ようやく目的ができて
よかった。
頑張っていこう、
個人で世界平和のために
暗躍するために。

魂の叡智の段階から、
愛の叡智となった。
ここで金剛界曼荼羅が生じた。
そして労働と生成的瞑想に
よって魂の力を、魂の愛の熱としつつ、キリスト三密と三徳の実践により、胎蔵曼荼羅を生じさせる。

こうして思考も意志も
宇宙と結びつく。
この段階に達したら、
ようやく魔術師になるための
前段階が整ったということ。

これは、
単にヌーソロジーを
認識するだけでも
オカルトを読み漁るだけでも
至れない。実践を伴わないと
ここまでいけないだろう。
ヌーソロジー的には、
ヌース的愛をやらないと。

合気道やってる場合じゃないし、
結婚してる場合でもない。
私は結婚しない。
その代わりに、
愛を流すことで結婚する
人々を増やす。
国際結婚も増えるかもしれない。 (2019年03月24日 22時30分09秒)

善意を憎む風潮   もうり さん
善意ある
人間が最も
危険とかいう人たち、
そもそも、リアルで
悪意を向けられたことが
ない人たちなんだろうな、と
思ってしまう。

慶応のレイプ犯罪とか、
いじめとか、
ホロコーストとか、
悪意のほうが
よっぽど危険であり、
善意による被害は、
まだ善意なだけマシ。

善意による被害は、
単に善意を実現するための
方法が悪かったってだけで、
その意志自体は間違いじゃない。

しかし無論、
我々はいきなり
世界平和を実現できない。
だから集団レベルでは
より良い善、言い換えると
まだましな悪を選ばないと
いけない場面もでてくるかも
しれない。 (2019年03月25日 09時17分56秒)

瞑想終了   もうり さん
シュタイナー心経
音読瞑想終了。
頭がじゅくじゅく
甘い汁が出てます。 (2019年03月25日 09時57分38秒)

異性選びについて   もうり さん
異性選び、
見た目が9割って
考える人、バランスが
悪くて、
だったら
年寄りになったら
別れるんですか?と。
初めは見た目で釣るのは
正しいのかもしれないけど、
やがてそれは腐る。
腐らないのは
中味です。
見た目で釣った次は
中味で釣りましょう。

年寄りになっても
その人を愛せるためには
無論互いに
内面をもイケメンになるよう
磨かないといかん。

イケメン詐欺集団ってのは
張りぼてみたいなもんですね。

(2019年03月25日 10時55分47秒)

アリスベイリーのホワイトマジック   もうり さん
アリスベイリーの
ホワイトマジックにも
大使方は
力を人類に送り込んで
活躍しているということが
書かれてあったな。

そして、
人智学の
アストラル界の
第七領域も
自己流出であった。

ようやく、
魔術の正しい使用法、
魔術の意味が自覚できた
感じだな。

慈悲の力を増幅し、
慈悲で構成された
心の核爆弾を
世界で爆発させてやりたい。 (2019年03月25日 11時05分48秒)

聖戦士になる道   もうり さん
聖戦士になる道は
遠い。神の兵士。
まず金剛界曼荼羅を会得。
思考を全体とつなぐこと。
次に胎蔵曼荼羅を会得。
慈悲が生じ、感情を
全体とつなぐこと。
続いて魔術の会得。
これがおそらく、
意志を全体とつなぐ道。
そして魔術を通じて
慈悲の力を増幅して
世界に流し込む。
だが、これに熟練してきたら、
さらにサンダンスを学ぶこと。
サンダンスは合気道よりも
高い身体性を持つと思ってます。
これを通じて身体を自然と結びつけ、魔術では慈悲を増幅させたが、
ここでは自然の力を強めて物質面でも、全体の平和に貢献する。
ここまでできたら、
ようやく合気道を習う段階に
達する。

無論、
輪廻転生を通さないと
もはや達成不可能だろう。
これが神の兵士の道である。
時には儀式白魔術を行い、
時にはサンダンスを行う。

魔術修行は
イメージの力を発達させたりする。
視覚化など。
でもその前に胎蔵曼荼羅の
鍛錬が。

これが、
インテリと陰キャと陽キャと
体育会系の統合の道だ。

でも、
サンダンスの文献が
見当たらないので
神さま助けてと祈る

(2019年03月25日 13時33分13秒)

今あるカースト制度   もうり さん
カースト制度の
腐敗した形が、
日本や先進国にも
まだあるな。

平等とか移民を
受け入れろとかいうのに
自分たちの金持ち集落には
一切それをしない、とか、
先進国の
コカインとか快楽のために
中南米を犠牲にするとか、
要するに、
中道を歩んでおらず、
こんな世の中間違ってる。


(2019年03月25日 16時11分09秒)

三徳の訂正   もうり さん
三徳の訂正
六波羅蜜は
八正道の別の見方を
したもんだと訂正する。
六波羅蜜では、
博愛と神の共同体を
守るための戦いも含まれる。
神の統治の部分は
変わらない。
この二徳で三角形が
できるが、
個人という頂点の
部分では、
特に一番愛する
恋人とか趣味、
好きなことを
徳に変える試みをすればいいかと (2019年03月25日 19時15分52秒)

グレーテルのかまど   もうり さん
無論、
私は動作性の
職務にも敬意を
払ってますよ。
刀鍛冶等の職人とか。
そもそも、農業に
憧れがあったし。

今日のグレーテルの
かまどでわかったことは
創作料理の世界も
無限の創造性を発揮できる
世界であるということ。

私が智拳印のように
無限に統合的な思索を
しまくったから
金剛界曼荼羅が
生じたんだとしたら
大悲の領域を発達させるには
無限に財施を、
地蔵菩薩のように
毎日しまくらないといけないかなと
思っていて、
それで果たして
プログラミングでできるだろうか
という疑問がある。

創作料理なら毎日作って
確実に役立てられるが
プログラミングは
どうだろうか。

どちらが
修行の完成が
より早いかという問題。

創作料理の道を
あゆみ、店を出して
家でも店でも
大地の恵みのように
与え続けること。

ちょっと創作料理の
本を探してみるか。
(2019年03月25日 23時32分32秒)

ITで無限に役立つには   もうり さん
自然科学を
網羅したら
成りたい職業は
科学者というより
発明家。
数学も自然科学も
無理だから
言葉の世界に
近いITのほうが
やはりできるかもなと
思ったが、
しかし無限に与え続けるには
どうしたらいいかとの
問いの答えはでて、
それは勤務先以外でも、
ネット上で依頼を受けて
作り続ければいいだけだと
わかったんで、
やはりこれでいく。 (2019年03月26日 00時02分46秒)

プログラミング実践   もうり さん
財施としての
プログラミング実践は、
無償で無限に
アプリを提供し
続けることになると
思います。

そもそも、
なんで私が
金剛界曼荼羅を
観れたのかの理由も、
思考を統合するだけでなく、
その思考を執着せず
分かち合ったことも
教えにかなうことだからでは
ないかと。

そう考えないと、
ベテランの上司が
曼荼羅を観れなかった理由が
説明できないなと。
いくら能力を上げたとしても、
「与えられたよりも
多くを為す」ことが
できなければ
救われない仮説。
私の数々の言葉を
生み出すに至る過程で、
どれだけの本を通過して
いったことか。
しかし、私は金儲けよりも
無償で与えることを選んだわけですね。

だから、
私も、
仕事としての
プログラミングは
ほどほどに、
残りの時間は
無償提供に邁進していこうかと。

ちなみに、
これは賭みたいなもんで、
もともと無償の愛に
共感する人向けでしかない。 (2019年03月26日 21時12分28秒)

VR批判   もうり さん
VRでもなんでも
想像物に触れる人たちへの
警告だけど、
自ら想像することを
忘れてしまっては
機械以下になりますよ。

なんでこう思ったかというと
私は夢と現実の狭間の
中で意図的にリアルな感触付きの
生殖を行う夢を作り出すのに
成功したからです。

つまり、
主観も最新器機なんです。

私は生殖イメージなんて
つまらないことではなく
もっと白魔術ぽいことに
使っていきたいですね。 (2019年03月27日 08時46分04秒)

いきなり魔術はダメ   もうり さん
思うに、
普通の人が
いきなり魔術に
向かうのはダメかと。
力に溺れて黒魔術に
堕落する危険がある。
だからそのために
慈悲心を予め生じさせておくべき
だろうと。
(2019年03月27日 08時51分25秒)

いじめも就活問題も   もうり さん
いじめも
就活で
強 姦される問題も
ヘイトスピーチも
過激な享楽主義による
犠牲者問題も、
そしてあらゆる差別も
人が人を対等だとか
平等と見ない問題が
本質だろう。

平等と見ないことで
これだけの悲劇が
起きてしまう。 (2019年03月27日 18時21分11秒)

私の実践録   もうり さん
私が
特に学んできた
わけでもない人から
生活のつまらんけど
必要なことを思い出せない
だけで頭悪いと言われたけど、
そういや私自身は
実生活では決して人に
対して頭悪いとか言わない。
仕事での悪口も言わない。
家族の一員も
上司も何らかの悪口を
吐いてるけどね。

今日まで学んできたことに
対してプライドがあるから
頭悪いと言われると
ムッとしてしまうけど
これも生活上のつまらん些事として
許すことにして、
この家族の一員が
より完全になるよう祈りで
返す。

培ってきたものに
対してはもしかしたら
他の方々にもプライドが
宿ると思うんで、
それをあまり壊さないよう
気をつけたい。 (2019年03月27日 18時43分38秒)

有るものを観ること   もうり さん
てか、
頭悪いことに
関しては、
知性に隙は
誰にでもあるから、
隙を見つける度に
頭悪いと小突くより
それぞれの有るものを
観る視点も忘れずにいたいよ。 (2019年03月27日 18時56分40秒)

人格的な問題   もうり さん
人格的な問題や
頭の良さ問題は
目に見えにくい分、
わかりづらく
熟練した格闘家に
向かって、
もやしが俺でも
後ろから刺せば勝てるから
この格闘家は弱いと
言うようなもんですね。 (2019年03月27日 19時12分49秒)

上下と平等の区別   もうり さん
上下は
人間にはある。
しかし、
だからといって、
強いものが
下位のものから
搾取していいこと
いじめていいこと等には
ならない。
これが上下がありつつの
平等主義です。 (2019年03月27日 19時42分52秒)

平等主義の領分   もうり さん
私は
単なる平等主義者でもなく
単なる博愛平等自由未分化
主義者でもなく
考察をしていくと、
やはりシュタイナーの
言うとうり、
平等主義は平等主義でも、
人道的なことに関しては
平等主義として、
平等原理にも限界があるとする
立場が正しいと考えるものです。

人それぞれ能力差はある。
ここは自由と立場の上下等に属するかと。
でも人はそれぞれ対等に
人間として
扱われるべきなんだと。 (2019年03月27日 19時57分48秒)

3つの灯火   もうり さん
思索が
あなたを輝かせる。
優しさが
宇宙を暖める。
これ以上
泣きたくないから
強くなる。
(2019年03月27日 20時52分25秒)

見下せない。   もうり さん
ツイッターを
見てると、
それぞれの
人々が思い思いに
呟いていて、
なんだか
その想いを
壊したくない感じを
覚える。

人生やってんな、
生きているんだなって
思う。
心が伝わってくる気がするので
その心を踏みにじりたくない
想いに駆られる。

だが、
無論、
意見等の違いで
私自身とも
なかなか一致がしない
現実も認めるけど。

だから、
私は自分より劣っている
部分を見いだしたとて、
その心を対等に認めなくては
と感じる。 (2019年03月27日 21時38分50秒)

平等と自由とカラマーゾフ   もうり さん
平等と自由の
関係に関しては
どんなに高い位置についても、
高学歴エリート以外は
人間ではない、
みたいにならないような、
人道的なことに関しては
平等原理を。

しかし、能力差に
関しては自由。
これは矛盾してない。
能力差はある。
能力差はあっても
対等に扱うだけです。

そして、
優生思想に必ずしも
賛同するわけでもない。
私の予見では、
エリートが過ぎると、
今度は垂直性が
遺伝子にとって
求められる時期がきて、
つまり、
カラマーゾフの兄弟のような、
天上天下、全てに関心のある、
王の器を生み出すためには
非エリートの遺伝子も
必要になる、と。

単なるエリートだけだと
遺伝子に欠陥が生じるのか、
エリートだけが人間だと
言うようになり、
子育てすら失敗して
発達障害者とか
精神障害者を生む要因になったり
するであろう。

このように、
上昇婚を求める果てには
下降婚も必要になるってのが
宗教的叡智から
導きだされた予見。

結局、
優生思想なんて
取る奴なんざ、
それ自体が
器の狭さを示す。
まさに、その器の
狭さがエリート婚を
繰り返すにつれ、
遺伝され強化され、
エリート以外は
人間ではない、
みたいな心に欠陥のある
人間が生まれる要因になる
のではないか。

非もてや童貞に
関しては、
彼らも人間として
扱えばいいだけだとは
言えるけど、
あとのことはようわからん。

そもそもみんながみんな
結婚できるわけじゃないし。

思うに、
女性は上昇婚、
男は下降婚に偏るってんのも
全体としての遺伝子に
偏向を生むのではないかと
漠然と思う。
逆に、強い女性が
下降婚を望み、
弱い男が上昇婚を望むことで、
前者の遺伝子偏向に対する
アンチテーゼとして、
遺伝子分布のバランスを
保つことになりはしまいか。

つまり、
結局、
人々の価値観が
キリスト教のような
垂直性に同意しない限り
弱者男性に強者女性からの
光が射すことは
なく、
それが結局全体としての
弱さを
招くことになるだろうと思う。

つまり、
既に非モテや弱者男性にも
チャンスが恵まれる
価値観自体はすでに
用意されている。
それは人々が
一面的な認識から
脱しその意識が
普通になることで
達成される。

ということは、
私がもしも本を
書けば、
そこには弱者男性のための
教えも含むってわけか (2019年03月28日 14時01分45秒)

現代の結婚価値観   もうり さん
現代の
結婚の価値観、
わかってきたな。
それは俗物的な、
物質的強さを求める、
という価値観だと
思います。
そして、それの
アンチテーゼが
霊的強さであり、
これは物質的弱さと
関係する。

従って現代の
上昇婚は
物質的に強い人間を
生み出すに至り、
それはつまり霊的弱者を
生み出すという、
遺伝子欠陥を生む要因となる
であろう。

現代の
一面的な脆弱性を
招く価値観の
一つを見通したつもりです。 (2019年03月28日 14時08分52秒)

遺伝子価値観革命   もうり さん
人々はより
強い遺伝子を
求めて
性淘汰が起きる、
これ宗教的には幻想な
気がする、と
大胆な生物学的革命を起こす。

なぜなら物質的に
弱いとは霊的に強いことを
意味するからである。

もう、既に、
ブッダの時代から、
苦行僧の側面として、
弱さも解脱には
必要であると解釈できるだろう。
例えば、
本当は、
大食漢のような、
胃の強い男よりは、
食を楽しみつつも
必要なだけとれば
いいとするような
人間のほうが地上の全てに
打ち勝てる、
つまり解脱に近いから強いと
言える。

だから、
性淘汰なんて
価値観で物質主義に
拘泥するなら、
全体の問題だから
なんらかの災厄がやってくると
言えるだろう。 (2019年03月28日 14時24分32秒)

王者は真の王ではない   もうり さん
そこで、
聖書には、
賢い人、
強い人には
神の真理が
やってこず、
弱い人、愚かなものに
やってくる、と
説かれる。
これはニーチェがいうような
ルサンチマンでもなんでもなくて
中道が真理であり、
相対的な天には弱者が近いことを
示しているだけだな。
これが無用の用の大木の意味であろう。

それに対して、
やはりクシャトリア的な
物質的強さも、
相対的なものでしかないと
わかった。
精神性にあわせた
物質的豊さなどといったが
これは単に一面的存在に
なる道に過ぎない。
しかしそれぞれ自由に
やればよい。

遺伝子も、
そもそも、バランスが
大事であり、
真の勝者になるために
目指すところは
平等である、と。

例えば、
胃の強く大きな人間が
さらに胃の強い大きな人間と
結婚し、胃の強さを
万全にするよりも、
逆に、胃の弱い人間と
結婚して、
必要なだけ食べたら
それで満足する人間を
生み出したほうが、
強い人間を生み出したと
言える。 (2019年03月28日 14時35分53秒)

知性に関する平等   もうり さん
さらには知性に
関するバランスもある。
知性には
IQだけでなく
イーキューもあるとされ
多重知性論というのもあり、
また想像力が強い人、
数学的思考力が強い人、
記憶力が強い人等の
違いもあり、
昨今では
数学的知性や
物理学的知性が
持て囃され天才と
される一面的傾向があるのも
否めないだろう。

このように、
思うんだけど、
有るものを見つけだしさえ
すればどんな弱者男性にも
何らかの強みは
あるんじゃないかって思ってしまう。
例えそれが生殖や
職業に結びつかずとも。
世界はこんなにも
多様なのだから。
(2019年03月28日 14時48分42秒)

芸術享受道   もうり さん
これで、
芸術享受道が
見えてきましたね。

クラシックに
対する大衆音楽!

文学や芸術的映画に
対するラノベやアニメゲーム!

前者は心の弱さ、
言い換えるなら丸い多面性、
機微であり柔である。
後者は刺激的な情熱であり
力であり剛である。
前者は普遍的であり
後者は個別的である。

そして、
普遍、特殊、個別の
問題は次のようにも
イメージできる。
太陽があり、
地球を貫く。
すると地球から
むくむくと人格が発生する、と。

言い換えるなら
クラシックは
ヨハネ福音書的なものであり
大衆音楽とは
マルコ福音書的なものである。

普遍的なものに
留まる人は、
お高く止まっていると
批判でき、
個別的なものに
留まる人は、
俗物、と批判できよう。

ということは、
だ。芸術享受によって
宗教的上昇するには、
その中道ってことだ。
そして、
この両者を融合する方法は、
芸術への愛だろう。
(2019年03月28日 17時35分01秒)

アニケストラ   もうり さん
人類の
宗教的上昇のためにも、
ルカ福音書のように、
ハイカルチャーと
サブカルチャーの
中間物の創造が
歴史的に必要だと
思われる。
これがあることで、
両者は結びついて、
道が作られるわけだ。

その一つとして、
私はアニケストラ、
を見いだす。

この3つの側面を
バランスよく享受することで、
人間の感性の側面が
宗教的上昇を果たすと想像する。

だから、
私のためだけでなく、
全人類のために、
ハイカルチャーと
サブカルチャーの
融合の試みを、
クリエイターに
頼みたい。 (2019年03月28日 17時50分33秒)

感性に頼る人の欠点   もうり さん
感性に頼る人の
欠点としては、
いくら感性を
育成してきたとしても
自分の感性に
触れないものは
価値がないと
みなしてしまうと
成長の機会も
失せる可能性がある
ってところだろう。

自分が「感性の王者」だとしたら
まだ相対的強者である、と
知るべし。
「感性の解脱者」が
真の感性の絶対王者であると
知るべし! (2019年03月28日 17時56分29秒)

言葉の道   もうり さん
私は
言語芸術の
道を歩んでいると
思えば、
ラノベを読むべきなのだろう。
吸血鬼ハンターdとか
魔界都市とか
精霊の守人とか
十二国旗とか、
読みたい作品を
道のために読む動機が
出来たな。

そして
精神病院で出会った
哲学者が言ったように、
勉強で疲れたら
小説読めの意味を
理解したが、
それとは違う意味で
必要性を理解した。

哲学や聖典も
言語芸術だとして、
それに対立するのが
ラノベだとして、
文学とラノベの
中間も探していかないと
いかんな。

つまり、
この3つが
私の瞑想となるわけであります。

遂に、
私にとっては
「とある魔術のインデックス」
シリーズを読むことさえ、
道となってしまった(喜)

文学とラノベの
中間とは、一体なんだろう? (2019年03月28日 18時07分06秒)

広義の文学の3つの瞑想   もうり さん
広義の文学の
3つの瞑想があり、
哲学は
人智学に取って代わり、
シュタイナー心経を
読むことが一つ。
宗教は、主の祈りの
キリスト三密が一つ。

そこで、
問題は芸術のほうで、
芸術における、
瞑想が見つからない。
これは、
私は、ゲーテの
「メルヘン」でいいかなと
思う。

こうして
文学はやること決まったから
今度はサブカル漁りと
その中間の模索となる。 (2019年03月28日 18時28分12秒)

ノヴァーリス 百科全書学   もうり さん
いや、
芸術的文学における
瞑想は
ノヴァーリスの一般草稿のような
個々に独立した
散りばめられた言葉たちを
読んでいくことにしよう。
これは既に手元にある。
この、個別的な一つ一つが
瞑想でこれら全てを唱える。

さて、
サブカルと中間について
考えていくか (2019年03月28日 18時36分41秒)

文学とラノベ   もうり さん
文学は
現実を舞台とし
ラノベは
異世界を舞台とする。
その統合とは、
おそらく、
というか、
多分、
ラノベの真の意味なんだろうが、
今のうちに、
木星期の愛の地球を
ファンタジーによって
創造した作品を
作れば、
それはそのまま
ラノベと文学が
統合されたわけだと
思います。 (2019年03月28日 19時28分02秒)

ラノベの方法   もうり さん
そこで、
私は、
ラノベの中から
木星期的という
意味における
現実的なものを見いだし、
ラノベの全体から
木星期を構築する試みを
やってみよう (2019年03月28日 19時33分13秒)

勝負する   もうり さん
ネットで
張り合うのは
馬鹿らしいが、
私の方針に
文句ある人は、
もしも私が
自己を捨て己を
弱くする隣人に仕える道を
このまま継続していって
そこに何の神秘体験も
生じず、意識の変化も
生じなかったなら、
私は自分が負けだと認めよう。
しかし、
自己への執着を弱くする道が
かえって霊的に強くなる道で
あると信じるから、
私は平気で自分を捨てられる。
精神的な結果はすぐには
現れない。乞うご期待!

私はむしろ自己を
捨て、自己への愛という
心の分野を宇宙に流出することを
選ぶ。
私の自我を石ではなく
火にしたい。

これが物質的弱さ
霊的強さを
獲得する道である。 (2019年03月29日 00時05分31秒)

自我とは何か   もうり さん
自我とは何かと
言えば、
人生の目的、
人生の意味を生み出す、
創造的思考の核があることを
指す。

私はあとは
技術的創造力が
身についたら
完全に近づく。

つまり、
私はもう、
曼荼羅を観たわけだし、
ユングの言う個性化も
果たしている。

だから、
今度は自我を捨てる段階に
達してるわけ。
それは自我への過剰な
執着を断ち切ることだ。
これは
社会変革のために
必要な、博愛の理念を
身につけることでもあるわけ。

でも、
確かに、
陰には陽を、
陽には陰を、
という風にして
戦わないといけない
側面もあるかもね。

でも、
結局、
私にはその先が
見えてしまう。
私の生活軽視して
ひたすら学業に
傾く傾向では、
家に虫がわき、
蛆やハエがわく
結果となるんで、
私は自分の極端さを
このまま続けていけば
過剰なストレスを
受けることになるんだと。
実際これは、
これまでの家族の価値観の
反対を生きようと、
ひたすら高尚なことばかり
やって大学での実生活を蔑ろにした
結果です。
だから、
家族の、
つまらない生活重視という、
私の真逆の価値観をも
取り入れないと完全ではない、
と理解せざるをえないわけです。

だから
大事なのは
家族の理念を受け入れつつ
自分の理念と調和させること、
これです。 (2019年03月29日 00時53分43秒)

男らしいことの危険   もうり さん
私は、
「男らしく自分の掟に生きる」
をやった結果、
破滅しそうになったわけです。
それは自分の掟が
不完全だからであり、
家族が重視している理念は
人として当たり前のことに
過ぎないものだが、
私は愚かにもそれを軽視し過ぎた。

今後男らしく生きたい者への
警告だが、
本当に自分のルールを
完徹しようとすると、
それが
一面的なもので
ある限り
身の破滅を招くであろう。

そうすると、
結局は八正道の理念に
全ての自我はどこかに
位置付けられんじゃないかって
予感がしてくるわけです (2019年03月29日 01時04分47秒)

文学道   もうり さん
文学道、
純文学と
ラノベと
その間のものを
やる道の他に

広義の意味では
人智学と
宗教と
文学(ノヴァーリス)
があって、
だから別に
道のためなら
広義の意味の
ほうだけやればいいと
見積もって、
ラノベ探索の時間を
短縮する。
ラノベはやらない。

あとは
ひたすら繰り返して
読むのみ (2019年03月29日 01時19分01秒)

実用的な技術哲学の形式   もうり さん
技術上達法、
これたぶん、
特性を理解して
それを組み合わせるのを
頭の中で
何度もやって
面白いと思えるビジョンを
作りまくって作ることにあるんじゃないか。

この上達法の理念は、
作るのを楽しむ、です。

例えば知識が
集まってきたら
思考の範囲が
増してくるのだが、
これはある要素が、
どう関係し、
どう対応するのかの理解が
あるからで、
これはエンジニアリングにおける
場合の技術的要素の間の
関係や対応を自在に応用できるようになるためにどのように
知るべきなのかってことだとも
思います。

たぶん、
これが上達法の本質では
なかろうかと
思います。
哲学の諸関係は
わかりやすい。
普遍、特殊、個別とか、
霊、魂、体とか、
地水風火があって、
それぞれ肉体、エーテル体、
アストラル体、自我が
対応するとかの理解は
なんか人の感覚に訴えかけるものがある。

しかし、
哲学者にとっての
フロンティアは
やはり技術に思われる。
技術を哲学するとは
上記の諸関係や対応の
形式が、
技術においては
どのようなパターンと
なっているかを探求すること
だと思います。 (2019年03月29日 07時49分39秒)

かつて、日本に思想があった時代   もうり さん
技術すらも
形式の異なる哲学的思索、
あるいは形式の
異なる宗教的思索が
根源にあるという
予感を共有してもらう
ためには、
例えば、
刀や鎧などや
昔の武術の
思想ぽさ、
霊性ぽさを
感じてもらえれば。

例えば情報学で
言うなら送信受信のためには
双方にそのための装置が
要る、みたいな。
プログラミングには
このように、
互いに離れた場所で
更新したいなら対応する
装置が必要だとか、
データベースでも
結合するためには
互いに対応づける必要が
ある、みたいな、
哲学ぽさが見いだせる。
だから、
プログラミングからは
技術の領域に変容した
思想を見いだせる自信があるが、
これを物理的次元でやると
どうなるのかを考えたい。
これは本質的な動作能力の
向上につながるかも (2019年03月29日 08時08分34秒)

製造技術の哲学   もうり さん
製造技術の
哲学、私の
経験だと
これ送信元と受信元とが
あってその中間の
媒介するものがあるという
形式が、内容を変えて
何度も繰り返されるだけだった。
これはプログラミングでも
表現できるであろう。

しかし、
製造技術において
大事なことは
効率的な動き、
という動作能力であるから、
確かに技術自体には上記のような
形式的哲学が見られるものの、
まだ問題は解決していない。 (2019年03月29日 08時40分27秒)

技の経験 動作がなぜ苦手か   もうり さん
動作が
なぜ苦手か
問題、
考えてみたんですが、
例えば武術書では、
様々なその特有の動きに
対して名前がついている。
つまり、詳細な戦うための
素材となる基本動作、
動作的教養としての技がある。

私がそもそも、
動作性の仕事が
苦手なのも、
圧倒的に、
動作性の個々の現象に
対する詳細な認識、
つまり技の理解が
ないからではないか、と。

動作性の仕事の
一つ一つの具体的な工夫を
言語化、イメージ化した
労働の秘伝書
みたいなのを
作ってくれる勇士がいれば、
ひょっとしたら
マシになるかもと
思いました。

つまり、
動作を考えようにも
考えたとしても、
身につけないと
意味ないので
つまり動作性知能を習熟させて
きた人とはもはや
階層が下の位置に
いて、経験が
足りなすぎて
もはや動作性知能の真理を
生み出せる立場にないんじゃないか、と。

例えば、
言わば私は
そもそも、
個々の動作的関数を
知らない、
あるいは応用経験が
少ないために、
その瞬間瞬間に応じて
パッと動作プログラミングが
できないんだと。

これは語学みたいなもんで
学校で習う外国語の教科書が、
なんで個々具体的な状況の
物語ばかりなのかというと、
実際的であるとは、
個別具体的であるということだからです。
つまり、語学が
個別具体的状況に
応じた構文や語彙を
覚えておく必要が
あるのと同時に、
動作性知能も
そのような積み上げが
武術書の様々な
技でわかる通り、
そもそも必要なのではないか、と。

だから、
動作性知能も
動作性学みたいな
実学として学問してくれる
人を要請する。

つまり、
そもそもの問題として
語学という技術の本は
あるのに、
なぜか動作それ自体の
詳細な技術の本や研究が
なぜかないということ。
あるとしても、作業科学は
私の思ってるものと
違ってた。

語学を学ぶのと
同じ感覚で
動作を学べるように
なれば、
まだ発達障害者にも
生きやすい世界になるはず (2019年03月29日 10時01分06秒)

全人類のためのライフハック書   もうり さん
動作の本を
検索してみたら、
動作分析とか
脳性麻痺の子のための
本ばかりで、
そもそも語学みたいな
動作の体系書が
一冊もないのではと。
それは、
借金玉さんが
始めたばかりに
思われる。

我々は
借金玉さんの
本だけでは
そもそも足りないと
思います。
発達障害者だけでなく
別に言語性知能の
優劣に関係なく
語学が学べる環境が
本を通してあるように、
動作を実に深く広く
学べる環境を
本を通して作るべき。

やっぱり
学者は、
分析ばかりで
想像力に欠けていると
批判せざるをえないが
これもそもそも今の学校教育が
そうさせているのも
あるんだろな、と。

という、
たぶんまだ動作領域に
関しては研究のプロセスが
分析レベルにしか
なってなくて、
総合レベルに達するのが
まだまだ先なのかもしれない。
(2019年03月29日 10時17分40秒)

作業科学、運動学批判   もうり さん
だから、
作業科学や
運動学を
批判せざるをえない。
なぜなら、
これらは介護のための
健常者には誰でもできる
基本動作ばかり分析して、
あらゆる動作を可能とするための
語学のような総合書ではないから。

作業科学や運動学が
スポーツや医療福祉に
閉じ込められている。
しかし、これを深めれば
語学に対立するもう一つの
教科ができるはずなんですよ。
これは、学校教科として
取り入れるべき重要科目になる
力があると思いますよ。
そうすれば、
実社会では使えない東大生みたいな
現象も抑えられるかと。

学校では
専門科目としての
技術や実学を教えるより、
このような実学としての
動作学を教えるべき。

(2019年03月29日 10時27分00秒)

命より大切なもの   もうり さん
生きる上では
命が大事だが
私としては
武士道を
重んじて愛に殉死できる
人間になりたい。
命より心のほうが
大切。 (2019年03月29日 12時38分49秒)

大衆とインテリの対立   もうり さん
大衆に
正当性があるとしたら
それは正命という
道。

インテリは
正念という道。

正命は
命を維持する生活であり
ミクロな視点。
これだけ守れば自分の命を
守るには適するが、
これだけ守るような
大衆が溢れてしまえば
政治や社会等、マクロな
領域が崩壊するだろう。
そしてそれが今の日本。
目先の実益を重視する
結果、また
理想を現実に変えていく
ステップを想像できない
結果、政治家までもが
権力をもったに過ぎない大衆になってしまった。

大衆的価値観は
ミクロを守るのに適していて
インテリ的価値観は
マクロを守るのに適している。

でも、
家族にこんなことを
指摘しても、
大きなことは
政府や役所にお任せって
考えだから、
もうどうしようもない。

また女性性は
魂が繊細なため、
男から見たらどうでもいいことにも
刺激を感じ、
それゆえ、生活重視に
留まり、マクロを見なくなる
一面性に陥るという欠点があり、

男は逆で、
マクロに陥り、
生活が崩壊してしまうという
危険がある。 (2019年03月29日 13時36分08秒)

アニマアニムスの話   もうり さん
男性性は、
大きいことに
目を向けないと
満足できないため
学問に向かいやすい。
だから男性性は
叡智を受け取りやすい。
しかし、その叡智とは
科学であり数学であり
唯物論である。
そして男性は意志的でもある。
この意志が力となって、
内的には人生の意味を創造する
自我。

だから、
女性のアニムスには
力と意味の段階があるんだと。

それに対して
女性性は繊細さ故に
多くのことに気づくが
それゆえミクロなことのみに
気を取られる危険がありつつも、
細やかな感性や想像力、
そして信仰と神の叡智とが
女性性。優しさや愛情という
男性性が力だとしたら、
女性性は弱さの力、
すなわち優しさや愛に
力点が置かれる。

複雑になってくるが、
男がマクロなことに
目を向けても女性性らしさが
ないと和合できないことになる。

ちなみに、
人智学は中性的な思考と
言われる。

そして、
結局、二種の個性化に
帰着してくる。
すなわち金剛界曼荼羅と
胎蔵曼荼羅とである。
前者は智拳印で
示される通り男性性を
示し、
後者は胎とつくぐらいだから
女性性を示すであろう。

つまり、
私は男でありながら
男性性を磨いてきたわけだな。
それは生活を軽視して
学問ばかりやってきた
ことが示している。

またシャドウは、
私の場合、暴力の化身のような
存在として出現するが
善と悪の考察以来、
仲間として行動するように
なった。

続いて
胎蔵曼荼羅の
段階に入るべきで、
その前段階として
地蔵菩薩のような
生産力の源泉を、
技術を通して
身につける必要がある。

そんで、
でもポイントは
胎蔵の場合は
博愛と神への愛と隣人愛だが、
学ぶとか技術を身につけるとかと
違って、いかにして
愛、慈悲を身につければ
いいのかがわからないから
困る。
それはこれらの実践を通して
自分への過剰な自己愛を
他者へ配分することだと
思うけれども、
今日も哲学書を寄贈してきたし、
ここでも書き込みまくっているが
私には何の変化もなく、
ましてや家族や世界のために
なりたいみたいな強い感情も
現れない。

布施には物欲を
離れる、という意味があるのだが
実を言うと、食欲はあるものの
私は別にスマホが盗まれても
怒らない自信があるくらい
物欲はないと思っていて、
だから、見えてきたのは
一番難しい課題である、
自我の執着を断つことだけだな。
物欲と人間欲に関しては
離れており、
従って自在に布施できる
境地にあるから、
つまり、
私にとって
一番今すべきことは、
自分を捨てて
家族の理念に生きてみること
だな。

そして、
心の変化もわかってきた。
最初は自分を捨てる
活動がつらいけど、
後から慣れてきて
次からは躊躇なく
捨てられるように
なっていくのではないか。

ただ、
労働のつらさに
慣れてくることがあるのかは
保留しとく (2019年03月29日 14時32分31秒)

八正道の心の配分   もうり さん
これはつまり、
正念に
向かいがちな
私の執着を幾らか
正命に移すって
ことだな。

美しい生活を
目指すってことだけど
本当に難しい。
私の心の偏りを
感じる。

例えば本棚の並びも
テキトーにほったらかしているが
こんなことにもいちいち
気をつけるような魂の繊細さが
全くない。
しかし、
自分にとって
無意味なことを
やり続けるのが
意志の修行でもある、
ということ。

でもプログラミング技術を
身につけてからにしよう。 (2019年03月29日 14時48分03秒)

自我への執着を離す方法   もうり さん
自我への
執着を離す方法ですが、
私の場合、
根本的なのは
美しい生活よりも、
そもそも宇宙からの
疎外感を無くすことにある。
そして宇宙と再び関係するためには
人間関係で成功体験して、
人間を愛するようになれば
宇宙とも結びつくってわけです。

宇宙からの疎外感だと
思ってたのは、
具体的には社会からの
疎外感だとわかり、
人間関係を避けてきたという
一面性が、自分の一番の
問題だと考えるようになった。

物欲もなく、
性への執着もないが
他者を愛すること
なしには、
自分自身への
執着を離れることは
できず、
他者を愛するためには
人間関係での
成功体験が必要だと
思いました。 (2019年03月29日 16時12分21秒)

ちなみに正命   もうり さん
ちなみに
正命を
大事にしつつ
正念をも
大事にするっていうのは
八正道の
話であって、
左翼とか庶民とかは
関係ないです。
むしろ
八正道は
あらゆる人格、
右翼も左翼も
庶民もブルジョアも
包括する、絶対的人格、
すなわち無我となる
中心的生き方であります。

だから、
ブッダ自身は
彼一人で
一つの共同体だと
言われるのです。
お見知りおきを。 (2019年03月29日 16時48分20秒)

Wikipediaの人間関係のページ   もうり さん
Wikipediaの
人間関係のページを
読んだ。
コミュニケーションによって
共感を重ねていけば、
人間関係は深まっていくらしい。
私は自分の人脈のなさに
絶望するが、
とりあえず、教会の
人たちと親睦を深めていくか。

この共感の積み重ねを
ペルソナのコミュシステムが
基礎としてる感あると
わかった。

社会の全ては
私からこんなにも遠い。

自我の執着を断つための
方法がより鮮明になってきた。

そうか!共感の積み重ねで
人間関係は深まっていくのか!
(2019年03月29日 19時01分01秒)

なんて孤独なんだろう   もうり さん
なんて孤独なんだろう。
誰もいない。
私の同志はいない。
真っ暗だ。
精神的孤独が
さすがに苦しくなってきた。
孤独は解放されているようで
狭苦しい。閉じているからだ。

教会には「人たち」がいるが
まだ仲間と呼べるほどにまで
関係が進展していない。
少なくとも、私の心の中には
彼らはいない。 (2019年03月29日 19時08分26秒)

共感は大事だな 現実教について   もうり さん
Wikipediaで
人間関係を
深めるには共感が
大事って書いてあったんで
やはり共感は大事だと
思いました。

理解も大事なのは否めないが
共感に反感をもつ、
理解重視の発達障害者って
争ってばかりいるという
イメージをもってしまった。

ちなみに
現実教批判は
私にも心あたりがあって
反省すべきだと思いはする。
シュタイナー的には、
多面的に観るのが大事らしい。

そしてキリスト教徒との
間で愛し合って
共感を重ねていって
キリスト出現まで至らしめたい。
(2019年03月29日 21時08分29秒)

自分の3つのやるべきこと。   もうり さん
自分の
やるべき
根本的なことは
たった3つだけ。
胎蔵曼荼羅では
利他と自利が修行とされるが
私にあてはめると

家族や教会の
人たちと触れ合う時間をとる。
瞑想をする。
プログラミングの
勉強をする。

たったこの3つだけだな。

あとの具体的な義務は
その都度やるけど
一番根本的な
自我への執着を
断つ行為はコミュニケーションによる共感の積み重ね。
そもそも、
自分自身が世界を
愛するようになるためには
反応してくれる他者がいて
愛し合うことから
始まるのではと
思われます。

恋人もちがデートする意味も
こういうこと。

だから、
素朴な家族と
一緒にテレビでも
見る時間をとる。
お高くとまってる連中には
理解されんだろうが、
キリストに憧れるものとしては
やってみよう。
これが歩み寄るって
ことじゃないかな? (2019年03月29日 21時23分39秒)

垂直性   もうり さん
私は
割と高まってきたけど
インテリタイプが
バカにしがちな
特性を持つ、
考えることが
苦手なテレビが趣味の
家族構成員を
嫌悪する心がなく
だから
家庭生活が
共にテレビを見て
会話すること自体が
一種の修道院生活になっている。
垂直的だから。

まあインテリには
理解されんだろうな。
しかし私は求道者で
ありたいんでね。 (2019年03月29日 21時58分39秒)

求道者の思考   もうり さん
弱者は
切り捨てたほうが
効率的だという
思考がある。

しかし、
マザーテレサのような
聖人になりたい私としては
弱者をキリストだと
思って善行の機会を頂くと
観る。

そうだ、
こう考えていこう。

弱者の存在理由の
一つとして、
誰もが神のように完璧だったら
善行する機会が
なくなってしまうでしょ?

それでは霊的進化もない。 (2019年03月29日 23時22分54秒)

恥いること   もうり さん
一つでも
人を苦しませる事件の
分野に関心がないことを
恥入る。
世界の裏側で
何が日々起こっているのか
苦しんでいるのか
さえ関心のない自分を
恥入る。

そして、
人に仕えること、
奉仕することを
奴隷根性という人がいるが、
違うな、間違っているぞ
そのような日本人たち。
自分の意志で
無私に世のため人のために
なることをしたいと
思える人はむしろ
王の器であることも知らないのかい。聖書を読むべき。

つまり、
人々に仕えたくない
って思う、
そういう人々を奴隷根性だと
バカにする人々は
むしろその裏側で
このつながっている
お互い様の世界で
誰かに奴隷の役割を
固定させる思考だってことに
気づくべきだよ。
なーにが奴隷根性だよ。
騙されないよ、私は。
仕えることの価値も
知らない人間も
結局は相対性に落ち込んでいるよ。
だから、
単なるリベラルも
間違っていると思うよ。
単なるリベラルだと、
奴隷を必要とするようになる。
まさに自由資本主義者と
つながるのでは。
私はむしろ平和主義者だよ。
リベラル=平和主義ではないって
わかったね。

単なるリベラル、
仕えることの価値を
知らないリベラルって
要は権力者志向でしょ。
綺麗なふりして
奴隷を望む差別主義者に
つながっていくと
見えるよ。

細胞を操作する
夢を見たけど
同時に細胞が
女になって生殖する
夢を見た。
やっぱりな、
おそらく、
アニマの育て方は
学問鍛錬とか訓練みたいな
男性性ぽいやつではなく
人々とのリアルな触れ合い、
共感の重ねあいで
なされると見た。
(2019年03月30日 06時24分31秒)

愛することから始まる   もうり さん
胎蔵曼荼羅は
愛することから
始まると思います。
愛するまえに法を
守ろうとすると
法を機械的に守ることになるかと。

(2019年03月30日 06時29分48秒)

ユングから学ぶ男らしさ   もうり さん
ユングの
アニムスの話から
男らしさがわかる。
技術や武道等の
力があり、
理論があり、
何を為すべきかを
知っている宗教的叡智があることが
男らしさ。

男らしさは
力から理論、
理論から徳の知識がある、
力の階梯。

女らしさは
愛の階梯。
私なりの解釈だと
性的な愛の段階から
ロマンチックな愛の段階に
至るとその人の人格を愛する。
霊的な愛の段階に達すると
自我への執着から解き放たれた
無私の愛、つまり自我への
心の配分を他者の人格にも
配分する段階に入り、
叡智の段階に達すると、
神の法を愛するようになるのではないか。

この考えなら
以前の考えよりも
納得できる。
以上、男らしさの
力の階梯と女らしさの
愛の階梯でした。
(2019年03月30日 08時35分20秒)

アニムスの話   もうり さん
アニムスの話の
訂正
男らしさは
身体的男らしさ、
活動的という男らしさ、
理論という男らしさ、
善知識があるという男らしさ、
だな。

活動性が労働技術とすると、
身体性の男らしさ、
つまり、やはり合気道も
平行してやっといたほうが
いいのかな、と迷う。
理論と善知識のほうは
既にあるからな。

男らしさ(男性性)
を身につけるのは、
まだ楽だな。
一人で黙々とできる、
訓練的なものばかりだから。

女らしさを
身につけるのは
難しい。
それは共感を重ねていく
ことで肉体から人格、
そして自分の人格との平等性に、
法への共感へと
上昇していかねばならんので、
どうしても時間がかかる。
それに、目に見えにくい。
アニマを育てていくには
他者や社会との関わりが
必要となってしまう。 (2019年03月30日 08時46分53秒)

男らしさは完了   もうり さん
てか、
アニムス、
つまり男性性の完成が
金剛界曼荼羅を
観る体験という個性化なら、
私は既に
男性性の育成は
終わったと見ていいだろう。
労働技術としての
プログラミングは
これから学ばざるをえないけど、
身体面では若い頃、
スクワット五百回とか
してた時期があったし
活動面では、
よく叔父ちゃんの畑仕事を
手伝ったりした時期が
あって、大学で理論を
学び、八正道の確立に
至って曼荼羅を観たという
流れだろうな。

つまり、
男らしさの
確立とは、
身体性から善知識へと
通過していくものであって
善知識へと至る現在においても
必ずしもマッチョである
必要はないのだろう。

だから、
運動はエアロバイクやるだけで
いいな。

中心となる私の
実践は女性性の確立、
触れ合うことだな。 (2019年03月30日 08時58分25秒)

身体性は既に通過していた。   もうり さん
金剛界曼荼羅が
男らしさの
最終成果だというのなら
アニムス理論から
したら、
私の考え、
思考を洗練させれば
観れる、
そして金剛から胎蔵に
至った後、魔術をやって
最後に身体性に取り組むって
考えは根本的に
間違いだった。

そもそも若い頃に、
身体性と活動性を
通過していることも
曼荼羅を観るのに
一躍買っていた可能性が
あると思えてきたからです。

外的なものから
内的なものに
至る、という流れが
正しいみたいで、
従って私が
身体性に拘る必要は
なくなった。

だから、
胎蔵曼荼羅見終えたら、
最終目標はやはり
魔術鍛錬だな。
胎蔵曼荼羅見終えたら、
瞑想の時間を魔術鍛錬に
変える。

男性性は、
作意という気がする。
男性性は体を作り、
環境を作り理論を作る。

女性性は、
そのような
訓練的なものと
違って、
もっと自然を感じる。
人との触れ合いって、
自然的なもの心的なもので、
大事なのは仕事でもなく
理論でもないという感覚。

男は作り、女は産み出す。 (2019年03月30日 09時30分08秒)

詩編を読む   もうり さん
人智学瞑想、
宗教的瞑想、
芸術瞑想、ですが、
芸術に関しては
ノヴァーリスではなく
詩編を読めばいいと
気がつきました。

(2019年03月30日 09時54分32秒)

質の視点が欠けている。   もうり さん
形式的に同一だから
同じってのは誤り。
内容も見るべき。

というか、
ツイッターで
いくら議論しようが
言葉の世界が豊かになっても
仁愛は豊かにならないから、
本質的な解決にはならないだろう。

ツイッターで議論してる
時間があったら
家族や恋人、
仲間と共感を重ねることで
少しでもこの世に
愛の灯火を放つことこそ
意味があると私は信じるが
無論押し付けはしない。

私は胎蔵曼荼羅を
目指し、これにより
仁愛で宇宙を貫くつもりだ。

いくらツイッターに
のめりこもうとも、
目の前の人間を愛さないなら
平和は無論、訪れない。
(2019年03月30日 12時23分15秒)

暇な間   もうり さん
家族と
ずっとくっついてる
わけにもいかないし、
プログラミング鍛錬しようにも
環境がまだだし、
3つの瞑想も
エアロバイクも
終わったんで
暇だから、
図書館から
自分が寄贈した
魔術書借りてくるか。
胎蔵曼荼羅は
理論という男性的なもの
じゃなく、
もっと感覚的、
リアルな修行が
根本だと思うんで
本読む必要ないな。
例えば蓮華部院の
根本は観自在菩薩なんだが
対象をよく観るためには
対象への関心を育てる
必要がそもそもあり、
そのためには
コミュニケーションによって
共感を重ねていくという、
リアルな方法を取ればいいんで。

そこであいた時間で
最終目標たる
魔術書を今のうちに
読んでおこうかと (2019年03月30日 13時55分06秒)

魔術の3つの目的   もうり さん
私が
魔術をやる
3つの目的
魔術的な自由意志になること。
意志を宇宙とつなぐこと。
愛を地球に流し込むこと。

精進あるのみ。
さて借りてきた魔術書読もう。 (2019年03月30日 14時35分17秒)

世界を平和にするミクロな方法   もうり さん
世界を
平和にする
ミクロな方法
わかったよ。
愛って、
言葉じゃなく、
行動なんだよ。
愛を説くことにも意味はあるのだが
それと同時に会う人々全てに、
礼儀を守ったり挨拶したり
協力したり贈与したり、
優しい言葉をかけたり
直に会う人々全てに
善いことをしていけば、
その愛が伝わって、人から人へ
広がっていくのではと
思うんですよ。
(2019年03月30日 17時33分18秒)

ミクロな博愛   もうり さん
マクロレベルは
ともかく、
少なくとも
ミクロレベルでの
博愛は達成可能だな。
自分が出会う全ての
人々を愛することが
ミニマムな博愛。

私は他称イケメンであるが、
世の中の人々はイケメン無罪など
といってイケメンが生きやすくなる
特権があるとおもっている。
ところが、
私は幼稚園では脅され、
小学校でも脅され、
中学校では金的、唾吐きかけれたり、コンクリート上で投げ飛ばされて、頭がぷよぷよに水ぶくれしたり、パシリにされ、立ってたら
蹴られ、持ち物を隠され、お金を盗まれ、服を破られ、肌に卑猥な落書きをされ、首にロープをかけられ、トイレにいけなくさせられたり、
引き出しに虫を入れられ
さんざん中学では酷い目にあってきた。高校では統合失調症が発症したが、それは置いといて、
しかし、
私は彼らを恨んでいない。
もし恨むなら、
それは一部の中国、韓国人による
日本国旗を燃やすなどの画像を
見て憎しみを増幅させ
差別感情を抱くネット右翼と
同じになる。

私は国旗を燃やされる
以上の酷いことを
日本人にされてきた。
だったら日本人の
私が日本人を憎むのも、
ネット右翼は肯定してくれるのだろうか?
もしも私が反日になっても、
ネット右翼はその活動の邪魔を
しないだろうか?

しかし、
私は憎しみを止めた。
だったらネット右翼も
憎しみを止めてみては
どうでしょうか?

私はミクロな博愛を
実践できている。
たぶん、
ミクロなレベルで
平和は実現できるかも
しれない。
私がミクロな博愛を
実践していけば、
来世で出会う様々な人々も
私を愛してくれるであろう。
そうすると垂直的水平的な
一体性、すなわち十字架の
ミクロな平和が実現する来世が
生じると予想します。 (2019年03月30日 22時00分11秒)

完全平和のために   もうり さん
完全平和のために、
やはり個人としては
私だけに関わるのなら
敵も悪人も愛したほうが
いいな。
そうすれば、
今生では完全な愛を
形成することができ、
来世では悪人からさえも
愛されるという風にして、
来世でより完全な平和な
世界がミクロに私に実現すると
思う。
来世を考慮するなら
今のうちに敵さえも
愛することこそが
道だ。 (2019年03月30日 22時07分49秒)

シナリオプランニング   もうり さん
私の、
社会ビジョンを
持ちつつ、
事実の理解との
相互作用で、
現実的な第一歩を
考えるという、
社会変革方法、
これ既に、
シナリオプランニングって
呼ばれる既存の領域があると
わかりました。

これと
詩編買いました。
(2019年03月30日 22時35分18秒)

高次理念、下位理念   もうり さん
私の
高次理念、
「愛に溢れる社会」
だな。
そのための
下位理念に
私の制作理念の
人に橋をかける情報サービス
等がある。

愛に溢れる社会という
この高次理念は、
制作領域だけでなく
社会に関する様々な
側面で、その手段の理念を
考えていくことになる。
この高次理念に
基づいて、
例えばもしも
会社で今後の方針を会議する
時などにアイデアを
出していけるのでは、と。

つまり、
エンジニアが、
作りたいもののビジョンを
手に入れる以上に、
さらに上層の、
どんな社会を実現したいかという
レベルでコンセプトを
もっておくこと。
この上層コンセプトから
制作領域でのコンセプトを
次次と生み出せたらいいと思う。

その上で地域の多様な事実を
知っておくこと。

これらが
あって、
シナリオプランニングが
役立ってくるはず。
(2019年03月30日 23時00分36秒)

経営者の理念   もうり さん
哲学、芸術、宗教が
金剛界曼荼羅、胎蔵曼荼羅、
魔術だとして、
これは心の世界に儀式魔術によって
人々が愛し合うための
環境を用意することを
目的とする。
中国古典にある
通り、仁愛で宇宙を貫き、
魔術でその仁愛をより強く
心の世界に広める。

そして、
私はさらに
経営者あるいは国作りの理念も
持つことができた。
それが愛溢れる社会であり
実現のための事実を
集める必要がある。
前提に愛し合うことのできる
心の世界の環境があれば
うまくいく可能性が高くなる。

さらには
職人、技術者の理念も
あってそれが
弁証法を促すテクノロジーである。
これは経営理念の下位理念。

英雄の理念もあって、
それが合気道。

このようにして、
私は哲学者、芸術家、宗教家、
王者、職人、英雄、生活
この7つの領域の理念を
愛で貫くことができました。
生活は会う人会う人に
善く振る舞うミニマムな
博愛のこと。

しかし、言葉だけ
理念だけでは
必ずしも人は動かないので
事実を集める必要も当然ある。

結局、
やはり勉強に終わりなど
ないんだなあ。
合気道もやはりやりたいな。

そして、
やはり、
なんで儒教では
徳治を説いたのかも
わかる。なぜなら、
仁愛を達成したものは
同時に宇宙ともつながるので
それが心の世界で、
愛し合える環境を準備するので
これが平和の前提となるからです。 (2019年03月31日 06時44分36秒)

技術哲学   もうり さん
技術の
普遍的概念に、
環境があると思います。
勉強のための環境作りや
プログラミングのための
環境作り、など。
環境作り、という概念は
遍く応用ができる実践だろう。
だからこれは技術哲学に
値すると
(2019年03月31日 06時59分11秒)

仕えること   もうり さん
子どもと両親の
関係は、
両親のみ偉いと
思われがちであるが
王と王妃に対する
王子と姫って考えれば
子どもも偉いとわかる。

でも、
どうやら、
世界の意志を
示すのは王と王妃であり
世界の思考は
王子と姫が示すと
思われる。

つまり金剛界曼荼羅を
形成したとしても
続いて太陽(王)と
地球(王妃)のように、
人々に給仕する
立場にならないと、
金剛界の真理の
法も人々に膾炙しないのでは
ないか。
神秘的には、
ひょっとしたら
リベラル左翼の綺麗な
言葉が全く機能しないのも、
彼らが自分たちは
良い立場を占めて
高い人々たちとしか関わらず、
垂直性に欠けた人々で
仕えることを
しないからかもしれない。


そしてまたアニマが
最後には真理の愛に
至りアニムスが真理に
至るとしたら、
アニマという女性性が
アニムスという男性性と
結ばれることになる。

だから
瞑想と
教会、家族への召使い役と
プログラミング、と
いくか。
偉大なことができなくとも
召使いになるという
方法があった。

そして、
蓮華部院にも、
確か「偉大なる奴隷」
みたいな菩薩がいたよね。

リベラルは
主人という価値しか
理解せず、
従者の価値を理解しない。
奴隷根性といったりするが、
実は奴隷根性も
主人根性とは相対的でしかない。

そして
自分たちだけは
優位な主人の立場で
いたいという連中が
もしいたとしたら、
むしろこんな奴らの
従者にはなりたくない。

武士や騎士たるものも
忠義を尽くす相手を
選びたいだろう。 (2019年03月31日 11時42分33秒)

奴隷の正しさと制度は違う   もうり さん
ちなみに
注意しておくと、
奴隷の相対的正しさと
主人の相対的誤りとは
奴隷制度が正しいと
主張するわけじゃないんでな。

しかし、
今のリベラルには
理解できないだろうが、
奴隷根性の欠片もない
人間も、相当な欠陥ではなかろうか?
これは、
受動的な活動を
引き起こす原理とも
言える。

なんでこんなこと
言うかってと、
仕えることの
価値を理解する人が
少ないから。
だから、
こんなに格差があるんだよ。
主人側、権力者側、
リベラル側が
人類に仕えることを
知らないから
格差があるんじゃないですか?

私は平等よりも自由よりも
平和主義者である。 (2019年03月31日 13時37分16秒)

自我の発見 大随求菩薩   もうり さん
私の自我、
ようやく発見しました。
「大いなる従僕」たる
大随求菩薩が私だ。

私の押しが弱い
ところ、
断れずに人の求めに
応じてしまうところが、
むしろ私自身なのだ。

これで、
ようやく、
私自身に内在する、
自然な自我を自覚できました。
私は周囲の人間や隣人に
仕えるために生まれてきたんだ。
これが私の真の個的な生きる意味だ。これが、
世界が私に求めていることなんだ。
これが、「柔和な従者」たることが
精神的な私の道徳的理念であり
物質的な本能としての理念は
「食いしん坊」である。

リベラルには
理解されないだろうが
私を理想化したら
コードギアスでは
オレンジ君など、
もこなあぱぱ的には
騎士道や忠義を尽くすような
人間として描かれるキャラである。

自由の哲学とか
読むと従者は自由でない
みたいに思いがちであるが、
いや、むしろ私にとっては
従者であることこそが
自由なのだ。

私の最終形態が
大随求菩薩である。

私は自分をリベラルだと
勘違いしていたが、
私は自分の理念を
発見することで自由に
なれはしたものの、
それはリベラルとは
違う次元の、
私は私自身が保守だと
自覚することによって
むしろ自由になったってことです。

しかし無論、
私は単に受動的な人間でも
ない。
なぜならこれまでの
創造的思考をご覧になるなら
わかるだろう。

キリスト教を奴隷道徳などという
ニーチェの言葉は
私は無視でいい。
なぜなら奴隷は
絶対悪ではないのだから。 (2019年03月31日 16時47分42秒)

高次の自我に低い自我を位置付ける   もうり さん
個我の
理念を把握したので、
それを高次の自我の理念に
位置付ける必要が
出てきた。
高い自我の理念は
一言で言えば神になること、
だけど具体的には
金剛界曼荼羅、胎蔵曼荼羅、
魔術、愛溢れる社会、
弁証法を促進するテクノロジー、
殺さずして勝つ、負かさずして
勝つの合気道をやることなんだけど
低次の自我は大随求菩薩として
胎蔵に位置付けられる。
そして、
さらに他の個所でも
どうやって低次の私を
応用していけばいいのかが
わからない問題があるけれども
そのヒントとして大随求菩薩の
絵を観察して印や持ち物等から、
なんと低次の自我のシンボルを
観ればいいかと。
このシンボルは、
宇宙精神が地上で
私を比喩的に現象させている。

明日は寄贈した
曼荼羅図典本借りてくるか。
ただこれ結構人気なんで
なかなか借りれない。
寄贈した甲斐があった。

私は私自身を曼荼羅の
イメージによって知ることで
そのコンセプトを
テクノロジーで
創造できるようになるかも
しれないのである。

だから、
瞑想にも
私自身の瞑想を
付け足す必要があろう。
人智学の読み上げに
キリスト3密に
詩編読み上げに
大随求菩薩の
三密。

大随求菩薩の
三密こそ、
私自身の個性を
練り上げる瞑想であり、
その他は高次の自我の
ための瞑想だ。

私は、とうとう、
汝自身を知れという
哲学を成し遂げたかもしれん。 (2019年03月31日 18時54分24秒)

ペルソナ覚醒体験   もうり さん
ゲームペルソナの
現実版が、
私の神になりたいという
回心体験だと
わかりました。
例えば、
ペルソナ5を
見てみよう。
彼らは今までとは
反対の隠れた自分に
覚醒していると
私は分析している。

つまり、
私の従順な自我という
性質を反転させ、
覚醒させると
神という最高の能動的存在を
目指すようになる衝動が
手に入る、というわけです。
私が従順なのはむしろ
私の無意識が最高の能動性を
獲得しようとしているためなんだと。こうしてバランスがとれる
わけですね。
個我は受動的、
高我は能動的。
高我に目覚めた
意識はその両者を
併せ持つ。能動的かつ受動的。 (2019年03月31日 19時17分38秒)

やっぱり勉強優先   もうり さん
すみません、
やっぱりまだ
勉強優先したく
思います。
七年周期説の
次のムーンノードの
時期に意志に目覚めると
思うんで。
今は意志は弱いから。
今は外的な人の言葉に
従うことができ、
内的な良心に従うことが
できたとしても、
八正道に従うことができないので。
それにその意識魂の時代に
なってからが、
精神的な生き方、
世界に恩返ししていく時期に
なっていくそうなんで、
今はまだ勉強期間でいいかな、と。

そうなると、
胎蔵曼荼羅の
発展はまだまだ先。
でも大随求菩薩を
学ぼう。
魔術も知識だけなら
つけとこう。
瞑想は続けよう。
プログラミングを
学びつつ
軌道に乗ってきたら
合気道やろう。

シナリオプランニングの
本は買ったけど、
問題は愛溢れる社会に
するために必要な知識、
アイデアだ。

(2019年03月31日 20時06分35秒)

愛溢れる社会の理念 自然との共生   もうり さん
自然との
共生は可能かもしれん。
それは
どんな動物が生息しているのかを
理解して、
その動物が生きていくのに
必要な土地や狩り場は
最低限人間が奪わないように
するだけ。
動物に生きる権利が
あるなら、
同様に人間にも
生きる権利はあるんで、
木を切り倒し、
畑にする権利も
そもそも人間にはある。
ただ、動物の生きる権利を
害しない程度の限度を
守ればいいのだ。
そして、
我々も動物の面があるから
肉を食べ、畜産業を
営むこと自体は
認められる。
私たちは
そもそも動物と
同様に動物の面が
あるんで、肉を
食べようが、
それが即自然破壊であるとは
ならない。食べる営み自体が
自然の一部である。
しかし、特別寒冷地でもない
のに、毛皮のために殺すなど、
なるべく無駄な殺生は
しないことと、
畜産動物を肉を産む機械として
扱わず、殺す際も苦しみを
最小限に抑えるよう考慮して
それ以外でも
大切に扱っていればいいんだと
思います。
そして、
人間の肉の需要に
せき立てられて
動物を肉を産む機械のように
してしまうなら、
あるいは絶滅寸前まで
追いやるなら
それはむしろ霊長類という
高等動物の義務、
一種のノブレスオブリージュとして
過剰な肉欲を抑えること。
つまり、これが畜産業の倫理ですね。畜産動物を大切に
扱えなくなるほどまで
人間は肉を要求してはならない。

そして
愛が溢れる社会理念ですが
経済という器があって
意識があって
意識どうしが対等とされる。
経済が豊かで互いに対等であれば
経済から生じた物質的余裕と
互いの対等であることや
信頼関係に裏付けられた
自由な世界が生じ、
この三要素が
うまくいけば、
これが
平和であり、
愛が増えていく社会だと
思います。
つまり私は
社会三層論派です。
そして、
経済と自然は
政治領域によって
対等なものとされ、
従って上記のような
考察がなされる。

自然との共生共存って
そもそも動物を殺さない
ことじゃなくて
無駄な殺生はしないで
土地が必要でも
そこに生息する動物のために
開発に限度を持たせるって
ことだと思います。
動物も殺生してるんで、
そもそも殺生しない、
破壊しないことが自然との
共生共存の条件ではないと
思うわけ。
巣を作るのも食べることも
自然の一部だから。
ただ畑を作りたいなら
森の生態系を考え、
その森の住人の
生きる権利を守ることです。
つまりその森の住人の
生きていくための条件を
破壊しないことを
守る範囲内で
作ることです。
うーむ、現実的だ。

さらに、
ポイントは
我々は我々自身を
単なる畜生と同一視
しないことです。
我々はそもそも動物ではなく
人間であること。
人間であるが、
下位の人間として
動物人間を含みもっているだけだと。
(2019年03月31日 23時01分17秒)

三層組織論   もうり さん
そして、
遂に、
三層組織論という
アイデアに
至った。

経営者と、
その中間と
労働者とがいて
この3つが
互いに独立した組織。
まだ漠然としてる。 (2019年04月01日 00時26分10秒)

情報工学的教養観   もうり さん
情報哲学的教養観

宮台先生的な、
感染する開かれた
意識の人の作り方、
わかったっぽい。
ヒントは情報哲学にある。
てか、ようやくわかったことには、
工学も結局は哲学なんだな、と。

それはつまり、
工学の普遍性として
「環境の構築」があるんだと。
これが情報工学では
コミュニケーションのための
送信側の環境と受信側の環境を
構築することでそれが可能となる。
この図式は情報哲学だと思います。

わかりましたか?
つまり世界に開かれた
意識を構築するためには
意識の中に様々な方向に
開かれた受信器を作れば
よいのだと。
そして、それが
教養やリベラルアーツや
哲学や純粋数学の役割の
一つだろうね、と。
なぜなら、
例えば純粋数学や論理学なんてのは、例えそれが神を
直接示すものではなくとも
あらゆる物事の骨格理解のための
方法が詰まっているわけですよね。
子どもは世界に開かれているから
若いのだとしたら、
まさにこのように教養があることも
脳を若く保つ秘訣ではないでしょうか?
この脳を若く保つことこそ、
老害にならないための
条件なのではとも思います。 (2019年04月01日 02時57分33秒)

三権分立的経営組織論   もうり さん
金剛界曼荼羅はできたし、
胎蔵曼荼羅は大随求菩薩行で、
魔術は修行をすればよい。
英雄は合気道すればよく
職人は弁証法的な
意識生成を促進する
コンテンツを生み出すという
一つのアイデアがあり、
また生活では、
会う人会う人に
善く振る舞うミニマム博愛をする。
経営者とか王者的側面では
愛溢れる社会理念として
ひとまず社会三層論を
イメージしていて、
公務員でない私としては
まだ具体的にどうすべきか
一番わかってないのが
この分野だが、
ひとまずアイデアが出た。
それが三権分立的組織論であり、
行政に労働者が、
立法に経営者が、
そして司法に中間職を
入れてそれぞれ独立させ、
相互作用させた組織論です。
労働者も一種の内閣総理大臣のような位置付けをあるようにすることで、この場合の立法たる、
経営者と対等にする。
その対等性を司法としての
中間職が保証する。

これが、
霊的組織論です。


(2019年04月01日 03時40分39秒)

三位一体的組織具体化   もうり さん
三位一体的組織論の
具体化。
経営者、
中間職、
労働者、
ということであったが
これポイントは
中間職だな。
中間職とは抽象的だ。
より具体的には
国家ないし都道府県、
市役所職員や警察、軍人が
企業内に配属される
部署である。
そして、
企業内市役所は
経営者と労働者に
資本の提供と地域の全体的、
多角的情報を提供し、
もしも互いに権利を
守ることがなくなれば
企業内警察がこれを
逮捕する。
このようにして
人間関係を調整し
情報と物質的資本の
源泉となり、
そして、経営者は
ビジネスモデル等、マクロな
動きを指示する立場にあり、
労働者は実際の生産活動という、
よりミクロな動きを決める権限が
あるのだが、
企業市役所で
会議を開いて、
経営者側と労働者側の
協議によって、
事業計画を立てて、
それぞれの立場で
仕事をしてもらう、
これが霊的組織論の
一つである。

なんで
シュタイナーは
政治組織について
詳しく語らなかったかというと
既に三権分立という構造が
霊的だからであろう。
(2019年04月01日 11時57分42秒)

ロシアを超える社会主義   もうり さん
つまり、
私は
ロシア、
あるいは
中国を超える
社会主義を
生み出せたのかも
しれない。
つまり、
我々が国家に
吸収されるのではなく
むしろ国家が
企業内部に個別化されていく
のである。
そして企業内国家は
環境を整えるだけであり、
あくまでも主体は
経営者と労働者にあるとする。
だから、
個々の企業が、
国家という公共性、
全体性から提供される、
多角的な十分な情報によって
成功の可能性の高い、
事業計画が
立てていけるという
わけである。

これが
私の組織論である。

天才では 笑 (2019年04月01日 12時03分52秒)

学校組織論   もうり さん
学校組織論も
教師と
生徒、
生徒と生徒との
間の関係性を
対等に
保つためになどの
目的で、
警察含んだ学校内国家が
設定される。
しかし、
そもそもこの
国家は、
教師に対して
教育の権限、方法を全て任せる。
教師は自由に教育できる
ようになる。
ただ、
学校内国家はいじめなどの
罪を防ぐ役割を
果たし、また、
閉じられた特異な
学校文化を公共の光で
照らし
公共と結びつける役割を果たす。

国家に我々が
吸収され一体化するのではなく
むしろ国家が我々に個別化していくのである。

なんというか、
これまでの考察を
背景にした、
かなり有効そうなアイデアであるが、これも無償提供してしまう。

これなら、
経済活動も、
教育活動も、
自由が守られつつ、
しかも平等も守ることができる。

このような
近代を超える革新性がありつつも、
しかも伝統的な
ロゴスの叡智に従った
アイデアは、
シュタイナーを学ばなければ
浮かびようがなかった。

だから、
思想家たちには
シュタイナーや
神智学も学んで欲しいのだが。 (2019年04月01日 12時21分37秒)

経営者と労働者の統合   もうり さん
私は、
つまり
経営者と労働者の
統合をもしたんです。
総体的なこと、
マクロなことに
関して権限のある
マクロな労働者としての
経営者と、
それに対してミクロなこと、
生産活動に対して権限のある、
ミクロな経営者としての
労働者という形で。
この両者が企業内国家の
場所での協議によって、
共に事業計画を立てるのです。

こうすることで、
経営者とは
単に労働者と
役割が違うだけの
対等な存在にすることが
できるのではと。 (2019年04月01日 13時50分13秒)

二元論から三元論へ 社会改革   もうり さん
なんだか
鷹の目のような
真理は三位一体だというのに、
なぜだか
組織論では
経営者と労働者、
教師と生徒という
風に二元論で構成されていた。
それはおかしい。

答え
ここに第三のものとして
個別化した国家を
宿せばいい (2019年04月01日 14時27分33秒)

民間を補う政府   もうり さん
例えば、
民間人の
就業してる
産業分布に
偏りがあり、
それが例えば
「食の防衛」を
破壊するのであれば
自衛隊の意味を拡張して、
そもそも自衛隊とか軍隊の
意味を暴力活動による
国家防衛だけでなく
民間が果たしてない
部分を補うような、
創造的防衛も行うように
すればいいのでは、と。

あるいは
公務員全体が、
民間企業の産業分布に
偏りがあるなら
それを補う形で
その欠けた産業を
公務とする、など。
それで環境を作り、
別に民間でも
参入可能にして、
人気が出てきたら
徐々に民間のみに
移行する、とかだ (2019年04月01日 15時59分59秒)

従順さについて   もうり さん
ちなみに、
私の従順さは、
小学校のころは
人から頼まれたことを
断れなくて、
それにより、
よく人から頼みごと
されるような小学校時代でした。
例えば小学校で
やんちゃな人が気づかず
ハサミを落としても誰も
拾わないけど、
私だけはそれを拾うような
人でした。

でも、
今思えばこの弱さって
いい弱さだと
思えてきたんですよね。
私が弱いのは、
人から頼みごとされても、
あんまりなんで自分がって
思わないことが多いんですよ。

確かに
弱い故に、
中学時代は
酷いいじめにあい、
パシりにされていたけどね。 (2019年04月01日 16時55分09秒)

弱い故に頼られる   もうり さん
私は
従順で弱い故に、
あなたなら
私の言うことを
聞いてくれるので
助けてくれる、
みたいなノリで
頼られることが
小学校時代よくあったんですよ。
 
内心めんどうな
こともあったんだけど
弱い故に頼りにされることも
あるんだな、と。
つまり、
むしろ私は小学校の
時点で弱さを
価値に変えていたんですね。
中学高校になると
女子からは優しいと
評価されていました。

しかし、
私の服を破ったものは
私を雑魚と罵りました。
しかし、対称的に、
彼は席替えで女子と
隣になると、その女子が
泣くほど嫌われていました。

つまり、
強さも必ずしも
他者に対しては
価値とならないんですよね。

弱さだけでなく強さを備え、
両方を他者に対する
価値にできてたら
相当、モテてたでしょうね。



(2019年04月01日 17時10分58秒)

卑しさと誇りと謙遜   もうり さん
そして、
結局、
弱さを通じて
無私なること
大随求菩薩にまで
昇華できたら、
それは偉大な弱さとなる。
どういうことかというと、
弱さに対する強さも
ヒエラルキーではなく
相対しているだけなのではと
思います。

弱さと卑しさと
無私と謙虚さ、優しさは
似ている。
これに対しては強さや
誇りがあるが、
後者のサイドには傲慢さという
悪もある。

(2019年04月01日 17時36分18秒)

自我論   もうり さん
空海は
悟りとは
ありのままの
心を知ることである、
と言ったが、
私もブッダのような
両面的人生を
送ったから、
回心体験をして
真の自分を知ったぽい。
考えなおしてみれば、
大随求菩薩的な
私の低我は、
子どもの頃、
もっと暴力的で
活動的な低我故に
人を傷つけてしまったことに
適応して形成された
昔のペルソナのシャドウが
反転してシャドウがペルソナに
なった形に過ぎない。
いじめっ子というのも、
自分の力の制御ができないという
弱さを抱えている。
弱い人間は自分を抑える力が
強い。
そして強さは必要悪をなす力、
共同体を守る力として
扱えばいいし、
弱さは博愛精神につながる。

この戦士のような
現在のシャドウは
夢ではいじめっ子として
現れて過剰な反逆者精神を
持っている。
今のペルソナが
大随求菩薩の素質だとしたら
もう一つのシャドウとしての
ペルソナは
怒りの形相で刀を
持った宗教の守護者としての
菩薩になれる素質があるだろう。

そして、
私の真我とは
このルシファー的自我と
アーリマン的自我を
統合する、キリスト的自我であり、
従って全体性を志向する自我であり、文武両道を目指す自我である。

私は
このようにして、
回心体験によって
自分の心を知ったのだ。
菩提心だな。まあ
一時的な、
しかしある程度持続する
衝動を得ましたけど。

私は、
一時的に悟りを開いたのだ。

なんだか、
低私こそ
本当の私だという
迷いがあったが、
やはりそうではなかった。
低私とはペルソナに
過ぎない。
真我こそ、まさに
本当の私だ。
なぜなら人格の
統合原理だからである。

そういうわけで、
私はブッダのように
両面的に生きたから
真我に至れたのかも
しれない。 (2019年04月01日 20時47分58秒)

一周回ってやはり仏教   もうり さん
労働技術に加え、
あれやこれやと
やろうとしてきたが
そもそも私の意識は
統合体に達しているので
根本的なことをやるなら
さらなる意識の進化であって
その派生物ではない、
という考えになりました。
既に武と智への
活動意識は潜在しており
ならばもっと意識を
拡大することが大事だと
考えます。
そして、
意識拡大の方法は
神智学、人智学、ヌーソロジーを
再び学んでいくことで
やろうかと。 
霊学とプログラミングを
やるだけでいいと、
かなり手間を省けた。

つまり、
一周まわって
始まりに戻った。

例えば神智学と人智学の
関係を考えたりしたい。 (2019年04月01日 23時44分52秒)

補足!   もうり さん
そして、
やっぱり仏教も
追加で。

神智学、人智学、ヌーソロジー、
仏教をやっていきます。 (2019年04月01日 23時47分01秒)

次必要な意識   もうり さん
今までは
理論理性に
傾いてたんで
実践理性の面が
必要だと思い直す。

従って、
やはり勉強を
超えて理念の実現を
目指すことにした。
(2019年04月02日 10時28分16秒)

プログラミングの本質   もうり さん
どうやら、
プログラミングの
本質、
わかったっぽい。
先生のおかげ。

html,css
みたいな、
私が名詞的、形容詞的と
解消するものの、
真の存在論的本質、
それは領域を設定することによる
静的な名詞的な構造化に、
その各々の領域を
指示してそれぞれを
いかに見せるか、
配置するかという形容詞的構造化。
例えば地球という領域に
人間という領域があるとして、
地球を動かすなら同時に
人間も動く。
javascript,php等、
動的言語もその本質は
動的な構造化にあるのだが
ポイントは、
その動きの構成素材の本質である。
それは、代入、条件、繰り返しであり、この3つを組み合わせて
動きを構成する。
あくまでもこの動きの構成素材は
素材であって現実ではないのが
ポイントである。
逆に現実の動きを
この3つのように分析できるはずである。

以上がプログラミング言語の
本質だと思います。
(2019年04月02日 21時57分36秒)

弱さの理由   もうり さん
私が
引っ込み事案で
優しくなったのには
理由があるんですよ。
それは自分の活発さによって
走り回っていたら人に
衝突して、
物理的に大怪我させて
しまったからです。
ここで活発さ強さ的という
ペルソナが
優しいペルソナに
切り替わったんです。

強い人間は、
そもそも自分の力の
使い方を学ばないと
真に強いとは言えない。


(2019年04月02日 22時20分33秒)

弱くていいとき、強くあるべき時   もうり さん
むしろ、
私は、
仲間や人間を守る時以外、
特に私個人に
対し人がいる場合、
私は弱さとも通じる
優しさを発揮したい。

仲間を守る時は
強さを発揮し、
私個人に対する場合、
私は対する他者たちに
従順に仕えるものとなりたい。

これは、
結局、以前から
考察していた武士道と
通じるんですよ。
自分自身よりも
まずは悪人や敵を優先するが、
悪や敵よりは
共同体を優先するっていうね。
私個人に対しては
悪人にたむかうなという
キリストの教えを
守ることで、
完全な博愛を実現するのです。
(2019年04月02日 22時26分54秒)

コンセプト実現の方法   もうり さん
コンセプト実現の
方法、
まず理念が生じたら
そこからビジョンを作る。
ビジョンが生じたら
そのビジョンの構造を見抜く。
つまり、ビジョンが
そのまま設計図になっていく。
あとは事実を素材に
作り上げる。

プログラミングから
学んだ方法です。 (2019年04月02日 23時08分06秒)

勝利する方法   もうり さん
勝利する方法

勝つというコンセプトを
実現するのも
勝ったというビジョンから
逆算する形で、動的な
構造を見抜いて
今を素材にするってことでしょうね (2019年04月02日 23時17分01秒)

差別を許容すれば差別される   もうり さん
中国人とか
韓国人を
差別する人たち、
それって
欧米人が
黒人を奴隷にしたり
我々と白人よりも
たぶん近い
アメリカンインディアン
を迫害したり、
今も続く白人による
東洋系への差別をも
認めることになってしまうと
気づいて欲しい。

差別の原理に
乗っかってしまう人たちが
いるからこそ、世界中で
差別は消えず
その人たち自身も
差別されることになる。

差別がなくなれば
我々はどの国にいっても
生きやすくなるはずなんだけど (2019年04月03日 07時53分22秒)

モテない男たちへ   もうり さん
モテない男たちへ。

仏教によれば、
人間は神に生まれ変わることも
できるという。
徳を積みさえすれば。
だから、
モテない男たちは
強者男性たちが
結婚恋愛などという
俗事に熱中している
間に、孤独な時間を
利用して仏道に努め励めば
いいと思います。

そして、
この世ではモテないけど
非常に美しい世界である、
神の世界でモテるように
なればいい。

ヲタクは
現実がいやで
二次元美少女に
向かうが、
現実女性と二次元美少女の
止揚は、
神の世界の
3次元を突破した女性たちだと
知りなさい。

モテない男で
モテたい男は
孤独な時間を
功徳を積み、
仏道修行に利用して
心を清らかにし、
神の世界で
モテるように
なればいい。 (2019年04月03日 08時33分35秒)

六道輪廻における天上人   もうり さん
弱者男性や
非モテは、
仏道を修めて
六道輪廻における
天上人を目指し、
そこで高次元の女性と
結婚すればいいんじゃね?
ってことです。

これ、
何気に現実女性に
興味もてない
ヲタクの救済方法でもある。

だから、
だいたいの救済方法は
宗教をやってけば
既にあるっぽい (2019年04月03日 08時53分40秒)

都会と田舎を区別しない観点   もうり さん
都会と
田舎を
区別しない観点、
大事だな。

例えば都会人が
田舎者や地方を
馬鹿にする場合、
例えば人口の供給は
東京うまくいってますか?
とか、農業とかエネルギー、
自衛隊基地とかは
東京でもやってるんですか?とか。


つまり、
地方からの
なんらかの
贈与経路があるのだから、
実際は一体であり、
区別は概念操作に
過ぎんという見方がある。 (2019年04月03日 12時05分11秒)

繰り返し文と条件文の哲学   もうり さん
繰り返し文と
条件文の
哲学的関係性理解した。
前者は同一運動文、
後者は差異運動文と
言えるだろう。

同一性と差異の
ヘーゲル哲学で、
現代技術が説明、理解できてまう。 (2019年04月03日 14時01分19秒)

言葉の自己犠牲   もうり さん
自由を至上とする現代人には
反発を食らうかも
しれないが、
私はやはり、
言葉の自己犠牲が
できているな。

それは与えられるよりも
多くをなせ、
つまり哲学的な意味のあること、
美味な言葉を与えられるよりも
多く無償で与えたという形で。

プログラミングという
実用レベルの言葉や
作品も、無料で
与え続けることで
今度は財施の自己犠牲を
やりたいな。

私にも社会のために
できそうなことが
わかってきて、
作品を作ることも
そうだけど、それ以上に
哲学に基づいた英文法や
プログラミングを
語ることだな。

私は英語は、
英文法だけやろうと
思います。

英文法も
プログラミングも、
イメージ的、
哲学的な語りによって、
深く記憶に刻み込み、
それゆえすぐ使えるようにすることができるのでは、と。 (2019年04月03日 14時13分43秒)

火の言葉   もうり さん
私は
弱さがあるっていうけど
創造的である
時点で
強い側面もあるんだなって。

創造が楽しいんで
楽しみつつ、
平気で無償提供できる。

私は、
「火の言葉」を
持っているのかもしれない。 (2019年04月03日 14時23分10秒)

職業哲学者と無償哲学者   もうり さん
職業哲学者と
無償哲学者、
自己犠牲的なのは
後者だから、
宗教的高み、
宗教的体験に
達するのは
後者かもしれない。
そう信じて
続けていける側面もある。

本当に哲学者なのだろうか、
あらゆる自分の言葉、
神に触れるものでさえ
金にしたい人たちは。
(2019年04月03日 14時27分51秒)

見たいアニメ   もうり さん
見たいアニメ、
批判はしたけど
復活のルルーシュ見たい。

ドラゴンボールZ超、
日曜日に中途半端で
なくなって以来見れてないけど、
またやって欲しい。

あとヒロアカかな。

あと約束のネバーランド
勧められたんで
見ようかなー? (2019年04月03日 16時52分42秒)

儲けとは別の贈与   もうり さん
つまり、
私がいいたいのは、
儲けとは別で
与えまくれるものを
持っていることって
宗教的に大事なんじゃないかなと (2019年04月03日 19時55分27秒)

優しさと弱さの関係   もうり さん
優しさと弱さの
関係、
わかってきた。
優しい人は
弱くなってしまう
側面があるとしても、
無償で贈与できるという、
優しさ故の強さもあるってこと。
優しさは、
それ故の弱さも強さも
あるのではと (2019年04月03日 20時46分24秒)

何気に実践してる事   もうり さん
私は、
何気に、
儲けを
無償贈与のために
使用している。

これでは
成功はないかも
しれない。

でも、無償贈与のために
儲ける、この生き方、
宗教的な価値はあるだろう。

あたかも、
パウロがテントの
仕事をしつつ
宣教していったようなもんだな
なんでもかんでも
儲けのためにするから
社会全体の余裕がなくなるのか、
それともどうかな?
(押し付けはしたくない
(2019年04月03日 21時02分05秒)

自然に生きればいい 生みの苦しみとは   もうり さん
生みの苦しみって
何事にでも
よく言うじゃん。
当たり前な
話、出産を思い浮かべたら、
なんで苦しいのか
理解できたわ。
自分の内部に大きく
育っていくものがあると
それが子宮を圧迫するかの
如しだと。

そして、
私は、
自分の「自然」に
従って生きるだけで
それが既に天道に叶うのではと
思えてきました。
いろんな理屈に従うよりも
創造し産出していきたい
という衝動に従って
生きていけば、
それはもう無償の贈与であり、
自己犠牲という、
「客観的な意志」、
キリストと通じる道なのだと。

それで、
私は英語やプログラミング
などの技術にも手を出して、
これを私の財施の無限の蔵にしようかと目論見ます。

なーんだ、
自然に生きるだけで
よかった。
(2019年04月03日 22時16分55秒)

生みの苦しみ、努力の苦しみ   もうり さん
だから、
なんで
努力が
苦しいのかも、
生みの苦しみから
わかりますね。
自分自身の
内部に、
自分自身を大きくするものを
作っていくから、
努力は出産のように
苦しみを伴うのではと。

もともと小さいのに、
その中に小さい器を
破裂するんじゃないかと
思ってしまうような
超えていくものを作ろうと
してるとイメージすると、
そりゃ苦しいわな。

ということは、
出産を経験した女性って
それ以上に苦しいことは
ないと感じて努力家に
なれたりするんじゃないで
しょうか?

確認してみてください。

無痛分娩にせよ、
労働にせよ
旧約聖書での罰という
意味があり、
しかし秘教的には
それ以上の意味があるかも
しれないので、
働かないことも
無痛分娩を選択することも
その結果どうなっていくか、
歴史家に観察を続けて欲しい。

歴史学の方法として、
宗教で語られていることから
離れていく人たちは
どんな運命をたどっていくのかという、実証宗教学は可能か、
と思いついたが、これ
超時代的に積み重ねないと
無理な学問だね。 (2019年04月03日 22時26分23秒)

善悪の知識の実、自由とその代償   もうり さん
人智学では
ルシファーが
人間に
善悪の知識の実を
食べさせた結果、
人間は自由になると
同時に悪の可能性をも
宿したとあるが、
忘れがちなのは、
自由になった結果の
代償、すなわち
労働の義務、出産の苦痛という
地上の苦役である。

神は、我々が
なんの苦痛もなく、
それでいて自由な世界よりも
出産の痛みがあり
労働の苦しみがあり、
食べるために苦労する
世界を作られた、
あるいは人間を自由にした
結果、そんな世界になった。
それはなぜか。 (2019年04月03日 22時40分05秒)

自由の代償の意味   もうり さん
自由の代償の
意味は、
まず人間は
エデンから
引きずりおろされて
地上で生きるようになったので
神から切り離されている
分、自分で働く必要があった。
また、この地上でこそ、
神から切り離されていることに
よって、自由意志を育てていける。
さらに、意志とは、
炎のようなものであり、
炎とは自らを焼くことであるから、
意志の素材は苦しみである。
そして、この地上で
人間は意志を育てる
必要があり、
労働の苦しみさえ
超えていけるような
意志を目指す、
とことんまで強い意志を
育てなければ、
真の自由意志ではないから、
神はこの罰をくだされたのでは
ないだろうか。
出産の痛みも、そうであり、
自らを超えていき、進化する
意志を育てていくためにこそ、
この地上の苦しみは
あるのではなかろうか。

それはまた、実は
人智学のアストラル界で、
人は他者の中に入り
自分が与えた苦しみを
経験することで
障害を乗り越えていく
意志衝動を受け取るという
話にそのまま語られていると
思うな。

つまり、
人間は自由の
代償として、
神からとことんまで
偉大な意志力を備えることで、
とことんまで自由な意志を
持つようになれという
課題を受け取ったのだ。 (2019年04月03日 22時59分02秒)

懐かしい理念 私の言語観   もうり さん
英文法を
考える上で、
懐かしい理念、
私の言語観を
思いだしました。
私は、
言語は世界から
出来ていると
思っています。
だから私の文法論も
哲学的にならざるをえない。 (2019年04月03日 23時24分31秒)

自己意識 主人と従者   もうり さん
自己意識、
主人と従者の話
能動原理と受動原理の
話でもある。
本質的自己の
原理は創造力と
愛であり
主人的自己の
私の原理は武力である。
従者的自己の
私の原理は大随求菩薩であろう。
本質的自己は
前者に対しては
物質的創造力が対応し、
後者に対しては言語的創造力が
対応すると思う。

そして、
本質的自己が
真の能動的原理であり、
主人的自己は
相対的能動原理だと
思うが、
本質的自己の原理が
愛であることもあって
基本的に、
大随求菩薩のほうに
近く、
もう何十年も、
動くこと
走り回ることが好きな
暴力的でもあった
活発な性格が現れてこない。

なかなか、
ゲームのように
2つのペルソナを自在に
付け替えるみたいな境地には
たどり着かない。

初めてのムーンノードの
衝動をもった日は、
確かに世の中の
苦しみを一掃する、
平和の神になろう、
全知全能になろうと
意志して、その手段として
文武両道を志し
大学で学んだ後は
自衛隊行こうとしていたが、
精神病者であることもあって
しかも私のような性格だと
また虐められるかなと
挫折し、続けていた
スクワット五百回も止めて
「武への衝動、物理的力への衝動」が消失してしまった。

私の中のもう一人の私が
消失してしまった。
次のムーンノードで
再び取り戻したい。
そもそも、
この世の中の
苦しみの根源を
ぶち壊したい、
みたいな義憤と
それの実現へと向かう意志も、
結局はその暴君のような
ペルソナ由来ではないかと
思われる。

言い換えるなら、
私の中には
2つのペルソナがある。
一つは優しいけど
なよなよしたヲタクの仮面と
活発なヤクザの仮面である。
その統合体としての
自己は求道者である。

ちなみに、
肉体面も考えないと
いけなくて、
そもそも私のこの体は
ヤクザ的ペルソナを
存分に発揮できる
筋力や体力に欠けている、
それゆえヲタクの仮面が
出やすい面もあるかと。 (2019年04月04日 01時24分55秒)

あとは技術のみ 黙示録   もうり さん
シナリオプランニングの
本、ちょっとだけ読んだ。
しかし、
私は私の方法を
とろうかと思います。
それは社会法則を
認識して、
それらを素材にして
あるべき未来を構成する。

でも、私が全ての
知識を獲得しようとする
試みはもうやめておきます。
社会変革する際は
協力プレイをしたらよい。

また、
愛溢れる社会という
理念ですが、
そのための根本として、
霊性の目覚めに
人々を導く、があるかと
思います。
つまり、
社会に関する理念
については、
意識魂の時代に
対応する黙示録の
手紙からわかると
思います。

やっぱり、
キリストを
真似て客観的な意志である
自己犠牲をやっていき
胎蔵曼荼羅構築とかやって
心を宇宙と繋ぐってことかな。

まあ私の場合、
自然に生きていけばいい (2019年04月04日 08時18分25秒)

心の理論 ヲタク批判   もうり さん
ヲタクとして
ヲタク批判する。

欧米では
聖職者が
日本ではヲタクが
陥りがちな
ペドフィリアって
性欲と、幼子が可愛いという
感情が、混合した状態なんだと
思います。
これは言い換えるならば、
性欲が肥大化し、
幼子が可愛いという
感情や諸々の感情と
混合してしまうという
状態にあるのではないかという
素人意見。

この考え方は
ロゴス的に心を
考えられるんじゃねって
試みですね。

あと、
シナリオプランニングの本、
早速寄贈してきた。
通り道でちょこんと
少女が親と座っていたけど、
どいてくれたので
「ありがと」と言った。 (2019年04月04日 10時27分34秒)

心統一が心経の意味   もうり さん
今更になって
心経の意味が
自覚できたね。

これ、
何度も唱えることで
心の内部を
紐付けて心統一を
狙ってると思います。

それで、
主の祈りを、
一回唱える、単なる祈りから、
15分間唱えまくる瞑想にしようかと思います。 (2019年04月04日 12時43分46秒)

修行披露   もうり さん
私が
やっている
修行は
シュタイナー心経の
基礎人智学レクチャーを
1日唱えたら
次の日は基本人智学スタディー、
さらに次の日は宇宙篇を
唱えること、
この3つを繰り返すことと
詩編を唱えること、
主の祈りを唱えること、
であるが、
これからは主の祈りを
15分やることにする。

そして、
日々の言葉の贈与。
技術理論が身についたら
さらに実用的な言葉も
贈与できるようになる。 (2019年04月04日 13時06分57秒)

日常生活の知恵と自立神経失調症   もうり さん
日常生活の知恵と
自立神経失調症。

スマホの
やり過ぎに注意。
自立神経失調症になるぞ。

そして、
布団を被るときは
首までやったほうが
冷えなくてすむ。
これも頭痛のもとになるかと。 (2019年04月04日 14時05分06秒)

私は既に「精神」   もうり さん
私は既に
「精神」と
なっているようだ。
日常では、
私があるエナジードリンクを
飲みだしたら、
次の日ほぼ売り切れ、
そして私が
三ツ矢サイダーオレンジ味や
ファンタオレンジに
はまり出したら、
次の日ほぼ売り切れ。
また、私が仕事を辞めだしたら
みなさんも辞めだす。
ウテナ観たいなーといったら
ウテナやりだす。
私がここで語れば
ツイッターでまで話題となる。

またワサビ味に目覚めたら
テレビでもワサビについて
ちょうど語りだす。

私は、
既にある種の
普遍的人間となっているようだ。
私の意志も実は既に
ある程度みなさんと
つながりだしている、ということ。
(2019年04月04日 14時37分30秒)

スッタニパータ 蛇の章   もうり さん
ブッダの言葉
スッタニパータ
蛇の章でわかること。
驕慢を捨てると
この世とかの世とを捨てる、
怒りを捨てると
この世とかの世とを
捨てる、等々と言われる。

ここからわかることは、
我々は別に全ての徳を身につけなくても悟りに至れるのでは?
ってことですね。

布施なら布施を身につけるだけで
布施波羅蜜という境地に
至るのでは、と。

別に今の世で
全てをやる必要はないのだ。
つまり、
できることを研ぎ澄ますだけでも
十分なんだなと。
(2019年04月04日 14時56分19秒)

宮台先生と意識魂の時代   もうり さん
宮台先生と
意識魂の時代。
意識魂の時代とは
霊性が人間よりも
さらにくだって物に
堕落する時代だとか。
ここで人間は
再び霊性を獲得し、
上昇していかねばならない。
だからこそ、
この時代では、
キリストを思い出せと言われる。

そして宮台先生によると
平成とは人々が分断され、
孤立していった時代だという。
これ、まさに意識魂の時代らしい
傾向だと思いました。
この孤立にも意味があって、
ここで人々が精神的に自立したら
成功である。
さらに、ここから、
内発的に、他者と関わっていく、
国に頼らなくて、
仲間たちと共同体自治をしていく
という宮台先生の話が、
そのまま精神的に
自立して、自由に
人を愛せるような
霊性に目覚めた
人たちによる、
社会みたいな、
第六文化期と
通じると思うんですよね。
(2019年04月04日 17時41分12秒)

哲学と仏教   もうり さん
哲学は
最終的に
仏教に達すると
シュタイナーが
どこかで言ってた。
だから哲学学ぶより
はじめから仏教を
体系的に学んでたほうが
早い。

あと、
科学も、最終的には
精神科学に達するから、
今のうちに
精神科学を学んでおけばよい。 (2019年04月04日 17時58分51秒)

一神教批判   もうり さん
多神教にしろ
一神教にしろ
どれも人間の
考えだした
量的概念に
沿った主義である時点で
どちらも神をくまなく
語り尽くす概念の器に
値しない。
一神教と多神教の
統合こそ、
真の神を示す器足り得るだろう。

だから、
ムスリムたちが
多神教を野蛮と
みなすならば、
私は一神教を
人間的ですねえと
批判しなければ
ならない。
つまり、そもそも
神は神的に理解すべきであり、
一神教も単に人間的な
理解であるに過ぎない、
という批判。 (2019年04月04日 18時17分20秒)

私の理解のペルソナ   もうり さん
私は、
理解に関しては
一種のペルソナを
使い分けられているな。
信じることもできるし
ある程度自分で考えることもできる。
自分で考えることと
信じることを
使い分けられる。

ここは
ペルソナを
使い分けてる感 (2019年04月04日 18時21分20秒)

動作学 初歩   もうり さん
誰もやらない
動作学を考えてみるに、
メインとサポートという
考え方、
そして作業の中心となる
「場」に、
それに関係する素材。

ひとまずここまでしか
わからない。 (2019年04月04日 19時45分15秒)

3つの自由   もうり さん
より自由な世界、
最高の人間の理念は
博愛、平等、自由と見る。
これは自分自身からの自由と
場の自由と個人の自由という
次元の違う3つの自由という
カテゴリーに過ぎない。
これを超える自由論は
ありそうもない。

なぜなら、
結局、自由論者は
個人の自由論者であって、
その他の自由を排除する
形で、相対的自由論者になる、
というのは
わかりきっているからだ。

若者は超越したがる。
しかし最高の教えは
既に古典の中に示されている、
あと哲学でやるべきことは
古典を現代風にアレンジする
ことくらいだというのが
私の立場だ。
まあヌーソロジーは
別としても。 (2019年04月04日 22時00分05秒)

動作学>プログラミング   もうり さん
私的な
価値観では
動作学>プログラミングだな。
むしろ自分の行為を
無駄なく効率的に
果たすための自分を
よりよく操縦するための
思考方法、原理がわかりさえすれば、
それは自分の思考が作ることを
超えて動くことになるって
ことだからね。
「霊が肉を掴む」という
価値があるかと。

だから、
割と動作性IQ高い人たちに
こそかえってやはり
憧れる。

そこで、
そもそもプログラミングよりも
動作学がわかりさえすれば
ハロワに溢れる
その他のありふれた仕事のほうが
面白そうってことに
なりそう。

なんで動作性の仕事、
すなわちブルーカラーが
ホワイトカラーより
価値低いとされてるのか。
ナンセンスだ。

むしろホワイトカラーの
人たちはブルーカラーを
ホワイトで貫くことから
逃避しているのかも
しれない。
そうすればスカイブルーカラーだ。

プログラミング教室終わったら、
なんかプログラミングそのものへの
執着も、まあこれで終わりでも
いいかなってなったんで。

しかし、
目の前に、
動作学の可能性が
眠っている。
これは
動作性IQの人たちにも
詳細に気づいてる人たちが
いるかもだが、
表には出てないな。
(2019年04月04日 22時28分00秒)

動作学=戦術論?   もうり さん
そして
既に動作学は
存在しているのかも
しれない。
「戦術論」として。
でも、
確かに、
私の望んでることって
要するに戦術なのではとも
思える。

では動作性IQが
低くて言語性IQが
高い人たちは
戦術論を学べって
ことになりそうだけど、
これも実践して
確かめてないと
わからない。

(2019年04月04日 22時40分49秒)

自分の古い理念   もうり さん
私の
古い理念として、
大学で
博く
学んだら
仕事を専門にするって
やつだが、
これ要するに
大学で博く学んだら
戦術学を専門にするって
ことなんだな。

やはり、
私の高校生からの、
軍事への傾向の直感は
間違いではなく、
最終的に、
武に至ってしまった。

まあ、
確かめないといけないし、
そもそも確かめられる
レベルにまで血肉化すんのも
難しいかもだが (2019年04月04日 23時03分09秒)

駒と理想   もうり さん
社会変革方法、
ですが、
理想社会の具体的ビジョンが
あっても、
現実という将棋を
知らないと動かし方すら
わからないわけであります。

将棋は、
勝つという抽象的な現実を
駒の性質と、その全体像を
通して実現していくプロセスだと
思います。 (2019年04月04日 23時28分38秒)

動作学=労働戦術学の基本原理   もうり さん
労働戦術学の
基本原理は
職場の具体的な全体像の
地図が頭にあることと、
労働の目的でしょうね。 (2019年04月04日 23時47分58秒)

動作性IQが低いことと地図   もうり さん
なんで
動作性IQが
低いのかの
根本理由が
わかったかもしれない。
地図が読めないのと
同じだな。

かつての
職場の社長に
言われた、
イーグルアイを持ての
具体的な意味もようやく
わかった。

つまり、
仕事を考える上で
職場を一挙に地図のように
把握せず、
目の前の現実を
一つ一つ思い浮かべる、
という非効率的考え方を
していたわけだ。
地図のように一挙に
職場を観ることをしなかったこと。
そもそも考え方自体が
非効率だった。 (2019年04月04日 23時58分48秒)

労働戦術学   もうり さん
労働戦術学、
イーグルアイと
先々のことを考えること、
これは職場の一目で
全てわかる具体的な
地図を脳内に描くことに
加え、さらに時間軸の
イメージをも加えることだな。
この抽象段階の盤上で
個々の労働の
戦術を練るのだが、
ある仕事に対して、
幾つかの異なる方法を
予め想像しておき、
その方法もひとまとめで
わかるようにしておきって
感じかもな。
時間軸含んだ
地図を
さらに特定の仕事に具体化すると、
その仕事の複数の方法で
構成された、さらなる地図が
生じ、さらに具体的になって
一つの戦術になるって
感じかな。 (2019年04月05日 06時25分20秒)

一つの具体的戦術について   もうり さん
一つの具体的戦術論は
コツを観察によって
把握して丁寧にやることと、
これから読む
戦術学本に書いてある、
勝利の原則を
当てはめるだけかもな。 (2019年04月05日 06時30分32秒)

ガリ勉を馬鹿にするな   もうり さん
やっぱり、
ガリ勉ぼっちを馬鹿にするな、
といいたいね。
私が低偏差値でも
ガリ勉ぼっちのプロセスを
辿ったからこそ、
このように
単なる仕事をも
一種の偉大なもの、
面白きものとしての
戦術に変容させることが
できたわけでしてね。

てか、
これまで読んだ
プロの成功したビジネスマンの
仕事論よりも
面白い仕事論を
書けたと自負してる。
なんでかって、
彼らには私の角度からの勉強の力が
足りなかったんだろうな。
彼らはリア充や高学歴であっても
(別に嫌いではないが)
私のようなガリ勉でもなく
想像者でもなかったのだろう。

で、このような
有益そうな情報をも
無償で提供するということ。
なんでも金にする世界なんて
つまんないし、
なんでも金として搾取しようとする
世界より、金は必要程度で、
その代わりに贈り物が
溢れる世界のほうが
余裕があるし、豊かなんじゃね?
とも思いますね。

私は平気で自分の武器を
渡してしまえる。
ニーチェ的には
これは強者の性質であるけど。

そして、
何気に動作性IQの
低い発達障害者の
救いになったりしたんじゃ
なかろうか? (2019年04月05日 06時43分34秒)

盤上において目的と手順を考える   もうり さん
そして、
また、
目的と手順や原因を
考えることも
つまり地図上、
労働時空モデル上、
労働盤上で
目的と手順、つまり
戦術を考えるってことなんだな。

このようにして、
これまで社長や上司にされてきた
助言が、一つの戦術学として
総合されていく
(2019年04月05日 06時50分58秒)

行為の階梯   もうり さん
行為の階梯
すなわち
戦略作戦戦術武術技術

私が
以前やってた
単純軽作業の
製造業でも、
自然科学と工学の
知識があれば
有利だったように、
戦術よりも、
さらに具体的な領域として
技術がある。

その人の見通せる技術を
持つことも重要であり、
戦術だけでは仕事は
完成しないとわかる。
労働戦術論=動作学は
汎用性があるだろうから、
別にプログラマーを
目指すことも諦めないことにした。

プログラマーの場合は
コンセプトの構造分析、
難しいのは
動きのあるコンセプトの
構造分析だな。
言葉からビジョン、
ビジョンを構造分析によって
設計図化して、プログラミング技術という駒で、そのように組む。

動きの素材は
代入、差異運動、同一運動

この認識の躍進が、
視界が開けてきたって
ことやろか? (2019年04月05日 07時39分21秒)

仕事はAi 後は宗教軍事施設に投入した   もうり さん
いいアイデア思いついたんですが
くだらない仕事は全て
人工知能に任せてしまい、
残りの人員は全て宗教軍事基地で
戦いの訓練させればいいのでは (2019年04月05日 10時45分10秒)

科学におけるロゴス的見方   もうり さん
科学における
ロゴス的見方って
要するに、
マクロとミクロの
考え方だな。
マクロとは、
客観的見方と通じ、
客観的見方とは、
全方位的で
立体的なモデルのような
見方である。

そうすると、
漸くここで、
物理学の
統計や確率を用いた
マクロ的方法と、
素粒子に還元する、
ミクロ的方法というこの
対照が、既に私にとっては
観念論の一種ということに
なったな。

自然科学を
諸法無我として
観念論的に観る方法もあるが
マクロとミクロという
観方も、観念論的方法だと
理解できたというわけだ。 (2019年04月05日 15時50分37秒)

自分の土俵にしてしまうこと   もうり さん
自分の土俵にしてしまえば
苦手なことも
ある程度処理できるのではと。

例えば言語性IQが
高くて動作性IQが
低い人は、
私が言ったような
戦術学を身につければ
いいのではと。
なぜならここでは
動作が言語化されているから。
自分の土俵にしてしまうわけです。

そして
このように
戦術学は動作学なのではと
思うんで、
言語性ばかりの
学校教育に、これを
加えて欲しい。
学校では
専門技術を習う必要は
ないと思う。
その代わり戦術学を
十分に教えて、
どんな仕事でもどう
するべきかわかるように
なったほうがいいのでは。

(2019年04月05日 16時09分11秒)

思いとうりにいかない人たちへ   もうり さん
思いとうりに
いかない人たちに
言いたいのですが、
その人生は
思いとうりにできないって
ことが、苦しいってことが
まさに四苦八苦の真理に
触れる人生だったと
思えばいいのかもしれない。

思いとうりにいかない、
できないって、
真理ぽくないですか?と
(2019年04月05日 18時54分28秒)

来世の推測   もうり さん
私の
来世の推測
中道の真理を
よく思考したことと
意志において
食べ過ぎて、
人の分まで
食べてしまうことがある
という悪業かあって
前者によって心の構成を
中道に近づけ、
後者によって、
死後に、
あまり食べないように
しようという意志衝動が
生じるだろうし、
体験、経験においては
芸術と自然、
両者から普遍性と
無常を体験することで、
心にそれが刻印され、
さらには、
よく食べたということから
来世においては、
あまり食べれないことで、
実際に空を感受する。

こうして
私は、来世において
食欲を克服できるに
違いない。 (2019年04月05日 19時03分03秒)

布施波羅蜜とキリスト教   もうり さん
キリスト教の
博愛って、
布施波羅蜜のことでは
ないでしょうか。
完全な恵みとは、
愛する人、
恵みを与える人に
区別なく、また見返りを求めず
円満に与えられる、
円満な心であるということ
ではないでしょうか。
(2019年04月05日 21時07分42秒)

経済社会を豊かにする   もうり さん
経済社会を
豊かにする方法を
考える。
宮台真司さんは
システムへの
過剰依存を批判する。
私から言わせれば
これは過剰な欲望の
持ち主のせいで
経済社会から爪弾きに
される人が出てくるって
ことではと思います。

システムへの過剰依存が
悪いというか、
システムの
内容が貧しいのが
悪いのではと言いたいのです。

それは経済社会においては
人間が中道を知らないのに
由来するかと (2019年04月05日 21時37分49秒)

「阿吽」の最澄の気持ち   もうり さん
おかざき真理の
漫画、「阿吽」の
最澄の気持ちが
わかった。
これはブッダとも
通じるけど、
世の中の苦しみや
罪業、例えば
ペット業界の闇などから
動物や人間を救うためには、
寸分を惜しんで
修行に励むという
意志を持つべきなんだろうと。

だから、
やっぱり信仰だけで
救われるとかいってる
宗教はダメだ。
それはもともと苦難の
中にある人たち弱者向けの
言葉だ。
だが教える立場にあるものが
これではいかん。

牧師や神父も
ブディストみたいに
修行に専念して欲しい。
それは決して
聖書に引きこもることでも
勉強だけを行うことでもない。

でも、我々みなが、
そのような偉大な意志を
持てるわけじゃないんだよな。

私もまたムーンノードに
出会わないと以前の
衝動は薄れてしまったよ。

世の罪業、苦しみを
観て人々、自然を救わなければ
生きている意味がない、
だから寸分を惜しまず
修行する、
そんな意志が持てたらいい。
自分が結婚して
幸せになってる場合じゃないんだよ、たぶん本物の求道者にとっては。


(2019年04月05日 22時42分36秒)

訂正。   もうり さん
布施波羅蜜の
話、
別に恵みを与えてくれない
人にでも差別なく
与えるっていいたかった。
日本語がおかしい、
今読むと (2019年04月06日 05時56分36秒)

一切如来智と人倫   もうり さん
胎蔵曼荼羅で
六波羅蜜の部分が
ヘーゲル的には
道徳だと思う。
これは個人的なもの。
しかし
蓮華部院のところは
ヘーゲル的には法だと思う。
そして一切如来智の部分は、
この法と道徳によって
形成された三角形を
成しており、
これが、
たぶん私的には人倫かな、と
思います。
これで、
ようやく、一切如来智の
部分の個性が明らかとなった。
単にその他のものの
組み合わせに過ぎないものでは
なかった。

つまり、
一切如来智の
三角形は
博愛、平等、自由を
示す、と。
六波羅蜜の部分が
平等であり
神の掟を守る部分が
博愛であり、
個々の頂点が自由である。
つまり、
個々の頂点は
それぞれ独立している。

私の法と道徳の
理解が間違ってないとしたら、
おそらくヘーゲルの
人倫とはこの三角形のことではと
予見できるのです。

それはキリスト教的には
神を愛し隣人を愛すること、となります。
言い換えるならば
愛しあい、隣人を愛すること、
です (2019年04月06日 06時28分57秒)

金剛部院と主観的精神   もうり さん
金剛部院は
主観的精神に
位置し、
道徳というよりは
道徳以前の
道徳理念かなと
思います。
言い換えるならば、
客観的精神に移行寸前の
主観的精神とは
八正道の知恵である。
八正道とは
何であるか。
これは、
絶対的精神ではなかろうか。
なぜなら
これ明らかに、
理論と実践、
思考と意志を統合した
教えに見えるからである。

これが実現されると
道徳となり、
そしてまた、
神の掟を守ると
これが法となる。
この3つが単なる組み合わせではなく上昇すると、
博愛、平等、自由といった、
正義となるのであります。

こう考えてみれば、
一切如来智で
描かれている
三角形も、
内部に頂点それぞれの
独立性を示すような
描写がある。
一切如来智は
広大無辺な知恵だと
ブディストが
認めるならば、
そこには三毒という
心理主義以上の
仏国土建国の理念としても
解釈できるのではと
一石を投じます。 (2019年04月06日 06時50分53秒)

混乱。   もうり さん
主観的精神に
見られる
絶対的精神とは、
真に関する理論だけでなく
行為(善)に関する理論をも
総合した意味での
理論的絶対的精神で、
これは金剛界曼荼羅かなと
思います。

となると、
客観的精神では
真なる理論も
煩悩を破壊する剣とされ
実践的なものと解釈しなおされる
と同時に、
自利も救いのためになる
ことをし諸々の利他行
実践という修行となる。
これは胎蔵曼荼羅であろう。
これは実践的絶対的精神。

そして、
金剛と胎蔵が
不二となった
境地が
絶対的精神の
本体。 (2019年04月06日 07時00分04秒)

少子高齢化解決策   もうり さん
少子高齢化解決策って、
このくらい、
進んできたなら
イスラムを倣った
妻四人までの
一夫多妻制を解禁すれば
いいかと思います。

人口が安定してきたら
キリスト教を倣って
一夫一妻に戻す。

(2019年04月06日 12時47分18秒)

八正道まとめ   もうり さん
私なりの
八正道とは、
リベラルアーツと
地理学や歴史学、
自然科学や社会科学といった
具体的学を学んでおくこと。
これにより、
何でも理解できることで
何でも始められるように
なること。
このリベラルアーツには
体育と宗教、哲学を含む。
そして社会理想をも
もっておくこと。
これにより、
正しい判断が可能となる。

客観的な包括的地図を
具体的学を参考にして描き
社会理想や目的に
沿ってかつ倫理、
あるいは必要悪を守りながら
戦術を果たすこと、
地図を念頭に起きながら
全人類を目的として
戦術を果たすこと。
これが正しい行為

そして、
物質生活は、
必要最低限に
留めて足るを知ること。
金も求めすぎず、
物も求め過ぎない、
家も大き過ぎない、
服がダメになっても
継ぎ接ぎにして
再利用すること。
物は大事に扱い、
再利用を考えて、
完全に消費するが、
無駄に買わないこと。
調理する際も、
食材を無駄に扱わないこと。
だが、
精神生活に関しては
努め励み求めること。
これが正しい生活。

正しい言葉は
明確に、
かつ理法に従い、
喜ばしく
ためになることを言うこと。
そして関心をもって
人の話を聞いたり、
学べることを聞き、
また何でも話せるように
ネタを集めること。
笑い話もできること。
できれば、
今思いついたことですが、
悲しい話とか
嬉しい話、
学問、芸術、社会みたいに、
ここでも
「話題」の全体像を
構築し、念頭に置くことが
大事かもしれない。

正しい行為、正しい生活、
正しい言葉の各々は、
目先の現実に相対しつつ、
念頭には全体像を対置しておくことが役立つかもしれない。

以上、
私の八正道は
さらに洗練されてきた。

(2019年04月06日 13時39分52秒)

教養の意味   もうり さん
教養の
目的は
何でも理解できる
ようにすること、
何でも始められるように
することだと思う。
で、これで他人とも
意志疎通がとれるように
なるはずである。

なぜなら、
教養とはいわば
受信機能の建設であり、
これがなければ
他人に教えてもらっても、
ピンとこないとか
素通りしてしまうことに
なろうからである。
だから、教養も「必要」だ。
教養があるからこそ、
様々な専門分野の人たちの
言葉を受信して協力可能と
なるのではと思うけど…
(2019年04月06日 16時17分04秒)

教育の目的   もうり さん
だから、
やはり
シュタイナー教育は
先進的だな。
これは教育芸術という
方法を採用し、
子どもに美的感受性を
育てるものだ。
教養というのも、
要は様々な分野に
関して受信機能(心のフック)
の建設の基礎を作ることである
から、それは言い換えると
学問やこの宇宙全体への
感受性である、と。

だから、
おそらく、
教養には2つの方法があって、
記憶型教養と
感受性型教養とである。

で、
後者のほうが
本質ではないかな。

なぜなら、
私はもう学校で
習ったことなんて
だいたい忘れてしまったからだ。
でも感受性は残るわけだし、
しかも、そもそも感受性が
あるからこそ印象に残り、
記憶力にもなるのではと
考えると、
やはり感受性型教養、
シュタイナー教育は
先進的だな。

科学的な灰色の
教え方ではいかんな (2019年04月06日 16時25分50秒)

感受性   もうり さん
世界に
対する感受性があることが
教養の根本で、
何もかも知る必要はなく
深く知ってる人から
教えてもらって
協力プレイしたほうが
効率がいいのは確かだが、
しかし、
その前提として
その分野の感受性が
必要である、と。

これで、
私も全てを学ばないと
いけないという呪縛から
解放された。

私は、
戦術学を
学び終わって、
再び就職したら、
地理学と歴史と数学を
再び学ぼうかと
思うが、
それは感受性を身につけるため、
という目的がはっきりした。
だから記憶する必要もない。 (2019年04月06日 16時52分52秒)

教養の終わり   もうり さん
すみません、
やっぱり私の
教養学習は
戦術学で
終わりにしときます。

あと詩編届いた。 (2019年04月06日 18時05分06秒)

金剛力菩薩   もうり さん
私が
観た金剛界曼荼羅が
胎蔵曼荼羅という
実践領域に
生かされると、
それは無明を照らす
金剛力菩薩ではないかと
思います。
これは灯火、光であり、
無明という闇を貫く
武器である。

私の金剛界曼荼羅は
金剛力菩薩ではないかと
思います。
それは、方向性を
示します。

でもって
慈悲とは抜苦与楽であり、
苦しみを抜き取り、
楽を与える、という
回転があります。
他人の苦しみを
引き受け、
さらに楽を与え
喜ばせるのです。

慈悲は熱であり、
平等性智の部分が
力だろう。
慈悲は紐です。
紐とは人々の心を
つなぐものであり
絆であり、言い換えると
和するための複数の
心を束ねて貫く剣です。

愛しあうという、
神の掟もそういうことでしょう。

私はもうそろそろ
勉強ばっかしてないで
与える側になりたい。
でも仕事のために
勉強しないといかん。


(2019年04月06日 18時20分39秒)

かわいそうランキングという考え方について   もうり さん
かわいそうランキング、
という考え方について。
かわいそうランキングは
個人的なものだったら
身体は一つしかないから
そうなってしまうのも
仕方のないように
思えるけれども
国家などの巨人は
身体が幾つもある、
遍在者的側面があり、
つまり、一度に多くのことが
できるはずなんで、
たとえかわいそうランキングが
あったとしても、
ある段階の順位に
あてはまる存在の範囲は
広いのでは。
それに、
我々は身体という空間的側面
だけでなく、時間的側面もあることを留意せよ。

というか、
かわいそうランキングって
あんまり思考内容にしたくない
言葉だね。 (2019年04月06日 21時03分52秒)

立命的四苦八苦の克服   もうり さん
我々は
カルマに晒される
だけではなく
今からカルマ、
運命を作っていくという、
立命ができる。
この方法を応用することで、
四苦八苦を克服できる。
なぜなら避けられない
不条理、不幸というものが
運命のように必然的で
あるならば、
同時に今の生き方によって
必然的に不条理をなくして
いけるはずだからである。

生老病死に関して言えば
八正道の生き方、
中道の生き方を実践するとよい。
生まれる苦しみは解脱すれば
よいから八正道であり、
老に関しては
八正道は仙術的側面もあるので
長生きできるし、
病に関しては
医術は仁術とこのブログでも
紹介しているので、
八正道だし、死も
八正道の結果としてマナスが
生じることで、超感覚的認識に
目覚めれば、彼岸は存在すると
確信し、死の恐怖から逃れられる。

そしてここからが
カルマの応用だが
愛する人と別れる苦しみは
自分の個性を出して
その個性で人々を愛し続けて
その個性を生かすことで、
あなたの個性を愛するひとたちが
集まってきて、また愛すべき
人たちができるのではと思われる。

そして、憎む人、嫌いな人に
会う苦しみは、憎いからといって
その人に不正をなしてはならない、
いじめてはならないと意識して
その人をも普通に接すること、
できれば愛してしまうことで、
悪業がさらに重なるのを断ち、
さらには功徳を積む。

欲しい物が手に入らないこと
についても、人にして欲しいことを
人にもやる、人に贈与する、
これを続けて善業を積むことで、
やがて私にも物がやってくる。

そんで肉体と精神が
思いとうりにいかない
苦しみは、人智学や仏道の
修行を修めて霊的進化を
目指せばいい。

このようにして、
つまり、
八正道と博愛によって
完全な心と完全な行いによって
不条理を入ってこれなくすれば
あなたは不幸から脱するというのが
私の意見です
(2019年04月07日 00時03分21秒)

努めていること   もうり さん
最近、
何度も繰り返し、
詩編やシュタイナー心経を
読みまくる黙読の修行を
している。
三時間くらい
連続でやってるんじゃないかな。
普段の瞑想、運動に加えて。

そしたら、
頭にも味覚器官があるのか
頭が甘い汁を味わっているような
感覚になる。

これまでのプロセスで、
衝動の代わりに勉強が
習慣になって、
勉強の望みは果たされ
今度は勉強ではなく
瞑想と利他(労働含む)を
やるべき段階に来たと
感じている。

(2019年04月07日 13時27分22秒)

人生の果実   もうり さん
博学、教養という
広く学ぶ、
条件文的学びから、
同じ言葉を
繰り返し何度も黙読するという、
繰り返し文的瞑想の段階。

シュタイナー心経では、
水色のページの部分を
何度も読みまくる、をやる。

詩編、購入して成功だった。

さて、
今日の言葉のプレゼントは
次の文章。

人生の果実とは
その人生が分厚い本だとしたら、
それを全て一ページに凝縮させた
ようなものだ。 (2019年04月07日 14時47分18秒)

行為を愛するために   もうり さん
行為を
愛せるように
来世でなるために
今の人生で
できることとは
胆汁質に来世で
なるような努力でしょうね。

多くを学び、
多くの物事に出会い、
それらに熱心に関わって
生きていけばよいようです (2019年04月07日 16時27分20秒)

脳汁分泌の継続   もうり さん
脳汁分泌、
二時間くらい
続いてる。

意識が
真に高くないから
ぶっ通しで
黙読瞑想できない。

まあ再びやるか。
詩編を読んでも
シュタイナー心経を
読んでも脳汁が出てくれる。

(2019年04月07日 19時11分25秒)

庶民の正しさ   もうり さん
そう、つまり、
物質的なこと、経済に
関しては庶民派が
正しく、
精神的なことに関しては
お金をかけるのが
正しいのだと。
まあ学問にも、
専門用語に固執した
ブルジョア学問と
市民的学問があるようだが。

一食に
一万円以上かける
金持ちたち、
俗物の極みだね。
このような
俗物たちは
実は精神的には
名誉に値しない、
貴族に値しない、と
思う。
このような俗物は、
富が増えても
精神的には庶民のままな
人間たちなんだと思います。
つまり自分と不釣り合いな富を持った人たち。

そんな金が
あったら
自分だったら
庶民的な値段に
抑えて
子ども食堂とかに
少しでも投資するかもね。

そう、
どうしても
物質的なことに
関してお金を
かけたいなら、
それは貧しいもののために
使うってのが
全人類的な視野に立った、
真の貴族的行為ではないかなと。

精神が本当に
貴族的な人間の
金持ちが
やるべきことには
たぶん二種あって、
一つは文化への投資、
一つは経済社会への投資、
貧しいものへの寄付、だろう。 (2019年04月08日 07時27分31秒)

ブルジョアは「貴族」ではない   もうり さん
ブルジョアって
「貴族」ではないと
思います。
貴族だったら
食べ物なんかに
金かけないで
書物を読むことで
アムリタを飲もうとするだろう。

アムリタこそ、
俗物には味わえない
貴族の嗜み。 (2019年04月08日 07時40分47秒)

精神に釣り合った贅沢   もうり さん
自分の
精神性に
釣り合った贅沢なら
いいと思ってはいるけど、
同時に精神性が
高ければ
まず自分の贅沢よりも
貧乏人に富をわけるだろう。

精神性に釣り合った富とは
例えば、
マナスの覚醒に
至った人は
黄金のオーラを
持つので
王冠を被るに相応しいだろう。
そのマナスの覚醒に
至った人は
真理を見破り
煩悩を破壊できるので、
帯剣も相応しい。

そして、
この人は、
マナスという最高の
神のパンを食べたので、
このような人こそ、
そもそも贅沢な食事に
相応しい。
つまり、
贅沢の意味とは
精神性の高い人に
与えるためにある。
その他の人の贅沢とは、
贅沢な文化を維持するためだな。 (2019年04月08日 08時06分01秒)

計算哲学   もうり さん
計算哲学
四則演算の哲学
足し算とは正に数えること。
引き算とは負に数えること。
かけ算とは、一挙に足し算すること。
割引とは一挙に引き算すること。

そのイメージとしては
足し算引き算とは
一次元的数え方、
線形的数え方であり、
かけ算わり算とは
二次元的数え方である。
例えばかけ算は、
横と縦をかける。
2かける4は8であるが
これは横の長さを
縦の長さぶんだけ
数えるものとして、
多数の数を
ひとまとめに数えている。

例えばわり算、
100わる2、
としてみると、
これは百から
一挙に半分を取り去る、
広域の引き算である。

つまり、
普遍的足し算がかけ算であり、
個的かけ算が足し算。
普遍的引き算がわり算であり
個的わり算が引き算。

このようにして、
四則演算が
集合論の一種とされてしまった。

(2019年04月08日 08時57分34秒)

想像力とは何か   もうり さん
想像力とは
何であるか。

それは記憶力と
計算力を組み合わせた
能力ではあるまいか。

(2019年04月08日 09時03分52秒)

単なる運動より神経によい運動   もうり さん
単なる運動より
神経によい運動わかったっぽい。

単なる運動は
筋トレをイメージしているが
神経によい運動とは
私は気功だと思っている。
気功は肉体的な禅定だと思います。
つまり、気功とは肉体次元の
統一、肉体次元の心経、
すなわち気経である。

仏教が心経ならば
仙術等の道教は気経であろう。

なんでこう思うのかと
言えば気功のゆったりとした
細やかな動きが
大衆音楽に対するクラシック、
剛に対する柔、
ラノベに対する文学を
想起させるとともに、
心経や主の祈り瞑想が
心の種々の部分をつなぐ
意図があるように、
この気功にも手で全身を
包むような上から下へと
繋ぐような動きがあり、
これが肉体の統一を
意図した動きではないかと
直観するからである。

従って合気道よりも普遍的な
身体性は気功だと思われる。
気功とは自分の肉体そのものの
統一であり、合気道や武道とは
さらに他者との統一を狙った
動きではないかなと思います。

なので、
単なる筋トレよりは
気功のほうが
神経によさそうだし、
武人は、
自分に対する動きとしての
気功と
他者に対する動きとしての
武道、両方を修めると
バランスがよいが、
さらに武人は、
瞑想によって心の統一も
目指すべきであろう。

しかし、
あれもこれもとは
やってられないんで、
内から自分自身から
始めようとすれば
私の状況だと、
合気道は時期尚早であり、
既に家にある気功動画を
やることにしよう。

てか、
たぶん、
気功を十分にやっていけば、
運動神経が来世で細やかに
統一されて、
来世においてどんな運動も
得意な人間になれそう。
今は運動神経よくないんで
やっぱり気功がまず先か

密教の修行たる、
瞑想と利他、
この両者も
自分自身と他者性であるが
これはどちらかというと、
やはり「心の統一」が主眼とされていて、直接肉体的な修行は
(気功やヨガ)と武道だと思います。
そんで、
肉体的修行が仙道で
心的修行が仏教だとして、
両者をつなぐ修行が
ヨガではないかなと思います。 (2019年04月08日 12時14分02秒)

3つの修行   もうり さん
つまり、
私の修行は
3つ。
心の瞑想(頭脳)
利他(心臓、胸)
体の瞑想(手足)

(2019年04月08日 13時17分27秒)

過疎と過密   もうり さん
地理学では
よく都会の過密と
田舎の過疎と
言われる。

たぶん、
民の幸せを
目的にしてたら
過疎と過密のバランスを
とった、
都会でもなく田舎でもない
真の都市を作ろうと
計画するんだろうけど。

なんでか、
合理的思考の
パラメーターに
人口が入ってない?

過密の
ギチギチが
むしろ人の心を
つなげるどころか
反発、反作用を生じさせ、
心に余裕のない人が
出てくるのではと
思ったり (2019年04月08日 13時53分05秒)

価値転換 真面目さは非絶対的   もうり さん
ようやく、
さらなる
価値転換が
生じた。

真面目とは
絶対的な
価値じゃない。

不真面目さ、
不良的、
ヤンキー的な要素も
やっぱり必要だと思います。

これでようやく、
ヤンキー的な人のための
社会をも考えられる
前提となる心の種が
できたぽいな。

じゃあ、
真面目さと
ヤンキーの
中間とは
何か。
「世渡り上手かつ
義務を果たせる人間」かも
しれん。
言い換えると、
宮台先生の、
「まともな人間」だろう。
(2019年04月08日 14時14分31秒)

私の思考遍歴   もうり さん
私が
他のこのブログで
千近くコメントを
書いても閲覧総数が
そうならないのを
見ると、
どうやら閲覧総数とは
ユニークユーザー数なんだろうな。

そして私のコメントで
たぶん一番人気なのが、
この八正道だけど、
注意しておくと、
私はいきなり実践的なことを
考えられるようになったわけじゃなくて、自然哲学詩的考察とか
原理を積み重ねていった結果、
ようやくこの程度の具体性に
達することができたんですよね。

例えばはじめは
光とは普遍であり
色彩は個別、
みたいにして、
あるいはフスマのロゴス性など、
小さいこともたくさん
思考を積み重ねていった
結果、今があると思っています。
私は自然界を霊的に観察してきました。

明後日は、
パソコンの環境を
整えて、phpをいじれるように
します。
そうなったら、
ようやくプログラミングの
技術書に取り組める。

私は結局、
足りないのは
戦術と技術だけで、
身体性は気功を
やればいいだけになった。

ちなみに、
就活廃止したい学生がいて、
その学生たちに就職決まってないって揶揄する人たちも
いるけど、
私は就活を無視して
やりたい勉強を続けても、
就職はできましたが、
まあ、金持ちには
なれませんでしたね。
その代わりに時間裕福者に
なりましたけど。

(2019年04月08日 15時40分55秒)

時間裕福者を超えて、永遠保持者になる   もうり さん
時間裕福者を
超えて永遠保持者に
なればいい。
天の富を積むとか、
霊的修行とか、
金剛界曼荼羅会得とか
つまり、霊性、精神性を
身につけ、そのように
生きたなら、
その人は時間すら突破した
存在だろう。 (2019年04月08日 15時46分06秒)

優しい言葉主義対厳しい言葉主義   もうり さん
優しい言葉主義と
厳しい言葉主義の
対立、ですが、
これは別に拘らずに、
常に理法に適った言葉を
語るだけでいいかと
思いますよ。
優しい言葉よりも
厳しい言葉よりも、
そもそも重視すべきことは
理法に適っているかどうか。
(2019年04月08日 15時54分34秒)

マルクスとヘーゲルの統合   もうり さん
マルクスと
ヘーゲルを
統合した、
唯物的弁証法と
観念的弁証法を
統合した、
心身一体的弁証法を
生み出して、
新しい哲学を描けないだろうか?

そのために、
マルクスの
唯物的弁証法を
学ぶ必要が出てきたけど、
もはやみなさんに任せるかも。
特に哲学者の方は
両方ご存知でしょうから、
両方の観点から
宇宙生成を語れないか
試してみてください。

ヘーゲルに
偏っていたが
マルクスも
ヘーゲルの方法自体に
対するアンチテーゼを
行ったと考えるならば
ジンテーゼとして
弁証法を弁証法しなくては
なるまい。

しまった!
自分の今までの
方法は、
観念的弁証法という、
方法自体の偏りに
過ぎなかった!

そして方法自体の
突破はマルクスが
既にやっていて、
次はこの2つの方法自体を
統合すればいいってわけだ。

なんて発想能力であろうか!
(自画自賛)

これができたら、
マルクスを超えていける
可能性があります。

でも、
そのための条件として、
現代哲学者自身が、
観念論を受け入れられるかどうかに
かかっているでしょう。

この世界の根本とは
精神や霊であって、
物ではないが、
物の観点もあると思えることが
絶対的弁証法を生み出すに
相応しい人だろう。 (2019年04月08日 17時22分59秒)

スターリンの著書   もうり さん
そんで、
やはり自分で
スターリンの
唯物論的弁証法の本を
購入しちゃいました。

家族に怒られる~(笑

イメージとしては
普遍的弁証法としての
ヘーゲル弁証法と
個別的具体的弁証法としての
マルクス弁証法の
統合って
感じかな、たぶん。 (2019年04月08日 17時34分22秒)

カルマを信じること   もうり さん
カルマを
信じられる。

思うに、
資本家が
マルクスの
弁証法を知って、
その道を回避しようと
労働者を生かさず殺さず
搾取し続けたとしても、
搾取しているという大罪を
重ね続けていくわけだから、
いずれ彼らのどんな
回避策でさえも防ぎきれない
事態に達するであろう。
なぜなら物質的な完全は
ありえんと思うから。
それはあたかも、
どんな武士にも、
負ける可能性自体は
存するようなものであり、
このまま資本家が罪の負債を
ためつづけていれば、
自ずと彼らのあらゆる
防護可能性を超越した
労働者階級による
反逆、あるいは
超自然的な反逆がありうるだろうこと。
(2019年04月08日 18時42分33秒)

テロと暴力革命を無くす方法   もうり さん
テロと
暴力革命を
なくす方法は、
国家が自省し、
自らを正当に罪と
定める国家に対する
裁判所が機能してる
場合のみではないだろうか。
そうしないと、
権力によって
法を超越する権力者の罪には、
法外の、無法な、
テロリズムや暴力革命こそが
正しい裁き方になるのでは。

なぜなら、
刑法が
目には目をといった
原則に従うのだとしたら、
同様に「無法には無法」を、
が正しい裁きになるからである。

なので、
これがカルマだとしたら、
法を超えたつもりでいる
資本家や権力者たちは
同様に無法者や法外的方法によって
裁きにあう形でバランスが
とられるだろうし、
だからこそ、
まさに、
黙示録のあの裁きは
正しいのだと言えるわけだ。
アメリカへのムスリムによる
テロって
確かに国家自体を
罪に定めるものが
どこにもいない状況では
ああやるのが妥当になるわけだろう。なぜなら国家自体は
法を超えていると勘違いしてるのではと思えるからである。

社会維持のためには
目には目をの
刑法もやむなしな側面があるのが
現実なのであるから
黙示録で裁きにあう
都市なども、無法的、
あるいは超法的方法による
裁きが妥当になるし、
むしろ、彼らはそれほど
罪深いってわけだろう。

なんというか、
罪の積み重ねをほおっておけば
本当に酷いカルマ、
酷い運命が待っている、
ってことだし、
凄いことには
黙示録の裁きが妥当だと
優しい天使が告げるほど、
権力者たち、王たちの
罪は「本当に確かに重い」
わけであるな。
(2019年04月08日 19時01分11秒)

法外であるべき場合   もうり さん
法外であるべき
場合とは、
徳ゆえに徳を超える、
愛ゆえに法を超えるような
場合のみだろう

しかし、
悪故の法外にあるものを
裁くには、
法外的措置で
裁くのが正義となってしまう。
法の中に国民同様にいないものに
法的措置で保護するのは
正当な裁きではないと思うのだが。

だから、
歴史も、
悲惨な歴史が
あるが、その中には
国家や権力者という大きなもの
に対する裁きとしては
正しいものもあるのでは
ないだろうか?
(2019年04月08日 19時08分29秒)

悪故の法外とは何か   もうり さん
悪故の
法外とは、
罪を犯しても
刑法で裁かれない
ものたちのことで、
刑法で裁かれるなら
その悪人も法に従って
裁かれる点で法によって
保護されるべき点もあるのではと
思う。

そして、
悪故の法外にあって、
罰を逃れ続ければ
続けるほど、
負債はたまり、
その負債が、
自分のあらゆる防護を
超えるほどにまで
なったら、いくら
生かさず殺さずを続けてたとしても
革命みたいなことが
起こりうるのではと
思うし、
法外にある権力者という
悪人にはむしろこれが
正しい裁きだと (2019年04月08日 19時14分03秒)

戦争をなくす方法   もうり さん
だから、
戦争をなくす
方法もわかってきますね。
これも、
国家自らを裁く
対国家裁判所、
対権力者、資本家裁判所が
設立されたならば、
戦争を起こすまでもなく
法に従って処理されるのではと。

たぶんこうしたら、
全ては法内に
収まるので、
戦争もなくなるのではと
予感するけど
(2019年04月08日 19時22分47秒)

戦争をなくす原理の平等   もうり さん
結局、
他人を支配しない
平等原則が
全国家の平等という
精神にまで達した時、
またこれにより
国家自体を裁く裁判所が
設立され、
全ての国家の法の下の平等が
達成されたとき、
戦争はなくなる、
起きにくくなると思います。

結局、
いじめも、
差別も
対等でないことから
生じるなら、
同様に国家においては
国家間で対等、平等でないことが
戦争の元ではないかと。
(2019年04月08日 19時29分43秒)

超巨大理念   もうり さん
全国家の平等とは、
これまたなんと
巨大な理念であることか。
「地球王」の理念では
政治理念がもはや
自然科学的規模を持ち始めた。 (2019年04月08日 19時39分24秒)

成功の方法   もうり さん
偶然を動かす方法ってのは
あって、
要するにカルマの
善因善果。
だから、
私がここで
アイデアを無償提供し続ける
ことにも意味はあるだろうと
信じられる。

実力だけでなく
運命を作ればいいわけだ。
実力を作り、
運を作って、
後は目の前に
運ばれてきた偶然の
チャンスをつかみ取れば
成功するんじゃないかな。

成功とは功が成る、
と書き、自らを完成せしめ、
かつ運命を完成せしめたとき、
成功すると考えなおす。
自分を完成させるだけでなく
カルマを完成させる必要があると。

ちなみに、
煩悩ってのも
贅沢と同じで、
悟りを開くほどの
仏性が発揮されておれば、
むしろその煩悩は相応しいものとなるのではと思います。 (2019年04月08日 20時37分45秒)

効率と算数の哲学と戦術   もうり さん
算数の哲学は
そのまま効率の話に
なります。
足し算よりかけ算、
引き算よりわり算、
小さいコップで
掬うより、
大きなコップで
掬うほうが効率がいい。

あるいは、
一つの分析された
仕事単位の生産に集中、
つまり一つ一つの仕事を
まとめてやったほうが
効率がいい。

さらに、
ここから、
ではどうしたら
もっと具体的に効率を
考えていけるか、だが
それは活動を含む仕事要素を
分析して、それを
いかに組み合わせて、
仕事要素の組み合わせを
どんな形態にし、
どんな状況で使うかという、
戦術論における、
兵士の面的展開と線的展開では
前者は攻撃力が高く、
後者は速度が速いみたいな
戦術の本質イメージの
労働への転用みたいな
話になってきました。 (2019年04月08日 22時12分49秒)

軍事戦術と労働戦術の違い 動作学   もうり さん
軍事戦術では
兵士が複数人いて
その組み合わせ形態が
だいたい考えられている
イメージであるが、
労働戦術の場合、
無論、一人の場合の
手だて、組み合わせの形態を
考えていかないといけないだろう。
仕事活動を組み合わせて、
それが将棋の参考書にのっている
様々な駒の組み合わせとその形態みたいなのと本質的には
同様だが、駒が私一つしかない
場合の、戦術的に意味のある
形態を認識できねばならない。

つまり、
効率を考える上で
私に欠けている感受性とは
諸活動を一連の塊だと
感じる感性だろう。
あるいは直観。
これは食べるとか
寝るとか、一つ一つの
活動ではなくその組み合わせを
塊と感じる感受性、
あるいは認識である。

意味のある塊として
記憶しておくことで
後は自在に引き出せるように
なっていくはずである。

これが、動作学=戦術学だ! (2019年04月08日 22時26分59秒)

動作学とは何であるか   もうり さん
動作学とは
何であるか。
それは一連の
活動の組み合わせに
意味を読み取り、
技名を名付けることである。
(2019年04月08日 22時35分01秒)

IQテスト   もうり さん
手軽にできる
ネットのIQテスト
やってみたんですが、
132でした。
上位2パーセントだそうです。

でも数学できないし、
IQで誇るよりも
動作学等、考察を
深め続けていくことを誇りたい。

IQで満足して
クイズだけやってたら
意味ないでしょ?
さすがにそんな人はいないだろうが。 (2019年04月08日 23時06分21秒)

IQテスト MEMORADO   もうり さん
ちなみに
私がやった
クイックIQテストは
MEMORADOって奴です。

最近はやりの
性格テストも
やってみたけど
論理学者タイプaでした。

(2019年04月08日 23時09分21秒)

親子関係と平等原理の統一   もうり さん
親子関係と
平等原理の
統一もある。

それは
まさに子育てそれ自体が
子どもを大人にして、
大人としてやがて
対等にしてあげようという、
予期的平等原理だろう。

このように、
親子関係とは
平等ではないというよりも
公正という意味で
「ある種の平等な関係」が
正しいのではないかと
思える。

つまり、抽象的には
強者が弱者を
より強者にしようってのは
妥当だということ。

強者が弱者から搾取しようって
のがいかんのだ。

(2019年04月09日 00時31分03秒)

象について一言   もうり さん
象について
一言。

脚が生々しい
(象の衣を被った
人の脚みたい) (2019年04月09日 00時49分10秒)

さらなる動作学   もうり さん
さらなる動作学。
現場の
様々な要素を掌握した
地図を頭に入れつつ
目的をもっていて
技名を名付けた
一連の戦術的に意味のある
動作の塊を幾つか頭の
中に用意しておいて、
地図の上で目的に
沿って要素を道具にして
技名を組み合わせていくこと、
これが動作学…!!

これができると
立派というか、何より
楽しそうだよね。

軍事戦術という
格好いいものを
あらゆる日常に適用でき、
目的を倫理にしてしまえば
これは戦術ではなく、
「愛の技術」となろう。 (2019年04月09日 00時56分38秒)

動作学に弁証法を生かすこと   もうり さん
ヘーゲル弁証法は
コンセプトを
生み出せる。
ならば
具体的な地上に
降り立った
唯物論的弁証法は
おそらく
動作学に役立つはずである。

戦術論の本と
唯物論的弁証法を
さらに結合してしまうこと。

もしくは
アリストテレスの
「自然学」の
運動学の部分が
役立つであろうか?
(2019年04月09日 01時12分49秒)

戦術論、唯物論的弁証法、条件文、繰り返し文   もうり さん
いろいろと
繋がってきた
感ありますけど
軍事戦術論、
動作学、
唯物論的弁証法、
プログラミングの
条件文と繰り返し文、
アリストテレスの
運動学、
これら全部を
合体できそう (2019年04月09日 01時27分23秒)

アリストテレスは読まず   もうり さん
まあ
アリストテレスは
読みません…



(2019年04月09日 01時33分24秒)

ついにここまで来た   もうり さん
ついにここまで
来た感ありますね。
ここまで動作学など
具体的なことを
考えられるようになったのは
以前の抽象的な自分の
おかげなんだけど、
今から例えばいろいろの
仕組みなど、動作学に
役立ちそうな諸々の技術を
覚えていくことは
もう無理だろう。

できれば、
「一般動作学」として
戦術論や唯物論的弁証法から
労働戦術の一般的原則を
生み出せたらよいかと
思うけど。

ただし、
軍事戦術論はだいたい、
複数人の組み合わせだからなあ。

だから
個人戦術論を
考える上では、武道が役立ち
ジークンドーの
「攻撃と防御の統一」という
観点を転用できないかの考察も
参考になりそう。
そうすると、
早速、ヒントが浮上してきて、
様々な具体的場面における、
具体的なテーゼ、アンチテーゼ、
ジンテーゼを掌握できれば、
哲学がジークンドーとして
応用できたように、
一般的動作学も成り立つのでは
ないだろうか?と
だから、
やはり戦術学に
加えて唯物論的弁証法を
参考にしてみよう。


(2019年04月09日 01時54分25秒)

一般動作学   もうり さん
一般動作学、
単純軽作業の
工場労働を
背景にしているが
目的を考えて、
その目的のビジョンを
考えて、
そのビジョンの構造を
考えて、狙った構造になるように
素材を埋め込むって感じだな。

例えば、
水を入れるとしよう。
この目的を
ビジョンにすると
水が流れていて、
そこにコップがある
イメージ。
だから、水とコップと
手が必要。
最終目的は水なんで
まずコップを手でもつことで
構造の部分が埋められ、
水を入れることで全構造が
埋まる。

目的を考えろ、
手段を考えろとも
よく言われていたが
これって
地図という全体性に
加えて、
目的自体もそこから、
プログラミングのように
設計図的構造(全体性)
を読み取って、
でもって手順に関しては
どんな製造物にも
組み立て手順があるような
感じで、設計図と
最終目的さえ理解しておけば、
手順も自ずとわかってくるだろうと
思います。

そうか、
依頼人の言葉を
ビジョンにして構造化するという、
プログラミングの方法って
別にその他のもっと一般的な、
目的を手段が達成するという
文脈でも使えるわけだな。
かなり具体性に近づいてきたぞ。
(2019年04月09日 02時20分56秒)

意味のある戦術=目標   もうり さん
意味のある
一連の活動の
塊とは、
時間的に結果の
出るまで遠い労働の
場合は、
その目的を
幾つかの目標に分けて、
この目標のそれぞれを
設計図化、構造化したものを
考えること。
あとはこの目標を
達成したら次の目標
構築に向かっていけば
目的が果たせるようにすること。

そして、
この具体的な構造のある
形態をもった「目標」
こそが、まさに戦術的に
意味のある活動の塊であろう。

あとは、
目的から目標までの
流れで、目標をどう
構造化するかとか、
次の段階で条件分岐するとか
だろう。

今まで、
目的とか目標とか
言われても
言葉としてしか
把握してこなかったから
動作性IQの低さに
一役買っていたのかもしれない。 (2019年04月09日 02時38分48秒)

wikiのアリストテレス自然学   もうり さん
そうすると、
やはり
アリストテレスの
自然学に
至るわけであります。

ウィキペディアを
読めばわかるが、
そこの運動に関する箇所で、
一緒に、離れて、接触して、
中間の、継続的、連続的等々と
あるけれども、
これが一連の動作の
目標とすべき部分だろう。
このような構造的場面を
目標にすればいいと。

ちなみに、
これは
ヘーゲルの目的と手段の
話でもありますね。
機械論から化学、そして目的論へと
至る流れです。 (2019年04月09日 02時59分48秒)

公正世界仮説批判について   もうり さん
公正世界仮説批判
あるけど、
大抵、
わかってない人の
考え方までも
公正世界仮説だという
ことにして、
空海という、あらゆる
現代日本人を
今も超越する人でさえ
信じたカルマ等さえも
公正世界仮説だとかいう、
「科学的」表現で
全て説明した気になっているが
そこにあるのは
単にまともな内容と
誤った内容、誤った理解との
「混同」である。
だから「公正世界仮説」
という言葉は実は科学的ではない。
分別がないんで。

カルマを信じることが
できないのは、
既に空海が凡夫だと
言ってます。

不思議な話、
私はIQが上位二パーセントでも
信じることができる。
思うに、
トマスアクィナスだって
驚異的IQの持ち主ではと。 (2019年04月09日 07時28分22秒)

修行方針の変更   もうり さん
頭脳瞑想、
利他(活動)
肉体瞑想の
3つの修行ですが、
頭脳瞑想の
ほうは既に
曼荼羅を観るという
結果が出たんで、
これはシュタイナー心経は
水色の部分だけ読み、
詩編は一つずつ読み、
主の祈りも、1日一回だけに
しておいて、時間を短縮し
あとは生活等利他活動と
肉体瞑想に時間をかけます。

まあ、
戦術の本と
唯物論的弁証法の
本を読んでからなのと、
利他活動(労働)のためにも
プログラミングの本を
読まないといけないのだけれど (2019年04月09日 10時55分00秒)

3つの楽しみ   もうり さん
霊的書物の黙読から
アムリタを飲むという
楽しみがあるように
気功にも
運動神経が
「心地よい緊張」を
する楽しみがあるのが
わかっている。
これは腕ふり体操をしたら
よくそうなる。
指先がなんだかビンビン
感じる現象がある。

だから
利他活動や
労働からも
楽しみを感じとれないかと
思うのだが、
経験では
任せとけって
気分になったら
心臓が躍動して心地よかった。
しかし、めったに
こうはならない。
だから、
利他を楽しめない。

気功体操と
アムリタは
必ず飲めるのに。 (2019年04月09日 11時29分23秒)

ロゴスが具体的世界を貫くこと   もうり さん
ロゴスが
具体的世界を
貫くこと。
軍事戦術、
これは地図上での
敵勢力と味方勢力との
関係性や構造という全体性だと
言える。
武道の場合、
私と他者と
その関係性という
全体性というロゴスであり
私一人だけの活動の場合、
例えば調理する際には
台所と私との関係性と
構造など、
要は「集合体」として
目標を認識するとは、
そのまま具体的なロゴスを
認識することだ。

集合体を目標として、
その集合体を構築するように
動くわけだ

そして、
集合体とは、
そのまま、物質も
共同体も集合体、
つまりロゴスだということになる。

ということは、
結局、観念論が
机上の空論なんてのは
全くの嘘であるってことだな。
深みを知らないから
そんな判断をする。
原理を知ってもその原理の
深みを知らないからだ。
(2019年04月09日 12時53分14秒)

具体的な社会の考察   もうり さん
具体的な
世界である
社会の考察に
関しては
十分に考えられる
勉強歴、経験歴が
ないっぽいな、
私。

社会は、
本当に多角的に
具体的にかつ全面的に
考えられるという、
「方法」だけでは
片手落ちで、
事実を「深く」知る必要が
あると予感する。

だから、
大人としては
一番事実に
深入りしやすい
社会問題の
解決のための
勉強も必要かもね。

利他活動、
単なる労働だけではなく
偉業を成し遂げるには
どうするかって課題が
あったけど、
わかったね。
それは特定の
社会問題解決のために
考えていけばいいんだと
思う。
意志が強まる時期が
来たら、たぶん解決に
向けて動きだすだろう。 (2019年04月09日 17時50分54秒)

権利は正義   もうり さん
権利を
不正義って
みなす人たちこそ
思考停止の不正義。

個人を守るための
ものとして権利は
必要。
公共性だけだったら
むしろ中道ではないので
悪。

しかし、
原理的に
考えてきたところで
私に必要なのは
人権が確立されてきた
歴史的文脈の理解だな。

原理的に
考えられたところで
社会問題の
場合、
それだけだと虚しい。

だから、
やっぱり歴史や地理の
勉強は避けられないのかも。
今まで抽象的にばかり
考えてきて、
ようやく八正道から
戦術へと降り立ったのだから
私のすべきことは
むしろ具体的世界の
学びを深め自分自身の精神現象学を
展開していき、宗教体験に
至ったなら、自分で
哲学書を書いて、
民の意識育成に貢献する、
でいいか。

宗教体験に
至らないと
哲学者ではないと思う。 (2019年04月09日 18時14分23秒)

戦術の方法の拡張 歴史学   もうり さん
戦術の
方法は
そのまま歴史学に
応用できる。
それは歴史が
形態から形態へと
進むと考えること。
つまり、戦術的には
目標から目標へという
プロセスの考え方の応用。

地理学の取っ掛かりは
今のところ、
「場所性」やマクロ、ミクロかな。
できれば
日本の土地は世界の雛型と
考える人には、
他の大陸も世界の雛型であり、
個々の土地はミクロ地球ではないかとか調べてみて欲しい。 (2019年04月09日 18時23分48秒)

自分ができそうな偉業   もうり さん
私が
できそうな
偉業って
やっぱり
金剛界曼荼羅的なもの、
六大のうちの
識的なものであって
現象世界を司る
胎蔵曼荼羅的なものじゃないって
諦めが生じた。

私ができそうなこと偉業は
抽象的なこと具体的なこと、
両方学んで人々の意識を
豊かにすることくらいだな。

やっぱり
実践よりも
実践的なことを
考えるのが向いてる気がする。
無論、実践しない時点で
考察に限界はあるが。

そーゆーわけで
仕事の学びの他、
あとは正念だな。

困った話、
慈悲の蔵たる
蓮華部院を司る人物が
存在して欲しい。
そうしないと
慈悲の心が
大衆に結びつかない (2019年04月09日 18時45分37秒)

予定変更   もうり さん
ふらふらして
すみませんけど、
やっぱり意識生成より
人々に慈悲の心を
注ぎたいんで
勉強は二冊読んで
プログラミングの
学びは続けるとしても
胎蔵曼荼羅の修行に
集中する方向に行く。 (2019年04月09日 20時25分16秒)

胎蔵曼荼羅の偉業とは   もうり さん
そこで
胎蔵曼荼羅の
偉業を考えなくては
ならない。
それは、
私の場合、
他人の理念に
従って生きるという、
役者的人格に生きることかなと。

つまり慈悲の
側面たる大随求菩薩ですが。

難しいですけどね。
その場、その場で
正しいことに関して
言うことを聞けたとしても
その理念を生きて
他人になりきるのは
難しい。
もしも他人になりきることが
できるようになれば、
あなたは自分自身を
超越して、まさに
誰にでもなれる、
普遍的人格を有すると
言えるだろう。

単に言うことを
聞くだけの消極的なものを
積極的な長所に変えられるはず
なんだけどね。

しかし、
思いどうりに
いかないのも真理なわけであります。

私が
思いどうりにいかないという
真理を生きているから
あらゆる人生は偉大なものに
触れているという考えは
本当に思いどうりにいかない
人たちのための言葉です。 (2019年04月09日 21時53分28秒)

他人の理念を生きること   もうり さん
他人の理念を
生きることが
なんで偉大かって
言えば、
自分自身を
他者に与えてるからだな。

自分自身を正しく
かつ他者の望む理念に
生きるようにするとは
自分を変えることで
もっとも高貴なもの、
霊的なものを他者に
与えるってこと、
人格自身を変えることで
人格を与えることなんで、
こういう形で
霊性を他者に与える偉業が
なせるわけですね。

そして、
この自我の柔軟さを
日本精神に結びつけたい。

(2019年04月09日 22時09分41秒)

新しい哲学 「他者自身を知れ」   もうり さん
新しい哲学としての
「他者自身を知れ」の
実践とは、
他者の理念を生きることかも (2019年04月10日 09時50分11秒)

戦いの原則   もうり さん
戦いの原則
目標 活動の
結果が集合体として
集合体となったときに
活動は構造化される。
従って明確な目標を
立てるとはこういうこと。


主導権の原則
目標を立てたはいいが
環境や状況、敵による作用、
相手の意志を
利用、考慮した
目標を立てることが
できなければ失敗する。

集中の原則
ミクロでは、
コツを掴むこと、
マクロでは時間の集中と
攻撃箇所の集中、
つまりマクロでは
攻撃すべきコツを見いだすことに
係っていると思う。
人生における、
もっとも大事なこととか、
自分の使命に集中すること

経済の原則
二次的なことには
最小限、
集中すべきに集中する。
これは同次元における節約。
対して、
精神に集中して
経済は最小限という
異なる次元間に対しての
節約がある。

機動。目標を達するためには
その構造から組み立て手順を
理解する必要があり、
その手順を実現するための移動。

指揮の統一。
私はこれを三位一体的なものが
一番よいと考え、
指揮を一人に統一するのは
古いと観る。

警戒。
自分の目的、目標等や
現状の不完全性、欠陥を
理解し、手だてを打つこと。

奇襲。
相手の不完全性を理解すること。

簡明。
正しい言葉。
明確な言葉で命じること、
問題の明確化、かな。

私は戦術を、
愛の技術として
進化させたいと
思うが、それで
わかったことは、
一番の共同体への
貢献とは何かというと、
不完全性から生じるものや
想定外のものを防ぐことだと。

例えば家族生活でも、
不完全性があれば
いつかは大ダメージを
受けうる。
相手の好きなものを
与えるとかよりも、
不完全性を補っていくことが
一番の共同体の維持に
役立つだろうと。

観るべきは
共同体の不完全性であり、
それが共同体の維持に
貢献する。
軍隊が必要だと考えておきながら
日本スゴイみたいに現実逃避するのは一面的だ。軍隊の必要しか観ていない。その他の不完全性を観よう、
目を覚まそう。

ちなみに、
以上の戦いの原則は
私なりのアレンジです。
愛の技術としての
戦術をイメージしてます (2019年04月10日 20時17分00秒)

宮台先生に伝えて欲しいこと   もうり さん
共同体自治を
考える、
宮台先生に
伝えて欲しいことが
あります。
ようやく、
共同体自治に
対して具体的な
ビジョンが出てきました。
経済界は仕事をして
給与と会社側の利益に
別れます。
そして、
政府側は税金を取ります。

すなわち、
まさにここに、
基本的な3つの財源があることになる。
経済領域側の
財源は企業利益、
企業的な公的利益。

政治領域の財源は
税金。

そして、精神領域、
個人領域の財源は
給与であり、
では、
共同体自治を行うための
財源はどこから
来るのかといえば、
我々の給与から来るのでは
ないかということと、
従って我々は
個人領域、個人的
生活世界でもつながりを
作っていくことが
共同体自治を可能と
するのでは、と。

経済共同体という
大きなものと
政府という大きなものに
対する、
大家族的な、
地域的な大きなものを
作っていく必要があるだろうってことであり、それは給与を
財源とするだろうってことです。 (2019年04月10日 20時38分29秒)

教会共同体   もうり さん
そんで、
私は
教会メンバーたちと
関わって共同体を
作っていこうかな、と。

ただ、
私には難点があって、
統合失調症故に
すぐ人間が多すぎると
症状がでてくる。

そんで、
この共同体で
能力やリソースを分かち合う、
協力してできることを
増やすってことの重要性を
今日ようやく印象深く感じることができました。

(2019年04月10日 20時59分17秒)

精神領域のさらなる三区分   もうり さん
精神領域を
さらに三区分すると、
経済共同体
(肉による共同体)
としての家族と
法的共同体
(対等、平等なる共同体)
としての
友人共同体と
精神共同体
(霊による共同体)
としての教会
てな感じかなと。

困ったことに
友達が一人もいない。
友達、
親友くらいは
もっておきたかったな。
だが、
そもそも
気のあう奴が
いないと思う。
生まれてこの方、
一人も気のあう奴は
いなかった。 (2019年04月10日 22時05分00秒)

戦術 巨大ハサミ   もうり さん
戦術の基本技術は
迂回しての挟撃らしい。

これ、
ようは巨大なハサミって
ことではないかな。

この直観により、
工学の哲学が見えてくる。
マクロミクロを貫く
空間の存在論ですね。
(2019年04月11日 13時56分15秒)

食事作法と戦術   もうり さん
食事作法と
戦術

食事作法として、
支える手と
口に運ぶ手がある。

戦術は
拘束、機動、攻撃の
3つが基礎らしい。

思うに、
拘束が支える手、
あるいは日本文化における
左手であり、
攻撃が日本文化における
右手であり、
機動が腕の移動に
対応すると思われる。

そして迂回、包囲、突破という
戦術についても、
迂回はそれ自体としては
機動であり、この
機動の後、包囲か突破となり
包囲とは攻撃化した
左手に相当する、
包むという、ハサミであり、
クワガタであり突破とは
右手に相当する、カブトムシだと
思われる。

ハサミが
拘束や
食事作法における
茶碗を包んで支える
振る舞いに対応すると
思う。 (2019年04月11日 14時49分37秒)

公正世界仮説で無慈悲になる人へ   もうり さん
公正世界仮説で
無慈悲になる人へ。

公正世界仮説とは
カルマと俗説を
混同した非科学的概念だが、
この考え方に
乗っかったとしても
おかしなことになりうるだろう。

飢えた人間がいる中で
貧乏人を助けず
自分だけ金持ちになったとしよう。
この人が公正世界仮説を
真に受けて、
貧乏人になったのは
その人の行いが
悪いからとて助けなかったとしよう。
そこで、この時点で、
私はこの人物には
そもそも人を助けたいという
慈悲に欠けた人物であることを
見抜く。
貧乏人になるのも
公正だから、
助けなくてよいという裏には、
そもそも人助けをしたくない、
人助けは損だからしたくないという
心性があるのを私は見抜く。

そんで、この人は
貧乏人を助けなかった。
自分だけ金持ちに
過ごした。
そこでこの人の来世も
貧乏人として生まれることになり、
この貧乏人には
誰も助けてくれる人が
現れなかった。

こう考えると、
人助けが
来世の社会の有り様を
マシなものに変えられるのではと
思います。 (2019年04月11日 15時26分16秒)

技術の本質   もうり さん
技術の本質の
仮説

技術には
完結した
アストラル体的
技術と
力動的な
エーテル的技術が
あるように思う。
その組み合わせとしての
自我的技術。

プログラミングで
言えば
条件文がアストラル的で
繰り返し文が
エーテル的。
軍事戦術で
言うと
包囲がアストラル的、
突破がエーテル的、
拘束がアストラル的、
攻撃がエーテル的。
他にも
構造をいじくるのが
アストラル的で
構造の中でも
線形を思わせるのが
エーテル的。

軍事戦術の
包囲と突破を
経済で
言うなら
例えば
消費者を、
様々なその需要を
実現する企業が取り巻いたり
一つの需要だけでなく
別の需要にも答えるのが
包囲であり、
一つの需要を、
技術によって客層を広げるのが
突破で、
軍事戦術を
宗教で言うなら
これは自分自身に勝つ
戦術であり
無明を突破し、
煩悩を砕くのが
突破であり、
慈悲によって
諸々の他者を救ったり
諸々の必要を満たすことが
自分自身の心を
円満にする形での
包囲ではと
思われる。

また
自我的技術とは
例えば送信器機と
受信器機とその情報の
やりとりとか、
器があって、
媒介するものがあり、
また器があって、
媒介するものを
通して別の器に移動するなどです。

このようにして
技術の本質を
汲み取ってみたが
個々の技術を理解するためには
具体的でないと意味がないけど
たぶん出発点としては
役立つかもしれん。

しかし、
仮説だけど。

この技術の理解を
組み合わせて
目標のイメージの
構造を実現し、
手順に従って
実行する。 (2019年04月11日 18時41分27秒)

仏教理解方法   もうり さん
仏教理解方法。
仏教、
これ世界を
多角的に
語っているという側面が
あると思うんで、
一見離れている概念を
重ね合わせて
精妙な現実として理解する
試みも可能なのではと予感する。

例えば
諸行無常、
諸法無我と
四苦八苦と
一切皆苦を
重ね合わせて考えられないだろうか?

理論理解、
これ区別して
考えるよりも
無分別的現実を
分別的概念を
駆使して重ね合わせていき、
精妙な無分別的現実に
引き戻したほうが
良さげでは。 (2019年04月12日 00時10分06秒)

愛の叡智と愛の力の一体化   もうり さん
愛の叡智と
愛の力が
いかに
一体化するのかについて。
愛の叡智は
哲学や宗教を
深めて八正道に
至ったとき、
金剛界曼荼羅が
生じ、これが
おそらく愛の叡智だろう。

では、
能力を叡智と一体化するとは
いかにしてであろうか。
その前に、
まず力を愛の力とするとは
何かを考えよう。
それは力、能力を
愛の叡智に従ったものに
すればいいだけであり、
簡単に言えば世のため
人のために能力を使うことであろう。そしたら、
やがて能力は、愛の能力となって
確実化するんじゃないかと
思います。

そうすると、
愛の叡智と愛の力は、
両者とも、
愛という本質を共有しているので、
それにおいてやがて
一体化するのではと思います。
これが胎蔵曼荼羅ではないかなと。 (2019年04月12日 04時13分08秒)

専門性のない医者   もうり さん
医者になっても、
脳が
人間の意識の全てだと
考えてる限り、
専門性のない医師だと
将来馬鹿にされる
だろう。

どういうことか。
でも人々は、
脳を壊すと体が
動かなくなるからとて、
また意識がなくなるからとて、
ほら、やはり脳が
意識の根幹だ、などと考えるだろうが、
私の場合は、
不可視のアストラル体や
エーテル体の肉体への
橋が壊れたことによって、
肉体へ作用できなくなり、
従って意識もなくなるんだと
考えますねえ。

例えばストローがあって、
途中で埃が詰まれば
機能しなくなるような
もんだな。

あるいは、
二階にいる人が
エレベーターで
一階に降りようと
したところ、
エレベーターが
壊れていたため、
一階に降りれない、
この一階が言わば肉体である、
エレベーターが脳であるが
意識の根幹たる二階は
まだ残ってるみたいなもの。 (2019年04月12日 13時05分43秒)

良い土に種を植えたいよね   もうり さん
普通、
善い(良い)土に
善い種を植えたいもんだ。
それは
何も、
男が「いい女」と
子作りしたいと、
あるいは
女がいい男と
子作りしたいと
望むようなもんであり、
これは畑という女と
種という男があって、
良い畑を選ぶよねって
話なんであるが、
女性視点で言えば
生活環境が
産まれてくる
子どもにとっての
畑みたいなもんで、
そもそも良い環境、
状況が整ってないと
産みたくないのではっとね。
縁起として考えるべきで
少子化は産まないという
主体だけの問題ではなく
産みたくさせる環境がないという
問題でもあるのだと。 (2019年04月12日 19時14分16秒)

鈍い日本人がいる   もうり さん
ドイツCMの
日本人差別問題で
それに怒った
韓国人を嘲笑する日本人、
鈍すぎ。
いじめられてるのは
日本人だし、
馬鹿にされてるのは
日本人女性だぞ。
それに怒ってくれる人を
嘲笑するって、
自分をいじめてくる奴を
利する行為ってわからんかね。

こういうのを
謙遜や優しさではなくて
「卑しい日本人」って言うのが
ぴったりなんだと思います。

日本はここまで落ちぶれたか。 (2019年04月12日 23時49分14秒)

今後の予定   もうり さん
思索が
行き止まりに
ぶち当たった。
今日は特に
印象深い考えは
生まれなかった。
おそらく、
明日に
スターリンの著作が
届くであろう。

そんで事務作業して
パソコンにダウンロードして
プログラミングの勉強を
始める。

プログラミングの勉強を
始めるあたりから、
気功もやる。

ジブリの風立ちぬを
視聴した。 (2019年04月13日 00時21分23秒)

生物学、科学を相対化する視野   もうり さん
遺伝学で
性格も才能も
遺伝だとか言ってるけど、
そんなに、
本当に全てが
遺伝で、
あるいは
遺伝や生物学を
完全に解明したというのならば
クローンなしで
一から遺伝子や細胞を
作ってみろよ、と言わざるを
えない。
これができないなら
遺伝子学には
まだまだ未知な部分があって
それゆえに全ては仮説に
過ぎず、
従って、
そもそも遺伝で
全てが縛られているとは
限らない、我々は
そもそも前世の自分という
個人からの
遺伝を示すために
肉体の遺伝子がデザインされていて、従って肉体の
遺伝子そのものが
前世の自分がいかに生きたかという
個人の努力要素を含む
可能性を捨てるべきではない。
肉体の遺伝子には
個人性が記されており、
親の遺伝子が全てでは
ないかもしれんのだ。
親の遺伝子から
構成されていても、
「意味するところ」は
前世の自分の成果という
個人性かもしれんのだ。

科学で全てわかった気になるのは
霊性科学を知らない無知だからだろう。
科学すらも相対化する視野を
もとう。

だいたい
人間は生命という
宗教的領域を、
とうとう聖なる領域、
礼拝するべき領域という
感性を育まないままで
そのまま突き進んでしまうという
過ちを犯してしまったな。
これは来るべきオフィリエル(オリフィエル?)の
時代、大艱難の時代の契機の一つだろう。 (2019年04月13日 08時37分05秒)

経験則の遺伝心理学   もうり さん
私の
経験則から
言えば、
遺伝子に刻まれている
性格が仮にあったとしても
その性格は一つではないと
思います。
なぜなら、
それでは性格が
変わるという現象の
説明がつかないから。

つまり、
遺伝子と
心理学の関係を示す学問が
まだないのかもしれない (2019年04月13日 10時22分31秒)

能力平等主義は正しいのか   もうり さん
遺伝学ならってないのを
ふまえつつ、
能力平等主義は
正しいのかって
問題があります。
平等、対等にすべきは
人道的、人権的なことであって、
能力まで平等にしてしまえば、
それこそ身体障害者に
重労働させることこそ
正義みたいなわけわからん
話になってしまう。

能力差別を疑問視するならば
同じように能力平等主義も
疑問視せよ。

能力平等主義になれば、
能力がないのに
それをやらせろよみたいな
批判が成り立つことになって

(2019年04月13日 11時25分28秒)

平等絶対主義は悪   もうり さん
てか、
既にシュタイナーの
社会有機体説を
読めばわかるが、
平等原則を
絶対視するのは
誤りなんだよな。

だから、
差別を許さないっつって
平等にしていく流れが
絶対的に支配的な社会も
苦しいに違いない。
博愛と平等と自由、
この3つの原則が
領分を守った社会こそ
正義であり平和だ。 (2019年04月13日 11時30分11秒)

菜食主義者が嫌いな人へ   もうり さん
菜食主義者が
嫌いな人たち、
菜食主義を
菜食主義者と
同じように実践できる
能力を身につけてから
批判して欲しい。

まず、
肉を食べないという
実践が外的には意味がなくても、
それを継続して
実践できているなら
グラデーション的に
動物愛護の思いは
単なる肉食を許容する
人間たちよりは上だと
思います。
むしろ我々、
肉食を許容する人たちは、
肉食さえ断てない弱者。
何も体内の雑菌を殺すなとは
言わなくても、
せめて殺害を最小化する
実践をすべきなのに、
我々肉食主義者は
それすらもできない。

肉食主義者は
自分の良心が弱いことを
自覚せよ。

思いも存在するので
菜食主義の実践が
動物たちへの供養になってる
面も絶対にあると思ってます。 (2019年04月13日 11時36分52秒)

合理的な差別批判者へ   もうり さん
合理的な
差別もあるってーのに
批判する
善良な人たちも
いますが、
では逆に問いたい。
平等原則が絶対化した
社会は正しいですか?と。

例えば韓国人と
日本人とは平等とみなし
ヘイトスピーチを批判するのは
正しい。

しかし、
能力を平等とみなして
知的障害者も学者になれる
世界って正しいですか?

むしろ労働能力、
生活能力のない人々には
社会的援助によって
生計を立ててもらうべきじゃないですか? (2019年04月13日 11時45分58秒)

複数の原則を持つこと   もうり さん
複数の原則を持つことが
大事かと。
平等原則しかもってなければ
平等原則が絶対視される
流れになってしまう。
だから自分の内に、
自由原則と博愛原則をも
あらしめて、葛藤させ、
調和するまで相互作用させたらいい。

どれも正しいように
思えるという分別のない
混乱した人が
最も遠くまでいける。


(2019年04月13日 11時56分49秒)

ずれていく法則   もうり さん
社会法則として、
本来の意味を失って
堕落し、だんだんと
ずれていく、というのが
あるかと思いますが、
これを防ぐ方法が
複数の互いに矛盾した
原則を持つことかもしれない。 (2019年04月13日 11時58分48秒)

スターリンの著作   もうり さん
スターリンの著作、
「弁証法的唯物論と史的唯物論」
届いた。
これ読み終えたら
ようやく生きるための
技術を学んでいく段階に
入れる。

普通の人々は
生きるための技術から
入ってくが
私にも自分の
譲れない信念があって
それを守って哲学から
実学へと入ってく感があり、
また自らの信念があるからこそ、
つまらんことはさっさと
他人に譲歩できるのかも。 (2019年04月13日 12時19分03秒)

修行の前提となる世界条件   もうり さん
修行の
前提となる
世界条件を
スターリンの
この本で理解した。
量が質に転化することなんだが、
そのイメージを掴んだ。
量を増やせば
その量に対応する
質が生じるってことです。
例えば水温が上がれば
熱くなり
水蒸気となる。

これと同様に、
修行を繰り返して
いけば、やがてそれが
質に転化する時が
来るであろうこと。

だから、
一見すると単純なような
頭脳瞑想と肉体瞑想の
繰り返しは確かに
神への一歩であるわけだな。
だから、
技術を身につけても
得になることしか
やらないというのは静止主義であり、
とにかくもらうより多くを
与えまくることこそ
神への道。 (2019年04月13日 14時48分03秒)

欠陥の歴史学 戦術学と弁証法の結合   もうり さん
「欠陥の
歴史学」なる
方法が、
スターリンの
本を読んで爆誕した。

これは
構造の欠陥を
読み取り、
そこから歴史的出来事を
予測する。

例えば、
社会主義革命の時代が
成り立つ状況も
確かにありうると
わかった。

それは、
例えば少数の
資本家が
莫大な資本を
所有し、
労働者は
身を売るという状況にあると
仮定して
ここでの
構造の欠陥、
構造の脆弱性とは、
もしも経済が
回らなくなれば
労働者の大多数が
困難に陥るだろう、
という脆弱性である。

そして
一度でも
資本主義の
この弱点が
つかれたら、
おそらく
労働者は
資本家から
資本を奪いとろうと
団結するであろう、
ということです。

これは資本家視点だけでなく
全体として
見れば脆弱さ故に
それを埋め合わせようとする
働きである。

だから、
そもそも、
「完璧な構造」でなければ
時間がやがて
革命時代を生み出すだろうって
わけですね。

私的には
巨大な資本は
巨大な我々が
所有すべきなのが
確かに妥当で、
政治では
それが民主主義として
達成されている。
経済は社会主義が
正しく、
政治は民主主義が
正しい。
ただし、
私は条件さえ
満たされれば
誰かが王として選抜され、
条件が満たさなくなり、
不正等や腐敗があれば
取り替えられるとした
上での民主主義に対する
君主制を結合するという考えですね。

だから、
社会主義という
経済領域にも
条件に応じた
哲人を選抜すべきに
思います。

そんでまた、
経済は社会主義で
政治は民主主義、
精神は自由主義である
社会構想とは
結局、社会3層構造論
なんですよね。

弁証法的唯物論の
説明は、
次の4つ。
だけど、
私なりに変換します。
欠陥を埋め合わせる、
より八正道のように
円満になろう、
完全になろうとする
歴史的発展を
一言で進化と
読んでみます。
度量は
量に対応する質があり
量の変化で質も変化し、
これを質的転換とする
性質を持つ概念。

諸法無我、
万物流転、
度量、
進化、
この4つの側面を
持つ思考が
私なりの
唯物論的弁証法ですね。

よし、
スターリンの
方法を身につけた
わけじゃないが
自分なりに
歴史生成の方法を
見いだし、
唯物論的弁証法を
理解したから、
スターリンの
この本を
読むのはやめて、
教養の勉強はここまでにして、
明後日から、
プログラミングの
勉強に励んでいくか。

唯物論的弁証法を
観念論的に
捉えなおしてみると、
諸法無我を
含む理念が
普遍、
この場合のマクロ、領域であり
万物流転を
含む理念が
特殊であり
度量は
普遍と特殊の
個別に対する関係による
質の生成プロセスであり、
欠陥の歴史学という
進化論は、
この普遍、特殊、
個別という質の生成プロセスの
構造の欠陥から、
より円満な構造を
生じさせる試みである。

このようにして、
弁証法的唯物論は
具体的な
それにも関わらず
観念論的なもの、
円満を目指すものとしても
理解された。

そして、
結局は
予測した通り、
この具体的な
システム的考え方とは
八正道における、
正しい行為における、
コンセプト形成、
理念形成、理想形成的
側面に対する、
地図的、地球的、
具体的かつ包括的な
「具象的」理念として、
実践的思考法の基盤とされ、
この地図の上にプレイヤーたちが
配置され、戦術学と合流する。 (2019年04月13日 19時09分07秒)

蓮華部院の開発   もうり さん
私的には
蓮華部院の
開発は、
いろいろな
労働技術を学んで
いって、
それを教えていくことで
人々の世間苦の救済を図ることで
達成しようかと。

いろいろな
財を与えまくるというよりは
仕事の仕方を教えまくることで
人々を救済しようかと
思います。

例えば、
プログラミングも
何か偉大なコンテンツを
作るというより
その技術を教える人に
なりたいですね。

そんで、
だから英文法も
やはり学んでいきたい。

つまり、
単にここに書き込む内容を
高尚なものだけでなく
実学を語ることに
集中し、それを書き込み
考え続けていけば
自ずと蓮華部院は
開発されると考える。 (2019年04月13日 21時17分37秒)

蓮華部院の開発と正しい行為   もうり さん
蓮華部院の
開発の
一つとして
世間苦からの
救済があるのだとしたら、
それってつまり、
実にいろいろな
実学を学びまくることで
教えまくれるようになることが
その一歩なんだと
結局はなる。
例えば土木技術に
関する本とか
大工技術の本を
読むとかも。
無論、地理学や歴史も。
かなり身近なものになると
恋愛、健康、人間関係、
お金、スポーツ、仕事等の
悩みなどに応えられるように
なることだろうね、
それも実学の教養を背景として。

このようにして
広々とした
実学全般の教養を
身につけて
ここでも常に創造的に
前進し続けていけるくらいに
までなれば目標は達成かと。

そしたら、おそらく
私はいつか、
「実学の真理」、
あるいは「実学の全体像」に
至って高尚なことも
具体的なことも、
語ること自在な境地に
達するだろう。
これが私の胎蔵曼荼羅だろう。

そうすると、
その実学の真理とは
結局、
アリストテレスの意味での
哲学、数学や論理学、自然科学に
行き着くだろう。

つまり、
結局は私は
やはり学道を避けられないのであり、
頭脳瞑想と身体瞑想の
他、利他行として
学道、リベラルアーツがあるのだと。

私は他者に
様々な物事の理解方法を
提供していく利他行を
行うのだ。
これは煩悩と無明を
破壊する金剛界曼荼羅だけでなく
世間苦をも克服する
理解の力を与えることを
目的とする。

やっぱり厳しいけど
自分の目の前に
数学や論理学という、
大きな壁が立ちはだかる。

私はやはり、
本来の目的から
考えても
私の目的は
普遍的な技術、
つまり
リベラルアーツや
哲学、数学、自然科学を
身につけることであって
それは理解の力であり、
これが終わると他人にも
それを提供するのが
道なのだろう。
私は
プログラミングというよりは
普遍的な技術を
多数に授けることを
やりたいってわけです。
それも無償で。 (2019年04月13日 22時00分47秒)

自由七科など 学道か詩道か   もうり さん
自由七科は
文法、
論理学、
修辞学、
幾何学、
算術、
天文学、
音楽。

さらに3つの
理論、
哲学、論理学や数学、自然科学。

自由七科は
言語的なものと
数学的なものに
別れる。

そんで
哲学が技術となったものが
語学、
数学や論理学が
技術となったものが
プログラミング、
自然科学が
技術となったものが
工学だと思います。

でも、
さらに迷うことは
やっぱり哲学と
英文法含む語学と
プログラミングに集中して
後は切ってもいいかな、ということ。

やっぱり
倫理学や政治学、
詩学を含む哲学、
つまり人間学に
集中して、様々な人間の
精神や理念を身につけていき
人間関係の悩みを
解決できるように
なりたくもあるなと

(2019年04月13日 22時33分32秒)

仏教、英語、プログラミング   もうり さん
そこで、
私は
仏教、
英語、
プログラミングを
やることにします。

仏教は
中村元先生の
本から漁っていきます。
人間関係の
悩みは宗教に頼ろうかと。

明後日まで、
未来を考えていきます。

仕事の悩み、
ですが、
人間関係は
仏教的にアプローチするとして
肉体的側面は
気功で元気を貯めることで
アプローチして
加えて睡眠、瞑想、野菜で
健康になります。

技術的、効率は
具象的全体像を
地図のように一挙に把握する
ことで無駄のない動きを実現できるかな、と仮定します。

でも、
一番の謎は
起業して
成功するには
どうすればいいのかって
問題。

それは
得意なことを
ビジネスにするって
感じくらいしか
思いつかん。

もっと言えば、
得意なことを
突き詰めて固有の
価値を生み出せるように
なること、だろうね。

それは、
教えることで
言うならば
教育芸術が、
教育者の価値でしょうね。

つまり、
私の場合、
英文法とプログラミングを
教える仕事をしたいなら
単に無味乾燥な教え方は
せず、芸術的に教えることを
追求していくことが、
固有の価値となるでしょうね。 (2019年04月13日 23時16分39秒)

観念から人間、物質を貫くロゴス   もうり さん
論理学は
普遍、特殊、個別と
理解し、
これが
実践となるとき
目的、手段、結果となり
目的は具体的な設計図として
構造把握され、
手段はその組み立て、
結果とは現実化である。
目標と手段の結果が
同じものとなったとき
中道は達成される。
つまり正しい手段とは
何かがここで
わかってくる。
すなわち全人類のための
行為をするならば
その結果も全人類のため
でなくてはならない。
従って
そのプロセスにおいても
なるべく人類を損なわない
方法が正しい手段であると。

以上のように、
主観的論理学的なものが
行為として
世界に飛び出していき、
さらにこの論理学が
全ては互いに独立しては
存在せず、結びついている
ものとして
システムとして把握され、
このシステムの全体像、
領域が普遍、個々の要素が
個別、そして諸関係が
特殊とされ、
この構造体の流れによって
量的に変化し、
それによって質が変化し、
これにより構造の弱点が
つかれた場合に
それを埋め合わせる働きが
生じるかあるいは崩壊する、
と考えることで、
ロゴスは
思考から行為、
行為から自然へと
貫いていく。

私は、
だから、
再びヘーゲルを
読むべきときが
来たのだと思います。
でもプログラミングが
先だな、我慢しよう。

つまり、
正しい行為とは
何かというと、
その活動の結果を
考えて行為することである。
全人類のため、
同胞のために行為するという
目的的側面と
その行為の結果という
反対の側面を考えてから
行為することである。

また
単に地図を頭の
中で掌握するだけでは
足らず、できたら、
目の前の現実を
把握しつつ、
その具体的現実を
地図と関連付けつつ
行為すべきかもしれない。

「地図」とは
具体的現実と
抽象的世界の
中間である。 (2019年04月13日 23時58分32秒)

ヘーゲルの絶対的理念   もうり さん
そして、
正しい行為の
考察から
ヘーゲルの
絶対的理念へと
至る。

すなわち
目的自身から
設計図という構造の結果と
組み立て手順という手段を
見いだし、
その結果を
その目的と同じものと
するような
活動とは、
すなわち
「生命」であり、
こうして
目的論は
絶対的理念の学へと
上昇する。
(2019年04月14日 00時13分53秒)

ヘーゲルの後継者としてのシュタイナー   もうり さん
そして
思うに、
ヘーゲル以後に
真にヘーゲルを
後継した
学者とは
誰かというと、
シュタイナーでしょうね。

例えば、
肉体、生命、心、自我という
人間の階層的構成要素、
この要素のそれぞれが、
絶対的理念を示している。
絶対的理念が
生成して
肉体から生命、
生命から心、心から
自我という風に
進化していく。

すなわち、
神智学や人智学、
地水風火識と
認識する仏教とは、
ヘーゲルの後継であり
絶対的理念の学を
語っているわけである。

従って、
ヘーゲルではなく、
やはり仏教探求を
すべきだと考えなおす。
(2019年04月14日 00時27分46秒)

個性化の確立   もうり さん
曼荼羅は
個性化を
意味するとも
言われる。

既に創造的な
自己を形成し、
個性を確立した
段階にあっては
自分自身に拘ることは
高貴なようでいて、
これも弱いままで
いいとか奴隷的な卑屈さとは
裏返しの卑屈さに
感じられる。

なぜなら、
自分自身に
拘ることは、
矮小な自分で
よしとする卑屈さだと
思うからだ。

でも、
まあ意識は
人それぞれ違うから
課題は人それぞれなんですけどね。

私の課題は、
もはや個性的であることよりも
、他人の理念を取り入れて
他者となり、
仮面を増やし、
その仮面を有機的に
構成した、
自我体を生み出すことでしょうね。
私には、
今の低我という仮面だけで
満足するならば、
奇形児を健康児とみなすような
転倒した考えに思える。

私は既に高貴な力強い
個体であれとしたニーチェを
乗り越え、
次のステージにいる。

(2019年04月14日 15時20分31秒)

永遠の個性の残し方   もうり さん
低我は
字義通りの
意味の仮面ではない。
それは、
自己とは切り離せない、
かけがえのない
仮面でありつつも、
これは社会適応するために
自己から生み出された
自己の適応の道具という
ことが本質的だと思います。

永遠の個性の
残し方とは、
この個性(低我)を同時に
道徳的にすることでしょうね。
自己はもともと霊的だから
死後も当然残されるわけだが、
その代わり、低我の意味での
個性は、そのままだと滅びるであろう。

従って愛や道徳、良心、
そして霊的な思考といったものを、
ペルソナを善く用いて身につけることで、そのペルソナは、
死後も残る永遠の個性と
なるのではと思います。

そういうわけで、
回心体験を通過した
私の弱い低我は、
それとは反対の暴力的低我と
統合され、自己的性質を
埋め込まれたこと、曼荼羅を
観るくらいには霊性を
獲得したことを
考えると、
やはり、
我の統合低我(自己の形態に
近づいた低我)は
もう永遠の個性となっている
可能性が高く、
次の課題は、
自分自身の個性を
残したままで
第六文化期の哲学課題である、
「他者とは何か」と
他者になりきるって
ことでしょうね。 (2019年04月14日 15時37分46秒)

細かい意識になる瞑想   もうり さん
ブッダによると
形態と名称から
接触が生じ、
接触から快不快が生じ、
快不快から欲望が
生じるようである。

そこで、
私に
徹底的に欠けている
意識である、
小さなことに忠実であるという
細かい意識に
どうなったら
なれるかといえば
目の前の
知覚内容を
細かく見る、
細かく聞くという方法を
試みようかと (2019年04月14日 17時59分14秒)

予定入った。   もうり さん
明日と明後日に
予定入り
プログラミングは
先延ばしに。

そんで、
シュタイナー心経の
表紙の横尾龍彦の作品と
ロザリオを具に観察するという
瞑想を取り入れる。
よくこの地上世界を
観察し、小さなことに
関心をもてるように (2019年04月14日 21時01分20秒)

義を見てせざるは勇なきなり   もうり さん
今日の
生活の進展は
二点。

まず、
小さなことに
忠実であるためには
森だけでなく
木も見る新しい観察方法を
身につけることから
始めること。
これは継続できると
思う。

そんで、
武人の特性を身につけるため
「勇気」の美徳を
修めるべきだと考え、
その育成方法とは
義を見てせざるは勇なきなり、
とあるように、
正しいと思ったことを
ちゃんと実行していくことである。
これが難しい。

しかし実践思想を
考えるだけで
行わないなら、
それは怠りでもあるのだ。

魂が強いとは、
一体強さとは
何であるかといえば、
正しいことを
実行できる意志のことでは
なかろうか。

武人としては
勇気の美徳を身につけられたら
それでいいかな。
まあ気功は続けるけど (2019年04月14日 22時29分03秒)

民主主義とは何か   もうり さん
民主主義、
これ数で考えると
党派性に染まった
多数派が数の暴力で
少数派を無視してしまう
という形で、
本当に自らを数だと
みなすならば
少数派をも平等に
数だとみなし、
従って自らの党派性からも
自由な議論が成り立つところで
しか機能しないことが
わかった。
民主主義とは平等ってことなんで、
今の数の暴力のやり方は
民主主義ではない。

だから、
多数派と少数派を
平等にするために、
どんな次元で議論すべきかというと、「意味」の次元で
すべきに思いますね。
例えば、
意味や理念、概念の
次元とは、
ここに三角形と四角形とが
あって、三角形を
選ぶ人が少数派だとしても、
三角形自体の幾何学的普遍性という
価値は変わらないように、
少数派と多数派が
互いに互いの普遍的価値を
議論しあうという形ですね。

そんで、
実を言うと
少数派にも
普遍的価値が
存し、その次元で議論することは、
それは目先の現実や
偶然性による
どちらが多数で
少数かという状況に左右されないで
目先の国民だけでなく
過去や未来の国民のためにも
なる社会を作れるって
ことではないでしょうか。
永遠的な社会作りができる。

少数派も
普遍的価値の次元で
議論する作法であれば
平等に扱うことが
できるようになるのではと (2019年04月14日 23時34分35秒)

私がいじめられた理由   もうり さん
私が
いじめられた理由、
キリスト者から
聞いた答えと
家族から
聞いた答えが
一致した。

すなわち、
かっこよくて
頭いいから
やっかまれたっていうね。

イケメンや
美女や秀でたところの
ある人間の辿る道には
二通りある。
周りからちやほやされる
場合と
やっかまれて迫害される
場合とである。

例えば「いじめの構造」という
本なんかで
明らかになることは、
拡大解釈をしてみると
大衆的人間の
中に高貴なところ
秀でたところのある人間が
交われば、
大衆的人間は
彼らをいじめるってこと。

だから、
弱者が集まって
強者となって
少数の強者を
いじめるみたいな事態も
ありうるわけで、
だから、
確かにニーチェの
言うとおり弱者から
強者を守るべき
時があろう。

まあ、
私をいじめてきた
人間だけが
全てとはみなさないから
世のため人のために
頑張ろうと思えます (2019年04月15日 12時48分35秒)

個人の視点と欧米は自慢するが   もうり さん
個人の
視点を持っている
などと欧米人は
自慢するけど、
対集団となったとき、
その構成員を
平等にみなすなら
彼らを数とみなすのが
正しくなる場合が
あると思うんだよね。
そうしたときは、
数の多いほうが
生命が一人一人平等ならば
命の重みも重いので、
トロッコ問題では
数の少ないほうに
舵を切るのを選ぶのも
ありだと思うのが
私であるが、
他にも、数の少ないほうを
選んだほうが、この場合は
空間的な自由度が
増すので彼が逃げ切る
確率が高いのではとも
思いますね。

命が平等ってことは
選ばないと
いけない場合は
数の多いほうが
命の価値も大きいことに
なります。

でも
無論、
これも一面的な考え方に
過ぎなくて
他にも前にもいった
「概念」の次元による
平等もあるわけですよね。

差別反対の
平等主義は
結局、
人を数だとみなす
立場にもなってくるわけです。

意味だともみなすけどね。
つまり、
平等自体にも
階層的構造が
あるのかもしれない。
それは、
言わば幾何学に
対する代数幾何学のような
ものかもね。

でもって
多数派のほうが
数が多いから
平等にみるなら
多数派が正しいと
みなすのは
意味レベルで
見れば単に
国を特定の偏りに
傾けるに過ぎない。

具体的に言うけど
天秤があり、
左側と右側があるとしよう。
このように、
政治的決定は、
もともとこのように
意味的に分断があるから
多数決が民主主義だと
考えると、
単に偏った社会を
生み出すに過ぎない。
つまり不平等である。
だから、
そもそも多数決が
機能するのは
党派性を超えた領域であろう。

安倍政権は
そんなこともわからんのだろう。
思考停止している。

(2019年04月15日 14時40分47秒)

ヘイトスピーチ問題を一瞬で解決   もうり さん
ヘイトスピーチ問題、
一瞬で解決するやん。
やはり
全面的に把握する
必要があるみたいで、
表現の自由という言葉にばかり
固執するのはよくないな。

つまり、
憲法には、
法の下の平等とあり
人種等で差別されないって
書いてあるやん。

だから
ヘイトスピーチ等、
差別的なことに
関しての表現の自由はない。

つまり、
私的に憲法の権利を
部分的に整理するならば、
生命に関する権利、
幸福追求に関する権利、
自由に関する権利とがあり、
この3つは、
それぞれ、さらに
経済、法、精神に対応し、
この幸福追求権の
実現とは何かというと、
生命が保証され、
差別を受けず、
この上記2つの権利を
害さない限りでの
諸々の自由権が
保証されるのだと
思います。
幸福追求権自体に、
さらに生命の保証、
法の下の平等、
そして自由権として
経済、法政治、精神が
対応すると読んだ。

まあ、
法の下の平等って
あるんだから
ヘイトスピーチの
自由はないわな。
法の下の平等ともあるのだからね。
(2019年04月15日 19時56分40秒)

権利の目的   もうり さん
私的には
権利の目的は
国民の幸福追求権だと
思いますね。

なぜなら
幸福追求権とは
生命に関する権利だとか
諸々の自由権だとか
差別を受けないだとか、
諸々の権利が実現した
上で達成されるという
意味で、
包括的な概念だと解釈するからです。

国民を幸福にしようと
していくことこそ
諸々の権利も考慮に
入れた政治が行われ、
もしも、
単に自由権絶対主義みたいに
なると、
それは法の下の平等が
破壊され、一面的な
社会、特定の属性を
持つもののみの社会となる。

つまり、
社会がみんなのものだと
思うならば
幸福追求権という
包括的権利を目的にした社会、
自由な部分も平等な部分もある
社会こそ、
全ての人間のための社会だろう。
こうして、
憲法はアリストテレスの
「人間は幸福を目的にする」
という説と合流した。 (2019年04月15日 20時09分59秒)

偏りのない社会を考える。   もうり さん
そこで
例えば経済領域
において
偏りのない社会とは
社会主義になるわけですよ。
なぜなら巨大資本が
少数の金持ちに集中しているから
です。
この巨大な生産力が
少数の資本家に
限定されていることが
既に構造的偏向、
つまり構造の欠陥を示す。
偏向とは円満でないことでもあります。
だから
経済領域においては
社会主義が正しい。

そんで、
政治的には民主主義が
正しいのだけど、
例えば安倍政権の
民主主義は失敗です。

つまり安倍政権が
実証してくれたように、
正しい概念だからといって
それが必ず成功するとは
限らず、だから
社会主義批判というのは
本来あたらない。
社会主義しか
正しいものは
ないが(なぜなら
資本主義はより円満でない、
欠陥を持つ
構造だから)
これは安倍政権が
民主主義を失敗しているのと
同様に、
単に社会主義も
失敗しうるものなだけだろう。

人々は、
概念としては
社会主義が
資本主義よりも
正しいとしても
社会主義の
失敗例を見て、
まるで資本主義のほうが
概念としても正しいみたいに
錯覚してしまった。
本来は、社会主義を
成功できるほどにまで
努め励んで
成長させるべきなのだろうが (2019年04月15日 20時40分01秒)

実践、行為への愛に欠けた自分   もうり さん
私は
思考、思想、
理論への愛から、
実行し、
体得すれば
内的に偉大な
人間になれるという
具体的な実践思想まで
至りはしたが、
行為、活動への愛に
欠けるが故に、
実現できないでいる。

だから、
何事にも段階があるようで、
私はそもそも
行為を愛することから
始めないといかんようだ。

例えば、
思想はアムリタを飲む喜びに
至ることができ、
身体性で言うと、
気功や太極拳は、
「さんちょうかん」という、
効いてる感じを
持つことが
できるようには
なったのだが、
あらゆる手足を使った
善行、作業には
何の感動も、喜びもない。
それでもなお、
寄贈や家事等を行っては
いるが、
例えばいくら部屋掃除を
したとて、人々がいうような、
「すっきり感」なども
全く感じることができない。
(2019年04月15日 23時13分36秒)

アドラーと活動への愛   もうり さん
アドラーと
活動への愛が、
共同体感覚として
結びつく気がしています。

幸福と
共同体感覚も
関係あるようですが
共同体に貢献することとかも。

だから、
共同体に
貢献できるぞって
自信がついたとき、
心臓に躍動する、
共同体感覚が生じるのではと
思います。
心あたりがあります。
私も一瞬だけ、
その日だけ、
任せておけみたいな
感情が生じ、
その時に心臓の
流れ方が変わったんです。
「血流が喜び踊る」という
感覚。
これがひょっとすると
善行にとっての
アムリタやさんちょうかんかなと。

思考の食べ物が
アムリタで
身体性の食べ物が
さんちょうかんなら、
善行の食べ物は
共同体感覚かもしれない。
(2019年04月15日 23時24分24秒)

欠陥歴史学的な進化、歴史の意味   もうり さん
私なりの
弁証法、
欠陥歴史学による
進化の意味、
歴史の意味、
すなわち進化と歴史の
理念とは、
「愛」です。

進化とは、
より完全になり
円満になっていく。
それは愛のことだ。
円満で完全である、とは
八正道的な愛の特性です。

そうすると、
歴史を前進させる、
世界精神とは
何かというと、
これも愛なんだと。

こう理解してしまうことで、
私はこのように
歴史を理解することで、
一挙に歴史の一つの真理を
得て、
一挙に全体適応のためには
愛せばいいんだとなった。

愛ですよ、愛。
やはり。

(2019年04月16日 18時23分37秒)

懐疑論者の愚かさ   もうり さん
懐疑的かどうかは
認識の態度であり、
その態度によって
認識、生み出される考え、
浮き上がる考えが
懐疑的なものになるのだが、
例えばこの態度を
ブッダや空海やキリストの
言葉に向けるなら、
むしろ愚かなことに
思える。
なぜならば、
見たところ、
我々は真理の言葉に
懐疑的な態度で望むならば
懐疑的な考えしか
浮かばないだろうから。
たとえ、その対象が、
真理であってもである。

私には、
慈悲や普遍的愛の
概念に茶々を入れたり
揶揄するような奴らは
「信仰のない馬鹿」に見える。

信じるべきものを
信じれない、
これはつまり、
馬鹿だからだろう。

まあ、
意識は人それぞれで
それぞれの段階で皆が
悟りに向かっていっては
いるのだろうけど (2019年04月17日 18時52分39秒)

安倍政権支持   もうり さん
私は、
日本を
もっとクズ国にして
破壊してもらうために
安倍政権を支持します。

反面教師になってもらい、
次の野党時代に
生かしてもらおうかと。 (2019年04月17日 19時17分57秒)

善悪無記   もうり さん
善悪無記。
例えば、
権威主義や
集団主義、忖度
それ自体が悪なのではなく
うまく生かされてないから
悪になるだけ (2019年04月17日 20時03分17秒)

多様性にもルールありき   もうり さん
多様性って
数的、自然主義的考え方ですね。
それで、
婚外交渉した女性の
公開処刑を男どもが
集まってニヤニヤするのも
多様性、らしいんですが、
そんなこといったら、
どんな不正も多様性だから、
で片付けられやしないですかね。

多様性も、
そもそもルールありきって
ことを忘れるべきではない。

つまり、
不寛容に対する
不寛容とは、
言い換えると
多様性の中にも
法と道徳をってことでしょう。

今思えば、
多様性も
寛容不寛容も、
この両者とも、
自然主義的な、
ルールを度外視した
考え方ではないでしょうか。
この問題も、
法と道徳、守るべきものも
あるやろ、で解決しますね。

それに、
法の下の平等も
憲法に書いてありますし。
(2019年04月18日 13時20分23秒)

ブッダチャリタ   もうり さん
ブッダチャリタって
ブッダの伝記買ったった。

ブッダの伝記は
手塚治虫のものと、
その映画は観たけれど
本格的な奴は初めて。

ブッダチャリタを
映画化して欲しい。

あと、
phpの環境整えたけど、
今度は使い方がわからない。
でも今日は頭痛になりそうなんで
調べるのは明日に回して
寝る。

私の場合、
最強の来世を
歩むために自分で
できる必要なことは、
あとは周りの人たちを
愛することくらいです。

つまり、
残るは来世に
どこに生まれるか、
どんな肉体に生まれるか
及びどんな運命がやってくるのか、
その運命を形成するための
試みが必要であり、
それが周りの人を愛すること。
(2019年04月18日 13時53分53秒)

男女平等、経営者労働者平等の世界   もうり さん
男女平等、
経営者労働者平等の
世界とは
どんなかと
言えば、
それは今まで守られて
楽な分があった女性も
労働者になる社会、
さらに言えば、
労働者と経営者が、
公権力という第三者を
通して三位一体的な
三角形の対等な
構造となり、
すなわち、
経営者から
労働者が権利を
獲得するぶんだけ、
さらに経営者の
重荷をも
平等にある程度
背負う社会であろう。

ということは、
やっぱり、
権利と義務の関係なのかは
わからないけれども、
例えば、
ひたすら経営者に
対して権利を要求して
それでも
組織の全責任、という
負担や苦労、
経営者故の苦労は
経営者に押し付けたままってのは
やっぱり都合良過ぎではと
思います。

だから、
よくわからんけど、
国が国民に
対して権利を主張するなら
義務を果たせという考えも
正当に思えてしまう。
なぜなら、
権利を主張するって
読んで字の如く、
権力から自分への
利益、政治的な利だと
という側面もあるとするならば、
我々は有限だから、
利だけ主張する奴らだけになると
有限の国の負担だけが
重くなるからです。

もしかしたら、
本当に国がおかしくなって
しまったのも、
子どもみたいに
権利という利だけ主張して
国の負担をその分だけ
背負おうという気概に
欠けた人たちばかりで
国力が弱くなったからではないか。

そうですよね、
権利と義務はセットじゃないって
他の平等を考えてみたら
おかしいとわかる。
男女平等なら、女性が
権利を得る代わりに
女も労働者になってもらわないと
いけないという負担が
あり、
経営者と労働者が
平等なら、
その分だけ、
経営者の責任に
押しつぶされそうになる
苦労、負担をも
労働者にもある程度
分けて背負ってもらわないと
本当の平等じゃないように、
国家、政府と国民が
平等だってんなら、
国民は総理大臣たちの
人相が変わってしまうほどの
重荷を、ある程度背負わないと、
真の平等じゃない。

そういうわけで、
私は
権利と義務はセット論者に
なりました。

国家と国民を
平等だとみなすなら、
私たちは
国家公務員の
重荷を、
義務を果たすことで
共に背負うべきだ。
都合よく、
政治的な利益(権利)だけ
主張するのは
実は国家にだけ
重荷を背負わそうとする、
国民尊政府卑主義だ。
これは大人のすることじゃないだろう。
だから
ネトウヨにも一理あったと
考えることにする。
運命共同体って
こういうこと。 (2019年04月18日 17時24分13秒)

資本がみんなものならば   もうり さん
社会主義というものは、
また民主主義というものは、
資本をみんなものとする
ということは、
経営者、資本家故の
苦悩をも分配するということ
であり、
民主主義ということは、
国民が義務を
果たすという形で
政治家や公務員、
つまり政府の
苦悩をもある程度
分かち合うことによってこそ、
ではないだろうか。

資本を
みんなのものとし、
公的な場所を
みんなのものとするように、
楽を分かち合うならば、
同時に
苦悩をも分かち合わなければ
ならないだろう。

都合よく
楽だけ得ようなんて
おかしいでしょ。
そしたら、
苦悩苦労だけが
政府に押し付けられ、
経営者に押し付けられる
ことになる。
そんなら、
確かに資本家にとっては
資本主義を維持するほうが
当然に思えるし、
政治家だって、
国民を幸福にしようとは
思えなくなるのでは。
なぜなら労働者や
国民にこそ、
共生の意識が
欠けているのだから。
共生の意識が
欠けている労働者や
国民にいくら
利を与えようが、
逆に権力が搾取されて
終わるだけだろう。
運命共同体、共生の意識のない
国民や労働者は、
逆に政府や資本家、
経営者を搾取して
終わる。
そんな国民や労働者に、
いくら利益を与えようとも
逆搾取がなされて権力者や
資本家が疲弊して終わるだけ (2019年04月18日 17時35分57秒)

司制度   もうり さん
司り制度なる構想。
私の考える社会主義制度
においては、
資本全体は、
国家が、
あくまでも国民から、
借り受けているという
形で、国家が所有しており、
条件を満たした国民に
付与される。
そして、
例えば、
通過儀礼時において、
条件を満たしたものに、
特定の資本が与えられる。
その最高峰が、
「カリフ(仮称)」である。

自分が年齢を
上げていくにつれ、
同時に能力や人徳を
上げていくならば、
自分が司る資本も
その試練の結果に
応じて、
より巨大なものになっていく。
その巨大な資本を
人々のために使う能力と
人徳があると認められると
巨大資本を司る人間となる。
しかし、
その人に腐敗が認められたり、
能力の低下が認められると、
再び司る資本が低下する。

このようにして、
例えば大学卒業時において、
その人の身につけた能力に
応じて、機械工学の天才かつ
十分な人徳も認められるなら、
工場丸ごと与えられたり、
あるいは高校の段階で、
基本的機械工学を修得した
証明として、工具箱が
与えられたりする。

こうして、
国民の士気を高める。
国民は能力に応じて
紋章みたいな感じで
資本が与えられるということ。

というアイデアですが、
異論やより優れたアイデアに
よって改造されるのを認めます。 (2019年04月18日 18時24分19秒)

博愛の信念>モテ   もうり さん
当たり前かも
しれんが、
俺はモテるために
生きてるんじゃない。
俺は自分の信念のために
生きてる。
博愛の信念が
弱さ故の優しさなんて
女性から引かれ
モテない結果になったとしても
結婚しない結果になったとしても
俺は博愛主義の信念で
生きていく。

当たり前な
話であるが、
女性にモテるよりも
あるいは女性の言葉よりも
神の言葉のほうが
大事だし。
(2019年04月18日 18時41分03秒)

モテない価値   もうり さん
ということは、
私にとっては
モテるよりも
モテないほうが
価値があるということ。
博愛主義者が
モテないなら、
博愛主義を
好かない女性陣全てを
恋愛対象から除外する。
(2019年04月18日 19時01分52秒)

八正道のさらなる理解   もうり さん
八正道の
さらなる理解に
達した。
正見とは、
内的には
本質と非本質的なことの
分離、
外的には
自分の感情に左右されないで
人の話を聞き観察すること。

正思惟とは
内的には
正しいと考えたことを
持続させること、
外的には
何事もよく考えたことを
実行すること。

正語とは、
内的には
他者の関心や文脈等から、
意味のあることを話すこと、
外的には
他者に関心をもって
意味のあることを聞くこと、
またよく聞く態度を持つこと。

正行とは
内的には全人類のためという
目的を持つこと。
外的には、
行動の結果が
全人類のためになるように
考えてから行動すること。

正命とは
内的には精神と、
外的には自然と、
調和すること。

正精進とは、
内的には自分の内側にある
素質を全て開発すること、
外的には理想や人生の意味に
向かう、方向性を持つこと。

正命とは、
内的には理論を、
外的には経験を蓄えること。

正定とは、
内的には三密を行うこと、
外的には善行を行い、
美徳を形成すること、です。 (2019年04月18日 23時42分47秒)

気質 生命霊への進化   もうり さん
気質、
生命霊への
進化について。

気質の変化が
生命霊の変化にとって、
重要なようである。

マナスが
アニマとアニムスの
統合、であるならば、
その無意識我の統合に
対して
ブッディは
各種ペルソナの統合なのかも
しれない。
こうして、
無意識我を統合した
大きな無意識我に
対してペルソナを
統合した大きなペルソナが
生じる。

そして、
シュタイナーによると、
気質の典型は四つのようであり、
これを一つにして大きな絶対的な
気質とする。
そうなった場合、
どうなるかというと、
それぞれの気質の欠点が
補われるようになると
思います。
移り気な多血質に
対しては、
記憶力をよくすることで補い、
胆汁質に対しては
短気を柔和にすることで
補い、
憂鬱質に対しては
憂鬱さを沈着さに変えて
補い、
粘液質の場合は
筋トレを通じて
活発さを取り入れたり、
関心を持つようにしたりする、
あるいは、自分の
中の多血質と胆汁質に
目覚めるようにすること。 (2019年04月19日 07時22分50秒)

法華経   もうり さん
どうやら、
仏教は
法華経だけで
いいらしい。
六波羅蜜も、
八正道も、
方便であり、
法華経に全て
含まれているらしい。

だから、
ブッダチャリタに
加えて、
法華経も、是非是非、
読まないといけない。

それに、
たぶん、
蓮華部院とは
何かといえば、
まさに、
「法の華=法華」だという
予感もあるんで。

だから、無職で
金がないにも
関わらず、
道のためにも
勇気を出して
法華経を買おう。
ブッダチャリタに
加えて。 (2019年04月19日 10時10分50秒)

法華経   もうり さん
法華経ポチりました。
ブッダチャリタも
既に注文してあります。

これで
日本仏教の
さらには日本文化の
原点に立ったやで~ (2019年04月19日 10時17分01秒)

一乗の教えと父なる神の原理   もうり さん
そんで、
法華経の
一乗の教え、
比喩ばかりで
直接的に
言わないから、
一体なんぞ?と
思ってしまいますが、
これ、要するに、
父なる神の原理の
ことだと思います。

父なる神とは
「存在基盤」であるらしく、
確かにこれは、
我らの不滅の「岩」であるから、
こうして、
法華経を通して
キリスト教へと至るのでは
ないかなと予想します。
(2019年04月19日 13時24分59秒)

些細な日常に紛れる絶対知。   もうり さん
些細な
日常に紛れる
絶対知。

例えば女性は
オシャレが好きで、
バッグを嗜んだりする。
そうするとここに
既に絶対知があるとわかる。
衣をまとうことは、
内的ー外的という関係を
作ることだし、
バッグとは、
言わば巨大な地球が
無数の生命を入れて
運ぶという機能の
規模が減少したものである。
プログラミングで
言えば、
クラスとかdivのこと。

ちなみに
ホームページの
完成像が頭の
中にあるならば、
それは既に構造化と
領域規定を含むから、
最初からdiv指定が
可能だろう。 (2019年04月19日 18時22分23秒)

燃えた大聖堂への寄付批判   もうり さん
燃えた大聖堂への
寄付、
うん、私は
あえて悪い面を
見ますね。

貧乏人を
助ける金持ちが
溢れる共同体と
大聖堂みたいな
キラキラしたものに
寄付はするけど、
そこで困窮してる
貧者を助けない、
はたして
どちらが
キリスト教ですか?
どちらが美しいですか?
って問いがある。
ノートルダム大聖堂という
俗事を愛するのですか?
それとも貧者と金持ちが
愛し合う美しい共同体に
少しでも近づけて、
心の中、
関係的心の中に
岩のような大聖堂を
作り、それを
愛するのが!
聖地という物質ではなく
目に見えないものを
愛するのが!
宗教ではないのですか?
といいたいね。

結局、
金持ちどもは
貧しいものを助けろという
キリスト教は
放棄して、
形だけのキリスト教を
選んだ。
彼らは
目に見えない聖地を
作るという観点が
欠けているから
まだまだ俗物だという批判。

聖地なんて
俗事にこだわって
争いあい殺し合うという、
心の聖地という観点の
欠けた俗物たちもいる。

はっきり言うけど
聖地って結局物質だから、
アストラル界のほうが
よほどの聖地なのに、
そのアストラル界に
平和という堅固な岩という高次の
聖地を作るという観点に
欠けていて、
愚かである。 (2019年04月19日 19時48分46秒)

心の教会   もうり さん
なんか、
新しい主義が
できてしまいそうな
勢い。
そもそも物質的な
教会に金をかける
必要はない、
我々が心の中に
立派な教会を建てる技術が
ありさえすれば。

芸術は
高貴な営みだが、
一歩間違えると
俗物たちの文化になる。

なるほどなあ、
金持ちブルジョアどもが、
荘厳で立派な
お城に住んでたとしても、
心の中に
立派なお城を建てた貧者より
劣るわけだな。

それに、
たとえば、
どんなに金持ちであったとしても、
私みたいに
金剛界曼荼羅を観た人間の
ほうが、来世にもっていけて、
しかも朽ちない永遠の富を
有しているから、
明らかに無限なんで
有限で消滅する富を
持つ全てのブルジョアより
すぐれている、
それでいて、
ブルジョアのような
搾取もない。 (2019年04月19日 20時04分47秒)

北方領土問題   もうり さん
北方領土問題、
ロシアに
あげてしまっても
いいのではと
思ってしまう。
こうして、
ロシアを南下させ、
日本にロシアの霊性が
流れる経路を作る。
必ずしも
土地を譲ることは
悪い面ばかりじゃないと
思います。
沖縄を通して
欧米文化を南から
流入させて、
本州は韓国と
北朝鮮や中国を流入させ、
北の大地、北海道からは
ロシアを流入させる。

これはよいことだと
思いますよ。
たとえば、
なぜ中欧たるドイツで
シュタイナーや
ヘーゲル、ノヴァーリスや
ゲーテなんて
全人的な偉人が
生まれでたことが
できたのかというと、
まさにドイツが
「中」欧だからだと。

日本も、
このようにして
ロシア文化が
流入する経路を
確保して
文化面での
国力増強を図れるのでは。 (2019年04月19日 20時19分45秒)

智慧と慈悲の一体化   もうり さん
智慧と
慈悲の一体化が
妙法蓮華経だと思います。

そしてこれが
岩を形成することかなと。

では、
智慧と慈悲の
一体化とは
一体何か。
それは、
八正道や
六波羅蜜といった
実践法を無意識レベルに
まで血肉化し、
当たり前の能力に
することです。
そして、
この能力となった
法でかつ、
慈悲心も身につけていて
この法を用いて
自在に利他行をする境地、
これこそが、
妙法蓮華経であり、
大日如来の蓮華であり、
仏界に目覚めることであり、
一乗とは、
二乗という智慧の側面と
菩薩という慈悲の側面が
統合された姿なのだと
考える。

精神的な生活によって
自分の生命の主人に
なれる、とあるが、
これは要するに
生命に法を刻印することであろう。

今から
妙法蓮華経の
意味を確認してみるが、
妙法とは智慧、愛の叡智、
八正道や六波羅蜜等の
理論を表し
蓮華とは慈悲、利他行を表し
妙法蓮華とは両者の
統合を示すのではないか、と。

つまり、
一乗の教えとは
大日如来の教えであり、
智慧と慈悲の統合のことと
読む。

考えて行動するのが
味噌であるが、
そもそも考えて行動すること
自体が、
たぶん無意識レベルで
できるようでないと
いかんのだろう。

それに、
能力とは
無意識レベルで
一から考えなくても済む
という側面があり、
トイレをどうやって
使おうか、とか
コップを使ってどうやって
飲もうかなどを
考えるのは
いかにも馬鹿らしいのであるが、
私の場合、
いろいろなことを
無意識化しまくった
結果、
仕事でいざ考えて動く
必要があるときに、
それができなくなってしまった。
私は無意識的に
動き、余裕を全て
日常生活とは
関係ない思索に
充てているんで。

普段の生活では
考える必要がないから。 (2019年04月19日 22時55分10秒)

妙法と八正道   もうり さん
なぜ
妙法が
八正道や
六波羅蜜なのかというと
六波羅蜜も
八正道も
幾つかに分析された
徳智ではあっても、
これを総合すると、
一体の一つの
妙なる姿となるであろうからである。
八正道とは、
八つなようで、
あるいは
六波羅蜜も
6つなようで、
それを究めると
どちらも一つの姿となり、
心の全体像となると
思うからである。
従って、
これが妙法である。
そして、
この妙法、
すなわち智慧だけで
も完全な教えではないので
方便と言われる。

そして、
蓮華とは
慈悲、心臓に
対応し、菩薩に
対応する。
あとは、
菩薩行に
智慧を無意識レベルで
こめて行えるようになったなら、
永遠の命を会得し、
ブッダとなると思います。 (2019年04月19日 23時07分26秒)

人智学と法華経の合流   もうり さん
こうして、
智慧と慈悲の
一体が
妙法蓮華経として、
利他行に
法を染み込ませることが
ブッダとなることだとするなら、
これはまさに、
生命に叡智を組み込んだら
生命霊、すなわち
「ブッディ」となる、
という話とも
つながってくるのであるのだが
だが、
私は、
そもそもあまりにも
先を急ぎ過ぎている。
そもそも、
今の時代は、
生命霊の時代どころか
意識魂の時代であり、
マナスの時代への過渡期で
あっても生命霊の時代には
達していないのだ。

従って、
私は先を急がず
意識魂とマナスの
育成に勤しむだけで
いいんだと。

マナスに
関して言えば
よく学ぶ以外に、
感情を浄化する方法を
考えていくこと。
特に、食欲から
自由になりたい。

だから、
修行も予定変更だなあ… (2019年04月19日 23時34分42秒)

空の瞑想   もうり さん
つまり、
私が
やるべきは
空の瞑想だな。

これを通じて
煩悩をはらう。

既に無明は
はらってると
思うんで
学道はもういいかな。

だから、
自分の実践は
すごくシンプルになった。

空の瞑想と
仕事の勉強を
すればいいだけ。 (2019年04月20日 00時00分35秒)

仏教の無神論と有神論の統合   もうり さん
仏教は
無神論だと
思えて、
実は空の意味で
無神論を
説いていると
考えれば
神はいるとも
いないとも考えられる。
唯一の存在だから、
存在を確認する方法がない、
この意味で無神論であるが、
人間から観た絶対者と
観ると神はいるのではと
考えます。

そもそも、
一神教、多神教という
対立自体が両者とも
人間の分別故の
対立に過ぎず、
であるならば
無神論と有神論の
対立も、
人間の分別故の
対立に過ぎないでしょう。 (2019年04月20日 07時20分06秒)

円の美しさ   もうり さん
私は
角が立っている
ことよりも
円満な円さや調和の
ほうを好むのであるが
世の人々は前者を
よく好む。
前者はカッコ良いのだが
後者は美しい。
刺激的なのは
前者だが
精妙なのは後者だ。
世の人々は後者を嫌い、
円満さをつまらないと
感じさえする。

ところで、
私は野蛮さを高貴さと
統合しなくてはならない。
これは
聖書にもある通り、
乙女マリヤが
高値の油をキリストに
注いだ時に、
イスカリオテのユダが
その金は貧乏人のために
使うべきだという、
反転した野蛮さから
試みられるであろう。

そして、
次の、既知の思想となった。
すなわち、
内面が高貴な人にこそ、
物質的な豊さ(野蛮)が相応しいのである、と。

いや次のことこそ
真の対立だ。

つまり、
中身が高貴でないのに
物質的に着飾ること、
形だけを重視するのが
野蛮さだと考えるとどうか。
これを大聖堂の件で
考えると、あながち
これの再建への寄付も
間違いではないかもとなった。
すなわち、
形や見た目だけでも
偉大な芸術作品が、
人間の中身を形成する、
という側面があるかと。
だから、
野蛮さと高貴さの
対立の真の姿とは
「形から中身が生じる」
ことと
「中身から形が生じる」
ことの対立である。
このような円環構造が
あるので我々は
人助けを通じて
心の教会を作りつつ
偉大な建築物も
作っていこう。 (2019年04月20日 08時46分18秒)

本寄贈   もうり さん
結局、
瞑想のためと
とっておいた
「詩編」を寄贈
してきちゃいました。 (2019年04月20日 11時05分48秒)

霊的歴史と世俗的歴史   もうり さん
霊的歴史、黙示録から
地球の輪廻転生まで
含んだ壮大な
歴史は
既に明らかに
され、その未来を
見据えて活動できるが、
と、同時にこの歴史は
本質を語るから
基本方針にはなれど
現状に近い自分が
生きている間の
未来を見据えて
活動するための考察のためには
まだ足らない。

基本的には
愛が大事なんだけど、
もっとリアルな何をすべきかの
考えが思い浮かばない。
しかし、
方法は推論なんで、
未来予測の方法も、
演繹か帰納、
どちらかしかないだろう。

たとえば、
私は推測するが、
純粋にこのまま人口が
推移すると国が立ちゆかなく
なるんで、
移民賛成反対以前に、
移民を受け入れるしかない
状況がやってくると考えます。
(2019年04月20日 16時45分34秒)

仏教的キリスト教にとっての無常   もうり さん
空の
特徴として
無常や
諸法無我があると
思っている。

また、
今の時代にあっては
ブッダと同様の瞑想を
通じて意識を進化させるのは
相応しくない。

なぜなら、
我々は、
単に死ぬのではなく、
輪廻転生し、
また、単に
牢獄のような
輪廻の円環に捕らわれるのでも
なく、
宇宙進化、人類進化の
道を行くのであるから、
従って、
我々の瞑想の内容は、
人智学的な、
生まれてからそれぞれの
意識において意味のある
生を通じて修行し、
死後、
それが人生の精髄の果実
となって、天国に行き、
さらに強くなって
来世を迎える(詳しくは
シュタイナーの「神智学など」)
と瞑想すべきである。

このように、
単に世は苦だと感じる
生滅の瞑想を
超えて、希望をもって
進化を楽しむ瞑想をやろう。
ほら、
聖書にも、
やがて獅子と羊が
共に遊ぶようになる
みたいなことが
書いてありましたよね。
この世は進化する。
平和に向かって、
愛の成就に向かって、
進化していく。

だから、
結局、
私のやる空の瞑想とは、
単にシュタイナー心経を
読むだけでよくなった。 (2019年04月20日 18時16分21秒)

三種の念仏   もうり さん
シュタイナー心経に
よると、
心が繰り返し
納得することで、
その性向が
生命に刻印されるらしい。

従って
おそらく、
シュタイナー心経を
瞑想し続けると、
来世で前進しようとする
意志となり、
主の祈りを唱え続けると
あらゆる方向への意志となり
般若心経を
瞑想し続けると、
マナスへの意志となり、
南無妙法蓮華経を
瞑想し続けると、
ブッディへの
意志となり、
南無阿弥陀仏を
瞑想し続けると、
アートマへの
意志となるであろう。

つまり、
念仏とは、
来世利益的であり、
来世において
精神修行しようとする
意志を生じさせるのだろうと
思います。
つまり、自力救済の
端緒であり、
凡人が、
ブッダへの道に
移行するプロセスの
始めだと解釈する。 (2019年04月21日 03時46分35秒)

主の祈りで十分   もうり さん
どうやら、
瞑想は
主の祈りで
十分なようだ。

御名が崇められんことを
御国が来たらんことを
御心が天で行われるように
地でも行われんことを、とは
アートマ、ブッディ、マナスを
示し、またこれら霊的存在が
実現するようにとの瞑想であり、
日用の糧を今日も与えてください、
我らに罪を犯すものを
我らが許すごとく、
我らの罪をもお許しください、
我らを誘惑に合わせず、
悪よりお救いください、とは
それぞれアートマ、ブッディ、
マナスへの、上の祈りは
霊的存在の願いが叶うように
との願いであったが、
今度はその霊的存在による、
我々に対してこういう風に
してくださいという祈りであり、
瞑想である。

従って、
もはや
南無阿弥陀仏も
南無妙法蓮華経も
般若心経も唱える
必要はなく、
ただシュタイナー心経と
主の祈りを唱えれば
よいとわかった。 (2019年04月21日 04時38分30秒)

ブッダチャリタ最高!   もうり さん
講談社の
ブッダチャリタは
最高である。

これ、カラマーゾフより
面白いな、
私的には。
まだ六章まで
しか読んでいないのだが、
無常ということが
よくわかる。
出会いさえも無常である。
若さも無常である。
万物流転は
出会いにも、
若さにも適用される。

若さという構造体も
いずれは崩れ、
出会いという構造体も
いずれは離散する。
であるならば、
なぜそれらを
「在る」と言えようか。
それらはいずれなくなるのだ。
いずれなくなるものに
執着すると苦しいのだ。
だから、私も、
永久に無職を楽しむことは
できない。
困った話、私は
動きたくない。
労働、家事、全て面倒くさい。
これは私が気質で
言うと粘液質だからかもね。
胆汁質になりたい。
休むことに執着しすぎている。

言葉にできない、
気づきの感動がある。 (2019年04月21日 12時55分25秒)

ブッダチャリタ 苦行の意味   もうり さん
確信したこと。

やっぱり金持ちは
地獄行きだなと。
いや、
別に王者や経営者になって
民衆のために
善政を敷くみたいなこと
とかなら、
天国に行けるとは
思いますよ。

しかし、
ブッダチャリタの
言葉と、
聖書の言葉から
したら、
基本、貧者や弱者に
思いやりを実行しなかった
強者、金持ちは
地獄行きだなと確信した。

ブッダチャリタによると、
苦行は天界に生まれるための
修行方法ではある。
しかし、これは解脱の方法では
ないので、結局、再び地上に
生まれてしまう。
これを逆に考えると、
苦行の正反対の方向に
生きる者は地獄に落ちる。

次の聖書の内容からも
伺える。
奴隷と主人がいて、
奴隷に思いやりを
実行しなかった主人は
死後、地獄に落ちて、
奴隷は死後の世界で
神と共に食卓に付くという
描写があったので、
この世でいじめられた人たち、
人に苦しめられた人たちは、
安心してください、
あなたがたは天国に行けるでしょう。

そうはいっても
弱者側も
ノヴレスオブリジュしてくれる
強者には、
なんとかして
その負担を分かち合うことを
考えないといけない。
いくら弱者だからといって
なるべく平等に近づける
努力を。

例えば、
新自由主義者なんかも、
これも結局は
新しいようで、
単に修羅道に堕ちる人たちに
過ぎないのではと
思われますね。

なんでも
自己責任にして、
弱者への思いやりに
欠け、弱者を踏み台にすることを
躊躇なく平気でやれる
奴らは単に修羅道に
堕ちるだけ。
(2019年04月21日 20時43分00秒)

無限の欲望の終わり   もうり さん
無限の欲望の
終わらせ方。
無限の価値を持つものを
自我の中に入れれば
おそらく欲望は終わる。
つまり真理を体得することを
試みてみよう。
無限の欲望を満たすには
言うのは
簡単な話で、無限を獲得すれば
よい。
それは有限の物質では
不可能だから、
金を求め過ぎる人は愚かだ。

そして、
空や無常とは
言い換えるなら全体性である。
例えば、
人間は子どもから大人から
老人へと移行するのが
法則である。
そして、
我々の心には、
そもそもこの、
空という全体性で
構築された心の部分に
欠けているからこそ、
まさに空概念の瞑想や
実践で会得して心をより
全体性に近づける必要があり、
それが心の進化なのだと。

従って
進化のために
空概念の印象に集中するのが
有益だというだけのことで
別に幻それ自体に価値がない、
というわけでもないのだ。
例えば自我さえも形成されし
ものであるが、
しかし、その形成されしものも、
「芸術」だとみなしてしまえば
価値ありとなるだろう。 (2019年04月21日 22時54分48秒)

三句の法門とロゴス   もうり さん
三句の法門の
ロゴス的解釈

菩提心を因とし、
大悲を根とし
方便を究極とすとある。

これは、
上には菩提心、
下、つまり根には
慈悲心、
そして自利向上門と
利他向下門、
両者の意味を持つ
方便は、
つまりその中である、
という意味だと思います。
そしてこの
シンボルは、
まさに蓮華がぴったり
であろう。
俗世に下りつつも
天上的心を忘れないのだから (2019年04月22日 08時33分50秒)

仕事の知識と三句の法門   もうり さん
だから、
空海のように、
仏教的天上的智を
有するだけでなく
仕事のための
泥臭い技術知をも
もって、
仕事を通じて慈悲心を
育てていけないかなと
思います。

やっぱり何か、
仕事に関する
深い知識が
欲しいのだが
プログラミングは、
だんだんめんどくさく
なってきた。

ちなみに、
今日は瞑想は終了しました。 (2019年04月22日 08時42分19秒)

空海にはなれない。   もうり さん
私は
空海には
なれないんで
無畏施や
法施で
世の中のために
奉仕できるようになるか。

法施や無畏怖でも
慈悲行になるように
していけばいいのだと。 (2019年04月22日 10時32分38秒)

今日の善行   もうり さん
今日の善行は
唯物論信仰してる
家族が、
キリストの復活なんて
ないのにねと
イースターを馬鹿に
した際に、
キリストは復活したと
はっきりと断言したことである。
(キリストの仲間だと
言ったものは同様に、
キリストも仲間だと言ってくれる)

なんなら、
さっさとクローンなしで
素粒子から生命体を
創造してみろよ、
といいたいね。
しかし、
生命体は死ねば
物質になる。
後者は実証され、
前者はされていない。
これを帰納すれば、
まず精神が先にあって
精神から物質は生まれる。 (2019年04月22日 15時10分04秒)

可能態=無常=普遍   もうり さん
無常な事物、
空なるものとは
すなわち、
なんにでもなりうるという
可能態であり、
すなわち、普遍である。
空なるものの形成力が
形態を生じさせる。
これは可能態から現実態への
移行であり、
可能態としての
空なる、火のような
不定なる実体は
それ自体は一定で
増えも減りもせず
変化はないのであるが、
例えば人間も人間のままで
自在に姿勢を変えても
人間であるかのようである。

だが、
しかし、
問題は、
空を理解したとて
体得したわけでないってこと。
瞑想が必要である。

哲学とは、
この空なる真理の
様々な表現ではなかろうか。
キリスト教では
これをロゴスと言い、
キリストの名前は、
「存在する」である。 (2019年04月22日 16時28分55秒)

空と利他努力   もうり さん
慈悲と中道と
空と八正道との
関係は、
慈悲は、空なる
愛であり
中道は空なる
手段ということであろう。
慈悲とは区別のない愛であり、
中道とは両者を統合して
区別をなくす実践である。

例えば正しい言葉は
理法に従い、喜ばせ、
ためになることを語るというのが
その内容であるが、
これはこの3つを統合した
語りをして、思考と感情と意志の
統一を図る語り方である。

そして、
活動に関して言うと
努め励む必要があろう。
だらだら寝てばかりいないで
やるべきことは、全てやる
必要があろう。
こうして、よく活動することも、
実は万物流転の一種として、
空的であるからである。
父なる神は、常に働いておられる。

しかし、
私は粘液質なので
寝ていたい。
私の適応型であることや
人の言葉に平気で
従えることなども、
どうやら粘液質の性質な
ようである。 (2019年04月22日 19時17分32秒)

心の統一方法   もうり さん
私は、
たぶん、
仏教を理解する
知性はあっても
本当の意味で
無明をはらってる
わけじゃない。

シュタイナーによると
知性の進歩と
感情の純化、
意志の純化によって
マナスに至れるらしいのであるが、
純化というより、
感情の統一、意志の統一、
と言ったほうがいいのではと
思います。

それで、
ヘーゲルのように、
自分の集めた知識の
点と点がつながっていき、
空を確信した人間が、
無明を払った人間だろうと
思います。

そして感情の統一、
意志の統一、というのも、
快と苦の統一、
自利と利他の統一、
ってことだろうと
思います。
私の場合は、
感情の統一が
果たされて
神になりたいという
偉大な感情と
至福が生じは
しても、
悟り開いたわけでなく、
菩提心が生じただけだろうと
思います。
思うに、
感情の統一が果たされると
菩提心が生じる。
具体的には、
幼稚園から
小中といじめられたとしても
心歪めずいじめてくる
人にさえ善く振る舞う
経緯がありつつも
さらに自分が苦難の
時に訪ねてくる人がいて
感謝の念を抱く、みたいにして
自分によくしてくれる人にも
いじめてくれる人にも誰にでも
善く振る舞ったことが、
ムーンノードの時期において
絶えず色彩が変わる宝玉を
六柱の三対の羽で自らを
隠す神のような存在から
もらう夢見体験を
通して、
心の統合のための
最後の欠けた部分が
埋め込まれて偉大な感情が
生じたのではと思います。

だから、
私の仮説は
菩提心を生じさせる
方法とは快と苦の善意善行による
統一であり、
慈悲心を生じさせる方法とは
自利と利他の統一であり
自利と利他の統一という
場合は、だらだらせず、
空的性質を帯びるために
よく動き努め励む必要が
あるかと思います。
そしてこれが
統一される決め手は
夢で空いた部分に、
石版を嵌めるというビジョンが
そのシンボルであり、
その統一のために必要な
石版とは統一だから
霊的なものなんで、
37歳頃の、
次のムーンノードで
高次の自我と出会ったときに
与えられるだろうと
予想します。
そんで、この2つを
土台として、
ようやく最後に
悟りにいたるかと思います。
(2019年04月22日 20時47分43秒)

動かずの努力   もうり さん
部屋掃除、
調理等の家事も
すべきなんだけど、
動きたくないんで、
せめてもの
努力として
南無妙法蓮華経と
南無阿弥陀仏、
それぞれ15分間、
唱え続けた。 (2019年04月22日 22時00分31秒)

妙法蓮華経のさらなる理解   もうり さん
法華経を
買って読み、
さらなる
妙法蓮華経の理解に
達した。
これは
声聞、独覚、菩薩、
の三乗のそれぞれの教えは
実際は区別のない
一乗の教えに過ぎないという
教えである。
例えば、
声聞における、
諸行無常や諸法無我、
空の根本原理は
独覚の因縁論や縁起論と
同じであり、
また声聞の実践たる
八正道と
菩薩の実践たる
六波羅蜜も、
もともとは区別のない
精妙な同じ現実から、
目的に応じて異なる角度から
それぞれ違った法を抽出したに
過ぎない、
だから、
声聞も独覚も菩薩も
区別なく、
実際は精妙な
無分別的な現実である
一乗の教えに過ぎないわけだ。

私はこのように理解して、
思わず南無妙法蓮華経と
繰り返し唱え、信仰心が
増した気がした。
六波羅蜜も八正道も
同じであり、
あえて区別するならば
精神領域ー道徳が
八正道であり
政治領域ー法が
六波羅蜜であり
経済領域ー人倫が
キリスト教の
博愛である。

八正道は
個人的、主体的観点であり、
六波羅蜜は
私と他者の平等性を観る観点であり、キリスト教の博愛は
両者間の中心から観た徳に
思います。

このようにして、
私は仏教的キリスト教を
イメージする。 (2019年04月23日 16時05分13秒)

シンプルな理念 目的論   もうり さん
目的を
抱くとは、
終着点を
決めることである。
設計図とは、
道を歩いていて
前方のある地点、
終着点を目指すことを
予め頭で理解し意識することに
過ぎない。

そして、
私は、
八正道とか
六波羅蜜とか、
複雑な理念を
頭に置くよりも、
シンプルに、
「他者」という理念を
念頭に置いて他者を
目指して行為できれば
それでいいと思います。
これが利他主義ってことである。 (2019年04月23日 16時11分55秒)

ブッダチャリタの寄贈   もうり さん
ブッダチャリタ、
王子が
ブッダになった
ところまで読んだけど、
なんだか途中で
贈与衝動が
湧いてきて
結局全部読まないまま
寄贈した。

法華経も
最初の話で
理解したんで
寄贈した。 (2019年04月23日 16時18分32秒)

工学の本質と目的論の関係   もうり さん
工学の本質。
動力源と
意図したことを
引き起こす機能装置と
この両者を結びつける
伝達装置に、
この伝達装置という
関係性の構造を
変化させることで
機能装置から
生じる結果を
変化させる
操作装置、
この4つの側面が、
工学の本質ではと
思います。
また、
工学は、
求める機能を
結合させて出来上がり
その諸部分は
意図した機能に適応した
形態をしている。
つまり、
機械とは目的のための
その必要な
数の目的に対応する複数の
機能の統合体である。
例えば

そして、
目的論が
意図した結果を
出すために、
操作装置に結びつく。
車と運転や調理とキッチン、
洗濯機と事前設定などなど。
そして操作する際は
仕事単位に分析して
効率を考える。

こうして、
私は、
語学、プログラミング、
工学といった、
哲学、数学、自然学という
三大理論に対応する
技術の本質を掴んだので
あった。
(2019年04月23日 19時16分48秒)

工学でさえロゴスが貫く   もうり さん
工学でさえも
ロゴスが
貫くということ。

戦術という具体的レベルにまで
ロゴスが貫くことは
以前語った。
それは各地点での目標という
構造体をその構造自体に
含まれる内容から
決まる手順で組み立てていく、
という風にして、
目標自体の全体性という
ロゴス性に、
目標と結果がプロセスで
結びつき平等となるという
ロゴス性であった。

さらに、
これに加えて
動力源という端と
結果を出す機能という端に、
その両者の関係性たる
伝達系という中項があって
操作装置は
この伝達系の構造を
変化させるものとして
中項たる
伝達系が動くとイメージするならば
見事にこれも、
三位一体のロゴスという
側面があり、
実学なのにも
関わらずここにも
観念論の支配が見られると
わかったのであった。

そして、
宇宙はもとより物質や
エネルギーが一定であるという
原理が
普遍ーあるいは可能態を
示し、この一定の中で
諸現実が生じるという
現実態の面があり、
そしてこの現実態が
そうではあっても、
人間が様々な姿勢を
取れる形で、
宇宙もまた様々な現実が
可能態の中に眠っていると
見れば一定の原理が普遍、
今の現実が個別、
そしてその様々な可能な
現実への関係性が特殊として、
宇宙さえもロゴスだと
みなしうるし、
また例えば地球システムや
生態系などの面からしても、
何者も独立して存在しないという
諸法無我の点が、全一性として、
これもロゴスであると
見なせるのであった。

こうして、
我々は
動作や行為、
戦術から、工学、
果ては宇宙等の自然科学にさえも
観念論を見いだし、
天上から地上へと、
抽象から具体へと
ロゴスの真理が
刺し貫くのであった。
(2019年04月23日 19時32分35秒)

操作装置と知覚装置   もうり さん
そして、
動力源と
伝達系、
作用装置に
操作装置の
4つであるが
これは一言で
言うならば、
「意志装置」であろう。
あとは装置装置に
人工知能等情報装置を
取り付ければ、
ロボットになるのではと
思います。 (2019年04月23日 20時35分17秒)

主観と客観の統一と妙法蓮華経   もうり さん
仏教の
八正道や
六波羅蜜等の
諸々の実践を
一乗のものとして
妙法蓮華経と要約する。

そして、
この妙法蓮華経、
智慧と慈悲が
テーマであるが、
これは哲学的に
言い換えると
主観と客観の
統一ぽい。
理論と実践の
統一でもある。

だから、
やっぱり
瞑想だけでなく
周りのものへの
布施がなければ
悟りには至れないかと
思います。
八正道には
思考や瞑想の側面と
行いの側面があるように
六波羅蜜も同様であり、
これって、
智慧と慈悲、両者を磨かないと
悟りはないことを示していると
思います。
主客一体の境地 (2019年04月23日 20時53分46秒)

俺はラッキーだったんだ!   もうり さん
プログラミング
phpやろうかと
思っていたけど
めんどうになってきた。
そこで、
家族から偶然、
英語やればとの話が。
それもいいかな、と、
教室を聞いたところ、
なんと家の近くに。

こりゃ、
神の采配だな。
この勢いの波に
乗ろう。

俺はラッキーだ。
いじめられていたころの
不幸からようやく解放されたな。

プログラミングも
タイミングがよく、
ラッキーを感じて
やってみて、
前の職場も、
ラッキーで入ることができた。
なんだろう、
神様から援助されている。

このラッキーは
やはり、
割と広い範囲で
持続して善行を
積み重ねた功徳の
結果かもしれん。

この、
ラッキーの連続、
これ父なる神の
おかげなのか、
あるいはカルマの
おかげなのか。

俺はラッキーだったんだ! (2019年04月23日 22時12分58秒)

主の祈りの訂正   もうり さん
寄贈した
シュタイナー用語辞典が
リサイクルに
出されてたので
再び自分のものにして
主の祈りについて
書かれてある部分を
読んだ。

すると、
御名が崇められんことは
マナスに、
御国が来たらんことをは
ブッディに、
御心が天で行われるように、
地でも行われんことは
アートマに、
そして毎日の糧が
与えられますようには
物質体に、
我らが罪を許すように
我らの罪をも許してくださいは
エーテル体に、
誘惑に合わせずは
アストラル体に、
悪より救ってくださいは
自我に対応するらしく、
また国と力と栄えとは、
宇宙進化の
生命状態とか惑星状態とか
宇宙進化の階層構造の
各々に対応するようである。 (2019年04月24日 02時23分20秒)

処女ソフィアと聖霊   もうり さん
シュタイナー用語辞典で
意識魂のことについて
読んでみた。
そこには
アストラルを
処女ソフィアにして
エーテル体を
聖霊にすれば、
両者から「人の子」が
生まれ人の子とは
意識魂が精神的自己を
内部に輝かせている状態だと
書かれてあった。
意識魂は35歳頃に
生じる、
とも書かれてあったのだが
浄化されたアストラル体、
つまり菩提心を持つことを
処女ソフィアといい、
曼荼羅を聖霊だと
みなすなら、
私は、
そうなる条件が
揃っているみたいだ。
だから
未来が楽しみである。

しかし、
今も利他行と
瞑想行を
緩まずやっていこう (2019年04月24日 02時38分01秒)

悟りに至る   もうり さん
ひょっとしたら
私は既に
聖霊はあるんで、
意識魂が生じ、
なおかつ心が
純化されているならば
その聖霊が
意識魂の中に
入ってきて、
私は悟りに至れるのかも
しれない。

処女ソフィア、
浄化されたアストラル体とは
菩提心なのか、
それとも霊的知覚器官に
目覚めたアストラル体の
ことなのかはわからない。

しかし、
回心体験で
心統一がなされたと
思うんでこれは
浄化じゃないんだろうか?

意識魂の育成のためにも
善行をしなくては (2019年04月24日 03時01分21秒)

偽エリートの量産   もうり さん
東大生男、
自分より低学歴の
女を身分低いみたいに
思ってたくさんヤリステする問題が
四十年くらい
ずっと続いていて、
東大女子が入れない
サークルが多いのも、
東大女子からそのことを
指摘されたくないかららしい。

これが事実なら、
もう四十年以上も
前から、
日本はエリート教育失敗している。

頭の良さなんて外部装置のような
ものに過ぎない。
頭でっかちで、
東大生だからって
傲慢になって自分より
下のものを見下す時点で、
王の器じゃない。

イケメン慶應生の
女性への詐欺暴行事件も
そうだが、
日本はそもそもエリート教育が
崩壊している、
だからこそ、
そもそも日本には
まともな政治家や
官僚や公務員が存在しにくいのだろう。

来世は女性になって
女の権利を勝ち取るか。 (2019年04月24日 10時52分32秒)

カレーの本質的作り方   もうり さん
カレーの本質を
理解した。
これ単に小麦粉に
カレー粉と水を入れたら
いいだけだわ。

私はそう理解して、
今日の利他行として
皿洗い、
土鍋でご飯炊いて
トロピカルカレーを作りました。

このカレーは、
まず肉を焼き、
しょうがと塩を振りかけ
刻みトマトとりんごの
代わりのバナナを入れて焼いて
その後野菜を入れる。
最後に、市販のカレールーではない
粉からのカレー粉と小麦粉を
適当に入れて水をかけてかき混ぜたら完成です。

カレーの本質は
小麦粉とカレー粉とお湯、
味噌汁の本質は
お湯と味噌、
このように、
本質だけが乗った
レシピ本が
欲しいものですね。

小麦粉の意味、
粉系の意味とは、
液体に粘性を生じさせ、
個体と液体の間の
状態構造を作ることと
みたり (2019年04月24日 17時04分01秒)

素材の意味   もうり さん
どの私が
これまで読んだ料理本にも
粉系の意味が
個体と液体の
間のとろとろどろどろした
状態構造を作ることにある、
とか本質が書いてないんで
つまらない調理本ばかり。

従って実は調理の
理解にさえ哲学的感性は
有用である。

なんでか
だーれもこのことを
書かない。
なんでかな?
当たり前過ぎたんだろうか。
(2019年04月24日 17時09分11秒)

瞑想と利他   もうり さん
今日は
瞑想と
利他ができたし
充実した1日だった。
ちなみに
無職なんで
お昼寝もしました。 (2019年04月24日 17時13分24秒)

三車火宅の意味   もうり さん
法華経の
三車火宅の意味。
苦しみの
火中にいる、
三種の修行者、すなわち
声聞、独覚、菩薩がいる。
如来は彼らにそれぞれ
望みの車を与えるから
そこから出ていけという。
そして彼らはそれぞれの
車にのって苦しみを
脱するのであるが、
実は彼らそれぞれの
車とは仮の姿であり、
真の姿はもっと偉大な
どれも同じ車である、
ということです。

そして、
一乗の教えとは、
つまり平等なんですが
そうすると
同時に博愛、自由、
ということにもなってきます。
なぜならこれら
3つの教えは
万人向け、
万人を救う、
万人を乗せた理念だからです。

私は、
家族には
物質的な食事を
与え、
ネット民には
霊的な食事を与え、
自らには
瞑想する、として
実にささやかな充実を
感じます。 (2019年04月24日 18時37分18秒)

実に多様な法華一乗。   もうり さん
だから、
私の考えでは、
単に、
思いやりを
もって他者に善いことをする、
このような当たり前の
教えでさえも
悟りに至る道、
豪華な牛車に乗る道である。
だから、
確かに完全に豪華な牛車の
緻密な全体的修行内容では
ないにしても、
当たり前の素朴な善行でさえも
実はそれに乗っているので、
輪廻転生を必要とするかも
しれなくても、
そのような良心的な人たちは
やがて救われる。

阿吽という漫画の
最澄が叫んだように、
救いは無限なのである。

だからして、
そもそも法華一乗の
教えとはそもそも
仏教という
枠組みに縛られる教えでもない。
(2019年04月24日 18時51分04秒)

素朴な市民感情を嫌う人たちへ   もうり さん
素朴な市民感情を
嫌う人たちに
言いたいのですが、
ではあなたがたの
その感情が
素朴な市民感情よりも
絶対的に高い位置にあるか
自問してください。
相対的な位置にしかないなら
あなたがたも
相対的には素朴な人たちだと
知りなさい。

なぜならば
無神論者の賢い科学者たちでさえ
素朴な信仰者と
相対的な位置にしかないからです。
素朴な信仰者は
人間にとっては愚かだが
神にとっては賢い。

それでわかったことであるが
私は教会にやってくる
知的に難がある信仰者を
高く引き上げる。
彼らは単なる無神論の
賢い科学者と対等である。
なぜなら賢い科学者も
無神論であるならば
ある意味神の目から
見た知的障害だからである。 (2019年04月25日 06時43分45秒)

精妙な夢   もうり さん
昨日の充実した
一日を過ごしてか
とても精妙な夢を
見ることができました。

発達障害者、
定型とか素朴な人たちを
馬鹿にするというイメージが
定着したが、
発達障害って時点で
完璧ではないのでは。

発達障害者とか
あるタイプの人たちは
一方では
男尊女卑の世にあって
苦しみ怒る女性の男性への声を
馬鹿にしつつ、
(フェミニストということが
賢さを意味しないのが
自明なのにね)
自分は定型や素朴な
人たちを、
自分にあわないから、
被害にあってきたからと
馬鹿にするというイメージがある。

フェミニストには
被害にあってきたからといって
男性への逆攻撃、
憎しみによる認識の偏りを
フェミニストの観点から
批判しつつ、
自分の定型や素朴な
人たちへの悪感情は
肯定するって
フェアじゃない気がする。

異論は認める。
私も思い込みが
入ってるかもしれない。

で、
発達障害者が
社会と平和に
生きていく方法って
定型や素朴な人たちを
馬鹿にしまくる
修羅道を歩むことなんすかね、
と問いたい。

いや、
もちろん私も
単に牙をもたないことを
賞賛するタイプではないのだけどね。
つまり、
社会適応ではなく
社会変革のためには、
その立ち向かう気概が
必要かもとは認めます。
しかし、フェミニストや
発達障害者といった
少数派は、
どのように
立ち向かうべきなんでしょうねえ?

一番の問題はここですね。
やたらと馬鹿にするのは
社会変革のためになるかどうかが
議論のポイント。
そもそも素朴な人たちを
いくら馬鹿にしたところで、
彼らが賢い人に変わるとも
思えないんだが…。
(2019年04月25日 07時28分55秒)

なぜフェミニズムが支持されるのか   もうり さん
社会変革の
ポイント、
キリスト教や
仏教から
分析するには、
それが
愛の変革だからだと
思います。
フェミニズムが
支持されるのも、
それが愛の変革だからだと
思います。

例えば、
仏教は、
カースト制度の
世にあって、
平等や慈悲といった、
「新しい愛」によって
変革を行い、
キリスト教も、
ユダヤ教では
敵を憎めと言われている、
しかし私は言っておく、
敵を愛せ、という風にして、
新しい愛を打ち出して
民からの支持を集めた。

フェミニズムも
同様にして
男尊女卑の世にあって
女性の苦しみを減らす、
男女平等といった、
新しい愛で支持を集めた。

だから、
発達障害者や
諸々の少数派の
社会変革も、
新しい愛を
打ち出すことが
一つの方法でしょうね。 (2019年04月25日 07時41分42秒)

社会支援のイメージ   もうり さん
社会支援の
イメージ。

一言で言うならば
主体と環境があって
両者の関係性という観点。
主体が健常でないぶんだけ
環境が支援し、
主体が健常なぶんだけ
環境は彼らから自立する。

そうすると、
確かに、
強い遺伝子を
残したいという
欲望にも一理あることになる。
こうして、
自立できる個体を
なるべく増やしたならば
そのぶんだけ環境に
余裕ができ、
より弱者の支援に
回せる。

現実的な話、
強い人間が
多くなければ
弱者の支援は難しい。

だから、
少子高齢化社会って
まじでやばい。

それに、
やっぱり自分だけ
優位に立とうなんて
みみっちい考えも、
大勢を強者にすることが
ないからダメだな。 (2019年04月25日 08時00分00秒)

女性専用車両、真の男女平等   もうり さん
女性専用車両ってのは
強 姦とか痴 漢する猿のような
男性が蔓延する
事実から
必要とされた
「道具」だと
みるなら、
これは女性優遇というよりも
女性専用の下着があるのと
同じ次元なのではないか。

女性専用の
下着があることは
男性差別でしょうか?
女性専用車両も
これと同じことでは
ないでしょうか?

しかし、
まだ比喩レベルの
理解で明確に概念としては
理解されていない。

また、
真の男女平等とは
例えば童貞キモイみたいな
男性差別もなくしていけない
面がある。
このように、
男性にも女性にも
配慮するのが
真の男女平等なんで、
男尊女卑が事実だとしても、
男性にも配慮された社会という
理解がないと、
制御が効かずに女尊男卑に
行き着くだけだと予見します。 (2019年04月25日 08時26分18秒)

多様な性を考える   もうり さん
体が女で
心は男だとか
体が男で
心は女だとか
言う場合は、
必ず、
例えば風呂場や
女子大などでは
自分自身が
性的刺激を
受けるか、
周りのものが
その人の心が男でも
体は女だとして
男湯などに入ってしまえば
周りの男が性的刺激を
受けるなどする。
そこで、
トイレや銭湯の場合は、
男性専用、女性専用という
もとからある区別に、
さらに個人専用を加えればいいかと思います。
個人専用の銭湯では、
着衣室と風呂場が
個室になっている。
トイレも個室になっている。
そもそも個人レベルで
区別される。
他にも、
例えばトイレなんかでは
あなたは体は男ですか
女ですか?で場合分けされ、
道を進んでいき、さらに
心は男ですか女ですかなどとして
さらに場合分けされて、
トイレにたどり着くような
仕組みにすればいいのでは。

また、大学では、
性的少数派は
共学に行くべきだと
思います。
女子大で
体は男で
心は女だとかでも、
結局、心の目的とは
生物学的見た目なんで、
周りの女性を性的に刺激させて
しまうからです。

そして、
このように、
性的少数派に
配慮された
仕組みができない
内は、
性的少数派は
自分だけが
性的刺激を受け、
それに耐える道を
選ぶべきだと思います。
トロッコ問題です。
例えば、
もしも心が男で体が
女の人間が、
男湯に入るなら、
多数の男に性的刺激を
与えるので、
間違いを起こす可能性が
高い。
だから配慮が
行き届いた仕組みが
できるまでは
心が男で体が女の
人間は女湯に入り、
自分だけが
性的刺激に忍耐する
道を選ぶべきであろう。

そして、
配慮された個室がなければ
銭湯にはそもそも入らない
ほうがいいかもしれませんね。
なぜならもとから
銭湯はまだまだ
性的少数派のためには
作られてないと思うからです。

しかし、
トイレの場合は
しょうがないので
生物学的体にあわすべきだと
思います。
自分だけが忍耐したほうが、
周りの多くの人間に
忍耐させるよりも
間違いが少なくて済む。

しかし無論、
多数派は
少数派が忍耐しなくても
いいように仕組みを
作っていくべきだろう。
それに、
そのように、
忍耐するものが
少数派であれば
逆に数が
少ないので、
問題解決は数が
多い場合より用意では
ないだろうか?

このようにして、
社会改革は
おおざっぱな
大別的プラットフォームから
少しずつ繊細に
行き届いていくイメージ。 (2019年04月25日 09時51分35秒)

女性専用車両   もうり さん
女性専用車両問題は
男性専用車両を
作っても、
痴 漢する人間が
多いし
痴 漢する人間は
男性専用車両には
そもそも乗らない。
だから女性専用車両を
作ったほうが
合理的では
ないでしょうか? (2019年04月25日 10時03分30秒)

全一思想者としては   もうり さん
全一の
真理思想者としては
ごちゃごちゃ
物申すより、
南無阿弥陀仏とか
南無妙法蓮華経とか
主の祈り等、
宇宙の真理が
凝縮された言葉だけを
ひたすら語りたい。

シュタイナー心経を
凝縮した言葉が、
「主の祈り」です。

また、
常不軽菩薩が
ひたすら人々に
あなたは悟りに至る人です、
と言いまくった話は、
確かに法華経らしい。
全ては一乗の妙法蓮華なのだから。
これを言い換えると
さらに、各々が全一、
ミクロコスモスだとするならば、すなわちそれは華厳経となり、
これを具体的にすると、
曼荼羅の大日如来に至るんだと
思いますね。
曼荼羅とは、
すなわち堅固なる
一つの岩である。
しかしまた、
曼荼羅とは聖霊であり、
子なる神、父なる神となって
最終的にはキリスト教となる。
そして、仏教密教という
東洋の最高段階が
キリスト教に至ると、
人智学というキリスト密教となる。

つまり、
神智学、人智学、仏教密教という
三位一体の他、
仏教密教をヌーソロジーにした
三位一体も
あるかと思います。

だから、
私も法華経を理解した
その日に、
素朴な人である母に、
あなたは悟りに至る人ですと
言いました。
良心があるからです。

そして、
教会に通う、
少し知的に難のある人も
やがては悟りに至る人です。 (2019年04月25日 11時07分17秒)

全ては霊学   もうり さん
全ては
哲学というか
霊学なんで
一部の哲学者や
論者にありがちな、
役に立つ哲学なんて
クソくらえなんて
言って、
自ら全体性という
真理の原型から
分離しないというのが
私の立場です。

幸せになるためには
ブッダの言葉の一部である、
「仕事に秩序あり混乱せぬこと」
も達成されねばならないので。

ブッダは次のように
言います。
博学であり、
技術あり、
身を慎み
言葉巧みで、
父母を敬い、
妻子を守り
仕事に秩序あり
混乱せぬこと、
これがこよなき幸せである、
と。
以上は在家修行者のための
言葉ですね。

なんというか、
本当に、
円形の中道的言説は
人々からの共感を
得にくいですねえ。
偏った感性の人たちばかりだ。

まあ、
偏っていても
その領域を完成させていけば
それが悟りに繋がり、
結局その領域だけでも、
既に全一だという見解に
達してしまったんで、
結局、私だけでなく
みなさんも、
意図せずして
悟り、救いを目指しているんだよなあ。

それはさておき、
私はビジネスにも
役に立つ動作学=戦術論
=へーゲルの目的論=
八正道の正しい行為=実践哲学にまで至ることが既にできた。
これは個人的労働領域だけでなく、
経営という領域においても、
目的に応じてビジネスモデルから
組織を変える形で姿勢を変化させ、
この形態変化による流通方法の
流れに、個人の集まりである
個人が目的を構造化して
実践していく生産過程から 生み出される商品を
流し込んでいく。
経営者は自らの目的を
具体的に描いて、
それを構造化する。
そして、
その目的のために
企業という法人が
段階的に目標を達成していく。
つまり、ここでは
企業自体が巨人となって
戦術学を実践する。
だから、
経営者の目的が
金儲けだけなら
つまんない。
なぜなら、
せっかく、
巨人となっているのだから、
その巨人に相応しい目的を
与えるべきである、と思います。

ということは、
やはり、
日本の勉強を馬鹿にする
風潮はよろしくない。
法人という巨人となったならば
ステージもでかくなるんで
世界にはどんな企業があり、
世界や社会、国々は
それぞれ何を目的に動いているか、
という戦術学=動作学の基礎である、「地図」=「理想と現実の
中間形態」も、
そのぶん、どでかくないと、
駒を進める上で
主導権を握れなくなる。
そして、さらに言えば、
適応に反感を抱き、
変革という破壊を
好む人がいけれど、
正しいのは「合気道」である、
ということですね。
私たちは経済戦争すべきではない。
経済も巨人による合気道で
解決していくべきだとは思います。
そして、
この経済巨人の目的は
万人の命を救うことだ。
また、万人の命を
救いつつ、動物や自然を
敬うことだ。

でも、
本当に、
世界的プレイヤーに
なろうとするのって
このように考えるから、
非常に私には困難に
思えるよ。
(2019年04月25日 13時24分41秒)

今日の思考課題と修行   もうり さん
今日の
修行は、
シュタイナー心経を
黙読し、
その要約たる
主の祈りを15分間唱え続け
南無妙法蓮華経を同じ時間
唱え続け、
南無阿弥陀仏を15分間
唱え続けました。

般若心経が
届く予定だが、
これは毎日黙読でいいかなと。

そんで、
家族に昼飯を作りました。

今日の思考課題は
言葉における
真理の凝縮が
わかったから、
今度は行いによる
真理の凝縮を
考えることです。

また、
密教の本、
法華経の本、
原始仏教の本と
神智学の本、
人智学の本、
ヌーソロジーの本、
グノーシスの本、
聖書、カバラの本、
クルアーンと
フトゥーワの本に
神道の本、
魔術の本を
寄贈したのだから、
華厳経も寄贈すれば
全面的だと思い、
来月に実行する所存です。

本当にいろいろな
本を寄贈してきたなあ。
中には忍者の本とか、
銃についての本とかもあります。
こうして、功徳もためていってます。 (2019年04月25日 14時10分03秒)

真理の凝縮した活動とは   もうり さん
真理の凝縮した
活動とは。
これ、
結局思考済みでした。
できれば、
シュタイナー医学、
シュタイナー芸術、
オイリュトミー、
社会三層化運動や
社会三層的労働の
4つをやればいいんだけど、
これを、
生活、芸術、運動、労働の
4つと分析すれば、
これらは
そのまま
物質体、エーテル体、
アストラル体、自我、
に対応してくるかと
思います。

そーゆーわけで、
芸術面は、
やっぱり詩編を手放すべき
ではなかったけれども
仕方ないから聖書にある
詩編を活用しよう。

運動は合気道は、
集中して習ってる暇は
ないんで、
やはりエアロバイクを
継続しよう。

労働は、
英語を学んでみよう。

生活はいつも通りだな。 (2019年04月25日 14時37分15秒)

運動は気功   もうり さん
すみません、
運動は
気功にしますぅ。

さっそく、
詩編を読むか。
詩編も、
芸術は作ることなんで、
声に出して読もう。

(2019年04月25日 14時40分46秒)

今日の修行発表   もうり さん
今日の修行、
シュタイナー心経読み、
主の祈りを唱え、
南無妙法蓮華経を唱え、
南無阿弥陀仏を唱え、
家族に昼飯を作り、
詩編を唱え、
気功体操を行った。

あとは
失業保険が出るまで、
英語の勉強をしつつ、
転職先を探して
労働するようになれば、
ようやく、
全知の凝縮と
全能の凝縮が
果たされていくことになる。
これが私の宿願であり、
夢は果たされそうだ。

働きだしたら、
あとは保守的に
修行生活を維持する
のを続けるだけだな。

でも、
結局、英語以外の
労働のための
勉強が必要になって、
生活習慣壊れないように
するのに苦労しそう。

仕事、
何にしよう。

あと、
ちょうど金に
余裕ができたんで
法華経頼みました。

そういや、
中庸や大学といった、
儒教の本も寄贈したし、
仙術や道教の本も寄贈したんで
メジャーな宗教的な本は
だいたい寄贈できたかも (2019年04月25日 15時38分54秒)

遊びも仏道や否や?   もうり さん
修行という
お勤めが
終わると、
遊びの楽しみが
増加するなあ。

遊びたい気分になってきたよ。
人は、働いたり、
修行したり、真面目なことを
するからこそ、
遊びも楽しめるようになるんじゃないか、と
次のようにイメージした。

真面目な作業は
固まる。
遊びはほぐす。
固ければ固いほど
ほぐしがいがあるので、
真面目なお勤めが
終わった後のほうが
より遊びを楽しめるようになる、と。

さらに進んで、
そもそも正しいこと
真面目さと遊びは
対立しているとしたら、
遊びを取り入れて
ほぐすことこそ、
持続的に、再び
自らを固めがいがあり、
よりお勤めを楽しめるように
なるのではないかとも
思いました。

お勤めを行うことで
遊びを楽しめるようになり、
遊びによって
お勤めを楽しめるようになる、と。

固ければほぐしがいがあり、
ほぐされていると
固めがいがある。

頭だけで考えたことだから
事実ではないかも (2019年04月25日 15時56分09秒)

訂正です。   もうり さん
すみません、
購入したのは
法華経ではなく
華厳経でした。 (2019年04月25日 17時04分18秒)

キリスト教(人権)とイスラム法   もうり さん
キリスト教(人権)
とイスラム法(律法)
は対立しない。
それはあたかも、
キリスト教も
旧約聖書を
聖典と見ているかの
如くである。
博愛、平等、自由といった
理念は人倫に相当し、
ユダヤ律法やイスラム法は
法に相当し、
また各々の個人の
道徳がある、
と考えれば、
別に人権を廃して
出生率を選ぶなんてことは
しなくてもよいかと。

時代に適応するのは
主に法律ではなかろうか?
法律を憲法のように
不動なものと考えてるのが
そもそもの間違いかもしれない。
憲法は未来にも対応する。
出席率がやばくなったなら
それのための環境整備する
法律と、ムスリムの叡智を
見習った4人までの一夫多妻制を
認めればいいだけかと。
そしてなぜ一妻多夫制でないかと
言えば子作りの負担が
大きすぎるからです。
例えばイスラム法の
目的は宗教、名誉、理性、
生命、子孫、財産、と
言われているが
状況に応じてこのような
目的をもって法律を
定めればいいのではと
思います。

ここに人倫たる
博愛平等自由が
どう関わってくるかと
言うと宗教と理性の保護はさらに
自由の理念に基づいて
定められ名誉の保護はさらに
平等の理念に基づいて定められ
生命、子孫、財産の理念は
さらに博愛の理念に基づいて
定められる、と
考えてしまえば、
なんと出生率が高い
イスラム法が
キリスト教的と言われている
博愛平等自由の
人権理念によって統合されてしまう。

なぜならば、
イスラム法とか
ユダヤ的なものだけでは
人倫がないからです。

そして、
現在の西欧的価値観
で形成された社会の
欠点とは、
人倫が強くて
法律が社会に適応できてないんだと
思います。
法律は時代の影響を
受けやすいはずなのに、
思いきって一夫多妻制に
踏み込めないのが問題。
それはそもそも、
西欧がキリスト教絶対主義という
執着をもっていて、
素朴キリスト教だけでなく
グノーシスキリスト教と
イスラム教をも
一種のキリスト教として聖典とするという統合的価値観をもたないで、
自分の価値観に
凝り固まっているからだ。

西欧的近代社会と
その模倣社会は
法律が古びていて
ムスリム社会には
人倫がない。
だから、
結局、
ムスリム社会に
鞍替えしても
今度は人倫の欠如という
欠陥を抱えていて、
豊かになってきたら
再び西欧社会に
揺り戻しが起きる、
という繰り返しが
起きるだろう。

だから、
単に人倫を維持しつつ、
法律を西欧的法律だけでなく
イスラム法を参考にして
時代状況によって
柔軟に両者どちらかに
変えていけばいいだけかと
思います。

俺天才では。 (2019年04月25日 20時37分42秒)

新マニ教   もうり さん
そこで、
私は新マニ教の
必要性を
感じる。
父なる神アッラーと
それを崇拝する
子なる神という
ムスリムであるキリストに、
キリストが
人間に送り出す
聖霊という菩薩の総体、
つまり曼荼羅。
そしてこの菩薩の総体は
キリストに帰依する。
そしてこの曼荼羅から
各地のパンテオンへ
垂迹が起きると考えて、
全ての民族宗教をも
統合する。

そして
この宗教は
そもそもイスラム教でもない
マニ教であり、
一神教は、実に
単なる人間的見解であり
三位一体説は
一なる神の3つの形態であり
多神教は野蛮な見解である。
また仏教的無神論とは
絶対者自身は絶対的なため
存在の証明ができないゆえ、
また不定の炎のような存在故。
それゆえ、
無神論と有神論の
間に真実があり、
また一神教と多神教の
間に真実があり、
従ってそれは
人間に至るまでの
ヒエラルキーという
形を取り、
三位一体とは
3つの形態に過ぎないから、
イスラム教の
キリスト教への
三位一体批判も
当たらない。

キリスト教自体も
グノーシスキリスト教、
現キリスト教、
イスラム教と
3つに総合される。

仏教は空海が
総合した通りである。

誰か宗教的天才が
現れて、
このような総合的宗教を
作ってもらわないと
ムスリム社会も
キリスト社会も
どちらも欠陥を
抱えたままいずれ
破滅するだろうと
思いますね。 (2019年04月25日 21時05分43秒)

表現の自由が文化を停滞させる   もうり さん
オタク的な表現の自由、
むしろ文化を
停滞させてないかい?

なぜって
ミロのヴィーナスのような
性を超越したような
異性表現がほとんどないから。

ほぼ、
性を喚起させるような、
ユングで言えば
低い段階のアニマで
日本人男性の性的成長は
停滞している。
だから、
オタクの場合、
表現の自由が
かえって表現を停滞させている。

いや偏見かもしれんけど。

ただ、
萌え絵的なものの
氾濫は、
やっぱり性的ステージの
日本人のレベルの
低さを示していないか。

ちなみに
調べてみると
私は既に「叡智のアニマ」の
段階に達していると
わかった。
なぜなら宗教的真理探求者だから。

そんで
精神的なアニマの
段階とは
異性から性を超えた
精神性を見いだし
それを愛することとみた。
例えば家族女性の
理念から八正道における
「正命」を見いだして
それが欠けているなら
自分も取り入れる、
というのが精神的な愛であり、
女性を性を超越して観察するということだと思っておく。

そして、
ロマンチックな
アニマの段階は
人格は人格でもまだ
性への愛着があり、
たぶん人格は人格でも
「女性の人格」を
愛する段階かもしれませんね。

でもっと低い段階にあるのが
女性の肉体を愛する段階。
オタク文化は表現の自由によって、
ここに留まっている。 (2019年04月26日 08時46分24秒)

異性は無用   もうり さん
つまり、
精神修行の
観点からすれば、
もはや私には
異性は無用ということ。

だから、
やっぱり私は
童貞だけど
脱童貞になる
必要がないわけで
結婚する必要もないな。
なぜなら異性なしで
叡智のアニマの段階に
達してしまっているのだから。

結婚しても、
もはや得られるものはない。
たぶん。

だから、
ガツガツ求めず
運命の巡り合わせに
任せよう。 (2019年04月26日 08時53分25秒)

修行の簡略化   もうり さん
念仏修行は
主の祈りだけにした。
これに全て秘められているので
他は必要ない。
やたら修行を増やすことよりも
簡単なほうが優れている。
だから、
やっぱり般若心経も
念仏はやめとくか。
読んではみるけど。
華厳経も読むけれど。

朝の瞑想修行は
シュタイナー心経の
青い部分を黙読15分と
キリスト三密15分にしよう。

そして
残り時間は、
生活、詩編、気功、労働勉強に
あてよう。

これらお勤めが
終わったら、
今度は
「正しい遊び、正しい享楽」
について考えていかねばなるまい。
(2019年04月26日 10時47分58秒)

寄贈した本   もうり さん
司書さんに
教えてもらったんだけど、
私が寄贈した
とある本が人気らしい。
これは
寄贈しがいがあったなあ。

そして、
今日届いた
般若心経を
即日読み終えたんで
寄贈してきました。
これからよくわかったことは
私が全面的だと
思っているものは
全面的ではない。
現実は語ることができない、
つまり法というものもない、
しかし仮の法を取り出して
悟りに至ることが
できるということ。
これが
法華経の
一乗と結びつく。
精妙な語ることのできない、
無限の現実。
哲学もおそらく
真理に至るための
方便みたいなもんだろう。

またいつもの
修行をしました。
家族が、
私の作った
ご飯と味噌汁を
食べてくれました。 (2019年04月26日 16時18分06秒)

真面目さと享楽の弁証法   もうり さん
真面目さと
享楽の弁証法。

宮台先生が
既に遊びや享楽の
重要性について
説いていて、
エンデも、
哲学や思想は真面目過ぎて
ユーモアが足りない、
新しい人間観には
ユーモアが足されている、
と述べていたと思いますが、
真面目さが固さなら、
むしろ仏道修行とか
精神生活自体が、
固さとして、むしろ
空性から、真理から
離れてしまった状態となっている。
だから、遊びというほぐす
活動が、むしろ空性を
示すようになっている。
固くなればほぐして
ほぐしたら固くする、
この回転運動が
新しい修行だ。

そういうわけで、
いよいよ本当に、
仏の救いは無限である、
と思える。
遊び好きのヤンキーみたいな
方々も安心してください、
遊びも救いの一部です。

迫害された人たちなんかも
無論、救いの一部だし、

悪人たちも、
地獄に落ちることで、
むしろより鮮明に、
自分のやったことが
悪だと自覚され、
善に転換することができると
言えます。

地獄とは何かというと、
それは自分の心でしょうね。
自分の心より生じたものが
自分に向かっていっているだけという側面もあるかと思います。

そういうわけで、
私は十分な
本を読み終えたら
遊びを探求しなくては
なるまい。

正しい遊びとは
自分のあらゆる側面を
楽しませる、
円満な楽しみでしょう。
さらに言うと、
「遊びの中の正しさ、
遊びの倫理」、
も探求しないといけないでしょう。

ついに、
技術は4つあることとなった。
魔術、芸術、工学、遊びの技術、
である。



(2019年04月27日 18時05分28秒)

遊びの要素の総合   もうり さん
Wikipediaで
遊びについて
調べ、
次の4つの要素が
あると分かった。
競争、
めまい、
模倣、
偶然である。

私はこれを、
競争を意志、
めまいを感情、
模倣を思考と対応するものと
総合する。
そして、これらの
遊びが人間間で
なされる場合の他に、
神との間でなされる場合が
偶然であると思います。

そういうわけで、
私は占いの勉強を
やってみようかと。
タロットカードをやる。 (2019年04月27日 18時50分02秒)

対立物との統合   もうり さん
理論、
思考上では
必要悪も
善として、
戦士系騎士系と
統合を果たしたし、
悪との統合も果たした。
遊びと正しさの
回転運動によって、
チャラい系というか
ヤンキー系との
統合も果たした。

実践レベルでは、
戦士系は気功体操をやることで
対応し、
ヤンキー系は
賭け事、遊びという偶然性を
占いで対応させる。

また女性性は
叡智のアニマに
至っていることから、
女性との統合も果たしている。
実践レベルでは
最近では料理をよく作っている。

自分の
人智学の黙読、
主の祈り三密、
生活、詩編、気功、労働勉強労働、
これに対立する、
遊びとしての占いを
やることで、様々な個体を
一身に集めた包括的生活が
できていると思います。

そこでさらに
言うと、
私はアニソンが
好きであったり
ヲタク的側面もあり、
私の中でヤンキーとヲタクと
ヤクザ(身体性)
が統合されることに
なるのであるが
ヤンキーは
遊びという道、
ヤクザあるいは
英雄は武道とか
身体性の道、
インテリは学道、
宗教は愛、
芸術家は芸術(詩編)
職人は調理や芸術って
ところであり、
ヲタクは一体、
どのような道を歩いているのか、
よくわからんという問題がある。
まあ一言でヲタクといっても、
いろいろいますしね。

いや、
一瞬でわかりましたね。
まさに、
以上の生活を一言で
メインカルチャーと呼び、
そのメインカルチャー真面目生活に
対立するのが、
メインカルチャー遊び生活としての
占いやチェス、将棋、映画、
享楽快楽追求といった、諸々の遊びであるとしたならば、これらを包括して、
さらに対立するのが、
サブカルチャー的生活であり、
ヲタクは、この
サブカルチャー的生活が
道である、と見た。

ちなみに、
私はあまりリーダーになりたくない
思いがあり、王者や経営者の
素質に欠けるが、
修行して慈悲が生じたら、
その素質も備わることになり、
かくして全面者となる。

遊びによって、
さらに自分自身を超え、
兵士とヤンキーさえ
自分自身の中に統合した
つもりであるが、
実は自分がヲタクであると
みなしたとしても、
ヲタク的、
サブカルチャー生活とは
どんな道なのかが
まだよくわかっていないのを
発見した。
それゆえこのことの
思考課題に入る。

ちなみに、
私はよく独り行動を
しているが、
絆とか共感とか
仲間も大切だと
思っているので、
独りと集団との統合も
果たされている。

しかし、
他に対立したままなのが、
陰キャと陽キャの対立であり、
一言で言えば、
私には対外的な積極性がない。
あまり人と関わろうとも
しないし遊びに誘ったりもしない。
この積極性を身につければ
陽キャとの統合も果たされたことになると思う。
でも社交性はあると思うんで
本当にあとは積極性だけ。
そして、
この積極性とは要するに
胆汁質的気質が足りないって
ことなんだけど、
来世でその性質を獲得する
条件は満たされているので、
来世において、私は
陰陽師となるだろう。 (2019年04月27日 21時20分09秒)

幻想的ファンタジー   もうり さん
ヲタクの
特徴は、
やはり
ファンタジーにあると
思います。
それは、
アストラル世界に
全く新しい形象生命を
産出する役割が
あるかもしれません。
例えば、
ガンダムは単なる幻想ではない。
ガンダムは
アストラル世界に存在し、
生きている。

そして、
そのファンタジーの
本質は、
概念と概念との
精妙な統合にある。
例えばガンダムは
アンドロイドとサムライの
統合。
ケロロ軍曹は
カエルと人間とデフォルメ形象の
統合。

つまり、
概念連合を素材に
柔軟に組み合わせて
全く新しい存在を
産出する試みである。

これは、ラップでも
韻を踏むための言葉を
集めることで、
概念連合をさらに
複雑に絡み合わせる
ことと同じだ。

例えば、
単に物質体、生命、心、自我とか
犬とか猫とか鳥とかライオンとか、
客観的世界、精神世界に存在する
ものを記述するだけでなく、
これらをインフラにして
素材にして、
全く新しい存在や
ストーリーを産出すること、
これがヲタクの道であり、
これはまだ見ぬ世界、
まだ精神世界にも地上世界にも
存在していない物語と生命を
産出するという役割が
あるんだと思います。

つまり、
ヲタクカルチャー、
サブカルチャーにとっては
メインカルチャー自体、
メインカルチャーそのものさえも
素材にして、
新しい世界、木星期の世界を
作ることがその役割ではないだろうか。

だから、
私もラノベや
アニメにアクセスして
享受して
新しい精神存在と
結びつくことを
やりつつも、
経験を蓄えて自分でも
何かキメラを作っていけば
いいんだな。
だから、
ラノベやアニメを
見る時点で、私は
やはりヲタクとも統合されていた。
こうして、
陽キャ陰キャ側面以外での
ヤンキーとヲタクと女と
兵士との統合は私の中で
果たされつつある。
(2019年04月27日 21時46分01秒)

ヲタク礼拝   もうり さん
そこで、
私の考える
ヲタクの修行法は
自分の好きな
キャラクターを
礼拝しそのイメージに
集中することである。

私はだから、
やっぱりラノベとか
読み続けるのを
止めて、
好きなキャラクターへの
礼拝を15分くらい行うか。

私は、
アークザラッドの
「ちょこ」て
魔人キャラが
好きなんですよね。
魔人なのに
善の心を持つ二面性に
惹かれる。

よし、
これからは
メインカルチャー本と
占い本読み終えたら
英語の勉強しつつ、
働きだしたら
タロットカードの
実践遊戯を
毎日のお勤めに付け加えよう。
そんでさらに、
明日からは
ちょこへの礼拝15分間を
執り行うこととする。

(2019年04月27日 22時06分37秒)

真のヲタク   もうり さん
真のヲタクなんで
ちょこだけを好む。
そして
早速、
ヲタク礼拝やってしまった。
15分間、
魔人であり天使である
ちょこは存在するだとか、
キリスト様、ちょこを
存在させてください、とか
祈り続けた。
画像に集中しながら。

様々な
アニメや作品は
創作できない
人々にとっては
自分の一番好きな
キャラクターを
見つけるために
のみあるのではと
思えるほど。
創作できる人にとっては
新しいアストラル領域を
開くためにあるかなと

例えばアライさん
一択みたいな人も
いるようである。
私はちょこ一択である。
これから、
ちょこを礼拝し続ける。
これが私のヲタク道。 (2019年04月27日 22時45分46秒)

3つの遊び   もうり さん
3つの遊びを
やろう。
時間どうせ
あくから。
将棋と
音楽鑑賞と
タロットカード。

音楽鑑賞は
いまでも
普通にできるけど、
将棋は
戦術書を読みつつやりたいので、
タロット慣れてきてからだな。

組み合わせると
将棋でどの手を打つかを
タロットで決める、
みたいな、
古の将軍が
合戦で占いに頼った
みたいなのを再現できる。 (2019年04月27日 22時59分29秒)

バラモン左翼と商人右翼   もうり さん
バラモン左翼と
商人右翼とか
対立を浮き上がらせた
人いましたね。

私も、
現日本的右翼との
統合の道は、
あとは物質的反映、
物質的強さだけだと
思っています。
民族主義と国際主義の
統合を果たしているし
システムもなるべく
左翼にも右翼にも幸せに
資する社会がいいと思っているし
思考も意志も全面的にしつつあるので、両者のバランスがとれつつあるので、主知主義としての左翼と
主意主義としての右翼との統合も
果たされつつある。
また、知性主義の左翼に
対して反知性主義のネトウヨ、
に関しては反知性主義を信仰に
言い換えることで反知性主義と知性主義との統合を果たしている。

だから、
後は現右翼の
俗物的強さを
求める傾向を
取り入れたら統合完了かな、と。
しかし、
これが難しい。
なぜなら私は、
大きな望みを抱いて
実際宗教的成果を達成は
できても、
物質的には無能なので。

文化の次は、
金。
要は物質的に強くなれ、
ということ。
身体性の道は気功で
間に合うので残りは金。

これらができて、
最終的に慈悲が生じたならば
完全に右翼と左翼を
統治するリーダーの素質が
備わったことになる。

私の世界平和のために
なすべきことは
自分の心の内に、
矛盾を調和に
至らしめた心を
形成して、
日本に平和の可能性の
基盤を作ることで
世界平和の一部に
資することです。

私の思考は
空間を超えて方々に
作用しており、
また、
どうやら私の意志さえも
方々に作用しているようである。 (2019年04月28日 04時56分23秒)

女は必要ない。   もうり さん
女との付き合いは
羨ましく
思うときがあるのが
生じきな
感想であるが、
既にアニムスも
「意味」という
最終段階に入っていて
アニマも、
「叡智」という
最終段階に
入っているので、
もはや女と付き合っても
得られるものがないから、
私にはそれ以外の仕事があり、
子どもを産む必要があれば
神が運命の糸を作ってくれるだろうと信じてほうっておく。

だいたい、ナンパ等、
性的側面における
女性への積極性も、
まずは性という
泥を求めることから
始まってるわけで、
だから最終段階に
達してる私には
動機がない。

性を強調する絵は
ミロのヴィーナスや
受胎告知の絵画に
描かれる天使と比すれば
純粋ではなく、
性という汚濁がついたものという
視点もある。

性は純粋ではないので、
泥であるという面があることを
強調したい。
日本にはまさに、
性は汚濁であるという
価値観が全く欠けている。

しかし、
補足しておくと、
バランスが大事なんで
子どもを抱く菩薩像が
東南アジアの曼荼羅に
描かれております。 (2019年04月28日 05時12分27秒)

正しい手段のイメージ   もうり さん
正しい手段の
イメージ。

私は
動作性IQが
低い。
それでよく
怒られる。
幼稚園児でもできるってね。

ムカつきつつも、
私は動作性IQが
低いから、
動作性については
家族のほうが正しい場合が
多いわけで、
それゆえ家族から、
正しい手段についての
ロゴス的イメージを
獲得した。 
単に机をふくという
活動なんだが、
そのコツは、
点ではなく
面で、布巾をある程度
広げてふくほうが効率が
いいと学んだ。
生活が自動化してるので、
なかなか身につかないけど。

そんで、この布巾を
広げてふくということは
htmlで言うとdivに
相当し、
自然界で言うと人間にとっての
大地や太陽に相当する。

これを応用して
王者の立場になったとして
正しい叡智に基づく手段とは、
なるべく多くの人間を
包摂する手段である。
細々としたものを
一挙に支えるという、
大地自体が既に手段を
示していた。 (2019年04月28日 11時38分03秒)

ふくことから考える正しい手段   もうり さん
ふくことから
考える正しい手段。

面でふくのが
ポイントだと
言った。
しかし、
落ちにくい汚れが
あったとき、
我々は点にして、
拭かないだろうか。

これが社会になると
特に困難にある者に
対する集中的支援となろう。

言い換えるならば
普遍的拭き方と
個別的拭き方の
使い分けである。

戦術で言うならば
古い戦い方としての
面的戦闘と、
ナポレオン式の
線的な加速することで
運動量を増やして
一点突撃する戦い方。、 (2019年04月28日 13時02分13秒)

人倫と道徳は違う   もうり さん
本質的なことを
言うけど
人によって
異なる正義って、
そら正義やあらへん、
道徳とか善や。

正義は人倫に
属するものなんやで。
正義についての議論は
大昔からあって
トマスアクィナスが
語っていたり
正義の議論を追っていけば
概略的には公正って
わかるはずやでえ。


(2019年04月28日 13時33分39秒)

ボクの考えた正義論   もうり さん
なんか、
日本人は
傲慢になっていて
これまでの
正義論を踏襲せず、
正義は人それぞれみたいな
誤った正義観が暴走してますね。
危険だ。
まさに正義の暴走とか
言ってる人たちの
誤った正義観が
暴走しまくってる。 (2019年04月28日 13時36分01秒)

人倫とは正義とは   もうり さん
人倫とは
正義とは
何か。
人倫とは
外的、客観的に
人間関係を規定する
法という大地の
上に主観的な道徳が
乗っていること、であり、
憲法である。
「法の下の平等」
ということで、
差別されていた
人間を高く上げる公正に、
その平等という法の
本質の上で、
自由権が与えられることで、
抑圧されていた人間を
高く上げるという公正である。
さらに言えば、
そもそもこの公正を
本質とする人倫に
経済生活ー生命ー博愛を
付け加えねばならないであろう。

ということで、
おわかりになったかな?
正義とは
そもそも人それぞれの
正義という誤りではなく
人それぞれの道徳という
自由を可能とし、
さらに法の目的を達成する、
包括的な制度である。
自由と平等と博愛が
人倫であり正義である。

しかし、
私も多少学んできたとは
言え、ガチの社会科学者って
わけでもないんで、
トマスアクィナスの
節制と勇気と思慮の
3つの美徳の総合としての
正義とは何か、が
まだわかっていない。
思うに、
節制は経済として
博愛の一部とされるだろう。
なぜなら博愛だって、
自分があらゆる金を占有する、
という強欲を許しはしないから。
勇気とは義を見てせざるは
勇なきなり、とあり、
また兵士の徳であるように、
政治や法的なものと関わり、
また正義とは本質的には
公正といった平等原則的な
ものなんで奴隷にある
人や差別されている人たちが
いたら、彼ら弱者の立場に
立って彼らのために戦う、
つまり彼らを高く引き上げる、
ということで勇気は
やはり平等に含まれており、
思慮は、学問の自由、内心の自由、として自由に含まれてると
考えるのはどうだろうか。

これで、
正義は主観を超えていると
わかってもらえただろうか?
そもそも主観的な
道徳とそれだけでなく
客観的な法を
可能とさせる包括的なものが
正義であり、人倫である。

だから、
それぞれの正義なんてものは
存在しない。
そのような正義観こそ、
まさに悪である。
異なる正義があるとしても、
それは人倫という同一次元における、さらなる進化としてだけである。 (2019年04月28日 15時41分07秒)

性は汚濁、性は飾り   もうり さん
性は
汚濁といったが
煩悩は
汚れという側面の
他に装飾品、飾り、
美しいものという
側面もどうやら
あるようだ。

汚濁であり
美しき飾り。

中村元先生の
華厳経の本読みました。

やっぱり、
私は空海派だ。
なぜなら
法華一乗は
一乗を強調するので、
三車火宅の説明の
時に、一乗の牛車以外の
車をみすぼらしいものと
してしまった。
また、私は原始仏教者は
結局、生の否定に偏ってしまい、
真の中道ではないと
考えます。

ところが
華厳経になると、
そのみすぼらしいとされた
三乗それぞれさえも
無限とされる。
こうして、真の平等が
達成される。

こうして、
全ては「普遍」ということ
になっても、
それぞれの個性の面も
付け加えられて
曼荼羅ー空海密教となると
考えます。

ああなるほど、
ここから、
さらに、
社会主義と資本主義の
話にもなってくる。

法華経で
一乗として、
最高の境地が強調され
みすぼらしいものが
でてきてしまったように、
社会主義が強調され
資本主義はダメだとされた。

しかし、今度は
ヘーゲルの本質論的な側面、
華厳経の側面として、
社会主義と資本主義が
平等とされて、
修正社会主義と修正資本主義の
統合こそ真の道では
なかろうか。
これは資本をみんなで
分かち合うという本質だけで
なく、より具体的な社会主義
制度の修正を要請し、
今の悲惨な資本主義を
修正した奴と接合してみる
試みです。

つまり、
アルファであり、
オメガであるものになる、
ということである。
(2019年04月28日 16時48分57秒)

欲望が少ない。和歌山が都会。   もうり さん
和歌山には
高野山があるんで
こちらが
真の都会。
総理大臣や天皇よりは
阿闍梨のほうが
重要人物。
なぜなら、
ちゃんと修行してるから。

もうねえ、
田舎絶対ダメってことは
弁証法原則からしたら、
これこそ絶対ないわ。
だったら
はじめから、
空海だって奈良とか
京都とかに寺立ててる。

田舎の価値が
自然だけだとみなしているから
人々は真価を理解しないのだと
思います。
都会が物質価値だとしたら
田舎は霊的価値があるのでは
ないでしょうか。

例えばブッダの時代、
なぜ苦行者は、
森や林の中で暮らしたのか。

つまり、
既に、
苦行者ー王者の対立が
そのまま、
田舎ー都会の対立と
対応していて、
霊性に触れやすいのは、
田舎、ということになろう。

また、
都会人、
大災害が
起きたら
都会故の脆弱性で
いろいろ故障がでてきて、
いったいどうやって、
生活すんの?て
面がある。
すなわち都会など
田舎と比べると
幻であり田舎よりも
実体がないのが都会。
(2019年04月28日 22時52分59秒)

語学者に求められるもの   もうり さん
たぶんだけど、
単に英語が
できるんじゃなくて
それを使って
伝えたいコンテンツが
ある人は生き残るのでは
ないか。
私は、プログラミングやるより、
やはり語学ぽいな。

今まで語ってきたことを
英語で語りなおせるようになることが目標。

プログラミングで
作れるコンテンツより
こっちのほうが
面白いこと
一杯できそう。
なんせ面白いこと
一杯語ってきたからね。

私は言語学系の
所属だったけど、
それ以外のことを
学んできたのが、
たぶん正解だったっぽいな。

語学系が生き残るとしたら
伝えたいコンテンツが
ある場合だな。
やはり、
ここでも「理念」があることが
大事なんだと。
語学は技術に過ぎない。
例えば私が、
プログラミングで
心をつなぐ作品を作りたい、
という理念があったように、
語学を学ぶ者も、
それで伝えたい「理念」が
あるなら、学ぶ価値はあるのでは。

実学としての
語学系の人々って、
大抵、技術としての
語学ばかり学んで
特に理念なんて
何もない人が多いから、
たぶん私は
希少価値があって
生き残れる可能性あるな。

なんで
語学や言語学を
学んだのかって
聞かれたら、
外国人に自分の
思想を伝えたかったからって
言えば企業も納得するだろう。

例えば、
ヘーゲルなんかも
理解してる人のほうが
少数派なんですよ。
八正道だって理解してる
人のほうが少数派。
だから伝えがいがある。

このように
私の来た道から
行く道を考えることに
成功した。
やっぱり、
単に語学を学ぶのではなく、
「内容」や「教養」
を身につけようって
私の考えは正しかったっぽいな。
それは技術でいえば
語学のビジョン、
語学の理念を持つ、
ということ。

そして、
私はこのようにして
自分の武器を完成する
前にあっという間に
人々にいつものごとく
分け与えてしまう。 (2019年04月29日 06時41分28秒)

私の孤独な学生生活   もうり さん
私は
闘病しながら
受験勉強してたんで
集中力が
続かず
低レベルな大学にしか
いけなかったけど
そこで周りのものが
語学や言語学だけ学ぶなかで
自分だけは独り、
ユークリッド原論とか
日本語で学んでたんだが、
むしろ周りの多数者よりも
私のほうが正解だったぽいな。
周りのものは
私が学んでいたら、
英語で学んできたかどうかだけを
よく聞いてきたけどね。
周りには誰も同志が
いない、遊び場と化した
大学の中で、
独り真理を探し歩く、
そんな孤独な
学生生活でしたね。
でも孤独なのがむしろ
よかった。
これまでは
強制集団生活でしたからね。
本当は修学旅行も
行かないほうが
幸せだった。
だから
大学ではなるべく行事を
全無視する生活にした。
無論、卒業アルバムも
残さなかった。
そもそも私は
あらゆるアルバムを
必要としない。
写真を撮る習慣がないんで。 (2019年04月29日 06時59分52秒)

意味を知ること強くなること   もうり さん
つまり、
私はようやく、
今日、
自分が学んできたことの
意味を自覚し、
どのように
強くなればいいのかが
わかったということ。

シャーロットって
アニメのブレイブリーユー
が流れつつ (2019年04月29日 07時24分08秒)

ブレイブリー   もうり さん
崩れて終わる世界
無慈悲に告げる

君は独り何を聴いてた
僕は遠い夢を見てた

何を選び取る
何を諦める
僕は何様だ
何を選ぶかは
もう決まっている
間違いはないか
神に問いかける。

シャーロット ブレイブリーユー


私も、
何を選び取るかは
決まっていたが、
意味はわかってなかった。
暗中模索、
手探りの中で、
ようやく意味を掴んだ。 (2019年04月29日 08時00分58秒)

博学、教養の器たりえる技術とは   もうり さん
円満な、
あらゆる方向に
向いた内容の
器たりえる技術とは、
まさに語学ではないかと
確信した。
理性の道具は
自然言語である。
悟性の道具は
数学である。

そこで、
私は言葉の総合体を
これまでの考察から
思い出す。
すなわち、
抽象的言語、
形態的言語、
力動的言語、
意味的言語である。
抽象的言語は
英語、
形態的言語は
日本語、
力動的言語は
アラビア語、
そしておそらく、
意味的言語は
ロシア語だと見込んで、
私は
英語、アラビア語、
ロシア語をやっていこう。

そうなんだよなあ、
結局、工学ってものは
個別具体的なものに
向かう技術だから、
私の所有するコンテンツに
相応しい器たりえないわけだ。
だから、やはり
言葉、なんだな。
言葉とは、円満な技術、
普遍的な技術である。
しかし工学とは違って
現実性がない。
だが、
普遍的工学とは
プログラミングであると
思います。
でも、
プログラミングって
みたところ
コンテンツそれ自体ではない。
例えばここの書き込みでも、
プログラミングは
自然言語を表現している、
つまり自然言語が
この書き込みの本質であって
プログラミングー情報技術自体は
自然言語を表現するための
技術であるってこと。 (2019年04月29日 09時34分19秒)

芸術と言語との対応   もうり さん
文学的言語が
ロシア語系、
音楽的言語が
英語系、
絵画的言語が
日本語系、
彫刻的言語が
アラビア語系、
かなと思っています。
(2019年04月29日 09時47分19秒)

宇宙の真理は「空」だ   もうり さん
宇宙の真理、
これやっぱり、
空だと思います。
例えば、
唯物論とか
観念論とか
実在論等、
諸々の世界観の
違いも、
この世界が精妙な
無限連続体であるので
この世界から
様々な縁起によって
世界観が
織り成されている、
というだけ。
思考すらも、
空である。
ところが
こんなことを
言うと言葉は
クソで、
物が真実だとか
言う人たちも
いるけど、
物もいずれ滅ぶので
空である。

つまり、天台宗の概念、
空仮中が真実であり
西洋的に言い換えると
普遍個別特殊、となる。

だから、
やっぱり、
聖典だからといって
それに執着して
争いを起こすのは、
また世界観の違いで
争いを起こすのは
愚かなことに思います。
畢竟、聖典など
存在しない。
神も存在しない。
しかし、神は
存在する。

だから、
ある意味、
私は次のような
動画をとってみたいと
思います。
まずクルアーンと
聖書と仏典を拝む動作をする、
その横で同時に
クルアーンと聖書と
仏典を燃やすことをして、
この両方を一つの動画に
収める、という動画。
また、例えば、
聖地とされる場所の
写真を拝む動作を
しつつ、
それの横で
同時に同じ写真を
燃やす動画を取ること。

だから、例えば
私は日本の国旗を
燃やしつつ、
横で日本国旗をもって
パタパタと振る動画を
撮るというアイデアも
もった。
(2019年04月29日 10時05分18秒)

科学書を燃やすこと。   もうり さん
クルアーン、
聖書、
仏典を燃やすと
言ったら
唯物論者だと
勘違いされ
そうなんで、
同時に
アインシュタインの
相対性理論や
量子力学の本をも
燃やしたほうが
いいかもしれんな。

これらは
これらの含む
真理を否定するということ
ではなく、
それら各々の
どれもに執着するな、
空である、という
メッセージである。

例えば、
相対性理論にしても、
そもそも宇宙進化を
鑑みれば永遠に
相対性理論が通用するとも
限らないわけでしてね。

例えば、
そもそも物理数学理論で
宇宙の起源を探るなんてのも、
そもそも数学自体が、
物理的性質自体が
通用しない、
全く異なった性質を
もった過去や未来まで
予測することは
できないわけでしてね。 (2019年04月29日 10時58分01秒)

工学書を燃やすこと   もうり さん
工学書も
拝みつつ燃やすこと。
なぜなら
そもそも、
そのプラグマティックな
事実さえ、
通用しなくなる、
工学的法則が
終わる時代が
来るかもしれないので、
執着しないために。 (2019年04月29日 11時00分26秒)

完璧な生活   もうり さん
遊戯、
遊びって、
要は感情に
対応するんで、
単に芸術享受に取り組めば
いいんだとわかりました。
芸術制作に関しては
詩編を声に出して読む。
だから、別にタロット将棋はいいか。

そういうわけで、
私の生活は全面的になり
完成したかもしれん。
シュタイナー心経を
黙読することで空なる絶対的理念の
階層構造で
思考を整え、主の祈りという
絶対的理念の階層構造で
心の語るという側面を整えて、
芸術では、ロマン主義の
ノヴァーリスと古典主義のゲーテを
交互に読むことで感情を整えて、
そしてノヴァーリスは
詩的音楽的、ゲーテは彫刻的建築的ということで芸術における
絶対的理念の階層構造に対応する。
これが遊戯に相当し、
全面的な感情を育成する。
そんで生活、制作、運動、労働の
4つで絶対的理念の階層構造に
対応する。
さらに好きなキャラクターへの
礼拝活動で、
メインカルチャーに
対する、サブカルチャー活動を
行うことによるさらなる
メタな全体性。
こうして、
思考、感情、意志、
意口身、木星期創造の
側面を包括的に
整えることができる、
完全なる生活構想が完成した。

そして、
私は余った時間で
ゲーテやノヴァーリス、
語学の勉強や、
ドリールの
聖書の真義と
カバラの真義を読み、
智慧と慈悲の空海密教から、
キリスト密教への接続を
試みるつもりです。
また純粋理性批判も
読む。

家事も苦ではなくなった。
これも偉大なお勤めの
良き義務となった。 (2019年04月29日 16時51分18秒)

山上の垂訓 キリスト教の特徴   もうり さん
キリスト教の
特徴、
一言でいうならば、
曼荼羅の現実化。
だから、
やはり空海密教より
キリスト教は
優れている。

山上の垂訓とは
一面的な自我でしかない
という霊的な貧しい状態が
キリストの下に集められ、
寛容になり、互いに公正な義を果たそうとし、感官を清める等々のことで、キリストの下で
様々な自我が
現実世界において曼荼羅を
形成することで、
内面においても大調和が
形成されることで、
その内面が天国となることであろう。

つまり、
キリスト者は
このようにして
それぞれの特徴を、
空海密教の曼荼羅システムを
参考にして結びつけていき、
有機的な全体を形成、
つまり地上において
曼荼羅を現実化することが
本来の使命に思われる。

これはつまり、
天上にある名前が崇められた後で
その名前が地上に現実化して
国になるってことであろう。
そしてアートマという
御心が、
この天の名前と
地上の国の基盤となり、
アートマの意志が実現しますように、と言われる。

つまり、
空海密教とは、
主の祈りで
言うと御名が崇められますように、
というマナスに相当する。
ブッディとなると、
マナスの大調和が
地上に現実化し、
国となる。
アートマは
両者の基盤となる。

そういうわけで、
空海密教より
キリスト密教が
優れているというか、
空海とか
仏教密教を通過した
後で、キリスト密教に
至るのだろう。

しかし
残念なことに、
私は仲間集めや
人間関係に
積極的になれないから、
地上に曼荼羅を実現するのは
無理そうだな。

それと、
まじで
聖書とかいう大衆のために
書かれた本だけで
十分とみなし、
人智学や神智学を
省みない
通常のキリスト者たちには
困ったものだな。

例えば曼荼羅を
地上に実現しようとする
傾向はイスラム教にも、
モスクへの一斉屈礼として
現れている。

キリスト者は
何千年もの
間、キリストの体の
一部となるとは
どういうことかを
曼荼羅を参考にしたりして
その有機的構造を
意識的に考えようともせず、
過ごしてきた点では
何千年もの間、
時間を無駄にしてきたと
思う。
それというのも、
空の真理が
わからず、
傲慢にたった
一冊の文字列に執着してきたためだ。
(2019年04月29日 18時05分48秒)

共同体の目的   もうり さん
共同体の
目的、
歴史の目的は
愛だと思うのだが、
どうやら
共同体とか
家族の目的も
愛ぽいな。

家族を
作る新しい目的を
見いだした。
それは地上に愛を
実現すること、
曼荼羅を物質世界で
実現すること、である。
それで、
協力関係になれたらいいと
思います。
しかし、
田舎なので本当に出会いが
ない。
困った話。
できれば
互いに高めあえる関係が
よいな。
まあ、
神に任せるしかないな。

やっぱり、
理由のない利他みたいな
関係よりは
互いの相互作用、
循環でどんどん
エネルギーが無限に
高まっていく、
みたいな関係がいい。
(2019年04月29日 19時28分29秒)

キリストの真理、一言で   もうり さん
キリスト教の
真理、
一言で述べるならば、
太陽的な行いを
やれば、カルマの
法則によって太陽意識が
与えられる、では
なかろうか。

また、
宇宙法則には
次の3つがあるようだ。
真理を表現、実現する者、
求める者学ぶ者
への恵み(神の経済圏に
入ること)
全人類に適用されるカルマ
(全人類に適用されるのは
宇宙的な法の下の平等)
そして
宇宙的自由意識である、
太陽意識。

つまり、
博愛平等自由という
人間的理念を超えて
宇宙の道徳的秩序として
神の恵み、カルマ、太陽意識、
があるのだと。

そして、
神の恵みも太陽意識も、
神の知識を求めたり
太陽的行いをすることで
両方とも与えられるかと。

(2019年04月29日 22時01分53秒)

神の国と神の義   もうり さん
どうやら
神の国と神の義を
求めるものは、
神から物質的サポートが
あるようだ。
これが
宇宙的経済法則。
そして宇宙的政治法則が
カルマ。
そして太陽意識という
宇宙的自由。

神の国は、太陽意識のことで
神の義とはカルマであろう。
で私自身が、
神の国と神の義を
体現するものとなること。
それが私の完全な生活でしょうね。
この生き方は、
宇宙的生き方なんです。
なぜなら絶対的理念の
階層構造に対応する生き方だから。

取りあえず、
今実行中です。
地上への曼荼羅の
形成は
家族の生活重視の
理念を修行に取り入れたから、
家族とも調和してるでしょう。


(2019年04月29日 22時50分44秒)

近代を超える理念   もうり さん
ようやく、
これで、
近代を超える理念を
発見できましたね。
それは古くて
新しいのだが
宇宙的です。
もう、
これ以上高い理念は
発見されないでしょう。
宇宙を超えることは
できませんから。

神頼みとか
神と取引するとかではなく
宇宙的共同体に
参加するってだけでしょう。
(2019年04月29日 23時03分28秒)

お勤めの休日   もうり さん
毎日の
完全なる
精神的生活、
今実行中だけど、
頭が疲れてるのか
凄く眠い。

たぶん、
この精神的生活も
お勤めだとしたら、
休む日が必要なんだと
思って、そうしてみます。

そうですよね、
お勤めは人間は
有限だから、
休む日を設けて
本当に完全になる。

私の場合、
遊びさえも
精神的生活の
一部、修行に
してしまったし、
遊びにもエネルギーが
要るので
生活の義務以外、
なんもしない日が
必要だ。

毎日働いてる人の
中にはゴールデンウィークでも
疲れて寝る人もいると
思います。

遊ぶことは
愉快なようで疲れる側面、
なんだか忘れられがちな
気がします。

遊びからすらも
休む日が必要でしょう。

都会は人混みで
気持ち悪くなりますが
他にも物質的誘惑が
多く、東京の場合、
無駄に複雑で、
それがさらに心の
エネルギーを
無駄に浪費することになるのでは
と危惧します。

物質的誘惑にのって
遊びまくっても
遊びは絶対的治癒ではないので
逆に疲れが貯まるでしょう。

東京、
いろいろあることが、
むしろ心を重くしているのでは。
(2019年04月30日 11時13分44秒)

都市構造の理念   もうり さん
都市構造の
理念として、
シンプルが
いいのではと
思います。
それで大勢の
人間に、
なるべく心の
余裕をもてるように
してもらう。 (2019年04月30日 11時17分08秒)

固さと柔らかさ。静と動   もうり さん
固さと柔らかさ。
静と動。
真面目な修行が
固さで
遊びやユーモアや
快楽享楽が
固さをほぐす柔らかさだと
したけどこれらの
総合的な精神精神を、
さらに一言で言えば、
「動」であり、
遊びすらもしない、
「静」を取り入れることが、
より完全な生活となるわけだ。 (2019年04月30日 11時43分20秒)

自分の頭の悪さ   もうり さん
自分で
考えることができ、
ヘーゲルの方法を
ある程度理解できたり
したとしても、
シュタイナーの
素朴実在論と唯物論批判や
ショーペンハウアー批判の
推論プロセスを理解してる
わけじゃないので、
自分は馬鹿だと思うが
その代わり想像力を駆使して
曼荼羅を観るに至るなどしてるから、まあいいや、感。

だから、
私はやっぱり、
どちらかというと
信の人だ。 (2019年04月30日 17時27分34秒)

動機が大事か結果が大事か   もうり さん
邪な動機で
行った結果が
善いものであったとき、
この人をどう判断するか
問題ですが、
動機のほうが
実体なんで、
この人は邪な人です。
つまり、善い結果になったのは
偶然に過ぎない。

善い動機を
持っている人は
その良心が実体なんで、
より多くの善い結果を
生み出しうる。
この人にとっての
悪い結果とは失敗であり、
避ける努力をするだろう。

ところが、
動機が邪な人にとっては
善い結果が失敗であり
善い結果が生じる確率を
減らそうとするのではないか。

典型的な例として
考えてみると。

このように、
単純に、
典型的に考えてみることも
有効であり、
幾つかの典型を考えることで、
ようやくその間を考えられるように
なると思っています。 (2019年04月30日 17時35分03秒)

個人生活、共同生活ー隣人愛   もうり さん
私の
完全な生活は
((((((固ー柔)=動)ー静)
=個人生活)ー共同生活)=人類愛)ー神への愛)
としてまとめられるな。

つまり、
私の生活は
孤独だ。
共同性に欠ける。
どうにか、
家族や隣人と
一体になることを
目指さないといけない。
これに加えて、
さらに、神と一体に
なることを
目指さないといけない。

隣人と一体となり
神を愛することが
上昇への鍵らしい。

だが、
一体、
どうしたら、
隣人や家族と
一体となれるので、あるか。

それは、
模倣だと思う。
例えば動作性技能についても
家族や人から
認められるよう、
成長してかないといけないし、
物質生活というくだらないものも、
丁寧にやらないといけない。
なぜなら物質生活が
家族の価値観だからだ。

私は、
物質生活を疎かに
し過ぎていて、
自立していないと
思われている。
物質生活なんて
どうでもいいから、
テキトーにやってるだけ
なのに、自立してないとして
対等に扱われない。
私は彼らとはモノサシが
反対なだけなのに。
ただ彼らのモノサシも
無価値なわけじゃないから、
私から歩み寄らないといけない。

家族との一体性に
関して思うところは、
家族間での愛情はあると
思う。
これは博愛に
相当するけど、
思うに、
私が立派でない、
物質的に無能な人間で
あり、稼ぐ能力もないことから、
子ども扱いされていることに
今更ながら気が付いた。
たぶん私のこの未熟さからくる
不対等性が、家族と一体になることを、また同僚と一体となることを
大いに阻む原因になっている。

だから、
「承認」は大事だと
思います。
それも承認が道徳的であるから
承認するとかではなくて
本当に対等にやっていける
から承認するという、実質的承認が
大事だと思います。

血縁によって、
また愛嬌によって、
愛し愛される、
というだけではなくて
立派であることによって
互いに対等に扱われ、
承認しあい、信頼しあう、
信じてる、信じられてる
仲であり、
そのような仲になることが、
たぶん隣人との一体性の具体例かもしらん。
たしか、
テイルズオブゼスティリア2?
だったかの白衣を着た格闘家青年と、野性的な金髪の女性剣士が
背中をあずけあって戦うみたいに
ならないと、人間関係の神秘には
至らないかと。
ほら、背中をあずけあって
戦うってまさにこの人たち、
一体になってるってことじゃ
ないですか。
また、
同様に思考領域でも
互いのモノサシを
一体化することでしょうね。

つまり、
だんだんと
隣人と一体となる
条件が
わかってきた。
それは、
博愛的、共感的であることが
一つ。
つまり、
博愛(感情)
そして包括的な
思考をすること、
つまり博学(思考)
そして、
意志には二側面ある。
私のように包括的な
生活をすることが一つ。
そして、単に
包括的な生活であっても
このような何をしたか以上に、
全てを立派に行えることが
一つである。

私に欠けているのは、
この立派に行えるという
強さだな。

これらがあれば
思考はどんどん
隣人の価値観を取り入れて
一体になっていくし、
感情は隣人にも共感によって
結びつくし、
意志では包括的な生活によって
多くの他者と結びつきつつ、
立派に行えることで承認を
受け、対等に扱われたり
信頼を受ける。

こうして、
背中をあずけあう仲になったなら、
それは確かに、
隣人と私との、
有機的結合と言えるわけだ。

つまり、
だから価値観の転換が
起こった。
今までは如何に行うかなんて
どうでもいいと思っていたが
それじゃだめで、
立派に行えないと、
他者に立派な部分を
馬鹿にしてた表面的なことによって
立派さを示し、証明しないと
他者は私を立派だと
判断してくれないから、
人間関係の発展もないのだ。

だから
他者との一体のために、
個人ができることは
博学
博愛、
全面的活動、
活動の立派なプロセスの
実現だ。

私には
最後の立派なプロセスの
実現は無理そうだ。
だから神との一体体験も
ないかもしれない (2019年04月30日 19時55分18秒)

共同生活のために個人に求められるもの   もうり さん
共同生活を
善く行うために
個人に
求められる
能力とは
他者の価値観の
長所を認め、
学び取り入れることで、
より博い価値観を持つこと。
つまり、
現代は新しい価値観を
探したり、親や大衆の価値観を
否定して個人的になるって
ことよりも、
自分の価値観を構築する
時代は、平成の後半で
終焉となり
令和からは
自分の価値観があることは
当然として、
親や大衆の価値観の
長所をも認めることで、
矮小な自分を超えていくこと。
自分だけの価値観で
生きるという生き方は
昭和の人。
これが
共同生活をする
上で個人に求められる
能力の一つ。

そして、
他者が苦しんでいたら
自分も苦しい、
他者が不幸だと
自分も不幸だという、
真実の共感、博愛。

そして
包括的な活動に、
そのプロセスを
立派に行うこと。

服装や清潔さや、
如何に為すかという
立派な行いなど
表面的なことは、
幻想のようでいて、
実は他者にとっての
わかりやすい判断材料に
なるということ。
もっとも他者に
接近するのはこの表面的な
ことなんだと。
だから中身を育てつつ
立派に振る舞えるように
強くならないと対等に扱われず、
神の道を歩めないのだと。

まあ、表面的なことも
大切なんだと価値転換しても、
中身や精神性やネトウヨが馬鹿に
しがちなインテリ性(真実性)
や善意(行為の実体となる良心)
といったものも大切だと思えないと
それで安部政権みたいに
表面だけの見せかけ集団に
なってしまいますが。
(2019年04月30日 20時40分37秒)

意識魂の時代   もうり さん
やっぱり、
今は全面的な
生活はせず、
ひたすら全面的思考の
増築を目指して
博学者になろうかなという
思いにもなった。
どうせ立派な行いは
できないのだし。
この博学になるプロセス、
理性の強化のプロセスが
霊我の時代にふさわしい
道徳への共感能力に
転化するとシュタイナーは
洞察しているので。

意識魂という
理性の時代から、
霊我の時代になると、
道徳的なこと、善なるものへの
快と悪なるものへの不快感を
抱く時代となり、
生命霊の時代となると、
実際に善行を行う時代に
なるらしいんで、
今の世界の意志、
神の計画が求めていることは
理性、知力の強化って
ことになるんで。 (2019年04月30日 20時57分26秒)

仏教の統合   もうり さん
霊的な
俗世の教えとしての
儒教があり、
それに対立する
道教やバラモン教的なものがある。
これらの中道として
三角形を作るのが
原始仏教の声聞と縁覚であり、
この原始仏教の対立として
菩薩が生じる。
こうして、四角形ができる。
今度はこの原始仏教と
菩薩の対立を統合するため、
四角形の面から垂直に、
法華経が生じ、一者とされる。
この一者は三車火宅の例で
わかる通りそれ以外の
教えを小さいものとする。
この一者にさらに対立する、
反対方向へ垂直に四角形から伸びた
教えが華厳経であり
全ては普遍であり、
小さいものも全て無限とする、
全く区別のない教えとなる。
こうして、
中心なき立体が生じる。
中心は、全ては無限でありつつ、
それぞれに個性もあるとする、
仏教密教であり、
こうして仏教は統合された。
ここからさらに、
これは内的なものであるとされて
地上に曼荼羅の実現が
要請される。これがキリスト教である。 (2019年05月01日 00時19分26秒)

ユダヤキリスト密教   もうり さん
仏教密教が
聖霊の教えとしえ
外化する
必要があった。
そこで、
外化するとは
曼荼羅のような
調和した共同体が形成される
ことを意味する。

そこで、まず
ヤハウェの共同体が
ユダヤ教であり、
法的、客観的な側面を
強調する共同体であり、
これから、
カバラの本を
読んでみて、
真理を確認する。

そして、
道徳的、個人的、主観的側面を
強調する曼荼羅がキリストの
共同体である。

この両者の曼荼羅を
調和させた、
人倫にあたるものが
宇宙秩序であり、
神の恵み、カルマ、太陽意識という
3つの宇宙憲法である。 (2019年05月01日 01時01分56秒)

各種密教の統一   もうり さん
智の面で
言えば仏教密教では
実は心の完成では
なかった。
なぜなら
仏教密教は
五相成身観として、
世界の空なる階層構造を
捉える視点は、
地水風火識というように
自然主義的であるから。
これに対して
ユダヤ密教は
王冠、王国という
カバラの属性から
階層構造を
社会と捉える。
その中間に人間学的に
捉える人智学があり、
人智学の上に神学的に
捉える神智学があり、
人智学の下に、
素粒子も精神として
精神と自然が
一つとされた
霊的自然主義の
ヌーソロジーがくる。

このようにして、
密教の構造は
十字架であるとイメージする。 (2019年05月01日 09時02分34秒)

智の満足   もうり さん
このようにして、
密教を包括したのだから
やっぱり、智の道は
これで満足して、
聖書の真義と
カバラの真義に
純粋理性批判読み終えたら再び
「完全な生活の道」を
送るか。

もう空海密教も
人智学も神智学も
ヌーソロジーも
学んだので、
残るはカバラだけだ。

(2019年05月01日 11時39分34秒)

社会を良くする方法   もうり さん
新約聖書には
宇宙法則が
書かれている。
社会を善くする
方法、
あるいは苦しみに
喘ぐ人たちを
救う究極の方法は、
求道の心を起こし、
神の知識を求め、
愛し合い
人に対して嫌なことはしない、
良いことをする、
このようにして、
これらを習慣とすること、
つまり神の国を求めかつ神の義を
求めると、
神の恵みによって
物質的サポートを受け
功徳によって善果が実り、
太陽意識が与えられて
自由になる。

このようにして、
新約聖書には
宇宙的な救済方法が
書かれている、
ということです。
これは、
社会システムに
頼らないで、
神に頼る生き方なんで、
確実だ、ということです。

私は何気に
これを実行しているのだが
全面的生活が当たり前の
習慣になった頃に、
生活がどうなってるかで
判断してみよう。

一面的には、
ラッキーで生きるということ。
しかし実は
そのラッキーとは
宇宙法則に調和した
自分の生き方のおかげである
ということ。

なんで
この話が信じられるかと
言うと、
カルマという一種の
宇宙的政治法則が
あると信じられるのに、
どうして
宇宙的経済法則などないと
思えようか、ということです。

宇宙的経済法則があるとしたら、
その法則に調和した生き方を
模索すれば神からラッキー的に
物資が援助されるはずなんですよ。

キリスト教、
実はイスラム教の
カリフ制よりも
自由な宗教だな。
見直した。

社会システムというより、
もはや宇宙システムを
利用した生き方を提唱してる。
この普遍的宇宙共同体の
一員となれるよう生きれば
もはやどんな地上社会現象にも
惑わされないかもしれない。

私は、
ようやく、
普遍的社会システムの
可能性を見いだしたということです。

ずっと、
普遍的社会システムを
構想して平和な世界に
するのが理想だったが、
実は既にそれは存在していた。
それは神的宇宙法則として
既に存在していた。
キリスト密教すげえなあ…。

あとは、
ユダヤ密教の
カバラを探求して
そこでも宇宙法則を
利用した生き方がないか
見てみよう。

キリスト教では
隣人愛と神への愛、
愛し合うことが
キリスト共同体の法則で、

今度は
ヤハウェ共同体の法則を
カバラにないか探求すること。
たぶん十戒ってことだろうけど

そんでそれらを
包括する人倫としての
神的宇宙共同体原則。 (2019年05月01日 13時53分07秒)

岩のような人生   もうり さん
そんで
これら
宇宙法則を
利用した生き方を
能力美徳として
習慣化できれば
それがつまり、
岩のような安定した
生活が保証されるって
ことでしょうね。

なるほど、
これが物質生活の
マイスターになるという
ことかもしれない。
これが「真の力」なんだと。

英語とかプログラミング
なんてものは
なんと小さな力であることか!
宇宙法則の使い手に
比べれば! (2019年05月01日 14時02分51秒)

読まない本   もうり さん
やっぱり、純粋理性批判は
やめとこう。
聖書の真義と
カバラの真義で
終わりにしとこう。

そんで
全面的生活に入る。
私の場合、
このような調和的生活によって
日本精神をより普遍的に育む。

例えば、
生活、芸術、気功、労働
なんてのは、
一種のサンダンスなんですよ。
サンダンスも様々な自然の
シンボルを示し恵みをもたらす、
とされているが、
私は神の知恵を求めることと、
このような全面的意志の
生活を続けることで、
世に、恵みや調和を
ある範囲でもたらそうかと。

私の意志も思考も
世界とつながっているんで。

ドリールのおかげで
信仰が増した。
なんで今までは確信できなかったのか。
旧約聖書でも教えから外れたら
滅んでたじゃんね。
これ、神の怒りってより、
神の知恵から外れたから
必然的に滅びに至ったという
だけだと確信する。

私は男らしくないと
言われても構わない。
私は自分を精神だと
感じるので男も女もなく
性に関しては調和してるから
異性との交流を必要としない
って立場。

社会曼荼羅の
形成方法が
神的宇宙法則の
応用だとわかったんで
もはや友達も恋人も
必要としない。
それはつまり、
岩の上に家を建てることである。
普遍性こそ人間を個人にする。
逆説的であるが。
なぜならば
普遍性は包括的だから、
個人だけで一つの共同体を
意味し、自足するからです。 (2019年05月01日 17時56分19秒)

日本空海密教徒の怠慢   もうり さん
日本空海密教徒、
伝統に安住して
鎌倉仏教等
鎌倉新仏教を
総合しゆく試みを
やっているだろうか?
やってないなら、
空海の精神を受け継いでないぞ。

本当はユダヤ密教や
人智学や神智学を総合するのも
空海の精神を受け継いでるなら
やるべきやと思うんやが。
伝統に安住するのは
仏教自体の空性の放棄ぞ。

私は、
今日、
鎌倉仏教なるものも
あると自覚し、
これまでの旧仏教、
つまり顕密体制自体が
一種の天津神的、
天上的、苦行僧的なもの、
つまり一般には困難な修行が
必要ということで、
それが既に苦行僧的側面であるとして、相対化され、
市民にも開いた鎌倉仏教という
国津神的、地上的なものと
理解して総合する道を
模索する必要が出てきた。
これは図書館で済ませるか。

例えば、
華厳経に
既に鎌倉仏教の
一部が含まれているとも
考えられる。
なぜなら小さなものも
簡単な法も
無限だからである。
空の真理からは
様々な形の法が
取り出せるのだ。

ということは、
天上的、地上的、
というよりも
可能態、現実態として
考えて、
顕密体制の
諸原理から
鎌倉仏教が
引き出せるのかも
しれない。

既に総合していたのなら
ごめんなさい。 (2019年05月01日 19時57分57秒)

メインカルチャー   もうり さん
顕密体制と
鎌倉仏教って
たぶん鎌倉仏教は
顕密体制を
素材にして
形成されたものだとしたら
メインカルチャーを
素材にしてサブカルチャーを
作るみたいなもんだ。 (2019年05月01日 20時00分41秒)

旧仏教   もうり さん
調べてみると
顕密体制とか
旧仏教と呼ばれるものから
鎌倉仏教の一部が
生み出されている側面があるな。

だから旧仏教は
創造力がある。

つまり、
わかったことは
密教十字という中心と
それを取り囲む立体という
普遍から
種々の市民の求めに応じて
修行が困難な人向けに
既存のものに
とらわれずに
法を創造できることが、
求道者に必要な能力だと。 (2019年05月01日 20時11分44秒)

犠牲者としての英雄   もうり さん
ワイルドアームズ2の
ロードブレイザーとの
戦いは感動的に
思う。
あれのように、
そもそも英雄を必要としない
社会、英雄という犠牲を
必要とせず、
みんなで戦う社会が
よいと思った。

その反映として、
国力を上げる一つの
方法は、
受験競争で選りすぐりの知力を
育てるより、
競争するにしても、
知力だけでなく、
技術とか家庭科とか
体育をも受験内容にしたほうが
いいのではと思いました。

そしたら、
全体的に、
バランスのよい
国民が増えそうだな、と。 (2019年05月02日 15時11分07秒)

鎌倉仏教の二大特徴 人智学的に   もうり さん
鎌倉仏教仏教の
二代特徴。
人智学的に。
鎌倉仏教は
念仏と座禅、
この2つが特徴で、
単に一回でも
唱えたらその人は
救われるとする
たぶん称名念仏?(浅学)
修行じゃないけど、
唱えるだけで
救われるよって
優しい仏の話は、
人智学的には、
完結するのが特徴で、
一回限りの理解でも
変化させることができる、
アストラル体に霊への
傾向を刻印すること。
一回でも、確かに霊への
傾向が刻印されたので、
アストラルは少しでも
そのように変化し
この人は悟りに至る
荘厳な車の始めに至ったことになる。

何度も念仏を唱えて
救われるとする説は、
繰り返しが特徴の
エーテル体にまで
霊的言葉を刻印することにより、
このレベルで霊への傾向を
刻印する。

このように、
アストラル体、
エーテル体レベルでの
霊への傾向の刻印により、
輪廻転生の中で
確実に解脱へと近づいていく。
簡単にできるので、
これがどんな市民でもできる
輪廻転生の
中での解脱への道となる。

だから、
やはり救いは無限である。

座禅系は、
そもそも言葉の突破である。
おそらく思考を
突破して、思考で
塞がれていた無意識を
観る道だろう。
これは、
これまでの仏教が、
「動」だとしたら
思考を停止に至らしめる、
「静」を目指す道、であり、

私の全面的生活に
取り入れるとするなら、
遊びを含む修行生活という
動から、休みの日という、
静の日に座禅することで、
さらに休みの日すらも
修行の一部と有意義化できる。

私は、
もうウィキペディアで
調べるの済ませた。
あとは座禅を
もっと調べてみよう。
修行休みとしての
座禅という修行をすること。
また、私は念仏の代わりに
主の祈りを唱え続けることをする。

まさに全面的生活。
(2019年05月02日 17時20分22秒)

カバラ難しい 宇宙精神とは何か   もうり さん
カバラの真義は
難しいので、
後回しにして、
明日から再び、
修行生活へと
邁進していきます。
また、
十戒は
要するに
隣人愛と
神への愛なんで
キリスト共同体を
生きることは
ヤハウェ共同体を
生きることでもあるとわかった。
そして、
隣人愛と神への愛とは
宇宙精神の実践であり
神の恵みとは
垂直的な交互作用という
縦線であり
カルマとは水平的な
交互作用という横線であり
合わせて密教の全体と
同様に十字架形となる。
神の恵み、カルマ、太陽意識、
この3つが宇宙精神、
宇宙理念である。
カルマとは
引き寄せであり、
「類は友を呼ぶ」である。
殴るという行為によって、
その人は殴るという行為を
する人と同じ理念のもとで
結ばれることになる。
こうして殴られてしまう。
神の恵みとは
天の富、と関連する。
天の富とは、
エーテル体の豊さ、
アストラル体の豊さ、
自我などの豊さ、
ないし、
自分の見えない構成要素の
働きによって形成された
見えない世界に
蓄積された富だろう。
そしてこの見えない世界の
富が、霊的世界を
活性化し、滋養となり、
供養となる、
天上への贈与となり、
この天の富が物質化することが、
神の恵みである。

つまり、
ニューエイジとか
自己啓発で
言われがちな
引き寄せと
思考は現実化するとは
カルマと天の富のことである。

なんか、
バランスが
あまりにもよい修行生活の
おかげか、
自律神経失調症と
強迫神経症の間
みたいな症状が
起こらなくなった。
これする前は、
家の中でも出たのに。 (2019年05月02日 17時42分30秒)

人文学は役立つ   もうり さん
人文学を熱心に
孤独に学ぶ
貧乏人がいたとして、
むしろ
それをしない
ビジネスマンより
根本的に役立っていると
言える。

考えてもみたまえ、
人文学で密教とか
霊的なことを学ぶなら、
それは心の世界において
力を持つわけで、
でもってむしろこの
心の世界が
物質世界を支えているわけで、
ビジネスなんてのは
最も低階層の営みに
過ぎない。 

だから
日本の繁栄のためにも
人文学を日常に
取り戻さなければ、
根本的に日本を
支える力が弱くなる。

ビジネスや機械工学なんてのは
物質世界を支える役割のみ。

根本的な支えは
人文学にある。

だから、
やっぱり、
私の家族は批判されねば
ならない。物質的なことのみ
重視し、全く天の富を
蓄える義務を果たさない
人たち。私のおがくずを
はらおうとする前に自分の
丸太に気がつけと
言いたいけど、
そもそも天の富という
考え方を受け入れられないだろうから、どうしようもない。 (2019年05月02日 21時12分31秒)

政府の立場   もうり さん
メーデーの
日を天皇即位式で
塗り潰す政府の
立場がわかったな。
こりゃ、
上部構造に
偏った姿勢を
示したんで、
いずれさらに
国のバランスが
失われて欠陥が生じるだろうと
予見できる。

経済界が
資本家、経団連という
上部構造に偏り
国も天皇という
上部構造に偏り
日本人も
なぜか経営者目線とか
上部構造に偏った視点に
立つ。

こりゃあ、
日本は終わったな。
(2019年05月02日 23時06分30秒)

救いの方法   もうり さん
すでに言ったように、
救いの方法とは
神秘の密教的宇宙法則を
理解して応用すること、
ないし無限の救いの
一部に乗って
輪廻転生して密教に
至ればいいだけだから、
社会システムを考える、
というよりも、
どうにかして
信仰や知恵を求める傾向を
もたらすことが本質的。

つまり、
救いは既に実在している。
だから、
ちょっと簡単に思えて
肩の荷が降りた感じがする。
(2019年05月03日 00時31分23秒)

個人の幸福は既に解明された   もうり さん
ブッダの
ダンマパダ
13,14句なんですが、
壊れた家に
雨漏り等がするように、
心に隙間があれば情欲が
侵入すると書かれてあります。

つまり、心に隙間のないこと、
心が完全であること、
これが幸福です。

例えば、
人が食衣住を必要とするように、
様々な階層をよく整えることが
だから幸福のための方法となります。

だから、
憲法の場合も、
生命の保証、
差別のないこと、
自由権などとして、
多方面から
権利を実現することが
幸福となる。
国家、憲法の側面から
言うと多方面から、
完全な権利を実現することが
国民の幸福となり、
幸福追求とはこのように、
包括的な理想だから、
国家もこれを追求すると、
全てが完全に整っていく。
無条件的に、単純に考えると
そうなります。 (2019年05月03日 09時51分55秒)

カバラの簡単な理解   もうり さん
シュタイナーの
マタイ福音書講義に
カバラについて
載っていたことを
思い出した。
それは
人智学では
人間の構成要素を
垂直的に、
単に自我心生命肉体と
捉えるのだが、
カバラの場合、
各々について、
水平的に、
剛柔、中性と捉えるので
あった。
しかし、さすがに
私の全面的生活について、
さらに水平的に全面的に
することはできないと
思うので、
特に集中したい分野に
関してはこれを
やればいいのだと思います。

私は聖騎士になりたいんで
「動き」面に関して
これをやろうかと思います。
でも、そもそも私は
運動が苦手だから、
いきなり武道をやることは
しません。
素材的なことをやろうと
思います。
つまり、「元気」と「体力」です。
すなわち柔は
いつもとうり気功体操であり、
剛は筋トレかな。 (2019年05月03日 11時25分10秒)

加持祈祷を信じられること。   もうり さん
加持祈祷も
信じられる
信仰段階に達しました。
これは要するに
目に見えない富を
構築していると思います。
目に見えない世界での
基盤を作るのが加持祈祷であり、
だから確かに密教は、
鎮護国家の役割を果たしえます。

日本、信仰心がなく
哲学人文学を馬鹿にし、
礼拝も霊的生活も
しない人たちばかりなんで、
たぶんそもそも日本が
衰退してきたことの一面って
霊性が失われつつあるからではないか。

中国は、
学問哲学を馬鹿にしてる
わけじゃないから
日本より霊的基盤が
あるので繁栄してきたのでは。

日本、
神を信じず、経済では
経団連や金を信じ、
神を信じず国では天皇とかいう
人間を信じ、
国民も神を信じず
物質的な上部構造を
信じる生活となって
しまったんで、
たぶん真の上部構造たる
霊的基盤が脆弱となり、
今の結果があるのでは。
(2019年05月03日 11時34分56秒)

オタク活動オタク瞑想 自由な活動   もうり さん
私の
オタク活動、
オタク瞑想、
やっぱり
覚醒チョコ
だけでなく
ゼノサーガのテスタメントと
ユニコーンガンダム、
この3つにそれぞれ
五分ずつ瞑想することにした。

個々の修行を
だいたい15分と定めることで、
労働と無理なく調和できるかと。

で、それでも
余った時間、
どうすっかな。
わかったぞ、
この私の全面的生活習慣を、
さらに乗り越えるとすると、
それは同じことの繰り返しに
対して新しいことを学ぶ、
新しいことをやる、だな。

余った時間で、
何か自分にとって、
新鮮なことを
やるってことだな
(2019年05月03日 13時17分16秒)

包括的人間が引き寄せるもの   もうり さん
包括的人間や
包括的生活を
する者が引き寄せるもの、
宇宙的人間が
引き寄せるもの、とは、
単に同じ人間を
引き寄せる、
というだけでなく、
宇宙なんで、
種々の特徴や属性を
持った多様な人たちを
引き寄せるのではと思います。

また、
繰り返しに
対して新しいこと、
としてさらに生活を
膨らませたが、
これを言い換えるなら、
15分と言わず熱中して
継続できることをやるだとか、
思ったけど、
これも止めて、
労働はプロにならないと
いけないので、
労働力を上げることに
残りの時間を費やすことにした。 (2019年05月03日 13時41分41秒)

今日の修行   もうり さん
今日の修行
各自およそ15分
回数制、完結するもの以外で
シュタイナー心経黙読
主の祈り念仏
家事
詩編声に出して言語造形
気功体操、エアロバイク、腹筋
ゲーテファウスト読書遊び
覚醒ちょことゼノサーガテスタメントとユニコーンガンダムを
一つとした瞑想礼拝。
そんで座禅による、思考停止、
休憩。

ただ、まだ労働のための
英語勉強の準備は整ってないから
先送り。 

これで、
一通り済ませた。
さて、残り時間は
遊びとして再びファウスト読むか
(2019年05月03日 17時37分56秒)

種々の宗教や文化、民族の過ち   もうり さん
愛国者についても
言えることだが、
種々の宗教は
自らの独立性を
保つためか、
例えば牧師ならば
ヨハネの言葉を
キリストの言葉よりも
優先する過ちを犯す。
ヨハネは自分が
エリヤではないというが、
キリストは
ヨハネはエリヤだという。
このことの示すことは、
ヨハネにはまだ前世を理解する
力がなかったということ。
こうして、ある傲慢な
キリスト者たちは、
カルマの教えを否定し、
まるで自分たちの宗教だけが
絶対で、コーランや仏典は
人間の考えなどという考えを
起こす。

しかし、
私には、
キリストがカルマを
認めているからには、
そもそも種々の宗教は
独立して存在しておらず、
種々の宗教さえも
諸法無我である、
という見解を抱く。

これは愛国者にも
言えることであって、
いつから、この地球に
日本人だという形象を
「作り上げた」のだ?
ということである。
実際には日本の大陸は、
地理学を学べばわかるように、
元は全てと一つだったということ。
だから、そもそも世界なしには
個々の国もないというのに、
まるで個々の国が独立して
存在するかのような錯覚を抱いている。 (2019年05月03日 18時14分54秒)

自灯明法灯明について   もうり さん
法灯明については
密教的宇宙法則を
拠り所とすること。

自灯明とは、
聖書だとか
コーランだとかいう
紙に執着するのではなく
菩提心とかキリスト意識、
回心体験、
絶対的な愛の体験という
内奥の真理を拠り所に
しなさいってことかと。 

(2019年05月03日 19時16分16秒)

やはり苦しい   もうり さん
やはり苦しいな。
自律神経失調症と
強迫神経症の間みたいな
症状が、
運動して汗かいた
後出てきたので、
たぶん、体を
動かすので働く度に
なるかもしれん。
新しい仕事に就いたとしても。 (2019年05月03日 22時01分11秒)

領土はいずれ絶対的に侵される   もうり さん
領土はいずれ
絶対的に侵されるだろう。
地理学的な
大陸変動によって。
だとしたら、
我々は何のために
領土を頑なに守るというのだ? (2019年05月03日 22時11分43秒)

定言命法と仮言命法の統一   もうり さん
法灯明、
自灯明、の
話とも通じる、
仮言命法と定言命法との
統合について。

私の無条件的な
意志は、神になれ、進化しろ、
世界を平和にしろ、なんですが、
無条件的な意志がいくら
願ったところで平和は実現しません。なぜならそこには意志だけで叡智がないからです。

ですから、
その意志を叶えたくば
叡智を使えという形で、
定言命法から仮言命法が
導きだされるのです。

私が菩提心なのか
キリスト意識なのか、
同じことなのか
ともかく絶対的な愛のエネルギーが
溢れでたとき、
それは強烈な意志の力、
つまり定言命法的でしたが、
定言命法には何の実現力もありません。それは始まりの衝動に過ぎない。
これが自灯明です。

従って世界平和に
したければ全人類を救うためには
密教的宇宙法則に依拠しなさいという、定言命法を含み、
それを出発点とする、
仮言命法となるのです。
自灯明から法灯明へ。

つまり、
定言命法が意志ならば
仮言命法は叡智や法に相当すると
分析。

だから、
仮言命法っつって
単にそれを表面的に
分析する人々も
言葉の自動機械に過ぎないのでは。

仮言命法、定言命法って
対立自体も弁証法からすりゃ、
どちらにも価値はあるだろなって
なるよね。

定言命法が意志ならば
仮言命法は思考的で、
おそらく、思考とは魂の手足だな。 (2019年05月04日 00時13分56秒)

意志行の進展   もうり さん
天の富となるものは
神の知恵と
美徳である。
美徳とは
その人の習慣的なもの、
あるいは習慣より生じるもの。

それで、
私の意志行の
計画は完成した。
生活は
言わずもがな、
食衣掃除で、
芸術は詩編だけでなく、
タゴールの「迷い鳥たち」を
再度購入して、
自然主義的側面をも言語造形することでより全面的にする。
そんで動きの側面は、
練功と体力作り。
労働の側面は、
語学に集中しようかと
思ってたが、
やっぱりプログラミングも
継続しようかと。
再び教室開いたなら
通おう。
できればだけど。
こうして、
言語も
自然言語と人工言語で
全面的にする。

オタク瞑想は
好きな男性キャラと
好きな女性キャラってことで
バランスをとり、
ロボットを加える。 (2019年05月04日 01時49分13秒)

聖人君子が求められる   もうり さん
聖人君子が
やはり求められるという
結論ですね。
神の知恵を求め、
美徳を有する
聖人君子は、
天の富を豊かに
蓄えている。
そのような人物が
リーダーとなれば、
多方面にその人の天の富が
物質化し平和になるっていう
儒教の神髄に達した。

結局、
その国を支えているものは
構成員の天の富の総体だろう。

つまり、
中国の中庸にある通り、
家庭内で徳のある生活を
すると、それが国家にまで
広がるのだと。
ということは、
私がこの霊的生活習慣を
ものにすれば
おそらく私の地方は
活性化するであろう。

例えば、
私が寄贈し続けた
図書館は人員が増えました。 (2019年05月04日 02時47分17秒)

悪を被ること   もうり さん
いじめを
幼稚園から
中学まで受けたんで
善や道徳は偉大だと
感じる。

善を普通だと
思い、感染させようと
広めない人間、
この世の悪を身にうける
ことのない甘い環境で
生きてきたのでは。 (2019年05月04日 08時14分00秒)

善は普通じゃない   もうり さん
善を普通だと
思う人間、
この世の中に
蔓延る悪を
知らんのかといいたい。

原爆が落とされ、
また原爆で国際的に
暗黙に威嚇する世の中で、
果たして善は普通ですか、
仏の慈悲は普通ですか。
私は仏の慈悲深い話を
聞いたら崇高さに号泣したことが
あるんですが。
苦しみを知るゆえに。

今でも概念的には
牢獄のような学校で
いじめを受けてる人間とか
概念的にも苦しみはたくさんあって、その概念に該当する
数量的にもたくさんあるはずですしね。
(2019年05月04日 08時22分43秒)

スマホのやり過ぎ   もうり さん
スマホやり過ぎは
ストレスになるし
自律神経失調症にも
なりやすくなるし、
不眠にもなるという。

昨日、
全然眠れなくて、
計画を実行できそうにないんで
不眠の原因をスマホと
分析し、スマホからしばし
離れて、今日は調整日としたい。
これからも
スマホやり過ぎないように
しないと (2019年05月04日 12時18分29秒)

何事も毒にも薬にもなる。   もうり さん
具体的に
中道を理解した。

スマホのやり過ぎが
体に毒なんだけど、
それ以外のことでも
何事でも、量の過多は
毒であり、何事も毒にも
薬にもなる。

だから、
具体的には
風呂の入り過ぎも毒になるし
家がでか過ぎても毒になるかと。
このように、
生活という、とても具体的な
領域で、中道の応用がある程度
できるようになった。

何事も毒にも薬にもなる。
全ては神学的医学。 (2019年05月04日 13時30分39秒)

生活のシンプル化   もうり さん
私の全面的生活、
理想的ではあるのだけど
行動のし過ぎ感あって、
やっぱりもっとシンプル化
しようかと。
瞑想と主の祈りに、
オタク瞑想という、
「天の富」を蓄える作業と
英語とプログラミングという、
「地上の富」のための勉強を
優先して、
後は家事と二種の運動、
このたった4つのみを
義務にしようかな。

行動し過ぎも
よくないだろうから (2019年05月04日 15時41分24秒)

徳と知恵が人を支える。   もうり さん
神の知恵と
徳、
つまり
アストラル体の
富と
エーテル体の
富が人を根本的に
支える。

なので、
どんな仕事を
やっているかは
本質じゃない。
むしろ、
私は神の知恵を
求め徳行を
やっていく人は
どんな仕事よりも
確かな支えだと信じてる (2019年05月04日 17時24分39秒)

悟りに至る方法   もうり さん
悟りに至る方法。
菩提心を会得する。
密教的知識を
求めることと
法話をするなど、
つまり天の富と善のカルマを
蓄えるという、宇宙精神の
実践を身につける。
そしたら、たぶん、曼荼羅(聖霊)
を観る。その後、
瞑想によって心を浄化すると、
聖霊が心に入ってきて、
悟りに至る。

だから、
私がまず
自分にやるべきことは
円のイメージに集中すること
だと思いました。 (2019年05月04日 19時27分42秒)

外的宇宙精神   もうり さん
私は
外的な宇宙精神の
一部を担っている。

瞑想は円ではなく
意識魂形成を
助けるための
生命はいずれ
死ぬというイメージに
集中しよう。

純粋な意志魂が
処女ソフィアであり、
私の習慣として、
エーテル体の中にある
宇宙精神、つまり聖霊を
この意志魂の中に入れること。
そうしたら、
私は悟りに至るはずだ。

私は既に、
曼荼羅を観た時点で、
修行の段階は終わって、
次は菩提の段階に
入らないといけない。
そのために瞑想が必要。

瞑想は、
いろいろと試してみよう。

例えば生命はいずれ死ぬ、とは
生命から鉱物への変容、
と考えて
自我から心への変容、
生命から鉱物への変容、
鉱物から生命への上昇、
生命から心への上昇、
心から自我への上昇、
と考えて、
さらに水平的には、
カルマを考えよう。
この十字架形の、
宇宙精神を人格にすると
曼荼羅が生じ、
たぶん、
カルマに相当するのが
アニマ(関係性の原理における、
叡智)で、
天の富(垂直的な男性性における叡智)に相当するのが
アニムスだと思います。 (2019年05月04日 22時28分32秒)

実験結果   もうり さん
スマホ総使用時間を
減らして
離れて夜に
風呂入ったら、
確かに
不眠は解消された。

たぶん、スマホは
実はリラクゼーションに
なっていない。

修行ばかりで
リラックスする時間を
副交感神経のバランスのために
必要で、
だからやはり、
何もしない、も大事だな、と。

しかし、
副交感神経的なことばかり
やると交換神経的なバランスが
とれないため修行とか作業も
大事だろう (2019年05月05日 14時02分11秒)

言動を慎むこと、感情を慎むこと。   もうり さん
表出の
コントロール、
感情の制御、
また言葉の
制御、
つまり慎み。

性被害なんか
泣き寝入りしてろとか
言う人はお漏らしする
赤子のようなもの。
感情的な赤子と同様。
お気持ち主義嫌いなんじゃ
なかったのか。
こんなことを
言うやつは
悪いカルマを
積むので、
いざ自分が被害にあったとき、
自分の言葉が自分に刺さる。

私の家族には許すことの
できない人がいるが、
生活なんて俗事に
細かくなって、
その細かさで
自分自身を嫌っている。
一方私は、外的には無能でも
自分のこと好きなたちだ。

そんで
嫌悪がいじめに
つながることは、
日本の感情の表出の
制御の
技術が教えられていないこと。

いじめる人間って
そもそも、
その感情の制御が
できない弱さを持つから
問題なのに、
内心と表出は違うっていっても
無意味感あるよね。
(2019年05月05日 14時39分31秒)

表現の自由と表出の自由   もうり さん
表現の自由は
法の下の平等とも
書いてあるから
差別は表現ではなく、
また表出の自由は
あるのかってのも
ありますよね。

醜い本音(感情表出)
だだ漏れって、
要は汚物撒き散らしてるって
ことで、
むしろ表現世界を汚してるのでは (2019年05月05日 15時16分34秒)

俗事に気をとられる都会   もうり さん
都会、
服すら洗練された
ファッションにしないと
恥ずかしいみたいに
なってるとしたら、
私としては生きずらい。

私はファッションに
エネルギー使いたくないんで
都会では生きずらそう。

都会、無駄に
俗事の誘惑が多く、
服すら気をつけないと
いけないなら、
ストレスばっかだなあ。
ゴミ分別も細かいしね。

構造的に、
自律神経をアンバランスに
する仕組みなのではとか
思う。
例えば、夜なのに
煩く明るいし。 (2019年05月05日 16時21分58秒)

芸術都市>田舎>機械都市   もうり さん
東京、
これ俗物の国では。
そう考えると、
むしろ自然の中で
僧たちが暮らすように
田舎のほうが
「純粋」な国だわ。

東京とか、
都会、
明らかに
「煩悩」の世界であって、
都会のほうが
頭の良い普遍的で
素朴でない人たちが
いる印象な一方で、
むしろ
「土地としての普遍者」は
田舎だな。

ただこの両者を止揚すると、
芸術都市になるんですけどね。

それに、
シュタイナーによると、
機械は自然より低いらしいですから。
だから芸術都市>田舎>東京
という価値観ですね、
土地だけ見るなら。 (2019年05月05日 17時22分30秒)

仏歴>令和   もうり さん
既に神道の
神々は
仏教に帰依してるのだから
令和より
仏歴だろ、感。

西暦は
普遍的だから、
それに対抗するのは
仏歴だろう。

天皇に合わせた時代観
ってのはまだ日本の支配者が
低い意識に根付いてるって
ことだな。

私は真の日本人なんで、
天皇よりもブッダを
崇拝する。
なぜなら天照大神も
曼荼羅の垂迹に過ぎないからである。 (2019年05月05日 17時50分12秒)

寒暖差   もうり さん
室内は
冷房や暖房が
がんがん
効いていて、
室内と外を
行ったり来たりするだけで
自律神経が乱れる (2019年05月05日 17時53分49秒)

家族を許すこと。   もうり さん
家族、
私の生活を
拘束するように
いちいち細かく
指示してくるが、
でも、
もし私が気分悪くなって
寝込んだら、
暖かい飲み物を
入れてくれたり、
あったかくなるアイマスクや
薬を塗ってくれるので、
細かく指示してくるという
のも、それも愛から発している
のだとわかって、
やっぱり家族は許せるな、
と思いました。
元より学も信もない
親も許しているけど、
結局、私がなんで
よく人を許せるのかというと
そこに愛があるからだ。
あるいは、
どんなに能力がないように
また煩わしく見えても、
そこに愛があれば、
私はその人を許してしまうと
思います。
別に高度な会話が
できなくてもいいんですよ、
そこに愛がある限り、
みんなやがて仏になる人だと
今や信じられる。


(2019年05月05日 19時50分31秒)

誘惑の多いネット空間   もうり さん
ネットで
エッチな画像が
流れると、
ついつい眺めてしまう、
しかし、
それと同時に
俺を誘惑すんじゃない!
という、反感を最近、
抱くようになった。

ラファエロの
アテナイの学堂とか
パルナッソス山とか
神学や法学等の
総合的かつ、
霊性が写実化といえるほど
明瞭に表現されたものは、
美しいと思うし、
誘惑というよりも
己の心の精妙な部分が
より成長していく感じが
するからいいんだけれども
様々なエロ絵による誘惑への
反感は、まさに
性的魅力を泥やノイズだとも
思えるようになってきたって
ことかも。
これでバランスがとれるので、
いい傾向だなあ…。

でも、食事はまだまだ
修行足りんなあ。

ちなみに、
絵画の写実主義も
美学の歴史には必要で、
なぜなら
「明瞭に写実的に神を描く」、
という偉業のための
方法になりえるので。
私はこれを
ラファエロに見いだしているのです。
唯物精神の意味とは
霊性の明瞭化、
でしょうね。 (2019年05月05日 20時30分08秒)

私の一面的曼荼羅   もうり さん
私の曼荼羅は
金剛部院のもので
まだ一面的なんだけど、
一応、
曼荼羅が完成しはした。
これにより、
世界は平和になったのかというと
まだ曼荼羅が心の中に入りこんでないんでわからん。
ただ確かにシンクロニシティ的な
影響力がある。
自分の力の流出が
人々それぞれの
特性に応じて多彩に
受け取られる。
だから、
そもそも私の力だけでは、
完全な世界平和は
無理なようであるが、
でも悟りに至ることが
できたなら、
その燭台の灯火の輝きは
実に多方面に至るであろうと
思います。
そして、
宇宙精神に、
新しい側面を加えて
進化させ、
世界に新しい道を
創造したことになる。
ついでに日本精神も
進化するだろうね、
悟ったならば。

宇宙精神と
日本精神を
進化させることで、
全人類や日本人の
根本的部分を発展させる。
これが私にできる、
世界平和なのだろう。
そして、悟ったなら、
その教えを広めること。
(2019年05月05日 21時40分06秒)

燭台の悪影響   もうり さん
シンクロニシティ、
実際には
心の世界の
輝きによる
各方面への目に見えない
影響なんだと思うけど、
これ、悪い影響も
出るので、
私的には、
私の悪い部分が
モロに安部政権に
影響与えてしまったな、と
思います。

若者の役割って、
まさに精神を補って
バランスをとる
価値観を持つことかも。

もはや、
若者の価値観は、
新しい価値観の模索というよりは
バランスをとる価値観の
模索でいいのでは。

安部政権には、
私の悪い部分の影響だけ
浸透して、
私の哲学を尊重する部分は
浸透しなかった。
なぜならば
受け取る側の問題でも
あるからである。

でも、
子どもたちは、
学者になりたいと
思うようになって、
良いシンクロニシティ。 (2019年05月05日 21時50分49秒)

日本精神にバランスをもたらす   もうり さん
私の
哲学精神、
叡智を求め
叡智を語る、
非実学的傾向が
悟りによって
日本精神と結合すると、
これまでの
日本の実学主義、
外面主義、俗物主義、
外向的な奴有利主義、
露悪主義、ニーチェ主義、
高学歴主義、生活些事拘泥、
恋愛至上主義、童貞嫌悪、
拝金主義など
様々なことに関して
バランスをもたらすことが
できるので、
本当に悟るべきだなって
思いますね。

こう考えてみると、
私って本当に異質ぽいな。
イケメンなのに女遊びもしたこと
ないし。

てか、
まさに、
世界の意志も
結局は世界に中道を
もたらすことだとしたら、
私は本当に悟る必要があるな。
私が悟ることによって
私の精神が普遍化すれば
日本精神はより偉大になる。

言い換えるならば、
私という陰キャが
日本精神と結合することで
陽キャどもが相対化され、
陰陽師の精神が
日本に爆誕する。 (2019年05月05日 22時08分12秒)

私以降の日本精神   もうり さん
私が、
陰キャ、
非リア精神を
普遍化し
日本精神を
陰陽師にしたとき、
次の日本求道者は、
簡単に言うなら
ヘーゲル主義と
ニーチェ主義を包括したような
生活をするでしょうね。

このようにして、
私が悟れば
日本国民は、
新たなステージに
立てる、というわけです。
ようやく、
日本精神は、
私のおかげで全人性を
取り戻すのです。
空海以来の
全人性を日本精神は
取り戻す。

まあ
悟ることが
宇宙精神や
日本精神に
アクセスすることでも
あるというならば、ですが
(2019年05月05日 22時49分39秒)

さらなる宇宙精神論 宇宙的自由   もうり さん
さらなる宇宙的精神の
形成。
宇宙的経済法則が
キリスト教の天の富
宇宙的政治法則が
仏教のカルマ、
ということは、
宇宙的自由法則も
ありそうであるな、と。
それは流れから
言って、イスラム教から
ありそうである、と。

次の言葉が
クルアーンにある。
「アッラーは誰にも、
その能力以上のものを
負わせられない」

またイスラム教が、
帰依と、自分を神に
委ねることを意味する、
とするならば、
それは自我(能力)を
宇宙法則と一致させることを
意味するだろう。

自分の賜物や能力を、
神に捧げる。
私的には、
何も無私になる必要は
ないのだ。
自我を神に捧げればいいだけ。

だから、
宇宙的自由法則を、
私は帰依と呼ぼう。
それは、自分の能力以上のものは
背負わないってことでもある。
これは結局、
自我(人間)が、
十字架に張り付けに
されるイメージである。
単なる十字架のイメージを
超えて遂に
十字架に張り付けにされる
キリスト像の意味にまで
迫りました。 (2019年05月06日 07時56分53秒)

自然芸術   もうり さん
鉱物の
芸術は、
宝石である。
物質という闇において
輝きがある。
水の芸術は、
氷であり、
川の流れが水面上に、
「円形」の氷の膜を作って
「回転」している
動画を見た。

風の芸術は
竜巻であり、
竜巻の下部は土を巻き上げ
上部は雲を巻き上げ、
真ん中は透明という、
まさに天と地とその中道という
自然による芸術である。

熱の芸術とは
四季だと思います。

桜は生きることと、
死の弁証法、
蓮華は泥と清らかさの
弁証法、
薔薇は赤い花びらという、
愛と、トゲという憎しみの
弁証法。
おそらく、薔薇とは
ジャンヌダルクのような
もんだろう。
武をも厭わぬ愛
(2019年05月06日 12時35分40秒)

例示によって示すこと   もうり さん
「大人なら
性被害を受けて
泣き寝入りしてろ
なんて言わない」
というと批判が
あるようなんで、
そんなこと言う奴は
人間性を疑うとでも
言っておきましょう。

例示によって示すが
農奴に向かって
一生搾取されたまま死ね
とか普通言えんでしょ?

理由が明確になってきたが
不対等な状況、
人権を蹂躙され
差別的状況にあるものたちに、
その状況のままで言いと
言う奴らは正義ってものを
知らないってことだな。

だから、
泣き寝入りしてろ、
なんて本音は正しくないので
慎むべきで、その表出は、
お漏らしである、ということだ。

ちなみに、
私は良いものは良い、
悪いものは悪いと認識することで、
心が偏愛に
傾くのを避けられる効果が
あると思うんで、
愛する家族も批判しますよ。
まあ無論、相応しい状況で。
思うに、このようなことが
できず、愛するものには
良いことしか言わない奴らって、
愛するものが問題起こした時に、
公平な言葉を述べられなくなるのでは、ということは、
私のやり方って正義に
叶ってるんじゃないですかね。
無論、私も公平な裁判官的態度を
取るのは結構難しく修行が
足りんと思ってますが (2019年05月06日 15時28分25秒)

縁起的完全   もうり さん
世界観の違い、
宗教の違い。
数学の結論は
同じでも表現方法は
一つではないこと。
世界をどう区切って
パズルを作るかの違い、
あるいはこの言語表現自体が
内容は同じでも一つではないこと。

このように、
各々の宗教が自らを
完全だとみなすのも、
縁起的次元でそう考える
からだろう。

(2019年05月06日 20時01分13秒)

偉大なるおばちゃん方   もうり さん
おばちゃん、
因果応報、
つまりカルマを
経験則的に
信じてたので、
もはや凡夫ではない。
偉大なるおばちゃんである。

そして、
選民思想には
受け入れられうるものがある。
それは、
選ばれる、というのが
ピラミッドだと思うから、
選民思想はよくないって
なるだけであって、
宗教における選ばれしものとは
自己に勝つ者、
自己の悪に勝ったり、
悪を調和させる者なので、
そもそも万人が選ばれうるんですよね。

私は修行って言って肩を張って
暮らすよりも、朝と寝る前に
意識魂になるための瞑想をして、
残り時間はクラシックを
聞きながらゲーテとノヴァーリスと、タゴールと詩編、シュタイナー心経を交互に読むってのを
気楽にやってます。
リラックスしてできるので
良い。 (2019年05月06日 21時23分36秒)

秩序がなければ自由もない。   もうり さん
秩序のない
自由とは
混沌。
そこには
法則という秩序がないんで、
永遠に同じまま、
変化があるようでない。
混沌、全体としては混雑、
混ざり合う
という意味での自由はあっても、
よく見てみると、個々のものは
法則がないため変化もないであろう。

自由とは、
秩序、法則を土台にして
作り出し、創造していくこと。

法則があるからこそ、
かえって我々は扇風機を
作れるのです。

つまり、
必然性が自由の土台です。 (2019年05月07日 11時45分56秒)

男女平等論   もうり さん
気づいてしまった。
男女平等って、
男が父性を捨て
女が母性を捨てる
ことじゃなくて、
両者ともに父性も母性も
備えることなんじゃね?

なんか
男女平等って言って
父性を捨てた男性などは、
むしろ性的な財産を
失ってしまったと思う。

私はある人に、
考えた結果、
全部ダメってのは
考え方そのものが障壁
なんじゃないかって
言ったんだけど、
そのことを家族に
伝えたら、
それで相手が
怒らないのは
あなたの人徳って
言われました。

やっぱり、
私みたいに、
柔和というか、
優しさを、
貫いてしまえば
人に伝えやすくなるって
機能が加わるみたいだな。
必ずしも宮台先生みたいな
口調が正しいわけでもないと
思うよ。あるいは、
それぞれの傾向の持ち味を
生かせばいいだけかな

他の人が言えば
怒るだろうって
言ってたんで (2019年05月07日 17時19分05秒)

私の芸術活動 物量作戦   もうり さん
自然を教育するために
芸術はある。

私は、詩編や
タゴールを声に出して読む
以外の芸術活動を
思い付いた。
それは、紙にひたすら
十字線を引きまくることである。
これで、
形のない言葉だけでなく、
形ある芸術にも取り組める。

物量作戦でひたすら
描きまくる。
1日ノート一ページに、
十字架を描きまくろう。 (2019年05月07日 19時53分25秒)

テックへの執着 らしさ美徳   もうり さん
テックへ執着し、
テックなしでは
イライラするみたいな
都会人、なかなか
やばめだね。
テクノロジーへの
執着って、ほんまに
ほんまに、自然以上に
作られたもので
しかないのに
都市や機械、テックに
心から執着するってのは
苦しみになる。

私は、
男らしさ、
女らしさと
呼ばれるものって
美徳だと思うんで
特に否定はしない。
それで、
今やむしろ性的に
なんら美徳をもたない
人が出現してるのではと
危惧する。
それに、ヤリマンや
ヤリチンはやはり
なんの美徳でもない。
節操のない悪徳である。
そんでまた、
今の時代は女らしさや
男らしさを喪失させるよりは
むしろ、両者どちらにも
両者の美徳を身につけて
もらって性的に完全な
存在を理想としたほうが
いいんじゃないか。 (2019年05月07日 22時25分44秒)

思考への執着 意志への執着   もうり さん
思考、言葉への
執着があるから
自分と違う
意見や、
真っ向からの
反論を聞くと
ムッとする現象があるな。

また、
強い意志と
意志への執着のなさは
違うな。
強い意志は、
その意志に執着していると
頑固と呼ばれるだろう。

執着なき思考で、
正しいことが
わかったら、
これまでの意志を
変えて、
それでも意志を完徹するのが
理想的だろう。

私も、まだまだだな。
聖書やクルアーンに
執着してないだけで、
私自身の思考には
執着している。
しかし、
聖なることを語れるので、
もはや私は自分の内部に
聖典を宿しているとも
言える。
総合された
聖典の内面化、ということ。
でも、これじゃまだまだ
だめだな。

で、意識魂の時期になると
学問に批判的になり、
大志を抱くようになるんで、
バランスがとれるだろうと
予見する。
つまり、
今現在は思考に執着する時期。
35歳ころに意識魂が
誕生し、聖霊が入り込み、
私は人の子になれるかも、
と期待する (2019年05月08日 04時52分57秒)

ごみ屋敷問題考察   もうり さん
今日の朝番組で
ごみ屋敷問題が
やっていた。

私なりの
直感では、
これは社会問題と
個人の心の問題の縁起による。

社会問題は、
大量生産、大量消費で、
無駄に商品を作りまくり、
まだ使えるのに、捨てまくる。
このような経済的な病気があって、
物を大事にするというか、
もったいないという心性が
ある人に引っかかって
集めている内に習慣となり、
こうなってしまう。

そもそも、
経済社会が、
商品を完全消費するくらいに
物を大事に粗末に扱わなければ、
ごみ屋敷問題は起きなかった。

つまり、これは
物を粗末に扱い過ぎる
多数派と、
物を大事にし過ぎる
少数派とが
織りなす現象であり、
ごみ屋敷問題の人だけの
問題ではなく、
我々も悪い。

我々の経済社会を
見てみろ、
コンビニを見てみろよ、
どれだけ商品が無駄に作られ
廃棄されていることか。
(2019年05月08日 08時33分16秒)

ごみ屋敷以前の問題   もうり さん
ごみ屋敷以前の
問題として、
そもそも我々が
商品を完全消費したり
リサイクルしなかったり
ごみ出しすぎ問題が
あるわけですよ。

なんですか、
靴や服がちょっと破れた
くらいで買い換えようって
人たち、あまりにも多いと
思いませんか。

これ、
やっぱり自由市場の
弊害では。
自由市場絶対主義も、
たぶんダメなんだと
思います。
計画経済も大事。

受験は、
努力関数として、
その関数が評価はされても
環境が違えば
代入されるものが
違ってくるから、
当然、同じ程度の
努力関数を持っていたとしても
結果が違ってくる、
という事象が生じるよね。
(2019年05月08日 08時50分03秒)

愛の叡智と力の叡智   もうり さん
遂に、
人智学、
神智学、
密教等の
叡智と
八正道としての
愛の叡智と、
天の経済、天の法、そして
帰依というキリスト十字架としての、力の叡智として、
叡智、愛、力、
全て理解できたかと思います。
しかし、無論、まだまだ深く理解できるはずですけど。

ようやく、
普遍的な力が理解できたのは、
嬉しい。
その力を引き出す方法が、
隣人愛と天の富を蓄えること。

私は自分の精神が、
一つの聖典となったように
感じる。

心残りは、
数学と物理学、自然科学。
でも、
数学と物理学が
できなくても、
これら文系の叡智だけでも
本当に満足だ。
文系最高っていいたいほどだね。
別に生まれ変わっても
もう一度文系になっても
惜しくはないね。

あと一つ、
心残りがあって、
地上の力をマスターする
ことだね。
それは英語やろうかなーと
思ってます。
でもって、プログラミングと
合わせてやろうかなと
思いつつも、
その他に、プログラミングを
諦めて、ガチで英語を
やって、英語文化圏の
民族性や哲学、歴史地理文化を
勉強した上での英語学習で
本物の英語のプロになる道、
ですね。

英語は誰でも喋れる、
と言うけれど、
密教が話せて、
英語圏の文化を理解して
話せる人は少数派でしょうから。

だとしたら、
英語圏学習は、
アメリカやりたいね。
アメリカ文化を学んで
アメリカ英語を身につけると、
もしかしたら
アメリカ人のように
行動派になれるかもしれない。
これは東洋人として
参考にすべき部分と思うんで。

まあ、アメリカ人って
パワーワードかもしれないけど笑
アメリカ人とは本来は
普遍人種のことで、
白人でも黒人でもネイティブでも
ないと思ってるから。 (2019年05月08日 09時15分39秒)

ドイツ→ロシア→アメリカ   もうり さん
ヘーゲル、
ゲーテ、シュタイナー
ノヴァーリスやらで、
創造力を身に付けた後、
聖霊を生じさせることで
全一のロシア性を身に付け
たんで、やはり、
最後はアメリカが課題って
ことかも。 (2019年05月08日 09時24分06秒)

おばちゃんから学んだこと   もうり さん
おばちゃんが
具体的に話たことにも
無意識的に叡智が
秘められているのを
発見した。

それは、
昔の田舎の生活は、
洗濯場とか
トイレとか、
生活手段が
家の外にあって、
難儀していたが、
今は全部家の中に
あるということ。

つまり、今や
家自体が、小社会として
凝縮されて現代では
万能手段となっていること。
そして、
その生活万能関数に
組み込む物自体は、
種々の会社が提供する。

そしてまた、経験則では
昔の田舎の人々の
主な苦しみは身体的な
ものであったが、
現代では心理的病が
増えたのではということ。

そんでまた、
昔の人々は、
手間がかかる代わりに
心が鍛えられたが、
現代は、
便利な代わりに
心が軟弱になってるのでは、
ということ。
それが例えば、
女のような男が増えてきた
ことに示されていたりしてと
話した。

また、
昔は家事や仕事それぞれだけでも
手間がかかるので、
男と女の分業は合理的であったが、
今はやはりどちらもやったほうが
いいんじゃないかとも言った。

また、現代の都会や
最先端と言われる都市などは
むしろ、田舎時代と
比べて単に自ら相対化していってるだけに思われた。
つまり、テクノロジーに包まれて
自然体験がない生活とは、
自然田舎に対する
テクノロジー田舎に
過ぎないんじゃないかと
思われた。

ということは、
結局、東京なんてまさに
テクノロジー田舎に過ぎないという
結論となってしまった。
まあ東京も、もしかしたら
もはや最先端都市ではないのだとしたら、中国の都市とかは単にテクノロジー田舎へと突っ走っているだけに思われる。

便利さに溺れた生活では
人々の意志力が弱まる。

だから、テクノロジーも、
「若者、健常者介護(未定義)」に
至らない限りで
限度を守った、
ある程度生の体験が
できる社会のほうが
人々の幸福にとっては
良いのではと考える。

まあまだ明確な
理念ではないが (2019年05月08日 14時44分18秒)

テクノロジー田舎例えば   もうり さん
テクノロジー田舎人の
例えばですが、
神が作ったこの宇宙に
含まれる自然や地球のほうが、
はるかに機械より高尚なのに、
機械という、自然よりも
存在してないものに
強度に執着してる人々が、
テクノロジー田舎人です。
インターネットが
癖になっていたとしても
それがなくても特別苦しい
わけじゃないなら
いいんだけど、スマホが
ないからいらいらするとか
言う人々ですね。
でもスマホなんて
本当に幻なんですよね。 (2019年05月08日 15時03分17秒)

タイミングがよい。   もうり さん
私が3月くらいで
プログラミングを
学んで、
その後、php環境を
用意したが、
操作がわからない部分が
出てきたので、
講義が終わってもなお、
メールで質問できる
田舎環境なので、
質問したが、
連絡がこなかったんで、
諦めていたが、
そのような地上的力の
鍛錬にその時期にできないことによって、むしろ、
宇宙的法則に従って
生きる、
普遍的宇宙社会秩序という、
宇宙的、天上的力の応用方法の
理解に最近至った段階で、
タイミングよく、
プログラマー講師の方から
連絡があって、
見てくれることになりました。
このタイミングよさ、
このラッキーこそ、
まさに私がこれまで密教的叡智を
無償提供したり、
給料14万くらいで定期的に
本の寄贈を続けていた功徳の
成果ではないかと
思っておく。
タイミング良すぎる。
そもそも仕事やめ際に
プログラ教室やり始めたことも、
それが無理だとしても
英語を学べる環境も
タイミングよく整ってきることも、
なんてラッキーなんだ、
といいたい。

神様は、
私の思想の成長すら予想して
運命を設計してくださる。

だから、
成り行きに任せて
やっぱりプログラミングやろう。

だいたい、
講師さんも、
私のように受講期間が
過ぎても教えてくれる
ってこと自体、
私の知恵無償提供の
善果なのではと
思いたくなる。

無償で教えてたら、
無償でプロが教えてくれる
環境が、一つ整ってしまった。
なんてありがたいんだろう。
(2019年05月08日 15時50分55秒)

宇宙的力→地上的力   もうり さん
こうして、
叡智、愛の叡智、
力の叡智という、
ヨハネ、ルカ、マルコを
経過してそれぞれを
理解し終えたすぐ後で、
地上的力という、
労働の側面、
マタイの側面を
学ぶ段階の機会が
到来した。
地上的力を
学ばなくてはと
思ってたら、
その機会がすぐに
やってきた。
必要なことは
必要な時に起こるという、
天国的環境になりつつある。

このタイミングよさが
私の行いの報いではないかと
思いたい。
これが、天の富やカルマによる、
サポートの一つです。 (2019年05月08日 15時59分55秒)

在家修行者の日程   もうり さん
これからは、
平日にプログラミングの
勉強して、
安息日に、
神のための行をしよう。 (2019年05月08日 16時36分39秒)

一般相対性理論の終わり   もうり さん
一般相対性理論が
終わると
どうなるかというと、
宇宙が進化したって
ことなんで、
次元が一段上昇した、
進化した一般相対性理論
を一から作らないと
いけなくなるかと
思います。
重力も、熱も、光も、あらゆる
物理要素が進化するんで、
また一から研究しないと
いけなくなります。 (2019年05月08日 17時03分48秒)

思索家は世界を照らす   もうり さん
ブッダも
思索家は
世界を照らすと
言っております。

そして、
このように
目に見えない世界で、
互いに諸法無我のように
関連しあっているから、
私の考えだけが
作用してるわけではなくて、
みんなで考えるために、
互いに関連しあっていると
思います。

(2019年05月08日 18時38分06秒)

曼荼羅と宮台真司   もうり さん
私の役割は、
地蔵菩薩みたいに
柔和な感じで
解きほぐすタイプ。

宮台真司先生は、
鬼の形相で
悟りを促すタイプ。

みんながみんな、
宮台真司さんの
口調みたいに
なればいいってわけでもないよ。

これは、
永久保貴一って
方の密教漫画の菩薩の
シーンを
読めばわかる。

私は、
どうも、
攻撃的な言葉を
使っても様にならない。
人から似合わないって
言われるほど。
それに自分でも
あまり使いたくない。

別に宮台先生が
ダメって言ってるわけ
じゃないんですけどね。
(2019年05月08日 19時04分48秒)

全ての力を贈与する。   もうり さん
私は、プログラミングを
学んでも、
その内容を無償で
シェアしたいと
思います。
特に、
たぶん文系的レンズで
見た景色を共有しようかと。
こうして、
私は、完全に自分の
武器を明け渡してしまう、という
善行をやりたい。
恐れることはない。
善いと思うからやりたい。
この、
武器を明け渡すという
生き方は、
結構、巨大な生き方ですよ、
リスクはあるけど。
なぜならほとんどの
大企業、アメリカの
国際企業とかが、
企業秘密とかいって
真のノウハウを隠していると
思うからです。

私は生き方を少し
チェンジするだけで、
独りきりにして、
巨大な人生を歩むわけです。
これが
新しい生き方の価値ですよ。
(2019年05月08日 20時11分11秒)

積極的に牙を捨てる生き方   もうり さん
試しに、
積極的に牙を捨てる
生き方を、
今やってるわけですよ。
八正道の洞察も、
ドリールの洞察も、
キリスト十字架の洞察も
今までの本の購入と
認識の修練なしでは
できなかっただろう。
でも、無償でシェアし、
本すら寄贈してしまう。

これは、黒魔術師とか
神秘を秘密にして
大衆には愚かなままでいて
もらいたい
唯物的オカルティズムの
秘密結社と真逆の生き方を
することでもあります。
(2019年05月08日 20時19分52秒)

聖典を生きる。   もうり さん
実践理論を
生かしていこうと
思います。
八正道と
道徳的宇宙法則、
この2つに含まれる概念から
今為すべきことを見いだして
活動していこうかと思います。
そもそもキリスト十字架
にしても、実際にキリスト十字架を為した上でそれを瞑想したほうが
効果あるだろうし。
平日はプログラミングと瞑想は
義務にして、休日は気功と運動やるか。
物質体もやっぱり鍛えないと
マタイ福音書的ではないらしい。 (2019年05月08日 23時46分03秒)

太陽意識=統一意識   もうり さん
太陽意識、とは
法灯明、
自灯明とも
関連している。
それは統一意識であり、
燭台であることを
超えて、もはや
太陽レベルに、
全てを照らす。
これが、世界精神であり、
だから、
私が今のままで
悟ったとしても、
陰キャの王にしかなれない、
ということ。
私の場合、
八正道の側面から
したら、正命、
つまり早寝早起きとか
食べ過ぎないとか
掃除をすること、
気功、運動、労働技術だとか、
正行、
つまり目的を明確に
構造化してその
プロセス間の目標も
構造化して無駄なく動く、
そんで正定として、
瞑想を繰り返し行うこと、
みたいな美徳をも
身に付けることと、
マタイ福音書意識の側面から
言えば気功と運動によって、
物質体を鍛えないといけないこと、
これら美徳を
身につけて、しょぼい
自分の人格を変えていかなければ、
到底、日本精神にアクセスなど、
できない、ということ。
日本精神になる、ということは、
日本精神の特徴を、
自分の特徴と内部で統合して、
目に見えない世界で、
誰よりも日本中を照らす
心になる、それで
無意識レベルで人々の模範になる、
ということだと
思うんで、
だから、
結局、私は
今の日本の風潮と
自らを統合しなければ、
日本を平和にすることなど、
到底不可能だとわかりました。

そんで、
先ほどの正行や
正命、物質体精神の
育成と関わってくるのだが、
これをちゃんとやれば
日本精神と結合できるかと
思われます。
要は今の日本精神は、
実学主義、経済主義の特徴がある
と思うからです。
これ、トランプ現象から、
わかる通り、世界的に、
実学主義、経済主義
に傾いてる感ありますよね。
だからこれを身につけると、
世界精神にもなれるはず、
私の場合。

少なくとも、
前働いていた上司や社長
家族の美徳とは、
以上のような、
外面的な特徴をもった
美徳を発達させた人々であると
分析する。
だから、
本当に日本精神に
なって世界に調和を
もたらしたければ、
繰り返すけど
人格を変えていくしかない。
これ、私にはかなりつらい。
今も電気付けないで
スマホいじってるので
正命の美徳になってない。
自分を変えていくのが、
いかに困難か、
私にはよくわかる。
動作性知能を発達させるような
経験を逐一地道に
やっていかないといけないの、
本当につらい。

自分に勝利することの
難しさ。
だからまだまだだ。
今のままで悟ったとしても、
陰キャの王にしかなれない。
(2019年05月09日 08時06分37秒)

外面的なことの精神性   もうり さん
外面的なことにも
精神性を
宿すことができるからこそ
芸術的形象がありうる、
ということ。
私の言う、
正行も、
まさに行いに
精神性を宿すことであるし、
正命における、
例えば部屋掃除も、
散乱したままなのは
自然的であるから、
それを整理整頓して
シャキッとビシッと
することが、
精神性を宿すことである、
というわけだ。
機械よりは自然が
精神的だが、
そもそも自然よりは
精神が精神的である。

外面的なことは、
内面的なことの
経路となると考えるならば
外面的なことは、
あながち軽視できないし、
また細部に神が
宿るとは、
内面的なことから
外面的なことへと
流出する、ということで、
思うに、内面を発達させてないと
細部に宿りはしないかも。

だから、
「礼」と呼ばれるものは、
そもそも内部に仁とか
思いやりの心があった
上でなされなければ、
あまり意味がない。
これはキリストが
ユダヤ律法学者を
批判したことに当てはまるし、
思うに現代ムスリムにも
忠告になるかも。

そういうわけで、
私がロゴスを
具体的な概念にしたように、
ロゴスを行為の中に
流出させて、
本当に精神性を
世界に組み込むこと。
(2019年05月09日 09時37分18秒)

日常生活のロゴス性   もうり さん
日常的生活の
ロゴス性、
すなわち、
正行から、
正命レベルまで
概念的に
ロゴスを貫通させること。


食 食物とは、
火である、あるいは、
体によい塵を食べることであり
無常を自覚させる。
それ以前には、
素材を油や味によって
媒介するものを通して
調和した原型、全面体を作る。
それが食事を通して
無常な塵、から、
まさに炎のような
エネルギーに変容する。

衣服は、
姿勢が多様だが、
一なるものというロゴスである。

整理整頓とは
原型という全面体を
形成することであり、
掃除とは一面的には純化であるが
もう一面的には沈殿であり、
これも汚いものと元のものとの
分離による、全面体の形成である。 (2019年05月09日 11時16分18秒)

仕事もらえることに   もうり さん
htmlの
仕事もらえることに
なったのでまず
これの勉強をする。
phpはまだやらんでおく。
ザンプの使い方は聞いたら
わかった。
ドキュメントルートとか
言ってたけれど。

そんで、
6月頃、仕事もらえることに
なりました。
依頼者側も
初心者だと理解して
仕事を提供してくれてるので
助かる。




(2019年05月09日 13時58分21秒)

貪欲と癖   もうり さん
貪欲なのか、
癖、性格なのかの
判別が難しい。

例えば、
私は、
あれば食べてしまう。
これは食事と自分の間に
橋がかけられていて、
断絶する力が働かないから
一種、自動的に食べてしまう、
という現象に思える。 
だから、心の欲望というよりも、
貪欲が性格にまでなっているという、なかなかみっともない状況ではと。
(2019年05月09日 16時10分08秒)

老化現象   もうり さん
夕べ扇風機
当てっぱなしで
眠ったら、
今日一日体調崩した。
昔はそんなこと
なかったんだが、
老いたな。 (2019年05月09日 19時40分02秒)

ダメだ!!   もうり さん
ダメだ!!
自分を変えれそうにない。
まあ仕事の勉強は
するけどな。

でもまあ、
霊的叡智を
学べば、
そのアストラル質が
エーテル質に作用したとき、
愛の能動性、
つまり慈悲になると
わかってるんで、
主に世界精神、
世界平和の夢は、
来世に任せるしかないかな。
(残念!)

その代わりに、
あまり行動力のなさや
食事の癖を直さない
代わりに、
やっぱり学びは続けないとな。
今度は主に地上的力、だが。 (2019年05月09日 20時09分18秒)

必要なこと   もうり さん
必要なことは
ある程度学び尽くし
たと思うんで
あとは労働のための
勉強くらいしか
やることがない。

本当は、
タルムードと
諸々のイスラーム法体系も
学びたかったけれど。

労働のための勉強を
続けて、
勉強を主眼とした
人生を送るだろう。

智において
発達するのがこの人生。
これくらいしか、
私にはもはやできない。 (2019年05月11日 21時05分11秒)

逞しい陰キャ   もうり さん
陽キャが
もしも同じ状況に
あったら耐えられないような、
「逞しい陰キャ」って新ジャンル

闇も美しい (2019年05月12日 08時29分53秒)

記憶の価値   もうり さん
聖典を記憶し、
そこに書かれた
法則にまで通じるならば
頭の中で聖典的思考が
できるようになる、
ということであり、
あながち、記憶の価値が
人工知能によって
低まることなんてないと
思います。

人工知能に
記憶や思考を介護して
もらうことが重要なんじゃなくて、
自分自身の精神が聖典になることが大事 (2019年05月12日 08時37分38秒)

各々の中間物   もうり さん
社会の
各々の中間物
経済は資本
政治は権力、
精神は真理。

そして、この中間物が
円満に全てを包摂していくのが
私の歴史観だ。

言い換えると
経済は社会主義、
政治は民主主義、
精神は博学主義、だ (2019年05月12日 08時52分03秒)

社会曼荼羅   もうり さん
政治の目的も、
経済の目的も、
それぞれの領域で
全てを包括する曼荼羅を
作ることにあると確信する。 (2019年05月12日 09時33分17秒)

俗物アーティスト   もうり さん
美術作品を
観に行きましたが、
そこに
愛ではなく力だ、
みたいな作品があり、
アーティストすらも
俗物となる時代なのかと
げんなりしました。 (2019年05月12日 12時23分43秒)

女子高生の価値の相対化   もうり さん
女子高生の
価値の相対化の
試み。
女子高生は
思想からアムリタを
飲む境地を知らないので
思想を味わう人、
思想を楽しむ人を、
思想に酔った人とかいって
気持ち悪がる。

だが、無論、
女子高生の価値すら
相対化されうるわけで
芸能人くらいで
騒ぐ俗物的で、
頭からっぽな女子高生は
その点において
自分自身が洗練されてない
頭脳を持つこと、
つまり「脳がキモイ」ことを
自覚しよう。

男子高校生も
女子高生も
洗練された知恵や、
アムリタを飲めるほどの
境地に達したわけでもないのに、
勉強する人間をキモイって
言うのやめるべき。

それに私は
キモイなんて
気持ち悪い女子高生言葉を
使いたくないんだよな、本当は。

私たちは平等なんですよ。
思想好きな人はそれを
生かし、
コミュニケーションが
好きな人は
それを生かせばいいだけ、
持ち味を生かせばいいだけ、
なんですよ。

つまり、
嫌悪感を抱く人、
気持ち悪がる人々は、
それも結局は批判者と
同じでなんらかの立場から
物申してるに過ぎないんですよね。

だから、
結局、見た目可愛いけど、
それだけな女子高生なんてのは、
外見という立場に
立って言っているだけで
脳は気持ち悪いって
言われうるんですよ。

だから、
嫌悪感抱くって、
それを実行に移す時は、
覚悟したほうが
いいですよ、
なぜなら、
カルマによって自分の
立場ではない側面から
嫌悪の行為が
返ってくるという、
カルマが生じるかと
思うからです。

ですから、
まさに、
罪を犯さない人たちだけが、
この人を石で打ちなさいって
わけですね。

例えば、
私なんかは、
写真撮ってわかるんですが、
家族よりも美しい脳を
していますよ。
でも家族たちは太ってるとか
風呂に入るとかファッションとか
外見ばっかり気にしますね。 (2019年05月13日 18時47分41秒)

新たなる目標   もうり さん
新たなる目標が
できました。
それは、
労働の教養を
身につけることです。
例えば大工や土木の本を
読むこと。
本業をプログラミングと
しつつ、諸々の労働についての
学びとれるだけの知識を
学びとる。
完全に憶えることはできない。

例えば航空機の操縦の
教科書とか、
ヘリコプターの操縦方法の
教科書とかも買う。
美容師のとか
事務仕事とか、
介護福祉士とか、
諸々の仕事の知識を
得ていく。 (2019年05月14日 01時25分20秒)

フリーライダー   もうり さん
フリーライダーとか言われても、
出会いがないので
それを利用して
来世に備えてるだけですね。
出会うための努力はしない。
なぜなら、合わない人々の
ほうが多いから。 (2019年05月14日 01時45分39秒)

正命のさらなる理解   もうり さん
正命のさらなる理解に
達しました。
正命は精神と物質の
調和、ですが、
まず神の知恵を求め
善果を積むことで自分の
生活を神という岩に根付かせます。
続けて、物質生活、ですが、
これ要するに「健康」を目指す
生活ってのが物質生活、
ないし命のための
身体生活の究極の理念に
思いました。
健康理念の中に、
運動や中道の生活、全てが
含まれているので、
健康って物質的なものにおける、
包括的理念なんだと閃きました。

だから、
たぶん知的、道徳的体験が、
来世で健康な体を作ると
言われているが、
これたぶん、言い換えるなら
それらの体験が身体を全面的に
調和のとれた強い肉体にする
ってことだと解釈します。

健康に対する
見方が変わりましたね。
健康ってやっぱり理想的な
理念です。
なぜなら筋肉、心臓の強靭さ、
種々の筋肉要素の適切な分節化
も健康の理念に含まれると
考えるからです。

要は、
健康な肉体とは、
身体性における、
諸々の側面を
円満にした、
強靭な砦のようなものであり
それは完全な肉体のことを
現す。
だから、完全な心になると
悟りを開くと言われるように、
健康という理念は、
それほど重要な価値だと
見直し、
健康の価値と意味を上昇させた。

だから、モデルの方々の
価値転換も果たせたかもしれない。
既に始まっているけどね。
それは、もはやモデルというのは
結果であって、
その結果を作るのは、上記のような、正しい生活、なんだと。
だからもはやモデルとは
単にファッションのフィギュアに
なることを超越して、
徳のある生活の結果を示し、
人々の模範となるような、
本当の意味でのモデルになるべきなんだと。
食べ物は、必要なだけ、
多すぎず、少な過ぎず、
衣服は美しいけど派手過ぎも
せず、
家も大き過ぎない、
金を儲けたとしても
執着せず、
善果を積むために施す、
そんで勉強をも行い、
脳を美しくし、
天の富をためる。

つまり、
もはや新しいモデルとは、
生活の仕方、
徳のある生活のシンボルに
なるんです。

何も女性に物凄い
マッチョになれ、
とは言いません。
たぶん、運動のし過ぎも
体に毒でしょうからね。

モデル革命です。
これにより、
モデルの価値は
ハイカルチャーへと
上昇しました。 (2019年05月14日 13時46分07秒)

モデル論、労働観   もうり さん
上のコメントで、
正命を示し、
正命の美徳のシンボルと
なるのが本来のモデル業だと
言いましたけど、
これは他の仕事にも
言えることかもしれません。
全ての仕事、
全ての職業は、
何らかの美徳を示すもので
あるべきであり、
また、その美徳が
仕事の本質であるべきなんだと。

しかも、
美徳は天国に達するわけだから、
そこにまで達した仕事は
安定して長く続くと信じられる。

だから、
地上的力の知識を
ためるよりも、
職業経済学の本でも
一冊、借りてきて、
それぞれの職務の
美徳を認識することを
意識したいし、
そもそも
「あらゆる地上的力」の
本質が美徳であるなら、
知識をつけるよりも
困難でも美徳を身につけることのほうがより本質的であるって
結論になりました。

最強の来世で、
何にでもなれるという
全知全能者を目指すとして、
仕事における万能人となりたいのならば、包括的に美徳を身につければ
いいだけだ、という結論ですね。

でも、これ非常に厳しいし、
困難。 (2019年05月14日 13時55分17秒)

私の理念的歴史観   もうり さん
私の歴史観とは
人と人の間を
つなぐ中項となり、
人々を包括する中心の
時間的展開と
その理念形態の
変容を記すものです。

そしてこの歴史観の
意味とは、愛なんです。


これは三分節の
有機体となったりするようですね。
(2019年05月14日 14時19分48秒)

手間が省けた。   もうり さん
だから、
叡智と愛の叡智と
力の叡智の理解によって、
既に全仕事の本質の
理解は終わっているということ。
だから、
安心して、
たった一つの地上的力の知識の
探求に集中できる。

今日はプロセスを
省けたので、進捗があったから
勉強やめとこ。

仕事の知識が
完全になったら、
ようやく美徳の構築に
乗り出すかもしれない。
あるいは、意識魂の
時期になれば美徳を
身につけたいって自然になるかも (2019年05月14日 14時58分31秒)

全てを学ぶ   もうり さん
地上的力の本質が
美徳でも、
もう包括的美徳は
学んだんで
やっぱり次は、
地上的力を包括的に
学んでいくか。

美徳の体得は、
意識魂の時代になって、
自由な存在になれたときに
やろう。

執着は性格となる。 (2019年05月14日 16時51分53秒)

金融とプログラミング   もうり さん
金融と
プログラミングとの
共通点

金もプログラミングも
それ自体としては
何でもないが、
何にでもなる、
つまり普遍性がある (2019年05月14日 17時58分20秒)

地上的力→共同体結成   もうり さん
諸々の身につける
わけでもない労働スキルを
ざっと学んで
身につける労働スキルを
完成させた後、
意志があれば、
実践に入る。
そして、
これは私には絶対無理な
話であるが、
絶対無理な夢として
恋人作って結婚して
最小共同体作るよりかは
宗教軍事教団とか、
聖騎士団結成して、
武を捨てたキリスト者たちの
お手本になりたい。

ただそもそも私は
現実の組織に関しては知恵遅れだし
戦士タイプでもないし、
神の兵士が夢であれど、
その目的もようわかってない
有り様だしなあ…
だから実現不可能! (2019年05月15日 21時22分44秒)

ヤクザが儲かる方法   もうり さん
結局、
善いヤクザ、
みたいなことを
することに
なるんだろうけど、
ヤクザがお金を
手に入れる方法って、
やっぱり警察の手の届かない
不正に対して成敗を加えたり
国の手の届かない人たちを
救う、あるいは
法外でふんぞり返って
不正をこらす権力者に、
法外には法外的方法で裁くみたいな、法外だけど、法外だけど、
だけど正しいみたいな
組織だと、支援も
やってくるのではないか。

意識魂の時代に
なれば、大志を抱く、
というけれども、
私も、もしかしたら
オウム真理教と紙一重で
オウム真理教の二の舞には
ならない組織結成できるように
なってくれ!と思うけど、
現実の私はしょぼくて、
この言説は夢であり、
イキリ言説なだけです、
残念!!

このようにして、
一応、神の騎士団の
抽象的目的はできたな (2019年05月15日 21時35分18秒)

ケンシロウ組織   もうり さん
もう、
いろいろと
腐敗して、
ヒャッハーな
社会を宿していると思うんで、
ケンシロウ的な
組織の需要、
やっぱりあるのでは。

イスラムで言えば、
カリフが腐敗してきてるんで
討伐できる権利があるみたいな
ことすらも法の一部、
みたいなもん。

なんで、
俺は、
なんで、俺は
体が弱く、
デスノートや
ルルーシュみたく
権謀術数の才も
ないんだ!

しかし前向きに、
来世にそうなれるよう、
備えておこう。

つまり、
また新しい目的が
できた。
やはり、勉強、である。
つまり、
地上的力の諸々を
学んだ後は
共同体とか組織運営に
ついての本を読んでいきたい。
宗教的共同体と
軍事共同体を学んでいこう。
そしたら、
やはり「律蔵」は避けられないなあ。これ実績あるから。
軍事共同体の本は何か
オススメないかなあ。
そんで律蔵に、少林寺拳法とか
なんらかの武術と気功の鍛錬の生活を加えて、軍事共同体の生活と
合体させようと思います。
こうして、ムスリムが
ジハードの軍団を組織するように、
自分なりに、騎士団の訓練と共同生活の創造に至れたらいい。

そんで、
もしかしたら、
自分の書く本は、
「神の兵士になるための本」
かもしれない。

私の理想の共同体というか、
唯一共感する共同体って、
宗教軍事団なんだよ。
だから、大司教と
似てる側面がある (2019年05月15日 22時45分25秒)

薔薇十字団   もうり さん
薔薇十字団に
入りたいって
思ってたけど
原点に戻るなら
神の兵士が夢だから、
やっぱり騎士団だわ。

今はこれらのことを
考察、創造してまとめた
本を書いて世界に残し、
来世の自分がその情報を
受け取って、今度は実際に
来世で聖騎士になるという
シナリオです。 (2019年05月15日 23時16分50秒)

自由市場経済と計画経済の統合話   もうり さん
自由市場経済と
計画経済との
統合話。
一つ目のアイデア。
計画経済は、
個々の商品を扱わない。
その代わりに市場という、
「場」を扱う。

二つ目のアイデア。
自由市場経済の
市場自体が
一つの大きな商品とされる。
この市場としての一の
大きな商品についての
メタな自由市場が、
計画経済と呼ばれるようにし、
その内部のミクロの働きを
通常の自由市場経済と
呼ぶというアイデア。

まあ漠然としてるけど (2019年05月15日 23時30分22秒)

市場という商品   もうり さん
金も商品の一種だが、
市場も商品の一種として、
商品の一種としての
市場というメタな領域において
計画経済を行い、
内部で自由市場経済を行う。
そうすると、
たぶん、このメタな計画経済は
一種のメタな自由市場経済とも
なるのではと思います。
なぜなら国民に基づく国家という
たった一つの存在の需要に
合わせるという意味での
自由市場がすなわち計画経済だからではないかと (2019年05月15日 23時36分15秒)

計画経済と自由市場の統合2   もうり さん
計画経済と
自由市場経済の
統合の試み。

国家が、
市場を一つの商品に
見立てて、
金を出して援助する
代わりに
国家はその市場の権利(未考察)
を買う。

つまり、
国家が
市場を雇う形での
計画経済。
(2019年05月16日 00時02分47秒)

道徳的自由市場経済   もうり さん
つまり、
わかったのは
国家が
資金援助する
市場は、
その代わりに
規範を守ってもらう。
でもこれは計画じゃないという
意味で自由市場経済。

むしろ、国民が国家を
通じて市場にその規範を
望んだのだから、
国民にとっては自由だ (2019年05月16日 00時06分05秒)

自由市場論   もうり さん
計画経済と
自由市場経済の
統合、
たぶんできた。
ステークホルダーの
問題だった。
つまり、
そもそも経営組織の
意志決定機関の中に、
経営者だけでなく、
労働者と
消費者団体の代表と
派遣された公務員が
入ってくればいい。
公務員が中心の三竦みで、
公務員はバランス調整の役割。
さらに、他の頂点にも、
三権分立のように何らかの
役割を与える。
こうして、
そもそも意志決定機関の
中に経営者の独善ではなくて
消費者もろもろ含めてしまうことに
よって、そもそも公務員も
消費者も企業の一部となるんで
自由市場が妨げられることには
ならない。それでいて、
消費者の意向が反映されている。

計画経済とは、公正を目的とするならばらそもそも公正される要素を
取り込んでしまえば自由市場経済をも守れると思うけど
(2019年05月16日 02時28分33秒)

大地の愛、太陽の愛、宇宙空間の愛   もうり さん
大地は我々を
支えてくれる。
太陽は私たちを
暖めてくれる。
宇宙はちっぽけな
私たちに無限の
居場所を与えてくれた。
ちっぽけな
諸々の宇宙人に対して
宇宙はありあまるほど「無限」
を与えてくれた。

小さなものたちにさえ
無限に与える、これが
太陽を超えた、宇宙の理念 (2019年05月16日 19時12分56秒)

無限を   もうり さん
無限を与える宇宙
無限に与える太陽 (2019年05月16日 19時24分13秒)

日本民族の使命   もうり さん
日本民族の使命、
古より既に大和と
明記されている。
霊性に関しては
既に空海が平安の時点で
成し遂げた。
あとは、
人智学とか神智学、
ヌーソロジーを受け入れるだけでいい。
社会的な側面では
各々が周囲のものたちと
大和を構築すること。

内なる領域では密教として、
外なる領域では大和として、
また密教自身の中に、
大和が含まれていて
密教が社会的になると
大和となる。 (2019年05月18日 07時17分54秒)

日本神話と大和 万物の総合   もうり さん
日本神話で洞窟から
天照大神がでてきたとき、
大和って感じだし
また、日本の祭りも
大和って感じではないだろうか。
そんで精神面では
曼荼羅って感じの大和であり、
つまり、日本人のやろうと
してることって万物の総合なのでは。 (2019年05月18日 07時24分46秒)

私の信仰の正体   もうり さん
ようやく
自覚的になったが、
私は、神を信じてる、
というよりも、
その根本には
神を信じさせる、
絶対的な愛の力とか
菩提心といった、
自分自身を一番信じている。

自分の菩提心を
一番信じてる。
だから書物に執着しないのだ (2019年05月18日 08時46分11秒)

こどものようであるべき理由   もうり さん
空海の精神、
そもそも既存の曼荼羅に
留まらず人智学、神智学、
カバラ、ヌーソロジー、
イスラム神秘学、新興宗教、
さらには科学さえ、また
全てを取り入れて、
全く新しい曼荼羅を
生み出すはずで、
現代に空海が生きているなら、
そもそも今の空海曼荼羅には
満足しないだろう。
それで、私の考えを、
空海の精神を受け継いでる
はずの密教者に
語ってみたところ、
かえって、批判のみ受けた。

だから、
わかったことは、
私には居場所がない。
私は仏教密教から
弾かれ、キリスト教からも
弾かれる。
どの宗教も、既存のものから
新しく産出されたという、
変革性を自身に有するのにも
関わらず、
それに執着し、
変革者は弾かれる、
ということがよくわかった。
イスラム教には、
如実に教えの変革の
原理が示されているのに、
原理主義とかいって固まる。
だから、
私は野良僧侶ですらない。
私は永遠の求道者である。

キリストが、
こどものようであるものが
天国に入るといったのも、
ようやく理解できたわ。
学を積み重ねると、脳が
固くなり例えばキリスト教だけ
学ぶと、それだけが絶対に
正しいとなって他を受け付けない。
このような人間や牧師が、
キリストが再臨した際に、
キリストを迫害する者と
なるんだと思います。
かつての律法学者のように。
それは、仏教でも、
イスラム教でも同じですよ。
もしも新たにムハンマドの
生まれ代わり、
あるいは天にいるムハンマドの
霊に導かれる者が登場して、
新しいイスラムの教えを授けても、
ムスリムたちは彼を迫害し、
もしも諸々の菩薩たちが
登場して、新しい仏教の叡智を
教えても、仏教徒は迫害するだろう。

人生、こういうもんだ。
だから既存の宗教には
全て価値がない。
彼らは人類にとって
大切なかけがえのない人たちを
迫害するから。

だから私は人々に、
永遠の求道者であれ、と
進めたい。
でも愛とか慈悲は大事なんですけどね。 (2019年05月19日 15時01分53秒)

生活法の完成   もうり さん
生活法、
完成しました。
博く考える。
黙読はシュタイナー心経。
話すのは主の祈り三密
聞くのはユーチューブで
光明真言。
書くのは空海火山。
生活は精進料理、法衣を着て、
寺や教会に住み、生活の義務を営む。
作るは言語造形として、
詩編を声に出し、
タゴールの渡り鳥たちを
声に出す。
この2つで天と自然の
二側面を充足する。
動くは気功体操と
体力作り。

労働はhtmlの勉強と
労働スキルの教養を身につける。

以上がお勤めであり
それに対するは、遊戯。
遊戯はノヴァーリスと
ゲーテを読み、ロマン主義と
古典主義を包括することになり、
ゲーテは建築的、彫刻的、
ノヴァーリスは音楽的、詩的として
包括する。

以上が「動」であり、
それを補うのが休憩であり、
思考停止の座禅である。

以上がハイカルチャーであり、
それを補うのがサブカルであり、
好きなキャラへのイメージ集中、
あるいは制作できるなら制作し、
ポイントはメインカルチャーを
素材とすること。

以上が、
私の生活法の完成である。
といっても縁起的完成に
過ぎないが。

これが、
私が自分で編み出した、
法である。 (2019年05月19日 15時11分53秒)

書き忘れ   もうり さん
作る、
の部分の書き忘れ。
詩編とタゴールという
言葉の側面だけでなく、
物の側面もある。
それは十字架を書きまくり
円を書きまくり、
三角形を書きまくること。
これなら簡単に誰でもできる。

私の生活法は、
そこに多様な可能性を
内包するので、
様々な人間に合わせることが
できるだろう (2019年05月19日 15時15分18秒)

ファティマ第三の預言予想   もうり さん
ですから、
ファティマ第三の預言も
予想が付きますね。

それは、
本当にキリストに
導かれた者を
既存のキリスト者たち、
カトリックやプロテスタントが
迫害するとか、
あるいは
キリストが再臨した際に
キリストを迫害する
プロテスタントや
カトリックが出てくるって
ことだと思いますよ。

(2019年05月19日 15時24分37秒)

全部やる 一は全なる生活法   もうり さん
私の生活法が
目指しているのは
一は全、です。

例えば光明真言を聞くこと、
それだけで全てを聞いたことなる。主の祈りを唱えること、
それだけで全てを語ったことになる。

そして自分が
得意なことは
大いに発展させるが、
できないことは、
めっちゃ簡単なことでも
やればいいってことですよ。

私は、芸術の創作はできませんが、
十字架を描くことならできる。

そして、芸術における
十字架や円を描くことが、
言葉においては
南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経を
唱えることに対応するのですよ。
唱えることは簡単なのに、
霊的意味があるとすれば、
同様に十字架を描くだけでも
霊的意味があるってなるでしょ?

十字架は形象であり、
作る、に対応するが、
文字を書くとしたら、
私は空海火山と書きまくりたいですね。ここに地水風火の
偉大なものが全て含まれる。 (2019年05月20日 06時57分33秒)

htmlの話   もうり さん
諸々の用事が一段落して、
htmlを学ぶ余裕出てきた。教科書は、エビスコム著のhtml5&css3
デザインブックってーので
レスポンシブルwebデザインを
学べる。

これを1ヶ月かけて
ゆっくりやろうかなと
思っています。
むしろゆっくりしかできない。
アニメの
一休さんも、焦らない焦らない、
一休み一休みって言いますね。

で、ここでは
私がかつてここで言った、
htmlの本質とはビジョンの
明確な構造化で、
divとcssを利用して大枠を
作って構造化するということであったが
この本では、まさに
それを基本思想としていて
webページのデザイン=ボックスを
並べること、とより簡潔に
表現しております。

やっぱり、
私にはある程度、
本質を見通す力が
ついてるっぽいですね。

しかし、数学できないけど (2019年05月20日 10時15分52秒)

神聖幾何学   もうり さん
十字架や円や
三角形は
神聖幾何学なので
描くのが
簡単でも
念仏のように
描きまくれば
意味はあるはずなんですよ (2019年05月20日 11時08分23秒)

労働の教養とは何ぞや   もうり さん
労働の教養とは
何ぞやって話ですが、
例えば大工技術の参考書を
読んだところで、
具体的過ぎて時間だけ過ぎていく
と予見する。

そこで、私は
既に読んで、寄贈した、
職業経済学の本を借りてきて
再読することにした。
これが、労働の教養だと
思います。

分析哲学に対する、
職業経済学ですなあ。

でも、職業経済学者に
望むことは、各職業の
具体的本質をイメージ豊かに
描写した本を書いて欲しいって
ことですね。
まだそんなのは日本には
ないはずだ (2019年05月20日 17時15分07秒)

休みだった   もうり さん
衝動的に
図書館へと突っ込んで
行った結果、
休みだった。
曜日確認の習慣ないんで、
こういうことが
何度もある。
ぶっちゃけ、
今日が何日とか
覚えてないタイプ

だから実生活に
向いてない (2019年05月20日 17時42分22秒)

人智学>空海密教   もうり さん
人智学>空海密教という
結論。

なぜなら
加持祈祷、
礼拝の意味を
人智学で説明できるから。

アストラル界は形態の原型、
エーテル界という形成力の
設計図の世界でもあるので
加持祈祷等によって
その世界に富を形成し、
その地域に物質化させる、
というわけですよ。

思うに、
川の神みたいな
龍神だって、
川という形態のアストラル実質
なのではないでしょうか。

川は、アストラル界では
龍として、まさにアストラル体を
特徴とする、「動物」的なものとして存在している、と。
つまり、おそらく、
アストラル界では
物質地球の諸々の要素は
動物のようなアストラル存在に
対応するかもしれない。

また、新しい考えを
生み出してしまった (2019年05月20日 18時06分57秒)

舐められない古代の叡智   もうり さん
古代人、
本当に舐められない。
例えば巨大な象の上に
亀が乗ってるみたいな
太古の地球観あるじゃないですか、
これって、
大陸のアストラル存在あるいは
大陸のイデアが、巨大亀なだけ
ではないでしょうか?

大陸には亀が
対応し、確かに亀ぽいし、
川には龍が対応し、
確かに龍ぽい。
アストラル存在なのか、
イデア存在なのかの
どちらかではあろうが、
私の直感は正しそうだ。

地球の諸々の要素の
本質は、生きている。 (2019年05月20日 18時26分55秒)

本を書く技術   もうり さん
ノヴァーリスが
花粉において
本を書く技術を
披露している。
それは音楽的形式で
内容を結びつけていく
方法、技術である。 (2019年05月20日 20時14分01秒)

自由な生き方   もうり さん
私は
自分の生み出した
生活法で
生きようと思います。
八正道でも六波羅蜜でもなくて。

これが個人主義の
時代に霊的に生きるということ、
つまり、「自由に生きる」
ということだろう。 (2019年05月21日 08時30分38秒)

htmlの解説 横並び方法   もうり さん
html,cssの解説、
横並び方法

基本的には
htmlは縦並び。
これをグループ化したものを
浮遊させて、左側に移す。
すると後のものがめり込んでくるので、
ブロックを指定してめり込まなく
する。
だが今度は、ブロック自体が
浮遊した奴にかさばる。
だからクリアを指定して、
浮遊したやつをブロックに
はめ込む。
あとは大きさの調節で
横並びの完成

(2019年05月21日 10時16分44秒)

生活法実践   もうり さん
やっぱり
生活法実践も
していきます。
なぜならば
勉強だけに集中とかできず、
終わったらだらだらしてまうから。

そんで千に達したんで
ここに書き込むのはもう止めておこう

htmlの勉強ですが、
スクールに通ってよかった。
経験があるんで
本を読む際に一々
手を動かさずに理解できる。

経験がなければ
読めない本とかありますからね (2019年05月21日 11時04分36秒)

仏教の愚痴   もうり さん
上座部仏教系の
人と話ていて、
得るものがあった。
世界は存在しない、とは
言い換えると、世界の
本質は太陽(比喩)
である、ということだ。

そんで彼は密教や
鎌倉仏教を否定して
日本には真のブッダの
教えが伝わっていない、と
言っていた。
なるほど、彼の理性の
役割は、本来の仏教を
復活させることに使えばいいのだろう。

しかし私には
彼の理性が彼自身の
限界であるように思われた。
私は愚か者であり、
どちらかというと信じるタイプの
人間なので、誠実に考え、
認識し、観察し、瞑想し
つまり仏教実践をしているであろう、その人には敬意を払いたいのであるが、
密教を偽物だと断じている点で、
私には彼の理性は彼自身を
束縛し、彼は自分の理性に
執着しているように思われた。
私としては密教も鎌倉仏教も、
それぞれの意識に合わせた
本物であり、法自体が空である、
法もある意味存在しないと
思っているので、
別に上座部仏教だけが全てじゃないと思い、しかもイスラムやユダヤやキリストや人智学、神智学も
受け入れられるのだが、
私のような愚か者、
彼のように理性を強く使えない、
信じる人間である私としては、
本当はタイプが異なるので、
偉そうなことは言えないんだけど、
彼には自分自身の
理性を疑えと言いたく
なるのであった。

まさに積み上げていく
理性に固執する人間、
つまり「堅い大人」は、
ある意味危険であり、
革新的な人間や教えを
迫害してしまうという
歴史があり、
彼がまさに鎌倉仏教や
密教を否定していて、
その傾向があるんじゃないかと
心配になるのだが、
それぞれの道を
歩めばいいし、
たぶん本来のブッダの教えが
なくなってきたのは
本当だろうから、
頑張ってもらいたい。
以上。
(2019年05月21日 16時33分26秒)

法灯明と大日如来   もうり さん
宇宙の本質は
太陽じゃねって
なったけど、
法の本質も
太陽神であり、
この太陽神の
観察からでも
諸行無常や諸法無我が
取り出され、
また八正道だけでなく
諸々の法を
取り出すことが
できるのではないでしょうか。

法のイメージも、
まさに大日如来のように、
太陽であるということ (2019年05月21日 17時24分23秒)

生活法のさらなる洗練   もうり さん
生活法の
さらなる洗練が
できた。

遊戯、
すなわち芸術享受に
関して、ラファエロや
世界絵画全集のようなものを
買って眺めること。
なぜならゲーテとノヴァーリスだけでは建築と彫刻、音楽と詩を
満たしても、絵画に欠けるから。

生活、作る、動く、労働に
関してはこの4つが既に
全人的だからよい。

そんで、
読む、書く、話す、聞くをも
満たせば、
思考(言葉)、感情、意志、
それぞれに関して全人的
生活をすることになる。

(2019年05月22日 11時11分07秒)

生活法実践で気づいたこと。   もうり さん
生活法実践で
気づいたこと。
最後に座禅をした。
そこで、
考えなくても
行為できることに
気がついた。
ポイントは、
自分の方を向いてない
目指し時計を
自分の方に向ける、
みたいなちょっと考えが
必要そうな、知的な動きも
考えなしでできる、ということ。
だから、意志は思考の変容体であり、頭脳だけでなく、
肉体も思考器官なんだと気がつき、
生活法実践よりも
文武両道の美徳を身につけようかどうか迷うに導かれました。 (2019年05月23日 08時13分53秒)

html,clear   もうり さん
html,の
clearとブロックの話、
理解できたと思ってたら
できてなかったぽいんで、
再び調べる (2019年05月23日 17時45分34秒)

clearfix   もうり さん
clearfixに
blockと絡めて
説明してるから
わかりにくいが
本質はclearか。

後者は表示形式
聞いてみないとわからんが、
blockと決めておくことで
大きさ指定が楽になるのだろうと
思っておく。
細かい違い、わからないとこは
現場で教えてもらおう。

(2019年05月23日 18時09分12秒)

進路の決め方   もうり さん
進路の決め方は
まず世界を空と
観る。
すると、職を探す際の
基準も見つかる。
それはつまり、
最も活動的になれる分野を
仕事にすること。
これはえらてんの
生活の資本化ってことだけども、
父は常に働いておられる、として、
キリスト教にもつながる。
父なる神のようになるためには
自分が最も活動的になれる、
動き続けられる分野を持つってこと。

また、他にも、
学びという視点がある。
縁のあるもの全てから
学ぶ。
例えば私は、
製造業、
プログラミング、
英語、
介護に縁がある。
介護に縁がある、というのは、
かつて見ず知らずの
目の悪い老婆を
助けて感動したからである。
そんで介護以外は
面白いという感情を
抱き、実践哲学形成を
学びとることに役立った。
しかし、思うに
理論や手段は面白いとしても、
目的にできるものは
感動や喜べるもの、ではないだろうか。

従って、
私は介護を目的とし、
これまでのものはそのための
準備だったのではと仮定するのである。

だから、やっぱり合気道は
やめときます。
プログラミング勉強も
やめときます。
プログラミングは、
プログラミングスクールで
そこからそれ自体の
応用としての実践哲学を
編み出すために、
私に巡ってきた
機会であったと解釈します。

プログラミングスクールに
通うことで、
製造業で習ったバラバラだった
実践方法がまとまりを得ることが
できたんですね。

こうして、
私は偶然を総合し、
目的を見いだした。
つまり、
介護が最終的目的ではないにしても、この分野は自分にとって
新しいんで、学んでみようって
飛び込んでみるんですよ。

他の分野でも私は
学びとってきて、
特に縁のある介護は
まだだから、
挑戦するわけですね。

つまり、進路の決め方に
二通りあり
縁のある分野は
全て学びとってみることで
次第に偶然が総合されていくんじゃ
ないかってことと
常に動的であれる分野で決める
ってことですね。
えらてんの生活の資本化とも
通じる。
前者は正念であり
後者は正命の
労働に対応するでしょうね。
(2019年05月24日 13時09分29秒)

主夫という選択肢   もうり さん
家族に
相談した結果、
主夫という選択肢も
ありになってきました。
合気道もやっていいそうな…。
(2019年05月24日 18時15分29秒)

私の美徳   もうり さん
一応、
仕事を探すけど、
仕事がないほうが
希望がでかい。
仕事がなければ
主夫やりつつの
在家修行していいよって
神からの承諾だと受け取る。
私は既に「自由な思考」という
ヨハネ福音書的美徳と
神を求め世界平和を求める大欲という、ルカ福音書的か知らんが
感情の美徳と、
マルコ福音書的な美徳である、
宇宙法則に従って生きる、
つまり霊学を学ぶ傾向と
贈与の傾向という、意志の美徳、
「世界を平和にするにはの解答」をも身につけているので、
残りはマタイ福音書的な、
身体性の美徳、
つまり気功体操と合気道を
やって身につけようかと
思います。これができれば
文武両道の美徳をも身につけた
ことになるでしょう。

もしも仕事に
ありつけなくても、
主夫として生きていいという
承諾を受けたのは、
まさに、霊を求める者は
食べ物、職業に
思い悩む必要がないという
証かもしれない。 (2019年05月24日 20時51分15秒)

自分の武器すら捨てる   もうり さん
私は言葉を
集めてきて、
言葉に金をかけてきた
んだが、
この言葉の果実を
全てここで無償提供しています。

私にとっての武器である
言葉を全てかなぐり捨てています。

でも、
そのかいあってか
別に主夫でもいいし、
合気道をやってもいいことに
なりました。
これは本当に功徳なのか
どうかは断言できないけど。

私は神の兵士になるために
共同体を学ぶといったけど、
やっぱりやめときますね。

職業経済学を読むことを
まずしますし、
やっています。 (2019年05月25日 15時23分48秒)

世界平和の実証方法   もうり さん
非宗教的世界平和の
実証方法は、
例えば
コスモポリタンや
多民族主義者、
平和主義者で
集まって共同生活を
送り平和を実現実証してみれば
いいかと思いますよ。

(2019年05月26日 19時55分09秒)

肉体理性   もうり さん
意志は
思考の
変容体で、
肉体にも理性がある、
肉体理性とすることによって
頭脳との対立は
免れるのであった。
過度な欲望を
滅することが
できればいいだけ、
不貪欲にならなければ
いいだけで、
欲望を完全消滅させるのは
だから半分の道だと思いますよ。

肉体と生命から
逃げるより、
それをマスターしたほうがいい。 (2019年05月26日 20時10分27秒)

具体的な十字架論   もうり さん
具体的な十字架論
密教的宇宙法則は
十字架となる、
といったが
具体的には
人間の周囲の
自然や建物、人間に
対する手足を使った
隣人愛の意志活動が
十字架における水平性を
示し、
密教的叡智を
学ぶ天空へと届く思考活動
十字架における垂直性を示す。
合わせて十字架となり、
人間は世界に対して
隣人愛と神への愛を流出する
形でむしろ世界に対する
行い(法)が十字架となるのである。
これが具体的な
十字架論である。

こうして、
十字架とは
人間を意味するという
解釈とも結びついただろう (2019年05月28日 16時40分13秒)

具体的な十字架論   もうり さん
このようにして、
以前は
八正道を
物質化、肉化、
具体化したが
今度は
密教的宇宙法則の
十字架論さえも
物質レベルにまで
受肉させることに
成功した。 (2019年05月28日 16時46分12秒)

具体的四福音書   もうり さん
ヨハネ福音書は
例えば石の中には
無数の形が潜在している
だとか大陸はもとは
一つだった、その可能性の中から
無数の現実があり
宇宙はもとはビッグバンから
始まったということは
全ては一つだった、
その可能性の中から
無数の現実がある、
光は光という抽象的存在と
無数の色彩等と
言うことで、ヨハネ福音書の
叡智は具体化され、
ここで八正道としてルカ福音書は
具体化され、
十字架として、
マルコ福音書は具体化された。
マタイ福音書は
シュタイナー医学と
高岡英夫氏による
身体理論によって
叡智と結びつき、
上昇する。 (2019年05月28日 17時39分11秒)

正定の更新   もうり さん
正定の更新
これ、
三密のことだと
おもってたけど、
違うな。
八正道のことを
考えていたら、
曼荼羅が生じたことのように
八正道自体、
全面的な実践理論を
見いだすことであり、
言い換えるならば、
内的には真理を
洞察、発見し、
外的には
それに調和する目的を
生み出すこと、と、
つまり、ここの八正道の
ブログの正定に
書かれてあるとおりのことだな。

言い換えるなら
内的なことから
外的なことまで
全ての項目を、よく
吟味し、よりよくせよ、
だな (2019年05月29日 00時53分16秒)

正定の説明   もうり さん
正定とは
自分の行為の
各項目を吟味することで
心を総合統一する
試みであり、
その他の項目も、
その分野において
心を整える試みであろう。
(2019年05月29日 00時56分20秒)

八正道と身体構造との対応   もうり さん
八正道と
身体構造との
対応

土曜ー思考ー正見ー自我
日曜ー決心ー正思惟ーアストラル体
月曜ー言葉ー正語ーエーテル体
火曜ー行動ー正業ー物質体
水曜ー振舞ー正命ー霊人
木曜ー習慣ー正精進ー生命霊
金曜ー記憶ー正念ー霊我

上記がルカ福音書の叡智
ヨハネ福音書は
身体構造要素の
生成を始めは言葉ありき、
から語る。
マルコ福音書は
この構造の力線を語る。
結局、これら3つ全部が
十字架である、ということ。
マタイはこの3つ自体をさらに
垂直的な構成要素とする
十字架である。

また、
黙読は自我
聞くはアストラル体
話すはエーテル体
書くは物質体
生活するは物質体
作るはエーテル体
動くはアストラル体
働くは自我であろう。
(2019年05月29日 02時29分02秒)

正定と対応する構成要素   もうり さん
そして
翌週あるいは
毎日ー吟味ー正定は
モナドに対応するであろう。 (2019年05月29日 02時31分31秒)

四福音書の特徴   もうり さん
ヨハネ福音書は
叡智を数学的、
つまり形象、光として
理解する。
ルカ福音書は
叡智を八正道として
つまり愛として
理解する。
マルコ福音書は
叡智を力線として
理解する。

マタイは
まだわからない。 (2019年05月29日 02時47分44秒)

どんどん善くなる   もうり さん
善因善果で
どんどんよくなるとは
言い換えると
手放した分だけ
かえって得ることでも
あるでしょう。
プラマイゼロになります。
奪った分だけ
奪われてバランスが
とられることを
悪因悪果と言う (2019年05月29日 07時50分15秒)

もっとも高い理念、正命   もうり さん
そして、
イスラム教とも
通じるでしょうけど、
正命という、
大衆が最も大事にする
理念こそ、
もっとも霊人的な
高い理念であると
わかりました。
つまり、
日常生活を大事にし、
働く大衆は、
最も高い理念の中で
暮らしているのです。
ここのブログにも
書かれているように、
できれば主の祈りや
念仏を唱えたり、
仏像や芸術作品を
思い浮かべたりなど
精神生活によっても
バランスをとるべきだろうが。

だから、
労働こそ、
最も高い理念なんです。
それに
「父は常に働いておられる」
みたいな言葉も
聖書にあったはずです。
だからこそ、
経済領域での
この酷い格差を
生んだ原因の人間たちは
最も罪深いと言える。

なんで正命が
霊人的なのかと
判断したのかというと、
霊人は、自然領域での霊性だからです。正行との違いは、
正命、正精進、正念の
この3つは総合的な理念だから、
霊的だと判断しました。
正精進は未来という時間軸であり、
正念は記憶という時間軸であり、
正命は生活という時間軸で、
それ以前のものどもに
対して時間軸が加わっている、というかより意味が広くなっていると
判断した。 (2019年05月30日 08時18分14秒)

天安門事件   もうり さん
天安門事件天安門事件 (2019年06月07日 11時25分16秒)

慈悲とカルマと八正道   ムカイ さん
慈悲とカルマと
八正道の関係。

善なる八つの道は
善なる八つの結果に
導き、
これを慈悲の具体的な
理念といい
八正道とも
呼ばれるのだろう。

こうして
私は愛とは
何かを如実に
知った。

男性だから
愛を知性で捉える。

女性は心に
既にあるものを
育てればいいだけ。 (2024年01月02日 18時27分34秒)


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