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カテゴリ:よもや話
従って、実際次のように結論できる、
「鳥によく似た霊的(宇宙)言語、鳥に変容(メタモルフォーゼ)した存在を、人間のなかに探すなら、人間の頭である。獅子によく似た霊的(宇宙)言語を、人間のなかに探すなら、循環リズムと呼吸リズムが互いに出会う胸の辺りである。」 さて、地球の直接の環境である空中に鳥類として出現する宇宙言語と、その上空の鳥類と共に生き、いわば空気(呼吸)の循環として出現する宇宙言語の獅子から、今度は、目を転じて、牛を考察する。 他との関連で既に何度も指摘したが、牧場で牛の群れが満腹して横たわっている光景をみる際、牛のその1つ1つの姿勢、例えば目の表情、動きなどに、消化という営みが表され、観察できるのは魅力的である。 例えば、その牧場で物音をたてた場合、横たわっている雌牛をみると、雌牛が頭をもたげるが、その頭をもたげる動作のなかに、頭が重くて、上げるのが容易ではない、という感情があり、その鈍い動作のなかには全く特別な宇宙言語がある、ということがわかるのは、実際驚くべきことである。 このように牧場において頭を高く上げることが煩わしそうな雌牛を見れば、次のように結論できる。 「この雌牛は、草を食べること以外に、頭を上げなくてはならないことをいぶかっている。『草を食べてもないのに、一体何で頭を上げる必要があるのか。』 草を食べていないときに、頭を起こすことは無駄な行為であると、雌牛は感じている」。 この様子を見れば、この動物が頭を上げる行為のなかには、次のことが含まれていることがわかる。 この動物が頭を上げる動作に、消化が含まれているだけでなく、雌牛が頭を上げるように獅子(ライオン)が頭を上げることは想像できないので、消化は(雌牛の)頭部の形のなかに含まれている。 そこで更に進み、この動物の全身の形態への考察に入っていく。実際、雌牛は、過度に成長した消化器官の動物である。消化の(リズムの)重さが血液循環に負荷をかけるので、頭部と胸部の呼吸を圧倒する。 この動物は全身が消化機関である。この事実を霊的に見て、上空の鳥に一端眼差しを向けてから、雌牛を見下す場合、実際、測り知れない不思議さが生じる。 (牛は頭も消化器官なので、全体が消化器官となる。対照的に、鳥はほとんど頭部しかない。) 雌牛を、物理的に上空へと高く持ち上げても、雌牛が鳥にならないのは言うまでもない。 しかし、地球に隣接する大気のなかの光-熱状態のなかに雌牛を運ぶと同時に、次に雌牛における物質的存在を熱状態に適している雌牛のエーテル的形姿へと変容できたなら、そして雌牛を更に持ち上げ、アストラル的存在にまで変容できたなら、そのとき、遥か上空で雌牛は鳥になる。 つまり、アストラル的に雌牛は鳥になる。 ここで驚くべき事実が心に浮かんでくる。つまり、この事実を洞察すると次のような結論に至る。 「上空で鳥が、自らのアストラル体からアストラル的に得ている宇宙言語、つまり以前述べたように、その翼の形態化に働きかける宇宙言語(太陽光)を、雌牛は、その肉のなか、つまり、(消化のための)筋肉や、骨のなかへと送り込んだ。」 鳥でのアストラル的な宇宙言語が、雌牛では物質的になった。アストラル界では確かに異なって見えるが、本質は、鳥の翼と、雌牛の頭は同じである。 更にまた、逆に、鳥のアストラル性に属する(宇宙)言語を下降させ、その際、エーテル的(宇宙)言語や物質的(宇宙)言語への変化を引き起こすなら、鷲は雌牛になる。なぜなら、鷲でのアストラル的言語は、消化時(物質化)には大地に横たわる雌牛の肉と化し、物質体と化すからである。 というのも、驚くべきことに、アストラル性を雌牛のなかで進化させると、それは消化となり、実際、消化時の雌牛は非常に美しくなる。アストラル的に見て、この(雌牛の)消化の内部には何か途方もなく美しい言語がある。 通常の俗物的概念から俗物的理想主義に浸って、消化の営みを最低次の行為とするなら、霊的観照という高い見地から、この雌牛の消化の営みを見るときとは相反したものとなり、間違い、偽りを犯すことになる。 牛の消化は美しく、崇高な、途方もなく素晴らしい霊的(宇宙)言語である。 下から上;雌牛の肉→エーテル化(気化)→アストラル化→鳥のアストラル体 上から下;鷲のアストラル体→エーテル化(気化)→雌牛の肉(物質化) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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