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カテゴリ:軟弱日本を斬る!
前回の「古代ヘブライ語から日本を考えてみる その11」の引用が長くて、辟易してしまった方もいるだろう。
要するに簡単にまとめると、「偶像崇拝の戒め」に他ならない。 聖書の神、ヤハウエ以外の信仰は偶像である。 では、ヤハウエとは何なのか? 簡単にいうなら、人間誰にもある良心である。 日本語は非常に面白い、「良心」は、「両親」でもあるからだ! 両親のいない子はいない。必ず両親から生まれている。 つまり、人間は、両親、つまり良心の子である。 良心から生まれるということは、神から生まれたことで、人間誰もが、神の遺伝子を受け継いで生まれてくる。 この事実を、秘教学では、E.D.N=[ex deo nascimur](神から生まれた)と象徴化している。 「神から生まれた」という言葉の頭をとって、「エデン」となる。 人間は、神の遺伝子をもつのだが、残念ながら、発現させる方法を忘れてしまった! 自分のなかにあるものを、外に求めてしまったからである。 そのため、人間は外観しか捉えることができなくなってしまった! それは、一方的な見方や、個人的立場を持つことになり、外見を着飾ることにつながる。 そうして、人間は、神の遺伝子を発現させるどころか、闇に隠してしまったのである。 さて、「火事場のクソ力」という格言がある。また、「絶望の淵に、神は現れる」という格言もある。 人間は自信をなくすと、日頃信じてもいない神にすがりつくようになる。日本人には、このような傾向が顕著にある。占いブームなどは、この傾向を悪用した最たるものである。 神の遺伝子は人間誰もがもっている。しかしながら、発現のさせ方、この秘密の箱の開け方を知らない。 なぜなら、多くの人間は、神は外にあるもの、と錯覚しているからである。 どうして、そのような錯覚、神を外に求めるのだろうか? それは、人間が勝手に、必要ないと思い、外に放出してきたからである。必要だと思うところ以外を捨ててきたからである。 例えば、雨の日に差していた傘が、晴れの日には、邪魔なので、捨ててしまうのと同じである。雨なんかもはや降らないと勝手に思い込んでしまったからである。 さて、晴れの日があれば、雨の日があるのは当然である。一方だけをみているだけでは、想定できないのは当たり前である。 雨が降った途端に、捨ててしまった傘を捜しはじめる愚かさが、錯覚を生んだ! このような愚かさや錯覚を生まないために、教訓が遺産として残されている。 その一部が秘教学なのである。 秘教を学ばなくても、外をくまなく探し回って、「もはや外にない」という無意味な経験を充分に積んだら、かえって、その無意味な経験が生かされる。 「絶望という淵に神は現れ、火事場のクソ力」を発現させてくれるからである。 そう、「何事も、自分のなかの良心に委ねるしかない」、ということに気づけばいいからである。 結局、自分を信じるしかないのだが、その自分の本性は、良心でなければならない。 良心に忠実に生きることが人生の課題といえる。良心という神の代弁者、つまり救い主に忠実に生きることは、秘教学での、「キリスト(救い主)において死ぬ」という象徴のI.C.M[Im Christo Morimur]で表される。 これは日本語では、「イク(行く)」あるいは「イシ(意志)」とも読める。イシは古代ヘブライ語では、「救い」である。 それにしても、現代の日本人の多くは、良心を隠してしまった親知らずな輩ばかりである。 TVをみていると、狡猾で卑怯な日本人ばかりを目にする。悪徳政府や官僚や財団と一緒になって、国民から搾取することで、いずれ死ぬことを自覚せずに、自己保身に邁進している。それも60歳を過ぎた輩である。日本人の恥である。 特にマスコミの劣化が著しい。赤字財政の原因を究明するのが、報道の責任なのに、原因を究明することなく、自己利益を求めて、とっくに覚るべき年齢を過ぎたのに、悪徳官僚と一緒になって、国民から真相を隠し、騙しに加担し、詐欺の片棒を担いでいる。良心がないのだろうか? 良心があるなら、とっくに後進に道を譲っていて当然だが、生き恥を曝していることに気づかないボケ老人だから、始末に負えない。 このような輩が巣食われることはあっても、救われることはないだろう。 このような輩に生き恥を曝させ、精神的に腐敗させるために、多くの日本人が命を犠牲にしてきたわけではないことは歴史が証明している。公共電波を使って、国民を愚弄し、責任逃れをしながら、頭を下げる演技ばかりして、恥ずかしくないのか? 報道が報道の精神を失い、自己宣伝ばかり垂れ流すのだから、マスコミの情報など誰も信じるわけがない。狡猾で卑怯な狐のような腐敗した悪霊がTVを賑わせている。 死んでから気づいても遅いとだけは言っておきたい。 良心を失ってしまえば、未来永劫救われないのだよ! キリストとして死ぬ覚悟がない人間は、救われないのだよ! それはつまり良心のために自己を犠牲にできない人間は恥の塊である。 恥の塊こそが、聖書に記述された獣のことである。 他者からみれば隠しておきたい恥が、本人は恥とは感じないのは、良心を失っているからである。神の遺伝子を必要とせずに、隠してしまったことになる。 筋肉は使わなければ衰えるように、良心も隠されてしまう。 さて、聖書の獣は666という数字で表されるが、秘教学では、進化の数を表す。古代ローマでは、数字は、文字を使って表記されたが、400+200+60+6=666で、太古数字をアルファベットで記すと、「TRWS」の子音体になる。 シュタイナーによれば、666とは、太陽悪魔のアーリマンのことを表すらしいが、「TRWS」の子音体に、母音を補い、右から読んで、Sorath「ソラト」と読めるそうである。 面白いことに、この「ソラト」を古代ヘブライ語で読むと、「略奪を本分とする」というような意味になる。そう、つまり、「略奪者」のことである。 略奪者は、詐欺師ともいえるが、いま日本社会に、詐欺が横行している要因は、良心を隠してしまったからである。いうなれば、「天照の岩戸隠れ」である。 つまり、略奪者は、ソラトの手下であることがわかる。 ハゲタカのような金持ちは、金を使った略奪者ともいえる。 「略奪者」は、本来、全ては神の持ち物なのに、自分のものだと正当化することにある。だから、必然的に、神の名を語ることをする。 神の名を語って略奪を正当化するのが、ソラトの本性である。 だから、神の名を語るのは、略奪者の証である。なぜなら、神は名を語る必要がない全ての存在だからである。名前は、他と区別するのに用いるので、全体を差し示すことは不可能だからである。ましてや人間が出来るわけがない。 さて、悪の代名詞の略奪者も、神の持ち物であるから、神の一部ともいえる。 つまり、悪も、神の一部なのである。 では、悪が何故に存在するのかといえば、善を際立たせるためである。 善より生まれた悪は、善に帰る宿命にある。善と悪を統合しているのが、秘教学でいう三位一体の神であるという。 そのため、人間には良心という善もあるが、同時に、良心の使い方を私腹(利己)化し、偶像崇拝すると、悪になる。 日本の戦中でも、「これは天皇陛下のお言葉である」といいながら、自己都合の解釈を強要する悪が蔓延った。 いま、国家斉唱が問題となっているが、例えば、歌わない人を問題にするよりも、歌わない人の分まで、代わりに自分が歌えばよいのではないか? 国家を歌うのが好きであるなら、自分が他者の分まで歌えばよいだけの話である。 自分は天皇でもないのに、天皇に成り代わるのは、略奪者でソラトである。 他者のなかの悪ではなく、まず、自分の中の悪を善導すること、良心を高めることが先決である。国家を楽しく歌えば、その楽しさが自然と伝わるはずである。 結局のところ、他者の振りみて我が身を正すしかない。 良心に忠実に自己犠牲を払えば、聖霊が良心とともに復活させてくれる。良心とともに、生きれば、人類が良心を失わない限り、未来永劫、良心とともに生きられる。 以上のことが、秘教学では、P.S.S.R=[per spiritum sanctum reviviscimus](聖霊により復活する)の象徴で表される。 キリストの言葉が生きているのは、人類に良心がある証である。 良心こそが永遠の生命の実体に思える。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012年03月22日 10時05分11秒
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