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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2012年03月23日
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カテゴリ:軟弱日本を斬る!
 例の如く、古代ヘブライ語の例のサイトの力をかりて、前回は、江戸幕府の財政を逼迫させたのが大奥であり、現代の政府の財政を逼迫させているのが、財務省や天下り官僚であることを、江戸時代のサムライ映画から、炙り出した。

 現代の大奥が、財務官僚や天下り官僚にあることは、縦割り行政からも伺える。縦割り組織から、横のつながりを重視した組織へのスムーズな移行が、現代の経営学から提案されている。

 現在、理念を共有する横の連携組織が理想とされるようになった。同時に複数の業務をこなせる組織員が求められる。これはスポーツのチーム、例えば、サッカーなどをみればよく理解できる。現代サッカーでは、ゴールキーパーという例外を除いて、複数のポジションを兼務できるプレーヤーが優秀とされる。

 端的にいえば、チーム全体をみながら、個人のプレーに集中できるプレーヤーが必要とされてきている。チーム全体をみれるようになるには、先の展開を読める能力が必要となる。自分のプレーだけに集中することも大切だが、同時に自分のプレーが、全体にどのような影響を与えるかを考えないといけない。

 換言するなら、壊すことを想定しながら、つくることができなければならない。

 この能力に最も乏しいのが縦割り行政である。天下りは、つくるだけしか考えない、全体にどのような影響、特に国民にどのような影響を与えるかの想定は皆無である。

 だから、事故が起きてから、つくったことが間違いだったことに気づき、「想定外」というような無責任な発言が生まれる。

 江戸時代の大奥も、将軍後継者を産むことしか頭になかったといえる。 

 大奥は、幕府の権威を盾にしていたため、その権威が失墜すると崩れ去る。

 将軍を産めない大奥は権威を失う。

 しかし、将軍の幕府に権威を与えていたのは、鎖国政策にある。征夷大将軍は、本来、夷狄を討つため、朝廷から与えられた役職で、ほぼ統一された日本にあっては、夷狄と足りうる存在は、鎖国してしまえば、なくなってしまうわけで、権威が一人歩きし、誇大化してしまう。自然、国内にいる外国人や異教徒などが、夷狄となりうる存在なので、幕府は、キリスト教禁止としたわけである。

 つまり、徳川幕府は、鎖国とキリスト教禁止により、権威を確立した。

 しかしながら、鎖国したからといって、夷狄となりうる存在がいなくなったわけではない。現に外国は存在し、夷狄足りうる存在として南蛮人と呼んだわけである。

 だから、徳川幕府の権威は虚構のようなもので、大奥は、その虚構を描く存在として機能した。

 この虚構がペリーの黒船により一気に瓦解したわけである。鎖国政策が破られると同時に幕府の虚の権威も失墜した!

 まるで、福島原発事故が起こるまでの原発安全神話と同じである。

 日本人は、このような偶像崇拝に陥り易い面をもっている。

 面白いのは、徳川幕府の将軍の継承が大奥という血縁関係から行われた点である。将軍の血縁は偶像崇拝そのものだからである。朝廷ならまだしも、皇室とは希薄な徳川家の血縁が何の意味をもつのだろうか?

 これと似たことは、現代でも学歴信仰に現れている。学歴といっても、学んだ履歴ではなく、大学への入学の難易度を学歴と主に呼んでいるのだから、滑稽さ極まりない。

 徳川幕府の14代将軍継承のときに、井伊直弼が、一橋慶喜では、将軍の血が薄いというような馬鹿な屁理屈を持ち出すのと同じである。家茂の幼さを考えれば、経験豊富な慶喜の方が、現代の常識からみても妥当に思える。

 似たようなことは、原発を監督すべき原子力保安院の人員構成に、専門の技術者でなく、東大だからといって、専門外の文系出身の連中を選ぶような人選に現れていた。事故の発表にも、専門外の人員を置いた。虚構の上に虚構を築いても、崩れ去るだけである。

 このような日本人特有の幼稚さはどこからくるのか?

 信じれば救われる、という偶像崇拝の悪しき面が出ているようにも思える。

 「官僚のいうことは正しい」という悪しき信仰の上で、赤字財政を築いてきた日本。

 「アメリカ様に従っていれば自分の身は保証される」という悪しき信仰の上で、沖縄は現在も占領されている。

 何でも他人まかせで、自立心、独立心を失った幼稚な精神は獣の腐敗した精神である。

 日頃、神など信仰したことがないのに、困ったときの神頼み、という日本人の腐敗した精神性を考えてみたい。 

 そこで、現在の偶像崇拝であるアメリカ教を、例のサイトから引用することで、考えてみる。

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 二人の神

 「ユダヤ対ユダヤ」というような、今の世には「二つのユダヤ」が存在する。

 その「主人」も、やはり二人いる。

 イエスと争いながら、自分を『神』に見せかける存在もいるのだ。

 黙示録 6:2
 私は見た。見よ。白い馬であった。それに乗っている者は弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上にさらに勝利を得ようとして出て行った。
・・・
 この白い馬を、イエスだと思うかもしれない。しかしそうではない。この馬に乗っているのは「サタン」である。
 -詳細は黙示録 5章-6章解説を参照。

 サタンは常に、神になりすましてきた。(徳川家の血縁主義など)

 見えない姿というのはその点で、都合良くできている。(征夷大将軍なのに、天皇の権威を利用した。)

 神もまた、二者が活動している。(悪神と善神)

 これを思い出せば、焦点のズレは収束できる。

 つまり、イスラエルに懲罰を加える「軍」と、イスラエルを救う「軍」とは違っている。

 後者には栄光が伴うのだ。

 しかし、「イラク戦」を「聖書予言の成就だ」-バビロン陥落の成就とすると、どうも引っかかる。

 なぜなら、その軍は結果的にイスラエルをフセイン・イラクの脅威から救ったが、これは「異邦人の時」を埋める「仮のイスラエル」だったからだ。

 本来『ヤーエ』は、異邦人「仮のユダヤ」に干渉することなどあり得ないはずである。

 その矛盾への答えはあった。

 「聖書予言を成就させよう」とする「二つの神」が活動していたのである。

 見えるイスラエルに絡むのは、「陰の神」ではないか。すると彼は、下記聖句を成就させたいと願うのは当然だろう。「自分のイスラエル」を救わねばならないからだ。

 イザヤ書 44:26
 わたしは、わたしのしもべのことばを成就させ、わたしの使者たちの計画を成し遂げさせる。エルサレムに向かっては、『人が住むようになる。』と言い、ユダの町々に向かっては、『町々は再建され、その廃墟はわたしが復興させる。』と言う。
 イザヤ書 44:27
 淵に向かっては、『干上がれ。わたしはおまえの川々をからす。』と言う。
 イザヤ書 44:28
 わたしはクロスに向かっては、『わたしの牧者、わたしの望む事をみな成し遂げる。』と言う。
 エルサレムに向かっては、『再建される。神殿は、その基が据えられる。』と言う。」
 イザヤ書 45:1
 主は、油そそがれた者クロスに、こう仰せられた。
 「わたしは彼の右手を握り、彼の前に諸国を下らせ、王たちの腰の帯を解き、彼の前にとびらを開いて、その門を閉じさせないようにする。
 イザヤ書 45:2
 わたしはあなたの前に進んで、険しい地を平らにし、青銅のとびらを打ち砕き、鉄のかんぬきをへし折る。
 イザヤ書 45:3
 わたしは秘められている財宝と、ひそかな所の隠された宝をあなたに与える。それは、わたしが主であり、あなたの名を呼ぶ者、イスラエルの神であることをあなたが知るためだ。
 イザヤ書 45:4
 わたしのしもべヤコブ、わたしが選んだイスラエルのために、わたしはあなたをあなたの名で呼ぶ。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに肩書を与える。
 イザヤ書 45:5
 わたしが主である。ほかにはいない。わたしのほかに神はいない。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに力を帯びさせる。
 イザヤ書 45:6
 それは、日の上る方からも、西からも、わたしのほかには、だれもいないことを、人々が知るためだ。
 わたしが主である。ほかにはいない。
 -ここでは、敢えて『主』を修正しなかった。
・・・
「主」を語るバールは、「イスラエルの神」を演じ、「持ち駒」の動きを応援した。

 しかし古代とは違って、アメリカのイラク戦争は後になるほど難儀が増え、多くの悲劇を振りまいている。

 この「聖句通り」に事を運ぼうとしたが、ヤーエほどの力が無かったのだろう。

 「見えるイスラエル」に絡む神は、「陰の神」だったようだ。

 それゆえ、この場合の神の名は『ヤーエ』ではなく、『主』が適しているのである。





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Last updated  2012年03月23日 16時37分12秒
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