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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2013年09月09日
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カテゴリ:映画をノベル
 なんでも宮崎駿監督が引退するとのことで、「好きな宮崎作品アニメは何か?」という企画をやっているので、気軽に述べてみたい。

 宮崎作品に入るのかどうかわからないが、私は、「ルパン三世-カリオストロの城」か、引退会見のときに、思いの残る作品という質問に対して、監督自身が応えた「ハウルの城」の2作が好きである!

 ルパン三世は銭形のキャラ、ハウルはハウルの弟子のマルクルのキャラが好きだからだ。

 ルパン三世は若いときにみたので、当時はセリフがあまりにも臭いな、と思ったこともあったが、歳をとってみたら、やっぱり、あのセリフしかないことに気がついた。

 特に、最後の銭形がいう「ルパンはとんでもないものを盗んでいきました。あなたの心です!」というセリフがそれだった。

 銭形がこんなロマンチックなセリフを吐くのは、カリオストロだけに思われる。銭形が二枚目風なのは、カリオストロだけに思える。ほとんどの作品では、お馬鹿な配役に徹しているのが印象深い。

 良い作品というのは、主人公だけでなく、脇役の立場も細かく描かれているものに思える。パッとしない御馬鹿でひょうきんな役柄しか当てられなかった銭形が、カリオストロでは、ヒロインの心を奪う泥棒の引き立て役になっている。

 モノを盗む泥棒ではなく、心を盗む泥棒という視点に、宮崎アニメのロマンを感じる。銭形も、ルパンに心を奪われた人物であり、相棒の次元も、五右衛門も、ある意味そうである。

 だから、私は、主人公よりも、脇役の方を注視しがちで、ハウルの城も、ハウルの弟子のマルクルと、悪魔カルシファーの描き方がよいから、好きなわけである。 
 
 宮崎アニメで特に好きなのは、不可思議なキャラクターがでてくるところで、千と千尋では、そのオンパレードだったのがよかった。得体の知れない人物がよく描かれていると、非常に面白い。しかし、あまりやりすぎると、ストーリー性に辻褄があわなくなってくる。そういう意味で、千と千尋は、オチが深いんだか浅いんだか、よくわからなかった。

 宮崎アニメは、夏目漱石の作品とどこか通じるところがあり、みている、読んでいるときは面白いのだが、オチがみえてくると、なんだか、途端につまらなくなる。だから、オチが見えないほうがよい。アニメにはオチがつきものだが、宮崎アニメにはオチは必要ないんじゃないかと思える。

 たぶん、あまりにキャラが豊富なので、つくりこんでいくうちに、オチと必然的に格闘せざるを得なくなって、あえて収拾つけるために、安易なオチをつけてしまうんじゃないだろうか?

 宮崎アニメの他とは違うところは、悪でも悪として描かないところにあると思う。先入観を極力廃する描き方というか、特にアクションシーンなんかは、従来の描き方とは違うところが特徴で有名である。すると、どうしても、結果が収拾つかなくなってくる。論理的に破綻してくる。

 アニメの特徴は、固定された先入観を破ることだと思うので、宮崎アニメが意味があるのは、大人が押し付ける価値観を、自分でアレンジ創作していく想像力をつくることにあると思う。

 一言でいうなら、「非現実の現実化」というところだろう。
  
 しかし、宮崎アニメももはやあまりに有名になってしまい、大人の押し付けになっている面もあるだろう。ゆるキャラも、元々は宮崎アニメのキャラの影響にもみえる。

 宮崎アニメの路線を克服するアニメもでてくるべきだろう。
 
 世間は3D化に向かう流れにあるが、3D化だけが、現実化ではない。

 セスの話だと、古代人は、絵などを、いわば言語にして、不可視の世界を表現していたそうだ。古代人の洞窟の壁画などは、それを真似したものだという。

 アニメには、そのような古代の言語に立ち返る可能性を感じさせる。現実のアニメ化を子供は簡単にやり遂げる。大人が忘れている能力である。宮崎アニメはそれを思い出させてくれる。 





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Last updated  2013年09月09日 13時42分02秒
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