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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2013年11月20日
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カテゴリ:軟弱日本を斬る!
 さて、日本人というのは、唯物的に存在しないことは、日本の住人が、単一民族でないことからも明らかである。以前紹介した、Y染色体アダム論でいうところの、YAP配列が日本人に顕著にみられる、といっても、日本人全体ではないから、それをもって日本人とは言い切れない。

 ただY染色体アダム論でいうところの、東アフリカのトゥルカナ湖の東北附近に約5万年前に住んでいた一人の男性がもつ遺伝子変異(一塩基多型変異というらしい)が伝播したと考え、その人物を起源として考えれば、例えば、この人物が聖書でいうところのアブラハムであったとするなら、このYAPのハプロタイプに似たDE配列のハプログループらは、聖書でいうところのユダヤ人である可能性が高いことになる。

 すると、ハプログループEは、アフリカ北部・地中海沿岸(エジプト・イスラエル・レバノン・シリア)やヨーロッパのオーストリアなどに父系を通じて広がった集団であり、ハプログループDは、分岐後、東方に向かい、チベット・アンダマン諸島のジャラワ族やオンゲ族(英語版)・台湾のブヌン族・日本人などに父系を通じて広がった民族集団と考えられ、これらはユダヤ人の末裔である可能性が高くなる。

 しかし、「東アフリカのトゥルカナ湖の東北附近に約5万年前に住んでいた一人の男性」がアブラハムであるという証明はほぼ不可能だから、ユダヤ人の証明も唯物的には不可能であり、ましてや日本人に比較的多いYAPが、日本人を証明するものとも限らないわけである。

 唯物的には、ハプログループD2と呼ばれる変異型が、3万年ほど前に日本列島で誕生したと考えられ、現在日本人の3割ないし4割がこのハプログループに属しているそうである。といっても、3割、4割なので、大部分は異民族となる。

 このハプログループの分岐を調べると面白い。以下はウイキから抜粋紹介する。

 ☆  ☆  ☆

 ハプログループの分岐

 ハプログループDEからハプログループDが別れ、アフリカの角と呼ばれる地域から、ホモ・サピエンスとしては初めて紅海を渡ってアフリカを脱出しアラビア半島の南端から海岸沿いに東北に進み、さらにインドの沿海部を通って現在のベンガル州あたりに滞留し、そこから北部に向かった集団がのちにチベット人となったハプログループD1、およびハプログループD3である。

 別の集団は海洋をスンダランド(マレー半島、ボルネオ島などが陸続きとなった一塊)へ南下した。この時、アンダマン諸島に取り残されたのが、のちのジャラワ族、オンゲ族(ともに「D」すなわちハプログループD1~D3に属さない)の祖であると思われる。

 スンダランドを南下した集団は、東南アジアを海岸沿いに東北に進み、長江沿岸辺りから、台湾、沖縄を島づたいに北上するルートか、もしくは長江沿岸辺りから海流に乗って日本列島の九州西岸に上陸するルートを通って、約3万年前に、無人の日本列島に到達した。

 日本到達以降

 当時無人の日本列島に到達したハプログループD系統は、海洋資源に恵まれ、また地勢的に孤立した島であったため外敵に侵入されることなく繁殖して日本列島の北部まで達した。今より2700 - 3000年頃前に、弥生人(ハプログループO、特にO2bとO3)が、東南アジアから長江下流域を通って日本列島にやってくるまでの約2万7000年間の間に、日本列島においてハプログループDの中からハプログループD2が誕生したと考えられる。

 彼らは縄文人として、褐色の肌、彫りの深い顔、濃い髭、二重まぶた、厚い唇の特徴を持ち、主に浅瀬で漁をして生活をしていたと考えられる。崎谷満は、彼等がSOV型の文法の言語を話していたと主張している。

 ☆  ☆  ☆

 続いて、Y染色体アダム論と、ミトコンドリアイブ論は以下を参照すると面白い。

 ☆  ☆  ☆

 有名人のハプログループ
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E5%90%8D%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97

 World_Map_of_Y-DNA_Haplogroups.png

 ☆  ☆  ☆

 上の表をみると、日本列島が、東と西で大きく異なるのがわかる。北海道と東北を含む東がD2で、西がO2なのである。更に西でも、特に九州はO3で、大陸の朝鮮、中国と同じである。すると、この図からも、日本人が少なくとも3つの民族を起源としていることがわかる。

 この3つの分布を、この表では、D2を縄文、O2を弥生、九州のO3を中国-チベットの大陸系にわけているが、どうにも歴史的なつながりが不明である。日本の歴史に沿うなら、出雲原住民系、海洋渡来民族系、大陸渡来民族系とするのがよいのではないだろうか?

 あるいは、大陸との整合性を考えると、大陸の中国に多い九州のO3は進駐軍郭ムソウ(藤原鎌足)の藤原氏の末裔で、百済も含み、大陸渡来系民族となり、タイ、カンボジア、インドネシアの東南アジアに多いO2は海洋渡来民族で、平氏の末裔となり、大陸のチベットだけに分布するDのハプログループD2は東北や北海道に多いので、出雲原住民系と考えられるが、東北、北海道には、大陸のモンゴルやツングースのC3も分布しているので、出雲原住民には、大陸騎馬民族も混じり、源氏の末裔であることがわかる。

 例えば、このことは、ウイキの「有名人のハプログループ」のなかで、「平安時代末期の武将・佐々木秀義のY染色体は、子孫を称する者の解析結果からハプログループD2と思われる。なお佐々木氏は宇多源氏の出身といわれてきたが、古代の近江の豪族である沙沙貴山君の子孫という説もある。」とあるように、D2が源氏系であることがわかる。

 またミトコンドリアイブ説(母系のミトコンドリアDNAを基に精査したもの)だが、D系統には、徳川吉宗、徳川家治の歴代将軍がいて、徳川家が源氏の末裔の可能性が高いことがわかる。ただし、徳川家慶は、上の表から現在では南方のニューギニアでしか分布のみられないハプログループMの古い系統であることがわかっている。徳川家の将軍は、いずれも原住民系であることがわかる。 

 つまり、唯物的には、日本人は、少なくとも3つ以上の多民族の融和からなることがわかるのである。

 話が大分逸れてしまったが、日本人というのは、実際は、多民族からなる一つの融和したイメージであることは疑いの余地がない。

 勘違いして欲しくないのは、どの民族が優秀か、というような悪魔の優生学で解釈しないことであり、勿論、日本人も多民族なんで、純血などというのは存在せず、アホ総理のように、日本人は優秀だということ事態、単なる自慰行為で、馬鹿で優秀でない証拠である。上の表のように、唯物的にも、ただの分布があるだけで、民族に優劣などないことがわかる。

 例えば、ロスチャイルドは、Y染色体アダム説によれば、ハプログループJ2であり、中東全域に分布するJのうちの北方系であることが、上の表によりわかり、ユダヤ人の優秀性を主張するなら、中東全域の民族の優秀性を唱えることになり、唯物的に、なんらユダヤ人特有のものではないことになる。機会があればJ2を調べてみたいが…。

 では、日本人はよく「日本人らしい」という表現をするが、何をもってそのようにいうのだろうか?

 独断で一言でいうならば、「情緒さ」を重んじるということだろう。この「情緒さ」は、悪い意味でいえば、目にみえない奥ゆかしさなので、個性のなさや、曖昧さに捉えられてしまうところがある。また、ときには理性を失い、感情的に走ってしまう恐ろしさも秘めている。

 例えば、「武士の情け」などという言葉に現れている。勿論、現代に武士はいない。武士でないのに、武士の情けを持ち出す曖昧さは、日本人ならではのものだろう。慈悲を持ち出す場合、海外では、宗教化されていて、常に神様につなげるからである。日本では神の情けとはいわない。海外との大きな違いは、神が擬人化されていないところにある。

 しかし、神に仕える人間は持ち出される。武士はそのような代表である。天皇は神ではないのか?という問いが出るだろうが、明治帝をそのように祀ったのは、長州の一派であって、天皇は祭祀者、つまり神々を祀る人間であって、それは恐らく古代マヤ文明を引き継ぐ名残が、日本文化に現れていることからもわかる。

 もし、明治帝が神であるならば、日清日露戦争を明治帝が望んだことになるが、そのような証拠は残っていないから、長州一派の独断であることがわかる。しかも、この長州一派は、「四方(よも)の海みな同胞(はらから)と思う世になど波風の立ち騒ぐらん」という明治帝が、西郷が死んでしまったことに対して嘆き悲しんだ歌を持ち出してきて、反戦の歌にしてしまったのだから、長州一派らが、天皇を傀儡にしていたことがわかる。それは昭和期まで続くのである。

 これら長州一派は、日本人というよりも西洋カブレしていた連中で、実際、フリーメーソンに操られていたわけであるから、この売国奴たちに日本人らしさを求めるのは、愚の骨頂であろう。

 むしろ、この不埒な長州一派とは逆の「情緒さ」が日本人の特質といえ、この「情緒さ」とは、古代マヤ人に源流をもつ「他者を殺傷するくらいなら、自分が犠牲になることを優先する精神」であろう。

 だから、自己主張が嫌われ、自己犠牲が尊ばれるのである。そして、古代マヤ人の特質は、自分のなかのこのような弱さに対して、反面の強さを神に求めるところにあり、だから古代マヤ人の神は、男神で、ヤハウエが信仰されていたそうである。

 ある意味、長州一派の神も、西洋カブレして、このヤハウエ信仰が捻じ曲げられて歪な形で出てしまったとも考えられる。それも、西洋の悪徳商人たちが、日本に開港地を増やした途端暴利を貪り、物価を高騰させたため、日本人(当時まだ日本人の概念はなかったが)の生活を疲弊させたからである。

 つまり、西洋に対する復讐心が歪められ、開港地を増やした幕府を憎むようになり、倒幕につながり、そして幕府がなくなると、その復讐心が思い上がって、正当化されて、アジア進出につながってしまったわけである。

 本当は、あくまでも信仰に求める情緒さ、暴発しない情緒さ、虐げられると、かえって信仰を強くするヨブの無垢な信仰にこそ求めるべきで、本当の日本人の情調さなのである。だから、日本人の「情緒さ」とは、信仰に付随する忍耐力のことである。

 「日本人らしい」というのは、忍耐力がある、ということを賞賛していることになる。この忍耐力、不屈の精神が、人間が神に近づく情緒さといえる。

 
 それは、実るほど頭を垂れる稲穂かな、という諺のように、生命の循環とは、上に行くほど、実は下に向かっているというホメオパシーの原理なのである。

 気に入らない事象をも受け入れる大きな器となること、それが和の精神といえるだろう。それは、上の表に、国境などを当てはめてみてもわかるが、日本列島くらい、混血、少なくとも3つの民族を源流とする土地は少ないわけで、その意味でも人種融和の神々から祝福された土地であることがわかる。

 人種の坩堝といわれたアメリカ大陸でさえ、少なくとも2種類であることがわかる。

 外国人がきて、驚くのは、日本人の顔つきの多彩さ、多様性だというのである。そのことに日本人自身が気づかずに、単一民族だと錯覚しているから、外国人は、日本に神秘性を感じるわけである。つまり、多くの民族の先祖が日本列島に漂着し土着していたことを感じるのである。

 この特異性に気づかずに、日本は優秀とする自意識過剰のアホをなんとかしないといけない。天皇制とは人種融和に思えてくる。





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Last updated  2013年11月21日 12時03分41秒
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