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カテゴリ:軟弱日本を斬る!
サッカーワールドカップはやはり予想通りフランスの優勝に終わったが、残念なのは、ウルグアイの2トップのカバーニが負傷してスアレス1トップになってフランスにあっさり負けてしまったことである。
今更ワールドカップと言われるのも味気ないが、今大会をみてもわかるように、代表チームをみても、国の違い、国境が益々なくなってきている。 決勝まで進んだクロアチアをみると、私にはかつての攻撃のオランダと守備のイタリアを合わせたようなチームにもみえた。勝ったフランスも、かつての将軍プラティニやジダンがいたフランスというよりも、アフリカの身体能力を取り入れたアフランスともいうべきチームにもみえた。 つまり、単刀直入にいえば、人種の違いがなくなりつつあるということである。FIFAは差別撤廃を掲げているように、サッカーを通じて人種差別がなくなっていくことは人類の進化としては歓迎すべきことである。 もはやヨーロッパの選手も南米のような技巧的プレーをするし、南米の選手もヨーロッパのような肉弾的プレーをする時代なのである。 今大会の特徴は、強豪国が強豪でなくなったことにある。強豪国は徹底的に調査されるわけで、それはグローバル化がもたらした情報格差の標準化ともいえる。 弱小国が情報戦により、強豪国と互角に戦う時代にきたといえるだろう。その顕著な例が、大顰蹙の日本のポーランド戦の最後のボール回しである。 弱小国が、確率という賭博により試合には負けたが、決勝トーナメントに進める情報戦を制した。こんなことは過去にはありえないことだった。弱小国が確率で進んだのである。 アインシュタインなら、神はサイコロを振り給わず、とでも言っただろうか。サッカーボールがサイコロになってしまった! ともかくも、攻めないほうが、ファールをとられずに、コロンビアが勝つ確率が高いと選択したのである。 確率が高い方を選択するのは現実的だが、そこにドラマはない。私には、あの消極的プレーが日本のサッカーを、既に10年遅れているのだが、更に10年遅らせたように思う。 日本ファンには申し訳ないが、私も日本人なので、代表を応援したいのも山々だが、海外よりも明らかに劣っているチームを同国人だという理由でわざわざ応援する気はない。そういうのは田舎者のやることである。 つまり、いまの日本のサッカーは残念ながら10年遅れている。後方で安全策のパス回しなんかしているから、強いFWが育たずに、どんなシュートもクリアしてやるというGKが生まれないのである。 徹底的に負けずにお茶を濁して誤魔化すから、よし俺が代表になってこのチームを強くしてやるという子どもの義侠心が育たないのである。前回も書いたが、ブラジルのロナウドは、子どものときに不甲斐ないブラジルのFWをみて、俺がFWになると決意したから、多くのFWのなかから優れたFWとして生まれたのである。 産みの苦しみを経験すべきである。ドーハ―の悲劇を教訓に日本のプロ化が進んだ。しかし、まだ張りぼてにすぎない。明治維新のように即席の欧州化で見せかけ騙しである。 日本のFWが肝心なときにシュートせずに、パスをだしてしまうのは、日本の教育にある。 今大会で得点をとった選手は皆海外で活躍している選手である。海外でも点をとれるから、点をとれたのである。海外で教育された成果である。 実は今回の本題は、教育なのである。日本の教育は中世ですらない古臭い懐古主義、骨董主義ものである。 日本の大学入試がダメなのは、解答をどれだけ暗記できたかで決まってしまうからである。こんなものは知性ではない。一度誰かに解決された問題は、もはや問題ではないからである。本物の知性とは、解決されてない問題を解くことにある。 最高学府といわれている東大生にも数十人巡り合ったことがあるが、確かに物知りで、暗記も優れているが、人間味に乏しく、人格が優れているとはいいがたい。自分が一番だとのぼせ上がっている人も多い。共通していえることは容易に人を見下す事である。 こんなことでは新しい問題や、困難を解決できるようにはならないだろう。そんな人たちが官僚になるのだから、日本が没個性になるのも無理はない。 解決されてしまった問題は、単なる過去の出来事でしかない。過去の出来事をいくら集めようが、未来の出来事にはならない。新しい関係を築くのが本物の知性である。 犬HKの「奇跡のレッスン」をみていて、気づいた。 「奇跡のレッスン」の先生のほとんどは外国人で、日本人のなかにも素晴らしい教育者はいるだろうが、あまり聞こえてこない。外国人の先生が、日本人の生徒を教えてて皆共通にいう事が、日本人は、個性の出し方を訓練されていない、ということである。 日本人は周囲の空気を読めるのに、そのなかに自己を表現できないのである。 対照的に、外国人は周囲の空気を読まずに、自己を表現して失敗する。 しかし、失敗していくうちに、だんだんと自己を表現できるようになる。 対照的に、日本人は表現できないので、大人になっているのに、建前といって仮面を被る。 これまでのローカルな時代はそれでも通用しただろうが、これからのグローバル社会では通用しない。現に外交問題で、日本は多大な損害を受けている。なんでもカネで解決できると思いこんでいる。 多くの外国人が、日本人に共通して抱くのが、ナイーヴである。ナイーヴとは、本音でいえば、精神的に幼稚という意味をもつ。あまり良い意味ではないので、代わりに純粋で親切という言葉を使う。 日本人だけに建前があるのではない。外国人は建前とは言わないだけである。本音は隠す。本音をうっかり話すのが日本人である。だから益々幼稚と思われる。 これは大きな問題で、何が問題かといえば、日本の教育である。 単純にいって、日本の教え方は一方通行なのである。 この教え方が実は古臭い悪魔的なものなのである。このように書くと、非難囂々だろうが、このブログは、他とは異なるので、オカルトといわれようが、そのような声はスルーするだけである。 オカルトでは、実は、一方通行の教え方は、古代アトランティス時代のもので、このころの人類にはまだ、現代のような個人的な自我をもたなかったのである。 単刀直入にいえば暗記一辺倒だったのである。古代アトランティス時代の人類は記憶力が抜群で、どんなことでも詳細に記憶できたからである。父が子に記憶をそのまま受け継いだから、どちらが父か子かわからないぐらいなので、シニア、ジュニア、二世、三世という呼び名が用いられたのである。 有名なツァラトウストラも、一番最後のツァラトゥストラで、初代から数百年も経つので、数百歳と後から計算されるのである。 しかし、古代ギリシア時代に、父から受け継いだ霊視力を失ったので、俗にいう暗黒時代がはじまったので、代わりに悟性=理性を司る能力が現れたのである。 この悟性により、実際に経験しなくても、同じものとみなせる論理力が生じたのである。これが霊性の代わりの哲学性となったのである。 ソクラテスの時代には、全てが霊視により、詳細なイメージとしてみえていて、ソクラテスの経験は弟子にそのまま伝えられたが、プラトンの時代になると、幾何学を用いて、師の経験を数学的に伝えるしかできなくなる。だから、プラトンは、幾何学ができないものは、わが学院の門を通ってはならないとした。 やがてアリストテレスの時代になると、幾何学から、代数学に移り変わり、論理力が発展して、自他の違いが現れてくる。 単純にいうなら、プラトン以前は、私は○○神の所属であると明確にいえたが、プラトン以降のアリストテレスになると、私は私という個性的な自我をもつ。私は貴方とは違うという論理が芽生えたのである。 だから、一方通行の教えをしても、「先生、私は先生とは違います。」と言われて終わりである。しかし、プラトン以前なら、○○神がこう言っているから従いなさいと一方通行の教えが、そのまま受け入れられたのである。 つまり、師が言っているのだから、弟子はそのまま受け入れなさいという一方通行の教えが意味をもったのである。というのも、当時の人類の自我が個性をもたずに、師の体験をそのまま弟子に伝えることができたからである。 日本は、いまだにこの古い教え方を続けているから、日本人の自我がそれだけ没個性的なのか、既に無意味な事に気づいていないかのどちらかなのである。 だから、困難に遭遇して、独力で道を切り開く事ができずに、誰かを真似たり、何かにすがったり、特に権力にすがったりして、神頼みならぬ悪魔頼みになってしまうから、自分は逃げだして、誰かにパスをしてしまうのである。 困難を独力で解決した経験がないから、肝心なときに、誰かにすがってしまうのである。失敗は成長の糧なのに、失敗を極度に恐れてしまう。失敗から這い上がろうとせずに、失敗することを恐れる。闘う前に高確率にすがり、負けてしまうのが、ポーランド戦の最後のパス回しなのである。 臆病で無責任というのが、この古臭い教育の成果である。この古臭い教育を受けた者は、困難に遭遇すると、誰かに丸投げして、雲隠れする。しかし、困難を解決しないと成長できないどころか、精神が退化していく。 臆病で無責任というのは、子どもや幼児の精神性の特徴である。 可愛い子には旅をさせるどころか、周囲を除菌して過保護にして、大人になっても一人旅ができなくなる。 つまり、日本の教育は、図体だけデカくて、中身は子どもや幼児のナイーヴな人間らしき動物を育てているにすぎない。 海外では個性的な人物ほど重要視される。日本の政治家は奇異な目でみられている。恐らく、中世の遅れた精神性が目に映るのだろう。だからアニマルに譬えられる。日本のアニメは有名である。ある意味で愛玩動物にみられているのかもしれない。 政治家や官僚や大人たちをみていると、このことに気づいていないで、自画自賛している日本人なる不可思議な連中のアホさ加減に嫌気を催すのは私だけではないだろう。 日本のこの古臭い教育を受けた人には自分の意見がないのが特徴である。 教育というのは、正しい答えを出すのではない。個性的な自分の答えを周囲に認めてもらう不断の努力なのである。 今正しい答えであっても、数分後には間違った答えになる。正しい答えは、時間とともに変わっていくからである。 日本のサッカーが10年遅れているのは、正解を誰かに求めているからである。つまり、強豪国の物真似をしているうちは、強豪国以上の努力をしても、超えることはないだろう。 日本の教育から変えないとダメである。 サッカーで自分の表現をするような選手が出てこないと、サッカーを言語にできるような選手がでてこないとダメなのである。 困難に打ち克つ事で人間は成長する。 好きな事で困難に打ち克つ事ができなければ、何で打ち克てるのだろうか? 成長をはじめから放棄している連中よ。目を覚ませ!! 困難から逃げ出せば、成長が止まるのが宇宙の進化の法則である。 野球界に二刀流という夢のような大谷選手がでてきたが、日本ではまだ野球の人気が高いので、野球とサッカーという夢の夢のような二刀流が出てくれば面白い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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もうりです。
自分のへりくだることの 意味の考察です。 キリストは へりくだって 人間となられたということ。 これを手がかりにすれば、 箴言にある、 貧しいものと共に暮らすことが 高ぶるものと獲物を分け与えることよりも優れていることの意味が わかるし、 父なる神が、 かえって自然領域を 支えているらしいことも 参考になる。 つまり、 高みを目指しつつも、 素朴に暮らしてる人たちや 世間の人たちにも ある程度の慈悲心を もてたり、恵みを分け与えることが できたり、なんなら愛情をもって 共に暮らすことができるなら 謙遜なのかもと考えています。 (2018年08月02日 19時57分02秒)
もうりさんへ
以前にこのブログでも紹介したのですが、ミクロの世界にいけばいくほど、マクロの世界になってくる、というヘビが自分の尻尾をかんだ図を思い浮かべてください。 物質をどんどん小さくしていくと、素粒子になりますが、素粒子とは単なる点にすぎなくなります。素粒子という点よりも、むしろ、その周囲の空間の方が大きく重要な意味をもってくるのです。 原子も素粒子レベルでみれば、電子が、スケスケの原子核の周りで、スケスケの運動をしている状態なのです。高速運動しているので、決して静止状態では捉えられないので、スケスケにはみえませんが、実際はスケスケなのです。 TVの走査線を高速でみればスケスケなのと同じです。 これはどういうことかというと、最も小さいものが、実は最も大きいものというアベコベの世界を現しています。 だから、最も偉大な存在は、最も低俗な存在に遜ることもできるのです。 実るほど頭を垂れる稲穂かな。 ですね。仏教でも万物に仏が宿るといわれていますが、最も低俗にみえるものにも、神は宿るのです。 自分の姿をみるには鏡が必要です。自分がいかに偉大なのかは、低俗になってみてわかることです。 幸福を知るには、まず不幸を経験しないといけないのです。へりくだってみないと、真実はわかりません。一度自分を無きものにしないと、自分がみえてこないのです。 キリストはこの世をつくりました。そして、実際にイエスに降臨し、人間を経験し、そして、もしキリストがこの世から去ったら、人類は、キリストの偉大を感じるだろうか、キリストの偉大さを感じ、自分もキリストのようになろうと思えるだろうか、それが人類に対するキリストの問いなのです。 勿論、キリストを拒否し、ルシファーやアーリマン、アスラになるのも人間の自由です。キリストのなかには、ルシファーやアーリマン、アスラ性も潜んでいて、キリストは、それらに調和をもたらしているからです。 だからこそ、謙遜さがキリストの象徴なのです。 (2018年08月03日 23時30分46秒)
ありがとうございます。
ヘビの話で 納得がいったかも。 つまり、例えば、人間から 動物、鉱物へと下っていけば、 かえって最高神へと至るように、 人間もそうなのだと。 つまり、アルファでありオメガである、回転する円です。 それゆえ、小さな人間は それだけ神に近い (2018年08月09日 20時42分36秒) |