シュタイナーから読み解く神秘学入門

2021/01/09(土)22:56

ネット情報の活用法 その1488

神秘体験空間(2103)

忙中少し時間ができたので、媚っと騒動のなかで、人類全体がどのような運命に向かっているのか、考えてみるために、シュタイナーの「地球年代記」を読んでみた。  目から鱗が落ちる。  知とは何か?   ソクラテスの説いた無知の知を、現代人は真に理解していないことがわかる。  現代人の知とは、主に視覚域を元にした物質的同定法を、脳で解析処理したものである。  つまり、視覚域上で似たものを同一視し結びつけ、言語などの記号に置き換え、数学的に演繹および帰納し、発展させた認識力である。  シュタイナーは、この知性を悟性=外見知と呼び、本質を知る霊知と区別している。  いわゆる現代人は物質知で満足している、のである。  対照的に、古代人の知は、精神的に一致をみる、いわゆる霊知で、現代人の物質知では到達できない認識力を意味している。テレパシーというのも、物質的な距離を不問にした認識力の1つである。  例えば、現代人の認識力では、万物は素粒子よりつくられる、というのが限界で、それはハイゼンベルグの不確定性関係で数式化されているが、これは視覚を元にした脳の解析処理の限界をも示しているわけである。    現代人は、古代人からみれば、皮相的な思考の持ち主といわねばならないだろう。  現代人は、みすぼらしい外見から、愚かであると判断しがちで、古代人からすれば、粗くて、近視眼的な思考にみえるだろう。  さて、古代人の思考、つまり霊知を、シュタイナーは、3つの段階で解説している。イマジネーション、インスピレーション、インティションと名付けているが、それぞれ、肉体の可視域を超える認識力、可聴域を超える認識力、非物質性のエネルギー認識力を意味している。  これらの霊知の思考を、イメージ思考と呼んで、現代人の物質知、つまり悟性による認識力と区別している。  イメージ思考を簡単に説明するのは困難だが、物質の構造や、万物の設計図が浮かびあがり、展開していくような動画のような思考といえる。脳のなかに、光がやってきて、閃くような感じといえる。  脳はスパークし、記録する。熱や火、エネルギーが思考の実体である。だから古代人は、雷は自然が思考していると言った。  現代人の母国語に置き換えて、概念を論理的に積み上げていき、静止画を抜き出していくようなのとは、対照的である。この現代人の思考は、安定性の基盤の上に可能なのである。  周囲に固体があるからこそ、論理的な思考が現代人に可能となったわけで、固体に筆記し、記録し、残すことを可能にしているが、比較的に安定的な固体、物質がなくなってしまうと、何一つ残すことはできないのである。  現代人の大きな間違いは、脳が思考していると錯覚している点にあるという。脳は、思考の結果を映しとっているだけで、思考の残骸であるらしい。それは脳と腸の形態が似ていることからもわかるだろう。腸は物質から栄養分を抜き取って、残骸を排出する。  つまり、物質というのは、霊の残骸にすぎない、というわけである。現代的思考でいうなら、霊とは、熱やエネルギーというべきだろう。単純にいえば生命の原型である。物質の形態から、熱やエネルギーの認識はできない。少なくとも、物質が生じる前の非物質的段階に言及できなければ無理だからである。  だから、ソクラテスは、無知の知を説いたわけである。現代的思考では、未来を予見することは不可能なのである。物質というものが、霊、つまり生命の運動の結果生まれたものだから、死体から死因はわかっても、その生命の活動目的がわからないのと同じである。  人類がどこに向かっているのか、地球の運命を知るべきだろう。  地球の生命を感じ、意志に共鳴しなければならない。  映画「天気の子」をみて、地球が再び、死の固体から液体の生命になっていく姿が予見された。

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