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カテゴリ:軟弱日本を斬る!
忙中、気が向いたら書くという完全気ままなブログになってしまったが、また書きます。今回はたわいのない事を書きます。
というのも、第4波が押し寄せるコロナ渦のなか、なぜか最近矢鱈と巷に「結婚」が目につきます。確かにこのまま少子化が続いていくと、外国人がこの国に移住してこないかぎりは、この日本国家は滅亡に向かっていくでしょうし、現にお馬鹿総理や空っぽ総理で、政治破綻が起きています。 といっても、このコロナ渦で、外国人移住が増える前に、ウイルス感染が増えそうなので、いずれにしろ、この国はお陀仏でしょう。もはや時間の問題です。結婚数を必死に増加させても、もはや手遅れでしょう。 男女が結婚したからといって必ず子供をつくり育てていくわけでもないので、現に不倫や離婚が増加しているのをみれば、「結婚」を煽って「結婚」するような、まるでメリーゴーランドにでも乗るかのような感覚で、「結婚」を話題にするのはいかがなものか、と思うわけです。 いずれにしろ、小泉政権から、この国の転落は決まったも同然なのです。それが現実なのです。この国の現状など、この国のお馬鹿政治家をみれば誰でも予想がつくでしょう。そんな陳腐なことは話しません。もっと哲学的問題です。 では、人はなぜ結婚するのか? かのソクラテスが、弟子か何かに、結婚を相談されたときの、答えが、「結婚しなさい」だった。 その理由は、良妻なら素晴らしい人生になるだろう。しかしながら悪妻でも、私のような哲学者(賢者)になれる、だったのである。 ソクラテスの妻は悪妻で有名だったので、この話のオチにもなっている。 哲学の父は、どういう相手を選ぶか、というよりも、結婚自体を肯定している。 それはどういう意味か?と考えると、男女の違いほど異なるものはないわけで、その違いを認め合う事を肯定したのではないか、と思うわけである。 当初価値観がほぼ似ていた男女でも一緒に暮らし生活してみると全く異なってくることがわかる。 そもそもこころというように、心は移ろいやすく、日々成長、経験していくわけである。 最初でピークでお互い惹かれてはいても、時間が経つと、色あせていくのが、この世の淘汰であり、エントロピーの法則、つまり熱は次第に冷めていくわけでもある。 お互い好きあって幻想の中、自分の相手に対する妄想の中で求め合って結びつくと、熱しやすく冷めやすい金属の性質のように、お互いがその状態維持の努力を続けない限りは、息切れして、次第に冷えていくものである。 いやぁ、こんなはずではなかった。もっと価値観が一致していると思っていた。騙された。と時間が経つにつれ、わかってくることだろう。 それがこの世の物質世界の習いなのである。物質界の崩壊の法則なのである。 プラスとマイナスは惹かれあい、結びつきはするが、その状態を続けるには、つまり安定するに足るエネルギーを注ぎこまないと、たちまち分離してしまう性質にある。 惹かれあうのが恋ならば、その恋の状態を安定させるには、愛というエネルギーを絶えず注ぎ続けないといけないわけである。 この愛を絶えず注ぎ込むのが異常に難儀で、互いの違いを認め合うことなのである。 自分というのは、共通の価値観から成立しているから、自分なのである。そこに他という相違した価値観が介入してくるのを、不快に思うのは、物質界では、1つのモノは1つの概念しか占有できないからで、つまり、1つのモノは1つの安定から成るので、これを電子の世界では、フェルミ統計といわれる概念で記す。 つまり、物質世界で生きるには、男女の結婚ほど苦痛のものはないのである。というのも、自分という概念を日々相手に合わせて変えていかなければ安定しないからである。 相手に応じて自分を変える作業ほど、安定状態の物質界において、困難で苦痛なものはないからだ! そもそも自分をなるべく変えないのが安定で楽なのだから、せっかく変えるのなら、それに見合った報酬を求めてしまうのが、人間の怠惰な性だから、せっかく結婚するのなら、今の自分に合わせてくれる相手がいいと考えてしまい、ますます高望みするから、ますます結婚がリスクになってしまうわけでもある。 今の自分を愛する余り、相手への要求を高く設定してしまうばかりか、自分を変えようとしなくなるから、ますます結婚不適応人間になってしまうわけでもある。結婚を求めれば求めるほど、結婚できなくなってしまう。 求めるならば与えなさい。 キリストの言葉である。 相手を求めるなら、相手に合わせなさい。相手と同じ目線に立ちなさい。 しかし、それは今の自分を捨てることでもある。いまの地位を投げ捨てる事でもある。 だから、結婚は人生の墓場というのである。 昔は見合いや許嫁という強制結婚制度があったが、これは逆説的に結婚を捉える中世の知恵なのかもしれない。自分を捨てるくらいの覚悟で結婚しないと、結婚の苦労に耐えられないという教訓めいたものを感じる。 つまり、結婚して自分を白紙にしなさい、という事なのだろうか? お嫁さんの角隠しも、角はエゴを霊的に表すが、結婚して時間が経つと次第にだんだんと角が生えてくるのが現実でもある。 結婚のスピーチにも、結婚は判断力の欠如、離婚は忍耐力の欠如、再婚は記憶力の欠如、というのがある。 冷静に考えれば、結婚など生い立ちがほとんど見ず知らずの相手と兄弟みたいな生活をするのだから、苦痛の連続である。だから昔は結婚は建前で、裏では不倫のし放題という話がある。 しかしながら、物質界において、自分を変化させていく術を学ぶには、結婚は最適の選択肢といえる。最適な修行法ともいえる。 しかしながら、ワタクシ個人は、ドラマ「結婚できない男」が大好きで、相手に合わせて、自分を変えようとも、微塵たりとも変えたくないので、結婚などは論外なのである。 だから、巷の「結婚」誘惑かのようなものは、媚っとウイルスのように嫌悪感を覚えて不快でならない。 結婚できない男といわれようとも、だからどうしたと思う。結婚しない人生も楽しいし、前世で何度か結婚して痛い目にあったのだろう。というよりも、悪妻を貰わなくても、既に哲学者であれと思いたい。 だから、結婚の話題になると、競馬と結婚しているからそれで充分である。 一人が嫌なら、どんな人でもいいから結婚しなさいな、と受け流します。一人が寂しければ結婚した方がいいかもしれないね。でも、結婚したからといって一人で死なないわけではないですね。 どんな相手ともうまくやれる人なら結婚は成功するでしょう。どんな鬼とも仲良くやっていけるだけの忍耐力があれば、巧くいくでしょう。しかし、それが果たして、自分といえるのかどうか? 私にはいまだ疑問に思われる。 自分と言うのはこの物質界だけでの存在なのですから。自分を思う存分楽しみたいです。 ブスは三日で馴れる。美人は三日で飽きる、ともいいますから。結局は自分の人生なのですよ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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