3362590 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X
2025年04月17日
XML
カテゴリ:神秘体験空間
映画「メンインブラック」をみると、嫌なことが忘れられた経験がよくあり、大好きな映画なのだが、その映画の中でよく使われる、メンインブラックが、宇宙人を見た記憶を失わせるために、ニューラライザーと呼ばれる「ターゲットあるいは目撃者の脳内の電気信号(インパルス)を絶縁させて記憶を消去し、催眠状態にすることで偽の記憶を植え付ける」機器のせいかもしれないが、自分の場合は、宇宙人の目撃ではなく、嫌なことを忘れる映画として、映画「メンインブラック」そのものをニューラライザーとして使っていたような気がする。

メン・イン・ブラック (映画) - Wikipedia


神智学によれば、実はこのニューラライザーは実在していて、人間がこの世に生まれてくるときに使われているらしい。そしてまた、生まれてくるとき以外にも、若干弱めだが、睡眠から、起きるときにも使われているという。交通事故などに遭って、このニューラライザーが誤作動してしまうと、記憶喪失になるらしい。人智学的には、エーテル体の一部が、肉体から分離すると、ズレて起こるようである。人間の霊魂は、エーテル体や肉体の衣服を着ているようなもので、肉体に合わない服を着ると、服が破れ、穴があくように、記憶の消失が起こるようである。

健忘 - Wikipedia


神智学によれば、人間の死は、この記憶喪失の延長上にあるらしい。つまり、この逆の記憶を失うのではなく、ニューラライズされる前の、過去の記憶を蘇らせることができれば、人間は死を乗り越えられるわけなんである。シュタイナーは、アクエリアスの時代が到来すると、ニューラライズされない、前世の記憶を覚えている子どもが生まれてくる、と預言している。つまり、仏教の仏とは、過去の全ての前世の記憶を覚えている人なのである。ニューラライズされても、宇宙人目撃を覚えている人なんである。

さて、このようなSF映画ではなく、巷の大河ドラマや時代劇をみていると、感動やお涙頂戴モノを演出するために、武士道というのが、主君に生命を捧げ、忠義のために、生命を粗末にするシーンが矢鱈と描かれて、戦争モノでも、特攻隊などが美化されていたりするが、幕末に勝海舟なども、そのような似非武士道の、死を賛美する美学は、戦国時代を思い描いて、後に創作されたフィクションなのを語っている。ちなみに、海舟は、戦争などに行かされたとしても、決して死なずに、適当なところで、戦場から逃れて帰ってくるのを薦めて、友人が生きのび帰ってきて、戦後補償を言い出して、海舟を攻め立てて始末に負えないと笑い話で語っている。

葉隠れの「武士道とは死ぬこととみつけたり」という名文句は有名で、江戸の武士文化を示しているようにいまでは勘違いされてもいるが、この葉隠れは、江戸の徳川中央政権とは程遠い、現在の佐賀県の、鍋島藩の山本常朝により、鍋島直茂を偶像崇拝し、伝承されたものと、ググると、以下のウイキからわかる。このウイキをよく読んでみると、死を推奨しているのではなく、生き続けるのには生きる目的を明確にしろと、逆に生命を無駄にするな、と説いているのである。

葉隠 - Wikipedia

 『葉隠』 は人の「生きる理由」に着目する。「死ぬよりも生きることを優先する」という人間大多数の原則には必ず何らかの理由があると説く。しかし常にその理由を意識し続けているわけではなく、一度でも忘れてしまえば腰抜けに生きるようになり、人生そのものが台無しになるだろう。
 そこで死の覚悟を不断に持することによって、自らの生きる理由を見つめ直し「職分を落ち度なく全うする」べきであると説く。武士として恥をかかず、また人間として有意義に生きるために、死ぬ覚悟が不可欠と主張しているのである。このように『葉隠』は死を礼讃しているのではなく、むしろ人生観について説いたものである。

端的にいうなら、自分の生きる目的を常に明確にしろ、と説いているのである。無駄に生きるな、ということである。自分がこの世に生まれたのには、自分のなかに、その理由があるのだから、その理由を、自分が生きるなかに見つけなさい、という意味なのである。自分という存在はこの世に一つで、宇宙でも一つなのだから、その生きる意味と、生きる過程の日々を大切にしなさい、という意味なのである。

だから、葉隠れを、言い直すとすれば、武士道とは、死の意味を知り、死を乗り越えて、永遠に生きること、といえるかもしれない。だから、武士道とは、カルマの法則を知ることで、道徳を実践する人なのである。神智学によれば、死とは、永遠の生命のなかの、肉体という時間という枠を与えられた一断片のなかにあるものである。量子力学でいうなら、本来の自由な波動が、井戸型ポテンシャルに囚われて、確率的に量子化された量子にすぎないわけで、死は生成とともに、やがて消滅する、波動の粒子形態なのである。

人間は、睡眠中の記憶を忘れてしまうように、死の先にある世界を忘れてしまうので、ニューラライズされてしまうから、死がわからずに、生もわからない。自分が前世どんな人間だったのかニューラライズされて、覚えていないが、大抵、自分が前世で加害や迷惑を与えた罪滅ぼしで被害者に成り代わり生まれてくるので、前世で嫌な奴だった人間になって生まれているので、生命を粗末にしたり、自殺しないようにニューラライズされている、ともいえるかもしれない。

例えば、前世で独裁者だったような人間は、不幸せになろうとしたり、自殺願望を抱くようである。だからニューラライズが意味をもつわけである。前世の記憶を失っていないと、生命を無駄にし、真剣に生きられないからである。人間は嫌なことを忘れないと生きられないからでもある。この世に生まれるのは、前世でこの世を卒業できなかった人が大半なのだから、前世の失敗を忘れるに越したことはない。

逆に、前世を記憶している人は、嫌なことをしてこなかった人といえるかもしれない。「良かった、俺は、前世を覚えているよ」と言う人は、地球卒業まであともう少しなのかもしれない。シュタイナーは、前世で不慮の死を遂げた人は、そのような記憶が強く残っていて、残っていない人よりも、ニューラライズに耐性があり、記憶力がよいとも述べている。生まれながらにして肉体の一部に障害をもつ人は、前世の記憶をもつ人が多い、というようなことも述べていたような気がする。

例えば、サヴァン症候群の人のなかには、古代の言語の記憶をもつ人もいる。異常に記憶力の良い人は、古代アトランティス人の生まれ変わりの可能性も高い。その代わり、現代特有の物質的で、論理的思考には逆に不得手になるようだ。トムクルーズで有名なディスレクシアなどは、あまりに古い前世の持ち主が現代に転生してきて、現代の読み書きに対応できないと考えれば辻褄があうだろう。

読み書きに困難のある学習障害「ディスレクシア」とは | 日本財団ジャーナル

さて、いま大阪では万博をやっているようだが、巷は、万博よりも、令和のなまはげトランプに大騒ぎで、連日連夜、トランプの関税悪魔詣でばかりを垂れ流し、見て損したと思うニュース番組ばかりで、最近は見ていなかったのだが、ついみてしまったのがモーニングショーで、相変わらず好き勝手なコメントを垂れ流していて、やっぱりオールドメディアの終焉を醸し出していて、見て損した、と思った。

 

なまはげ - Wikipedia


「騙されたと思ってみてみると、やっぱり騙される」という表現が昔流行ったが、同じ時代に、大川興業のギャグで、キンチョーの宣伝に真似て、♪夏がくぅれば思い出す、遥かな声、赤尾敏♪の、右翼街宣車のような騒音を思い出すほど、トランプを散々に罵っていたのだが、一視聴者一国民からすれば、日本の総理や財務官僚だって、トランプと似たようなもので、国民の生活の苦しさを見て見ぬふりで、自己保身に走り、権力で弱い者虐めをする同じ穴の貉でしかない。

大川興業 - Wikipedia


トランプを罵るしか能のない、我が物顔のコメンテータは、権力の片棒を担いで、同時に国民を愚弄している。ドラえもんの世界で喩えると、ジャイアンの暴力を盾にして、弱いのび太を虐めるスネ夫のようなもので、好き嫌いで物事を判断しているうちは何の進歩も成長もないのがわからないらしい。

ああいったコメンテータたちは、昔懐かしの右翼街宣車と同じで、公共の電波で垂れ流すのだから余計始末に負えない。財務官僚や官邸リーク情報を鵜呑みにして、官僚の愚民化政策通りに洗脳情報を垂れ流す無知不勉強で迷惑な輩である。情報リテラシーの欠片もない、単なる無知蒙昧の恥晒しである。

前回紹介したように、なまはげは、なまはげに遭うことで、自分のなかにある、なまはげに呼応する心の闇を反省して、中和し、取り去ることに意味がある。パラケルススの格言のように、毒がクスリになるのは用量次第で、毒舌は、的確な表現なら、笑いをもたらすから、クスリになるわけで、笑えない毒舌は、面白くもなく、単なる毒でしかない。糞面白くもない毒舌は、聞くだけ野暮といえるだろう。

そういう意味で、関西人が、常に話にオチを求めるのは、毒をクスリにしようとする頓智が効いていて、流石にお笑いの聖地といわれるだけある。だから、関東よりも、関西のほうが、風刺が効いていて、ニュース情報番組のなかでは、関西の『教えて!ニュースライブ 正義のミカタ』が秀逸である。日本の財政については、高橋洋一氏の動画が秀逸で、経済学の勉強にも最適である。

教えて!ニュースライブ 正義のミカタ|朝日放送テレビ

教えて!ニュースライブ 正義のミカタ - Wikipedia

1250 宮沢洋一が財政健全化を訴え!与し易いチャンネルでアピールも間違いだらけで炎上中 - YouTube

髙橋洋一チャンネル - YouTube

日本の裏話についての面白いトーク満載
【規制ギリギリの激論!?】フジテレビ問題に追求!高齢経営者はリスクでしか無いのか??お金の無い政治家はアウト!? ④【洋一の部屋】高橋洋一 ✕ 佐藤尊徳(政経電論編集長) - YouTube
【政治センスが無い奴ら】ガソリン&米の物価高騰。国民を無視する自民党に喝!!高市氏の動きも注目してるが… ③【洋一の部屋】高橋洋一 ✕ 佐藤尊徳(政経電論編集長) - YouTube
【フジテレビ会見 クビ】芸能界の権力の闇。日枝、港、フジの上層部の進退 ①【洋一の部屋】高橋洋一 ✕佐藤尊徳(政経電論編集長) - YouTube
高橋洋一と佐藤尊徳が総裁選の悲惨な現実 完全分析!最終●人位にある?安倍元総理から聞いた高市早苗氏の衝撃的丸秘発言。安倍氏に救われた人生最大の巻き込まれ事故。高橋×佐藤【洋一の部屋】8/26月13時~ - YouTube
【ホリエモンが役員?】高橋洋一と佐藤尊徳が大炎上フジテレビ”裏の顔”全て暴く!日枝会長はホリエモンNG?なぜ日枝氏がここまで権力を握ったのか?ヤバい社内体質。高橋×佐藤【洋一の部屋】1/27月13時~ - YouTube

残念ながら、関東圏には、官僚の情報統制が効いているのか、関西圏の、このようなエスプリの効いた番組はほとんど皆無で、前述の番組のように、官僚の流す情報を増幅させるだけのオウム信利狂しかいない。毒舌も単なる悪口の罵詈雑言でしかないから、見て損した気持ちになってしまう。

毒を毒でもって解毒し、制するどころか、毒を心中に拡げて汚染させてしまう。トランプを出鱈目といいながら、自分たちも似たような出鱈目をやっているのだから、出鱈目の大小でしかなく、始末に負えない。関西にオチがあるように、関東にも昔は、粋(イキ)があったはずなのである。

粋の意味を掴むのはなかなか困難で、詫び寂びの意味にもとれるが、江戸の粋が行き過ぎると、関西の特に大阪では、「イキる」といわれ、いきがっているようにみえて、かえって敬遠されてしまう。この「イキる」の意味を掴むのもなかなか困難で、令和でいうところの、マウントをとる、というニュアンスに近いようである。もしかすると、関西人には、イキらないように、オチがあるのかもしれない。足し算に対する引き算なのかもしれない。

そこで、関西の、特に大阪がなぜお笑いの聖地となったのか、ググってみると、お笑いの文化とともに、大阪の歴史が出てくるが、大阪が東京に対して反権力で、反骨心を持つのがわかってくるが、お笑いとのつながりが、イマイチよくわからない。大阪と笑いの関係を論じたあるサイトでは、笑いは健康に良いとされるが、大阪人の平均寿命が短いから、笑いが健康に良いのは嘘だと結論していた。

笑いはストレス解消によいと、前回紹介した手前、この結論に反論しないといけないのだが、大阪人は、笑いながら死んでいく、お笑い病のために、平均寿命が短いのではなかろうか、というような反論しか、いまは思いつかない。というか、実のところ、大阪人は、全てにオチを求めるために、笑いでストレスを解消するどころか、かえって逆にストレスになっている可能性もある。笑うというよりも笑わせるのに気を使っているようにみえる。

だから、大阪人は死ぬことよりも、笑うことに命をかけているのかもしれない。大阪人にとっては健康よりも笑いが大切なのかもしれない。笑うよりも笑わせるほうが大変なので、大阪人は、笑いのために、寿命を縮めているのかもしれない。人間は泣きながら生まれてくるが、大阪人は笑いながら死ぬのかもしれない。だから平均寿命が短いのかもしれない。

頓智で有名な一休さんは、大坂ではなく、京都の人だが、有名な逸話に、『弟子たちに「この先、どうしても困ったとき、苦しいときに開けなさい」と一通の手紙を残されたそうです。数年後、弟子たちが本当に困り果てその手紙を開けると、中には「心配するな、大丈夫、なんとかなる」と書かれていたそうです。』というのがある。この逸話のように、関西には、現状を逆手に取るというか、逆境のなかの開き直りのような生き方がある。それが笑いのオチなのかもしれない。

心配するな、大丈夫、なんとかなる(伝 一休宗純) | 光華女子学園


関西の、特に大阪がお笑いの聖地となったのを歴史的に見ていくと、やはり昔はエビスと呼ばれた堺の交易の影響が大きいように思われる。豊臣秀吉が、大阪城をつくり、天下の台所にしたのも、堺の交易、つまり南蛮貿易や異民族交流が背景にあったためだと、八切史観は読み解いている。八切氏によれば、秀吉は、日本を商業国家にしたかったらしい。ぶっちゃけていえば、日本人全てを大坂人にしたかったらしく、そのために、豊臣という姓をつくったようである。

菅原神社|戎祭(えびすまつり)・八朔際(はっさくさい)|祭礼

絵本太功記・夏祭浪花鑑|文化デジタルライブラリー


豊臣という姓には、君臣豊楽という『君主から民衆に至るまでが豊かで楽しい生活を送るという意味』があるらしい。だから、秀吉は、関白となって、豊臣政権の武将を全て豊臣姓にさせている。家康も、豊臣政権下では、豊臣家康になっている。この事実は徳川家には不都合だったらしく、江戸時代になかった事にされている。豊臣という姓も、藤原をなくすために、秀吉によりつくられたが、八切史観によれば、それまでの藤原は、トウゲンの、大陸の唐を源流にする、「唐原」が、当て字で藤原になったらしい。

八切氏によれば、秀吉は、藤原氏の朝廷を大陸に戻すために、唐入りを行ったという話なのである。日本を豊臣体制にして、それまでの藤原貴族体制を大陸に戻したいので、藤原氏を引き取れと、当時の明に使者を送って断られたので、武力行使に走ったようである。戦国時代からわかるのは、それまでの日本が大陸の傀儡政権だったらしい。だから、秀吉の豊臣政権になる前までは、朝貢外交で、貢物が不満だと、もしや独立するのか?と、元寇のような武力制圧が起こった。いまの日本政府も、米国に朝貢外交をしているのだから、小国の血は争えない。

八切氏によれば、元と源は同じ民族で、その由来から、源義経がフビライハンではないか、という伝説が生まれたという。元寇も、傀儡の源頼朝による源氏政権を北条氏が掠め取ったことから、朝貢が少ないと、武力行使に至ったようである。元寇からの因縁か、日露戦争のときに、再び、ロシアのコサック兵のモンゴル民族と、日本帝国陸軍の騎兵隊で有名な秋山好古の、秋山姓が、甲斐源氏武田氏の分流なので、同じゲンとして対峙したのも、カルマの法則というか、歴史に不可欠な巡り合わせといえるかもしれない。

豊臣氏 - Wikipedia

朝貢 - Wikipedia

元寇 - Wikipedia


秀吉の出自は源氏ではなく、信長と同じで、八の民族の平氏だったので、ペルシャを起源にする海洋民族だったから、商業の交易を代々営んできたようで、信長も、旗印を、永楽通宝紋にしているように、天下布武によって、日本を商業国家にしようと目論んでいたようで、信長や秀吉から、八の平氏が、商業国家王朝の流れを汲んでいるのがわかる。対照的に、源氏は、四つ足の馬賊を起源にしているので、土地を目指して領地の開拓を目指し遊牧するので、海洋による金銭の交易よりも、陸地の土地に対して執着する。だから海と陸の違いが、秀吉と家康の違いに現れている。

織田信長の家紋/ホームメイト


秀吉は日本を豊臣家の大阪人の商業国家にしようとしたのだが、藤原氏を追い出せずに唐入りが不発に終わり、信長のように、イエズス会にも最後に裏切られて、ついにはキリスト教禁令で、伴天連追放令を出して、豊臣政権は一代で終わり、家康に大坂城を攻められて、家康が徳川幕府を開いて、豊臣姓を朝廷に返上し、公武合体策をとり、徳川家の勢力下に置くために、朝廷の後水尾天皇などを懐柔して、徳川家は朝廷を支配するようになる。

後水尾天皇 - Wikipedia


このように、秀吉の死により、秀吉の大阪人を中心とする商業国家構想は、イエズス会の裏切りと、家康の公武合体国家構想に敗れて、一代で終わり、公武合体を目論む、徳川幕府カースト体制になり、キリスト教禁令から、交易も長崎の出島へと限定され、商人は最も低い身分へと弾圧されてしまう。早い話、大坂から江戸に国家の屋台骨が移動していった。現在の大阪がもつ、反東京的な反発感情は、豊臣家と徳川家の、特に家康の裏切りに端を発している、といえるかもしれない。大坂は家康に梯子を外されたわけである。

大坂は家康の江戸の粋によって、梯子を外され、オチるしかなかった。だから大阪人は、公武合体などでイキる家康風情が大嫌いで、そのようなつくられた身分制度が大嫌いで、オチをもとめる、笑いが生まれたのかもしれない。この話はほとんど個人的な妄想でしかないが、大阪のお笑いの原点に戻ると、大阪の商業主義の、つまり、かつてエビスと呼ばれた堺の交易にあるのは、少なくとも、確かだとはいえるだろう。

八切氏によれば、エビスは戎の、多種多様な異民族交流の意味をもつらしい。エビス様は、笑い顔でもよく知られている外来の神さまである。昔の、堺は異民族交流の貿易の町で、多民族が入り乱れる都市だったようである。いまでも東京とは違い、大阪には平等意識が根強いている。大阪は堺からわかるように、昔から異文化交流の場所だったのが、以下のアジアでも一番住みやすい都市となっているのでわかる。

えびす - Wikipedia

2:「自由・自治都市」として発展 | このまちアーカイブス | 不動産購入・不動産売却なら三井住友トラスト不動産

堺の歴史|ようこそ堺へ!|堺観光ガイド

- Wikipedia

大阪のビジネス環境と強み -国際金融都市大阪 Global Financial City OSAKA

江戸には武士道があったようだが、大坂には商魂があったようである。残念ながら、ググっても、これといった商魂についてのサイトはみつからないが、以下の科学との比較の批評がでてきた。面白いのは、武士道というブランドは東京にはないが、大阪には、大阪魂というブランドがあるところである。

中谷宇吉郎 大阪人と科学精神

shirin_021_2_357.pdf


江戸では、武士は武士言葉、職人は職人言葉、商人は商人言葉で方言がそれぞれあったようで、職業身分で言葉遣いも違ったようだが、大坂では、大坂城代以外のほとんどが町人で、商人だったらしく、江戸よりは大阪弁を中心に、関西弁でほぼ統一されていたようである。だから、江戸で幕府を批判しようものなら、治安維持で、たちまち取締りに処分されてしまうから、江戸でお笑いが流行るはずもなく、武士道は死ぬことに見つけたりと、権力に忖度し、忠義面で死ぬ振りまでしなければいけない、息苦しい独裁身分社会だったのがわかる。

対照的に、大坂で、お笑いが流行るのは、それが商魂とともに、現実に生きている証なのかもしれない。だから、紙面などで語られるものではなく、商魂が、「もうかりまっか」「ぼちぼちでんな」という会話と共に実際に現実にお笑いとして生きているのだろう。昔から、多民族交流の原点の商魂が、お笑いと共に育成されてきたのが、いまもオチを求める関西人の交流のなかにみられるような気がする。

大阪弁 - Wikipedia


武士道とは、関西人のいま生きる商魂の、お笑いのなかにみつけたり。沢山の人を笑わせられたら、次に生まれてくるときには、沢山笑う機会に出逢えるわけで、最後に笑う者が大きく笑う、笑う門には福来る。実は、お笑い芸人が、令和の武士なのかもしれない。大阪に生まれてくる人の前世は、お笑い道に永遠に生きているのかもしれない。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2025年04月18日 00時26分31秒
コメント(0) | コメントを書く
[神秘体験空間] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X