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カテゴリ:神秘体験空間
日本語では、同じ「自由」でも、英語では、フリーダムと、リバティがあるのに、気づいている日本人は少なく、自由民主主義が、フリーではなく、リバティのリベラルデモクラシーであるのに、この国の政党がリベラルではなく、勿論、太古からの祭司国家を遵守するという意味で、保守のコンサバなのが本当なのだが、どちらかといえば、この国の場合は、明治維新からの物質界での、世襲制を守る意味での中途半端なコンサバなのに気づかない、日本人が多いのに、左翼だ、右翼だ、とレッテル貼りばかりが横行する無知さに呆れてしまう。
これでは、折角、明治維新で、江戸時代までの身分制度をなくして、四民平等にしたというのに、欧米の悪しきモノマネで、貴族と平民を、国会を基にしてつくったのでは、新しい身分制度に変えただけにすぎない。だからして、大東亜共栄圏という身分制度は建前ばかりで、その実、日韓併合などと、大東亜戦争などを起こしてしまったわけなのである。その推移は、古代トロイアから古代ローマが生まれた経緯にも似ているが。その理念においては大きく異なる個人の私利私欲にすぎない。 特に、フリーとリバティの違いについて、「世界の果てまでイッテQ!」でお馴染みの、面白い出川イングリッシュでは、日本人の感覚を、例えば、自由の女神について、フリーガールと表現していたように記憶している。正式には、スタチューオブリバティで、リバティの自由、で、しかもゴッデスの女神でもなく、というのも神の名を妄りに唱えてはいけない十戒から、スタチューになっているのである。 世界の果てまでイッテQ! - Wikipedia お笑い芸人なら、笑わすのが仕事だから、このような間違いは才能になるが、政治家がこのような間違いをすれば、日本人の教養のなさを、世界に晒すことになる。政治家が、日本史を知らずに、世界史などほとんど無知で、現在の国民の生活レベルも把握できずに、自由の意味の履き違えをするような曖昧さが、税金搾取の江戸時代からの幕府型の官僚主義国家の、国際世論に揺さぶられるままの風見鶏のような朝貢外交の事勿れ主義国家をつくっている。 ちなみに、財務省は、江戸時代の大奥で、総理官邸は、江戸幕府、そして天皇制が、京都の朝廷と置き換えれば、江戸時代の政体がそのまま残っているのに、気づくはずである。地方公共団体や独立行政法人は、親藩大名で、民間企業は、外様大名の焼き直しである。群馬県と山口県に総理大臣が多いのは、群馬が徳川家ゆかりの地で、山口県が長州毛利藩ゆかりの地であることでわかるだろう。鹿児島の薩摩は、西郷南洲の失脚と、西南戦争と大久保暗殺で薩摩が分裂共倒れで、長州に利権を奪われたからである。西郷南洲は、明治維新の失敗を感じて、鹿児島に独立国をつくろうとしたという説もある。 群馬県の徳川家ゆかりスポット | 【公式】奥伊香保温泉 旅邸 諧暢楼 これでは、フリーメーソンの自由はフリーなのに、自由主義を掲げる政党はリベラルという違いがわかる日本人は恐らく皆無だろう。このフリーとリベラルの違いは、オカルトでないとわからない。ちなみに、ググると、以下のサイトのような答えに出くわす。 「freedom」と「liberty」の 違いとは?自由を表す英語表現 - ネイティブキャンプ英会話ブログ | 英会話の豆知識や情報満載 「freedom」には「持って生まれた自由」という意味があり、「先天的・受動的」な自由を表します。それに対し「liberty」は、「自ら勝ち取った自由」という意味で、「後天的・能動的」な自由を表します。もっと具体的に言うなら、「freedom」はただ単に「肉体的・精神的に制約を受けていない状態」を表しますが、「liberty」は「抑圧から解放されて初めて手に入る自由」を表します。この解答は、哲学のテストからいえば、恐らく70点ぐらいだろう。少しでも正解に近づけるならば、宗教的な答えをみつけないといけない。だから、フリーメーソンのフリーは、人間の自我がもつ、本来の自由な意志のことを意味する。そして、リバティとは、神から与えられたその自由な意志で、この世のなかから、善と悪を区別する、自由のことなのである。端的にいえば、フリーが内の自由で、リバティが外の自由といえるだろう。 つまり、フリーは、物質界を超えて、肉体から解放され、制約を受けない状態で獲得できる精神的な自由で、リバティは、物質界での善と悪を判断し、抑圧を与えている悪を自ら手放し、解放して、初めて手に入る善の自由の違いなのである。 だから、自由の女神像が、『右手には炎を純金張りで象られたたいまつを空高く掲げ、左手にはアメリカ合衆国の独立記念日である「1776年7月4日」とローマ数字で刻印された銘板を持っている。足元には引きちぎられた鎖と足かせがあり、全ての弾圧、抑圧からの解放と、人類は皆自由で平等であることを象徴している。女神がかぶっている冠には七つの突起がある。これは、七つの大陸と七つの海に自由が広がるという意味である。』のは、簡単にいえば、松明が、人間の本来持つ自由意志で、その松明で、人類が、善良な精神の博愛を発揮すれば、悪の抑圧から解放されて、人類平等の自由が実現する、という意味になるだろう。つまり、フリーは霊魂がもつもので、リバティは、肉体をつくりかえるのに必要な自由で、善悪の区別なのである。だから、メーソンでは、この松明を、有名なプロビデンスの目で象徴化している。 ![]() では何のために、フリーの自由意志のプロビデンスの目で、善悪を判断し、抑圧の悪から自らを解放し、リバティを獲得していく必要があるか、といえば、それが、人間の霊魂をアセンションさせ、次の進化ステージに、進ませるためである。人間の自由意志は、人間の霊魂の進化度合を図る目安なのである。 人間はいま第5の進化ステージにいる。この進化ステージが、死んだ物質界である。死んだ物質界の物質に、心から無償の愛で、生命を与えるのが、人類の立場と役割で、その主な血族が、カインの子孫の役割なのである。だから、カインの子孫は、生命の樹から象った蛇の杖を用いて、主に現代に伝わる科学や芸術をつくった。ユダヤ人伝説は、このカインの子孫に由来する。シュタイナーは、このカインの子孫を神殿つくりの伝説として解き明かしている。だから、カインの子孫は、外なる自由の体現者といえるかもしれない。 対照的に、この神殿に神の魂を灯すのが、祭司系血族の子孫の、アベルと、セトなのである。この子孫には、宗教家や、修行者が多く、シュタイナーは黄金伝説として解き明かしている。祭司系の立場と役割は、神の無償の愛を神殿に灯すことなのである。霊魂の不死性を、人類に教え諭す役目で、内なる自由の体現者といえるかもしれない。人類の良心を体現する存在とならなくてはいけない。 この両者を調停し、統合するのが、キリストである。前回紹介した、ルパン三世のカリオストロの城では、カインの血がカリオストロ伯爵で、アベルの血がクラリスで、両者を、悪の自由から、解放し、善で統合するのが、ルパンで表現されている、のを、強調した。つまり、神の目は、両者から、善き霊魂を救い上げるというわけなんである。神は常に人類に無償の愛を捧げ、人類から、無償の愛を引き上げる。 さて、「月曜から夜更かし」は、世間を面白可笑しく演出しているので、ほぼ毎週みているのだが、先日、お坊さんにクリスマスを祝うかどうか、世間の疑問を調べていた。在家信者の家庭をもつ仏教徒への質問には、子どものためにクリスマスを祝う、という、おおまかな返答があったが、それでもしつこくインタビューするので、色即是空で、空は、世の中では、様々な色をとって現れるので、キリストを祝っても、お釈迦さんは空で、器が大きいので許されるだろう、という頓智のきいた受け答えをしていたのに感銘を受けた。 オカルトでは、そもそも、「キリスト」という名は、「仏陀」と同じで、救いの意識に目覚めた霊魂をいうのだから、両方とも、救い主のメシアで、西洋ではキリスト、東洋では仏陀と呼んでいる些細な違いでしかない。あえて、その些細な違いに言及するのなら、キリストは教皇で、太陽霊でアバター、仏陀は法王で、水星霊でマスターの違いといえるかもしれないが、いずれにしても、地球人よりは、遥かに高度の意識状態に進化している存在である。 高度に進化している意識状態を、人間の感覚で表現するなら、心のバランスがとれていて、常に心を支配でき、乱されない存在で、映画「スターウォーズ」の、ジェダイの騎士のような存在、といえるかもしれない。 最近、地上波で映画「スターウォーズ 新たな希望」を久しぶりに流していたので、懐かしさのあまり、みてみたら、小学校の時に初めて見た映画なので、かなり忘れていたことから、改めて新作のようにみれたので、また続けて、エピソード順に9作をみてみたく思い、6作目を見終わったところで、1~6までは「エピソード〇」とタイトルにあるので、間違えずにみれたのだが、7作からは、「エピソード〇」がタイトルから省かれているので、間違えてエピソード9をみてしまい、話が進みすぎていて、途中でおかしいな、とは思ったのだが、見続けた手前、途中で変えるのもなんだか気が引けたので、エピソード9のあとに、エピソード7をみて、記憶の後追いのようになってしまい、自分の記憶の曖昧さに辟易してしまった。 スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 - Wikipedia オカルトでは、スターウォーズは、かつて悪が生まれたときの、天空の戦いを表現したもの、といわれているが、特に、ジェダイのマスターたちが口にする「フォース」が、なんなのか、の現代語解釈が困難にみえる。一般的には理性とか、理力とか、訳されそうだが、神秘学的にいえば、ロゴスで、旧約聖書的にいえば、律法で、新訳聖書的にいえば、無償の愛というべきかもしれない。だから、フォースの暗黒面とは、旧約では、律法の利己的な解釈で、新訳では、無償の愛ではなく、利己的な愛となるだろう。だから、暗黒面に陥ることなく、心のバランスを説くのが、マスターヨーダなのである。神秘学の黒魔術と白魔術の違いでもある。暗黒面と白色面とのバランスを統合するのが、ジェダイ騎士の使命なのである。 だから、暗黒面に陥ると、次の進化ステージに進めずに、利己的に心を閉ざしてしまうから、心に柔軟性が失われ、固体のような物質に固まってしまい、いずれ崩壊する、というわけなんである。簡単にいえば、寄生生物化する、といえるかもしれないが、生物ではないので、物質以下の存在なので、絶えず崩壊していく、骨のようなものだろうか。だから遺骨には死のイメージがつきまとう。 シュタイナーによれば、闇の利己性を手放して、無償の愛やボランティア精神を発揮すれば、物質界から、次の植物界に、転生できるようになるらしい。人間は、植物のエーテル界から、太陽の生命エネルギーを得ている。植物が地上になければ、酸素もなかったわけで、呼吸もできないわけである。だから、次の植物界に肉体を同化させるには、ベジタリアンでないと、肉体のバランスを失うらしい。化学的に表現するなら、肉体の炭素構造を、光合成の出来る植物の炭素構造につくりかえるのかもしれない。 シュタイナーは、人間は植物の再生力を使って思考していると述べている。だから、植物から再生力を取り出して、脳で、思考しているわけで、人間の肉体を植物のようにすれば、全身が脳になるだろう。ヨガには、吐き出した二酸化炭素を吸い込んで、光合成により、そのまま酸素にして、永遠に光合成で酸素を循環させれば、食べなくても生命を延ばす呼吸法というのがあるらしい。 この呼吸法は、クンダリーニの呼吸法の奥義なのかもしれない。というのも、クンダリーニの蛇の色が、葉緑素の、緑といわれているからである。緑は、黄と青を混ぜればできる。神智学では、オーラの色とは別に、心の基調となる色があるらしい。それは瞑想でわかるようである。ここら辺の話はまだ不勉強なので、よくわからない。 さて、前回は、宮崎アニメの少年少女の心を虜にする、オカルトの預言的な話を、「ルパン三世 カリオストロの城」から紹介した。ルパンだけでなく、総じて、宮崎アニメは、古代アトランティス時代が、なぜ大破局を迎えたのかを、神話を基にして、アニメ風に読み解き描いているようにみえる。 例えば、「もののけ姫」の狼に育てられた娘の話は、現代でもインドで発見されているが、神智学によれば、古代ローマにも、同じ話があって、それは、太古のトロイアの祭司文化から古代ローマ国家が生じたときの、古代ローマの基礎を築いた14人の王の、13人目の兄ヌミトルから、王位を奪い取った弟のアムーリウスが、ヌミトルの家系を絶やすために、その息子を殺し、娘のレア・シルウィアをウェスタの女祭司にした話にある。 アムーリウス (Amulius) はローマの建国神話に登場するアルバ・ロンガの王。生まれたばかりのロームルスとレムスを川に流すように命じた。 伝承によれば13代目のアルバ・ロンガの王プロカの息子でヌミトルの弟。ヌミトルはローマの建国者ロームルスの祖父であり、アムーリウスはロームルスの大叔父にあたる。娘にアントがいる。 アムーリウスは父から財宝と領土を受け継ぎ、兄ヌミトルは王位を継承した。しかしアムーリウスは自らが受け継いだ財を背景に力でもって兄から王位を簒奪し、不当にも自らがアルバ・ロンガの王となった。アムーリウスはヌミトルを隠棲に追いやり、将来自らの王位を脅かしかねない正当な王位の継承者であるヌミトルの男子は狩猟の最中に殺害した。さらにヌミトルの娘であるレア・シルウィアを強制的にウェスタの巫女とすることで、新たに正当な王位の継承権を持つヌミトルの子孫が生まれることを防止した。ウェスタの巫女となった女性には処女が義務付けられ、子を作ることは許されていなかった。 しかしそれからしばらくするとレア・シルウィアは懐妊する。交わった相手はマールスとする伝承が最もよく知られているが、アムーリウス自身がシルウィアと交わったとする説もある。 懐妊を知ったアムーリウスはシルウィアを幽閉し、監視をつけた。その後レア・シルウィアが双子を出産 するとこの赤子たちをティベリス川に流すよう配下に命じた。 こうしてアムーリウスは赤子の殺害を果たしたはずであったが、双子は流されることなく岸に漂着し雌狼の乳を飲み生存していた。アムーリウスの牧夫ファウストゥルスに拾われた双子はロームルスとレムスと名付けられ、王の知らぬまま立派な若者に成長していった。 ロームルス、レムスらとヌミトルの羊飼い達との間で諍いの生じた結果、レムスはヌミトルの許に連れ去られ、そこで祖父と孫とは真実を知る。同じ頃ロームルスも養い親から誕生を聞かされ、自身がヌミトルの孫であることを知る。ファウストゥルスはレムスにも同じことを伝えようとしてアルバへ向かうが、怪しまれアムーリウスの許へ連れ出される。そしてついにアムーリウスもヌミトルの孫が生きていたことを知る。 アムーリウスはヌミトルを召還しようと使者を派遣する。しかしこれをきっかけにヌミトルらは蜂起し、アルバのうちからはレムスが、外からはロームルスが攻め立て、アムーリウスは討たれた。 アムーリウスの後のアルバ王にはヌミトルが即位した。 歴史は繰り返す、といわれるが、それは人間の霊魂が、輪廻転生をして、カルマの法則から、ブーメランとして前世でやり残したことを現世で行うからである。しかもそのときに、主客逆転して、だから、前世は、現世の鏡といえるだろう。現代物理学でも、素粒子のカイラリティと呼ばれる鏡像関係から、超対称性が提案されて、超弦理論の並行宇宙論にもつながっているが、我々人類は、心の中では、つまり霊魂の上では常に鏡像関係にある、といえるかもしれない。 歴史は繰り返す(れきしはくりかえす)とは? 意味・読み方・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書 未来は人間の心のなかにあるのだから、いまの心の鏡像が、明日の外界をつくるともいえる。だから、明日の楽園をつくりたければ、いまの心を整えて、平和にしないといけない。そのためには、心のなかに、自由な意志の灯の松明を掲げる必要がある。純化した心の中の松明こそが、明日の平和をつくるのだから、何が善で、何か悪なのか、の選択を誤ると、明日の平和はやってこない。 宮崎アニメは、映像の美しさと同時に、この悪と善の選択を、観客に委ねるところにある。ただ、それは過去の人類史に起こった出来事を夢のようなファンタジーで描出しているだけなのである。そこには様々な人間模様が表出されている。どの人物に共感するのか、それは観客の自由な意志に委ねられる。だから、作品に利己的な演出や主張がなく、勧善懲悪がない。何が善で、何が悪なのか、それは立場と役割や、意識の高低で異なる。強い者が必ず勝つわけでもない。 古代アトランティス時代の人類がなぜ破局に至ったのかを、自由な意識から、フリーとリバティの自由で解き明かすのは、あなた次第なのである。 しばらく、紹介が滞っていたが、とにかく内容が難解だったが、なんとか解釈したので、シュタイナーの「霊魂の探求において現れる善の道と悪の道」の講義を続けて紹介する。今回の内容はかなり難解である。 ☆ ☆ ☆ 次に、月の住人となった、これらの存在について、詳細に立ちいっていきたいと思いますが、これはある重要性を持っています。私たちがそのような存在たちと関係を持つとき-いくらか卑近な表現ですが-、意見交換をしたい、話し合いたい、というような感情をもつようになります。例えば、具体的に、これらの存在たちと、例えば、人間の筆記について語り合う、のを想像してみましょう。 自分の名前をそのまま書く人もいれば、サイン、もしくはイニシャルで簡略化して書く人もいるでしょう。このような書き方の違いについて、その存在たちは次のように答えるでしょう。 お前たち人間は、つまらないことに、例えば、「鍛冶屋」とか「床屋」とか、言葉の意味に興味を持つが、その書き方の特徴的な動作、書き手の個性-速く書くか、ゆっくりと書くか、巧みに書くか、ぎこちなく書くか、機械的に書くか、芸術的に書くかなど-を観察する方が、はるかに興味深い、と語るでしょう。これらの存在たちは、人間の筆記についての動作に特徴的なパターンを見つけるために綿密な注意を払っているのです。彼らの関心は言葉の意味よりも、書き方なのです。 そして、これらの存在たちは、既に地上には住まない霊界の存在たちで、人間よりも下位、もしくは上位に位置づけられるような霊的存在たちを周囲にもっています。彼らは私たちに用語法や命名法など言葉の意味について、指導することはありませんが、彼らが地上を去ったときから人類が発達させてきた筆記の動作パターンや形態については助言を与えるのです。今日の意味での「筆記」という動作は、これらの存在たちが地上にいたときには存在していませんでした(テレパシーで交信できたから)。 彼らは人間との交信のなかで、筆記が徐々に進化するのを観察してきました。彼らは人間の指の器用な動作に興味を持ち、その器用さの上に、後に羽ペンが加わり発達し、さらには万年筆によって補完されるのに注目してきました。彼らは紙面に委ねられたものにはほとんど関心がなく、それに必要な動作に完全に没頭したのです。 さて、この動作に加わる新しい要素を考慮しなければなりません-今でも、この動作から発せられる、地球からの波動は、人間には、ほとんどが見過ごされてきました。それらの波動が取り得る、多くの形態のなかに、今お話しした人間から発する筆記の際に生じる波動があります。これらの存在たちと語り合うことができるのは、人間から発する、この動作で生じる波動なのです。 ところで、さしあたり、この波動は、月の存在たちを上位の進化領域へと導くようなものではありません。何故なら、彼らが地上に住んでいた時代には、筆記はまだ存在していなかったからです。今日の人間が、自分の動作から生じる波動について、限定的な理解力しか持ち合わせていないことについて、これらの存在たちから発せられるコメントは相当に皮肉に満ちたものです。 現代人には無視されますが、月の霊的存在たちには非常によく知られたものなのです。これらの存在たちが地上にいた時代には、人間の運動や皮膚から放出される波動(オーラ)は、決定的に重要なものだったのです。人間はそれらの波動の振動、いわば吐息を通して、仲間の人間を認識していたのですが、このことは後には知られなくなりました。 これらの月の存在たちが特に受け入れる第3の波動とは、皮膚から放射される波動で、人間が発する二酸化炭素などの気体的な波動要素です。これら人間が放射する波動は、あとで見ていきますように、半分霊的な性格をもっているかもしれません。これらの存在たちが特に敏感なのは人間が発する、これらの波動-筆記に生じる固体的な波動要素(固有振動数)、皮膚の発汗で生じる波動の液体的な要素、皮膚などの呼吸から発せられる気体的な波動要素です。人間は常に皮膚を通して呼吸している、のを思い出さなければなりません。 第4に、これらの存在たちは熱放射の波動を受容します。これら熱放射全ては地上に存在しているために、あの月存在たちにとって特別重要なものなのです。人間については、その筆記の動作や動作に付随し発散される固有の波動の特徴的な性質によって判断されるのです。 次に、恒常的に存在する光波(電磁波)です。誰でも、オーラだけでなく、肉体やエーテル体からも光を放射しているのです。日常の覚醒意識では、これらの放射があまりにも微量であるため目には見えませんが、最近、モーリッツ・ベネディクトは特別にしつらえられた部屋を用いて、それらが(エクトプラズムとして)存在する、のを示しました。 彼は肉体が、場所に応じて、様々に異なる、赤、黄、青などの光の放射を示す微量なオーラに取り巻かれている、のを示したのです。モーリッツ・ベネディクトは、肉体の左半分を、通常の光の条件下に置き、肉体の右半分を、オーラの出現する条件下に置いて示しました。オーラの観測は、適切な条件を設定することにかかっています。 第六は、化学的な放射で、電離放射線などの波動ですが、これは、今日の地上では例外的なケースであり、ごく稀にしか見られません。当然のことながら、放射線などの原子力は、常に存在しているのですが、黒魔術が行われるような、稀な、核分裂や核融合の場合にしか起こらないのです。人間が自分たちで起こす化学的な放射を意識し、それらを探求するのは、地上で、利己的な利潤追求、いわゆる黒魔術が行われているときなのです。 七番目の放射は、霊的、もしくは物質的な生命現象に伴う波動(エーテル)の放射です。今日、化学的な波動の放射、原子力を用いるには、利己的な、黒魔術に陥るのは避けられませんが、それは嫌悪すべきものであり悪徳です。黒魔術は放棄すべき波動なのですが、この生命波動(エーテル)の放射は必ずしも悪というわけではありません。月存在たちの場合、絶えず、この生命波動の放射に依存し、それに働きかけるとともに、善のために用いているので、彼らは黒魔術師ではありません。 というのも、黒魔術師とは、ある制約の条件下で悪に屈し、「地上で」悪をなすからです。けれども月存在たちが、生命放射(エーテル)に依存できるのは、太陽光の反射のなかで活動し、その影響下にある満月のときだけです。私たちは霊界から学ぶものを創造的に用いるように努めなければなりません。 私たちの時代の使命は、生命力に溢れるアイディアを見つけ、概念や知覚を生命力で満たし、そして感情を発達させることであり、物質のような、崩壊し、死にゆく理論に重きをおくことではないのです。そして、これらは、私たちがミカエルと呼ぶ大天使に結びついた霊的な存在たち(聖霊)によって直接インスピレーションとして与えられるのです。 ガブリエルの時代、人類は、物質界に以前よりも増して引きつけられていたために、ある条件下で人間と密接に関係する月の存在たちとの接触を求めようとはしていませんでした。それは、月存在たちが、その時代には知られていなかった、人間が放射する生命的な波動(エーテル)に関係していたからです。 霊視を用いることで、死者と関係を持てる霊界は、誕生から死までの間に住む、この物質界に隣接しています。けれども、この世界は、他の多くの側面をもち、そのなかには人間の放射から生じる、利己的な作用に対する影響があります。ある意味で、これは宇宙のなかでも究めて危険な領域であり、私たちが持つべきなのは、今回の連続講義でもしばしば触れましたが、これらの月存在たちから進み出てくる誘惑の作用を、悪ではなく、善にするような、霊魂のバランス回復と、その抑制力です。 実際、今の時代の学問全てが、この生命放射(エーテル)が、地上の全てに作用する、と考える方向に急いで向かわなければなりません。ところが、致命的にも、この7番目の生命放射(エーテル)と、私たちが大喜びで持ちたいような他の全て(1番目から5番目まで)の放射との間に、第6番目として横たわる、つまり原子力という利己的な悪魔の、黒魔術の餌食になりやすい、ということです。 人間が比較的容易なのは、動作から生じる固有の振動-これについては後ほど述べるつもりですが-この波動を可視化し、力学とすることですが、他にも、液体、気体、熱、光などの放射の波動を可視化することです。これらの波動のすべては、ある程度、善に協調し、善に向かうことができるのですが、それは、人間の心のなかに浸透する、ミカエルの時代が、その夜明けを迎えているためです。これらの放射の間に横たわっているのが、霊的な探求に向かう正しい方法を追求するために、対抗して現れる、利己的に誘惑する黒魔術なのです。 1.人間の動作が発する固体的波動 2.皮膚からの液体波動 3.皮膚からの気体波動 4.熱の波動 5.光の波動 6.化学的な核力による放射線(黒魔術) 7.生命的な波動(エーテル) (次回に続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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