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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2025年05月08日
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カテゴリ:神秘体験空間
昭和に生まれた背景から、どうしても昭和の価値観で書いてしまうので、平成や令和の世代には理解困難な話が多いだろうが、時代の価値観にとらわれない、時代を超えた不変の認識を探すためでもある。では、どうして時代の価値観にとらわれるか、といえば、その時代の物質的価値観に沿って、肉体の成長のため、新陳代謝などを養うからである。つまり、その時代に合わせて、心が、肉体をつくるからである。これは自動車のスタイルが移り変わるのと同じである。

シュタイナーによれば、万物流転の法則を説いたヘラクレイトスは、次のような言葉を遺している。
「もし、お前が、地上的なるものから逃れ、自由のエーテルまで上りつめれば、死をもたらす物質から離れて、不死なる霊の存在となるだろう。」

万物流転 - Wikipedia


前回紹介したように、オカルトの話を、唯物論に染まった現代の話にそのまま置き換えると、低レベルな、トンデモ論になってしまう。例えば、「病気に罹るのは、日頃の行いが悪いから」という現代でも有り触れた話を、現代人は、自分が考える現代に沿った「日頃の行い」の道徳論から、そのまま解釈するから、そんなことがあるものか、と疑うわけで、オカルトの古代の知識から、「日頃の行い」を「日常生活の習慣」に置き換え、「日常生活を不規則にしたせいで、心のバランスを失い、そのストレスから、病因が生じた」と解釈すれば、現代でも通用する話になるのがわかるだろう。

以前紹介したように、人体の防御を担っている免疫が、睡眠中に回復されるのは、心のストレスが取り払われて、バランスが回復され、松果体を通じて、ホルモンバランスを回復し、内分泌腺が過不足なく人体に行き渡るようになるからである。だから、とにかく充分な睡眠をとらないと、肉体を操作している、心が元気にならずに、新陳代謝のために、内分泌腺が役立てられなくなってしまう。つまり、充分な睡眠をとらないと、人体を清浄に掃除できずに、不要なゴミが残ってしまい、完全に解毒できなくなってしまう。

だから一番よくないのが、睡眠不足で、その次に、暴飲暴食で、そのなかでも、飲酒と食肉なのは、以前にも紹介した。だから、「日頃の行いが悪い」というのは、つまり不摂生のことで、病気になるのは、現代にも通じる、当たり前の論理なのである。特に栄養学でも、一日、大体、体重50キロなら、タンパク質は50グラムの摂取が妥当で、摂りすぎは、運動や睡眠で消費されないと、ゴミを貯めてしまい、よくないわけなんである。

【タンパク質の必要量】タンパク質はどれくらい摂ればいい ?


確かに、「日頃の行い」は、現代でも、道徳的な意味で使われているが、その良し悪しの本来の意味は、全体のバランスを考えての行いなのかどうか、の意味なのである。例えば、アルコールは人体でも作られているので、わざわざ外から摂取する必要がなく、外から摂取すると、人体でつくらなくなり、不要なゴミになってしまうから、人体のバランス、つまり道徳的にも悪いわけである。

また、肉食も、動物タンパク質を摂りすぎると、新陳代謝のために、それを解毒する甲状腺機能に負担がかかり、甲状腺は成長の役割を果たしているので、老化現象を促進させ、脳の機能を衰えさせるようになる。これは、草食動物に肉食させて、不要なタンパク質のプリオン病から、狂牛病を生み出したことでもわかるはずである。

だから、人間の霊魂の進化にとって、アルコールと肉食はよくないわけで、宗教の戒律などでは禁止にされている。しかし、地球の過酷な環境によっては、食料としてそれらしか得られない場所、エスキモーなどでは、生きるのを優先して、認められてきた。

それに、人間には自由意志があり、何を食するかは、当人の自由なので、外から強制的に禁じるのは、自分にされて嫌なことを他人にしている不自由な事なので、人道に反する。だから、病気に罹って後悔した人に、「日頃の行いが悪い」と言うのは、反省を促す意味での諫言といえるかもしれない。しかし、その諫言を受け入れて、日常生活を改めるかどうかは、結局は本人次第なのである。

このように、個人の生き方は、個人の自由意志によるので、極言すれば、その人が、三種の神器を手に入れたいかどうか、なのである。

神智学によれば、この世に輪転転生する人間の目的とは何かといえば、人間がこの世に生まれてくるたびに、特別な課題を学び、特別な使命を果たすことで、過去世において遭遇したことのない状況を経験し、そのたびに、地球は新しく生まれかわっていないといけないので、人間の輪廻転生の間隔は、地球の環境が新しく生まれ変わる、大体3千年おきで、その3千年のなかで、人間社会の相反した異なる立場を経験するために、一度は男として生まれ、また一度は女として生まれる必要があると、シュタイナーは述べている。

しかし、昨今は地球環境が著しく変化し、男女の差も無くなりつつあるので、3千年も待たずに、生まれ変わる人も増えてくるかもしれない。いずれにしても、地球環境は、人間の心を向上させて、三種の神器を手に入れるための、いわばトレーニング場で、道場なのである。ちなみに、人智学で説く三種の神器とは、マナス、ブッディ、アートマンと呼ばれるもので、キリスト教でいう、聖霊の原理、子の原理、父の原理のことである。

仏教では、マナスは、霊我=無や空の意識の心眼で、俗に「解脱」のこと。ブッデイは、「如来身」、アートマンは「般若」のことで、それぞれ、「応身」「法身」「報身」のことであるらしい。なかなか理解が困難なので、簡単にいえば、いまの人間は物質界に自我をもつが、「応身」の霊我とは、物質界から解脱して、心の世界に、自我を確立することで、心を観測する眼をもつことで、心を自由自在に操作できる存在のことである。

そして、如来身の、「法身」は、植物界のなかに自我をもつことで、植物を自由自在に操作できる存在で、般若の「報身」は、動物界のなかに自我をもつことで、動物を自由自在に操作できる存在を意味するようである。

三身 - Wikipedia


現代人は遺伝子科学を用いて、植物や動物を物質的に改変しているが、それは全体のうちの、一部にすぎなく、三種の神器を手に入れると、全体的に、新しい植物や動物を生み出せる創造主となり、いわば創造神となる、という話なのである。とても壮大な話なので、霊我さえも手に入れていない物質界の人間からは、洞窟内から想像するしかないイデアの世界といえるかもしれない。

さて、三種の神器といえば、この国では、八咫鏡、草薙剣、八尺瓊勾玉といわれているが、巷の、『昭和30年代初期には電気洗濯機、電気冷蔵庫、白黒テレビが「三種の神器」と呼ばれて普及し始めた。 その後、昭和30年代後半になるとカラーテレビ(color TV)、クーラー(cooler)、自家用乗用車(car)が、それぞれの頭文字を取り「3C」と呼ばれて普及していった。』というように、この国の家庭内での、三種の神器となってきた。

三種の神器 - Wikipedia

葛飾区史|第4 現代へのあゆみ(戦後~平成)


人間は火から、電気を起こして、電気の三種の神器をつくり、石炭から石油をエネルギーにして、文明の利器から、三種の神器をつくり、家庭内を、文明の利器で、快適にしてきたはずなのだが、神の楽園に到達できた、というよりも、他の家庭との競争や、他国との競争に明け暮れて、ますます悪魔の失楽園へと堕落腐敗してきているようにみえる。人間は本当に神のような楽園に住み豊かになったのだろうか?

これら三種の神器は、女性を家庭から解放し、女性の社会進出を促進させ、現代は共働きが当たり前の社会になっているのだが、仕事や子育ての両立を巡って、家庭内の争いは絶えず、離婚率は高まり、昔よりも、遥かに経済的には快適になったはずなのだが、社会不安は高まり、貿易を巡って、国家間の争いは絶えずに、独裁者の権力占有によって、核兵器で、数百万人もの生命を一回のスイッチで奪える、悪魔の失楽の世界、つまり地獄を生み出している。

これでは、三種の神器どころか、三種の悪器といわざるをえない。電気、磁気、核力の原子力は、三種の悪器を生み出す諸悪の根源と言わざるを得ない。一人の愚か者の独裁者のために、核兵器により、人類滅亡や地球破壊を起こすのが可能となっている現状なのである。

人類は、三種の悪器により、どんどん馬鹿になっている。現代人は、地獄のなかで、地獄巡りをしているのと同じである。そしてロシアや中国には赤鬼がいて、米国には青鬼がいて、この国には何もできないそれらの手下がいて、国民を徴税の金棒で苦しめている。このような地獄巡りのなかで、鬼滅の刃がアニメとして流行るのは何かの因縁なのかもしれない。

巷の地獄巡りではないが、ネットフーテンの寅さんをやっていると、ネット世界がいわば遊園地なので、巷のディズニーランドに行く必要を感じないので、TDLには行ったことがないし、これからも行こうとも思わない。だからといって、ディズニーランドに行く人をとやかくいうわけではなく、ディズニーランドの楽しみかたを知っているから、行くのだろうし、この物質界をディズニーランドと思えば、特にディズニーランドに拘る必要が感じられない。長い目でみるならば、我々人間の霊魂は、あの世とこの世を行き来し、輪廻転生巡りをして、この世の血縁関係から、家族や民族や国を通じて、この世だけに限定されない、ネットで知り合ったオフ会のように、霊魂の絆を高めあっている、といえるかもしれない。この世を地獄から、天国に変える楽しみかたを知らないだけかもしれない。

前回は、宮崎アニメの最新作「君たちはどう生きるか」について、オカルト的な解釈を紹介したが、宮崎アニメは、この世の物質界を異なった視点で描くことで、この世を遊園地化しているように感じるわけで、この世の楽しみかたを教える教科書なのかもしれない。この世を、夢の世界から見なおす事で、この世を新しく見直すことができる、のを気づかせてくれる。

宮崎アニメの、この夢の世界から、現実を改めて見直してみる感覚は、やなせたかし氏の、『それいけ!アンパンマン』で描かれた世界にも共通する、人間の心の世界を表現した、人類共通の感覚で、善と悪にわかれた自由な世界から、自主的に善を選んで行こうとするのが、人間の心の根底にある、輪廻転生において変わらない不動心なのかもしれない。

悪ももともとは善だったはずなのだが、変わることを恐れ、旧態依然の状態にとどまったために、万物流転の法則から脱落してしまったのがわかる。アンパンマンは、ホンモノの正義は、時代が移り変わっても、立場が変わっても、変わらない不変の、共通の善への認識で、志向の象徴で、だから、自らのアタマをちぎって、空腹な子どもたちに、アンパンを捧げるという。

アンパンマンをみていると、弟子たちに、自分の血と肉を与えたキリストが思い浮かぶ。キリストが与えたワインとパンは、人類の祖カインとアベルに他ならない。カインの子孫は神殿をつくり、人間の地上での乗り物となる肉体を与えた。

アベルは、あの世に召され、地上に身籠ったセトの子孫へと、アベルからセトへと霊能力が継承されて、その子孫は、祭司の血族となり、善と悪を区別できる「わたし」という自由で個人的な自我の心を、人類に与えた。この2つをキリストの名の下に統合する働きが無償の愛として、現代人に求められている。

それいけ!アンパンマン - Wikipedia



さて、先日、NHKで、『診療中!こどもネタクリニック そんたくのない子どもたちのアドバイスで芸人のネタを治療する!』という面白い番組をみたのだが、子どもたちの心はまだ物質界に染まっていない、前世からの、あの世を潜在的に認識しているので、発想が豊かにみえた。

診療中!こどもネタクリニック - NHK


子どもの世界にはまだ、あの世の面影が残っているので、この世を楽しむ、遊び心が残っているようにみえた。それから、続けて、『笑わない数学』をみた。『ホッジ予想』をやっていた。数学は苦手で、学生時代に、理論物理を習得する上では欠かせないので、仕方なく勉強したのだが、様々な困難に出くわし、何度も挫折しかけた。数学者の考え方を実際に体験してみないと、数学は、理解不能といえるかもしれない。

笑わない数学 - NHK


数学科のように数学のなかにひたすら浸かるのではなく、物理畑では、数学を種子として、田畑を肥やす農夫の如く、数学を利用する側なので、数学という種子の遺伝子操作に明け暮れる日々を送らずに済んだ、のが勿怪の幸いだった。法が運用の仕方で罪をつくるように、数学は運用の仕方で、数学の盲点を回避できるからである。実際に、理論物理から、数学上の問題が解決されることもよくある。

つまり、数学は人間が使う言葉であり、話されない言葉は死語になるから、理論物理屋に使われてナンボの数学もある。力学のお蔭で、数学が意味をもつ。土に蒔かれない種子が育たないのと同じである。数学という種子が花や実を咲かせるには、育成し、成長させる太陽の光や、土壌の愛が必須なのである。このことは、法と政治にも当てはまるのだが、この国の法の運用が、私利私欲に塗れ、不道徳なのは、法の運用により、人間の自由や平等や博愛を、人間社会に現実化させていないことからもわかる。

以前紹介した高橋洋一氏などは、財務省の多くが、数学を知らずに、東大アホウ学部出なために、法の運用が私物化され罪となり、この国の人間社会の人間の尊厳の実現への障害となり、子どもよりも遥かに劣る低レベルで古ぼけた老人に乗っ取られている現状を嘆いている。新しい社会をつくるどころか、旧態依然の老害塗れの組織を、時代の流れに逆らって、どうにか維持しようとする滑稽さには呆れ果ててしまう。

髙橋洋一チャンネル - YouTube


そんな古ぼけた巷の魑魅魍魎の世界はほおっておくしかないのかもしれないが、話を元に戻して、ホッジ予想を『笑わない数学』から簡単に解説すれば、人間の霊魂、数学風にいうなら、知性は、あの世の幾何学を、この世にコホモロジーという数式の文字として持ち込んでいるのかもしれない、という予想とも考えられる。

ホッジ予想 - Wikipedia

コホモロジー - Wikipedia

数学者のような専門家ではないので、ザックリと端折って大まかに解説すると、幾何学の図形は、穴があるかどうかを示す位相空間の、不変量のオイラー標数で、その形を分類できるのだが、その穴の有無の形を、代数的に表現するのなら、不変量を示すコホモロジーの群論でグループわけできて、その群論が、一つの全体的な元型から部分化したもの、と予想されるらしい。ただし、この解釈は、「笑わない数学」の解説を基にしているので間違っている可能性も大ありなので、詳しくは自分で数学を勉強して確認してくだされ。

オイラー標数 - Wikipedia


いずれにしても、3次元世界の、この世を超える代数幾何を扱う話なので、物質界で表現できない、グループわけというのも、人間の知性の発展、つまり心の発達に依存する。例えるなら、輪廻転生を続ける霊魂からみた知性を現代の知性で解釈していることになるだろう。数学上のその分類法を、数学の言葉を抜きにして、簡潔にまとめるのなら、次のようになるかもしれない。

図形などの幾何学を、代数の数式で表現し、かわらない不変量をみつける。不変量はグループをつくる。そのグループは一つの元型から生まれる。だから、逆に辿ると、心は一つから生まれ、2つに分かれて、そのバランスからグループをつくり、多様な図形の幾何学と、多様な代数の数式で表現される。

この心が一つである世界に、聖霊が住み、子が住み、更に父が住み、いわば玉ねぎのような球の階層世界となっている三位一体の世界が浮かび上がる。この世界を例えば、次のような6層の玉ねぎと考えても面白いかもしれない。

リフレクションと玉ねぎモデル | ナカシマガジン



このような層構造の球形を、例えば、この玉ねぎの中心の芯を外側の球面につなげるにはどうすべきなのか?

また、例えば、前回紹介したウロボロスの蛇のように、この玉ねぎの球面を蛇のアタマにし、中心の芯を蛇の尻尾にして、尻尾をアタマが咥える形にするならどうすべきなのか?

などを考えてみると、恐らく、クラインの壺が思い浮かぶだろう。このような妄想から、霊魂はこのような形をしているのかもしれない。これがネットフーテンの寅さんの予想なんである。





このような霊魂のクラインの壺を通した異次元世界の内と外の鏡像運動を、数学的には対称性を通じた鏡像変換になるが、この不変量が、生命の不死性につながるのかもしれないと妄想し、予想できる。





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Last updated  2025年05月08日 21時59分35秒
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