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カテゴリ:神秘体験空間
このブログでは、何度となく、ソクラテスの無知の知を紹介してきたが、最近、巷に溢れる無知蒙昧の番組コメンテーターにはほとほと呆れ果ててしまう。人間が、この世に何を学びに来ているのか、まずはそれを読み解かないと何も始まらない。特に、東洋では、前回紹介したように、巡礼者として、自由な生活を学ぶためといえるだろう。
特に、現代人は脳の思考から脱却しないと、この世に生きる意味を読み解くのは困難である。それは各個人の前世からのカルマに負うからである。ただ一つ言えることは、自分のなかから過ちを取り除くことが人生の課題である。自らの過ちは、自分で取り除かない限りは、誰も取り除いてはくれない。しかも、他人の飯には骨がある、という諺もある。人間は、あの世から、この世の世話になって暮らしているようなものである。 だから、慢心というのが、全ての過ちの素なのである。他人の欠点はすぐわかるが、自分の欠点はほとんどわからない。だから、この国には、他人の振り見て我が振り直せ、という諺もある。 他人の飯には骨がある | 会話で使えることわざ辞典 | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス “自己評価が高い人”ほど陥りがちな「心の罠」 | 企業実務サポートクラブ 最近の巷のこの国の低レベルな政治をみていると、かつて古代アトランティス時代の人類を滅亡に追い込んだ、この国の先祖の増上慢というか、過信や思い上がりが、思いやられる。先の大戦すらも何の反省もないのが気にかかるところである。数百万人の国民を戦地で殺しながら、いまだに戦争が間違いでなかったと盲信し、開き直っている国粋主義者もいる。人間の霊魂が、この世に生まれてくるには、特定の地域と、民族や国を、前世の経験から選ばないといけない。多くは、前世のカルマを解消するために、前世において差別した民族や国を選んで生まれてくるわけである。だから、この国に生まれてくるのは、この国のなかのかつての過ちをみつけ、それを自分で取り除くために生まれてくる、といえるだろう。 さて、前回は、この国の戦国時代のキリスト教との関係を、信長とジョルダーノブルーノとの比較から紹介した。そして、キリスト教による、両者の輪廻転生の否定から、ルシファーの権威主義を経て、唯物化して、宗教が心霊の虜となり、物質至上主義の、物質科学へと分かれていくのを、シュタイナーの「職業のカルマと未来」から紹介した。 そして、その際に、信長の有名なドクロ杯の逸話を紹介した。このドクロ杯だが、古くは、紀元前のスキタイの習俗にある、とウイキには解説されている。シュタイナーは、アカシャ年代記を読み解いて、その由来を明らかにしている。このドクロ杯は、霊能力を獲得するための2つ目の儀式の「蛇の譲渡」と呼ばれるものなのである。 このドクロ杯は、古くはドルイド教の秘儀に由来し、ドルイド教が、秘儀を忘れ、中世以降のキリスト教の慢心唯物化による腐敗と同じように衰退し、キリスト教に取って代わられた経緯を表している。このドクロ杯の儀式は、秘儀参入者を誤って地獄に堕とす可能性も秘めた儀式なのである。 そして、このドクロ杯は、その慢心した唯物化による、悪魔による誘惑をよく示しているのを、約10年前に、このブログのツランについての紹介から、紹介したのだが、再度改めて紹介してみたい。 東洋哲学に関連するシュタイナーの言葉その6 | シュタイナーから読み解く神秘学入門 - 楽天ブログ 宗教と古代東洋のルーツを調べていて、「ツラン民族」についてのシュタイナーの言葉が非常に興味深く思ったので、自分の言葉に置き換えてみた。ネットを調べていると、シュメールと関係深く、また日本人とも関わりが深いようである。「ツラン(トゥーラーン)民族その1 高橋 巖:訳」の意訳 ヘブライ民族の使命を理解するには、人類全体の進化を、一層深く霊視しないといけない。著書『神秘学概論』や連続講義での話を、この場合、更に詳しく言及しないといけない。 少なくとも、古代アトランティス時代の破局(大洪水)後の顛末を、簡単に取り上げなければ、人類全体の進化について、ヘブライ民族の役割が正しく理解できない。 古代アトランティス時代の破局が、後に、地上の状況に変化をもたらすようになったとき、当時古代アトランティス大陸に居住していた人々は、西から東へと移っていった。この移動には、大きな2つの流れ、北方の移動と、南方の移動がある。 従って、その大きな民族移動の1つは、北方のヨーロッパを通ってアジアにまで渡って行った。そして、カスピ海周辺の地域を考察すれば、この民族移動がどのような形で行われたかがほぼ理解できる。 一方、南方の別の流れは今日のアフリカを横断し、アジアで、2つの水流が衝突し合い渦となるように、この北方と南方の2つの流れが合流した。 その際、特に注目すべきなのは、古代アトランティスから東方へとつき動かされていった様々な民族の、或いは少なくとも、その主流に相当する霊魂の様子が、全体として、どのようだったか、ということである。 実際、ポスト(後)アトランティス時代のはじめの人々の霊魂の様子は、全体として、その後の人々、特に今日とは全く異なっていた。 移動した全民族において、当時の環境を霊視できる霊能力がまだ存在していた。当時の人は、霊的存在を、ある程度、見れ、現代人が物質として見ている存在を、霊的な形で見ていた。従って、当時の人々は見霊的な生活様式や、見霊的な魂をもつ人間だった。 しかし、特に重要なのは、ポストアトランティス時代の根源的な住民の見霊力が古代アトランティス時代の最盛期の見霊力とは異なっていた、ということにある。 古代アトランティス時代の最盛期の人間に高度に存在していた見霊力は、純粋な形で霊界を見ていたので、霊界のその啓示の姿は、人間の魂にそのまま善を生じさせていた。当時、霊界に深く参入できた人は、それだけ善への寄与を深く得ていた。霊界を深く見れるほど、善への高次の意識を獲得していた。 しかし、古代アトランティス時代の大体3分の2が過ぎた頃、また特にその後のポストアトランティス時代になると、古代の見霊力の善なる側面は次第に消えていった。秘儀参入の場(神殿)で特別の修行をした人たち(秘儀参入者)だけが、古代アトランティス的な見霊力の善なる側面を保持していた。 対照的に、自然の有性生殖(遺伝的)の形で、古代アトランティスの見霊力を受け継いだ人たちには、誘惑の悪の力と遭遇するようになった。当時の人間の見霊力は、善なる力だけを見るのに十分な力強さを、保てなくなってしまった。 そして、ついには、人間には悪しき存在、すなわち誘惑する存在だけしか見れなくなった。ポストアトランティス時代の特定の居住地域には、善から全く離れた見霊形式が普及するようになった。見霊力自体が一種の誘惑者になった。 (スターウォーズでいえば、フォースの暗黒面に堕ち。ダースシディアス、ダースベイダーの誕生だろう。どうやらシュタイナーの霊視によれば、当時の中国やそこからわかれたいまの日本が、このツラン民族の一分枝らしい。だから、日本のオカルト研究家のなかには、このような事実から、人智学を差別する研究家もいる。しかし、正確にいうなら、この当時に、中国大陸に受肉し、前世をもつ霊魂のことで、現在の転生の中国人や日本人でないのは確かである。) 今日の人間が日常もつ感覚的な知覚力(覚醒意識)は、古代の見霊力の衰退と結びつき、次第に発達してきた。 (ジェダイが衰退するとともに、悪の皇帝が出現する。ヨーダーはヨーガ「ヨガ」を類推させる。) ポストアトランティス時代の最初の人間(古代インド民族)が見ていた事物は、今日、現代人が日常の覚醒意識の、眼で見る魅惑的な事物のように、当時は全く誘惑的で刺激的ではなかった。なぜなら、魂の状態のなかに、誘惑されるような傾向が、まだ未発達で、存在しなかったからである。 今日の現代人なら、欲しくてたまらなくなるような外(物質)的な事物があっても、当時のポストアトランティス人はあまり関心がなく、惑わされずにいた。 しかし、古代とは劣る見霊力が覚醒したとき、当時の人間の心を激しく揺さぶった。霊界の善なる側面を見ることがほとんどなくなり、ルシファー的、アーリマン的な悪霊たちが、強い力で働きかけた。 従って、当時の人間(北方のツラン民族)は、誘惑者、欺瞞者となり得るような働きだけを、見霊力により体験した。 東洋哲学に関連するシュタイナーの言葉その7 | シュタイナーから読み解く神秘学入門 - 楽天ブログ さて、古代アトランティス大陸没落後に東へと渡っていった人々は、様々な進化の過程を辿った。その進化を辿る人間は、東へ向かう程、より道徳的になり、霊的に高次になった。そして、外界は、新しい世界として益々はっきりと眼前に現れてきた。 外界は益々偉大な、壮麗なる存在として人間に働きかけるようになった。この傾向は、東へ移る程、益々強くなった。 特に、上記のような傾向を強くもっていた民族は、例えば、今日(1910年)のインドよりも北方のカスピ海やオクソス川、ヤクサルテス川に至るまでの地域に居住していた民族だった。 このアジア中央部には、後に様々な方向へと移住していった民族の源流となる集団が居住していた。その民族集団は、人智学者が、しばしば見霊認識に基づいて語ってきた古代インド民族の源流でもあった。 アジア中央部の、この民族の大集団のある一部の民族においては、古代アトランティス大陸の没落後まもなく、没落の過程で、既に外なる現実(物質)界に対する感覚が非常に強度に発達していた。しかし、この民族の場合でも、この地域に生まれた人の心には、かつて古代アトランティス世界で体験してきた前世の思い出が、一種の記憶の認識として生きていた。 後にインドヘと下りていった民族のある集団には、この傾向が特に顕著に現れていた。この民族集団は、外界の素晴らしさを非常によく理解し、外に対する知覚内容の観察にかけては、最も進歩していたが、同時に古代アトランティス時代の霊的な知覚内容も強く前世の思い出として残っていた。 従って、この民族には、前世として思い出せる霊界への見霊意識が強く発達していた。霊界の中への参入が容易である一方で、外的な感覚を示す存在はマーヤ(幻)であり、幻想である、という感情を合わせもっていた。 従って、特別に外界を観察するのではなく、古代アトランティス時代に直接霊界から得た前世の記憶に、到達するために、ヨーガという人工的な見霊開発方法などを駆使した。 外界をマーヤ、もしくは幻想と観じ、代わりに霊的な存在に到ろうとする意識だけを発達させる特質は、古代インドより、北方の地域に移住する民族には、それ程、顕著ではなかった。その北方民族は、悲劇的な状況下にあった民族の集団で、歴史上は狭義のアーリア人と呼ばれるペルシア人、メディア人、バクトリア人など、様々な北方の民族のことである。 東洋哲学に関連するシュタイナーの言葉その8 | シュタイナーから読み解く神秘学入門 - 楽天ブログ 「ツラン(トゥーラーン)民族その3 高橋 巖:訳」の意訳 ペルシア人、メディア人、バクトリア人などは外(物質)的な感覚と知性を非常に発達させていたが、古代アトランティス人が生まれつき持っていた見霊力を、(古代インド人のように)一種のヨーガのような内的修行によって獲得しようとする意識は、それほどなかった。 これらの北方民族には前世の記憶力があまりなかったので、外界の幻想を認識により克服するために、太古の前世の思い出を、修行から、現世に置き換えて、明確にしようとはしなかった。 従って、古代インド人のような魂の様子(状態)は、これらの北方民族にはなかった。これらペルシア人、メディア人、バクトリア人等の北方民族に見られる魂の様子(状態)は、今日の言葉をかりれば、次のような感覚だった。 「かつて人間は、霊界のなかで、霊や魂などの存在を直観し、体験していたが、今、人間は、物質界のなかに移され、物質界を眼で見、脳と結びつく知性で理解する理性は、人間の内側だけにあるのではない。克服すべき対象は、人間の内側だけでは克服できない。内側だけで克服しようとしても、別段、特別な進化は起こらない。」 そしてまた、古代ペルシア人は、次のように語った。 「人間が地上に降下したときの変化は、人間だけに生じたのではない。自然を含む地上の全てが変化した。だから、人間が周囲の事物をそのままに放置すれば、全てが幻想で、マーヤ(幻)なのだから、人間だけが霊界へ上るのを願うだけでは不十分である。内面だけを変えた場合、自分は変わるが、周囲の世界全体が変わるわけではない。」 従って、古代インド人のように「外にはマーヤ(幻)が拡がっている。自分は、このマーヤを乗り超えて、霊界に到達する」とは、古代ペルシア人は考えなかった。 「人間は周囲の世界と結びついている。人間は周囲の世界の一分岐である。高度な神霊界から下りてきた人間のなかの神的な存在を変化させるのなら、人間の内部だけを、元の存在へと変えるだけでは許されない。周囲の世界も、元の存在へと変えなければならない。」 上記のことが、北方の民族(古代ペルシア人)に、世界を作り変える為の意識として、力強く働いた。 古代インド人は、「世界は堕落した。今、(周囲の)世界が示しているのはマーヤ(幻)である」と考えた。 北方の民族(古代ペルシア人)は、「確かに世界は堕落したが、人間が、世界を変化させて、再び霊的な存在にまで高めなければならない」、と考えた。 認識そのものを改善するのが、古代インド民族の基本的性格だった。感覚的知覚の内容を幻想、もしくはマーヤ(幻)と呼んだら、それでもう十分だった。 自然の中に存在する外的な存在を作り変えようとする意志や行動力や外に対するエネルギーが、ペルシア他の古代の北方民族の基本的性格だった。 「周囲の事物は神的存在から下降してきた。しかし、人間はそれらを再び、神的存在に導き、戻す使命を受けている」と、北方民族は語った。 基本的には、古代ペルシア(北方)民族のなかに既にある上記の性格が、秘儀を伝授された霊的な指導者たちの場合には、最高度に高められ、最大のエネルギーで充たされていた。 東洋哲学に関連するシュタイナーの言葉その9 | シュタイナーから読み解く神秘学入門 - 楽天ブログ カスピ海の東側と南側で生じた事柄を完全に理解するなら、それよりも北側で生じた事柄、つまり今日(1910年頃)のシベリアにまで至るロシアと、境を接する様々な地域や、ヨーロッパにまで拡がる様々な地域で生じた事柄と比較する必要がある。 当時、カスピ海の東側と南側に居住していた民族は、太古の霊能力を高度に保持していた。そして、その民族では、太古の霊能力と、新しい感覚や悟性による思考とが、或る点において釣り合いがとれていた。 その民族の大部分は、まだ霊界を見ることができた。この霊視力は、この民族のある集団では、既に低次な段階に堕落し、「低次のアストラル界の霊視力」になっていたが、この霊視力の特徴を考察すれば、人類の進化全体にとっても無視できない結果が生じている事実に気がつく。 (アストラル界は、高次と低次に分かれるようである。) この霊視力を備えた民族は全く特別の人間になった。その民族は特別な性格を身につけた。この特別な性格は、この霊視力をもっていた様々な民族集団の場合、特に顕著に見られる。 そのような民族は、基本的に、生きるために必要なものを、周囲の自然環境に求めようという意識をもっていた。そして、必要なものを、自然から奪い取る以外には何もしようとしなかった。 要するに、今日の感覚的な人間が、植物や動物などを熟知しているのと同じ確かさで、植物や動物など全てのなかに、神霊たちが存在しているのを熟知していた。なぜなら、霊視により、神霊たちを見ていたからである。 また、この民族は、神霊たちが強力な霊として、物質の背後に立っている事実を知っていたので、神霊たちと親しくし、あまり労働をしなくても、自分たちが置かれた環境の中で細々と暮していけるように、神霊たちに配慮してくれるように要求できた。 このアストラル的な見霊力をもった民族の気持ちや考え方については色々なことを話せるが、今は、そのうちの1つだけを述べるにとどめる。 いま考察している当時の時代では、堕落しつつある見霊力を備えた上記の民族集団は、全て遊牧民族だった。定住せずに、遊牧民として放浪し、どんな場所にも特別の愛情を寄せることなく、大地が提供するものを、特に大切にもせず、生活するために必要ならば、周囲を破壊することも厭わなかった。 この民族には、文化水準を引き上げるために、地球環境を作り変えようとする気などなかった。 (この遊牧民族が後にスキタイといわれるツランの民族らしい。) 上記の民族的な基本性格の違いから、ポスト(後)アトランティス時代の歴史にとって、最重要な事件の1つである、次の深刻な対立が生じた。 北方の様々な民族、つまりペルシア人、メディア人、バクトリア人と、上記の遊牧民との間に大きな対立が生じた。 ペルシア人の場合は、定住して周囲の出来事にも関心を向け、人間集団としての課題を人間としての労働により達成し、人間の精神力により自然を作り変えることを渇望していた。このことが、この地域においては、最大の関心事だった。 ペルシア人の居住地域の北側には、直接、境を接して、霊界を霊視できた上記の遊牧民族がいた。その遊牧民族は、上述したように、神霊たちと親密な関係にありながら、働くことを好まず、定住もせず、物質界で文化的作業を前向きに行うことに、何の関心ももたない民族だった。 (中央アジアの、このような遊牧民の堕落した霊視な性格から、中華思想が生まれたように思われる。昨今の占い好きなどは、この堕落した霊能力と関係が深いように思われる。また古代中国の宦官や日本の官僚などの寄生略奪的な性質も、これによく似ている。特にこの国の財務官僚などがその血を受け継いでいるようにみえる) ペルシア人と遊牧民(ツラン民族)の最大の対立は、外面的には、ポスト(後)アトランティス時代の歴史のなかで生じた対立であり、霊的には、魂の様々な進化過程の1つの結果として生じた対立だった。 外面的な歴史においては、「イランとツラン(トゥーラーン)の対立」として知られた、一大対立であった。 北方地域では、シベリアに至るまで、ツラン(トゥーラーン)民族が存在していた。この民族は、いわば混合体で、上述したように、高度に、低次アストラルの見霊能力を備えていた。 (このツラン民族の悪霊の見霊力が、後のツァーリズムをつくる) 霊界での生活が豊かであった為に、外(物質)的文化を創造しようとする傾向や感覚ももたず、人々は、受身的な態度を保ち、民族の祭司たちは、低次の魔術師だったので、霊的な事柄に際し、低次の魔術、時には黒魔術さえも行使した。 その南方の古代ペルシアでは、以前から、素朴な手段で周囲の感覚界を、人間の精神力で作り変えようとする意識が働いていた。そして、その結果、外(物質)的な文化を生み出した。 (カインの古代ヘブライ民族でもある。) この事が、古代ペルシアとツラン(トゥーラーン)の大きな対立となった。 東洋哲学に関連するシュタイナーの言葉その10 | シュタイナーから読み解く神秘学入門 - 楽天ブログ この物質文化の方向性で、最も進歩を遂げた民族(古代ヘブライ民族)が、北からペルシア(イラン)地域まで南下してきたという事実は、神話や伝説の中にも美しく表現されている。 様々な北方の民族を率いて、ペルシア(イラン)ヘと下りてきた伝説の王ジェムシッド(?)をめぐって、次のような物語が伝わっている。 王は地上での使命の実現のため、アフラ・マズダー(太陽)神から黄金の短剣を受け取り。ツラン(トゥーラーン)人という怠惰な大衆の中から、黄金の短剣の力で体力を叡智に従って行使できるように、様々な自分の民族を作り上げた。 (日本の神話のスサノオの草薙の剣との類似もみられる。) それまでの肉体力は頽廃していたが、再び発展させて、この世のために精粋を発揮できるようにした。黄金の短剣は犂となって大地を耕地に変え、人類最初の様々な器具の発明を可能にしたが、その後も、力を発揮して、人間が誇りとする様々な全ての文化の成果として、今日に至るまで作用し続けている。 ツラン(トゥーラーン)からペルシア(イラン)まで移動してきたジェムシッド王が、アフラ・マズダーから、この短剣を受けたという事実には、非常に大きな意味がある。この短剣の力こそが、人間に外なる感覚界を作り変える力を生じさせたからである。 この黄金の短剣を授けた神は、ツァラトゥストラ、もしくはゾロアスターと呼ぶペルシア人の指導者に霊感を与えた偉大な神でもあった。 ゾロアスターは、太古の時代(アトランティス没落直後)に、聖なる秘儀の叡智の力により、物質文化を人間の精神力で発展させようとする意識をもったペルシア民族を支配した。 ゾロアスターは霊界に参入できる古代アトランティスの能力を失っていた様々な民族に、霊界への参入に対する新たな展望や、新たな希望を与える使命をもっていた。そのような意味で、ゾロアスターは、人智学徒がしばしば語ってきた、秘儀参入の「道(方法)」を開いた。 それは、人間の小さなオーラとは対照的に、「大きなオーラ」、つまり「アフラ・マズダー」と呼ばれた高次の霊的存在の体が、日光という体である事実を、様々な民族に洞察(霊視)させる方法なのである。 ゾロアスターが、上記の事実に関して教えたことは、当時は、まだ遥かに遠い、この霊的な存在が、いつかは地上に降りてきて、人類史の内部で、自らの実体を、地球と結びつけ、そして人類のためにその後も更に作用し続ける、という事実だった。 つまりゾロアスターは、後にキリストとして歴史上を生きる存在を、当時の人々に示そう(預言しよう)とした。 ここで強調すべきことは、今述べたゾロアスターは、既に古代ギリシア人たちにより、トロイア戦争(紀元前1000年頃と考えられている)よりも、5000年も前の時代の存在と考えられていた。この太古のゾロアスターには後にグシュタスブ(?)と呼ばれた後継者がいた。 ゾロアスターは偉大な祭司として、当時の人々を外なる物質界から再び霊界へと導く太陽神アフラ・マズダーの存在を教えたが、グシュタスブはこの教えを普及させるのに尽力した王だった。 古代ペルシア(イラン)では、ゾロアスターやグシュタスブが与えた霊感や意図は、この古代ペルシア地域の北に隣接する北方の民族(ツラン)と衝突する要因となった。 古代ペルシア(イラン)民族とツラン民族の衝突から、地上で最大の戦争の1つが生じた。一般には、この太古の歴史的事実があまり知られていないのは、あまりにも古い時代(紀元前5000年あたりか)のことだったからである。 ペルシア(イラン)とツラン(トゥーラーン)との間に、凄まじい衝突が生じた。数10年どころか、数100年にも及ぶ、この戦争から一種の緊張感が生じ、その気分はアジア内陸部に、その後長らく続いた。 東洋哲学に関連するシュタイナーの言葉その11 | シュタイナーから読み解く神秘学入門 - 楽天ブログ 「ツラン(トゥーラーン)民族その6 高橋 巖:訳」の意訳 ゾロアスターの教えを守るペルシア(イラン)人は、次のように自らを語っていた。 「見渡す限りのいたる場所には、神霊から生じた世界が広がっている。世界は、まるで高次の存在から堕落してしまったように現われている。我々を取りまく動物、植物、鉱物の世界全ては、かつては、もっと高次の存在だった。今、頽廃してしまったが、人間は、それらを再び高めようとする希望を抱いている。」 動物を例にあげて、このペルシア(イラン)人の感情の中に生きていた理念を、今日の表現に置きかえてみる。教師が学校で、生徒に語る様な表現で言えば、次のようになる。 「周囲にあるものを見てごらん。それらは、昔はもっと精神的な存在だった。今は堕落し、頽廃してしまっている。 では、狼を見てみよう。感覚を通して見る狼という動物は、堕落し、頽廃している。昔の狼には悪しき特性などなかった。しかし、いまから君たちが、自分の良き特性や精神力を結集させ、今の狼を飼育できる。 この動物に君たち自身の特性を付与して、狼を、君たちに仕える犬にできる。狼と犬は、いわば2つの世界の流れをそれぞれ特徴づける存在なのだ!」 環境に手を加えるのに、精神力を行使する人間たちは、動物を飼育して、動物を高次の段階へと引き戻すことができた。 これとは対照的に、動物等のために、自分の力を行使しなかった別の人間たちは、動物を、ありのままに放置してきたので、動物は益々堕落していかざるを得なかった。上記の2つは異なる力の働きを現わしている。 上記の二元性の対極的な力は、次のようなイメージ(思い)の中で働く。 「もし自然をあるがままに放置するなら、自然は益々深みに沈み、全てが野生化してしまう。しかし、私が精神の目を、私の信奉する善意の方向へと向けることができれば、その善意が、私を助けて、深みに沈んでいく存在を、再び上方へと導くことができる。私が尊敬する、この善意は、更なる進化への希望を私に与えてくれる。」 ペルシア(イラン)人にとって、この善意の力こそアフラ・マズダーに他ならなかった。ペルシア(イラン)人は、次のように考えた。 「自然の働きを、高貴にする力は、人間が、アフラ・マズダー、つまり上方へと向かうオルムズド(アフラ・マズダー)の力と結びついたときはじめて達成される。しかし自然を、あるがままに放置しておくなら、全てが野生化してしまう。 この野生化は、アーリマン(アンリ・マンユ)により生じる。」 更に、古代ペルシア(イラン)の地域には、次のような考え方が広まった。 「北の地方にも、多くの人間が徘徊しているが、北の人々は、アーリマンの手先である。アーリマンの僕の人間たちである。アーリマンの手下は、ただ世界を歩き廻って、自然が提供するものを受けとるばかりである。自然を再び精神化するために働こうとしない。 しかし、我々はオルムズドの力であるアフラ・マズダーと同盟している。」 ゾロアスターの教えを守るペルシア(イラン)人は、自分たちが感じた善意を、法律の中にも表現した。つまり外(物質)的な律法のなかに、上方への善意の意識を表現することで、生活を整えようとした。 これがゾロアスター主義の外(物質世界)に現れた結果だった。ペルシア(イラン)とツラン(トゥーラーン)の対立を、上記のように見るべきである。 これが、秘教学史の多くを正確に報告する、アルジャスブとグシュタスブの間の戦争、つまり、ツラン(トゥーラーン)人の王と、ゾロアスターの守護者との間の闘い、そして北と南の対立である、この戦争が、ペルシア(イラン)でもツラン(トゥーラーン)でも、その両地域の気分として継続していった事実を知るべきである。 この闘争が理解できれば、どんな魂の働きが、ゾロアスターから、全人類にまで流れ、広がっていったのか、を知ることができる。 東洋哲学に関連するシュタイナーの言葉その12 | シュタイナーから読み解く神秘学入門 - 楽天ブログ 文化史(前半) 現代人は、次のような信仰に凝り固まっている。 「生活のなかのイメージや概念(思考)は、民族を超えた存在で、その反対に、言語は民族特有の存在でなければならない」という信仰である。 しかし、その信仰を生み出した形態霊(エクスシアイ、能天使、エロヒム)は、もっと別のことを意図していた。つまり、言語は、個人(別)的であるように意図していた。 そして、この事実こそ、今日、人智学が願っていることであり、理想としていることである。ところが、現代人は、この理想を認めようとしない。この理想がどれほど無視されているか、を示す例を、1つ挙げてみる。 かなり前の出来事だが、人智学徒が、神智学協会に属していた当時のことで、当時も現在も、会長はベザント女史である。 人智学徒の多くの人が、神智学協会のいわゆる「コングレス(会合)」に参加していた。「コングレス(会合)」では常に、色々な代表者たち、すなわち、ヨーロッパの各セクションの事務総長たちがスピーチをしていた。 それぞれが自国語で語ったので、言語の違いがよくわかったが、内容はほとんど理解できなかったので、互いの理解を深めるには、自国語が短いスピーチで行われるのが、非常に好ましかった。 人智学徒の何人かも恐らく憶えていると思うが、そのような機会があると、私(シュタイナー)は、いつも同じ内容を、数年間にわたって繰り返し話し続けた。その同じ内容がどれほど注目されていたかはわからないが、いつも同じことしか述べなかった。 ただし、いつも心の底で理解してほしい、と願いながら、次のような主張を行った。 「色々な地域から、ここに集まってくるのは、中央から神智学の教えを受けとるためではなく、個々の地域で行われている神智学的な行為を共通の祭壇に供えるためである。」 様々な地域に由来し、そして、今共通の祭壇に供えられようとしている個的な行為の意味を、私は強調し続けた。どの年にも、私は同じことを強調した。その結果、私は正しいことを述べたにも関わらず、理解しなかった人もいたし、私の話を聞いて感情を害してしまった人もいた。 私が、同じ内容を述べたのは、我々に必要な理想を確立するためだった。その理想は、地球のどの地域にも妥当する、共通の教義をつくるための理想ではなく、多様なものを、相互の理解を通して、地球上で共存させるための理想だった。 真理が1つでなければならない という偏見は、このような事実と同じくらい深く人間の心の中を支配している。 従って、連続講義の中で、1つの事柄を、ある時はある形で、別の時には別の形で語ると、そこに矛盾が生じる、といって騒ぎたてる人たちが出てくる。 しかし、真理が多様な形で表現される事実を、人智学徒は示せなければならず、「一様ではなく、多様である」、ということを理想とすべきである。 さて、この理想の本質的な意味を理解するためには、形態霊と、その奉仕者である権天使(人格霊、アルヒャイ)、大天使(アルヒアンゲロイ)、天使(アンゲロイ)が、人間の言語と思考のために本来意図していた事実と、それを妨害するルシファー的、アーリマン的要素の働きとを対比する必要がある。 ルシファー的、アーリマン的要素を理解するには、地球紀ではなく、月紀に注目する必要がある。なぜなら、これまでもしばしば述べてきたように、この悪の要素は、本質的には月紀の要素(存在)であり、本来、月紀に由来する要素(存在)が、地球紀にまで持ち込まれているからである。 従って、ルシファー的、アーリマン的な立場からすれば、形態霊が造物主である、とは語らない。形態霊は地球紀の造物主であり、月紀では運動霊(デュナメイス、力天使、動物の集合魂)が造物主だからである。 運動霊はその奉仕者である形態霊、人格霊(権天使)、大天使と共に、月紀に天使を生じさせた。人間が地球紀に、自分の力で、7つの本性を形成すべきなのと同じで、天使は、月紀に自分の力で、7つの本性を形成すべき存在だった。 (堕天使は、7つのうち、6つしか形成できなかったので、いわば落第という形で、人間と共に、同じ地球で学んでいる。) もし、形態霊とその奉仕者たちだけが地球を創造し、支配し、ルシファー的、アーリマン的影響によって妨害されていなかったら、地球紀の人間は、言語(言葉)と思考を完全に一致させていただろう。 今日の人間の言葉と思考の乖離は、ルシファーとアーリマンの影響による。今日の人間は「m」や「g」などの特徴を感じとれない。その言葉を聞いても、その音韻を、思考内容に結びつけない。 しかし、形態霊とその奉仕者たちは、人間を今日の状態よりも遥かに透明な魂を持った存在にすることを企図していた。 言葉を、いわば思考のジュースをしぼりとる存在にするのではなく、言葉という翼に乗って、思考が飛び立てるような、愛に充ちた存在にすることを考えていた。 形態霊の意図は、人間の集団(民族)が言語(言葉)により区別されるのではなく、土地に由来する自然的な基礎(音階)により、土地に働く力によって区別され、集団(民族)化することだった。 (いまでいう方言を、言葉の基本に考えたのだろう。郷に入っては郷に従え) 従って、異なる場所に住む集団同士は、同じ場所にくれば互いに異なる言葉の相違を共感し合い、理解し合えるような存在になるべきだった。 しかし、現代人が、外国語を完全に理解できないのは、使われる言葉の音響の中に、意味内容が全く存在せず、言霊が、いわば意味内容の莢(さや)の中から抜き取られてしまっているからである。 本来なら、たとえ各々の言語(言葉)がどんなに異なって発達しても、地上の全ての人間は、言葉の音響に対して互いに共感し合い、理解し合えた筈である。 知性と言語間の一致が達成されないように、ルシファー的、アーリマン的存在たちが人間に影響を及ぼし、その達成を妨げた。 では、まず、その際のルシファー的な堕天使に眼をむける。 このルシファー的な堕天使は、人間に働きかけて、概念の世界における国際的性質(基準)という先入観を人間の心の中に組み込み、全世界のどの地域の人間にも妥当するような普遍的で統一的な教義が存在する、と思い込ませた。 (宗教でいうところの一神教の教義である。) そのような統一的な教義を信じ、多様性の中にではなく、統一性の中に救済を求めるときには、ルシファー的な悪霊が働いている。その悪霊たちは、イメージ(思考)の世界を、言語の世界から切り離した。 言語と思考を切り離すことで、イメージや思考内容が正しい形で、語られた言葉の中に生きることを不可能にしてしまった。 つまり、言語と思考を分離することで、ルシファー的な一元論や統一思想が、全世界を風靡するようになった。 「自分が正しいと思うことはできるだけすみやかに全世界の人間にも信じさせるべきだ!」と考える狂信家たちは、ルシファー的な堕天使たちに憑依されている。 従って、大切なのは、統一という幻想に囚われることではなく、調和的に作用し合う多様性を求めて働くことなのである。 (外国語を習うことではなく、他国の文化を理解することが重要なのである。つまり、多様性や自分たちと異なる異質性を積極的に認めていく姿勢が重要である。 ちなみに、私観だが、「文化」とは、人間の行為を、神に捧げる、つまり神に近づけることだと思う。つまり、道徳観や善意に従う行為の表現内容が、「文化」である。対して、「文明」とは、行為だけでなく、思考内容も含むものに思える。 本来、言語と思考が一致していたら、文化と文明も同じだったのだが、悪霊により、人間が欺き、嘘をつくことができるようになったので、文化と文明も異なったものになったと思われる。 悪霊とは、端的にいえば、執着心の強い魂で、いつまでも良い想い出に浸り、それが全ての存在といえる。) 東洋哲学に関連するシュタイナーの言葉その13 | シュタイナーから読み解く神秘学入門 - 楽天ブログ 「語ることと考えること(後半) 高橋 巖:訳」の意訳 文化史(後半) 前半に述べたように、ルシファー的存在たちが「思考」を「言葉(言語)」から分離してしまった。 そして、更に、大天使の位階に属する存在の中で、その存在に対する第七番目の器官(神器)を発達させることなく、第六番目の器官(神器)にとどまっているアーリマン的存在たちが、言語を更に一段低いところまで引き下ろしてしまい、言語は現在、地上で行われているように、バラバラに単独で存在するようになってしまった。 (この内容は、バベルの塔に関する聖書の記載に相当する。なお、宇宙の階層や天使の階層では、1つ上の階層に進化するには、その階層において、7つの器官を発達させないといけない。 神秘学では、その階層を分類するのに、111から777までの3桁の数字が用いられ、アーリマン的存在たちは、666で進化をやめた存在といえる。人間が、1つ上の階層である「天使」の位階に進むには、現段階では、4つ目の器官「霊我、マナス」を手に入れる期間といわれている。 人間には、「霊我」を含めて、あと3つの器官が必要で、それが俗に三種の神器と呼ばれるものである。) 退行した大天使のアーリマン的存在たちは、地上の人間集団をして、互いに憎しみ合い、差別し合うように、仕向けた。この存在たちは、大天使なので、民族を指導できない。 (民族を指導できる位階は、大天使より1つ上の権天使の存在である。) 民族を指導することは、正常な発達(進化)を遂げ、自らの存在を第7器官まで育成した大天使が、形態霊の意図に従って、(権天使として)行うことだからである。 本質的な役割をもつ民族霊(大天使)に対立するアーリマン的存在たちは、言語の水準を一段階引き下ろし、言語の中に元々含まれている概念やイメージ内容を分からないようにしてしまった。 ルシファー的な堕天使だけが働いていたなら、統一という幻想だけが地上を覆いつくし、もし、人間が心の中にある、その統一という幻想を克服さえすれば、様々な言語の中に存在する固有(個)性を感じとることができたはずである。 ところが、アーリマン的な存在たちが、言語の働きを、もう一段階引き下げたので、言語の中の固有(個)の思考表現を、人間が感じとることができなくなった! その結果、人類は言語の相違に従って、各々の国民に分裂させられた。 このような妨害による時代の流れの中で、一方では統一という幻想が、他方では様々な国民への分裂として生じ、その傾向が最高潮に達したとき、宇宙存在であるキリストが、人間がよく知る形(イエスの身体に受肉)で、地上に降臨し、共に地上の進化に新しい衝動が組み込まれた。 (「汝の敵を愛せ。隣人を愛せ。」) 人智学徒は、今、新しい衝動を受けて、発展する世界の状況に、この衝動を完全に組み込まなければならない。 キリスト衝動は、地上の進化が一時期、「統一という幻想」と、「言語と思考の分離」という2つの間違った方向へ行ってしまった後に、それらに対立する衝動を用意するという課題をもっている。 つまり健全な発達(進化)を遂げた天使たちにより大きな権能を賦与することで、ルシファー的な進化を遂げた堕天使たちの統一という幻想に対抗しようという課題をもっている。 全ての知識の一元論的、いわゆる幻想的な統一性の代りに、キリストの教えを正しく理解することで内在する衝動が現れた。 この衝動は、他の人間の本性の中に真実を求めようとする態度であり、自分の考えを他人に押しつけない、という教えであり、そして、この本質的なキリスト教の精神によって、健全な発展を遂げた天使たちを力づけることにある。 このように、各人においても、各時代においても、地上に1つの個的に形成された真理が形成されるようになった。ルシファーにより幻想に閉じ込められた知性からではなく、魂や心情の中から個的に形成された真実が、地上に見つけられるようになった。 しかし過去においても、上記の父なる宇宙(世界)原理は働いていた。かつて眼に見える人間が父なる宇宙原理により創造されたように、今日でも眼に見える人間の中で形態をとって輝く存在もまた、同様に過去に根源の宇宙原理から現出し、そして今、完成(成就)された存在となっている。 各人が自己流の方法で、真実を見つけられるようになった。 「真理はどんな人の魂の中にも存在する」、という言葉は、深くキリスト教的な言葉である。キリストに支持された天使の働きが、この言葉の根底に生きている。 その働きが、全てを一様化する統一的な幻想の下に、同質の教義で拘束する網の目で地球を覆いつくそうとするルシファー的な天使の働きに対抗する。 一方、健全な発展を遂げた大天使たちもまた、キリストの支持を得て力を強め、人間の集団(民族)が自らの言語に執着することで、狂信的な集団になるように働きかけるアーリマン的存在たちを克服しようとしている。 健全な天使と大天使とは、キリスト意識の担い手である。キリスト意識は、人間の観点や思考や感性の中に存在するだけでなく、地球全体の規模で、可視的存在から不可視的存在に至るまで働きかけている。 キリストは人間のために存在するだけでなく、天使、大天使のためにも存在している。なぜなら宇宙的な本性としてのキリストが、ナザレのイエスを通して、地球の進化に関わっているからである。 (地球は、宇宙でいうところの迷える子羊のようである。) 地球紀全体の中間地点で、キリスト意識が、働きはじめた。そしてまた、至る所で、天使と大天使に力強い支援を送りはじめた。この力強い意識は、これまでの地球進化の過程では見たことも聞いたこともない程の圧倒的な力で、地球の進化に関わってきた。 キリスト降臨前の原則のエホバ=ヤハウエ原則は、自然の原則として働き、自然の原則として地球を霊的に支配しようとした。この原則の下では、思考と言葉(言語)が、自然のままに、関連すべきだった。ところが、人間の思考は、その関連から分離され、霊的になり、言葉(言語)も、その関連から分離され、魂的になった。 (言葉は、本来その土地で共有すべき存在なのに、所有されるようになった。外国で、母国語を話すようになった。) 言語の原則は、魂の情念により左右されるようになり、思考は知的、抽象的な働きにより、一面(皮相)的に規定されるようになった。しかし、本質的には間違っている。思考は一段階低いところに位置し、もっと自然な形で思考できなければならない。 言語は、思考より遥かに高次の段階で、なるべく言葉少なに語られ、語られた内容が深く理解できなければならない。 地球紀が、古代ギリシア・ラテン文化期の中葉に至るまでは、ルシファーとアーリマンの衝動が支配的だったが、キリストの降臨により、エホバ・ヤハウエ衝動よりも遥かに強力なキリスト衝動が現れた。 しかし当初、人々は、このキリスト衝動が理解できなかったので、例えばコンスタンティヌス大帝やオルレアンの乙女(ジャンヌダルク)などを通して、働きかけた。 1つの喩えを用いるなら、降り積もった雪の中に、機関車が突進して行くような光景である。降り積もった雪の中をあるところまでは突き進んで行けるが、雪の抵抗に遭い、最後には動けなくなってしまう。 キリスト意識も、この光景と同じように、地球の中に力強く働きかけたが、ルシファーとアーリマンの力が、機関車の前の雪のように覆い被さって、先に進めなくしてしまった。その結果、主知主義の時代に、科学の統一的な幻想が現れた。 「真理は、単一な形で、地球全体に普及すべきである」、という幻想は、8、9世紀から特別強力になった。それはルシファー的な天使の反抗の結果だった。それ以来、この恐るべき幻想は、一元的な教義を生み、繰り返して人類に影響を及ぼしてきた。 (現代では、科学上の統一概念主義を、還元主義とも呼んでいる。) その後しばらくして、主知主義の時代が完全に開花した後、アーリマン的な大天使が「国民主義」という幻想をもって、キリスト意識に対抗した。それは本質的には19世紀になって現れ、その担い手の代表は、ナポレオンだった。 ナポレオンは人間の集団を、国民として分割することを最大の目的としたが、その影響は今日にまで及んでいる。今日でも人々は、「様々な国民の自由のために。様々な国民の自由と平等のために」と叫んでいる。 このような出来事は、宇宙の進化全体と深い内的な関係をもっている。そして今日の時代に恐るべき形で影響を及ぼしている。それが高次の理想を表現しているように思えるだけに、このスローガンも、ルシファーのスローガンの「全ての人々に通用する1つの真理を」も、共にキリスト衝動を妨げる強力な力をもっている。 人智学は、これらのスローガンの誘惑的な力を見抜き、人類を本来の道に立ち戻らせるために存在している。 このように、この国の文化は、個人の前世を振り返るうちに、ツランの影響を受けているのがわかってくるだろう。またまた長くなってしまったので、蛇の譲渡の、ドクロ杯の話は、次回に譲る。蛇の譲渡に至るには、とにかく、脳を捨てて、男女の違いを乗り越える必要がある。脳を捨てるのが、ドクロ杯の意味だからである。 愛が人間の霊魂を生かす生命力で、欲望に走ると、愛を失い自滅するように、人間の霊魂はつくられている。だから物欲に走れば走るほど人間は益々自滅するようになるのである。欲望を捨て去る前に蛇の譲渡を受けないようにしないといけない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2025年06月18日 00時23分44秒
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