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シュタイナーから読み解く神秘学入門

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神秘体験空間

2021年03月04日
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カテゴリ:神秘体験空間
久しぶりに書きたい。長らくシュタイナーのお話をしてなかったので、今回はやります。

 シュタイナーの人智学を学んでいると、人間は神の一分枝であることがわかります。

 神の一分枝とは、現代風にいうなら、神がサーバーだとするなら、人間がその一端末という感じです。神というネットワークのなかの1つの端末パソコンが人間という感じだと思います。

 聖書の創世記では、ぶっちゃけ神のコピーとして人間がつくられた、と書いてありますが、神のミニュチュアというか、神パズルの1ピースという感じに思われます。

 さてまぁ、なんというか、そういう話が、「シュタイナーの心経」を読むとわかるので、以下に紹介しながら、補足していきたいと思います。

 人間は、神の1つの記録媒体のようなものです。

 では、紹介します。

 ★         ★        ★

 肉体は、人間の一部にすぎない。人間の肉体は、物質界の崩壊(の法則)に対して戦う生命力に浸透されていないと、死体となって崩壊する。

 だから、生命力が、人間の第二の部分である。人智学では、生命力をエーテルと呼んでいる。生命力からなるエーテル体は、肉体の上部、つまり頭部では、肉体とほぼ一致しているが、下部にいくにつれ、つまり手足や腹部では、ほとんど一致しない。

 また肉体とエーテル体は、左右逆になっている。また男性のエーテル体は女性的、つまり陰的で、女性のエーテル体は男性的、つまり陽的である。だから女性の方が生命力が強い。

 ぶっちゃけ、男性の肉体は筋力に富み、直線的だが、エーテルの生命力、構築力、つまり柔軟性に乏しく、怪我しやすく、脆い、だから、男性の肉体には子どもを宿せない。

 対して、女性の肉体は柔らかく、エーテルの生命力に富むために丸みを帯び曲線の形態となる。筋力に乏しく、弱い反面、生命力、構築力に富むために、子宮に子どもを宿すことができる。

 健康な人の生命体、つまりエーテル体は桃花色にみえる。

 さて、人間の第三の部分は、心である。人智学ではアストラル体と呼んでいる。というのは、アストラルとは星の意味で、楽しみ、苦しみ、喜びなどの心の変化は、星の輝きの変化のように、霊能者にはみえるからである。

 ちなみに、ゾロアスターは、アベスタ語のゾロ=輝く、アスタ=星の意味である。ゾロアスタは、太陽のなかに、輝く星=救世主をみたので、ゾロアスターと呼ばれた。人間の思いは、絶えず変化するので、宇宙の星のように変化する。

 だから、心を読むことは、占星術にも通じる。霊能者にとって、読心術は占星術なのである。

 人間の第4の部分は、魂である。魂の中心は、松果体にあり、青白く輝く球のようにみえる。

 肉体の修復が不可能と魂が悟ると、死を迎え、肉体から、生命体が離れる。生命体は、肉体の破壊を修復してきたので、つまり、肉体の活動の記録媒体でもあり、死の瞬間、過ぎ去った人生が、走馬灯、映画のように、魂=死者の前を通り過ぎる。

 生命体は、体験の記憶の担い手となり、もはや破壊された肉体を修復することなく、肉体から離れ、解放されるからである。

 地上の肉体生活から解放され、その執着から離れる時期が始まる。

 仏教でいう7×7=49日のことである。これは地上生活の1日の49倍ではない。日=デイの本来の意味は、太陽霊との出会いを意味し、本来は、日=神に出会う期間の事である。

 だから創世記の「7日で世界ができた」というのも、地上生活の7日ではなく、7神により人間の世界ができている、という意味である。

 人間に関わる世界は、7神によりできている、という意味なのである。人間の上に、7神の領域がある。ちなみに1つ上の神が「天使」と呼ばれる存在たちである。

 だから、49日も地上生活の49日ではなく、肉体から生命体が離れるのに7段階があり、生命体から、心=アストラル体が離れるのに、7段階あるという意味で、魂によっては執着があると、49段階を超えて、天国に行けないわけである。

 つまり、肉体を離れ、生命体を離れ、更に心を離れて、全くの純粋な魂だけの存在になってはじめて、仏教の説く仏や解脱という段階に達するわけである。

 人智学でいうなら、魂だけの存在を、自我だけの存在、霊と呼ぶ。

 自他もない、もはや自=他の全き霊体である。

 さて、地上界の乗り物の肉体を離れても、その乗り心地は、つまり人生の体験は、心のなかに残っているので、また体験したいと思っても、もはや肉体である乗り物がないので、その願いは叶わないものとなる。

 この願いを手放さない限りは、煩悩の49日が続くわけである。この時期を人智学では欲界、つまり地獄と呼んでいる。

 地上生活への執着、有体にいえば、地上での自分という体験に拘っている限りは、この地獄界を抜け出すことはできない。地上のモノへの執着は、結局は、自分という執着につながる。

 これは何を意味しているのかといえば、地上で自分をみつけて、その自分から自由になれ、ということに尽きるのである。

 自分をつくっては壊し、また新しい自分をつくっては壊し、より自分らしい、より世界に適した自分に変わっていく、ということなのである。そのために、人間は何万何千と輪廻転生し、相応しい自分となる。
 
 逆説的だが、自由を知るには、不自由にならないとわからない。

 自分をつくるには、自分で壊さないとダメである。

 その自分は、実は、他者や世界全体の精神的な向上に意味をもつものでなくてはならない。

 これは地上界のことではなく、地上界という底辺から、自分をつくり、その自分の地獄界に入り、その自分から解放されて、もはや過去の自分ではない自分を、世界に意味をもつ自分をつくるということなのである。

 自分を第3者になって観察してはじめて、自分がわかる。自分になり切る自分となりきれない自分の格闘のなかで、融合し、自分となる。

 「自分」という感じは非常に不思議である。自を分ける。分けられない自を分けるわけで、1を1に分けても1であれということなのである。

 他=自となる自分をみつけろ、ということなのだろう。
 
 ★         ★        ★

 途中で脱線してしまったが、また続ける。






Last updated  2021年03月04日 22時17分37秒
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2021年01月16日
カテゴリ:神秘体験空間
媚びっとで騒がしい忙中に、長らくほったらかしにしたこのブログですが、警告も虚しく地獄化している現状に落胆し、再び書き込みたい。

現代科学でも、やはり優秀な人には、物事の本質がわかっているらしく、昨今流行りの鬼滅の刃に準えて、媚っと感染問題を解き明かしている記事を、以下に紹介する。(会員にならないとリンク不能かも)

「鬼滅の刃」にはコロナに打ち勝つポイントが描かれている|日刊ゲンダイヘルスケア (nikkan-gendai.com)

鬼滅の刃には、「全集中の呼吸」というのが出てくるらしいが、オカルトの神秘学でいうところの、古代ヨガの秘術の「二重呼吸」を意味しているようで面白い。

この二重呼吸は、簡単にいえば、左右の鼻の孔から、同時に空気を取り入れる事を差す。だから一方の鼻の孔が詰まっていたり、両方詰まって口呼吸している人には土台無理な芸当であるのに疑いの余地はないだろう。

もし両方の鼻孔が詰まってなくても、鼻孔から、脊柱にある二つの神秘の孔を通して、下半身の尾てい骨までに、空気のなかにある光(オカルトでエーテルと呼ばれる生命要素)が達しないと、二重呼吸の本来の効果は発揮されないらしいが、空気だけでも肺に達すれば、心地いいのが実感できるはずである。

さて、では感染について神秘学はどう解き明かしているか?を、以下にシュタイナーの講義から解説したい。

なぜ、この講義を紹介したいと思ったのかは、先日、東京大医科研で、ストレスによる老化細胞を除去する方法という、以下の記事が目に止まったからでもある。

https://www.ims.u-tokyo.ac.jp/imsut/jp/about/press/page_00065.html 

現代科学でもようやく、分子レベルに至って、ストレスが病因であることを解明できるようになったわけである。というわけで、シュタイナーの講義を紹介します。

1922年12月27日
ドルナッハでの講義

なぜ病気になるのか――インフルエンザ、花粉症、精神障害

肉体に現れる症状とは、精神的な苦痛(ストレス)の最終的な結果である。肉体の一器官が病気に侵されても、人智学的な治療法では、精神から肉体全体にわたって、その器官の根本から治療する事を目的とする。

例えば、喉が渇いたり、空腹を感じたりするのは、肉体には現れないが、精神では、一種の軽い病気に罹っていて、飲んだり、食べたりして、精神を癒しているのである。

だから、一つ一つの飲食の行為が、実は、治療行為なのである。

(医食同源)

飲食だけでなく、絶えまない生命活動も考えなければならない。飲食がなくても、例えば5時間、その活動は止むことがない。

人智学では、この活動の本体を、「アストラル体」と呼んでいる。

アストラル体の活動は止むことがない。食物を分解し、生命活動を維持したとき、快楽に満たされ、幸福を感じるが、もし、食物を摂取できなければ、アストラル体は満足できず、空腹感を表出する。空腹感は精神を安定させることはなく、止むことのない霊魂の活動でもある。

(これが欲望の本体)

この精神の活動は、いわば食物と恋愛関係にあるといえる。だから、食物を受容できなければ、アストラル体は、捨てられた恋人のように、満たされぬ思いがする。この不満が空腹感の正体である。アストラル体の活動は、食物の分解で成り立つ。そして、肉体を創る上で必要なものは血液に運ばれ、不要な残りは糞尿を通して排出される。

ここで一例を挙げる。

前世の因縁から、生まれつき怠惰で、不活発な精神を持つ人が、長時間、座り込んでいたりすると、その怠惰な自我を、喜ばせる。ところが、肉体上で生命を維持するために、絶えず活動し、本来活発なアストラル体が、その怠惰な自我の影響を受けてしまい、怠惰になる。

すると、怠惰なアストラル体はもはや、食物を適切に分解し、適切な肉体の各器官に運搬しなくなる。

肉体の各器官の活動を維持するには、それぞれ各器官に応じて栄養となる物質が必要なので、間違って運ばれた不必要な栄養物が、糞尿として排泄されず、消費されずにその器官に留まる。

例えば、本来、喉頭に向かうべき栄養物が、別の器官にある場合がある。アストラル体が正常に働かないせいで、『喉頭の栄養物』は、他の器官に運ばれてしまうのである。

すると、喉頭に必要な栄養が来なくなり、喉頭の活動が弱まる。喉頭の機能が弱まり、苦しむようになる一方で。他の器官には、喉頭の栄養物が間違って持ち込まれ、その器官では不必要な物質が置き去りにされ、肉体内に拡がっていく。人体の90パーセントは、水(液体)なので、喉頭に必要な栄養物は、消費されずに、体内の全液体中に次第に溶けていく。

肉体に活発な活動をもたらすはずの、本来は純粋であるべき体液が、全体的に汚染される。この体液の汚染は、アストラル体の怠惰な活動のせいで、頻繁に起こる。ある特定の器官に必要な栄養物が、本来、純粋であるはずの体液に溶け、汚染してしまうのである。

(これが、エコノミー症候群などの、血栓誘発の病状である。地球の環境汚染もこの原理と同じである。)

喉頭の栄養物が、そこで消費されずに、他のいたるところの器官に残され、体液中に溶けていき、あるとき胃と何らかのつながりを持ったとする。胃は、また別の必要な栄養物を獲得しているので、その栄養物で、障害されないが、汚染された体液を分解し、それが他の至る器官を流れ、やがて、喉頭にも浸潤していく。

すると、既に弱っている喉頭が、栄養物とみなして、この汚染された体液を受け取ってしまう。喉頭の栄養物が溶けてはいるが、胃により分解され、変質してしまったため、喉頭は病気になる。喉頭への栄養物は、他の器官に直接影響を及ぼさないが、弱った喉頭の病因となるのである。

さて、次の真実は重要である。

他の人の話を聞くとき、実際は、ただ聞いているだけではない。

喉頭は、非常に微小な振動で、その話を模倣、再生している。

だから、インフルエンザなどの流感に罹った人に会い、話を聞くと、たとえ、その話の内容に同意していなくても、喉頭は、模倣し、再生しているので、その声の振動に共鳴し、感受性が高まっている。

もし、体内にインフルエンザウイルスなどに汚染された栄養物があるとき、例えば、玉ねぎとニンニクをつくるのに、土に添加する肥料と同じ[硫黄とリン]が、体液にも溶けている。やがて、その病人は、目にはみえない悪臭を放ち始めるようになる。

インフルエンザの悪臭のため、頭は鈍くなる。というのも、頭部の「感覚器」が必要とする栄養物が、正しく供給されなくなるからである。この悪臭は玉ねぎとかニンニクに似ていて、繊細な鼻の持主には探知できる。

金切り声やかすれ声の調子に合わせて喉頭が模倣するように、病人が放つ異臭に共鳴する結果、アストラル体や自我の活動が伝播し乱れていく。つまり、アストラル体の混乱した活動が、人体の化学的基盤を揺るがし、外部からインフルエンザなどを招き寄せ、罹患させる。

体内に玉ねぎやニンニクに相応しい土壌を作るようなものである。だから、病気は当初、ウイルスや細菌とは無関係で、人と人との関係に言及できる。

では、なぜ人が病気になるのか?

肉体のどこかが不調をきたすとき、まずは精神からはじまる。例えば、汚染された体液には、本来の器官で消化されるべき栄養物が間違って溶けこんでいる。精神の混乱が、この汚染した体液を通じて、肉体に害をなす。

では、インフルエンザから花粉症に目を転じる。

花粉症は、空気中の花粉というよりも、季節性のものである。花粉症に罹り易くなる最大の原因は、アストラル体の活動が適切でなく、不必要な物質の排出を行なっていないせいである。

春が近づくと、水中のあらゆるものが成長をはじめる、人体の体液も、共鳴し、また敏感になりはじめる。そういうとき、この体液、すなわち「水人間」=エーテル体に、自然由来の様々な物質が溶け込み易くなる。すると、体液が通常よりも、汚染され、その汚染物質が、体内全体に拡がるようになる。 

花粉症に罹り易い人の体液は、幾分汚染している。体液は、溶解する汚染物質により、純粋でなくなり、体内に拡がる。このように体液が乱されると、春に出現する物質全てに、共鳴しやすくなり、敏感に反応するようになる。特に、植物から放たれる花粉は格別刺激が強い。

だから花粉が花粉症を発生させるのではない。花粉は花粉症を増強し、悪化させるのである。

そこで、人智学の洞察から得られた花粉症薬を考えてみる。

拡がった体液から、汚染物質を再び集め、元に戻し、その最初に溶け込んだ不適切な物質を、外へと排出させるには、その汚染物質(液体)を回収し1つの物質(固体)となる、相反した親和性をもつ物質を、薬として体液に注射した後で、発汗を促すような活動をするとよいだろう。

ここから興味深い事実が明らかになる。

発汗作用は、堕落したアストラル体の活発化の調整に役立つのである。

もし寝汗をかき、また夜尿症に悩むなら、それは明らかにアストラル体の怠惰な活動の問題を指し示している。子供の場合、細心の注意を払う必要があるが、小児病の患者の生い立ちなどを調べれば、このようなアストラル体の問題の正当性とは言わないまでも、少なくとも、正しく治療法を導き出せるだろう。

しかし、早急に、花粉症薬を投与すべきではなく、患者が便秘かどうかを、確認すべきである。便秘では、体液が更に濃縮されてしまい、益々外へ出づらくなるからである。「便秘の人は花粉症薬の注射と一緒に、下剤薬も投与する必要がある。」

効果的な治療をするには、どの薬がどんな病気を治すのか、のみならず、細やかな問診が大切である。偉大なる医術は正しい問診を行うことと、患者の人生をよく知ることにある。この事は非常に重要である。

というのも、患者の年齢さえ聞かない医師をよくみかける。年齢を聞くことは重要である。同じ薬を用いるにしても、例えば五十歳と四十歳では、全く異なった投与の仕方で治療する必要がある。年齢を考慮せずに、単純に、「この薬は、この病気に効く」としてはいけない。

例えば、犬と猫という身近な例を挙げる。犬は便秘がちで、猫は下痢気味である。だから犬と猫に同じ薬を与えて、その作用の違いを観察するとよい。

人間は『固体』だけの存在でなく、『液体』でもあり、更に、…『気体』でもある。『気体』は一瞬ごとにその形を変える。次の瞬間には気体は固体外にあり、次の瞬間には固体内にある。

不要な固体の物質が、体液に溶け込むように、「体液も、絶えず蒸発している。」

土壌の水が蒸発すると、大気中へと立ち上るが、体液中でも、微量ずつ蒸発し、吸い込んだ空気(大気)の中に侵入する。

その場合、特に、肺の不調には注意すべきである。というのも、体液中の物質が、吸い込んだ空気を汚染した可能性があるからである。この場合、恐らく肺炎になるが、もし、吸い込んだ空気中の汚染物質を、体液中に回収し、沈殿できれば、肺炎は治るだろう。

肺炎が、もし、顕著に悪化していなくても、人体は敏感なので、少しばかり具合が悪くなる。このような軽い症状には耐えられるが、もし、肺に侵入した物質が、体液中に完全に溶解し、この汚染物質を、肺が適切に分離し、排出できずにいると、気化してしまう。

不適当な(汚染)物質が体液に溶け込むだけでなく、蒸発して、吸い込んだ酸素と混じり合うようになると、今度は、神経組織に害を及ぼす。神経は、純粋な酸素を必要とするのに、汚染された体液が蒸発し、汚染した酸素が入り込んでしまうからである。

肺で、このような蒸発が生じると、肉体的な疾患にならなくても、いわゆる精神病になってしまう。

つまり、いわゆる精神病とは、実際には、言葉通りの精神の病などではない。というのは、精神、もしくは霊は病気にならないからである。精神病は、汚染された体液が不適当に酸素の中で気化して、神経組織に紛れ込んで分配されることにある。

だから「体液中には、不適当な汚染が拡がらないよう、更には汚染された体液が不適当に蒸発しないように、絶えず物質を正しく管理、処理しなければならない。しかし、日常の生活でさえ、体液を不適当に蒸発させてしまう。喉が渇きすぎるのは、汚染した体液が蒸発した結果である。

以上のように興味深い人体の病因への特徴がみつかる。喉の渇きすぎは精神病になりやすい傾向を示し、空腹になりやすいのは、肉体の病気になりやすい傾向を示している。

だから、日常の飲食から、病因を探り出せる。

しかし、喉の渇きや、食欲をうまく癒せずに、その区別が困難な場合がある。特に乳児期である。乳児期には、飢えと渇きを明確に区別できない。両方とも母乳で満たされるからである。だから、もし母親や乳母の乳を通して有害なものが入ったなら、ずっと後になって、その汚染した体液が不当な蒸発をしたとき、いわゆる精神病を導く場合がある。

また次のような場合もある。

牛などの動物や病人のリンパ球のなかから、間違った選択をして接種すると、たとえ、汚染した体液が直接病因とならなくも、体液と関わる間接的な各器官が苦しめられることもある。不適切な接種の結果、気体が汚染し、純粋な酸素が、神経に行き渡らず、やがて何らかのいわゆる精神病に罹り易くなる。

今日非常に多くの人々が早発性痴呆症…に悩まされているということに、既に気付いている人もいるだろう。この病気は、若い時期に、いわゆる精神が崩壊し始めるのだが、その大部分は乳幼児期に間違った食事の類に起源している。

母乳を化学的に調査するだけでは十分ではない。全く異なる側面を吟味すべきである。現代になって人々は食事に関心を払うのを止めてしまったので、この病気が恐ろしい勢いで発生している。

以上、この病気には、この薬がよいと知るように医者を訓練するだけでは十分でないと、気付くだろう。生命の活動を健全にするように努めなければならない。そのためにはまず、健全な生命活動に関連する全てを発見しなければならない。

人智学は、この理解を与えることができる。人智学は、衛生分野でも有効であることを目的としている。人智学は健康の諸問題を正しく把握することを望んでいる。






Last updated  2021年01月16日 23時24分15秒
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2021年01月09日
カテゴリ:神秘体験空間
忙中少し時間ができたので、媚っと騒動のなかで、人類全体がどのような運命に向かっているのか、考えてみるために、シュタイナーの「地球年代記」を読んでみた。

 目から鱗が落ちる。

 知とは何か? 

 ソクラテスの説いた無知の知を、現代人は真に理解していないことがわかる。

 現代人の知とは、主に視覚域を元にした物質的同定法を、脳で解析処理したものである。

 つまり、視覚域上で似たものを同一視し結びつけ、言語などの記号に置き換え、数学的に演繹および帰納し、発展させた認識力である。

 シュタイナーは、この知性を悟性=外見知と呼び、本質を知る霊知と区別している。

 いわゆる現代人は物質知で満足している、のである。

 対照的に、古代人の知は、精神的に一致をみる、いわゆる霊知で、現代人の物質知では到達できない認識力を意味している。テレパシーというのも、物質的な距離を不問にした認識力の1つである。

 例えば、現代人の認識力では、万物は素粒子よりつくられる、というのが限界で、それはハイゼンベルグの不確定性関係で数式化されているが、これは視覚を元にした脳の解析処理の限界をも示しているわけである。
 
 現代人は、古代人からみれば、皮相的な思考の持ち主といわねばならないだろう。

 現代人は、みすぼらしい外見から、愚かであると判断しがちで、古代人からすれば、粗くて、近視眼的な思考にみえるだろう。

 さて、古代人の思考、つまり霊知を、シュタイナーは、3つの段階で解説している。イマジネーション、インスピレーション、インティションと名付けているが、それぞれ、肉体の可視域を超える認識力、可聴域を超える認識力、非物質性のエネルギー認識力を意味している。

 これらの霊知の思考を、イメージ思考と呼んで、現代人の物質知、つまり悟性による認識力と区別している。

 イメージ思考を簡単に説明するのは困難だが、物質の構造や、万物の設計図が浮かびあがり、展開していくような動画のような思考といえる。脳のなかに、光がやってきて、閃くような感じといえる。

 脳はスパークし、記録する。熱や火、エネルギーが思考の実体である。だから古代人は、雷は自然が思考していると言った。

 現代人の母国語に置き換えて、概念を論理的に積み上げていき、静止画を抜き出していくようなのとは、対照的である。この現代人の思考は、安定性の基盤の上に可能なのである。

 周囲に固体があるからこそ、論理的な思考が現代人に可能となったわけで、固体に筆記し、記録し、残すことを可能にしているが、比較的に安定的な固体、物質がなくなってしまうと、何一つ残すことはできないのである。

 現代人の大きな間違いは、脳が思考していると錯覚している点にあるという。脳は、思考の結果を映しとっているだけで、思考の残骸であるらしい。それは脳と腸の形態が似ていることからもわかるだろう。腸は物質から栄養分を抜き取って、残骸を排出する。

 つまり、物質というのは、霊の残骸にすぎない、というわけである。現代的思考でいうなら、霊とは、熱やエネルギーというべきだろう。単純にいえば生命の原型である。物質の形態から、熱やエネルギーの認識はできない。少なくとも、物質が生じる前の非物質的段階に言及できなければ無理だからである。

 だから、ソクラテスは、無知の知を説いたわけである。現代的思考では、未来を予見することは不可能なのである。物質というものが、霊、つまり生命の運動の結果生まれたものだから、死体から死因はわかっても、その生命の活動目的がわからないのと同じである。

 人類がどこに向かっているのか、地球の運命を知るべきだろう。

 地球の生命を感じ、意志に共鳴しなければならない。

 映画「天気の子」をみて、地球が再び、死の固体から液体の生命になっていく姿が予見された。






Last updated  2021年01月09日 22時56分38秒
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2020年08月29日
カテゴリ:神秘体験空間
毎度コメントを書き込んでくれる、もうりさんの天罰に触発されて、久々に書き込みます。

オカルトでは、天罰は明らかになっています。それは輪廻転生の事です。

簡単にいえば、自分が嫌った、差別した、見下した相手になって生まれてくる、というものです。

輪廻転生の原理とは、簡単に説明すると、自分が今生で、誰かを殴ったら、殴った相手に対して何らかの罪滅ぼし、もしくは代償行為を、今生で行わないと、殴られた者の痛みを理解するために、来世に、殴られた相手となって生まれてくる、というわけなのです。

つまり、自分がした行為を、自分以外の存在となって体験し、自分の行為を客観的、公正な視点で、評価することで、精神性を高めるためなのです。

要するに上も下もなく、神という大きな精神の存在の一分枝が、我々なのです。キリストは、このことを神の子と表現しましたが、我々は、神の一分枝なのです。

つまり、神という全体からみて、精神的な利益に叶わない行為、例えば、苦痛を与える行為は、その行為をなした者に返ってくるように、配慮されているわけで、そのように悪には悪を、善には善の、天秤のバランスを図ることが、神の行為で、天罰というわけなのです。

苦痛を与える行為をなした人は、自分が苦痛を受けるわけで、多くの病気は、苦痛を与える行為から発しています。他者を苦しめるのを喜びとする人は、将来、自らが多くの苦痛を受けるでしょう。

だから、キリストは、一方の頬を叩かれたら、他方の頬を差し出しなさい、と言ったわけです。自分が悪い行為を働いたとわかったら、悔い改めなさい、という意味です。簡単にいえば、相手の立場を考えて、行動しなさいという意味です。

つまり、この世に上も下もないのです。見かけ上、精神的に進化している上位の存在はいますが、その上が、最底辺となって支えているので、上にいけばいくほど、底辺を慮るように、下になってくるわけで、これが知者になればなるほど、謙虚になってくるという意味なのです。

より大きな存在が、よりミクロの小さな存在を支えているのです。これは大きな宇宙的存在、銀河が、より小さな、ミクロの原子や、電子、素粒子をつくっていることで明らかなのです。

三次元の物質界の外、奥には四次元の世界があり、そこでは、上には下を、左には右をつなげる、要するに均衡を図る働きがあるのです。

素粒子というのは、空間の渦のような存在なのです。四次元の孔です。物理学者ディラックは、負のエネルギーの海と表現しましたが、生命体が、DNA遺伝子に書き込まれているように、素粒子には、銀河が書き込まれているのです。

神という全体的精神、バランスを司る精神を信仰することで、自我が、自分という確固たる独立した存在が生じるのです。

我々は、物質志向が強くなりすぎて、物質しかみえていないけど、古代人や、将来また、物質領域の外や奥にある世界がみえてくるでしょう。そして、自分の前世がみえてくるでしょう。

自分という存在は、自分以外にしてきた行為が、自分に返ってくることで、存在するからです。自分という存在を与えているのは、全体的精神の神です。

お前はこれまで、これだけ他人に与えてきたから、いまのお前があるのだよ、と。

だから、神とは、お前を、お前にしている、お前の行為の事ともいえるでしょう。

だから、神が、モーセに語った、「我は、お前を、お前にしている、存在である」を、聖書では、神というわけなのです。

「エヘイエ アシェル エヘイエ」とは、我は、人間の自我を、自我足らしめてる神の存在である、という意味なのです。

つまり、人間の自我は、神(天罰)への信仰からなり、これをオカルトでは、霊と呼ぶが、他にエーテル体、つまり魂は、神への愛よりなり、肉体は、神への、つまり精神的な向上、未来への希望よりなる、といわれています。

だから、人間は、神への信仰、愛、希望により存在するわけです。

神とは、人類の輪廻転生を司る裁判官みたいな存在です。

だから仏教では、輪廻転生を、法とも呼ぶわけです。

天の配剤が、天罰なのです。

だから、全体を考えて行動するように、精神を向上させることが人類の課題です。自分の事だけしか考えられない人は、自分の事すらできなくなっていき、不安定な存在になっていくのです。

今生で、自分が他者にした行為が、来世の自分という存在をつくるわけなのです。

今生で差別し、軽視した存在になって、来世で生まれてくるわけなのです。

逆に言えば、今のお前は、前世で、軽視し、差別した人物なのだ!






Last updated  2020年08月29日 16時20分41秒
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2020年07月14日
カテゴリ:神秘体験空間
忙中久しぶりに書きたい。前回は尻切れトンボで終わってしまったが、とりあえずそのままにしておく。

とどのつまり、約1万年前の古代アトランティス時代に比べれば、現代の人種などほとんど同じということである。ほとんど同じ人々をみて差別するのは、それだけ人間の精神性が退化、つまり心をみれなくなったと、いうことである。

心眼を失って、物質眼でしかみれなくなった、というわけで、表面しかみえず、中身がみえないということなのである。それだけ人間は馬鹿になった、ということでもある。

さて、なんで久しぶりに書くかというと、現代の問題の答えが、バガヴァットギーターにあることがわかったからである。

媚びっとは人類にソーシャルディスタンスをもたらした!

要するに新しい人間関係である。

人間というのはなんであるかといえば、キリスト様がおっしゃったように、神の子なのであるから、神は死なないし、その子である人間も死なない、のである。

ただ肉体を失うにすぎない。

この肉体というのを実際に理解できるものはほとんどいないし、魂については現代の宗教修行者でも理解できていない。

理解しようとするのがそもそもの間違いといえる。自分の他者への振る舞いを自分で経験できないのと同じである。他者になってみて、経験しないとわからない。自分とは違う存在になってみてはじめてわかる。

簡単にいえば、肉体と魂を理解するには、死なないといけない。しかし、死ぬといっても、死をどうとらえるかで、死は異なるのである。

それはオカルト的にいえば、人間の自我が一人一人で異なるからである。普遍的自我になっていないからである。有体にいえば、あらゆる死に方を経験しないといけない。色んな主人公になって死を迎える必要がある。

そのような人間の普遍的な、死を理解するには、御釈迦様が、蛇の脱皮で、魂の進化を捉えたように、知性を脱皮させないといけない。そういうことが、ギーターには書かれているようである。

私という存在を失って、また新しい私をつくらないといけないわけである。

昨日の私と今日の私、更には明日の私をつなげているのが、私という存在で、それは、宇宙全体の私のなかの1つなのである。だから、私が私を乗り越え、理解するには、私という知性を脱皮させないといけない。

知性の脱皮というと、ちょっと難しくてわからないだろうから、簡単にいうなら、人間がコンピュータでネットワークをつくったように、人間は、神のネットワークということなのである。この物質世界が、神のネットワークで、人間はそのネットワークにいるときしか意識できずに、その表面しかみえないのである。

つまり、人間の死は、ネットワークの(私という)アカウントを失うようなものである。

アカウントを失うのは、失いかたによるだろう。アカウント自体に個性があると思い込んでいるが、それは周囲の関係から、そのようにみえるだけである。

このように、コンピュータを考えることで、人間自身を考えることができるので、コンピュータは人間自身を理解させるために、神が与えたものだと私(筆者)は思っている。

確かに、媚っとは、人間に感染して死をもたらすが、同時に、新しい人間関係を、物質的関係ではない、精神的関係を脱構築、創造せよと、精神的進化を人類に求めている。

精神的進化を遂げて、再び、人間の死を超えた、見霊意識を、心眼を獲得せよと、警告しているのである。

物質的な濃厚接触に対して媚っとは感染する。それは地獄に堕ちるという警告なのである。ルックスを似せても、それは自分の人生ではなく、誰かの人生のモノマネではないのか?

それは自分で創り出したものなのだろうか?

自分で創り出したものでなければ、私という存在にはならない。

ルックスなど、物質的な安定など、束の間の出来事でしかない。それは永遠に続くものではないのである。少なくとも、天国の扉を開くものではないのである。

とりあえず、バガヴァットギーターを読みなさい。






Last updated  2020年07月14日 22時16分55秒
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2020年06月29日
カテゴリ:神秘体験空間
一か月ほどお休みしていたブログをまた少しはじめ書き出してみて、媚っとの御利益は、もしや人種差別を無くすことかも、と思われてきた。

 そこで、前回少し紹介したオカルト的な人種というものの成り立ちを、また再掲、今度はわかりやすく紹介したいと思う。

 その話は、今や遥か昔の約1万年前の話なんで、当時のアトランティス時代からすれば、現代の、いわゆるポストアトランティス時代の人種の違いなど、全くもって、誤差範囲の違い、ほとんど同じようなものでしかないのだが、そこで、人種という言葉を使うよりも、民族や文化と言った方がよいのかもしれない。

 でははじめる。

 地球紀の進化-民族について

 前回は、地球紀の、アトランティス時代までをまとめた。

 人間という自我をもった存在は、物質的に、レムリア時代の中期に、比較的火山活動の少ない大陸で発生し、道徳心をもった人間のみが、火山活動を鎮められ、もたない人間は、その破壊意識のために、レムリア大陸の火山活動を盛んにし、自ら滅んでいった。

 (この火山活動を鎮める行為が、後の山岳信仰につながる)

 そして、道徳心を受け継いだ人類のみが、アトランティス時代に、記憶力を発達させ、記憶に伴う道徳感情を高め、対照的に、破壊衝動をもつ人類は、大洪水(大破局)により滅んだので、道徳感情が、その記憶から思考力の素になったので、現代のポストアトランティス時代は、思考力の発展段階にある。

 地球紀の、この進化、つまりレムリア-アトランティス-ポストアトランティス時代の進化は、地球紀の前の、土星紀の意志、太陽紀の感情、月紀の思考といった、人間の魂に与えられた能力の進化の、繰り返しでもある。

 土星紀に、人間は、熱からなる肉体の原基を与えられ、魂で、それを開発するための能力である、意志力の萌芽を与えられ、太陽紀に、人間は、気体からなるエーテル体の原基を与えられ、魂で、それを開発するための能力である、感情力の萌芽を与えられ、月紀に、人間は、液体からなるアストラル体の原基を与えられ、魂で、それを開発するための能力である、思考力の萌芽を与えられた。

 そして、地球紀の人間の課題は、これら意志と感情と思考を、統合し調和させるための、愛を開発することである。神秘学では、これらを正三角形で表し、その中心に、自我を置いて、いわば、意志、感情、思考からなる3辺の正三角形と、その中心点の自我で、その統合と調和の愛の象徴として表している。

 現代の課題は、民族や人種を超えることである。人種や民族は、アトランティス時代の、形骸化した負の遺産である。

 本来、人種は、神々の想定外のものであったという。正統に進化した7柱の神々である形態霊の当初の目的が想定通りに進めば、人類はただ1つの善き人類のみだったという。

 しかし、形態霊の上位の運動霊が、宇宙の正統な進化に反するように命令され、運動霊のうちの一部が、形態霊の進化段階に降下し、その運動霊は、形態霊として、5つの惑星、水星、金星、火星、木星、土星に降下したために、太陽にいた7柱の正統に進化した形態霊のうちの1柱が、その5つの進化からとどまった形態霊たちと、均衡を保つために、太陽から、月に下降した。

 その月に降下した1柱の形態霊が、ヤハウエ(エホバ)神になったという。そして、太陽にいる6柱の神々が、エロヒム神になったという。

 太陽神エロヒムは、多神信仰の原点であり、月神ヤハウエ(エホバ)は、一神信仰の原点であるという。どちらが正しくてどちらが間違っているのではなく、多神と一神があって、はじめて、その両方が成立している。ただただ秩序と混沌、そして調和と均衡として、存在がある。

 アトランティス期に、民族は、上記の5つの進化から逸脱した形態霊と、正統に進化した形態霊のエロヒム神とヤハウエ神の調和、共同作業により生まれたという。

 人間は、早急な進化を担う早熟性の太陽のエロヒム神と、遅延な進化を担う硬化性の月のヤハウエ神の共同作業により、地球上で適度な進化を与えられる存在となり、生じた。だから、人間の魂は、何度となく輪廻転生をしながら進化し、やがて、徐々に神々の能力を獲得していく機会が、地球上で与えられている。

 更に、人種は、これら正統なエロヒム神とヤハウエ神と、進化から遅れた5つの形態霊との、いわば共同作業による均衡存在として、地球上に、水星人(エチオピア人種)、金星人(マレー人種)、火星人(モンゴル人種、セム民族)、木星人(アーリア民族、中近東民族、ヨーロッパ民族、カフカス人、ギリシア人)、土星人(インディアン)の5つの人種の素が、アトランティス時代に、誕生した。

 現在のポストアトランティス時代では、それらの名残りでしかなく、もはや、民族は、当時の人種というべき違いももたない、もはや、非常に似通ったほとんど1つの人種であり、代わりに、民族というよりも、文化の方が、その違いの指標とすべきだろう。

 アトランティス時代では、人種を語るのも意味があったが、ポストアトランティス時代の、現在では、文化を語る方が、よほど魂の進化の指標となる。

 これが、我々の時代に、7つの文化を、黙示録が、7つの手紙として語る意味なのでもある。

 文字を殺し、霊を生かせ

 我々の文化を殺し、文化を体験した霊(友愛)を生かせ。






Last updated  2020年07月31日 17時20分23秒
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カテゴリ:神秘体験空間
すいません。ブログを書いてる暇がなかったので、一か月以上の放置状態で御心配かけているようなので、久しぶりに書きます。

というのも、あまり良いネタが思い浮かばなかったのと、媚びっと問題のマンネリ感から、書くのが物凄く億劫になってしまったからでもある。

というわけで、御心配かけないように書き込みます。

先日、犬HKスぺシャルで、中世の世界の宗教戦争と、日本の戦国時代の関係を解き明かす、みたいなものをやっていたが、非常に面白かったのだが、このブログで紹介している八切史観よりは、まだまだ感が残ったが、ようやく従来の明治政府が作り上げた虚像から脱してきた、という希望もみえた。

歴史というのは一言でいえば、人間が差別をつくり、人間がそれを壊す物語といえる。

人間は本来、魂の上では平等なのであるが、地上においては、一個の肉体をつくるという上で、多様性が生まれ、その外見から、差別を行ってしまうのが、性というか、執着心のなせる業といえる。

無限の魂が、有限の地上に降下するのは、多様性を学ぶためである。

多様性が無限の核なのである。

無限の多様性を学ぶために、あえて障壁や障害を設定する。それが人間が地に生まれる理由でもある。

筋肉を鍛えるには、重いモノを持たなければならない。障壁や障害が必要なのである。

個という障壁や障害が必要なのである。

人間の精神がいかに強靭かは、過酷な人生を経験してみないとわからない。

過酷な環境こそ、かえって精神を磨く鑢となる。

媚びっとがもたらしたホームステイの意味は、個や家庭を確立することであろう。

一から出直せ、元に戻れ、という意味かもしれない。

個と全体の融合が歴史の役割である。

人間の個がどのように結びつくのか、これまでの人間は上下関係を元にしていた。

それゆえに、宗教的な上下関係を必要とした。

人間は、地上に生きるという制限から、上下関係をつくってしまう。限られた物的な所有権をつくってしまう。狭い世界での椅子取りゲームみたいなものが、人類の歴史である。

しかし、差別をつくっては壊し、繰り返すことで、学ぶことがある。

人間は一人では生きられない。

だから、人間は差別を超えた新しい個と全体の関係を構築していく必要がある。

媚びっとは人間に物的な濃厚接触を禁じたウイルスであるが、ポジティヴにとらえれば、物的な外見的関係を超えた新しい精神的な内面的関係の構築を求めた外来的障壁や障害種ともいえる。

物的な外見的な関係をやめて、内面的な家族的な精神的関係を構築していくことを、従来の差別観を乗り越える、精神的な家族愛的な関係を求める、新しい関係を人間に課題として与えにきた使者ともいえる。

おりしも、媚っとにより、米国では再び人種問題が闘争へと発展している。

米国の人種問題は枕詞のように建国以来、根底にある問題である。いっそのこと、米国人は、ある意味、視覚を失えばよいのではないか、と思う。それだけ外見に囚われている証なのである。

多様性を差別化に結びつけない視覚、多様性を尊重できる視覚が、米国人には必要だろう。

それはやはり、精神的な視覚でなければ無理だろう。

それはオカルトでは、精神の眼、仏教でいうところの、心眼のことなのである。

いま人類は、心眼を開発できるような環境を構築する必要がある。

オカルトでは、人種の違いは、脳の構築の差異とわかっている。大雑把にいえば、白人種は後頭葉、黒人種は前頭葉、黄色人種はその中間の脳が、他よりも発達している、とわかっている。だから、白人は視覚野に優れ、黒人は運動能力に優れ、黄色人種は聴覚野に優れているともいえる。

この話は以前、何度もこのブログで紹介しているが、以下に簡単にまとめる。

地球のアトランティス時代に、太陽系の星位の関係から、地上の人類に5大種が生じた。

水星人(エチオピア人種)
金星人(マレー人種)
火星人(モンゴル人種、セム民族)
木星人(アーリア民族、中近東民族、ヨーロッパ民族、カフカス人、ギリシア人)
土星人(インディアン)

水星は、その水銀の力で、人体の主に腺組織に介入し、促進させるので、肉体の肌を黒くし、毛を縮れたものにする。

アフリカからアジアにいくと、金星の力が強まり、腺よりも、主に神経組織に作用するが、直接ではなく、間接的に、呼吸を通じて、神経に作用し、黄色人種のマレー人種を生んだ。

アジアの広大なモンゴル平原にいくと、火星の力が強くなるため、火星は血液へ作用し、血液のなかに対抗心、闘争心を生み。モンゴル人種を生じさせた。

このモンゴル人とは対照的に、対抗心ではなく、いわば和解心を生じたのがセム民族で、だから、セム民族は、血縁関係から、アブラハムを通して、ヤハウエ神へとのつながりを求める民族である。

モンゴル人種とセム民族は、対極をなす。

そしてアジアからヨーロッパへいくと、木星の力が強くなる。木星の力は、感覚器を通して神経に作用する。

金星の力は、対照的に、呼吸から太陽神経叢に達し、神経に作用したが、木星の力は、感覚器を通して、脳や脊髄に集中している神経に流れ込む。

アーリア民族、中近東民族、ヨーロッパ民族、カフカス人等、例えば、ギリシア人は、木星(ユピテル)-ゼウスの影響下にあることを自覚していた。

以上が以前述べた人種の違いである。

人間は一人では生きられないのだから、お互いの優れた能力を生かして、互いに助け合わないといけない。それには差別をなくして、心眼を手に入れる段階にきている。






Last updated  2020年06月29日 18時18分16秒
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2020年04月30日
カテゴリ:神秘体験空間
前回の続きを、つまりドーリルの秘教真義からの抜き書きを続けようと思ったのだが、昨日、大変興味深いTV番組を2つ見たので、そのことについて書きたい。

それは、「やりすぎ都市伝説」と「NHKスペシャル未解決事件JFK暗殺」である。

この2つの番組の内容は、現世界からは別物と捉えられるだろうが、それは現世界の思考形態に慣らされ、簡単にいうなら洗脳されているからである。

オカルトとは、この現世界、つまり物質的思考、俗にいう唯物論、三次元思考を脱する無限の思考を目指すことにある。

無限の思考とは何か、端的にいえば、ソクラテスが説いた無知の知である。有限の思考に囚われないことである。では有限の思考とは、何かといえば、先入観や思い込みである。

例えば、言葉なども、有限の思考の産物といえるだろう。例えば、日本人は日本語を使うことで、自分が日本人という感覚に慣らされる。例えば、外国人がとる自分に似た仕草や言葉使いなどの物珍しさから、「日本人よりも日本人らしい」と称賛したりするのもそれである。

それは外国人の仕草から日本人らしさだけを拾ってきて、みているだけにすぎないのである。では、日本人が日本人らしく振舞うのをみても、問題にしないのは、日本人は日本人らしく振舞うと思い込んだり、先入観をもつからである。

最近問題になっている緊急事態宣言についても、日本人は自粛だけで、しっかり守るだろうという思い込みが、パチンコ屋に行かせたり、ゴルフの打ちぱなしや、相変わらずの社畜の電車ラッシュ通勤に走らせるのである。

日本人という一括りでお上の言うことはしっかり守るというのは、時代劇の洗脳と言える何者でもないだろう。

逆に人間という共通の土台や、大小違うだけで、ほぼ同じ構造をもつ肉体については言及せずに、一部を取り出してきて、同じものと錯覚するわけである。

そして、日本人らしさは単なる思い込みなのに、それを他に強要したりするのは、人間関係を硬直化するものであり、自らの思考を狭めるだけなのである。

少し本題から逸れたので、元に戻す。

有限な思考とは、決めつけに近いもので、全体を見ようとせずに、自分が理解できるものしかみないことを意味する。だから、物質しかみれないから、物質が全てだと思い込んでしまう。

有限の思考に慣らされると、無限の全体像がみえないばかりか、その奴隷となってしまう。

有限の思考から脱するには、まず言葉で表せないこと、目に見えないことのなかに、真実が隠れていることを十分に理解しないといけない。

ドーリルもその書で、真実とは言葉に表せないものであると語っている。例えば、愛は言葉では表せないものである。

さてさて、前置きが長々と失礼したが、「やりすぎ都市伝説」に出てきた、意識をAIに記録し、肉体から脱するという都市伝説の世界が披露されていたが、この世界は、オカルトでいうところの、まさにアストラルの世界のことなのである。

簡単にいうなら、死後の世界のことなのである。

インターネットの世界は、まさにアストラルの世界と似ているばかりか、そのものといってよいだろう。アストラル界は、あるイメージを思い浮かべると、瞬時にそこに到達する。イメージが場所だったら、そこに行けるし、つまり天国を思い浮かべれば、自分の描いた天国に行くわけで、また逆の地獄を思い浮かべれば地獄に堕ちるのである。

だから、この世でそのイメージトレーニングをしているという風に考えることもできる。

唯物論にハマると、唯物的世界の虜になるわけで、要するに、自分がどう思うかでそのように決まるのである。だから有限の思考だと、常に同じ世界にいることになる。退屈な世界になるわけである。まさに死の世界である。

自分で死の世界をつくり、死の世界に甘んじるわけなのだ!

さて、もう一つの番組のJFK暗殺については、以前、ジョンコールマン著の三百人委員会という本から、現世界の黒魔術団を紹介した。

オカルトをやれば必ず最初に出てくるのが、この反キリストの黒魔術団のことである。この連中の歴史は長く、5月1日のメーデーと、10月31日のハロウィンに地上に影響を及ぼすことが、ドーリルの書からも明らかにされている。

簡単にいうと、この悪魔連中は、元々は太陽系の第10番惑星の住人だったのだが、火星と、木星の間にあった星に移住し、そこを破壊して小惑星群にしてしまい、地球に移住してきて、当時の地球人を支配奴隷化したという。

火星人襲来のイメージもここに源流があるようだ!

このままでは地球人が危ないということで、アンタレス星からやってきた白色霊団が、悪魔連中を地球の地中深くに閉じ込め、青色人種を看守として、見守らせているという。そこから青色人種、つまりブルーマン、いわゆるブルーブラッドなどが、その名残りから、騎士団などとして生まれたようである。

あまりにも驚愕でトンデモな話だろうが、300人委員会の悪魔連中がやる偽装をみれば理解できるようになるだろう。

元MI6のジョンコールマンによれば、JFK暗殺は、地球を支配する300人委員会の命令で、それはケネディが、連中の言うことを聞かずに、連中の支配から、米国を独立させよう、としたからだというのである。

ケネディのなかには共和制の理想があったのかもしれない。しかしそのような理想は、現実の悪魔が支配する王政や独裁者とは相容れないものである。連中は身分制度を必要とするからである。

そのために、お馬鹿な奴でも、家柄や金持ちであれば、支配層になれるというわけなのだが、この世は仮装で、幻の世界なのだから、無限の世界からすれば、その少数の有限の、なんでも1%に足らない有限の振動数の世界でしかないのである。

つまり、媚っとの感染で、家に閉じ込められている人々と同じ、ということなのである。そこでは、何が現実で、何が幻なのか、自らの思考能力で判断しないといけない。

しかし、実は真実とは、外の物質界ではなく、内の精神界に隠されていることに気づくだろう。悪魔は有限な思考力で支配しようとするが、人間は無限な思考力を本来もっているのである。ただそれを眠らせているにすぎない。

悪魔自体、階層世界に生きている。マイナス思考はマイナス思考の奴隷となる。創造はできず、破壊しかできないからで、悪魔は悪魔の奴隷なのである。それも1%のなかの世界でのヒエラルキーなのである。だから行き詰まってしまい、悪は滅びる。有限の思考は忽ち思考停止に陥る。

人間は皆、睡眠の最中に、無限の世界に旅しているのである。夢として現れるのは、それが現実の有限の思考では解釈できないもので、せいぜい夢でしか表現し得ないからである。しかし、人間の潜在意識のなかには、無限の世界が残っているはずなのである。

無限の思考力を持たない限りは、その世界にアクセスできない。それはその世界を解釈する理解力がないからである。

本当の師に遭うためには、師に巡り会うための努力、能力が必要なのである。誘惑に負けてしまうと、偽物の悪の師、アレスタークロウリーのような化け物にとりつかれてしまうのである。

媚びっとはクロウリーのような化け物に似ている。キリストが言ったように悪には抗していけない。悪を吸収してはならない。自分は悪ではないと自負し、関係をもたないことである。誘惑に負けない心をつくることである。なぜなら善はバランス、安定だからである。

最後に独居生活を楽しむためのサイトを以下に紹介する。

                  ★      ★      ★

宇宙の本質を語る「オレンジャー」からのメッセージ
https://ameblo.jp/oranger13/entry-12338719022.html

おれはオレンジャー!

すでに
数日前から
メディアなどで
紹介されているが

新型ウイルスによって
人間の活動量が大きく
低下したことによって

これまでどんなに
ディスカッションを
重ねても実現しなかった
現象が現実化している

中国における
20年2月10日から25日までの
二酸化窒素(NO2)の排出量は
1月20日に比べて
大幅に減少した

中国だけではなく
世界中でこうした
現象が生まれている

新型ウイルスは
人間にとっては
脅威かもしれないが

地球の生態系や
温暖化の危機にとっては
福音となっている

高い効率や利便性
行き過ぎた豊かさを
追求するあまり
それらを手放すことが
できなくなっていた

ある意味で
今回強制力を持って
本来のあるべき姿を
見せさせられている

人類の存在が
地球にとって
善なのか悪なのか

それが今問われている

人類の存在が
地球の癌とならないよう
この気づきを大切にして
新しい人類の在り方を
きちんと模索すべき
ではないか

君たちは
この星で
どう生きるのか

今一度自問してほしい

今日はこんなところだ

じや!

        ★     ★     ★

揺らぎない安定な存在をつくるには、自分の魂を読むことである。






Last updated  2020年05月09日 16時43分10秒
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2020年04月24日
カテゴリ:神秘体験空間
今回は続けて書く。

新型コロナ媚びっとばかり考えているとどうも気が滅入ってくるので、もっと広い意味、つまりオカルトからウイルス感染を考えてみる。

今回の媚っとは、人類に、個人の行為が、人類全体に影響をもたらすことを、感染という形で、わからせてくれたという肯定的な面を示してくれた。

つまり、感染という悪魔的な現象にも、やはり法則があり、その法則とは、オカルトでいう因果法則であることがわかる。

人間は、因果法則を学ぶために、この物質世界にやってきたというのが、オカルトの人生の意味でもある。

自分の行為が、人類全体にどのように影響するのか、主客を転換して、自分の行為を学ぶのである。簡単に解説すると、例えば、自分が誰かを殴るとする、殴られた人にどんな影響を与えるのか、次にその影響を知るために、殴られる人として転生し、生まれてくるのである。

つまり今生は、前世の自分がした行為の検証でもある。オカルトではそのことが輪廻転生の法則として、既に判明している。

本来の「気を使う」という意味は、この因果法則を理解する、という意味なのでもある。相手の立場を考えるのは、自分の行為が、相手にどう影響するか、を考えることでもある。

「空気を読む」というのも、自分の発言や行為が、全体にどう影響するか、というのを考えることなのでもある。

つまり、自分の行為が、周囲の相手に、人類全体にどう影響するのか、を推測しながら、行動するのが、そのまま、因果法則をみつけることなのである。

科学的にいえば、実験者が、自己を実験の対象者として、実験し、検証することになる。

そこで、神智学者ドーリルの著書「秘教真義」から、因果法則、つまり原因と結果の章を抜き書きして以下に要約する。

 ★    ★    ★

原因と結果

存在するものはすべて因果の法則の基に表出している。多くの人は、因果則とカルマ、即ち宿命とを混同しているが、全く違う。宿命とは、予め苦しむように決められた運命で、個人の努力によって変えられないが、因果則は、全く違い、適当な適応行動により、過去に創った原因からの結果全てを中和して改められる。

過去に積み重ねた原因の報いによって、苦しめられるというものでもない。また神なる法則は、個人に自由意志を与えているから、直面した過去の原因の結果に対して、考えられる多くの対処法の1つを自由に選べるのである。

過去に積み重ねた原因の結果に対する現実の対処法がまた、未来への新しい原因となり、それ相当の結果をもたらすのである。

毎日毎日、我々は因果則の因を形成している。その果は、今世か、来世でもたらされる。だから、我々は来世で生まれるべき肉体と生活環境の種類を、今世においてつくりだし、決めていることになる。

因果則は、自分の運命の唯一の決定者が自分である、という神聖な法則なのである。それはその人の人生において起こる全てのことの責任は自分にあるという法則でもある。人間は自分の行為によって自分を罰するか、報いているのである。

己が蒔いた種は己が刈り取らねばならないというのが、不変の法則である。

こんなわけなので、自分の過去の行為の結果として、実際に直面したことに対して、多くの人々がとる、神への恨みや悪魔への憎しみの態度は改めるべきである。

 ★    ★    ★

神と悪魔は、人が過去にした行為の結果を、人にもたらしている仲介者にすぎない。重要なのは、過去にした自分の行為を理解し、改善することなのである。

余裕があれば、次回に続く。






Last updated  2020年04月24日 23時45分52秒
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2020年03月26日
カテゴリ:神秘体験空間
巷のコロナ感染騒動とは別に、やはりオカルトの話をしようと思う。というのも、結局は、オカルトでなければ、何もわからないからで、特に哲学的答えは導き出せないからである。

現代科学では、霊魂の存在を否定しているので、オカルトをマヤカシやトンデモと捉えて無視しているが、それでは、生と死の意味も捉えることができない。

生と死とは、霊魂が肉体に入るかどうかで、霊魂の存在に生も死もない。

だから霊魂は絶対的な存在なのである。

生と死は、霊魂の絶対的な存在の上に、肉体として表に出るか、肉体とは関係なく、裏で活動するかの違いでしかない。つまり、生は肉体の上で活動することで、死は肉体とは無関係に活動することで、霊魂の活動の違いなのである。

ではどういうことかというと、霊魂は肉体上で活動すると、固有の存在を獲得するのである。固有の状態ではじめて、霊魂は自分を自覚できるのである。

1つが2つに分かれることで、互いを1つと認識できる。簡単にいえば、鏡がなければ、自分の顔が見えない。

つまり、霊魂は肉体を鏡として映しはじめて、自分を確立できるのである。

霊魂を成長させるには、霊魂の鏡が必要だから、霊魂は肉体を必要とするわけで、それはすなわち、神が悪魔をつくったわけでもある。

神が良いのは悪魔をみて、良いのであり、悪魔がいなければ、良いものも良いとわからないわけである。神は常に良くなければならないから、悪魔が必要なのである。つまり、神は悪魔を創り出しつつ、悪魔を乗り越えて良くなろうとしている。

とどのつまり、悪魔は必要悪なのである。

とにもかくにも、常に悪を乗り越えて、改善していく、向上していく働きが、霊魂の活動なのである。

だから、霊魂は、肉体を必要とし、そして肉体を克服していかなくてはならない。だから、輪廻転生しないと、霊魂は成長していかなくなる。

例えば、筋肉は、重いものを持ち上げることで、成長する。成長とは、障害を克服することだからである。

さて、いま巷には、ノストラダムスの予言や、ヨハネの黙示録のような、地獄が到来しつつある。

それらの預言詩に書かれている真意とは、恐れるな、魂は不死なので、その不死性を確認するための儀式と考えよ、ということである。

魂は肉体に宿ることで、自らを知るのである。

死で失うことはなく、むしろ生の経験が克明に魂に刻まれるのである。

というわけで、神智学者ドーリルの療法の真義のなかから、ヨガ呼吸法を紹介したい。

巷に溢れるヨガといわれるものはほとんどが偽物である。本当のヨガとは、魂が、肉体を自由自在に制御するのを目的とする。

例えば、ボディビルダーは人体のあらゆる筋肉を増強するが、とくに現代では鍛えた筋肉の外見に拘り、見た目しか重視しないが、本当のビルダーとは、魂の意のままに筋肉を制御することなのである。

オカルトでいうところのビルダーとは、人体の各部を自由自在に操ることを言うのであって、心筋も自在に操れるので、脈拍も、呼吸も操れるから、常に人体を新しくさせるので、老いないので、死なないのである。といっても物質的な限度はあるが、この限界までの人体操作を可能にした存在が、仏教でいうところの生き仏なのである。

この生き仏となると、松果腺の額のところの白毫が、オカルトでいう第3の眼が開眼するのである。人体のあらゆる部位を自在に操れるので、松果腺を自在に操り、全能となるので、光る。

仏像は端的にいうと、古代の理想のボディビルダーを表すものなのである。

では、ヨガ呼吸法を紹介する。

ヨガ呼吸法

もし我々が、いま、この世に存在するために、肉体を十分に制御できないと、同時に神経の機能も十分に活動させることができない。

神経の経路に沿って、様々な部位にエネルギーを送る必要があるので、その流れがスムーズでないと、肉体は老化し、死に始めると、(古代の)ヨガは説いている。

肉体が老化しはじめると、それは肉体の死がはじまることで、絶対に避けることはできない。だから、1つの肉体で、無限に生きられるわけではない。

(古代の)ヨガが説いているのは、もし、健康に留意し、肉体の力を生かし切れば、60年経っても、肉体の上では、30歳の若さを保てる、ということなのである。

人類のなかには、悪しき洗脳のような、伝統的な集団意識があり、それは、人間は老いる、という、死と同様の信仰心がある。

だから、まず必要なのは、この老と死の洗脳から脱し、自由になることである。

現代のヨガでは、初心者がとてもできない行法などを採用しているが、どんな行法訓練であろうと、その個人に適したものでない限りは、なんの効果も意味ももたない。

(中略)

特定の筋肉への意識集中は、その神経に沿ってのエネルギーの流れを増強させる。心がモノを支配することは知っての通りだが、もし、腕の筋肉に意識を集中させれば、そこに生体の磁気エネルギーが流れる。

肉体が衰退する理由の1つは、神経線維が閉鎖されるからで、その結果、十分なエネルギーが流れなくなる。

もし、自分の心を肉体の特定の部位に集中する訓練をすれば、その部位が病気になったときに、治療しやすくなるだろう。だから、肉体全ての部位にくまなく意識を集中させる訓練をしていれば、肉体のどこかが病気になっても、意識をそこに集中することで、病気を治療できるようになるだろう。

(中略)

もし、あなたが、自分の病気を治そう、という意志をもたなければ、誰も代わりになって、あなたの病気を治せる人などいないのである。

だから、まず、最初に健康になろう、という意志をもたなければ、誰もあなたを助けてはくれない。肉体に悪いことをしておいて、誰か治してください、といっても土台無理な話である。だから、まず、肉体に良いこと、肉体の力を生かす方法を知るべきである。

東洋では、「人よ、汝自身を知れ、さすれば、汝全てを知らん」といわれている。

古代の聖書には、イエスの弟子が、盲人を連れてきて、治してください、と頼んだところ、イエスが盲人を治したので、弟子たちは、なぜ自分たちでは治せなかったのか、と聞いた、という話がある。

現代では、イエスが悪霊を叱りつけ、追い払ったからだ、という訳が有名だが、イエスは、弟子たちに、「お前たちは、健康への知識が不足しているので、治せなかったのだ」と言った、のである。

イエスの弟子たちは、目の見え方を知らなかったので、その盲人に、意識を目に集中させる方法を教えられなかったのである。だから、盲人は、目が治らない、と思い込んでいたのである。

つまり、イエスは、目が治らない、という悪い思い込み、いわば悪霊を退散させ、健康な目がどういうものかを、その盲人に、良いビジョンとして植え付け、つまり聖霊を呼び込んだのである。

イエスの弟子たちは、目の健康状態を知らなかったので、病人に、教えられなかったのである。病人は、病気の状態を、心で自覚できないから、肉体は病気のままなのである。健康の状態を教えて、自覚でき、改めれば、健康に目覚めるはずである。

それは悪人が悪いことをしている自覚がないのと同じである。

治療家ができることは、健康という状態の知識を、当人に合わせて教えることである。あらゆる治療というのは、健康への自覚から生じる。奇跡的治療などはありえない。時には奇跡的にみえることもあるにはあるが、永遠に存在する全体の安定へのバランス、つまり健康を基準とした、正負の法則に沿ってなされる。

肉体の全細胞は、脳から出される微弱な磁力線によって絶えず更新され、活気を帯びている。この磁力線を集め、患部に十分に伝達できれば、治癒する。

さて、呼吸法について教えることができる。特に二重呼吸法は、脳からの磁力線を促進させるので使い方を誤ると、重病になる場合もあるので、ほとんどのヨガの教師は教えたがらない。

しかし、正しく使えば、ほとんどの病気は癒せるので、有用である。二重呼吸とは、両方の鼻孔から同時に息を吸い込むことなのである。人間は両鼻孔で呼吸していないことをほとんどの人が知らない。

二重呼吸でゆっくりと深呼吸をすると、健康状態が保持され、肉体を構成するのに必要な生命エーテルエネルギーを両鼻孔から平等に摂取できる。この呼吸によって、通常よりも、より多くの酸素、水素を人体に供給でき、左右のバランスを保った形で、人体の均衡を保ちながら、補給できる。

呼吸の流れの均衡が保たれてないと、血流の均衡を失ってしまう。

通常は、片方の鼻孔から交互に浅い呼吸しかしていない。もし、朝起きて、二重呼吸で深く6回呼吸したなら、一日中、活力に漲るだろう。

ハタヨガでは、呼吸を鼓動のリズムに合わせるが、個人の鼓動に合わせた呼吸のリズムをみつけるとよい。

心臓の鼓動は各人により異なるので、それにあわせた呼吸法を実践することである。






Last updated  2020年03月27日 02時22分41秒
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