今でもあれは嫉妬だったと思う
随分間が空いてしまったが、消化or昇華のために投下。 中二の春に日本に帰国し、公立中学に転入した。ICカードで改札を通れることに目を丸くして驚く私は確かに異邦人だった。もちろん中学では浮いた。 中二の冬、学年末集会で転校生が一人紹介された。一部の女子たちが泣き叫んでいた。聞けば行き先は県内の片道40分ほどの場所。「三年生になんかなりたくない」と叫ぶ子を見て、私は胃がムカムカした。日帰りで行けるような引越し先。すでに個人個人が携帯電話を持つような環境。そんな恵まれた環境なら、私には「泣く」という表現は取りようがない。それでも彼女たちはみっともなく泣いていた。私は心底羨ましかったのだと思う。その程度のことで衆目を集めることも厭わずに泣ける彼女たちが、羨ましかった。一年にほぼ必ず10人以上が転出する環境にあって、別れにすっかり慣れてしまった私が、そうではないーそして私もそうであったかもしれないー彼女たちに対して向ける、みっともない嫉妬だった。 中三の年度末、入学時からの振り返りのようなスライドショーが披露された。大嫌いな中学に私自身が包括されていくようで気持ち悪かった。上映後、教室に戻ると同級生の女子がしくしくと泣き出した。その子は何かと浮いていたし、上映中にその子が映ると冷やかしがあったりして、それで泣いているのだと思った。担任が気付いてその子を保健室に連れて行き、後で私にだけ説明があった。(浮いた者同士で何かとペアにされることが多かった。)入学時のことを思い出すと、昔は楽しかったと思えて泣いていたのだそうだ。そんな話は聞かせないでほしかった。帰国してこの方泣きたいのは私であった。パニック障害を発症し、自傷を繰り返す私が泣きたかった。私は虚空を睨んだと思う。あれは嫉妬だった。羨望だった。症状としては泣けても、人前では暴れることもなくこともできない私にとって、彼女たちは「持てる」者だった。 前の年の学年末集会のことも思い出した私は、今後一生彼女たちには会いたくないと確かに思った。