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トッタ四季

グリーンヒル瞑想研究所(今日の一言)転載

仏教には小乗仏教と大乗仏教とあるそうですが、
私は此の齢まで仏教や宗教には興味は無くその知識は皆無であり、現在無宗教です。

今迄、仏教は亡くなった人にお経をあげ天国に送ることだと思っていましたが・・・
「今」の自分の為にあるんだとか・・・

で、・・・自分の為に、すこしお勉強を・・・

涅槃・・・「智慧(ちえ)を磨き修行を積んで、迷いや煩悩(ぼんのう)や執着を断ち切り、悟りに到達して、いっさいの苦・束縛(そくばく)・輪廻(りんね)から解放された最高の境地をいう。」 



以下「グリーンヒル瞑想研究所」 (今日の一言)より自己精神涵養の為、許可を得て全文転載させていただきました。無断転載は固くお断りいたします。




グリーンヒル瞑想研究所「なぜ瞑想するのか」より抜粋

瞑想の仕事は、汚れた心を洗ってきれいにすることです。心ひろびろと爽やかに、明るく生きていくための技法です。

ヴィパッサナー瞑想ってどんな瞑想?

ヴィッパサナー瞑想は、現在の瞬間を捉え続けることによって妄想を捨てていく技法です。
 
人はいつでも過去か未来のことで頭をいっぱいにしながら生きています。

雑念・妄想はどうにも止まらないのです。

ところが、一瞬々々の現在に心を釘づけにしていくと、その妄想が止まるのです。

これをSati(サティ)といいます。現在の瞬間に≪気づく心≫です。
 
サティが連続すると妄想の灰かぐらが完全にしずまり、どんな微細な現象も一瞬にして正確に観ることができるようになります。

物事の真の姿を、あるがままに、正しく洞察できるのです。その洞察が、

仏陀の言われた究極の悟りにつながっていきます。

原始仏教では、ヴィパッサナーは涅槃(悟り)を観る唯一の道と伝えられています。





ヴィパッサナー瞑想は、心を浄らかに変えていく初期仏教の瞑想法です。
 汚れた心の状態、例えば、欲望や嫌悪、嫉妬、高慢…等々の不善心は、人を幸せに
 導かないと仏教は考えているのです。
 生きていくことには必ず苦しみが伴いますが、人生が苦しくなってしまう原因は煩悩に
 汚れた心にある。
 だから、心をきれいにしていくことが、本当に幸せになるための道なのだというのです。
 その具体的な方法論は、現在の一瞬一瞬に「サティ」という気づきの心を撃ち込んでいく
 ことです。「瞬間に気づく」というサティの技術が、どのように欲望や怒りを立ち消えにし、
 私たちの心を浄らかなものに組み替えていくのかを試してみましょう。


グリーンヒル瞑想研究所所長 地橋 秀雄






ブッダ(目覚めた人)のダンマパダ「真理のことば」

2004/9/25(土) <もしも汝が、<賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者>を得たならば、あらゆる危難にうち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、かれとともに歩め><われらは実に朋友を得る幸を讃め称える。自分よりも勝れたあるいは等しい朋友には、親しみ近づくべきである。このような朋友を得ることができなければ、罪過のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め>【「スッタニパータ(ブッダのことば)1-3-45、3-47」岩波文庫】


2004/9/19(日) <世の中は泡沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ。
 世の中をこのように観ずる人は、死王もかれを見ることがない。>【「ダンマパダ(真理のことば)13-170」岩波文庫】



ものごとは心によって

☆ ものごとは心にもとづき、
  心を主とし、心によってつくり出される。
  もしも汚れた心で話したり行なったりするならば、
  苦しみはその人につき従う。
   ・・・車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。(一)

「執着が強いと重たい荷車になる」

☆ ものごとは心にもとづき、
  心を主とし、心によってつくりだされる。
  清らかな心で話したり行ったりするならば、
  福楽はその人につき従う。
   ・・・影がその体から離れることがないように。 (二)

「怒るといちばん最初に自分が汚染される」

☆ じつにこの世においては、
  怨みにたいして怨みを返すならば、
  ついに怨みの鎮まることがない。
  怨みを捨ててこそ鎮まる。
  これは普遍的な真理である。 (五)


身体によって善いことをせよ。ことばによって大いに善いことをせよ。心によって善いことをせよ。--汚れのさまたげの無い、無量の善いことを。「ウダーナヴァルガ」



以下、グリーンヒル瞑想研究所から(今日の一言) を、自己精神涵養の為許可を得て全文転載させて頂いて居ります。・・・無断転載を固く、お断り致します。



2010/7/31(土) 
宗教とはまったく無縁なのに、宗教にハマっている人以上に人格高潔で、きれいな生き方をしている爽やかな人もいる。
 遺伝的素因に恵まれ、善き家庭や両親に育まれて自我形成をすることになれば、珍しくも不思議でもない因果の必然である。
 煩悩に満ち、我が強く、物にも人にも深く執着し、思うようにいかないとすぐカッとなり、いつまでも恨んだりする自分が嫌で、淋しくて悲しくてならないのに弱みを見せたくないのでつい傲慢な態度を取っては人から嫌われ、ますます苦しい人生になってしまう……そんな人が真に救われていくためのメンタルなトレーニングとしての瞑想……。

2010/7/30(金) 
六門で知覚された事象が、思考のプロセスで脳内編集されていく時に生まれる、甘美さ……。
 一瞬の間断もなく、眼耳鼻舌身意の六門に殴り込みをかけるように乱入してくるこの世の事象。
 一秒ごとに電気を点けたり消したりするように、否応のない強引さで心を惹き起こしておいて、刹那に滅し去っていく……。
 持続することも寂止することもできないドゥッカ(苦)……。

2010/7/28(水) 
眼耳鼻舌身から次々と取り込まれる情報に刺激され、間断なく妄想し続けながら死んでいくのが人生だ。
 六門の情報を遮断し、完全な沈黙の中に没入していく瞑想がある。
 乱入してくる六門の情報が知覚される瞬間に離脱し、刹那刹那の静寂を守り続ける別次元の瞑想もある……。

2010/7/26(月) 
抑圧することはできても、記憶そのものを抹消することはできない。
 ネガティブな記憶も楽しかった記憶も、過ぎ去ったことは過ぎ去ったこととして、等価に達観できる心境……。
 受け容れれば、解放される。

2010/7/4(日) 
悟りの第3段階である不還果の境地に至ると、死後、身体(ルーパ)のない意識だけの領域(無色界)に再生すると言われる。
 肉体がなければ食欲と性欲から完全に解放される。
 いかにも、怒りの煩悩を根絶した聖者のおもむく世界にふさわしい……。 

  
2010/7/3(土)
 死にたくない。自分の存在を抹消されるのはゴメンだ……。
 たとえこの体は死滅しようとも、自分の存在を未来に繋ぎたい……。
 生き残ろうとする本能的衝動と、自分の子孫を残そうとする衝動以上に強い煩悩はない。
 食欲(生存欲)と性欲(生殖・自己複製・エゴのコピー)がある限り、この世界からドゥッカ(苦)がなくなることはない。 
 その起源は、初めて他の個体と接合し染色体の減数分裂を行なったゾウリムシの時代、約6~8億年前ということになろうか。 



2010/5/3(月) 
独りになる時間を、毎日作らなければならない。
 人の中にいれば、相手の状態に気を配り、会話の意味内容を理解し、情況を把握するために意識の矢印は常に外側に向けられていく。
 自分自身を対象化して見る視線ではない。
 習慣化され癖になった心の反応パターンが、自動的に、無自覚に立ち上がってしまう。
 これまでさんざん繰り返してきたように、バカなことを言い、人を傷つけ、失態を演じていく......。


2005/1/18(火) いくら急いでも、起床→洗面→朝食→身支度→出勤…に必ず90分かかっていた人が、サティを入れながらすると、60分で済んでしまった。
何度試しても同じだった。
 以来毎朝、余裕のコーヒ-を飲んで、落ち着いて出勤できるようになった、
という報告。
 これまでに同様のレポートが何件もあります。

2005/1/19(水) 早く早くと焦れば焦るほど、心は未来の断片的イメージの間を駈けめぐって、今、この瞬間の仕事に専念することができない。
 その結果、化粧のラインがはみ出たり同じものを2度取ったりミスが増え、ミスしたことに心はさらに焦って余計な情報処理がいや増しに増えていく。
 …サティを入れる。妄想が止まる。ラベリングの言葉に邪魔されて次の思考が出づらくなる。落ち着いてくる。仕事効率がよくなる。時間が短縮される…。

2005/1/27(木) 因縁があって生まれ、因縁があって壊れる…。
 何事も因果の流れに従い切っていくならば、静かな心と慈しむ心が現れてくる…。



グリーンヒル瞑想研究所 から(今日の一言) を、自己精神涵養の為許可を得て全文転載させて頂いて居ります。・・・無断転載を固く、お断り致します。

2005/1/21(金) どんなにくだらない最低の状態に置かれていても、「よし、この場でサティを入れ続けるぞ」と決心した途端に、そこは聖なる修行の空間に変容する…。

2005/1/23(日) タテガミを風になびかせながらサバンナに雄叫びを上げるライオンのリーダーもいれば、他人の排泄物を後足でせっせと丸めて転がしていくフンコロガシもいる。
 対象の内容に反応しないで、どちらもただ「見た」とラベリングして眼識の確認で止めておく。
 客体ではなく、経験している主体(色受想行識)の本質を見極めていくのがヴィパッサナー瞑想です。

2005/1/24(月) センター試験の自己採点結果が得点率88%だったと会員の受験生からメールがきました。
 「…試験まぎわ、最後に頼れるのは、サティですね。サティが無かったら、心配から不安に呑み込まれ、緊張とプレッシャーに押しつぶされていたに違いありません。
 サティを入れれば、試験場も、なんら特別な空間ではありませんでした。
 …本当に驚きました!」

2005/1/25(火) 受験でも、スポーツでも、演奏や演技のパフォーマンスでも、外側の何かがプレッシャーをかけてくるのではない。自分が勝手に緊張し、押しつぶされて自滅するだけなのだ。
 余計なことを考えず、ただ、今の仕事にだけ専念すればよいのだが、それが難しい。
 「無心になれ」「己に勝て」「空になれ」などと言われると、ますます難しくなる。
 …「現在の瞬間に気づく」サティの技術を試してください。

2005/1/28(金) ホームランのような劇的なサティの話を聞き及んで、よし、自分も…と皆がんばるのだが、ほとんどは空振りや凡打のサティばかりなのだ。
 ときどきセオリー通りの客体化ができ、事態が一変するようなクリーンヒットのサティも入るが、滅多にはない。
 練習とはそういうものだ。

2005/1/29(土) 間違った心の反応パターンを形成してきてしまったのだから、反射的に反応行動を起こす前に、ワンクッション、ポーズを入れた方がよいのです。
 …サティの重要な役目のひとつです。

2005/1/30(日) どんな山火事もいつかは消えるように、自然展開にまかせても、どこかで不善心の流れが善心所に変わるだろう。
 不善業のエネルギーを垂れ流すよりも、
被害を最小限に食い止めた方がよいのではないか。
 …サティは、思考の流れを止める。










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