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2021年01月19日
全5件 (5件中 1-5件目) 1 読書、この本が面白い
カテゴリ:読書、この本が面白い
** 今日から明日に架けて大雨予報が出ています **
→ 止む無く読書で時間をすごそうと思います(最近は不熱心です!)。 1.江戸時代!自分が最も好きな時代です。 → この時代を紹介する杉浦日向子さんの<江戸塾>を読んでいます。 2.江戸は武家・武士の町!町人は20%程度だったようだ。 → 当然ながら男性に比べて女性が、圧倒的に少ない。希少価値があった。 3.武家の女性は、儒教思想から貞操観念が強い。不義密通は切腹もの。 → しかし庶民女性はすくないから貴重がられ、結構活発であったらしい。 4.庶民は継ぐべき財産も無いから、結婚儀式も必要ないものだった。 → よって現代の同棲みたいに、庶民男女は<引っつきあい>してたそうな! 5.女性はたいへんドライで、好きな間だけ一緒に暮したようだ。 → 寒い冬だけ一緒で、暖かくなったら別れると言うのもあったらしい。 6.また江戸の女性は、結婚を二度することが多かった(羨ましい!) → 一度目は、16歳ぐらいに40歳ぐらいの裕福な番頭さんと結婚する。 → この番頭さんが死ぬと、20歳ぐらいの手代と結婚するそうだ。 7.自由、活発な女性たち。40歳ぐらいになると遊び(色事)にも走った! → 付け文をしたり、直接口説いたりしたそうだ!女性に恵まれた時代だ。 8.宵越しのお金を持たない!と言われるほど庶民はのんびり暮していた! → せちがない現代と全く逆な時代です。 9.写真は有馬温泉で見た<古い町並み>を写しました。 → 格子越しに女性から、声をかけられるそうなムードがありましたよ! ![]()
最終更新日
2009年01月30日 07時18分39秒
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2008年06月29日
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** あの作詞家!なかにし礼さんが作家になった **
→ 壮絶な自らの満州体験を書きたい一心で小説家になったらしい。 1.2日間、凄い雨降りです。自宅に篭って読書となりました。 → <赤い月>はなかにしさんの実母をモデルにしたもの。満州が舞台です。 2.夢と野望を胸に渡った満州。関東軍へ供給する造り酒屋で満州一位の身代へ。 → しかしその栄華も10年で瓦解!ソ連軍の侵攻と満人の暴動に遭う。 3.父が留守中に遭遇!母<波子>は二人の子供を抱えて逃亡生活に陥る。 → ハルビンへ向かう汽車の中!一人残った少年はソ連軍の機関銃を受ける! 4.偶然にも玉が掠めたようだ。他の列車は完全に打抜かれていたらしい。 → やっと着いたハルビンでも集団非難場所は死人の山となっていった。 5.姉は女(14歳)を隠すため、母から丸坊主の頭に刈り込まれた。 → 出張先から父が戻ったが、ソ連軍の強制労働に取られ、病で命を落とす。 6.夫の死を乗り越え、食うや食わずで二人の子を守る母!強靭な魂の人であった。 → 避難所を出てアパートを借り、タバコ売りや下着売りまで行った。 7.我が父も満州へ戦争に行った。背中には3個の玉跡があった。 → 右足首には玉が貫通の跡!この治療中によって自分が生まれた(笑うなよ)。 8.写真!秋の紅葉と言えば、京都!八坂神社の紅葉です。 ![]()
2008年05月25日
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** 昨日は雨!晴耕雨読となりました **
→ 役行者の開祖の物語です。実在したようですが伝説が主体なり。 1.続日本書紀に、文武天皇の時代に伊豆大島へ流罪となったとあるようだ。 → 呪力に優れ、民を扇動し朝廷に害をもたらすので煙たがられた。 2.道教や仏教を学ぶが納得できず、神が住むという葛城山等で山岳修行す。 → 特に紀州の大峯山へ冬に入山し、その厳冬に堪えて呪力を増した。 → 次の平安時代に密教が伝来して、さらに山岳修行が盛んになります。 3.師事道昭が持っていた道術の書を読み、修行で実践、呪力を得たようだ。 → 民に神と崇められ、また高熱の村長の妻を呪力で治すことができた。 → 行者のもとに民衆が集まり、無報酬なのに土木工事などを行った。 4.一時、持統女帝は役小角の呪力で孫の軽皇子の健康を期待した。 → 従って罪人扱いから自由な身になり、皇子へ呪力を送った。 5.しかし持統女帝から文武天皇に代わると、流罪となった。 → 一人なら大峯山に居れば捕まらないが、老いた母をおとりにされた。 6.この時代の作品として、藤原不比等、橘三千代を読んだ。 → 律令国家になる日本だが、民には厳しい制度であった?とは驚きだ。 7.久びりに黒岩重吾を読んだ!やはり読みやすいのと心が弾む。 → まだ雨なれば<陰陽師奇談>を読みます。
2008年04月27日
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** 時は壬申の乱のあと、飛鳥時代に皇太子の乳母となった物語 **
⇒ 橘 三千代(上・下) あずさわ 要著 新人物往来社 → まさに家光の乳母(春日局)と同じような後宮の主になったもの。 1.河内の国古市で身分の低い県犬養家(屯倉を犬使役で警護)に生まれる。 ⇒ 最初は最も身分の低い、美努王に嫁ぎ、3人の子供を生みました。 2.2人目を生んだ時点で、草壁皇子と後の元明天皇の子(かる皇子)の乳母となる。 ⇒ これは美努王が進言したもので、好奇心の強い三千代が受入れたものでした。 3.2人の皇子の乳母として勤務する内、天武天皇はじめ、6代の天皇に仕えた。 → 持統、文武(男子)、元明、元正天皇たちで3人は女性であった。 4.どんどん昇格するにつれ、鎌足の子(藤原不比等)が近づき、夫婦となる。 → 権謀家の不比等は、子供(宮子)を文武皇太子に嫁がせる。 5.その子・首皇子は後の聖武天皇(奈良時代)である。この人の乳母でもあった。 → 不比等との間に子(安宿媛、後の光明子)を設け、聖武天皇に嫁がせる。 6.乳母をきっかけに、後宮を束ねて皇位継承に大きく影響を与えた人生だった。 → もちろん不比等との連携プレーであったが・・・・。 7.首皇子がやっと生まれた時、生きをしていない。蘇生の役を引き受けた。 → 自分も8ヶ月の身重であったが、激しい産婆さんの役であった。 8.名族・橘氏はたったひとりの女(三千代)が天皇からもらった姓である。 → 藤原家は不比等の死後、4人の息子達は一度に疫病で死んでしまい、 → この後の政権運営は、実子の橘 諸兄(葛城王)が受継ぐことになる。 9.光明子は、男子を産むが早くに死亡。また女子が天皇(孝謙)となる。 → 孝謙天皇は、坊主の道鏡を寵愛したことで有名である。 10.三千代は女の色香によって、権力者の寵愛を得て昇格したのではない。 → したたかで柔軟な思考を持った強靭な精神力を持っていたようだ。
最終更新日
2008年04月28日 05時16分04秒
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2008年04月25日
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** 徳川家康から離反し、秀吉についた石川数正でした **
→ 謀将 石川数正 南原幹雄著を読んだ。 1.戦国乱世の時代、家康股肱の臣が自らの城を捨てて秀吉の下に走った。 → 信じがたい暴挙に見える。三河武士たちが憎しみの炎を燃やした。 2.秀吉に対する家康側の交渉係であった数正は、往来することで世間が見えた。 → 明智を打ち、勝家を滅ぼした秀吉側に時の勢いがあると数正は考えた。 3.城持ちの身分ながら家康を捨て、秀吉の誘いにのって大阪へ行く。 → 急に見方になった数正を、石田光成だけは最後まで疑い続けたようだ。 4.その後、秀吉が天下を統一し、将軍、続いて関白となる。 → 数正もいろいろな功績から、和泉の国・10万石を秀吉より拝領した。 5.更に家康が関8州に移封されると、その鎮府の役割から松本城を拝領した。 → この松本城を普請している途上でふぐの毒に当たって死んでしまった。 6.この小説では、数正は徳川を守るため、敢えて秀吉側に走ったとある。 → 無駄な戦いを仕掛けて徳川が、秀吉に滅ぼされないようにするためらしい。 7.秀吉が天下を取った後は、早く衰退して徳川政権になるを願っていたらしい? → その工作をしていたとあるが、家康は見方にするであろうか?? 8.数正の息子達3人、父の遺志を引き継ぎ、関が原の戦いでは家康側についた。 → もともと徳川への見方なのか?時勢から徳川を支援したか?分からない。 9.同じ信州にあって真田雪村(次男)は大阪方へ。長男は徳川方へ見方をした。 → どちらが勝っても一人は残り、お家が安泰となる(厳しい時代だ) 10.難しい内容であり、疑ってしまい、読んだ後もすっきりしなかった。 このブログでよく読まれている記事
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