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人間生きていれば、1年に一度は誕生日を迎えるもので、 その例に漏れず、私も今日、誕生日を迎えました!! ![]() 誕生日おめでとう! パチパチ!! (誰も祝ってくれないので、自分で祝います・笑) まあ、50過ぎてから着実に老いを感じるので、自分の誕生日なんか祝う気も起きないんだけど、 ひとつの区切りだし、メリハリをつける為に一応ね。 ![]() プロ野球選手の背番号「57」で私が真っ先に思い浮かんだのが、 中日ドラゴンズの彦野利勝選手の背番号「57」 長年、中日の強打の1番打者として活躍していた田尾選手が西武にトレードされ、 代わりに1番打者の責を担ったのが、彦野選手でした。 愛知高校時代はエースで4番の二刀流で活躍し、プロ入り後は打者に専念し、 ホームランが打てる強打の1番打者として1988年のリーグ優勝に貢献しました。 のちに背番号を8にしますが、私は57番時代の活躍のほうが記憶に残ってますね。 パンチ力のある良い打者でした。 ![]() もうひとり背番号「57」で思い浮かんだのが、近鉄バファローズの古久保健司捕手。 光山捕手と併用の時代が長かったですが、 その強肩とパンチ力のあるバッティングは定評がありました。 あの伝説の10・19にも出場してましたからね。 古久保選手ものちに27番に背番号を変えますが、57番時代が印象に残ってます。 ![]() 背番号「57」の第一人者は、現役生活18年間「57」を背負った、 千葉ロッテマリーンズの佐藤幸彦選手。 内外野守れるユーティリティープレイヤーで、 打者では左キラーとして名を馳せ、主砲の主軸選手が不調の時には、 4番を打ったりするバイプレイヤーでありました。 プロの野球選手として、一種の憧れを抱いたりしましたよ。 上に挙げた3選手に共通するのが、 プロ入り後に自力でのし上がって、自分の地位を確立したところですね。 3選手とも全員バイプレイヤーということで、 背番号「57」もバイプレイヤーの番号と言えるでしょう。 しかも、パンチ力があるバイプレイヤー。 ![]() 「57」はイナとも読めます。 なので、稲積(いなづみ)神社の画像を(笑) 教鞭を取っていた数学者のグロダンディークという人は、 生徒の質問に答える時に、ついうっかりして、 素数の代表例として「57」の数字を挙げてしまいました。 57は、3と19で割り切れるので、素数ではないのです。 それ以来、ひとつのシャレとして、57はグロダンディーク素数と言われるようになったとか。 ある意味、「57」は迷いを生じる数字であり、年齢なのかもしれません。 だからこそ、自分を見つめ直し、日々を地道に過ごすことが大事になってきますね。 「57」にあやかり、どんな環境でも躍動する気持ちとユーモアを忘れず、 どんな時も平常心で動じず、時にはパンチ力を効かせるバイプレイヤーとして、 渋く生きる1年にしたいと思っています。 「57」の私をこれからもよろしくお願いします。 それでは曲です。吉田拓郎の「いくつになっても Happy Birthday」と、 私と同世代の、馬場俊英の「人生という名の列車」と、 私と生年月日が全く同じの、川村結花の「夜空ノムコウ」 3曲続けてどうぞ! ![]() 自分の歴史を振り返ってみて、辰年は転機の年。 1976年はプロ野球を自分の意志で見始めて、データも集め出した年。 1988年は東京から山梨へUターンした年。 2000年は当時勤務していた会社が倒産し、平日のYBSラジオの番組に投稿し始めた年。 2012年は40年近く住んだ家から今の住居へ引っ越した年。 そして、いずれも次の年に良い形で引き継がれているので、 今年の辰年がどうなるのか胸が高鳴ってます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.01.24 20:05:26
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