2009/06/21(日)01:49
こきっつぁんのハートフルギャラリー 「嗚呼、平和台球場」
タチアオイの花が道端で咲き乱れる今日この頃、
みなさまいかがお過ごしでしょうか?
タチアオイの花って、好きなんですよね~。
別に人間が手塩にかけて育てた訳じゃないのに、そこらへんの道端で、
これ見よがしに美しい花をつけて、目を楽しませてくれる。
南国の花のように派手にね。
こんな花はなかなか無いですよ。
さて、久しぶりのギャラリーは、プロ野球の交流戦で、
福岡ソフトバンクホークスが2年連続優勝したということで、
「博多の聖地」と言える場所の写真を公開しましょう。
そう、平和台球場です!
正確には、平和台野球場。
西鉄ライオンズや福岡ダイエーホークスが本拠地にした野球場。
前に福岡ドームの写真をアップしましたが、
「福岡に行ったらここにも行かなくては」と野球ファンの血が騒いで、
福岡ドームに行った次の日に、「博多の聖地」平和台球場へ行ってきました。
実は、福岡城のお堀端にあった平和台球場。
すぐ近くに大濠(&大濠公園)があって、
明治通りを進むと、平和台球場が見えてきます。
本当、こんな街中にあるんだ、と思うぐらいの所にあります。
例えが適当ではないかもしれないけど、
甲府で言えば、甲府城(舞鶴城公園)の横の山梨県庁の場所に野球場があるような感じ。
あんなに駅には近くないけどね。
1994年の平和台球場。
福岡ドームが完成したことと、
鴻臚館(こうろかん)の貴重な遺跡が下に眠っているということで、
1992年に、プロ野球の本拠地球場の役目を終えた平和台球場。
でも、1997年の秋に閉鎖されるまでは高校野球の会場として使われていました。
訪れたこの日の前日も、高校野球の春の九州大会の決勝戦が行われていたんです。
しかし、この日は球場はクローズになっていたので、中に入れずじまい。
う~ん、中を見たかった! 今でも悔しい!
もう見ることが出来ない平和台球場。
中に入ることが出来なかったので、球場の周りをグルグル回っていました。
「ここで西鉄ライオンズの野武士軍団が活躍してたんだ~」とか、
「ここで中西さんの伝説の160mホームランが生まれたんだ~」とか、
「ここで東尾さんが、胸番号付きのクラウンのユニフォームを着てたんだ~(笑)」とか、
「ここでカズ山本が、鷹のヘルメットをかぶってプレイしてたんだ~」とか、
歩きながら感慨にふけっていましたね。
平和台球場の切符売り場。
ちらりとスコアボードが見えて感激しました(笑)。
この外野スタンドの壁は、野球場が取り壊されても長く残っていたそうですが、
去年の春に全面撤去され、今は芝生広場になっているようです。
まさしく「つわものどもの夢の後」。
まあ、平和台球場の記念碑があるのが救いですけど。
正直、私の子供の頃は、西鉄や太平洋クラブやクラウンの福岡の試合が、
テレビで放送されることはほとんどなかったので、
(ダイエーの平和台の試合中継もあんまりなかったなあ)
平和台球場じたいは馴染みが薄いのですが、
この「平和台球場」という言葉の響きは好きでした。
ダイエーの平和台球場のラストゲームは、
1992年10月1日。
福岡ダイエーホークスvs近鉄バファローズ
ホークスの門田選手の現役最後の試合でもありました。
スコアは、ダイエー1-0近鉄。
勝ち投手・若田部、負け投手・野茂。
ちなみに野茂は、福岡ドームのプロ野球公式戦の、初の勝ち投手でもあります。
しかも、1-0の完封勝ち。因縁だ…。
平和台球場も、
福岡“ダイエー”ホークスも、
“近鉄”バファローズも、
今はもう存在しない…。
それでは曲です。福岡市出身の酒井法子で「1億のスマイル」 どうぞ!