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B級おもしろ映画館

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映画館

2010年10月30日
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カテゴリ:映画館
 
11月4日に「オーケストラ!」のDVDが発売になる。
 映画館で見て、DVDの発売が待ちどうしい気持ちなった久し振りの作品です。
この映画、3館の映画館で見た。ミニ・シアターのような単館が2館とシネコンが1館。

 ☆ 名演小劇場           定員105名 SRD

 ☆ センチュリー・シネマ      定員160名 SRD、DTS

 ☆ ミッドランドシネマ名古屋空港  定員107名 SRD、SRD-EX

 上2館が単館、共に自由定員制。下はシネコンで完全指定席。3館とも入れ替え制。
 スクリーン・サイズ、館内照明、見やすさ等は3館とも合格でしょう。
 3館ともスタジアム形式で、前の人の頭など気にしなくても良い。

 シネコンは見に行ったのが日曜日と言う事もあって、チケット売り場が大混雑。
 上映開始の10分前に並んだ人は、時間までに入場出来ないようであった。
 本編の上映開始5分後に入場した人もあった。
 シネコンが、見やすさや音量、スクリーンとの距離、椅子などの設備などでは
 3館を比べても一番良かったが、チケットの売り方に問題がありすぎる。
 それにトイレの絶対数が少なすぎる。

 同じ映画を3つの映画館で、日をおかずに見たので色々と比べる事が出来る。
 その一つですが、センチュリリーシネマだけが字幕スーパーの出る位置が違っていた。
 ここだけがフィルムでの上映だったのか思えてならない。
 3館とも女性一人の入場者が多かった。子供向けの映画で儲けることも結構だが
 こういう人達が気軽に入れる雰囲気や、システムを考えて欲しい。
 それには何よりも、そういった人の鑑賞に堪えうる映画を提供して欲しい。
 
 この春にピカデリー劇場がなくなって、キャパのでかい劇場が東海地方から消えてしまった
 単館の映画館も上記2館を含めて5館ほどになっている。
 シネコンはたくさんあるが、上映している映画は何処も同じ様なもの。
 日本中が同じ様な事情だと思うが、名画を見たければDVDで家で見るしかない。
 色んな事(他人のおしゃべり等・・)を気にしなくても良いので
 好きな作品を家で見るのが一番いいのかも知れません。

 台風もそれほどの影響もなく、休日の午後でもあるし
 映画でも見ることにします。
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最終更新日  2010年10月30日 19時18分44秒
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2007年11月28日
カテゴリ:映画館

 11月21日、映画プロデューサーであった、金子正且さんが亡くなった。
 「小早川家の秋」「乱れ雲」など、日本映画史に輝く名作を手がけている。
 金子さんは並木座の経営にも関わっていた。

 「並木座」・・・私にとって忘れる事の出来ない映画館の一つです。
         並木座が一本立ての名画座でやっていた頃から
         二本立てになってからも、通い続けた映画館です。
         最後に見に行ったのは、1985年5月29日から公開された
         「いのちぼうにふろう」と「巌流島の決闘」の二本立てでした。

 「並木座」・・・座席数・84.有名な木が二つ並んだマークは松山崇さんのデザイン。
         この映画館、映画プロデューサー・藤本真澄さんが作った物。
         出資者は当時の映画人(俳優、監督・・・)
         映画人が設立した唯一の映画館だった。

  若い頃、映画編集の習得に東京に住んだ事がある。
  その頃、週に一度はこの映画館に通っていた。
  一本立ての名画座だった並木座で、本当に多くの日本映画を見た。
  東京を離れてからも、何度となく見に行った。
  金子さんもそうですが、この映画館を通じて多くの映画屋さんと知り合う事が出来た。
  人はよく映画館の事を学校と言う。並木座は私にとって学校というよりも
  パラダイスだったように思う。何度かお会いする事が出来た金子さんに
  「映画じゃ食えないよ」と、新藤監督に云われた事と同じ事を言われた。
  私にとって雲の上のお二人に「食えない、食えない」と言われれば
  そんなものかと思っても仕方がなかった。
  それでも映画を見ることだけは止めなかった。
  面白い映画が好きな私が、この並木座へ行く時だけは
  きちんとした服装で、真面目な映画を真面目な気持ちで、映画を見ていたように思う。

  ユーモアたっぷりに映画の黄金時代のことを
  話されていた金子さんの姿が目に浮かんでくる。
  映画を知り尽くしていた活動屋さんが、また一人天国にめされていってしまった。
  ご冥福を心からお祈りいたします。

  「銀座・並木座(日本映画とともに歩んだ45年)」 嵩元 友子・著 鳥影社

  映画ファンには堪らなく面白く、懐かしい本です。
  巻末に全上映作品リストも収録されています。
  

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最終更新日  2007年11月28日 22時19分39秒
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2007年05月17日
カテゴリ:映画館
 先日、徳島在住の方のブログを見ていたら
 映画「眉山」公開中の徳島ホールの写真があった。
 この映画館、去年だかに閉館した筈。
 不思議に思い聞いてみたら、この映画上映の為だけに再開したとの事。

 全国の県庁所在の市で映画館がないのは、徳島市と前橋市だけと聞いている。
 (前橋市は最近になってシネコンが出来たそうです)
 映画館の数と質、映画観客の数が、その地域の文化のバロメーターと
 信じている私にとって、故郷である徳島に映画館が無いと言う現実は哀しい事です。
 もしかして徳島県全体を見ても、鳴門市にシネコンが一つあるだけでは?
 そんな馬鹿なと思っても紛れも無い事実です。
 この2、3年、徳島や鳴門で、映画のロケが頻繁に行われるようになってきた。
 それなのに、それを上映する映画館が無い。
 なんとか常設の映画館があって欲しいと思っている。

 「ウエスト・サイド物語」は、テアトル丸新。「砂の器」は松竹歌舞伎座。
 「大いなる西部」「ペーパー・ムーン」「夜霧のしのび逢い」は徳島ホール。
 「栄光のル・マン」「アラモ」は徳島OSグランド。
 懐かしい映画と映画館です。
かって徳島にもたくさんの映画館があり、多くの人で混雑していた。
 かっての賑わいまでは云わないが、何とかして欲しいと思っている。

 私が現在住んでいる、岐阜県・東濃地方も映画館が全くありません。
 現住所にも、故郷にも映画館がない。
 映画が大好きな私に何とも皮肉な事です。
 頑張って名古屋まで行きましょう。

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最終更新日  2007年05月17日 22時15分35秒
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2007年03月08日
カテゴリ:映画館
 「3分間の詐欺師が語る銀幕の裏側」を読んでいると、昔の映画館事情が良く分る。
 フィルムの掛け持ちの事情が、詳しく書かれている。3館の映画館で一つのフィルムを
 掛け持ちして、自転車で運んでいる事も面白く書かれているが
 当時の事で書かれていないこともある。今の人には多分、想像もつかないだろうが
 昭和30年代までは、地方の映画館では「途中上映」と言うのがあった。
 その日の1回目の上映の時、映画が始まって20分経過したあたりから上映が始まる。
 劇場の上映時間の案内には、ちゃんと「途中上映」と書かれている。
 理由は簡単、「フィルムの掛け持ち」である。

 昔の映画館は設備の良し悪しに関係なく、二台の映写機で交互に上映していた。
 フィルム一巻の長さが約10分から12分位、1時間30分の映画なら8巻位であった。
 都会の映画館なら自転車で10分で運べる距離なら、二巻位の時間をずらす事で
 解決するが地方ではそうはいかない。最初の上映時も都会ならニュースや予告編を
 上映すれば20分くらいなんとでもなる。
 地方の掛け持ちはそんなに簡単ではない。鳴門市の端っこに住んでいたが
 そんな田舎にも小さな映画館があった。掛け持ちとなると徳島市の映画館の時もある。
 子供の頃、その映画館で「シェーン」を見ていたら、突然明るくなって
 「列車が遅れていてフィルムが来ません、そのままお待ちください」とアナウンス。
 何と待つこと一時間、やっと上映が始まった。待っている間、誰も文句を言わない。
 館内に売り子さんが回って、煎餅やらジュースを売りにくる。のんびりしたものです。

 こんな事情ですから、二巻位ずらしても仕方が無い。
 そこで思い切って「途中上映」です。朝一番に映画館に駆け込んで
 旭だ裕次郎だと思っていたら、突然ルリ子さんのアップが映る。
 タイトルも何も無い。慌ててモギリのオバチャンに聞きに行くと「途中上映」との返事。
 がっくりしながらも「仕方ない」と諦めて、次にそのシーンが来るまで
 3本立てを全部見ていた。腹も立たないし、怒りもしなかった。
 今、こんな上映したらキネ旬あたりに叩かれるだろうし
 第一、観客が承知しないだろう。今なら私もそんな映画館に行きたくない。
 
 あの頃、映画館が超満員の立ち見でも、冷、暖房なしでも
 板にビニールを張っただけの椅子でも、何の不満もなかった。
 「途中上映」なんて、それらに比べたらどうって事なかった気がする。

 劣悪な環境の中でも、映画を見ることの喜びのほうが大きかった。
 一つはそれだけ面白い映画があったと言うことでしょう。


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最終更新日  2007年03月08日 22時21分51秒
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2006年11月20日
カテゴリ:映画館
のじぎく文庫から出ている「神戸とシネマの一世紀」という本の中に
映画館数がピークだった昭和35年1月7日付け、神戸新聞の映画案内が載っている。
三宮地区26館、新開地20館、東神戸16館、西神戸19館、淡路島の4館、合計85館。
神戸だけでなく、日本中に映画館が溢れていた。
私が生まれた徳島県の鳴門市でも、人口3万なのにピーク時には8館あった。

映画館の殆どがシネコンになり、日本中どんな所も、同じ映画を上映している現在と違い
ロードショウ、封切り、2番館、3番館とはっきりしたフィルムの流れがあり
映画館独自の番組を組み、入場料金も違っていた。映画を見る環境を映画館だけで考えたら
今のシネコンの方が、文句無く素晴らしい。当時はロードショウ以外は
館内はあまり清潔ではなく、座席は前の人の頭が気になり、2番館以下はタバコの煙が充満し
ひどい館では、トイレの匂いまで我慢していた。
それでもこの頃の映画館は満員だった。
この本の少し後、昭和38年頃から神戸に移っていた私は
三宮、新開地、西神戸と映画三昧の生活が始まっていた。

あまり環境の良くない映画館でも、安ければ出かけていった。
上映している映画だけが問題で、環境なんて気にならなかった。

「ガンヒルの決闘」「船を見捨てるな」神戸名画
「リオ・ブラボー」「暴力の回答」  西灘第二
「西部の人」   「戦場の誓い」 テアトル神戸

これ全て、2番館以下の劇場の番組です。
今、こんな番組で上映している所があれば、飛んで行きたい位です。
新劇会館、東劇なんか3本立で上映している。
3本も見れば、1本位は面白い映画がある筈
1本くらいは、自分好みの映画に出会うことが出来る。
そんな想いで映画館に通い、沢山過ぎる程、見続けた映画。
「面白い」と思った映画を書いて見たい。
名作や傑作はありません。「そんなアホな」と思っても
作り手の情熱に拍手したくなる「映画」を書いていきたい。
それもDVDやBS放送で、今、我が家で見る事が可能な映画だけを書いてみたい。






最終更新日  2006年11月20日 22時27分15秒
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