1199574 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

7L3AEO Weekend Satellite

7L3AEO Weekend Satellite

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

Calendar

Profile

7L3AEO

7L3AEO

Free Space

★hQSL, eQSLを発行して頂いた場合は紙カードは
 お送り頂かなくても結構です。
 また、こちらからも紙カードは発行致しません。
 LoTWはDXのみに発行しています。
 毎月一日に前月QSO分のカードを発送していましたが
 今後は更に一か月間の電子QSL待機期間を設け
 翌々月の一日に発送します。
 また、複数のQSOがある場合は、最大5データまで
 1枚のカードに記載します。

★サテライト略歴

 1980年2月1日 JH8TNU開局
 1993年11月10日 7L3AEO開局

 2005年6月5日 VO-52に初QRV
 2011年12月24日 MIXモード全市区町村完了
 2019年4月30日 CWモード全市区町村完了
 2023年11月3日 SSBモード全市区町村完了

★現在サテライトは休業中ですHi

★1.9M~1200M+SAT全国版のCWモード
 ウォンテットリストを作成しました。

https://plaza.rakuten.co.jp/7l3aeojcc1315/diaryall/

★当局へのコンタクトは、

 7l3aeoあっとjarl.com

 へどうぞ。

Freepage List

Comments

7L3AEO@ Re[1]:古代史研究が高じて(01/30) 幹雄319さんへ 出雲氏、吉備氏、銅鐸の民…
幹雄319@ Re:古代史研究が高じて(01/30) 素晴らしいです! 私は至りませんでした。
7L3AEO@ Re[1]:あと1枚(01/23) 幹雄319さんへ 無線をしていなかった年も…
幹雄319@ Re:あと1枚(01/23) 来年完成ですね! うち(JM1RNP)は、先が…
7L3AEO@ Re[1]:14M CW(01/01) JF2IWW@NH329さんへ 書き込めていますHi
JF2IWW@NH329@ Re:14M CW(01/01) 飛行中の機内から書き込めるか試してみま…
7L3AEO@ Re[1]:AJA-14250(09/02) 幹雄319さんへ ありがとうございます。 …
幹雄319@ Re:AJA-14250(09/02) おめでとうございます。 実家が転居の時…
7L3AEO@ Re[1]:うわっ(10/11) 幹雄319さんへ お早うございます。 QSOを…
幹雄319@ Re:うわっ(10/11) おはようございます。 交信ありがとうご…

Recent Posts

Archives

Jan 31, 2026
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類



第26代継体(けいたい)天皇以降、『日本書紀』に記された事績年は干支と天皇年から西暦への変換が可能です。
しかし、継体天皇崩御の531年から大連(おおむらじ)の大伴金村(おおとものかなむら)失脚までの540年には『日本書紀』に不自然な記載があります。

そこで、聖徳太子に関する伝記集である、
 『上宮聖徳法王帝説(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ)』

元興寺飛鳥寺)が朝廷に提出した寺の縁起と財産目録である、
 『元興寺縁起(がんごうじえんぎ)』

歴史学者の林屋辰三郎氏の著書、
 『継体・欽明朝内乱の史的分析

の内容を歴史順に並べてみました。(上図)

謎その1:継体天皇の崩御年と死因

日本書紀』には、
 「継体25年(531年)2月、天皇は病が重くなった、7日、天皇は磐余の玉穂宮で崩御された、
  時に82歳であった
  12月5日、藍野陵(あいののみささぎ、摂津国三島郡藍野)に葬った

  - ある本によると、天皇は28年(534年)に崩御としている、
   それをここに25年(531年)崩御としたのは、
   『百済本記(くだらほんき)』によって記事を書いたのである、その文に言うのに、
   25年(531年)3月、進軍して安羅(あら)に至り、乞屯城(こつとくのさし)を造った、
   この月高麗はその王を弑した、また聞くところによると、
   日本の天皇および皇太子、皇子皆死んでしまった

と記され、まるでクーデターが発生したかの様な政府の大事件を朝鮮半島の歴史書である『百済本記』から転記しています。
また崩御年を「ある本」を参照して534年とも記していています。

謎その2:継体天皇の次に即位したのは誰

上宮聖徳法王帝説』と『元興寺縁起』に記された仏教公伝は欽明7年の戊午年、538年。
そうすると欽明元年は532年になります。
つまり、継体天皇の崩御後に即位したのは安閑(あんかん)天皇ではなく欽明(きんめい)天皇です。

謎その3:不自然な大伴金村大連の失脚

日本書紀』によると、大伴金村大連は任那(みまな)四県割譲の責任を物部尾輿(もののべのおこし)大連に問われて失脚します。
任那四県割譲は512年、金村失脚は540年です。
なぜ、28年も経過した後に責任を問われて失脚するのでしょう?

林屋辰三郎氏の二朝並立説

531年:「辛亥の変蘇我氏を主たる支持勢力とした欽明継体を討つ
532年:欽明が即位
534年:欽明勢力に反対した大伴氏を中心とする勢力が安閑を擁立
536年:安閑崩御後、宣化(せんか)を擁立
539年:宣化崩御
540年:安閑宣化を擁立した大伴金村が失脚




母違いの皇子たちが異なる豪族をバックに、皇位継承をめぐって争うのは日本史の定番です。
日本書紀』は皇子たちの皇位簒奪争いを明確に記さなかったり、全く記さない場合があります。
あまり謎でもなかったかHi

一般に『日本書紀』に事績が多数記されたり、朝鮮半島との関係が詳しく記されている天皇の治世年は長く、逆に事績が少なく国内の記事のみが記されている天皇の治世年は短い傾向があります。
安定した政権は長く続き、視線が外に向かうのでしょう。

この後、欽明天皇の治世は32年間続き、『書紀』には朝鮮半島の百済(くだら)、新羅(しらぎ)、高句麗(こうくり)、任那(みまな)との関係の記事が大量に記載されています。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  Feb 1, 2026 03:23:49 AM
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.
X