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カテゴリ:ロードレーサー画像館
市販スポーツモデルFZ750をベースに開発した耐久仕様のTT-F1ファクトリーマシン。 DOHC5バルブ・並列4気筒エンジンをホィールベース短縮のため前傾45度から35度に変更し、 専用設計のアルミデルタボックスフレームに搭載 F・A・I(フレッシュ・エア・インテーク)も採用し、卓越したパワーと軽快な操縦性を発揮する。 1985年、鈴鹿8時間耐久は開催前から異常な盛り上がりをみせていた。 1983年にフレディー・スペンサーと壮絶なワールドグランプリのチャンピオン争いの末、 引退した通称”キング”ことケニー・ロバーツが鈴鹿8時間耐久にやってくるという。 しかもペアライダーは全日本500ccクラスで2連覇を達成している平忠彦という布陣である。 人気、実力とも申し分ない夢のコンビが夏の鈴鹿で実現した。 しかも彼らの乗るマシンはライトパープルに塗られ、 当時はまだサーキットに存在していなかった3人のハイレグ姿のキャンペンガールに囲まれていた。 これに対して多くのレース関係者が顔をしかめた。 ”あの”キング”ケニーがこんな色のマシンに乗るのか・・。” しかし、鈴鹿を訪れたファンにはこの異色コラボは斬新に映った。 彼らのチームのスポンサーは化粧品会社、資生堂であった。 男性化粧品の新ブランド、"TECH21"のイメージに”スピーディさ”があった。 これが当時、全日本ロードレースの頂点で活躍し、 世界グランプリに向けて羽ばたこうとしていた平忠彦と重なった。 甘いマスクが女性ファンを惹きつけ、身長180センチ、体重70キロ、モデルとしても申し分なかった。 ”ヤマハが俺を必要とするなら喜んで出るよ。” 引退して2年以上たったケニー・ロバーツは現役当時の体を作って、真夏の鈴鹿サーキットに現れた。 マシンは当時発売されて間もない水冷FZ750エンジンをベースとしたヤマハワークス製FZR750。 ライトパープルの車体にライト周りはいわゆる”水中メガネ”のカウル、そして黒ゼッケンに白文字の”21”。 優勝候補の筆頭に挙げられた。 初めての鈴鹿、2年のブランク・・ キングケニーはナーバスになるどころか、こう言い放つ。 ”全てのセッテングは平に合わせてくれ。” 公式予選、当初の予想を裏切る事もなく、ケニー・ロバーツ&平忠彦の資生堂ヤマハ"TECH21"チームはホンダワークスのエースチーム ワイン・ガードナー&徳野政樹組より1秒近く速いレコードタイムを叩き出し、ポールポジションを獲得。 決勝当日、午前11時30分、カウントダウンとともに1985年鈴鹿8時間耐久のスタートが切られ、一斉にライダーがマシンに駆け寄る。 スタートからわずか数秒、15万6千人もの観客達が騒然となる・・。 ゼッケン21、”キングケニー”の乗る資生堂ヤマハ"TECH21"チームに火が入らない・・。 "TECH21"FZR750がその咆哮を轟かせたのはほぼ最後尾になってからであった。 1ラップ目 35位でグランドスタンド前に戻ってきたケニー・ロバーツ。 何故、この男は”キング”と呼ばれているのか・・。 その答えはここから読み取る事が出来る。 2ラップ目 28位 5ラップ目 12位 8ラップ目 7位 13ラップ目 4位 18ラップ目 3位 20ラップ目 2位 わずか20ラップあまりで50台ものマシンをゴボウ抜きしたケニー・ロバーツ、現役を退いてもなお”キング”の走りを真夏の鈴鹿で披露する。 約1時間後ケニーはピットイン、全日本の若きエース平忠彦にバトンを渡す。 ”キングケニー”のペアライダー平忠彦、その走りはすでに世界レベルといっても過言ではなかった。 1時間後40秒あったガードナー&徳野組の差をつめてゆく。 ガードナー仕様のマシンに苦しむ徳野を尻目に2~4秒上回るペースで周回、38周目、ついにトップに躍り出る。 6時間目には同一周回するマシンはなく、2位、ガードナー&徳野組をも遥か後方を走行している。 レースも残り1時間、ケニーからタイラにライダー交代。 夕闇の鈴鹿をゼッケン21資生堂ヤマハ"TECH21"チーム 平忠彦、安定した走りをみせゴールを目指す。 この時、多くの観客が”ケニー&タイラ”の資生堂ヤマハ"TECH21"チーム勝利の姿を思い描いたに違いなかった。 しかし、午後7時すぎ、残り29分、181ラップ目 鈴鹿の魔物が突然、牙を剥く。 ”タイラのマシンが帰ってこない。。” 平の乗る”TECH21”FZR750が突然のスローダウン。 走行ラインを右に寄せ、何度もリア周りに視線を落とす平忠彦。 マシンの状態を確認するようにスロー走行で平忠彦がホームストレートに戻ってくる。 コンクリートウォールにマシンを傾け、茫然とリタイアという事実を受け止めている平忠彦。 ”ケニー&タイラ”の資生堂ヤマハ"TECH21"の8時間耐久レースはここで終わった。 午後7味30分、最後の最後までレース諦めなかったホンダのワイン・ガードナー&徳野政樹組がトップでチェッカー。 1985年、夏の鈴鹿で見せた”ケニー&タイラ”の走りは現在でも伝説として語り告がれている。 YOU TUBE ”1985年鈴鹿8耐 TECH21” ☆ 通称”水中メガネ” ライトまわりの造形は市販車FZ750の面影を残す為、四角いデザインとなった。 FフォークはΦ41 FディスクΦ320 キャリパーは着脱しやすいようにサポートを介してピン付けのシャフト止め Fタイヤサイズ 3.25/4 70-17 クイックチャージャー給油口 YOU TUBE ”資生堂 TECH21 平忠彦CM” YOU TUBE ”1985 YAMAHA FZR750 8耐参戦車” ”DOHC5バルブエンジンと4ストロークレーサー ”ヤマハ発動機株式会社 FZR750(OW74)画像集 模型製作記”TECH21 YAMAHA FZR750'85 #21 平忠彦/K.ロバーツ ”Part1 Part2 Part3 アルミデルタボックスフレーム ピポット部はアルミ部材から削り出したもの Rサスはボトムリンク式でマウント部は目の字 スイングアーム メインパイプの厚みは58mm Rタイヤ 3.70/7.00-18 ホィール 前後マービック ☆ ブラボー画 オク画伯 ☆ ローソン限定 ”キリンFIRE ”コーヒー缶おまけ 更に「FZR750(OW74)TECH21 1/12スケールモデル」が抽選で3000名に当たりました。 ☆ 関連画像 1987 YZF750 (OW89) TECH21 ケビン・マギー&マーチン・ウイマー 1990 YZF750 (OWB7) TECH21 平忠彦&エディー・ローソン ☆ 画像足して更新しました。↓ ~Motorcycle racers~1985 FZR750(OW74) #21 ケニー・ロバーツ&平忠彦 ☆ 年代ごとにグランプリマシンの画像まとめてみました。 Motorcycle races お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011年10月14日 18時44分55秒
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