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ロードレーサー画像館

2010年04月02日
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2008型YZR-M1をベースに、いっそうの加速性能向上をはかったファクトリーマシン。
2009年、バレンティーノ・ロッシが年間6勝を挙げ、MOTO-GP通算6度目のチャンピオンを獲得。
さらに、年間4勝を挙げたチームメイトのホルヘ・ロレンソやコーリン・エドワーズ、ジェームス・トーズランドも同型のマシンで着々とポイントを積み重ね、ライダー、チーム(FIAT YAMAHA TEAM),マニュファクチャラー(ヤマハ発動機)の3タイトルを2年連続で制覇した。



2009年YZR-M1主要仕様諸元

エンジン 水冷4ストロークDOHC並列4気筒 クロスプレーン型クランクシャフト
最高出力 200hp以上(147kW)
最高速度 320km/h以上
ミッション 6速
フレーム アルミ製デルタボックス
サスペンション 前:オーリンス製倒立サスペンション、後:オーリンス製
ホィール(マルケジーニ) 前後16.5インチ
タイヤ(ブリヂストン) 前後16.5インチ
ブレーキ(ブレンボ)前320mmカーボン製ダブルディスク(4ピストン)
(ブレンボ)後220mmスチール製シングルディスク(2ピストン)
車体重量 148kg







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エンジンは2008年の熟成進化版。
エンジン使用制限レギュレーションが導入されたことにより、
ヤマハはエンジン出力を犠牲にして耐久性の拡張をはかった。
そのためにヤマハだけ後半戦、トップスピードが遅くなり、
ライダーからはパワー不足を指摘する声も上がった。

爆発タイミング90度クランクで、90度、270度の不等間隔爆発。

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マグネシム製トップブリッジ
メーターは2D製
エンジン回転やギアポジション等々、様々なロガーデータを表示し、表示項目も選択出来る。

スイッチボックスはカーボン製
右ハンドルスイッチ、緑がピットレーンスピードリミッター(60km/h)、赤がキルスイッチ
左ハンドルスイッチ、黄色がスタージに使用するローンチコントロールスイッチ
(スタート時のアンチウィリー、ホィールスピン制御)
グレーがマップ切り替えスイッチ
あらかじめインプットされた数種類のエンジン出力特性を選択し、天候変化などのあらゆる状況変化に対応出来る。

2009年後半戦レギュレーション変更によりエンジン使用基数制限(7戦で5基)が加わる。
ライダーは転倒時、キルスイッチでエンジンを止め、エンジン寿命を延ばさなければならなかった。

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ステアリングダンパーはオーリンズ製

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オーリンズ製倒立フォーク
キャリパーマウントの内側にフロントフォークの圧側、伸側ダンパーのついた調整機能がついている。

マルケージ製マグネシウム鍛造ホィール

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ブレンボ製カーボンローター
ブレーキキャリパーはブレンボ4ポットトラジアルフィックスタイプ

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シートレールはカーボン製
リアサスペンションはオーリンズ製TTX

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マフラーは4-2-1
1-4、2-3番が集合した後、テールパイプに繋がってゆく。

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リアブレーキはブレンボ製2ポット

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アルミ製スングアーム

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騒音規制が緩いのでほとんど消音効果のないカーボンサイレンサー

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エクセディ製乾式多板クラッチ
制御系、クラッチを変更した結果、前年に比べてスタートが格段に良くなった。

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エクセディはF1でフェラーリーにもクラッチを供給し、優勝実績もある日本のトープメーカー。

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”2009 YZR-M1 #46 バレンティーノ・ロッシ”もっと大きい画像が見たい方はコチラ









Motorcycle races











Last updated  2010年07月07日 23時11分25秒
2010年03月31日
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バレンティーノ・ロッシが年間9勝を挙げ、ヤマハ発動機に初のMOTO-GPチャンピオンをもたらしたファクトリーマシン。
リニアなスロットル応答性、トラクション性能の向上をはかるため、DOHC4バルブ・不等間隔爆発の新型エンジンを投入。
さらにアイドル・コントロール・システムの熟成により、良好なエンジンブレーキフォーリングを実現。
またフレームやリアアームも新設計し、車体ジオメトリーを最適化。
操縦性と安定の両立をはかった。

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ヤマハ4ストローク最高峰マシンの車名は”YZR-M1”という。
車名の"YZR"はヤマハ集大成の2ストロークマシンでモーターサイクルレースの最高峰を闘ってきた"YZR500"から由来している。

その"YZR500"の心臓部に新開発・・肝いりの4ストロークエンジンが搭載される。





では・・ ”M1”の意味は何だろうか?

車名に刻まれたMの一文字、ミッションつまり 使命・任務を意味するMである。
この"M"には実はふたつの意味がある。

まずひとつ目はヤマハMOTO-GPの使命、大きなミッションの先にはワールドチャンピオンの獲得を見据えていた。



そして、もうひとつの意味がある。
それは・・”最高峰技術を市販車にフィードバックする”という意味が含まれていた。







ヤマハの最高峰クラス4ストローク元年、最初の2年間は非常に厳しい時代であった。
結果としてヤマハの目論見が甘かったといっても過言ではなかった。



”では、勝てるマシンを創るにはどうしたらいいのだろう・・。”
この時は、さすがのヤマハの開発陣も頭を抱えていた・・。




苦難が続くヤマハとYZR M-1に大きな転機が訪れたのは2004年だった。
ライバルメーカーで勝ち続けていたバレンティーノ・ロッシが・・、チャンピオンライダーがヤマハに移籍してきた。






2004年開幕前テスト、初めて、バレンティーノ・ロッシがヤマハのマシンに跨った日である。



この日、幸いな事がひとつあった。
ヤマハはテスト当日まで4種類のエンジンを用意、出来ていたのである。



実戦投入されていたヤマハの顔ともいえる5バルブ
等間隔爆発
新たに開発された4バルブ
不等間隔爆発


レースで勝つ為にはどういう特性が必要なのかって考えた時に・・この組み合わせがいいだろうと・・ぼんやりとだが、ヤマハには見えていた。
しかし、確信が持てなかった。



あるテストライダーに言われた。
”これパワーないですよね。”
ヤマハの支点は定まる事がなかった。

チャンピオンライダーのその・・一言があるまで・・。




チャンピオンライダー、ロッシが選択したのは4バルブ不等間隔爆発エンジンだった。

ヤマハにとっては新チャレンジとなる・・
イバラの道が予想された。


開発陣はそれでも確信を持つことが出来なかった。
しかし、それはチャンピオンライダーの一言で払拭された。






ロッシは、こう言ったのである。

”SWEET”






彼はこう続けた。

”2003年型のM-1でも同じようなラッタイプをだせる
ただこの新しいエンジンスペックだったら、同じラップタイムを長く出せる。”






レースで何が大事か・・

一発の速いラップタイプが必要か・・。
実はそうではない。

一発の速いラップタイプよりもラップタイムが落ちてもいいから、10~15ラップを同じタイムで走れる。
レースの周回数、いわゆるレースディスタンスを同じラップで走れば、それが一番・・
それもレベルの高いラップタイムで・・。
これが一番大事なのである。



レベルの高いラップタイムを維持するにはどんなマシンがいいのか?




レースに一番、必要な要素、それはレースの間、ライダーは緊張感と尋常じゃない状況におかれている。
したがって、ライダーには図太い精神力と高い集中力が要求されている。

扱いにくくて、用心を要し、細かい作業が必要になるマシンは一番集中力を持続させるのに邪魔になる。





ならば、ライダーの操作・入力に対して素直な特性をもったバイクを創る事が出来れば、ライダーの集中力を持続させて、高いレベルのラップタイムを持続させる事に繋がるのではないか・・。





クロスプレーン、4バルブの良さが出た。
2004年開幕戦、チャンピオンライダー、バレンティーノ・ロッシにとっても生涯忘れる事の出来ない感動的なデビューウィンを飾る事が出来た。




ロッシは全16戦中、9勝獲得。
移籍初年度でのタイトル獲得という偉業を達成した。




そしてYZR M-1はプロジェクト3年目にして、ひとつのミッション、MOTO-GPでのチャンピオン獲得を達成した。


ふたつ目のミッションは2009年、新型YZF R-1の発売の日に達成されたのである。









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ヤマハ発動機”2004 YZR-M1(OWP3)”

ホンダ技研”2004 第1戦 南アフリカGP"

ヤマハ発動機”2004 YZR-M1(OWP3)”バレンティーノ・ロッシ シリーズチャンピオン獲得”

スカパー”MotoGP 2004年シーズン総括”

ヤマハ発動機”Sweet”

ネットで見つけた”2004 YZR-M1(OWP3) #46 バレンティーノ・ロッシ”画像

ヤマハ YZR-M1`04 (プラモデル)

ネットで見つけた”2004 YZR-M1(OWP3) #46 バレンティーノ・ロッシ”模型
















”2004 YZR-M1(OWP3) #46 バレンティーノ・ロッシ”もっと大きい画像が見たい方はコチラ









Motorcycle races











Last updated  2010年06月14日 21時02分08秒
2010年03月29日
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2002年 インラインフォー、5バルブ等間隔爆発エンジンを採用したYZR M-1は
2003年途中からキャブレターをフューエルインジェクションへと変更。
更に電子制御の一環としてICS(アイドルコントロークシステム)を導入し
4気筒中、2気筒のスロットルバルブを電子制御し、
エンジンブレーキのフィーリングを向上させ、
制動時の高い安定性、旋回性を獲得した。

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2002年”ウエスト ホンダ ポンス”から参戦したアレックス・バロスは、
ポテンシャルの劣る2ストロークマシン ホンダNSR500で
4ストロークマシン勢と互角の戦いを見せ、2度の表彰台を獲得。
この活躍からシーズン終盤4戦、
ホンダはバロスの為に4ストローク新型マシン”RC211V”を提供。
バロスはホンダの期待に応え、同マシンを乗るワールドチャンピオン、
バレンティーノ・ロッシとの接戦を制し、2勝を獲得。

翌2003年、アレックス・バロスはテック3・ゴロワーズ・ヤマハ・チームに移籍。
フルファクトリーのYZR-M1を走らせるが、
開幕戦の鈴鹿、ウォームアップで転倒、靱帯を痛める大怪我を負ってしまう。
結局、この年は期待されたほどの活躍を果たす事が出来なかった。
バロスは2004年もテック3・ゴロワーズ・ヤマハと契約をしていたが、
これを破棄し、ホンダに戻っていった。






ワークス・ホンダとサテライト・ホンダがRC211Vで表彰台を独占する中、
ビアッジを失ったヤマハの2003年の表彰台獲得回数は、
アレックス・バロスの3位表彰台の1回のみであり、
ヤマハ全体の優勝回数はゼロという結果になった。

1992年ウェイン・レイニーが3連覇を達成させてから、
最高峰チャンピオンから遠ざかっているヤマハ・・

”どんなマシンを作ったら、勝つ事が出来るのだろうか?”
ヤマハはこの年の”負け”から更に多くの事を学んでいた。

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画像左 フォルチュナ 2003 YZR-M1(OWN3)#7 カルロス・チェカ







ヤマハ発動機”2003 YZR-M1(OWN3)”

ヤマハ発動機”2003 レースリリース バロスがIRTAテスト1日目で好タイム”

ネットで見つけた2003 大阪モーターサイクルショー”2003 YZR-M1(OWN3)#4”画像

ミニチャンプス完成品1/12スケールモデル ゴロワーズ・ヤマハ・テック3 2003 YZR-M1 #04アレックス・バロス

タミヤ模型1/12 オートバイ シリーズ”フォルチュナ 2003 YZR-M1(OWN3)#7”

ネットで見つけた模型”2003 YZR-M1(OWN3)#4 アレックス・バロス”












”2003 YZR-M1(OWN3)#4 アレックス・バロス”もっと大きな画像が見たい方はコチラ。







↓モーターサイクルレーサーの画像集めてみました。
Motorcycle races










Last updated  2010年07月07日 23時10分47秒
2010年03月25日

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MotoGP用の初代ファクトリーマシン。
突出した特性に頼らない総合性能、ドライバビリティに優れたマシンづくりをキーコンセプトとし、
軽量・コンパクト・高性能な並列4気筒エンジンを、YZR500ベースのデルタボックスフレームに搭載。
シーズン中においても、エンジン排気量やフレーム形状を変更するなどさまざまなトライを重ね、
マックス・ビアッジが年間2勝・ランキング2位を獲得した。

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当時、ヤマハは2ストローク500CCを闘っている中でレギュレーション変更の為、
4ストローク990CCマシンの開発に着手。

ヤマハ開発陣には”990CCの排気量ではタイヤをうまく使えないだろう。”
という発想があった。
”それならうまくタイヤを使えて、しかも小さくコンパクトに出来る最大排気量以下で
造って全体のパッケージでいいクルマにまとめよう。”
そんな発想からYZR M-1の開発はスタートした。


2002年ワールドグランプリ最高峰クラスの4ストローク化とともに
扱いやすいエンジン特性と扱いやすい車体特性というコンセプトのもと
YZR500同様のアルミデルタボックスフレームに並列4気筒5バルブエンジン搭載し
デビューしたYZR M-1。

当初はレギュレーション上限50CC以上残した 942CCのエンジンを搭載、
更にライバルが当然のように採用したフューエルインジェクションを見送り、
キャブレターを採用。

実戦にはいってみるとライバルとのパワー差は歴然、
結局、急遽、最大排気量990CCのマシンを実戦投入した。





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ヤマハ発動機"2002 YZR-M1(OWM1)"

インテリマーク”ヤマハの990ccマシン開発の歴史”

ヤマハ発動機"GP500からMotoGPへ。並列4気筒・YZR-M1の活躍"

MOTUL”MotoGP チェコ/ブルノでマックス・ビアッジ今季初優勝!”

ネットで見つけた"ヤマハコミュニケーションプラザ見学記”

rpm"2002 YZR-M1(OWM1)#3 画像”

ネットで見つけた”2002もてぎ画像”

柴田製作所"2002 YZR-M1(OWM1)イラスト"

ネットで見つけた"2002 YZR-M1(OWM1)#3 イラスト"

ネットで見つけた"2002 YZR-M1(OWM1)模型"

YOU TUBE"2002 YZR-M1"













2002 YZR-M1(OWM1)もっと大きな画像が見たい方はコチラをクリック




ロードレーサー画像集










Last updated  2010年03月31日 12時32分04秒
2010年03月07日
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新レギュレーションに対応して開発されたYZR-M1の2年目のシーズン、
ノリックこと阿部典史はヤマハワークスの開発ライダーに抜擢された。

負傷したメランドリの代役として”フォルトルナ”カラーのマシンで
第1戦鈴鹿、第2戦アフリカ・ウェルコム、第16戦バレンシアに参戦。

第4戦フランス、第9戦ドイツはワークスカラーで参戦、
全戦で完走し、貴重なデータをヤマハに提供した。
5戦のみ参戦したこの年、阿部典史のランキングは16位だった。


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ヤマハ発動機”YZR-M1の挑戦 ~MotoGP第一章 2002-2006の記録~”

ネットで見つけた”「YZR-M1の挑戦 MotoGP第一章 2002-2006の記録」レポート”

MOTUL

ネットで見つけた”2003年型 YAMAHA YZR-M1 模型製作記”

TAMIYA ONLINE SHOP

ネットで見つけたイラスト”'03YZR-M1proto(M6) #17阿部典史”

shineさんのイラスト”'03YZR-M1 #17阿部典史”







”2003 YZR-M1 (OWN3)#17 阿部典史”もっと大きな画像が見たい方はコチラ






ロードレーサー画像集











Last updated  2010年03月07日 23時31分13秒
2010年03月05日
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限定発売モデルFZR750R(OW01)をベースに開発した耐久仕様の
TT-F1ファクトリーマシン。

いっそう高回転化・小型化された新エンジンを前輪過重増加のため
ステアリングヘッドを低く抑え、スイングアームピポッド位置を
前進させた新設計フレームに30度前傾で搭載。

同時に、フレームラインと一体化した高剛性リアアーム、
倒立式フロントフォークの採用によって足まわりを強化し、
GPマシンなみの操縦性を実現した。

90年鈴鹿8時間耐久レースでは、エディー・ローソンとペアを
組んだ平忠彦が念願の初優勝を飾った。

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ニッカンスポーツ1990年鈴鹿8耐

YZF750(OWB7)模型製作記

ヤマハ発動機スペシャルコラム「8耐 ヤマハ・レジェンド」

YOU YUBE ”1990年鈴鹿8時間耐久”

”YZF750(OWB7)1990”






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ヤマハ発動機 TECH21 1990鈴鹿8時間耐久”1000人の名前をアンダーカウルに刻む”

鈴鹿サーキット ”平忠彦 鈴鹿8耐を語る”















資生堂TECH21レーシングヤマハ、平忠彦の鈴鹿8時間耐久レース

1985年 
平忠彦は1983年フレディー・スペンサーと壮絶なチャンピオン争いをした後にグランプリを引退した
”キング”ケニー・ロバーツと組んで、資生堂TECH21レーシングヤマハチームで参戦。
”世界の走りをものにする。吸収出来るものはすべて吸収する。”
優勝候補と呼ばれ、下馬評どうり決勝レースをトップ独走、
しかしレース終了30分前にマシントラブルでリタイア。

1986年
平忠彦はグランプリライダーのクリスチャン・サロンと組んで参戦。
平とはシフトパターンの異なり、ピットインの度にシフトパターンを変えた。
サスペンションの好みもそれぞれ違った。
更にこの年から名称を変えたYZF750はミシュランタイヤとのマッチングが思わしくなった。
トップを走るワイン・ガードナー&ドミニク・サロンのRVF750の追走に苦しむ事になる。
レース中盤を過ぎた4時間15分後、104周クリスチャン・サロン走行時にエンジントラブルによる緊急ピットイン、しかしマシンが再び目を覚ます事はなかった。

1987年
この年のWGPフランスの予選で平忠彦が転倒、負傷。
夏の鈴鹿に表れた平は満身創痍の身体でマシンに跨るが、出場を断念。
首にギブスを巻いた平は監督としてチームを引っ張る事になる。
レースはヨシムラとのトップ争いとなった。
最終のピットイン、マギーはマーチン・ウィマーとのライダー交代をせず、ガスチャージのみで即ピットアウト。
怪童マギー、驚異的ペースでヨシムラの高吉を追いつめる。
レース終了残り5分、ヨシムラ高吉のプレッシャーが限界に達する。
ゼッケン45、勝利を目前にして痛恨の転倒。
怪童マギーの最後まであきらめない走りが奇跡を起こす。
資生堂TECH21レーシングヤマハチーム初優勝。
”テームは勝てた。しかし、俺は走っていない。”

1988年
平忠彦は後に世界チャンピオンに輝くマイケル・ドゥーハンと組んで参戦。
やはり後に世界チャンピオン輝くウェイン・レイニー、ケビン・シュワンツとの壮絶なバトルを展開する。
暗闇のサーキット、レース終了まであと10分、3位走行中の平忠彦に衝撃が走る。
またしてもエンジントラブル。
”マシンを労わりながら走った。それでも・・。”

1989年
平忠彦はケニー・ロバーツの秘蔵っ子、ジョン・コシンスキーと組んで参戦。
ライバルがトラブルで脱落していく中、耐久のスペシャリスト、サロン/ビエラ組を追いつめてゆく。
6時間を過ぎた163周、2位走行中のコシンスキーが突然のスローダウン。
またしてもエンジン・トラブル。
2コーナーのスポンジバリアー、眠りについたマシンが立て掛けられた。



人々はささやいた。

”平さん・・、らしいよな・・。”


止める事だって出来た。
しかし、ライダーとしてのプライドがそれを許さなかった。



完走して、なおかつ最善の結果を得るまでは・・。

異様な圧迫感が平を襲っていた。






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1990年
平忠彦はワールドグランプリで前年、4度目のチャンピオンを獲得した エディー・ローソンと組んだ。
エディーは優勝請負人と呼ばれていた。
こんなチャンスはもう2度と来ない。
プライドにかけて・・勝つしかなかった。


決勝レースは想像を絶する展開となった。
OKIホンダのガードナー&ドゥーハンが序盤の転倒を挽回しようと、
トップを走るTECH21チームを猛追した。


”今年こそタイラさんを勝たせてあげたい。”
何年も平に声援を送り続けたファンや関係者の目にはガードナー&ドゥーハンの怒涛の追い上げは脅威以外の何物でもなかった。


しかし、予想を上回るハイペースがOKIホンダチームの計算を狂わせた。
ガードナー走行時、ゼッケン11OKIホンダ、ついにガス欠でマシンが止まってしまう。
夕暮れのサーキット、タンクを覗き込みマシンを何度も揺するガードナー。
オフィシャルの制止もガードナーの耳には届かない。

THCH21を脅かしたOKIホンダはリタイヤとなった。
しかし、平忠彦の表情は崩れる事がなかった。


最後のピットイン、平はエディーにマシンを託した。
真夏の鈴鹿、熱中症寸前で走るライダーのライディングスーツは汗でぐっしょり重くなっているはずだ。
しかし、平はライディングスーツを最後まで脱ごうとはしなかった。
夕闇の中、疾走するローソンの姿をモニター越しに追っていた。


とてつもなく長く感じた時間・・しかしついにその瞬間はやってきた。
夕闇のサーキット、無数のフラッシュの中、勝者エディー・ローソンにチェッカーが振られた。
平忠彦から始めて白い歯がこぼれた瞬間だった。







平&THCH21の悲願の優勝は1990年、ついに達成された。





表彰台の下に多くのファンがなだれ込み、自然とタイラコールが鈴鹿に巻き起る。
”タイラ!、タイラ!、タイラ!・・”何度も何度も・・連呼された。

平忠彦は表彰台の真ん中で、エディーと共にほっとしたように・・安堵の笑顔をみせたのであった。



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関連画像

1985 FZR750 (OW74) TECH21 ケニー・ロバーツ&平忠彦

1987 YZF750 (OW89) TECH21 ケビン・マギー&マーチン・ウイマー


1986 YZR250 (OW82) 平忠彦

1984 YZR500 (OW76) #1 平忠彦

平忠彦さん 秘宝館



1993 RVF750 #7 エディ・ローソン/辻本聡





"YZF750(OWB7)1990"もっと大きい画像を見たい方はコチラをクリック


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↓モーターサイクルレーサーの画像集めてみました。
Motorcycle races









Last updated  2011年03月08日 22時21分09秒
2010年02月28日
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1973年以来、30年の歴史を誇る2ストローク・500CCマシン。
YZR500シリーズ28代目の最終モデル。

2001年型OWL6をベースとして、軽量・高強度のパウダーメタル鍛造ピストン採用、
吸排気系の最適化、車体重量バランスの見直しを行い、加速性能、ハンドリング性能をアップさせた。





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90度V型4気筒2ストローク500ccエンジン,最高出力180馬力以上。
最高速度310キロ。






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”アンテナ3・ヤマハ・ダンティン”
ノリックこと阿部典史は1999年ヤマハのサテライトチーム、ダンティンに移籍。
同チームで2002年までグリンプリを戦った。
メインスポンサーは”アンテナ3”、スペインのTV局である。




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2002年からグランプリはMotoGPクラスへの移行が決定。
MotoGP元年、4ストロークマシンとの混走レギュレーションの中、
サテライトチームに所属していたノリックはシーズンの殆どを不利と言われた2ストロークマシンYZR500で戦い、2スト勢最高位のランキング6位を獲得した。
この年、ノリックに4ストロークエンジン搭載の新型マシンYZR-M1が供給されたのは
第15戦オーストラリアGPからであった。





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ヤマハ発動機”歴代YZR500のモデルを年代別にご紹介します。~2002 YZR500 (OWL9)~”

模型 2002 YZR500 (OWL9)

模型 2002 YZR500 (OWL9)

ネットで見つけた”ノリックの写真”

YOU TUBE”MotoGP元年、2スト4スト混走”




”2002 YZR500 (OWL9)”スライドショー







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もっと大きな画像を見たい方はコチラをクリック。”画像 2002 YZR500 (OWL9)”










モーターサイクルレーサー画像集






Last updated  2010年02月28日 23時44分13秒
2010年02月25日
OWJ1(1996)、OWHO(1997年)と平行開発されたが、
結果的に実戦投入が前後して開発コードアルファベットと出場年度が逆転している。
(画像のマシンは外装のみ1997年仕様に変更したものと思われる。)

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1997年 ノリックこと阿部典史はシーズン開幕のテストから、
今年度より大きな変更をうけたマシンに苦しんでいた。

シーズン途中よりヤマハに無理を聞いてもらい、
96年モデルとの比較テストを行いながらグランプリを闘う。

この年はヤマハが全面的バックアップ、1996年仕様のマシンが2台、
1997年仕様のマシンが2台、計4台のマシンがノリックの為に用意された。

ノリック苦難のシーズンであったが、最終戦には3位表彰台に上がり、
ランキングは7位であった。


1996 YZR500 (OWJ1) #9 阿部典史   もっと大きい画像を見たい方はコチラをクリック























ロードレーサー画像集











Last updated  2010年02月28日 13時33分50秒
2010年02月20日
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ノリックこと阿部典史、グランプリ参戦2年目の1996年。

この年、ホンダの岡田忠之が500CCクラスフル参戦開始、
ホンダ新開発の2気筒マシンNSR500Vを駆り開幕戦マレーシアでトップを快走した。
対するノリックは序盤2レースで納得出来る走りが出来ないまま、
第3戦鈴鹿の日本グランプリを迎える。

いい時の自分の走りを思い出す為、
1994年鈴鹿のVTRを何度も何度も見返して望んだ鈴鹿サーキット・・
予選では本人の意に反し、ひとけたポジションの獲得も叶わなかった。

しかし、希望はあった。
この年、ヤマハはYZR500に新開発のフレームを搭載したが、
旧型フレームのマシンで走った方が調子良かった。
決勝では予選のトラブルで使えなかった旧型フレームのマシンで走る事が出来た。


決勝では予選を1秒をも上回るタイムで周回、見違える走りをみせた。

いつもとは違う・・自分の体が自然に・・楽に走れた。
まわりのライダーが遅く感じる・・
なおかつ、自分の走りを冷静に分析出来た。

8周目、王者ドゥーハンをパスした。
”ドゥーハンは必ず追ってくる。”
しかし、誰も彼を追う者はいなかった。


ずっと憧れ続けたワールドグランプリ・・
念願の初勝利を1996年4月21日、鈴鹿サーキットで飾る。

日本人ライダー最高峰クラスでは14年振りの優勝、
地元での優勝は日本人初の快挙であった。


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ヤマハ発動機”歴代YZR500のモデルを年代別にご紹介します。”


YOU TUBE”1994年 WGP 鈴鹿サーキット"


YOU TUBE”1996年 WGP 鈴鹿サーキット1”

YOU TUBE”1996年 WGP 鈴鹿サーキット2”

YOU TUBE”1996年 WGP 鈴鹿サーキット3”

YOU TUBE”1996年 WGP 鈴鹿サーキット4”

YOU TUBE”1996年 WGP 鈴鹿サーキット5”

YOU TUBE”1996年 WGP 鈴鹿サーキット7”

YOU TUBE”1996年 WGP 鈴鹿サーキット7”


YOU TUBE "Norick 阿部典史1"

YOU TUBE "Norick 阿部典史2"

YOU TUBE "Norick 阿部典史3"

YOU TUBE”V.ロッシX阿部典史 スペシャル対談”




ネットで見つけた”ヤマハ OWJ1(96年型YZR500)”画像

素顔のレーシングヒーロー 阿部典史

ネットで見つけた”ノリック メモリアルミーティング (阿部典史選手を偲ぶ会)”

ネットで見つけた”ノリック献花台 ~ MFJスーパーバイク2007 Rd.7 鈴鹿”

ネットで見つけた”1996 YZR500 (OWJ1) #9 ”模型製作記”

Wick Visual Bureau”Grand Prix of Japan 1996 SUZUKA CIRCUIT”

ノリック~阿部典史伝説

ネットで見つけた”1996 YZR500 (OWJ1) #9 阿部典史 模型製作記”

1996 ノリックもどき









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1996 YZR500 (OWJ1) #9 阿部典史   もっと大きい画像を見たい方はコチラをクリック











スライドショー”ノリック メモリアル”













↓モーターサイクルレーサーの画像集めてみました。
Motorcycle races











Last updated  2010年07月07日 23時07分25秒
2010年02月18日
1994年鈴鹿サーキットでセンセーショナルなグランプリデビューを果たしたノリックこと阿部典史。
1995年、チーム マルボロ・ヤマハ・ロバーツより念願のグランプリ、フル参戦を開始。
同年1月にチームと契約していたダンロップの本社が阪神大震災で被災。
このためタイヤ開発が遅れ、シーズン序盤は苦戦するも、シーズン後半はタイヤ開発が進み、第11戦ブラジルGPにて自身初のグランプリ表彰台を獲得する。

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ヤマハ発動機”WGP500 最高峰への挑戦  YZR500 30年の進化”

ヤマハ発動機”各モデルの概要 ~歴代YZR500のモデルを年代別にご紹介します。~”

ネットで見つけた”2003年YAMAHAコミュニケーションプラザ WGP500 最高峰への挑戦”

ネットで見つけた”YZR500 30年の進化”

ヤマハ発動機”1995 阿部典史の足跡”

YOU TUBE”1995 TBC Big road race GP500”

トランスキット ヤマハ YZR500 WGP 1995(模型)

YF DESIGN"ヘルメット SHOEI NORICK"

Norick,The Racing Star"受注限定 阿部典史レプリカヘルメット「SHOEI X-Eleven Norick94」"

1995ノリックもどき





1995 YZR500 (OWF9) #17 阿部典史   もっと大きい画像を見たい方はコチラをクリック





ロードレーサー画像集






Last updated  2010年02月23日 11時28分29秒
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