【楽天ブック】まぼろしの上総国府を探して [ たからしげる ]
千葉県に昔あった、上総国(かずさのくに)。その都、国府がどこにあったのかは、なぞのまま。こんな古代のミステリーに興味をもち、“まぼろしの国府”を追いかけた。産経新聞の記者がいた。実際の取材をふりかえりながら、「こんなふうに話を聞き出した」「あそこに行って、こう調べてみた」「その場所を、地図を手に歩いてみた」という方法や手段を紹介。
その昔、現在の千葉県中央部に位置していた上総国(かずさのくに)。奈良から平安にかけて、その都の中心には国府があった。広大な敷地の中に立派な建物があったのは確実だが、それがどこかはいまだ判明していない。
著者はこの謎に挑んだ。まず本を調べ、市の担当部署に問い合わせ、それから現地を回り、専門家の話を聞く。そうした手順を踏むうちに、次第に頭の中で見取り図が描かれていく。そのおもしろさが、本書から読み取れる。
では,国府はどこだったのか・・・? それは読んでのお楽しみ。
▼かずさのくに【上総国】
現在の千葉県中部(房総半島北部)を占めた旧国名。南総(なんそう)ともいう。国府と国分寺はともに現在の市原市におかれていた。
大化の改新の際、総(ふさ)国の南半を上総国、北半を下総(しもうさ)国に分け、のちに上総国から安房(あわ)国を分離した。桓武(かんむ)天皇の曾孫(そうそん)高望王(たかもちおう)が上総介(かずさのすけ)となって土着してから平氏(へいし)が勢力を占めたが、平忠常(たいらのただつね)の乱で荒廃。のち、その子孫の千葉氏が支配し、源頼朝(みなもとのよりとも)の挙兵を助けた。
鎌倉時代の守護は足利(あしかが)氏、南北朝時代から室町時代は佐々木氏、千葉氏、上杉氏。戦国時代には里見氏、次いで後北条(ごほうじょう)氏が支配するが、江戸時代には11藩が分立した。
1871年(明治4)の廃藩置県により木更津(きさらづ)県となったが、1873年(明治6)に印旛(いんば)県と合併し千葉県となった。