徳川幕府十三代将軍・家定の妻であり,江戸城の無血開城に大きな役割を果たし,大河ドラマでも話題となった天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ 1835~83年)。
天璋院篤姫の死因は、心臓由来の血栓による脳梗塞の可能性が高い-。鹿児島市の今村病院分院の浜田陸三・神経内科部長(65)らは、篤姫を見舞った勝海舟の日記や徳川家の史料などを医学的観点から調べ、こんな分析をまとめた。
篤姫は1883年11月13日、東京・千駄ケ谷の徳川宗家本邸で突然意識不明となり、そのまま同20日に47歳で死去した。史料には「中風」や「卒中」と記され、死因は脳出血が定説となっている。
だが、今村病院分院の浜田陸三・神経内科部長らの分析によると,史料に掲載された病状の経過などからは、心臓の心房機能に異常が生じる「心房細動」が起き、心房でできた血栓が脳血管に詰まる「心原性脳塞栓(そくせん)症」を発症した可能性が高いという。
◆黎明館前庭の「天璋院篤姫」の銅像
鹿児島市城山町の黎明館前庭ある篤姫の銅像。高さがおよそ3メートル,篤姫の40歳前後の写真をもとに彫刻家の中村晋也(なかむらしんや)さん制作によるものです。
前面の「天璋院」の文字は,篤姫の直筆書簡を基に彫り込んでいます。
▼篤姫-東京ゆかりの地
徳川13代将軍家定の正室・篤姫は(1836~1883)は、家定の死後,「天璋院」を名乗りました。幕末の激動期を気丈に生きた彼女は,1856年に江戸城にお輿入れしてから亡くなるまで,東京で数度の転居を経験しています。その足跡をたどることで,歴史に翻弄された一生がしのばれます。
◆寛永寺 台東区上野桜木1-14-11(JR山手線・うぐいす谷駅)
江戸城の鬼門を守る祈願所として、1625年3代将軍家光のとき創建された。芝増上寺と同じく徳川将軍家の菩提寺であり,家定,そして天璋院の墓所がある。
◆一橋邸跡 千代田区大手町1-4(東京メトロ東西線・竹橋駅)
1868年,江戸城の開城で,天璋院は姑・本寿院と共に,一橋邸に移り住んだ。本寿院は天璋院の没後,2年後の1885年,この一橋邸で75歳の生涯を閉じた。
◆皇居
かつての江戸城本丸、二の丸、三の丸跡にあたるのが,現在の皇居東御苑。この地は,無料一般公開されている。
◆勝海舟邸跡
港区赤坂6-6-14(東京メトロ千田線・赤坂駅)
赤坂永川神社近くにあった勝海舟邸。いったん京都に戻った和宮は,皇室の説得もあり,明治天皇の東京行幸を機に東京に戻った。帰京後に,天璋院と一緒に勝海舟邸を訪ね,食事をともにしたとも伝えられている。
★大河ドラマ原作 天璋院篤姫 宮尾登美子著(講談社,上下各1785円)★
★天璋院篤姫(上)★
★天璋院篤姫(下)★
★その時歴史が動いた(幕末奔流編)★