| 余命は一年、そう宣告された妻のために、小説家である夫は、 とても不可能と思われる約束をした。しかし、夫はその言葉 通り、毎日一篇のお話を書き続けた。五年間頑張った妻が亡 くなった日の最後の原稿、最後の行に夫は書いた──「また 一緒に暮らしましょう」。妻のために書かれた1778篇から19 篇を選び、妻の闘病生活と夫婦の長かった結婚生活を振り返 るエッセイを合わせたちょっと変わった愛妻物語。 |
◆本文より-----9ページ~10ページ
妻が退院してから、私は考えた。
何か自分にできることはないだろうか。
思いついたのは、毎日、短い話を書いて妻に読んでもらうことである。
文章の力は神をも動かすというが、もちろん私は、自分の書くものにそんな力があるとは信じていない。
ただ、癌の場合、毎日を明るい気持ちで過ごし、よく笑うようにすれば、体の免疫力が増す~とも聞いた。妻の病気以来、私は外泊しなければならぬ用はできるだけ断り、原稿書きの仕事も最小限にするように努めていた。なるだけ一緒にいるようにし、手助けもするとなれば、そうならざるを得ないのである。週に二回、大阪芸術大学へ教えに行ってもいるのだ。
しかし妻とすれば、自分のせいで私の仕事に悪影響が及ぶのが嫌だったのだろう。もっと書かなければと言う。
だったら、原稿料は入らないけれども、妻のために面白い話を書けばいいのではないか?
あとがき ---204ページ
間もなく妻の三回忌だ。
毎日短い話を書いたことについても、自分にはそれしかできなかったのだ、と現在の私は考えることにしている。
そしてその五年間は、私たち夫婦にとっても、また私自身の物書きとしての生涯の中でも、画然とした一個の時期であり、ただの流れ行く年月ではなかったのである。
妻へ ー 読んでくれて、ありがとう。
最後になりましたが、ここで、この本を出すにあたって種々ご指摘・ご指示を下さった新潮新書の編集部、それに亡妻悦子と私のことでさまざまにお世話頂きご心配をかけた多くの方々、そして娘村上知子に、厚くお礼申し上げるしだいです。
平成十六年五月
眉村 卓