昭和11(1936)年2月26日──。まだ夜も明けていない雪の帝都・東京で、日本最大のクーデター未遂事件が起こった。世に言う「二・二六事件」である。
この事件で暗殺された九人の被害者の一人に渡辺錠太郎陸軍大将がいた。 陸軍の青年将校らがクーデターを企て、政府要人らを殺害した「二・二六事件」から今年で85年目を迎えた。二・二六事件では、陸軍の青年将校らが天皇中心の国家を確立するとしてクーデターを企て、一時、首都・東京の中枢を占拠し、政府要人ら9人を殺害した。
渡辺錠太郎陸軍大将については,娘のシスター・渡辺和子さんが著書の中で何度も父・錠太郎について言及している。累計230万部を超え、平成期を代表する大ベストセラーとなった『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎)の中でも、その人となりと二・二六事件当日の渡辺邸の様子を次のように書き記している。
『置かれた場所で咲きなさい』 p128-130
努力の人でした。小学四年までしか学校に行かせてもらえなかった父は、独学で中学の課程を済ませ、陸軍士官学校に優秀な成績で入学、さらに陸軍大学校では、恩賜(おんし)の軍刀をいただいて卒業したと聞いております。決して自慢をする人ではなく、これらはすべて、父の死後、母が話してくれたことです。
外国駐在武官として度々外国で生活した父は、語学も堪能だったと思われます。第一次大戦後、ドイツ、オランダ等にも駐在して、身をもって経験したこと、それは、「勝っても負けても戦争は国を疲弊させるだけ、したがって、軍隊は強くてもいいが、戦争だけはしてはいけない」ということでした。
「おれが邪魔なんだよ」と、母に洩らしていたという父は、戦争にひた走ろうとする人々にとってのブレーキであり、その人たちの手によって、いつかは葬られることも覚悟していたと思われます。その証拠に、二月二十六日の早朝、銃声を聞いた時、父はいち早く枕許の押し入れからピストルを取り出して、応戦の構えを取りました。
死の間際に父がしてくれたこと、それは銃弾の飛び交う中、傍で寝ていた私を、壁に立てかけてあった座卓の陰に隠してくれたことでした。かくて父は、生前可愛がった娘の目の前一メートルのところで、娘に見守られて死んだことになります。昭和の大クーデター、二・二六事件の朝のことでした。