翌日は長野ICから近い松代を巡りました。松代藩10万石真田家初代藩主は、真田信幸です。1590(天正18)年から3万石沼田城主として11年間、1600(慶長5)年から上田城主として23年間、1622(元和8)年から松代藩主として35年間務め、近世大名としての基礎を固めました。夫人は本多忠勝の娘で、家康の養女として嫁いだ小松姫です。
まず真田宝物館に入りました。真田家の武具、調度品、書画、文書などの大名道具などが収蔵・展示されていました。信玄・秀吉・三成・家康らの書状など、貴重な資料はおよそ5万点に及びます。続いて九代藩主・幸教が、義母の住まいとして1864(元治元)年に建築した松代城の城外御殿に入りました。いまは真田邸で、当時は「新御殿」と呼ばれていました。1966(昭和41)年、十二代当主・幸治氏により代々の家宝とともに当時の松代町に譲渡されたとのことです。主屋、表門、土蔵7棟、庭園が江戸末期の御殿建築の様式をよく伝え、座観式の庭園の風情が見事でした。
続いて、文武学校に入りました。文武を奨励した松代藩の藩校です。藩士の子弟が学問と武道を学ぶ場として、1855(安政2)年に開校しました。文学所、剣術所、柔術所、弓術所、槍術所などが配置されていました。
信玄と謙信が信濃の覇権を競った川中島合戦で、武田側の拠点として築城された海津城は、千曲川の流れを外堀とする天然の要塞です。その後、真田氏が藩主となると、松代城と呼ばれ10万石の城下町として発展しました。明治の廃城にともない建物が壊されたため、長い間石垣を残すのみでしたが、昭和56年に、再建され国の史跡に指定されました。その後、櫓門・木橋・石垣・土塁・堀などが復元されました。この辺りは江戸時代の面影をそのままに残し、映画や時代劇のロケにもしばしば利用されています。5月に上映された「殿、利息でござる!」(原作 磯田道史、無私の日本人)は、ここでロケされた映画です。
またこの地は、佐久間象山誕生の地です。象山記念館に入り、真鍮製の羅針盤型磁石の「測量用台付磁石」などの展示を見学しました。
松代大本営跡は、太平洋戦争末期、日本の政府中枢機能移転のために、山中(象山、舞鶴山、皆神山の3箇所)に掘られた地下坑道跡です。3つの地下壕の長さは10kmにも及び、現在は象山地下壕のみが一般公開されているそうですが、時間が無く訪れませんでした。
もっと見る
Re:信州真田紀行・松代(07/10)
|
夢穂 さん |
歴史あふれる素敵な土地ですよね 温泉もあるし、また行きたいなぁ と思うんですが娘が松本から戻って きたのでチャンスも減りました
(July 10, 2016 03:36:02 PM)
毎年北陸新幹線に乗って信州で下車しています 同窓会を兼ねた一泊温泉旅行です
(January 4, 2019 05:14:31 PM)
|
Profile
楽天9215
歴史紀行、映画、デジタルカメラ、花の歳時記の話です。
|
|